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蜀は荊州問題で関羽を失った事が天下取り失敗の大きな原因。魏は曹操の赤壁敗退、皇帝が若くして亡くしてる&司馬一族の台頭。呉は中途半端な野心で蜀の足を引っ張った後は内部が腐り始めて崩壊。こう見ると孫呉が1番やらかしてる…w
孫登さえ長生きしてくれれば(´;ω;`)
そんな話はない
どの国も最終的には『統一よりも安穏とした生活・自分の地位&名誉が第一』って感じになっていったようないわゆる「一人一人の野心」ってものが、初期と比べると薄くなっていった感じが個人的には強いです
そんな中で狂人のように猛進を続けた姜維の恐ろしさよ…
姜維の脅威ってことか
その1人1人の野心が再度膨れ上がって晋王朝はあっさり倒れて八王やら五胡十六国やら乱世に逆戻りなんだから、平和を願って中華統一を成した始皇帝は報われないね。
特に曹操の赤壁以後の陰り振りが目立ちますねまともに領地拡大できたの潼関くらい後は劉備の快進撃と孫権の権謀術数に後手の対応ばかり
満足か、加齢による体力減衰か、はたまた、軍事、官僚機構の整備が追いつかなかったか。曹操がもっと長生きで体力満タンだったら、、、
俺が思う三国時代のターニングポイント1.赤壁の戦い2.官渡の戦い3.関羽の死4.劉備呉を攻める5.司馬一族蜂起
街亭の戦いも加えてほしい。馬謖が防衛を成功させてたら蜀の逆転もありえたからね。
官渡と赤壁の順だけ時系列と異なるのが気になる
@@yayuyo7188 兵の量を質で打ち負かしたり曹操の快進撃が始まったきっかけでは官渡がインパクトあるけど、そんな曹操が明確に敗北して後に劉備孫権が手を組んで天下三分の計の流れを作った時代に対して大きな逆張りという事で赤壁を1番にしました
ぶっちゃけ劉備が曹操を裏切らなきゃ曹操がアッサリ天下統一出来てたなんだかんだで三国志の主人公はこの二人(特に劉備)というのは確かなんだよなあ
お互いがお互いをめちゃくちゃ意識してるのも好き
曹操の飛躍を支えた名士層が後に魏を内部から食らいつくす事なるとは
曹操が統一を完遂できていれば良くも悪くも新たな時代が訪れたでしょうけど、結局、漢王朝の長所も短所も煮詰めてしまった晋王朝が誕生することに('ω')
呉は常に余計なことをするイメージしかない。だからどの角度から見ても主役になれない不人気なんだろうけど
でもそれ故に凄く興味深くて、噛めば噛むほど味がする🌞
横山さんの、三国志もすきですが『蒼天航路』も好きです🎵
最初に三国無双2で三国志に触れた身としてはかろうじて三国志大戦で知っていたけど統一したのが晋だったのはもちろんびっくりだし意外と蜀がわりと小さめな土地だったりやたら領地ごたごたしてたり劉備がヤクザ臭いのもびっくりだし袁紹の凄さにビックリだし赤壁のイメージぶっ壊れるしこのチャンネルの動画見てると色々驚きしかないw東方の二次創作並に史実以外に色んな三国志があるなぁと思う今日この頃w演技が史実と並べて語られるから製作者の自分好みに色つけやすいのかな?
曹操にとって赤壁の敗戦は象徴的ですが、現実的にはその後の周瑜による南郡失陥が大きかったと思います。あれで樊城まで交代することになり、長江流域に繰り出すことが難しくなりました。逆に呉は天下二分、ひいては統一までの足掛かりを得ましたが、孫呉随一の軍略家である周瑜の死で頓挫。この時期は諸々の転換点だったかと。
周瑜の"時代の中心"感が眩しすぎる。流石、あの孫策の盟友だわ。
動画作成お疲れ様です極論蜀と呉の理由は 魏(晋)がいたから で説明できてしまうので魏の理由が特に興味深かったです魏側からは強大な障壁なのに蜀側はポンポン渡って来る秦霊山脈ほんと何なのw
特に姜維は異常。涼州の現地民の協力を得られるから、兵糧や徴兵はある程度、現地で補えてしまうからこそ神速の襲撃が何度も可能だったのでしょうね。そしてその姜維が突くであろうポイントに予め防衛を的確に敷く鄧艾はもっとヤヴァイ。
自分が小学生の時に『三国志演技』を読みましたけど、この動画で上がったような、派閥構造や、呉の豪族が幅を利かせていた等は、正直分かりませんでした。 しかし、大人の階段を登ってから、正史を読み、それぞれの地域の構造、部下の野望を知ったからこそ、蜀だけでなく魏や呉の都合も理解しました。😂 今はそれぞれの国の中身もこうした動画で分かりましたので、「そりゃ滅ぶよね」という感じで理解に繋がってますよ。😅
歴史の面白さですな🌞
レッドクリフ(映画)が、自分の三國志デビューだったから横山光輝三國志コーエー三國志で勉強した感想が「後半(蜀の南蛮以降)はグダグダだな」だった
蜀漢はやはり荊州失陥が痛すぎた。荊州を保有出来ていれば史実の北伐のように補給で苦労する事は無かった。魏は名士への対応が厚遇と抑圧の間で揺れ動き、その間に司馬氏が名士の期待を集める存在になってしまった。呉は孫権から名士と軍部を融和させることを期待されていた孫登が早死にしてしまい、孫権が図った君主権力強化も失敗した。
運命のいたずらが過ぎる
いつも楽しく拝見しています^ ^分かりやすくまとめてあり、聴いててとても面白かったです(*゚∀゚*)あと、内容とは関係ないのですが「大攻勢」の言い方が、ちょっとフォーク准将っぽくて笑ってしまいましたwww
西のローマも東の中華も、紀元前後の内乱期、1~2世紀の統一期、2世紀終わり頃~3世紀終わり頃までの分裂期、その後一時的な統一を経てからの、(半分は)長い分裂期、と共通しているのが興味深い。とすると、地球規模的な気候変動による食料生産力の低下と、それによる国力の脆弱性が、分裂の大きな要因なのかなと思う。
やっぱり呉がおもろいですね。“不良”が多くてwまとまれば相当強いが、基本的には臣下が自律的というか散らかっているというか。君主というポジションは唯一性が高いわりに、相対的なものでもあるかもしれないことが呉に一番表れているかも。
むしろ孫権は長いことよくまとめてたよこれを(笑)
もうちょっと視点を広げると、「天下」が南に広がったからとも言えます。前漢と後漢を比べると、洛陽や長安のある中心部の人口は激減しているのに対し、荊州や益州は大幅に増えています。武帝の時代なら蛮や夷と呼ばれていた人たちが無視できない数になったことで、一つの王朝が統治できる限界を超えてしまったのです。
北の勢力が南の勢力に水上決戦で敗れる例って赤壁から始まっているとも言いますし、確かに人口の面で大きく昔とは変わっている様子が分かります('ω')
例としてあげると、洛陽のある河南は174万から102万に減り、荊州の長沙は24万から106万(!)、夜郎自大と笑われていた益州の牂牁も15万から27万になってます。もちろん人口密度を考えればまだまだ中原は圧倒的ですが、この人口大移動が三国鼎立の背景にあることは間違いありません。
中華の過半数と人口密集地を支配する魏が天下に近いが曹丕、曹叡が相次いで早死にしたことで権力基盤を築けず司馬一族に簒奪された。身内に力を持たせなかったことが要因だが逆に司馬一族は身内に力を持たせ過ぎたため内ゲバで滅んだが権力の配分は難しい。
何かに振り切るのではなく、常に傷を負いつつも少しでも前に進めるように努力し続け、最善を探し続ける。時流に乗りながら困難な道を進み続けることが、実は一番大事なことなのかもしれませんね。
三国志関連の話は孔明が死んだり、蜀が魏に併合された辺りで終わってしまうから、それ以降の話に触れられる機会が少ない。魏が蜀を併合したあと晋になって、呉は半ば自滅するような形で晋に滅ぼされるから、その辺りの話を描いた漫画が出たら面白いと思うんだけど、主要キャラがほぼ出てこないから、盛り上がりにかけるのかな?
関羽の敗死は劉備最大の判断ミスで、関羽に北上させ劉封らに上庸を攻めさせておきながら劉備本人は漢中王になるための儀式その他に熱中していたので対応が遅れてしまった。関羽が勝手に動いたのならともかく劉封を連絡線確保に動かしているので一連の作戦だった筈。これはまあ、劉備のミスでもあるが諸葛亮以下群臣の勧めというか彼らの形而上主義の弊害と言うべきか。神輿に乗るのって難しいね。
漢中王は、漢室再興を掲げる場合、異常なまでに輝かしい称号ですしねぇ('ω')
漢中王になってから前将軍になって節鉞を得てるのだから時系列に少し違いが生じてますよ
@@月友 関羽はそれ以前にも魯粛との会見で孫劉国境を策定するなど独立勢力としての側面が強い。なので劉備の漢中王就任による節鉞の授与は追認的性質が強いと見ます。費詩が関羽と会見したのは樊城攻めの最中だったかも知れませんよ。
三国とも領地内に異民族勢力がいてそこに一定の兵数を割かないといけないのがきつい。
蜀漢は上手く統治し兵力を吸い上げ、呉は叩き潰しながら吸い上げているという('ω')
魏は曹丕曹叡の早死がなぁ…
ほんとそれ
曹魏は曹丕、曹叡の早死にで曹氏の皇帝権威を確立できず元々同格以上の名士の台頭を許す季漢はチャンスであった関羽の北進や第一次北伐で結果を出せなかった孫呉は孫家の家格の低さと江東を治める大義名分の無さを解決できなかったと色々理由をこねくり回してみたけどそこそこの勢力が山脈や大河といった地形を盾に割拠した場合そう簡単には攻略できないというのがありそう
まぁ、結論はそこに行き着く(笑)
天下統一できなかった要因はもうすでにたくさんの人が考察されているので敢えて別のベクトルで言わせてもらうと、三国に各々優秀な傑物がいたからお互いにどの国も統一まで行かなかったんだと思ってる例えば劉邦が戦ってる相手が項羽じゃなくて曹操や司馬懿なら劉邦は負けて曹操が統一してるだろうし、逆に魏の軍部トップが項羽なら諸葛亮の北伐は成功してただろうし、対秦の合従軍に魯粛や周瑜、劉備がいたら秦は統一できなかったろうし、蜀の皇帝が劉禅じゃなくて崇禎帝だったら諸葛亮をさっさと処刑して蜀は50年近くも栄える事はなかったでしょう時代のターニングポイントで優秀な人がジャイアントキリングをたびたび起こしたから三国時代は統一されなかったんだ
個人的には漢王朝の復興を是としていたのだから、漢中王になった時点で、半分は目的を達成できてたと思うけど、何帝を保護できなかったのが悔やまれるたらればだけど、益州方面しか残ってなかったから、とも惜しむらくは、徐庶、龐統、法正…どこかで、何帝を保護して荊州に入れたらと思うけど、タイミングなかったものね…
あ、蕭何みたいなのがいたら、亮もやりやすかったかも…いかんせん、サロン派閥の人材が…人材も漢中だけでは足りなかったのかもいずれにせも、漢の臣下って立場を皆守ったのは面白い
呉で中央集権を為そうとしたのが張温っぽいのねえ。最後は失脚して使いパシリのような役をやってたとか。その末路を聞いた諸葛亮は少し考え 清濁明らかじゃないと納得いかない性格だから失脚したんだな と思ったそう
呉は豪族の集合体?で常に内部でゴタゴタしてたイメージ。
実際そんな感じ(笑)
急所をきっちり防衛できてるうちは耐えてるんだけど内側も安泰とはいかないのがねー
内側の安定はほんとに大事だけど、これほど難しい問題もない🤔
三国時代に全く興味ない友人(ゲームやアニメの影響で国と超メジャー人物の名前だけ知ってる)に、三国を統一したのは魏呉蜀のどれでもなく晋」って教えたら「何その糞脚本」って言われた。そりゃ最初はびっくりするよね…。
魏の領土ってどのくらいの大きさ何だろうね 三国時代の青・緑・赤で塗られている地図で見るとそんなに大きく感じないんだよなぁでも国力で圧倒してるんだよね
Googleマップなどを見ると、人口が集中する平野部は魏がほぼ独占していることが分かると思います。蜀の平野は四川省の盆地くらい、呉は長江流域くらいなので、魏の強大さが伝わるかと🏋️
@@sh-hd5nq 今の日本で例えると、関東から関西まで押さえてるのが魏、中国・四国・九州が呉、東北と北海道が蜀漢というイメージです。
別勢力に天下統一させないという観点では、呉の荊州攻めはベストな選択だったのかもしれない
長江流域に立つ勢力である以上、その上流域は防衛上、是が非でも握っておきたい地域ですしねぇ。
シンプルに後漢末期の混乱が大きすぎて三国とも国力不足だったそして(特に魏の)国力が大きくなった頃には政治的に王族の権力基盤が崩壊してて王朝が変わってしまった
確かに。そのせいで後の五胡十六国が訪れるわけですしねぇ('ω')
蜀の荊州失陥は起こるべくして起きたと思います呉的には孫登が長生きしてくれればもう少しまともになったかもしれないのに
曹丕の寿命を早めたのは過密な行幸が原因かもしれないね。曹丕の行幸コースを追ってみた結果がこれでした。(抜けが有ったらスマンです)頴陰(此処で受禅)→洛陽(220年12月)→東巡(場所不明。たぶん徐州方面)→許昌→襄邑(陳留郡)→許昌→宛→洛陽→滎陽→許昌→東巡(場所不明)→許昌→寿春→広陵(徐州)→許昌→召陵(汝南)→許昌→譙→徐州(郡は不明)→広陵(徐州)→梁→許昌(門が崩壊)→洛陽(崩御。226年6月)在位6年でこれです。常に移動してますね。これ普通に過労死かと思うよ。もぅね、此処までくると曹丕はこち亀の「72時間働けますか?」の中川の父みたいなもんですよ曹丕が長生き出来ていれば、もう少し良い状態に持っていけた様に思います
親父も天下の各地を走り回ってるし、そういう血が流れているのかしら('ω')
@@KOUMEI_NO_WANADA皇帝の身としては異常な行幸の数ですよ。即位後数年で此処までフラフラと徘徊してる皇帝は中々居ないかな。もう玉座を温める事を忘れた皇帝と言っても良いかもですね
そうですね。父ちゃん(曹操)が自ら率先して東奔西走していたから、ファザコン気味な曹丕としては、父に倣わずにはいられなかったのかな?と思います。どっしりと腰を落ち着かせている孫権(虎狩り趣味はともかくとして、張昭のおかげかな?)との対比も面白いですね。
だって洛陽が都として機能してないから儀式するなら許昌行かなくちゃだし、孫権はすぐ反逆するし……
@@shou-sho ほんでお爺ちゃんも親父も後回しにした洛陽造営に手を付けたら、財政傾けるなってめちゃくちゃ怒られるし…(笑)
都市部を取り最大勢力の魏が天下を取ったと言える赤壁のあと呉が劉備と連携できたらバランス崩れたかもしれんけど
その構想を形にしようとしたのが魯粛で、曹操は魯粛の思惑に気づいた瞬間に驚愕したという話もありますね。
結論:『鄧艾のおかげ』
毌丘倹といい鄧艾といい、道なき道を進むのチート過ぎやしないかい?(笑)
「反・三國志」では劉備が統一した世界線が書かれています😊徐庶が偽手紙で呼び出される前に水鏡先生に挨拶に行った事で全て劉備に都合がいい展開になります😅
到底勝てる訳がない国力差なのに孔明なんていうサイコパスのせいで長年の戦争に巻き込まれた蜀の人達が不憫すぎる。とんでもない山道を地獄の苦しみの中、兵糧を運ばされたんだろうな。勝つ見込みゼロの戦争の為に。
諸葛亮の没後、やめろって言ってるのに諸葛亮を祀る祠が蜀のあちこちに建てられるほど、諸葛亮は民衆からも支持されていたみたいです。弱いのに抗うのは無駄という話は、あくまで強者の視点であり、残酷な押し付けでしょう。守るべきものがあるから戦う。当時の背景や歴史の流れを踏まえたうえで、時代も国も違う人々の思いに心を寄せるのは難しいですが、それもまた歴史の一つの醍醐味だと思います。
蜀はたとえ統一できても一代限りそう
呉の滅亡が一番悲惨
蜀は荊州を巡って関羽と孫権がギクシャクした時点で抗争は必然であったと言えよう。魏は皇帝が二代立て続けに若死にしなければ司馬氏の専横は防げただろうし、魏による統一の可能性が高かっただろう。そういう意味では”運も実力の一つ”と結論付けるのは浅はかか。
呉が荊州を奪わなかった場合、果たして呉は最後まで生き延びることができたか。しかし奪ってしまった瞬間にいずれ滅びることが確定したみたいな、そんな感じはします。
強いて言うなら魏みたいな感じですもんね。
それぞれが強かったからね。魏と長江の相性が致命的に悪いのも。呉と合肥も相性最悪か。
曹操は天下取れても良かった。だが赤壁での敗戦等からシナリオ崩壊😅蜀は劉備の私怨と孔明の北伐のしすぎ、呉は晩年の孫権のアルハラ😅😅😅
決めるべき時に決めきれない。いくら後悔してもしきれないでしょうね(´;ω;`)
歴史にネタバレもクソもないっ…!ない……っ!!
三国の皇帝のなかで、劉禅と孫亮だけ一度も名前が出てきませんでしたね。幼くして帝位に就き短期間で廃位させられた孫亮はともかく、約40年も帝位にあり続けた劉禅は・・。結局蜀漢という国の通史を語っている所で名前が出てこないというのが、劉禅という皇帝がどんな存在だったかを雄弁に語っていると思います。
本当に良くも悪くも何もしてないのよなぁ
孫呉に関しちゃ孫権が張昭に「臣下は宮殿の中では自分を尊敬するけど外では張昭を尊敬している」ってボヤいた位には君主の権威が弱かったですからねぇ。そりゃ酒乱エピソード出まくるくらい酒に走りたくもなるわw
孫権はよくあの激情を抑え、家臣をまとめ、質素な生活を続け、勉学に励み続けた。彼もまた本当の傑物っすよ(*'ω'*)
魏が統一したんちゃうのか?とは思った
王朝が変わっている以上、もうそれは別の国という、ちょっと難しい感覚のお話('ω')
何が凄いってたったの2時間で1600近い視聴回数120ちかいいいねみんな待ってる凄いですね
文醜&顔良より初動伸びてます。ありがたい(笑)でも天文学の動画の初動はこの5分のい
もし呉と蜀が統一され、周瑜が構想していた天下二分の計が実施されていたら果たして天下統一は可能だったでしょうか?荊州、益州の制覇は劉璋を倒すのは周瑜なら可能でしょうし、その後劉備と張魯を屈服させて天下を実質二分(馬超、韓遂を除く)可能だったと思いますけど、その後はなかなか難しいでしょうね。
周瑜の構想通りに進んだとしても、うーん、どうでしょう。あまりにも急速に拡大し過ぎていますし、孫権自身にそこまでの君主権力が無いから上手くまとめきれない感じがします。後の東晋に桓温が現れたように、周瑜がその立ち位置になったりしそう('ω')
そもそも劉備や孫権に天下統一する気があったとは思えないのです。あとは中国全土における人口の激減ですかね、後漢の四分の一って異常ですよ
流石にそこまで多くの人が亡くなったというわけではなく、流民になったり、豪族が囲ったりしたことで、戸籍で人口を把握することが難しくなったためその分がごっそりと減っているって感じですね。とはいえ人口減少もまた顕著ではあったため、その補填として北方の異民族を受け入れて、後の五胡十六国時代に…
呉が荊州は捨てきれないのは考えとしてもっともではあるけど、孫呉が生き残るには蜀と魏を攻める以外に道はないと思う。魯粛はそれが分かってたから、妥協できるところまで妥協して孫劉同盟の維持に尽力した。魯粛が死んだら孫権は魏に降り、関羽を急襲し、あろうことか処刑した暴挙に出たのは評価できない。関羽を捕虜として返還交渉すれば禍根は残っても夷陵は起きなかったんじゃないかな。共倒れの決定打は関羽急襲からの夷陵が間違いない。その後は魏にもっと早い段階で政変なり反乱なりが乱発してないと勝ちようがない。蜀呉の滅亡時期はもうちょい延ばせた可能性はある。蜀漢侵攻で鄧艾は破天荒な進軍をして、その結果劉禅は降伏したわけだけど実際劉禅が粘れば荒進軍した鄧艾は成都軍と援軍で蹴散らされて、うまくいけば討てたかもしれない。呉も援軍を送ってたらしいけど、その援軍が着くかどうかはともかく劉禅は諦めるの早すぎた感じ。魏は皇帝が早く死にすぎたところ。曹丕が最低20年皇帝してれば司馬族のの台頭もなかったかもしれない。劉備が生きてるうちに天下取りにいくなら、曹操をさっさと暗殺しておくべきだったか、劉表が後継問題をはっきり劉琦にと定めておけば劉備にとって有利だったかもしれない。ここは蔡瑁が工作した説がある。
劉禅は首都防衛部隊も全て諸葛瞻に預けて出陣させており、それが壊滅した以上、逃げるか降伏するしかなかったと思われます。逃げるにしても南中地方というド辺境。群雄割拠の乱世ならまだしも現状では、という感じだったでしょう。
シンプルに孫権が魯粛の掲げる天下三分を理解しきれてなかったのと魯粛も孫権も劉備を見縊りすぎた劉備が曹操に勝てるわけないとたかくくってたから漢中を落として劉備勢力が出し抜こうとしてる所に危機感覚えて目先の手しか打てなくなった行き当たりばったり感が呉は強い
@@KOUMEI_NO_WANADA 籠城すれば援軍まで時間稼げたと思うんですよね。実際どの程度兵士がいたかわからないですが。劉備なら降伏するか徹底抗戦するかなら籠城して徹底抗戦の判断をしたんじゃないかと思います。その場での判断ができるできないが劉備劉禅の差というか、平時での君主には劉禅は向いていないんだとよくわかります。
@@マイケル-h7 呉は自分達で首を絞めてるだけですね。魏と真っ向勝負するなら荊州でのあのタイミングが最後で、その後に蜀と連携しても魏が正常な状態では勝ちようがないです。魏に付くならそのまま付けばいいのに、なぜか魏を切ってまた蜀と手を組み滅んでいくのは乱心しすぎです。
荊州借用問題もあったみたいですし劉備勢力にも問題があったと思いますが夷陵後の魏の動きを見たら魏に付いたままなんて考えられないでしょうし
蜀は荊州問題で関羽を失った事が天下取り失敗の大きな原因。
魏は曹操の赤壁敗退、皇帝が若くして亡くしてる&司馬一族の台頭。
呉は中途半端な野心で蜀の足を引っ張った後は内部が腐り始めて崩壊。
こう見ると孫呉が1番やらかしてる…w
孫登さえ長生きしてくれれば(´;ω;`)
そんな話はない
どの国も最終的には『統一よりも安穏とした生活・自分の地位&名誉が第一』って感じになっていったような
いわゆる「一人一人の野心」ってものが、初期と比べると薄くなっていった感じが個人的には強いです
そんな中で狂人のように猛進を続けた姜維の恐ろしさよ…
姜維の脅威ってことか
その1人1人の野心が再度膨れ上がって晋王朝はあっさり倒れて八王やら五胡十六国やら乱世に逆戻りなんだから、
平和を願って中華統一を成した始皇帝は報われないね。
特に曹操の赤壁以後の陰り振りが目立ちますね
まともに領地拡大できたの潼関くらい後は劉備の快進撃と孫権の権謀術数に後手の対応ばかり
満足か、加齢による体力減衰か、はたまた、軍事、官僚機構の整備が追いつかなかったか。曹操がもっと長生きで体力満タンだったら、、、
俺が思う三国時代のターニングポイント
1.赤壁の戦い
2.官渡の戦い
3.関羽の死
4.劉備呉を攻める
5.司馬一族蜂起
街亭の戦いも加えてほしい。馬謖が防衛を成功させてたら蜀の逆転もありえたからね。
官渡と赤壁の順だけ時系列と異なるのが気になる
@@yayuyo7188 兵の量を質で打ち負かしたり曹操の快進撃が始まったきっかけでは官渡がインパクトあるけど、そんな曹操が明確に敗北して後に劉備孫権が手を組んで天下三分の計の流れを作った時代に対して大きな逆張りという事で赤壁を1番にしました
ぶっちゃけ劉備が曹操を裏切らなきゃ曹操がアッサリ天下統一出来てた
なんだかんだで三国志の主人公はこの二人(特に劉備)というのは確かなんだよなあ
お互いがお互いをめちゃくちゃ意識してるのも好き
曹操の飛躍を支えた名士層が後に魏を内部から食らいつくす事なるとは
曹操が統一を完遂できていれば良くも悪くも新たな時代が訪れたでしょうけど、結局、漢王朝の長所も短所も煮詰めてしまった晋王朝が誕生することに('ω')
呉は常に余計なことをするイメージしかない。だからどの角度から見ても主役になれない不人気なんだろうけど
でもそれ故に凄く興味深くて、噛めば噛むほど味がする🌞
横山さんの、三国志もすきですが『蒼天航路』も好きです🎵
最初に三国無双2で三国志に触れた身としてはかろうじて三国志大戦で知っていたけど統一したのが晋だったのはもちろんびっくりだし意外と蜀がわりと小さめな土地だったりやたら領地ごたごたしてたり劉備がヤクザ臭いのもびっくりだし袁紹の凄さにビックリだし赤壁のイメージぶっ壊れるしこのチャンネルの動画見てると色々驚きしかないw東方の二次創作並に史実以外に色んな三国志があるなぁと思う今日この頃w演技が史実と並べて語られるから製作者の自分好みに色つけやすいのかな?
曹操にとって赤壁の敗戦は象徴的ですが、現実的にはその後の周瑜による南郡失陥が大きかったと思います。あれで樊城まで交代することになり、長江流域に繰り出すことが難しくなりました。
逆に呉は天下二分、ひいては統一までの足掛かりを得ましたが、孫呉随一の軍略家である周瑜の死で頓挫。
この時期は諸々の転換点だったかと。
周瑜の"時代の中心"感が眩しすぎる。流石、あの孫策の盟友だわ。
動画作成お疲れ様です
極論蜀と呉の理由は 魏(晋)がいたから で説明できてしまうので魏の理由が特に興味深かったです
魏側からは強大な障壁なのに蜀側はポンポン渡って来る秦霊山脈ほんと何なのw
特に姜維は異常。涼州の現地民の協力を得られるから、兵糧や徴兵はある程度、現地で補えてしまうからこそ神速の襲撃が何度も可能だったのでしょうね。
そしてその姜維が突くであろうポイントに予め防衛を的確に敷く鄧艾はもっとヤヴァイ。
自分が小学生の時に『三国志演技』を読みましたけど、この動画で上がったような、派閥構造や、呉の豪族が幅を利かせていた等は、正直分かりませんでした。
しかし、大人の階段を登ってから、正史を読み、それぞれの地域の構造、部下の野望を知ったからこそ、蜀だけでなく魏や呉の都合も理解しました。😂
今はそれぞれの国の中身もこうした動画で分かりましたので、「そりゃ滅ぶよね」という感じで理解に繋がってますよ。😅
歴史の面白さですな🌞
レッドクリフ(映画)が、自分の三國志デビューだったから
横山光輝三國志
コーエー三國志
で勉強した感想が「後半(蜀の南蛮以降)はグダグダだな」だった
蜀漢はやはり荊州失陥が痛すぎた。荊州を保有出来ていれば史実の北伐のように補給で苦労する事は無かった。
魏は名士への対応が厚遇と抑圧の間で揺れ動き、その間に司馬氏が名士の期待を集める存在になってしまった。
呉は孫権から名士と軍部を融和させることを期待されていた孫登が早死にしてしまい、孫権が図った君主権力強化も失敗した。
運命のいたずらが過ぎる
いつも楽しく拝見しています^ ^
分かりやすくまとめてあり、聴いててとても面白かったです(*゚∀゚*)
あと、内容とは関係ないのですが「大攻勢」の言い方が、ちょっとフォーク准将っぽくて笑ってしまいましたwww
西のローマも東の中華も、紀元前後の内乱期、1~2世紀の統一期、2世紀終わり頃~3世紀終わり頃までの分裂期、その後一時的な統一を経てからの、(半分は)長い分裂期、と共通しているのが興味深い。
とすると、地球規模的な気候変動による食料生産力の低下と、それによる国力の脆弱性が、分裂の大きな要因なのかなと思う。
やっぱり呉がおもろいですね。“不良”が多くてw
まとまれば相当強いが、基本的には臣下が自律的というか散らかっているというか。
君主というポジションは唯一性が高いわりに、相対的なものでもあるかもしれないことが呉に一番表れているかも。
むしろ孫権は長いことよくまとめてたよこれを(笑)
もうちょっと視点を広げると、「天下」が南に広がったからとも言えます。
前漢と後漢を比べると、洛陽や長安のある中心部の人口は激減しているのに対し、荊州や益州は大幅に増えています。
武帝の時代なら蛮や夷と呼ばれていた人たちが無視できない数になったことで、一つの王朝が統治できる限界を超えてしまったのです。
北の勢力が南の勢力に水上決戦で敗れる例って赤壁から始まっているとも言いますし、確かに人口の面で大きく昔とは変わっている様子が分かります('ω')
例としてあげると、洛陽のある河南は174万から102万に減り、荊州の長沙は24万から106万(!)、夜郎自大と笑われていた益州の牂牁も15万から27万になってます。
もちろん人口密度を考えればまだまだ中原は圧倒的ですが、この人口大移動が三国鼎立の背景にあることは間違いありません。
中華の過半数と人口密集地を支配する魏が天下に近いが曹丕、曹叡が相次いで早死にしたことで権力基盤を築けず司馬一族に簒奪された。身内に力を持たせなかったことが要因だが逆に司馬一族は身内に力を持たせ過ぎたため内ゲバで滅んだが権力の配分は難しい。
何かに振り切るのではなく、常に傷を負いつつも少しでも前に進めるように努力し続け、最善を探し続ける。
時流に乗りながら困難な道を進み続けることが、実は一番大事なことなのかもしれませんね。
三国志関連の話は孔明が死んだり、蜀が魏に併合された辺りで終わってしまうから、それ以降の話に触れられる機会が少ない。
魏が蜀を併合したあと晋になって、呉は半ば自滅するような形で晋に滅ぼされるから、その辺りの話を描いた漫画が出たら面白いと思うんだけど、主要キャラがほぼ出てこないから、盛り上がりにかけるのかな?
関羽の敗死は劉備最大の判断ミスで、関羽に北上させ劉封らに上庸を攻めさせておきながら劉備本人は漢中王になるための儀式その他に熱中していたので対応が遅れてしまった。関羽が勝手に動いたのならともかく劉封を連絡線確保に動かしているので一連の作戦だった筈。これはまあ、劉備のミスでもあるが諸葛亮以下群臣の勧めというか彼らの形而上主義の弊害と言うべきか。神輿に乗るのって難しいね。
漢中王は、漢室再興を掲げる場合、異常なまでに輝かしい称号ですしねぇ('ω')
漢中王になってから前将軍になって節鉞を得てるのだから時系列に少し違いが生じてますよ
@@月友
関羽はそれ以前にも魯粛との会見で孫劉国境を策定するなど独立勢力としての側面が強い。なので劉備の漢中王就任による節鉞の授与は追認的性質が強いと見ます。費詩が関羽と会見したのは樊城攻めの最中だったかも知れませんよ。
三国とも領地内に異民族勢力がいて
そこに一定の兵数を割かないといけないのがきつい。
蜀漢は上手く統治し兵力を吸い上げ、呉は叩き潰しながら吸い上げているという('ω')
魏は曹丕曹叡の早死がなぁ…
ほんとそれ
曹魏は曹丕、曹叡の早死にで曹氏の皇帝権威を確立できず元々同格以上の名士の台頭を許す
季漢はチャンスであった関羽の北進や第一次北伐で結果を出せなかった
孫呉は孫家の家格の低さと江東を治める大義名分の無さを解決できなかった
と色々理由をこねくり回してみたけどそこそこの勢力が山脈や大河といった地形を盾に割拠した場合そう簡単には攻略できないというのがありそう
まぁ、結論はそこに行き着く(笑)
天下統一できなかった要因はもうすでにたくさんの人が考察されているので敢えて別のベクトルで言わせてもらうと、三国に各々優秀な傑物がいたからお互いにどの国も統一まで行かなかったんだと思ってる
例えば劉邦が戦ってる相手が項羽じゃなくて曹操や司馬懿なら劉邦は負けて曹操が統一してるだろうし、逆に魏の軍部トップが項羽なら諸葛亮の北伐は成功してただろうし、対秦の合従軍に魯粛や周瑜、劉備がいたら秦は統一できなかったろうし、蜀の皇帝が劉禅じゃなくて崇禎帝だったら諸葛亮をさっさと処刑して蜀は50年近くも栄える事はなかったでしょう
時代のターニングポイントで優秀な人がジャイアントキリングをたびたび起こしたから三国時代は統一されなかったんだ
個人的には漢王朝の復興を是としていたのだから、漢中王になった時点で、半分は目的を達成できてたと思うけど、何帝を保護できなかったのが悔やまれる
たらればだけど、益州方面しか残ってなかったから、とも
惜しむらくは、徐庶、龐統、法正…
どこかで、何帝を保護して荊州に入れたらと思うけど、タイミングなかったものね…
あ、蕭何みたいなのがいたら、亮もやりやすかったかも…
いかんせん、サロン派閥の人材が…人材も漢中だけでは足りなかったのかも
いずれにせも、漢の臣下って立場を皆守ったのは面白い
呉で中央集権を為そうとしたのが張温っぽいのねえ。最後は失脚して使いパシリのような役をやってたとか。その末路を聞いた諸葛亮は少し考え 清濁明らかじゃないと納得いかない性格だから失脚したんだな と思ったそう
呉は豪族の集合体?で常に内部でゴタゴタしてたイメージ。
実際そんな感じ(笑)
急所をきっちり防衛できてるうちは耐えてるんだけど内側も安泰とはいかないのがねー
内側の安定はほんとに大事だけど、これほど難しい問題もない🤔
三国時代に全く興味ない友人(ゲームやアニメの影響で国と超メジャー人物の名前だけ知ってる)に、三国を統一したのは魏呉蜀のどれでもなく晋」って教えたら「何その糞脚本」って言われた。
そりゃ最初はびっくりするよね…。
魏の領土ってどのくらいの大きさ何だろうね
三国時代の青・緑・赤で塗られている地図で見るとそんなに大きく感じないんだよなぁ
でも国力で圧倒してるんだよね
Googleマップなどを見ると、人口が集中する平野部は魏がほぼ独占していることが分かると思います。
蜀の平野は四川省の盆地くらい、呉は長江流域くらいなので、魏の強大さが伝わるかと🏋️
@@sh-hd5nq 今の日本で例えると、関東から関西まで押さえてるのが魏、中国・四国・九州が呉、東北と北海道が蜀漢というイメージです。
別勢力に天下統一させないという観点では、呉の荊州攻めはベストな選択だったのかもしれない
長江流域に立つ勢力である以上、その上流域は防衛上、是が非でも握っておきたい地域ですしねぇ。
シンプルに後漢末期の混乱が大きすぎて三国とも国力不足だった
そして(特に魏の)国力が大きくなった頃には政治的に王族の権力基盤が崩壊してて王朝が変わってしまった
確かに。そのせいで後の五胡十六国が訪れるわけですしねぇ('ω')
蜀の荊州失陥は起こるべくして起きたと思います
呉的には孫登が長生きしてくれればもう少しまともになったかもしれないのに
曹丕の寿命を早めたのは過密な行幸が原因かもしれないね。
曹丕の行幸コースを追ってみた結果がこれでした。(抜けが有ったらスマンです)
頴陰(此処で受禅)→洛陽(220年12月)→東巡(場所不明。たぶん徐州方面)→許昌→襄邑(陳留郡)→許昌→宛→洛陽→滎陽→許昌→東巡(場所不明)→許昌→寿春→広陵(徐州)→許昌→召陵(汝南)→許昌→譙→徐州(郡は不明)→広陵(徐州)→梁→許昌(門が崩壊)→洛陽(崩御。226年6月)
在位6年でこれです。常に移動してますね。これ普通に過労死かと思うよ。
もぅね、此処までくると曹丕はこち亀の「72時間働けますか?」の中川の父みたいなもんですよ
曹丕が長生き出来ていれば、もう少し良い状態に持っていけた様に思います
親父も天下の各地を走り回ってるし、そういう血が流れているのかしら('ω')
@@KOUMEI_NO_WANADA
皇帝の身としては異常な行幸の数ですよ。
即位後数年で此処までフラフラと徘徊してる皇帝は中々居ないかな。もう玉座を温める事を忘れた皇帝と言っても良いかもですね
そうですね。父ちゃん(曹操)が自ら率先して東奔西走していたから、ファザコン気味な曹丕としては、父に倣わずにはいられなかったのかな?と思います。
どっしりと腰を落ち着かせている孫権(虎狩り趣味はともかくとして、張昭のおかげかな?)との対比も面白いですね。
だって洛陽が都として機能してないから儀式するなら許昌行かなくちゃだし、孫権はすぐ反逆するし……
@@shou-sho ほんでお爺ちゃんも親父も後回しにした洛陽造営に手を付けたら、財政傾けるなってめちゃくちゃ怒られるし…(笑)
都市部を取り最大勢力の魏が天下を取ったと言える
赤壁のあと呉が劉備と連携できたらバランス崩れたかもしれんけど
その構想を形にしようとしたのが魯粛で、曹操は魯粛の思惑に気づいた瞬間に驚愕したという話もありますね。
結論:『鄧艾のおかげ』
毌丘倹といい鄧艾といい、道なき道を進むのチート過ぎやしないかい?(笑)
「反・三國志」では劉備が統一した世界線が書かれています😊
徐庶が偽手紙で呼び出される前に水鏡先生に挨拶に行った事で全て劉備に都合がいい展開になります😅
到底勝てる訳がない国力差なのに孔明なんていうサイコパスのせいで長年の戦争に巻き込まれた蜀の人達が不憫すぎる。とんでもない山道を地獄の苦しみの中、兵糧を運ばされたんだろうな。勝つ見込みゼロの戦争の為に。
諸葛亮の没後、やめろって言ってるのに諸葛亮を祀る祠が蜀のあちこちに建てられるほど、諸葛亮は民衆からも支持されていたみたいです。
弱いのに抗うのは無駄という話は、あくまで強者の視点であり、残酷な押し付けでしょう。
守るべきものがあるから戦う。当時の背景や歴史の流れを踏まえたうえで、時代も国も違う人々の思いに心を寄せるのは難しいですが、それもまた歴史の一つの醍醐味だと思います。
蜀はたとえ統一できても一代限りそう
呉の滅亡が一番悲惨
蜀は荊州を巡って関羽と孫権がギクシャクした時点で抗争は必然であったと言えよう。魏は皇帝が二代立て続けに若死にしなければ司馬氏の専横は防げただろうし、魏による統一の可能性が高かっただろう。そういう意味では”運も実力の一つ”と結論付けるのは浅はかか。
呉が荊州を奪わなかった場合、果たして呉は最後まで生き延びることができたか。しかし奪ってしまった瞬間にいずれ滅びることが確定したみたいな、そんな感じはします。
強いて言うなら魏みたいな感じですもんね。
それぞれが強かったからね。魏と長江の相性が致命的に悪いのも。呉と合肥も相性最悪か。
曹操は天下取れても良かった。だが赤壁での敗戦等からシナリオ崩壊😅蜀は劉備の私怨と孔明の北伐のしすぎ、呉は晩年の孫権のアルハラ😅😅😅
決めるべき時に決めきれない。いくら後悔してもしきれないでしょうね(´;ω;`)
歴史にネタバレもクソもないっ…!ない……っ!!
三国の皇帝のなかで、劉禅と孫亮だけ一度も名前が出てきませんでしたね。幼くして帝位に就き短期間で廃位させられた孫亮はともかく、約40年も帝位にあり続けた劉禅は・・。結局蜀漢という国の通史を語っている所で名前が出てこないというのが、劉禅という皇帝がどんな存在だったかを雄弁に語っていると思います。
本当に良くも悪くも何もしてないのよなぁ
孫呉に関しちゃ孫権が張昭に「臣下は宮殿の中では自分を尊敬するけど外では張昭を尊敬している」ってボヤいた位には君主の権威が弱かったですからねぇ。
そりゃ酒乱エピソード出まくるくらい酒に走りたくもなるわw
孫権はよくあの激情を抑え、家臣をまとめ、質素な生活を続け、勉学に励み続けた。彼もまた本当の傑物っすよ(*'ω'*)
魏が統一したんちゃうのか?とは思った
王朝が変わっている以上、もうそれは別の国という、ちょっと難しい感覚のお話('ω')
何が凄いって
たったの2時間で
1600近い視聴回数
120ちかいいいね
みんな待ってる
凄いですね
文醜&顔良より初動伸びてます。
ありがたい(笑)
でも天文学の動画の初動はこの5分のい
もし呉と蜀が統一され、周瑜が構想していた天下二分の計が実施されていたら果たして天下統一は可能だったでしょうか?
荊州、益州の制覇は劉璋を倒すのは周瑜なら可能でしょうし、その後劉備と張魯を屈服させて天下を実質二分(馬超、韓遂を除く)可能だったと思いますけど、その後はなかなか難しいでしょうね。
周瑜の構想通りに進んだとしても、うーん、どうでしょう。
あまりにも急速に拡大し過ぎていますし、孫権自身にそこまでの君主権力が無いから上手くまとめきれない感じがします。
後の東晋に桓温が現れたように、周瑜がその立ち位置になったりしそう('ω')
そもそも劉備や孫権に天下統一する気があったとは思えないのです。
あとは中国全土における人口の激減ですかね、後漢の四分の一って異常ですよ
流石にそこまで多くの人が亡くなったというわけではなく、流民になったり、豪族が囲ったりしたことで、戸籍で人口を把握することが難しくなったためその分がごっそりと減っているって感じですね。
とはいえ人口減少もまた顕著ではあったため、その補填として北方の異民族を受け入れて、後の五胡十六国時代に…
呉が荊州は捨てきれないのは考えとしてもっともではあるけど、孫呉が生き残るには蜀と魏を攻める以外に道はないと思う。
魯粛はそれが分かってたから、妥協できるところまで妥協して孫劉同盟の維持に尽力した。
魯粛が死んだら孫権は魏に降り、関羽を急襲し、あろうことか処刑した暴挙に出たのは評価できない。
関羽を捕虜として返還交渉すれば禍根は残っても夷陵は起きなかったんじゃないかな。
共倒れの決定打は関羽急襲からの夷陵が間違いない。その後は魏にもっと早い段階で政変なり反乱なりが乱発してないと勝ちようがない。
蜀呉の滅亡時期はもうちょい延ばせた可能性はある。
蜀漢侵攻で鄧艾は破天荒な進軍をして、その結果劉禅は降伏したわけだけど実際劉禅が粘れば荒進軍した鄧艾は成都軍と援軍で蹴散らされて、うまくいけば討てたかもしれない。
呉も援軍を送ってたらしいけど、その援軍が着くかどうかはともかく劉禅は諦めるの早すぎた感じ。
魏は皇帝が早く死にすぎたところ。
曹丕が最低20年皇帝してれば司馬族のの台頭もなかったかもしれない。
劉備が生きてるうちに天下取りにいくなら、曹操をさっさと暗殺しておくべきだったか、劉表が後継問題をはっきり劉琦にと定めておけば劉備にとって有利だったかもしれない。
ここは蔡瑁が工作した説がある。
劉禅は首都防衛部隊も全て諸葛瞻に預けて出陣させており、それが壊滅した以上、逃げるか降伏するしかなかったと思われます。
逃げるにしても南中地方というド辺境。群雄割拠の乱世ならまだしも現状では、という感じだったでしょう。
シンプルに孫権が魯粛の掲げる天下三分を理解しきれてなかったのと魯粛も孫権も劉備を見縊りすぎた
劉備が曹操に勝てるわけないとたかくくってたから漢中を落として劉備勢力が出し抜こうとしてる所に危機感覚えて目先の手しか打てなくなった行き当たりばったり感が呉は強い
@@KOUMEI_NO_WANADA 籠城すれば援軍まで時間稼げたと思うんですよね。
実際どの程度兵士がいたかわからないですが。
劉備なら降伏するか徹底抗戦するかなら籠城して徹底抗戦の判断をしたんじゃないかと思います。
その場での判断ができるできないが劉備劉禅の差というか、平時での君主には劉禅は向いていないんだとよくわかります。
@@マイケル-h7 呉は自分達で首を絞めてるだけですね。
魏と真っ向勝負するなら荊州でのあのタイミングが最後で、その後に蜀と連携しても魏が正常な状態では勝ちようがないです。
魏に付くならそのまま付けばいいのに、なぜか魏を切ってまた蜀と手を組み滅んでいくのは乱心しすぎです。
荊州借用問題もあったみたいですし
劉備勢力にも問題があったと思いますが
夷陵後の魏の動きを見たら魏に付いたままなんて考えられないでしょうし