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戦争が多発し人々が混乱する中で、自分の利益だけを求める考え方が広まった。その中で、神を中心にそして身近に考えるキリスト教が生まれ、それは自分(内側)に向いていた人々の力が政治や世(外側)へと方向転換させるきっかけとなった。
イエスの教えである山上の垂訓は、他の宗教に比べても神にすがるだけでなく自分から何かアクションを行う積極的なものが多いと言うのが自分がした行動の対価として何かを受け取るようで現実味だったり納得感というものを多く感じた。
福音の逆説で不幸な人ほど祝福される。貧しい者、孤独な者、病人などは天国で必ず報われるといわれているが、生きている今が幸せでないと意味がないと思う。
争いや苦しみの中で現れたイエスを信じた人々は、過酷な状況のなか、信じることで縋り依存する先としていたのもまた事実なのかもしれないと思いました。
多数の民族が混ざり合い多様性が高まった時代背景があったからこそ、複雑で哲学的な内容を含んだキリスト教によって、人々をまとめ世界を良い方向に導こうとしていたようだ。
イエスの考える宗教はこれまでの神にすがるだけの宗教とは違い、信者たちに自発的に善い行いをさせる教えだったということを知った。「貧乏な人ほど幸せを知っている」という考え方は、当時の人々にとってどれほど衝撃的だっだろう。
混乱する社会の中で幸福な人生を求めて、犬儒派や懐疑派、快楽派、ストア派の人々が現れた。一方、イエスは山上の垂訓を説き、皆で行動することで神無しでも神の御業は実現するという積極的なものへ変えた。
どう生きるかが大切なのは私も同意です。流れに身を任せて生きるのが一番である。関係のないことに巻き込まれて不幸になる。なんでもかんでも無理矢理に答えを出そうとせず、エポケーによって判断を止めることも時には肝要だろう。
キリスト教は今までの宗教とは異なり、自分自身のみの幸せを求めるものではなく、皆が神の意図に従って行動して他人を救うことで自分自身も救われるという、自身の幸せに他者への救済が関わってくる考え方をしている。
不幸のものほど報われる、などの他人に希望を持たせることはどの時代おいても、多くの人を味方につけることができる武器だ。希望の持つ力の強さが窺える。
キリスト教が哲学と政治にこれほど結びついてるとは思わなかった。ルールや法律をそのまま受け取らず、定められた意味を理解することが大切だと感じた。
神は貧者、病人、孤独な人たちと常におられ彼らは天国で報われると言う考えが印象に残りました、また律法の文言に甘んじるだけでなくそこにある神の意図に従うと言う言葉から、ただただ法律やルールに従うのではなくなぜその法律やルールがあるのかを理解することが大切だと感じた。
アンティステネスは元の裕福な身分を捨てて質素な暮らしや、美徳のみが高貴だと説いたにも関わらず、ソクラテスの後継者を自称していたイソクラテスとプラトンは富裕層に教えるなど富を求めた。
この今回取り上げた時代では混乱がよく起きる世の中であることが時系列事に見ていく中で分かる。その中で生きた哲学者達はそれぞれの考えの派生をどんどん成長させ、人々の心の支えになったのでは無いだろうか。ただ、その中での生活で本当に幸せであったかどうかは当人しか分からないが疑問点として残るだろう。
今も昔も人を疑うのは変わっていないのだと思った。アンティステネスの「幸せに死ぬ事だ」という言葉を知っていて、それが素敵だと思っていたがそれぞれ考え方ややり方、思想は違い、考えを広めていて面白かった。
ストア派と犬儒派は、美徳だけが高貴であるという考え方は同じだが、犬儒派よりもストア派の方が人々に受け入れられたのは、禁欲を強いる犬儒派よりも、アディアフォラ(富、名声、美しさなど)を求めも避けもしないというストア派の考え方の方が人々は受け入れやすかったからなのではないか。
様々な民族が1つの土地に集まり生活していると、王様を選ぶことでも喧嘩をしたり、また混乱から人々は哲学に走り色々な思想を持つということを学べました。
自分の不幸によって人を憎むのではなく愛すことで神も許してくれるという考えを持ち、ただ神に祈りをささげるのではなく行動を起こすことをするのは、現代においても積極的に行動を起こすことで新しい事象を生む糧になるかもしれない
これまでの講義にあった東洋の宗教観とは、また違う視点を持っていると、キリスト教を通して理解が進んだ。共通するものとして、やはり宗教というものは、どうすることも出来ない情勢で弱った人の心から願いとして生まれるものなのだろう。
これまでの宗教では自分がよりよく生きるために神に祈るといったものがほとんどだった。だがイエスは福音の逆説、律法の徹底、神人の類比の3つで貧しい物こそ神の御心を知っている、そして神の意思に基づき我々が行動すれば神がいなくとも神の御業が実現すると語った。
目まぐるしく戦争が起こり混乱が増える中で自分中心の考え方が多くなる一方、ヨハネの考え方により、人々が1つの方向に向かって歩み始めた事は歴史的に見ても大きな変化と言える。
犬儒派などは消極的なことに対し、イエスの考え方は積極的に感じる。神すらもシステムに組み込んでいることが面白いが、不敬にも思われそうだ。神の偉業を人々で実現できるという考えはとくにそう言える。その考えを強固なものにするために、イエスを神の子にする必要があったのではないかと思えた。
エピクロスは名声や権力、肉欲などの不必要な欲望を切り捨てて本当に必要な欲求のみを満たすことに重きを置いたのだろう。
今までキリスト教が哲学と政治の両方とこれほど深く結びついているとは思ってもみなかった。 イエス以前には、しばしば哲学を利用して国を管理しようとしたが、ローマ共和政体制の崩壊により、人々は現実への失望から自分自身の内なる安定にもっと注意を払うようになる。キリスト教の誕生には必然に満ちていたと感じた。
犬儒派とストア派は根本は同じ考えであるが、より理性的であったことが受け入れやすかった理由である。
陰謀や争いが絶えず、不安定な時代に生きた人々にとって、神の存在を使ったキリストの考え方は、どうしようもない苦しい状況でなんとか生きていける唯一の希望となっていたのかもしれない。
イエスの神を中心とした生き方は他人を遠ざけ、自分の幸せばかりを気にする宗派とは対照的である。そして、不幸な人ほど神の御心を理解しており、彼らの行動でみなが同じようにすれば、神なしでも神の御加護が実現するというイエスの考えは神にすがるだけの宗教を積極的なものに置き換えた。
ストア派は、富や名声などのアディアフォラを求めも避けもしないという理性を第一に考えていたため、人々から受け入れやすかったのも納得した。しかし、人間は理性と感情の狭間に生きていて、そのバランスを上手く取ることが重要であり、極端な禁欲主義は長く続かないと感じた。
生き方についての問題、結局は裕福より貧相の方が幸せなのだろうか?最後のところで不幸である者ほど祝福を受けると出たが、ソクラテスやアンティステネスは結局のところ質素な生活で幸福だったのだろうか?
人は多かれ少なかれ不幸を抱えて生きているものだから、その間口の広さが比較的人々に受け入れられた要因であったりするのだろうか。混乱した時代の中で、神などと遠い話をするのではなく、教えの中に神を据えながらもその中心を神の代行である自分たち人間に置いたのが、ここまでの宗教にない画期的な要素であり、好まれたのではないだろうか。
当時は現代よりも遥かに情報や食料、技術の量が少なかったとはいえ国家間の関係が混沌としすぎている。この状態で鋼鉄という画期的な技術が生まれても、文化の発展だけではなくそのまま戦争の道具へとスライドするとしか思えない。そんな中で、時には他の宗教も受け入れなければならない事態にまで発展した。キリストの「不幸な人ほど祝福される」「神の意図を自分達も実行する」という考え方は、当時の人達にとって画期的な精神の支えになったのではないか。この考え方ならば、今が不幸でも神の意図を実行して生きれば皆が幸せになり、平和な世界が訪れると。現代でもキリスト教は広く信仰されているが、圧倒的な求心力を持っている。
争いが多かった世界で、生まれてしまったことが、イエスにとっての第一の試練であり、他の哲学家に比べて多くの人がついてきてしまったことが第二の試練であると私は思った、また、その試練はわたしがもしイエス本人であれば、残酷な亡くなり方を見た後だと、ただの不幸のようにしか感じれなかった。
相次ぐ戦争で疲弊する人々、国際交流で得る新たな感化、富裕層と権力者の排他的選民意識を強めた混乱の中で、人々はエウダイモニアを求め、処世哲学・ユダヤ教・キリスト教などの思想が生まれたのでしょう。歴史背景を教えてもらい、当時の感情を想像することが出来ました。
混乱した世の中で安寧を求めて生まれた様々な哲学派閥と、陰謀・暗殺の横行。出現したイエス・キリスト。哲学の派閥比較と生まれた理由を、歴史的・政治的な流れを見ながら読み解いた。イエス・キリストが哲学にここまで関連してくるとは思わなかった。
哲学者が小汚い格好をしてるイメージは元々あったが、犬のように生活する犬儒派と呼ばれるような人もいたのには驚いた。イソクラテスやプラトンのように口だけではなく師と同じ生活したアンティステネスやディオゲネスは果たしてソクラテスの哲学に近いたかと言えばまたそれはわからないことだなと感じた
アンティスネテスは、質素な生活をすることで美徳のみが高貴であるという犬儒派の考えにたどり着いた。しかし、彼らの財産を全て捨てて犬のように暮らす生活は現在の我々の生活からは私たちの想像を絶する苦難があっただろう。その苦難さえも彼らは美徳の心を持って、幸に感じていたのかも知れない。
権力者の排他的選民思想によって混乱する世の中で、人々は哲学による国の統治を目指しただろう。しかし権力者の相続問題や政治の放棄によって現実に失望した人々は、自分たちの心の平穏の為に自力で神の手を掴もうとしたのではないか。政治と宗教は別物だと思っていたが、キリスト教がここまで政治と哲学に結びついてるとは驚きであった。
ストア派は美徳だけが高貴であるという考え方は犬儒派と同じだが、アディアフォラを求めも避けもしないという中立な立場が、多くの人に受け入れられるに至った理由なのではないだろうか。
この時代は、多く起こった戦争の中でさまざまな派閥が入れ替わり立ち替わりした。またそれに伴うように新たな考えの派閥も派生した。これはまさしく人々の知性が忙しなく働いたからだろう。また、キリストの神人の類似の考えは今で言う「親切をすると親切が返ってくる」考えと似ている。現代のこの考えはキリストの考えから来たのだろうか。
富や名声をアディアフォラ(どうでもいいこと)とし、学究を最善とするならば、突き詰めると人間は「生きる意味」を考えることが存在理由といえる。それが解明されたとき、同時に人間の存在理由は失われてしまうだろう。
大量の異民族が流出してきて言語の意思疎通ができずに大混乱になった。不幸な人ほど祝福される貧人、病人、孤独な人たちとともに常にいて天国で必ず報われるのだろうか。不幸な人ほど、神の御心を理解しているのだから神に代わって実行すべきだ。
私たちは求める過ぎるあまり排他的選民思想や戦争を引き起こす。その混乱の世の中に対する、ストア派の求めるも避けもしない、富も名声もいらない、理性を重んじたアディアフォラだから受け入れられた。調和や秩序が善とされる世界でバランスこそたどり着かないといけないあり方だ。
現代においても、キケロの様に、関係のないことに巻き込まれて不幸になる。正解などないのだから、なんでもかんでも無理矢理に答えを出そうとせず、エポケーによって判断を止めることも時には肝要だろう。
福音の逆説のような弱い立場の人々を救う教えは、何か縋るものを必要としている多くの人達に生き方を与えた。処刑される必要はあったが、イエスは多くの人を本当の意味で救ったのではないだろうか。
戦争が多発し人々が混乱する中で、自分の利益だけを求める考え方が広まった。その中で、神を中心にそして身近に考えるキリスト教が生まれ、それは自分(内側)に向いていた人々の力が政治や世(外側)へと方向転換させるきっかけとなった。
イエスの教えである山上の垂訓は、他の宗教に比べても神にすがるだけでなく自分から何かアクションを行う積極的なものが多いと言うのが自分がした行動の対価として何かを受け取るようで現実味だったり納得感というものを多く感じた。
福音の逆説で不幸な人ほど祝福される。貧しい者、孤独な者、病人などは天国で必ず報われるといわれているが、生きている今が幸せでないと意味がないと思う。
争いや苦しみの中で現れたイエスを信じた人々は、過酷な状況のなか、信じることで縋り依存する先としていたのもまた事実なのかもしれないと思いました。
多数の民族が混ざり合い多様性が高まった時代背景があったからこそ、
複雑で哲学的な内容を含んだキリスト教によって、人々をまとめ世界を良い方向に導こうとしていたようだ。
イエスの考える宗教はこれまでの神にすがるだけの宗教とは違い、信者たちに自発的に善い行いをさせる教えだったということを知った。
「貧乏な人ほど幸せを知っている」という考え方は、当時の人々にとってどれほど衝撃的だっだろう。
混乱する社会の中で幸福な人生を求めて、犬儒派や懐疑派、快楽派、ストア派の人々が現れた。一方、イエスは山上の垂訓を説き、皆で行動することで神無しでも神の御業は実現するという積極的なものへ変えた。
どう生きるかが大切なのは私も同意です。流れに身を任せて生きるのが一番である。関係のないことに巻き込まれて不幸になる。なんでもかんでも無理矢理に答えを出そうとせず、エポケーによって判断を止めることも時には肝要だろう。
キリスト教は今までの宗教とは異なり、自分自身のみの幸せを求めるものではなく、皆が神の意図に従って行動して他人を救うことで自分自身も救われるという、自身の幸せに他者への救済が関わってくる考え方をしている。
不幸のものほど報われる、などの他人に希望を持たせることはどの時代おいても、多くの人を味方につけることができる武器だ。希望の持つ力の強さが窺える。
キリスト教が哲学と政治にこれほど結びついてるとは思わなかった。
ルールや法律をそのまま受け取らず、定められた意味を理解することが大切だと感じた。
神は貧者、病人、孤独な人たちと常におられ彼らは天国で報われると言う考えが印象に残りました、また律法の文言に甘んじるだけでなくそこにある神の意図に従うと言う言葉から、ただただ法律やルールに従うのではなくなぜその法律やルールがあるのかを理解することが大切だと感じた。
アンティステネスは元の裕福な身分を捨てて質素な暮らしや、美徳のみが高貴だと説いたにも関わらず、ソクラテスの後継者を自称していたイソクラテスとプラトンは富裕層に教えるなど富を求めた。
この今回取り上げた時代では混乱がよく起きる世の中であることが時系列事に見ていく中で分かる。その中で生きた哲学者達はそれぞれの考えの派生をどんどん成長させ、人々の心の支えになったのでは無いだろうか。
ただ、その中での生活で本当に幸せであったかどうかは当人しか分からないが疑問点として残るだろう。
今も昔も人を疑うのは変わっていないのだと思った。アンティステネスの「幸せに死ぬ事だ」という言葉を知っていて、それが素敵だと思っていたがそれぞれ考え方ややり方、思想は違い、考えを広めていて面白かった。
ストア派と犬儒派は、美徳だけが高貴であるという考え方は同じだが、犬儒派よりもストア派の方が人々に受け入れられたのは、禁欲を強いる犬儒派よりも、アディアフォラ(富、名声、美しさなど)を求めも避けもしないというストア派の考え方の方が人々は受け入れやすかったからなのではないか。
様々な民族が1つの土地に集まり生活していると、王様を選ぶことでも喧嘩をしたり、また混乱から人々は哲学に走り色々な思想を持つということを学べました。
自分の不幸によって人を憎むのではなく愛すことで神も許してくれるという考えを持ち、ただ神に祈りをささげるのではなく行動を起こすことをするのは、現代においても積極的に行動を起こすことで新しい事象を生む糧になるかもしれない
これまでの講義にあった東洋の宗教観とは、また違う視点を持っていると、キリスト教を通して理解が進んだ。共通するものとして、やはり宗教というものは、どうすることも出来ない情勢で弱った人の心から願いとして生まれるものなのだろう。
これまでの宗教では自分がよりよく生きるために神に祈るといったものがほとんどだった。
だがイエスは福音の逆説、律法の徹底、神人の類比の3つで貧しい物こそ神の御心を知っている、そして神の意思に基づき我々が行動すれば神がいなくとも神の御業が実現すると語った。
目まぐるしく戦争が起こり混乱が増える中で自分中心の考え方が多くなる一方、ヨハネの考え方により、人々が1つの方向に向かって歩み始めた事は歴史的に見ても大きな変化と言える。
犬儒派などは消極的なことに対し、イエスの考え方は積極的に感じる。神すらもシステムに組み込んでいることが面白いが、不敬にも思われそうだ。神の偉業を人々で実現できるという考えはとくにそう言える。その考えを強固なものにするために、イエスを神の子にする必要があったのではないかと思えた。
エピクロスは名声や権力、肉欲などの不必要な欲望を切り捨てて本当に必要な欲求のみを満たすことに重きを置いたのだろう。
今までキリスト教が哲学と政治の両方とこれほど深く結びついているとは思ってもみなかった。 イエス以前には、しばしば哲学を利用して国を管理しようとしたが、ローマ共和政体制の崩壊により、人々は現実への失望から自分自身の内なる安定にもっと注意を払うようになる。キリスト教の誕生には必然に満ちていたと感じた。
犬儒派とストア派は根本は同じ考えであるが、より理性的であったことが受け入れやすかった理由である。
陰謀や争いが絶えず、不安定な時代に生きた人々にとって、神の存在を使ったキリストの考え方は、どうしようもない苦しい状況でなんとか生きていける唯一の希望となっていたのかもしれない。
イエスの神を中心とした生き方は他人を遠ざけ、自分の幸せばかりを気にする宗派とは対照的である。そして、不幸な人ほど神の御心を理解しており、彼らの行動でみなが同じようにすれば、神なしでも神の御加護が実現するというイエスの考えは神にすがるだけの宗教を積極的なものに置き換えた。
ストア派は、富や名声などのアディアフォラを求めも避けもしないという理性を第一に考えていたため、人々から受け入れやすかったのも納得した。しかし、人間は理性と感情の狭間に生きていて、そのバランスを上手く取ることが重要であり、極端な禁欲主義は長く続かないと感じた。
生き方についての問題、結局は裕福より貧相の方が幸せなのだろうか?最後のところで不幸である者ほど祝福を受けると出たが、ソクラテスやアンティステネスは結局のところ質素な生活で幸福だったのだろうか?
人は多かれ少なかれ不幸を抱えて生きているものだから、その間口の広さが比較的人々に受け入れられた要因であったりするのだろうか。混乱した時代の中で、神などと遠い話をするのではなく、教えの中に神を据えながらもその中心を神の代行である自分たち人間に置いたのが、ここまでの宗教にない画期的な要素であり、好まれたのではないだろうか。
当時は現代よりも遥かに情報や食料、技術の量が少なかったとはいえ国家間の関係が混沌としすぎている。この状態で鋼鉄という画期的な技術が生まれても、文化の発展だけではなくそのまま戦争の道具へとスライドするとしか思えない。そんな中で、時には他の宗教も受け入れなければならない事態にまで発展した。キリストの「不幸な人ほど祝福される」「神の意図を自分達も実行する」という考え方は、当時の人達にとって画期的な精神の支えになったのではないか。この考え方ならば、今が不幸でも神の意図を実行して生きれば皆が幸せになり、平和な世界が訪れると。現代でもキリスト教は広く信仰されているが、圧倒的な求心力を持っている。
争いが多かった世界で、生まれてしまったことが、イエスにとっての第一の試練であり、他の哲学家に比べて多くの人がついてきてしまったことが第二の試練であると私は思った、また、その試練はわたしがもしイエス本人であれば、残酷な亡くなり方を見た後だと、ただの不幸のようにしか感じれなかった。
相次ぐ戦争で疲弊する人々、国際交流で得る新たな感化、富裕層と権力者の排他的選民意識を強めた混乱の中で、人々はエウダイモニアを求め、処世哲学・ユダヤ教・キリスト教などの思想が生まれたのでしょう。歴史背景を教えてもらい、当時の感情を想像することが出来ました。
混乱した世の中で安寧を求めて生まれた様々な哲学派閥と、陰謀・暗殺の横行。出現したイエス・キリスト。
哲学の派閥比較と生まれた理由を、歴史的・政治的な流れを見ながら読み解いた。
イエス・キリストが哲学にここまで関連してくるとは思わなかった。
哲学者が小汚い格好をしてるイメージは元々あったが、犬のように生活する犬儒派と呼ばれるような人もいたのには驚いた。イソクラテスやプラトンのように口だけではなく師と同じ生活したアンティステネスやディオゲネスは果たしてソクラテスの哲学に近いたかと言えばまたそれはわからないことだなと感じた
アンティスネテスは、質素な生活をすることで美徳のみが高貴であるという犬儒派の考えにたどり着いた。しかし、彼らの財産を全て捨てて犬のように暮らす生活は現在の我々の生活からは私たちの想像を絶する苦難があっただろう。その苦難さえも彼らは美徳の心を持って、幸に感じていたのかも知れない。
権力者の排他的選民思想によって混乱する世の中で、人々は哲学による国の統治を目指しただろう。しかし権力者の相続問題や政治の放棄によって現実に失望した人々は、自分たちの心の平穏の為に自力で神の手を掴もうとしたのではないか。政治と宗教は別物だと思っていたが、キリスト教がここまで政治と哲学に結びついてるとは驚きであった。
ストア派は美徳だけが高貴であるという考え方は犬儒派と同じだが、アディアフォラを求めも避けもしないという中立な立場が、多くの人に受け入れられるに至った理由なのではないだろうか。
この時代は、多く起こった戦争の中でさまざまな派閥が入れ替わり立ち替わりした。またそれに伴うように新たな考えの派閥も派生した。これはまさしく人々の知性が忙しなく働いたからだろう。また、キリストの神人の類似の考えは今で言う「親切をすると親切が返ってくる」考えと似ている。現代のこの考えはキリストの考えから来たのだろうか。
富や名声をアディアフォラ(どうでもいいこと)とし、学究を最善とするならば、突き詰めると人間は「生きる意味」を考えることが存在理由といえる。それが解明されたとき、同時に人間の存在理由は失われてしまうだろう。
大量の異民族が流出してきて言語の意思疎通ができずに大混乱になった。不幸な人ほど祝福される貧人、病人、孤独な人たちとともに常にいて天国で必ず報われるのだろうか。不幸な人ほど、神の御心を理解しているのだから神に代わって実行すべきだ。
私たちは求める過ぎるあまり排他的選民思想や戦争を引き起こす。その混乱の世の中に対する、ストア派の求めるも避けもしない、富も名声もいらない、理性を重んじたアディアフォラだから受け入れられた。調和や秩序が善とされる世界でバランスこそたどり着かないといけないあり方だ。
現代においても、キケロの様に、関係のないことに巻き込まれて不幸になる。正解などないのだから、なんでもかんでも無理矢理に答えを出そうとせず、エポケーによって判断を止めることも時には肝要だろう。
福音の逆説のような弱い立場の人々を救う教えは、何か縋るものを必要としている多くの人達に生き方を与えた。処刑される必要はあったが、イエスは多くの人を本当の意味で救ったのではないだろうか。