Why was Alan Prost so enraged when he broke down his memories with Ayrton Senna?
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- Опубликовано: 8 сен 2024
- Published in 2010
Prost on the documentary film Senna (Ayrton Senna: Beyond the Speed of Sound)
It was revealed that there was a disagreement.
F1はセナプロ時代が1番面白かった。
まさに。名脇役にピケとマンセル、豪華絢爛。
その映画は観る必要がないと思って観なかった。
セナがその生涯最後のグリッドで「アイ ミス ユー アラン マイ フレンド」と言った、それで充分だ。
セナとプロストの確執は確かにあったと思うけど、頂点を目指した者同士だとあって当然。その中でお互い尊敬の念もあったはず。そしてアデレードでの和解とイモラでの無線。あの場面を振り返っただけで涙が出ます。私はどちらかと言うとプロスト派でしたが、どちらもとても大好きなドライバーでした。
お互い 実力を認め有ったのは事実
フジのセナ特集番組では、最後に無線の会話をちゃんと入れていましたよね。
コーナリング中は息を止めているものかと思っていたので普通に話しているセナに驚いた記憶があります。
セナが亡くなった直後、迷わずブラジルでの葬儀にすっ飛んで行ったプロスト。そして彼を歓迎するブラジル国民たち。リアルタイムで覚えています。同映画は私も不快に思いそうなので見ないままですね
セナはプロスト成分を補充しないと戦えない。プロストより前でゴールする。その気持ちがセナを成長させたのは間違いないと思う。
イモラの無線を聞いた時、涙が止まらなかった。
DVD買って観たけど捨てた。セナは大好きだったけどプロストを悪役にする必要は無かったはず。本当に仲が悪かったらセナの葬儀の為にわざわざブラジルまて行かないし。
2人の関係は2人にしか分からない。
でも少なからず プロストが言ってる事の方が正しいと思います。
プロストはセナ財団の関係者でもあり セナに対して嫌な気持ちがあれば引き受けたりしないし 葬儀にも参列しなかったと思いますね。
プロストの主張は本当だと思いますよ。プロストって別に悪い人ではなく、単にセナのライバルだったからセナ好きからは敵に見えただけ。この2人の偉大さはそんな事を超越した所にあります。今の車次第のF1ではなく、この頃の車をねじ伏せて走られるドライバーの方が見ててすごいと思うし、迫力があった。イギリスでは今でもハミルトンよりマンセルの方が人気あるのも納得できる。
少なくとも「アラン。君がいなくて寂しいよ」の発言はフジテレビの中継でも流されて居たからね。
確かセナが走りながらコース紹介をするような企画でその最中にセナが語りかけたとかだったはず。
当時、 F1人気の前からあったAUTOSPORTとRACiNG ONだったかな?2誌はニュートラルでしたが、F1が人気出てから発売されたF1専門誌は全て、プロストを悪者にした、極めて偏ったものでした。
プロストを悪魔に見立てた絵を載せたのを、今でも忘れません。
そしてセナが亡くなってからは、それらの雑誌は店頭で見なくなりましたね。
今宮さんや川井ちゃんの実況解説が良かったのは、あの日本のF1バブルに関係なく、昔から真のF1好きだったからですね。
なんと言っても、セナです。
ファンジオ、クラーク、セナ..です
Gヒルならスチュアート
リントならフィッティパルディ
ロニーならジル
アロンソならハミルトン
時と共に図式と価値が移りますね
思い入れと好み・・
やはりセナが最速です、タイムが塗り替えられても. . セナは永遠・・
常人ではかりきれないセナとプロストの関係だからねえ、常人に理解できるわけない。
メディアがどんな切り取り方をしても、プロストが自らセナ財団の会長を今でも務め続けているって事が、プロストのセナへの気持ちだと思います。
そりゃ怒るよね。
バイクのgp500でもシュワンツ、レイニーの引退後、友情が芽生えたことからもプロストの言ってることは本当だと思う・・
(まだ映画見てないけどね)
強敵と書いて『とも』と読む
まさしくセナとプロストのこと。
セナプロ全盛時代は確かに確執はあったと思うが単に憎しみだけの関係でもなかったように感じる。プロストの主張は本当だと思う。セナは常にプロストを追いかけていた。それはマクラーレン時代もプロストがフェラーリに移ってからも、ウィリアムズに移ってからもだ。93年でプロストが引退してセナの心境に変化があったのも事実。セナプロはそういう憎しみと尊敬とレースでの駆け引きを見る限り信頼もあったはず。セナが思い切ったアプローチをプロストにかけられるのはその表れ。セナはプロストが引退して寂しかったんだろう。プロストもその気持ちがわかったからこそ連絡を取り合った。プロストはブラジルにての葬儀の時に計り知れない失望の中でセナの棺を担いだんだと思う。我々ファンにとってはセナプロいずれも忘れられない思い出だ。
競い合ってるドライバー同士が仲良くするなんて無理なハナシ。でも引退したらもう競うことはないのだから、関係性が変わるのはおかしくもなんともない。
ラッツェンバーガーのクラッシュ事の写真が混じってます。
彼は当時日本のF3000のドライバーでした。当時彼への報道が少なく悲しかった。
日本時代の友人ジェフ・クロスノフもその後、アメリカでのレースのクラッシュで亡くなられた。
フェラーリに在籍していたエディ・アーバインが2人と会えない事を悲しんでいました。
あのサンマリノGPは多くのモータースポーツ関係者の記憶に刻まれています。
セナに とって勝ちたい追い越したいと思ってたのはプロストだけだったようなきがする 他のドライバーは
相手にもしてなかったのかもしれない
それ同意だわ、当時の完全無欠にまで洗練を極めた状態のセナからすると
シューマッハですらまだ若く、プロストほど魂を燃え上がらせるような相手ではなかったような気がする
亡くなった事故当日の朝も、セナのモーターホームにプロストが呼ばれて2人だけで話をしています。
セナは、車の挙動が突如、不安定になること、ポールはとれたものの、本番レースにはシューマッハに抜かれるだろう。 そんなことをプロストに話したそうです。
それを解ってくれる人物は、プロストくらいしか居なかったのだと思います。
そして無線の言葉に繋がって行ったと思います。
セナプロがチャンピオン争いをしてる頃は、日本のメディアやホンダ監督の後藤さんもプロストを悪役にしてました。
プロストがホンダを批判した報復でしょうが、 鈴鹿のメインストレートでセナが抜き、逆転チャンピオンを獲った時に、 後藤さんは、プロストは抜かれる時に、何故ターボのブーストボタンを押さなかったのか?、 と馬鹿にしたコメントを言いました。
しかし後に、サスのSHOWAのスタッフが、あの時プロストの6速ギアが故障して使えなかったので抜かれたと証言しました。
こういう情報操作みたいなものが、フジTVのインタビューで流れたのだから余計に一般のファンの方も思うのは無理無かったと思います。
ホンダや後藤治達が本当にみっともないのは、自分達が心酔してるその『セナ様』が亡くなる前の半年間、最後の日のレ―ス出走直前まで頼ったのがプロストなのに、そんな人物にいつまでたっても不敬を続けてる事ですよね。
94年イモラには後藤治も、元ホンダ関係者もいた。セナはイモラまで本当に頻繁にプロストに電話をかけている。ホンダ内の誰も、週1~2度の頻度でセナから電話なんて貰っていない筈です。
セナがあの週末頼ったのは、プロスト、ジョ―ラミレスのように「偏りから安易に物を言わず、セナにもおもねらず、自分を貫いて来た精神的に豊かな人物」。2人共、30年以上全く発言にブレが無い人です。それがホンダとの違いをハッキリ映し出してると思います。
冒頭で出た大破したマシーンの写真はセナではなくラッツェンバーガーのマシーンです。訂正を望みます
また、このDVDを持ってますがセナは殺された的に描かれていて、何とも言えない心境になります。
犬猿の仲といわれたピケはセナの葬儀に出なかったけど、プロストはセナの棺を担いでるからね
本当にセナとどうにもならない間柄だったらセナの遺族もプロストには来てほしくなかっただろうし
プロストも出席していなかっただろう。
当時の日本のマスコミを中心にプロストは悪役に仕立て上げ、セナを祭り上げて報道していました。しかし、実際は競争している以上やむをえないことであり、部外者が勝手に騒いでいただけであり、当事者同士であるセナとプロストは尊敬し合っていたと思います。
こりゃあ、RUSHのロン・ハワード監督に創ってもらうしかないな!
なんだかんだで、素直に周囲と揉めるプロスト(笑) だけど、セナが週に1~2回電話をかけてきた、て逸話はやっぱり孤高のセナがふと電話をかけたがる存在はプロストだったという素晴らしい事実だ。大人になってふと思うけど、仕事意外で電話をかけたがる人(友)てなかなかいない。セナもプロストも確執の中にありながらもお互いを認めていたという証だ。
だけど、プロストだけ老けてセナだけ老けてない映像が悲しいし、セナを更に神秘めいたものにしている。
プロストもマンセルも普通に歳を取っているのに、セナだけが、あのロスマンズのコスチュームの姿で止まっている。
老けゆくセナが見たかった。
セナの魅力を強調して表現したいあまり、悪役を作ると言う安易な方法。
製作者が三流だから仕方ありません。
セナプロ、本当にどちらも強かった。互いに全力を出さないと勝てない相手だった。当時のメディアの情報操作にウンザリしてました。あれから約30年近く経って、ここでのコメントをみて、皆さん公平に見ていたんだなと思い嬉しく思います。天国のセナはプロストをライバルとして、友として残りの人生を楽しんでから、アラン!こっちでまたレースをしようと言ってるんじゃないかな。
悪夢のシケイン、スタート直後のクラッシュが
あったからこそセナプロ対決は凄かったと思う。
その前の予選、プロストのポールをセナが予選残り数分前の一発アタックで逆転PP、これも対決の凄さでした
なるほど
私も当時のF1フリークですが
その意見に強く賛成ですね
映画SEENA を一から作るべきだと思う…ドキメントではなく、セナ役プロスト役と役者を使って作ってほしいですね!
プロストについては中野信治に対する露骨な日本人差別だけは許せない。
マンセルの方が不仲と言われた方が理解しやすいかな。セナ、プロストはなんだかんだでリスペクトしてるとこあったようにおもうし。
もしセナが生きていたらプロストグランプリに移籍したかもしれない。
力は衰えるかもしれないが無限ホンダ+ブリヂストンタイヤで1.2勝できたかもしれない。
クラッシュしたマシンの画像はラッツェンバーガーのじゃないか!セナ、ラッツェンバーガーに対して失礼。訂正していただきたい。
ヘルメットの色ぐらいわかるだろうに
ぜひ 訂正を強く望みます。
逆に、セナの魅力を下げるだけ。誰も得しない。
Rush2とかで映画作り直したら?って感じ。
ジャン・マリー・バレストルなんか、もっと酷い扱い方されてたよw
あの映画はセナを英雄視する為に脚色された作品だ
セナは大好きでも、F-1のことはそこまで詳しくない人たちで作り上げた感じだったな
当時のセナが理解しあえるドライバーはベルガーだったが実力で劣るし弟分的存在。
実力互角で兄貴分となれるのはプロストしかいなかったのも背景としてあるよね。
若手シューマッハーが頭角を現したことに困惑していたようだし。
映画は興行的な面からああなるのは止む無しだけど偶像崇拝し過ぎておなかいっぱい。
あの当時は日本も同じだったでしょ、英雄セナ、悪役プロストと対比してた。
俺は「赤いきつね」と揶揄されようともプロストのファンだったけどね。
中嶋も「セナは僕には優しかった、自分の敵にならないであろう人には優しいんだろうね(笑)」みたいなこと言ってたね
セナは何があってもプロストと組みたがってたエピソードもあったからね。
究極とも言えるレーシングバトル…
きっと二人だけにしか理解しえない事も多々あったと思います…
自動車業界は今転機を迎え、この時代以上の熱いフォーミュラワンの戦いは、もう見られないような気がします…
オーストラリアの表彰台の前、ガレージの中でロン・デニスのアドバイスによってセナがプロストに握手を求めていた。
プロストは笑顔で握手に応じた。その後の表彰台ではプロストの方から握手を求める。
自分はセナファンだけど、あの映画は予告編が一番良かった。
本編のオンボードカメラの音とマシンが合っていない等、詰めが甘い。
セナの生涯を描くには不十分な内容。
プロストの言っていることは間違いないと思います。
どちらも超負けず嫌いでエゴが強い性格なので、レースになると行き過ぎてしまうので関係が拗れたのでしょう。
私は1993年のアデレードの表彰台で和解できたと思っています。
「ワールドチャンピオン同士の友情」なんてのは、当人同士にしかわかんない感覚だと思うよ
言葉になんかできないさ
拳で語り合うとかじゃないけどさ
そういうのは、言葉にされても、所詮は、俺達には遠い感覚過ぎて理解できない世界観だと思うよ
二人がそうなら、他人がとやかく言うことじゃないし、変な解釈で世間に広めるなんてのはゲスだよ
みんなのハートの中に今も冷めやらぬ熱い走りと友情を二人は繰り広げたんだ
それで、いいじゃないか
当時のF-1のファン層から考えたら、セナ6:マンセル2:アレジ1:プロスト1じゃないかな?(自己判断です)
それを考えたら、プロストが敵にされる構図はみえる。でもプロストは、嘘は言ってないような気がします。88年か89年か?忘れたけど、紳士協定とかもセナが破ったし。
あ!僕はプロスト派なのでこの辺で・・・
当時、自分は高校生でした。
男子の中では当時F1は大人気でした。
たまたまかもしれませんが、少なくとも自分のクラスではプロストの方が人気ありました。セナの多少強引な走行があまり好きじゃないって人が多かったです。
セナ人気はテレビの印象操作も大きかったんじゃないか?って思います(^^;
あくまで悪い意味ではないという前提で、セナはプロストに勝つことだけを考えて戦ったのだと思う。それをしないとNO1になれないから。逆に言えばプロスト以外なんてどうでもよかったんだと思います。同じチームになってみてわかる相手の実力、セナなりの相手へのアプローチであり確かに熱しすぎてお互いやりすぎたように見えた一面はあると思います。しかしその心の底にお互いへの尊敬がなければ93年の和解にはならなかったとも思います。セナがプロストを要していたのは紛れもない事実でそれは絶対負けたくないライバルであり唯一信頼できるドライバーでありどこかで繋がっていた友人だったのかもしれません。 94年イモラでセナがプロストに宛てた言葉、アラン君がいなくて寂しい、は如実にそれを裏付ける証拠ですね。
当時の日本のマスコミ、特にフジテレビは異様なまでにセナを英雄視していた。
古舘伊知郎がセナに付けた「音速の貴公子」が象徴的。
ロータス時代迄はセナは酷評されていたよね
音速の貴公子 すごい懐かしいですね
古館は選手一人ひとりにあだ名をつけてましたねそういや。
F1の知識が希薄なのでやらざるを得なかったとご本人がコメントしていたのを思い出します
@@user-oh3ho5gn9f 古舘伊知郎って知識無いのに「知ったか」でペラペラ喋るから嫌い
はい、私は当時フジテレビに電話したことがあります。どうにも我慢ができないからあの古館一郎って降ろしてくれ と。
そうしたらフジテレビは、はい、皆さんのそのようなご意見が多いので、来年から起用しない予定になっております。
と言っていたのにずっと古舘のままでしたね。
プロストの言うことは正しい
傍目の人間にはとうてい理解できない関係なんだ思うよ
チャンピオンシップを命懸けで争う関係同士というのは
ノーサイドは確実にあるはず
セナが好きであのドキュメンタリー映画のDVDを持ってる人なら、セナとプロストの無線のやりとりくらい当然に知ってるでしょう。
その辺の心配は無用でっせ、プロストはん。
最初セナはテレビ向けのつもりでコメントしたのかもしれない。だけどそれが偽らざる気持ちだったことを後でセナは感じたんじゃないかと勝手に想像しています。
いずれにせよあのコメントがセナプロストのライバル物語のクライマックス(大団円)だったと私も信じています。
その後の悲劇については今でもあまり考えたくないけど。
日本のメディアも絡んでいないか??
94年に事故死しなけれプロストGPでセナが走ったかも?
無限エンジンの年に2、3勝しただろうな
誰だって何かに打ち込んでいる時、壁になる存在を最初は疎ましく思うでしょう。
しかし競い合っているうちに相手を認め、時には手本にし、時には越えようとして必死になる。
そういう関係だと思います。
勝つためなら何でもするという信念は彼がレースをするたびに感じていました。
彼の人生はF1の中にあったからでしょう。神と呼ばれる人はそのような共通する部分を持っていると私は思っています。
DVD買ったけど、継ぎ接ぎが多くて、ブラジルクオリティの映画だったね。
あの頃って、結構表立ってドライバー同士喧嘩してたし、この2人は同じチームで似た力を持っていて、互いにチャンピョンを争ったのだから、ある意味揉めない方がおかしな関係だったと思う。
ネルソンピケなんて、同チームのマンセルの嫁さんのことを「あいつは不細工な女と結婚して愚かな奴だ」とか言ってたぞ。
プロストが引退を撤回してロンデニスのオファーを受けて
94年マクラーレン・プジョーで走ってたらセナの
モチベーションも下がらなかったのに‥
スポーツ上での争いに人間と人間の争い
人格と人格。
相手が強いとお互いに認めていたからこそ起きるドラマ
感情と感情のぶつかり合ったライバルは今のF1にはない。
ライバルが引退して友人になる貴重な体験を外部が解釈を変えたら怒るでしょうね?
セナは伝説になりましたが、神ではないんですから
ハッキリ言ってプロストはまともな素晴らしいドライバー。セナは無茶苦茶な自己中心的ドライバーだったよ。
死人に口なしですか?
僕はセナの大ファン。尊敬しています。
セナはけっして自己中ではないです。
故人を悪く言うのは良くないです。
ジャッキースチュワードもそのような認識だったみたいですね。セナに関しては、日本、特にフジテレビがベビーとして作り上げたせいもあり、プロストが日本ではヒールになりましたが、ヨーロッパでは逆でした。
確かにドライバーとしての実力だけで無く、政治的な駆け引きも他の競技に比べ大きなウェイトを占めるため確執はあったでしょう。ましてや同じチーム内に宿命のライバルがいるとなれば少しの弱みを見せることは出来なかったのはずです。そして命をかけて戦ったライバル同士だからこそ他人には分からない友情はあったと思います。
2人とも間違いなく歴史に残る名ドライバーです。
今後もセナプロは語り継がれるでしょうね。
簡単な話、そういう描写にした方が「売れるから」です。
映画を作るには多くのお金がいる。そしてお金を出してくれる方々への意向には背けない。
繰り返しになるかも知れませんが、「力なき正義は無力なり」の典型でしょうね。
セナはブラジル人でヨーロッパから迫害されていると言われてたが、ピケやフィッティパルディ、アルゼンチンのロイテマンとかどうやったんでしょうね。
少なくともロイテマンが引退に追い込まれたのは、
フォークランド紛争の影響があった
アイルトン・セナは悲劇の主人公的な立ち位置なので演出的にプロストをヒール(悪役)的な扱いにしていたのでしょうね。てかドキュメンタリー映画に余計な演出入れんな!って話ですね。まるで間接的にセナを死に追いやったみたいな体ですからねぇ。
この事故死は同じイモラの予選で亡くなったローランド・ラッツェンバーガーも含めて「起こるべくして起こった事故」と言えるでしょう。このシーズンのF1に何があったか?それは「アクティブサス等のハイテク規制」でした。エンジンスペックが前年と同じで足周りが弱体化すれば当然マシンコントロールはシビアになります。まして空力特性がアクティブサス前提ならなおさらです。今年のF1もグランドエフェクト(地面効果)の復活でマシンのポーパシング(連続的な上下動)が問題となっているくらい空力は微妙ですから。恐らくセナのマシンはタンブレロコーナーのギャップを拾った際、仮にアクティブサスならプログラミング通りに減衰して何事もなく通過出来たところをパッシブサス故に浮き上がった車体からダウンフォースが剥離してアンダーステアとなりあの悲劇となったのでしょう。
ちなみにF1で禁止となったハイテクデバイスは当時ドイツで大人気だったDTMに流れ込み後にシリーズを崩壊に追い込みました。なにしろコストが・・・
当時、いろんな記事やフジTVの放送を見てた俺の記憶だと、セナが無線で解説のプロストに君がいないレースは退屈だって言ってたのは事実だね。プロストとの固執に関してセナは、「同じチームの2人がチャンピオンを求めるなら、衝突は避けえなかった。チームがどちらを優先するか決めなかったのだから、われわれ2人で勝負をつけるしかないんだ」また「最初、車のセットアップに関して、僕はプロストに学んだ。いろんなことを彼から吸収したんだ。でも彼はエンジンのことには興味を示さなかった。僕はテスト走行によく参加したからホンダのスタッフと緊密になったが、テストに参加することを拒んだプロストは、それで僕がホンダから優遇を受けていると主張しはじめたんだ。彼はレースで僕に勝てなくなってきたのでその理由をホンダにひいきされてると言い始めたんだ。ロンはエンジンの選択権をプロストに与えたりしたが、プロストは僕に勝てない言い訳をしてるだけだから、破局するのは必然だったよ。紳士協定も結ばれたが、お互いが相手が破ったと言ってる始末で無意味なだけだった」
まとめると、同じチームならチャンピオンを狙う者同士、ぶつかり合うのは当然のこと。プロストはチームメートに勝ってきたドライバーだが、彼が明確に勝てなかったチームメートはニキ・ラウダとセナだけだった。プロストは政治的な手法でチームの主導権をとる傾向があり、それがチームメートとの関係を難しくする。プロストは速いドライバーであり、セナは彼とレースで戦うことは楽しみだった。だから違うチームになった方がお互いによい関係になれたと感じている。そんなとこでしょうかね。
ホンダ(故川本さん)もロン・デニスもチームに溶け込める様プロスト以上にセナに気遣い、サポートしたと認めている。セナこそ新車が出るまでのオフシーズンのテストドタキャンしてしわ寄せで休暇中のプロストが呼び出され全てを担当させられていますよ。プロストはロン・デニスに『ナンバー2扱いするならそれでも構わない、ただせめてそうであると発表してくれ』と。
まず、プロストがテストをしたがらないってのは嘘です。もしあるとしたら、もうマクラーレンとの関係が相当壊れた後でしょう。しかし、マクラーレン関係者が証言しているので、セナの方がホンダのエンジニアと熱心に時間を費やしていたのは本当だと思います。
セナプロの確執は、結局の所は時代の転換と、日仏間の文化の衝突だと思います。
マクラーレンとプロストは、それまでの4年間で1つの完成された世界観、秩序を有していた。それは、80年代のドライバーはteamの為に走る運転手という側面が強かった事もあるし、死線を見たラウダや、チーム内ゴタゴタ、親友の事故死をルノー時代に次々経験したプロストからしたら、理性や秩序の中で協力し合って働き、ラウダに敬意や友情を持ちながら送り出すのは、綺麗事でも何でもない現実だったんです。
しかし、セナはプロボクサーのように勝ち上がり、勝ち続け、そこにいるチャンピオンは倒してベルトを維持するようなスタンスでしか勝負を考えない人なので、「共存共栄」とか「世代交代を美しく」という概念が無い。88年がどうにかプロストの世界観で終わった年だとすると、89年は、もうそんなの要らなくなったセナが自分の世界観で動いた年だと言えるでしょう。ロンデニスやマクラーレン関係者が証言してますが、二人はそれぞれ母国のマスコミを上手く使い、むしろセナの方が政治的な位だったと。だから、ここで引用されてるセナ発言というのは、あくまでそうした「セナ側大本営発表」とも言うべきものです。
プロストは「セナはある意味チームのボスのようになっていた。自分のやり方を押し通そうとしたんだ。」と言ってますが、これもセナが「グローバルなスタードライバーの時代」をチームから勝ち取るプロセスと見る事が出来ます。セナ程チーム監督と駆け引きしたドライバーはいないでしょう。一戦毎の契約にしたり。
ホンダとプロストは、もうエンジン云々以前に文化の差、教育の差ですね。日本式の教育ではプロストは絶対に出てこない。その逆もまたしかり。で、セナが日本人と相性が良いんですよ。こっちこそ、起きるべくして起こってると思いますね。
映画を作る上で美化しなければいけない点もあったけど、セナはストイックになりすぎて、レースで敵対する相手に対して非常に攻撃的になっていたことは否定できない。
一方のプロストにしても、不利な状況になったときに政治的な画策をするところがあって、その点が嫌われたり、それが原因で自滅することもあったからね。
現役のドライバーで言えば、アロンソやハミルトンが彼らに類するけど、いずれにしても、どちらがいい人で、どちらが悪い人だと言うことは無い。
セナマンセー映画だよな
過剰なセナファンにとっては、プロスト憎しの為、これで良かったんじゃないですか…
ちなみに僕は、プロストファンです。
日本では、セナファン=プロスト嫌い
って方が、多々いらっしゃった様な気がします。
特に某テレビ局及び某f1実況者におけるプロストの取り上げ方は、酷い限りでした。
三國志演義で言えば、セナ=劉備、プロスト=曹操のイメージだろう。
そしてマンセルが孫権かな
@@Tak101GTR 孫権は上記二人がリタイアしたレースでたびたび優勝していたピケ@_@w
プロストが政治力に長けていたからでしょうね!
こうした歴史や事実の改竄も生き残った者の特権なんだろうね
淺ましいったらありゃしない
所詮ゎ映画だからそんなもんでしょう!
某少年マンガでもどエラくディスられてたなあ。そのとばっちりが無限と中野信治に行ってしまった。
それ覚えてます。90鈴鹿の接触もプロストが、故意に接触した様に掲載してましたしね。
フジテレビのセナ贔屓、クソプロレス実況が悪い。
揉めないドライビングテクニック
井上隆智穂
同感です
ピケ・マンセルの方がよっぽど醜くいし、後味悪いよ
結局は何があっても「勝ちたい」という意志の元に動いている。
ズルだろうが何だろうがその理由があってだと思う。
プロストも素晴らしいドライバーだったのは間違いない。
まぁその後ギリギリでルノーでしか相手にしてもらえないとこを見ると、、、ね?
ん?クラッシュ写真はセナじゃない ラッツェンバーガー
セナにちゃんと愛がありますか?
残念
ヒーローとの対比で悪役は必要ですからね。一流ならもっと上手くやるんだろうけど、観る側もマニアだけじゃなくてアホが多いから「解りやすく」したんでしょ笑 それか制作側がプロスト嫌いだったとか笑
F1セナプロ時代はホント役者揃ってて一番盛り上がってたなぁ。鈴鹿にも3回観に行った。暴走バカマンセルやベルガーピケアレジ… ウィリアムズが無敵になってから観なくなった。セナの事故はリアルタイムで観てた。改めて、安らかに。
おそらくプロストの言ってる事は事実やな。セナが無線で語りかけたり、グリッドで不安な表情をのぞかせたりしたのは、ラッツェンバーガーの死、マシンの不安定さ、ベネトンのトラクションコントロールなど色々あった中、もしかするとセナはこうなる事が解っていたのかもしれない、そう思えてならない。
あれほど互を非難して反目し合った二人が最後には氷解してかけがえのない友情を分かち合える仲となり、プロストはセナの棺の担い手にもなったその真実のほうが嘘くさい映画よりもよほどドラマティックだ。
プロストならあり得ると思う。
最高峰の分野で、その覇を競っているのであれば、自分ファーストで当たり前・・・・・・特に日本では、セナ推しのフジTVが 彼の思い詰めた切なげな表情を良く抜くので
女性を中心にセナ様・現象が盛り上がり、プロストは必然的にヒール役となった。⇒ 個人的にはエリート然としたプロストに親近感は持てなかったが、速さ命、優勝・命の
セナより、プロストの方が一枚上手で権力者達の受けも良かった思う。⇒ 引退すれば人間が丸くなり、関係も修復される ⇒ 原田哲也とロリス・カピロッシのように・・
プロストの自分を上げるための発言にしか聞こえないのは俺だけだろうか?
もっと、セナとの仲睦まじい姿を見たかった
F1レーサーってなんでこんなに人間性が滲み出てくるのかね〜、プロストやウィリアムズを悪者にするのを、ファンが望んでるのかもしれんね。
当時のセナって巨人みたいな扱いで、アンチがうるさいからセナのファンは隠れてしまっていたのかもしれん
プロデューサー、が古舘○知郎なら理解しますが!?(笑)
何で信長のような暴君が出て、秀吉が生まれ、家康が平定したのか・・・
三国志もそう、みんなそうだよ。
映画にするならリアル感を出してほしいですね、黒澤明監督のように
ビートルズのジョンとポールのように、奥深いところでは相思相愛だったと思う、セナ&プロスト
ぽ前ら結婚しろ!この地球上で一番相性の悪い男女が狂気の沙汰でするのが結婚!!!
独身の俺が言うのもなんだけど、、
映画の真偽は置いておいて、
プロストは鈴鹿でセナに故意にぶつけてから
F1ファンからの敬意を失ったね。
卑怯なことを一度でもやったら
一生取り返しがつかない。
別に失ってませんよ。日本以外では(笑)。取り返しつかないどころか、近年ますます敬愛されまくってますが。いい年のとり方だし、子供達とも関係良好で、成功者のお手本です。
90年鈴鹿1コーナーのセナの行為は?
プロストの89年を上っ面で見る層って、エストリル幅寄せ→冬のテスト全部押し付けられ(セナのズル休み含む)→プロストのセッティング情報にタダ乗り当然顔→イモラ紳士協定違反→その後のセナのピローニより最悪な対処→ロンデニスのお粗末なマネージメント(joint No.1体制なんかどだい無理な人)→モンツァでのプロストへの嫌がらせ等のプロセスを全く度外視するんですよね。
あのクリーンスタイルのプロストが、シャットザドアをやる決断に至るのはそんなにお手軽な判断じゃない。マンセルが近年話してますが、チーム内でNo.2的な扱いになる事は当時非常に不利で、だから彼もフェラーリとウィリアムズで2回引退を口にした訳です。ましてやプロストは、ロンやホンダのセナ贔屓の中、耐久性テストやより良いセッティングを自分がやり、ポイントでも負けておらず、セナは嘘つき未熟者という状況だったんですから、黙って大人しく犠牲者になる必要なんか全く無いんですよ。
Toyo Nutin
そうなんですか。
マスコミが報道しませんね
@@junfuture1564
これは推測ですが、ホンダは世界中のモーターレースに関わってますから、レース雑誌関係者、レース関係者が「ホンダ&セナブランド」を批判するのは自殺行為で、やる訳がないと思うし、フジテレビにとってホンダはF1関係なくスポンサー様ですからね。そうした事も影響あると思います。
個人的に89年のセナにチャンピオンの資格が無いなと思うのは、イモラ紳士協定違反について、わざわざプロストの母国紙レキップに虚偽、歪曲、言い逃れを話し、その「セナ版」の話が国際的にばら撒かれた事です。自分もいちF1ファンとして、事実じゃない事を読まされた。あろう事か、日本では「プロストが紳士協定の話を持ち掛け、セナにゆさぶり作戦に出た」みたいなゴミ記事まで見掛ける有り様。
F1界の誰もがジル&ピローニの悲劇を知っているのに、そしてプロストですら「イモラは怒りしか無く、スピンもあり、悪い運転をした」と言い、ロンに辞めると言い出したのに、セナはそうしたプロストの様子すら馬鹿にしたような話を平気でしていた。一瞬も集中力を切らせない仕事で、イモラみたいな高速コースでドライバーを怒らすというのが如何に危険で御法度か。それをやった後の振る舞いが全く最悪、不見識で、未熟だったと思います。