Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
揖斐線、谷汲線、美濃町線は好きで何度も訪ねました。廃止は本当に残念です。モ510は一度しか乗れませんでしたが大正生まれの古豪は丸い戸袋窓も鎧戸の日除けも重厚で本当に良かった。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。岐阜の600V線区は、どの路線も車輛も、本当に魅力一杯でしたよね! 廃止は大変残念でしたが、私が訪問したよりも後の時代、平成前期の世まで存続していたのは、ある意味奇跡だったのかもしれません。
昔。社会人時代岐阜から谷汲迄貸切で臨時でお邪魔致しました。さすがに2連でしたがもう一両はダイヤ上にいれられなったみたいで本来なら忠節で3連の予定だったみたいです。行き違いと、また黒野から谷汲迄参りましたので運転停車扱いで谷汲迄参りました。私はそこ迄でしたので谷汲山に参りお風呂頂き、昆虫館観て切符がフリー切符でしたので鵜沼から名古屋迄出て豊橋行きの指定を結局2つ取り豊川の諏訪町駅迄参りました。エバーグリーンを確かいもむしが取った年でした。行き道は国府からいもむしで岐阜迄臨時列車で参りました。懐かしい思い出でした。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。動画より後の時期になると、3連がなくなっちゃったんですよね。それから、私が訪問した頃はモ510は黒野止まりで、谷汲線まで入る運用は無かったようです。(私が知らなかっただけで実はあったのかもしれませんが・・)
この揖斐線には新岐阜駅前〜黒野迄行きは普通、帰りは急行でしかもこの動画と同様に510型に乗りました‼️この車輌、走行時は縦揺れ、横揺れが激しく特に上りの急行新岐阜行は車輌が壊れてしまうのかと思うくらい揺れ、速度も凄く、迫力満点でした‼️こうやって改めて動画を見返し懐かしく思いました。ありがとうございました🙇
いつもご視聴、コメントありがとうございます。たしかに、揺れが凄かったと記憶しています。直線部では時速60km程度は出していたようですが、揺れのせいで実際よりも速く感じられましたね。
昔に一度だけ、新岐阜駅から、本揖斐行き急行に、乗りました。あの狭い車両に、転換クロスシート、また、吊り掛け車、独特の、ゴーっと言う車両音、最高でした。岐阜市徹明町の、金公園に、モ510系 白帯車が、動態保存してありましたが、現在は、撤去されてしまいました。寂しいばかりです。😢
いつもご視聴、コメントありがとうございます。新岐阜から本揖斐までモ510形に乗られたのですね。羨ましいです。私はモ510形は市内線、黒野までと細切れにしか乗ったことがなく、本揖斐まではモ750形の単行で往復しただけでした。
金公園の保存車は岐阜駅前に移りましたよ。
美濃北方駅で擦れちがった昔、名鉄瀬戸線でも見かけたあの車両が好きでした。😊
いつもご視聴、コメントありがとうございます。瀬戸線で活躍した元愛知電気鉄道のク2320形のことですね。古豪と呼ぶに相応しい面構えで、私も好きです!
黒野に到着する前に一度停止しますが、誘導信号を使って徐行して運転するシステムでした。これはその黒野でモ510形を連結する以外にも、黒野で接続する本揖斐・谷汲行きと同一ホームに縦列停車させるときに使用したと思われます。モ510形同士での連結も今じゃみられませんが、780形になっても黒野での連結はあったかと思います。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。なるほど、連結以外にも、同一ホームでの縦列停車の際に、誘導信号のシステムで運用していたのですね。
美濃北方駅ですれ違った2327の赤(北方町に住んでた当時は緑色)車両が最も好きだった。😍
いつもご視聴、コメントありがとうございます2320形には、700形,750形とはまた別の魅力がありますよね。
@@昭和電車チャンネル 本当そうですよ!😊
モ510 Nゲージ模型、買いました。🎉
ご視聴、コメントありがとうございます。MODEMOの製品でしたら、モ520形とセットのやつを私も持ってます。
うちも買いましたが、なぜかかつて750形の相方だった2320形の車両は売られてなかったです。😢
三重連は平日の早朝限定とあって、関東住みの学生時代.社会人になってからも、なかなか通いづらい運用でした。黒野での連結風景は貴重ですね。これだけ人や電車で賑わっていた黒野駅自体、消えるとこの時 誰が予想したでしょう。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。三重連の情報が雑誌等にあったのですね。記憶にはありませんが、私はその情報に基づき、夏休みに小旅行を組んだのでしょう。その後、仰るように揖斐線に限らず、何故廃止?という路線がいくつかありましたが、廃止が届出制(地元の同意不要)に変わったことが要因ではないかという意見もありますね。
初めてモ510の3連を見たのはモ510のエバーグリーン賞受賞列車でのことでした。もちろんこの受賞列車にも乗りました。当時は雪で外は寒かったのですけど、車内は大勢の鉄道ファンの熱気で、暑かったですね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。私は当時情報に疎く、エバーグリーン賞受賞はだいぶあとから知りました。このときは、朝7時発の単行が黒野で3連になって戻るという情報を何等かの方法(ネットが無い時代なので雑誌しか思いつきませんが)で得て、出かけていった次第です。できれば何度も通って雪景色などいろいろな季節の光景を見れば良かったと、今にして思います。
紅と白のツートンカラーもいいけど、うちは美濃北方駅と政田駅で擦れちがった車両が好きだ。
モ750+モ700+ク2320の朝の3連、いいですね!
燃える赤こそ名鉄、そう信じてやまないのですが、モ510に関しては、赤白ツートンが似合っていると思う。何故なんでしょうか。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。大正生まれの古豪が、昭和42年に岐阜市内線→揖斐線直通急行用車輛に抜擢された際に赤白塗分けでイメージアップを図ったようです。この塗分けは、欧州のトラムとかにもありそうなお洒落な雰囲気がありますね。
根尾川綺麗やなぁ。😊
3連を何回も見た事があるがホーム前でモ510型の連結作業が見た事がない。生を見た人は羨ましい。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。わざわざ朝7時前に忠節駅に出向いていますので、黒野駅での連結シーンも偶然撮影できたのではなく、おそらく何等かの情報を事前に得ていたと思われますが、それが何だったかのは思い出せません。
揖斐線、谷汲線、美濃町線は好きで何度も訪ねました。廃止は本当に残念です。モ510は一度しか乗れませんでしたが大正生まれの古豪は丸い戸袋窓も鎧戸の日除けも重厚で本当に良かった。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
岐阜の600V線区は、どの路線も車輛も、本当に魅力一杯でしたよね! 廃止は大変残念でしたが、私が訪問したよりも後の時代、平成前期の世まで存続していたのは、ある意味奇跡だったのかもしれません。
昔。社会人時代岐阜から谷汲迄貸切で臨時でお邪魔致しました。さすがに2連でしたがもう一両はダイヤ上にいれられなったみたいで本来なら忠節で3連の予定だったみたいです。行き違いと、また黒野から谷汲迄参りましたので運転停車扱いで谷汲迄参りました。私はそこ迄でしたので谷汲山に参りお風呂頂き、昆虫館観て切符がフリー切符でしたので鵜沼から名古屋迄出て豊橋行きの指定を結局2つ取り豊川の諏訪町駅迄参りました。エバーグリーンを確かいもむしが取った年でした。行き道は国府からいもむしで岐阜迄臨時列車で参りました。懐かしい思い出でした。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
動画より後の時期になると、3連がなくなっちゃったんですよね。それから、私が訪問した頃はモ510は黒野止まりで、谷汲線まで入る運用は無かったようです。(私が知らなかっただけで実はあったのかもしれませんが・・)
この揖斐線には新岐阜駅前〜黒野迄行きは普通、帰りは急行でしかもこの動画と同様に510型に乗りました‼️
この車輌、走行時は縦揺れ、横揺れが激しく特に上りの急行新岐阜行は車輌が壊れてしまうのかと思うくらい揺れ、速度も凄く、迫力満点でした‼️
こうやって改めて動画を見返し懐かしく思いました。
ありがとうございました🙇
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
たしかに、揺れが凄かったと記憶しています。直線部では時速60km程度は出していたようですが、揺れのせいで実際よりも速く感じられましたね。
昔に一度だけ、新岐阜駅から、本揖斐行き急行に、乗りました。あの狭い車両に、転換クロスシート、また、吊り掛け車、独特の、ゴーっと言う車両音、最高でした。岐阜市徹明町の、金公園に、モ510系 白帯車が、動態保存してありましたが、現在は、撤去されてしまいました。寂しいばかりです。😢
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
新岐阜から本揖斐までモ510形に乗られたのですね。羨ましいです。私はモ510形は市内線、黒野までと細切れにしか乗ったことがなく、本揖斐まではモ750形の単行で往復しただけでした。
金公園の保存車は岐阜駅前に移りましたよ。
美濃北方駅で擦れちがった昔、名鉄瀬戸線でも見かけたあの車両が好きでした。😊
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
瀬戸線で活躍した元愛知電気鉄道のク2320形のことですね。古豪と呼ぶに相応しい面構えで、私も好きです!
黒野に到着する前に一度停止しますが、誘導信号を使って徐行して運転するシステムでした。これはその黒野でモ510形を連結する以外にも、黒野で接続する本揖斐・谷汲行きと同一ホームに縦列停車させるときに使用したと思われます。
モ510形同士での連結も今じゃみられませんが、780形になっても黒野での連結はあったかと思います。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
なるほど、連結以外にも、同一ホームでの縦列停車の際に、誘導信号のシステムで運用していたのですね。
美濃北方駅ですれ違った
2327の赤(北方町に住んでた当時は緑色)車両が最も好きだった。😍
いつもご視聴、コメントありがとうございます
2320形には、700形,750形とはまた別の魅力がありますよね。
@@昭和電車チャンネル 本当そうですよ!😊
モ510 Nゲージ模型、買いました。🎉
ご視聴、コメントありがとうございます。
MODEMOの製品でしたら、モ520形とセットのやつを私も持ってます。
うちも買いましたが、なぜか
かつて750形の相方だった
2320形の車両は売られてなかったです。😢
三重連は平日の早朝限定とあって、関東住みの学生時代.社会人になってからも、なかなか通いづらい運用でした。黒野での連結風景は貴重ですね。これだけ人や電車で賑わっていた黒野駅自体、消えるとこの時 誰が予想したでしょう。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
三重連の情報が雑誌等にあったのですね。記憶にはありませんが、私はその情報に基づき、夏休みに小旅行を組んだのでしょう。
その後、仰るように揖斐線に限らず、何故廃止?という路線がいくつかありましたが、廃止が届出制(地元の同意不要)に変わったことが要因ではないかという意見もありますね。
初めてモ510の3連を見たのはモ510のエバーグリーン賞受賞列車でのことでした。
もちろんこの受賞列車にも乗りました。当時は雪で外は寒かったのですけど、車内は
大勢の鉄道ファンの熱気で、暑かったですね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
私は当時情報に疎く、エバーグリーン賞受賞はだいぶあとから知りました。このときは、朝7時発の単行が黒野で3連になって戻るという情報を何等かの方法(ネットが無い時代なので雑誌しか思いつきませんが)で得て、出かけていった次第です。できれば何度も通って雪景色などいろいろな季節の光景を見れば良かったと、今にして思います。
紅と白のツートンカラーもいいけど、
うちは美濃北方駅と政田駅で擦れちがった車両が好きだ。
モ750+モ700+ク2320の朝の3連、いいですね!
燃える赤こそ名鉄、そう信じてやまないのですが、モ510に関しては、赤白ツートンが似合っていると思う。何故なんでしょうか。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
大正生まれの古豪が、昭和42年に岐阜市内線→揖斐線直通急行用車輛に抜擢された際に赤白塗分けでイメージアップを図ったようです。この塗分けは、欧州のトラムとかにもありそうなお洒落な雰囲気がありますね。
根尾川綺麗やなぁ。😊
3連を何回も見た事があるがホーム前でモ510型の連結作業が見た事がない。生を見た人は羨ましい。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
わざわざ朝7時前に忠節駅に出向いていますので、黒野駅での連結シーンも偶然撮影できたのではなく、おそらく何等かの情報を事前に得ていたと思われますが、それが何だったかのは思い出せません。