【ゆっくり解説 】中臣氏は何者だったのか。
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- Опубликовано: 23 июн 2024
- 「やばい古代史」では、古代史に焦点を当てて歴史を紐解いていく番組です。
我々はどこから来たのか。その鍵を古代史から読み解きます。
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中臣氏を語る上で、興味深い事実がある。
政敵であるはずの蘇我蝦夷の母は、中臣氏の主筋にあたる物部尾輿の娘である事。
中臣鎌足は、大化の改新の時、仏教色を薄めた人事制度を施行しているという事。
壬申の乱で、中臣氏は朝廷の中枢から逐われ、神祇官として先祖の祭祀に専念している事。
鎌足の子である藤原不比等が、朝廷の権臣となり、唐との外交関係から実質仏教に宗旨変えを行っている点。
宗教史から観れば、神道の中臣氏と仏教の藤原氏の関係が見えてくる。
枚岡神社お参りしました。見下ろす大阪平野の眺めは格別です。
中臣氏のお話駆け足で解説ありがとうございます。
阿武山古墳もお参りしました。鎌足は興味深々ですよね!
天の岩戸では協力し合った両氏がやがて確執に至るのがなんともやるせないです。
中臣家に伝わる弓前文書なら電子書籍で読める
のでご参考あれ。因みに中臣氏の前は中津・弓前族
だったそうな。
道長といい文麿といい
ロクなもんじゃねぇな
個人の感想です
不比等の息子房前の正妻は牟漏女王。当時女王は臣下には嫁げなかったため、房前は王族と考えるしかない。と言うことは、中臣氏は降下王族ということです。
実父は天智天皇でありなんやかんやあって中臣鎌足の養子になったという説がある
ミケコ?大王のシェフ?
このような話の時は、読みが合っているか分かりにくい。