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呂布・馬超「俺たち早く生まれすぎたよな、晋末や五胡十六国なら天下は無理でも一大勢力はなれる目はあっただろうに」
最高に面白い!
めちゃくちゃ嬉しいです😭
馬超は裏切りや騙し討ち行為が多く呂布もびっくりの節操なしだが羌族と漢族では家族の価値観が違う。劉備軍に降った後も武勇よりも政治面で重要視されていた。
ある意味羌族がいたから董卓が後に大暴れ出来てしまったって見方もできますね…
個人的には羌族は三国志よりも封神演義のイメージが強い
そのせいでぼこられてるイメージのほうがつよい
殷墟遺跡では羌人は非常に存在感がある…代表的なのは武丁時代の青銅大甗の中の骨齢15歳の羌族の少女の頭蓋骨で、それは直接首を切り落として沸騰した水の中に投げ込まれて煮て、生贄として先祖と鬼神に捧げたものだ。
後漢時代の涼州は荒れに荒れてて涼州放棄論まで出るほどだったとか。ここから多くの名将が輩出されるのも納得です。特に韓遂は三国志マニアには決して無視することのできない人物ですね。
まさしく梟雄
その涼州放棄論を唱えたのが崔烈です。この崔烈の子が崔鈞です。崔鈞の字は州平。この崔鈞の兄は崔均なので混乱しやすいので注意かな。と言うことで諸葛亮の友である崔州平の父が涼州放棄論を唱えたと言うことになります。
恐らく最初に涼州放棄を言い出したのは安帝の頃の大将軍鄧騭かと。後漢の後半は羌族に相当悩まされてますから何度か議論されてます。
一番乗り。タングート族と言えば西夏の李元昊が有名だろう。もっとも西夏滅亡後は羌も大人しくなり、チャン族として続いている。今日でこそ少数民族の一つだが、氐族などとともに中華王朝を手こずらせただから大したものだ(三国時代の異民族については「周縁の三国志」をお勧めする)。
蒼天航路でクローズアップされてたなー
羌も氐も漢民族からの呼び名であり、漢字の説明もあったが羊と関連するし氐は日が沈む西方の意味(聖徳太子とされる「日出処の天子」のイメージにも重なる)になる。騎馬民族だとしたら匈奴のように交戦的もありそうだが、交戦よりも抗戦だったのかそこの判断は難しいし、段々民族が融合していき変わったのか。
やっぱり異民族とは言えば羌族。異民族の話はいつも勉強なります
太古の頃の読みは「クラン」だった。殷周の頃の羌族と三国時代の羌族と現在の羌族が同一かどうかは未だに議論がある。
後漢の宿敵は先零羌のイメージそんな先零羌をボッコボコにした段熲は後漢随一の猛将かなと樹機能はホントは羌なのではなかろうか…
匈奴を飲み込むように拡大しているから、鮮卑族の活動範囲が広い…(笑)
大変勉強になり、楽しい動画でした有り難うございます
確か董卓の配下にも羌族部隊がいて、李傕の時代の飢饉のなか、賈詡から褒美を貰って故郷に帰りましたね
こちらこそご視聴ありがとうございました!
涼州については227年の劉禅の詔勅に涼州諸国王、各遣月支・康居胡侯支富・康植等二十余人、詣受節度、大軍北出、便欲率将兵馬、奮戈先駆涼州にいる諸国の王はそれぞれ月氏・康居などの蛮侯支富・康植ら二十余人を派遣して、蜀軍が大挙北方に出撃して魏と戦う場合には、その先駆となって奮戦するであろうとあり、使者が普通に往来できるくらいには魏の涼州支配はガタガタだったんでしょうね
郭淮居なかったら普通に切り取れたんじゃないかとも思う🐎
ビッグコミックで姜維が主人公の三国志の連載がスタートしました。劇中で姜維は羌族の血を引いてる説定になっていました
姜と羌ってほぼ同じ意味の漢字みたいですし、さもありなん。
いつも楽しく拝見しています^ ^羌族の強さが董卓を生んだなら、三国志の形成に無くてはならない部族だなぁと思いました(*゚∀゚*)b
いくら叩かれても滅びないイメージ
もし馬超が韋康を殺さずに趙昂王異夫妻を味方につけていたら長安取れたんじゃないか…と思ってしまう。
三國無双でプレイアブルになってて個別に取り上げられてない人物って誰か居たかなと思ったけど嫁とか以外だと殆ど居なさそう
キングダムのきょうかいの一族?
呂布😊😊😊
蚩尤の國
現在、ウイグルにいる方々が「羌族」の末裔ととらえていいのかな?以前住んでいたアパートには、ウイグルの留学生たちがいたけど、もう中央アジアの人だったなあ。内輪じゃ北京官語使ってなかったし。教育心理やってた人が「国に帰ります」と、なったので、普通に中国へ帰るのかと思いきや、帰る先は「オーストラリアです」いろいろわけアリな感じで深堀りしたかったけど、厄介な問題が出てきそうだったので、淡泊にお別れ。
最初にチベット系やと言うてるやんけ…
「現在の」チベット族に、羌族の血脈がリニアにつながっているようにも見えず、現今中国北西に自治区を与えられている境遇の民族の方が近いか?と、思った次第。
「羌人」は商周時代の中原人の西部の遊牧民族に対する総称であり、具体的な民族ではない。商周先秦時代の「前古羌」はすでに東部の人々と一体化し、現代漢族の族源の一つとなっている。『詩経』の故事にある「姜嫄出野」の「姜」と「羌」は同源字である。だからこの背後には非常に恐ろしい物語がある:「周」部族の先祖は羌人の女性「姜嫄」を使って周王朝の初期創始者を出産し、そして周王室はまた殷商から与えられた節钺を利用して西に羌人の部族を征伐し、捕虜と奴隷を人牲として殷墟に送り鬼神と先祖に捧げた。周王室の実力が強大になった後、これらの羌人部族と協力して逆に商王家を滅ぼし、商纣王の頭を切り落とし、先祖を慰めた......現在の中華人民共和国の「羌族」については、実際にはある種の「后古羌」の分支が、現代のチベット・ミャンマー語族とより近い関係にある。また、一部の地域の「羌族」は本質的に身分証明書に「羌族」と記入された漢族である。本当に古代羌人の末裔と言えるのは、普米人、木雅人、嘉絨蔵族、道孚蔵族、白馬蔵族、扎堤蔵族であるべきだ
@@junkaisavoy1020 ご教示、痛み入ります。
呂布・馬超「俺たち早く生まれすぎたよな、晋末や五胡十六国なら天下は無理でも一大勢力はなれる目はあっただろうに」
最高に面白い!
めちゃくちゃ嬉しいです😭
馬超は裏切りや騙し討ち行為が多く呂布もびっくりの節操なしだが羌族と漢族では家族の価値観が違う。劉備軍に降った後も武勇よりも政治面で重要視されていた。
ある意味羌族がいたから董卓が後に大暴れ出来てしまったって見方もできますね…
個人的には羌族は三国志よりも封神演義のイメージが強い
そのせいでぼこられてるイメージのほうがつよい
殷墟遺跡では羌人は非常に存在感がある…代表的なのは武丁時代の青銅大甗の中の骨齢15歳の羌族の少女の頭蓋骨で、それは直接首を切り落として沸騰した水の中に投げ込まれて煮て、生贄として先祖と鬼神に捧げたものだ。
後漢時代の涼州は荒れに荒れてて涼州放棄論まで出るほどだったとか。ここから多くの名将が輩出されるのも納得です。特に韓遂は三国志マニアには決して無視することのできない人物ですね。
まさしく梟雄
その涼州放棄論を唱えたのが崔烈です。この崔烈の子が崔鈞です。崔鈞の字は州平。
この崔鈞の兄は崔均なので混乱しやすいので注意かな。
と言うことで諸葛亮の友である崔州平の父が涼州放棄論を唱えたと言うことになります。
恐らく最初に涼州放棄を言い出したのは安帝の頃の大将軍鄧騭かと。後漢の後半は羌族に相当悩まされてますから何度か議論されてます。
一番乗り。タングート族と言えば西夏の李元昊が有名だろう。もっとも西夏滅亡後は羌も大人しくなり、チャン族として続いている。今日でこそ少数民族の一つだが、氐族などとともに中華王朝を手こずらせただから大したものだ(三国時代の異民族については「周縁の三国志」をお勧めする)。
蒼天航路でクローズアップされてたなー
羌も氐も漢民族からの呼び名であり、漢字の説明もあったが羊と関連するし氐は日が沈む西方の意味(聖徳太子とされる「日出処の天子」のイメージにも重なる)になる。
騎馬民族だとしたら匈奴のように交戦的もありそうだが、交戦よりも抗戦だったのかそこの判断は難しいし、段々民族が融合していき変わったのか。
やっぱり異民族とは言えば羌族。
異民族の話はいつも勉強なります
太古の頃の読みは「クラン」だった。
殷周の頃の羌族と三国時代の羌族と現在の羌族が同一かどうかは未だに議論がある。
後漢の宿敵は先零羌のイメージ
そんな先零羌をボッコボコにした段熲は後漢随一の猛将かなと
樹機能はホントは羌なのではなかろうか…
匈奴を飲み込むように拡大しているから、鮮卑族の活動範囲が広い…(笑)
大変勉強になり、楽しい動画でした
有り難うございます
確か董卓の配下にも羌族部隊がいて、李傕の時代の飢饉のなか、賈詡から褒美を貰って故郷に帰りましたね
こちらこそご視聴ありがとうございました!
涼州については227年の劉禅の詔勅に
涼州諸国王、各遣月支・康居胡侯支富・康植等二十余人、詣受節度、大軍北出、便欲率将兵馬、奮戈先駆
涼州にいる諸国の王はそれぞれ月氏・康居などの蛮侯支富・康植ら二十余人を派遣して、蜀軍が大挙北方に出撃して魏と戦う場合には、その先駆となって奮戦するであろうとあり、使者が普通に往来できるくらいには魏の涼州支配はガタガタだったんでしょうね
郭淮居なかったら普通に切り取れたんじゃないかとも思う🐎
ビッグコミックで姜維が主人公の三国志の連載がスタート
しました。
劇中で姜維は羌族の血を引いてる説定になっていました
姜と羌ってほぼ同じ意味の漢字みたいですし、さもありなん。
いつも楽しく拝見しています^ ^
羌族の強さが董卓を生んだなら、三国志の形成に無くてはならない部族だなぁと思いました(*゚∀゚*)b
いくら叩かれても滅びないイメージ
もし馬超が韋康を殺さずに趙昂王異夫妻を味方につけていたら長安取れたんじゃないか…と思ってしまう。
三國無双でプレイアブルになってて個別に取り上げられてない人物って誰か居たかなと思ったけど嫁とか以外だと殆ど居なさそう
キングダムのきょうかいの一族?
呂布😊😊😊
蚩尤の國
現在、ウイグルにいる方々が「羌族」の末裔ととらえていいのかな?
以前住んでいたアパートには、ウイグルの留学生たちがいたけど、もう中央アジアの人だったなあ。内輪じゃ北京官語使ってなかったし。
教育心理やってた人が
「国に帰ります」
と、なったので、普通に中国へ帰るのかと思いきや、帰る先は
「オーストラリアです」
いろいろわけアリな感じで深堀りしたかったけど、厄介な問題が出てきそうだったので、淡泊にお別れ。
最初にチベット系やと言うてるやんけ…
「現在の」チベット族に、羌族の血脈がリニアにつながっているようにも見えず、現今中国北西に自治区を与えられている境遇の民族の方が近いか?
と、思った次第。
「羌人」は商周時代の中原人の西部の遊牧民族に対する総称であり、具体的な民族ではない。
商周先秦時代の「前古羌」はすでに東部の人々と一体化し、現代漢族の族源の一つとなっている。『詩経』の故事にある「姜嫄出野」の「姜」と「羌」は同源字である。だからこの背後には非常に恐ろしい物語がある:「周」部族の先祖は羌人の女性「姜嫄」を使って周王朝の初期創始者を出産し、そして周王室はまた殷商から与えられた節钺を利用して西に羌人の部族を征伐し、捕虜と奴隷を人牲として殷墟に送り鬼神と先祖に捧げた。周王室の実力が強大になった後、これらの羌人部族と協力して逆に商王家を滅ぼし、商纣王の頭を切り落とし、先祖を慰めた......
現在の中華人民共和国の「羌族」については、実際にはある種の「后古羌」の分支が、現代のチベット・ミャンマー語族とより近い関係にある。また、一部の地域の「羌族」は本質的に身分証明書に「羌族」と記入された漢族である。本当に古代羌人の末裔と言えるのは、普米人、木雅人、嘉絨蔵族、道孚蔵族、白馬蔵族、扎堤蔵族であるべきだ
@@junkaisavoy1020 ご教示、痛み入ります。