Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
塩パンとサンドウィッチの絶妙な組み合わせ。
😂
ショパンがなぜサンドと恋愛関係になったのかどうしても腑に落ちません。笑 サンドの写真を見る限り美しい女性ではないし、どこに惹かれたのか。本当に恋愛関係にあったのか。単なる母親代わりのような存在として好きだったのではないか?ショパンは男性にも興味があったのではないか?どう思われますか?
@@roseblue9078 サンドの著作(邦訳ですが)を読んでると彼女の文才は相当なものです。ものをみて、それを文章に起こす力量はまさに天才的だと思わされます。リストもサンドとは気が合ったということですし、やはり才能に惹かれたのだろうと思います。サンドの祖先を辿ってみても、みなモテる人たちばかり。サンドがショパンの前に付き合っていた人たちとの物語を読んでいても、抗いがたい魅力が彼女にあったのだと思います。ただ、息子を溺愛して、娘には冷淡な目を向けているあたりは毒親という感じが非常にしますけれど😅
「単なる母親代わり」?(笑)年上と言っても、出会った時点で27歳と33歳、ノアンで同棲していた頃は、恐らくは二人とも30代ですよね?芸術家同士で、この年代でこのくらいの年齢差なら、誤差のようなものだし、特に芸術家同士の場合には、自分の芸術作品を理解してくれる相手かどうかがまず第一。裏返して言えば、そのくらい、芸術を理解してくれる相手にはなかなか巡り合えないのです。そしてよき理解者に恵まれなければ、芸術など成立しません。これは研究者の場合でも似たようなもので、結婚して子供も複数生まれてしまってから、「研究を理解してくれない人と一緒にいるのは辛いんだ」などと言って私に泣きついてくる同業者が複数いました。そんなことを言うけれど、彼らの結婚相手も我々の同業者なのだから、奥様と離婚して私と再婚しても同じことだと思うのにね。尚且つ、現実の結婚生活にはいろいろと大変なことがつきものなのは当たり前のことで、隣の芝生は青く見える、私の現実を知らずにそんなことを一方的に言われても……(笑)なので私はその種の話は笑って受け流しています。でもそのくらい、芸術や研究が成立するためには、理解して支えてくれる人が必要不可欠で、良きパートナーに巡り合い、共同生活をすることは最重要課題。そのことの前には、一般社会で考えられているような容姿、年齢、社会的地位云々は、ほぼほぼ関係ありません。生活を支えていかれるだけの経済力は問題になるでしょうが、それ以前に芸術や研究に対する理解、価値観・人生観の問題です。*****それに、日本とは違って欧州では夫人の方がかなり年上という場合も多い。特にロシアの農民の間では、妻の方が年上で、夫の母親位の年齢のこともあった、という動画が最近出ていて、ロシア文学なども読んでいたつもりの私もこれにはびっくりしました。でも、現にフランスのマクロン大統領のブリジット夫人も、大統領より24歳年上で、マクロン大統領の高校時代の恩師ですよね?-私などは、ウィーンでキッチンだけ共同の寮のようなところに住んでいた時に、当時の私の半分くらいの年齢の日本人の若手ピアニストから、習いたてのドイツ語で愛の詩を捧げられてしまったものね。「僕には、自分があるでも僕は寂しいんだ僕は、きれいな花を咲かせたいんだでも、花を咲かせるには、太陽の光が必要なんだそして君はその太陽の光なんだ(原文ドイツ語)」分かります? 彼のこういう気持ち。当時彼は、日本でコンクールの賞を総なめにして、芸大受験をやめて、高校を出ていきなりウィーン音大に進学することにしてウィーンに来て、ドイツ語を勉強しながらウィーン音大受験準備をしていた18歳。私は日本で大学院を出てから、奨学金を獲得してドイツに留学して一から勉強し直し、ドイツの大学の博士課程に在学しながらウィーンに資料研究に来ていて自筆譜等の研究をしていた35歳。部屋はシャワー・トイレ付きの個室でしたがキッチンだけ共同だったので、帰宅して夕食を作りながら、皆が集まる共同キッチンに彼が来て、ドイツ語で楽典の勉強をしているのに質問に答えてあげていたら、こういうことになりました。ですから、特に私が彼の世話を積極的に焼いてあげたわけではないし、もちろん私の側からアプローチしたり、誘惑したなどという事実は全くありません。だって相手は高校を卒業したばかりの受験生ですよ? ピアノを聴かせてもらわなくても、いかにも利発で感受性も鋭い才能あふれる青年であることは、話していても分かります。でも、別に彼を殊更に子ども扱いするつもりはなかったとはいえ、私の側からどう、という関係にはならないことは自明でしょう?かなり年齢は離れているのだけれど、母親的というよりは、姉的に慕ってくれているという雰囲気で、私が彼のドイツ語の詩を「これ自分で書いたの? 凄いじゃない」と褒めてあげたら、「僕って凄い? 僕の入試(ウィーン音大の入試は公開演奏会形式)に聴きに来てくれる?」とおねだりされてしまったり。「図書館開館時間中は、私は仕事だから行けないわ」と言ったら、「そこを何とか」と食い下がられました。可愛かったですね。当時、彼はしきりに「女の人はある程度の年齢の人じゃないと。若い人はダメだよね」と言っていましたから、あのくらいの年齢では、年上の女性に憧れることも多いんじゃないのかな?私はもちろん、母親的に彼の世話をしていたわけではないし、彼の方も、年上の女性なら誰でもいいわけではもちろんなかったでしょう。母親代わりに身の回りの世話をしてくれるからというよりは、もっと精神的、文化教養的に、未熟な若い男性が年上の女性に憧れる時期というのはあるように思います。-ゲーテもヴァイマールの大臣に赴任した当初、ヴァイマール公国の年上の主馬頭夫人シャルロッテ・フォン・シュタインに熱烈な恋をしていましたよね。傍から見ても、姉と弟のよう、というよりは、前世でなんらかの因縁があったとしか思えないような親密な仲だったそうです。でも相手は年上の既婚夫人、いわば同僚の貴族の夫人で、手の届かない存在。簡単に不倫関係にもなり得ない存在だったでしょう。叶わぬ恋の苦しみを、ゲーテは多くの詩に詠んでいます。それ以前にもゲーテは、未婚の若い女性と何度か恋をしていて、そのたびに青春の瑞々しい恋愛詩を書いています。でもこの年上の教養豊かな既婚の貴婦人であるシャルロッテ・フォン・シュタインへの道ならぬ恋から生まれた数々の恋愛詩は、ゲーテの恋愛詩の中でもひときわ美しく、情熱的で感情豊か。シャルロッテ・フォン・シュタインはまさにミューズの女神として、人類に多大な贈り物をしてくれた存在と言えるでしょう。満たされない恋の痛手を癒すためにゲーテはイタリアに逃亡します。何年か経ってヴァイマールに帰ってきたゲーテは、いつの間にか、若くて身分も低い花作り娘を自分の館に住まわせて身の回りの世話をさせるようになり、やがて息子が生まれて正式に結婚します。なので、少なくともゲーテの場合には、若い頃の年上の恋人は、精神的に憧れる存在(プラトニックラヴ)で、中年になって事実婚から始まって結婚した若い娘は、料理など身の回りの実際的な世話をしてくれる存在(ベッドの関係でもある)だったようです。-ショパンとサンドの場合には、サンドには結婚歴があり、子供もいましたが、欧州的には歳の差カップルというほど年齢は離れていなかった。そのためか、エピソードを読んでいると、むしろ普通に恋人だったように見えますけれど?サンドは、肖像画で見る限り、個性的ですがそれなりに整った顔立ちで、容姿も性格も、カルメン的なところがあったかな? という気はします。飛び切りの美人ともいえないかもしれませんが、それをいうなら絶世の美女と言われるクレオパトラも鷲鼻にかなりきつい顔立ちで、サンドに近い。エジプトを訪れる外交官にも容姿はあまり美しくないとコメントされているほど。クレオパトラの最大の魅力は、複数の外国語を巧みに操る知的な話術だったとのことですから、目力が強く、言葉を操る能力も高かったサンドは、その意味でもクレオパトラと似ているのではないでしょうか。-(続く)
(続き)-サンドは、パリの不規則な生活で害されたショパンの健康を気遣い、自分は家人が寝静まった深夜に執筆活動をしていても、ショパンには早寝早起きをさせ、健康的な食生活、作曲に集中できる静かな環境などにも気を配っている。このあたりは、年上で結婚生活も経験してきたサンドならでは。その意味では、若い貴族令嬢マリーでは、繊細な神経のショパンの創作活動を、あるゆる方面に気を配ってそこまで支えることはできなかったでしょう。結果としてノアン時代にショパンが生み出したような傑作の数々は、もしショパンがサンドとの同棲生活ではなく、マリーとの結婚生活が成就していたら、生まれえなかったのではないかとは思います。ただ、サンドがショパンの心を掴んでいたのは、そうした実生活面で母親的に気を配ってくれたからでは必ずしもなく、第一義的には、サンドがショパンの芸術の最大の理解者だったからでしょう。貴族の教養を身に着け、文学芸術に才能を発揮し、文化サロンの華でもあったサンドは、明け方に執筆を終えて床に就き、昼過ぎに起きると、午前中にショパンが書き上げていた作品を弾いて聴かせるのに的確な批評をした。また夕方になると、サロンでハイネとショパンが繰り広げたような、詩と音楽の即興演奏をサンドの子供たちにも聞かせたりもしていたというではありませんか。何年か経つと、サンドがショパンとの生活のことを小説の中に書いてしまったりして、そのことにショパンが怒ったりもしたようですが、いずれにしても、二人の芸術家は深く理解しあっていた。また、ショパンは早起きして午前中に作曲、サンドはショパンが寝ているしんやに執筆活動をして、ショパンが作曲している午前中は寝ているなど、敢えて活動時間をずらして互いの創作活動を邪魔しなかったことで、いい関係が比較的長く続いて、数々の名作を生み出したのではないかと思います。-なので、「ショパンがなぜサンドと恋愛関係になったのかどうしても腑に落ちません。笑 サンドの写真を見る限り美しい女性ではないし、どこに惹かれたのか。本当に恋愛関係にあったのか。単なる母親代わりのような存在として好きだったのではないか?」といういい方は、あまりにも二人の関係、というより、芸術家同士の恋愛関係を理解していないいい方だと私は思います。確かにサンドと初対面の頃のショパンは、サンドの外見の印象だけを見てかなり否定的、批判的なコメントもしています。でも親しくなるうちに、サンドの持つ内面的世界や貴族的・多角的な深い教養にショパンは惹かれていったということでしょう。
サンドから猛アプローチがあって、そのままズルズルという感じですかね。サンドは結構献身的な女性ですので居候するには居心地はよかったと思います。
同じサロンのリストさんが勧めたんじゃなかったっけ❓😅
@@yumikosbar5320 最初の出会いはそうですね
塩パンとサンドウィッチの絶妙な組み合わせ。
😂
ショパンがなぜサンドと恋愛関係になったのかどうしても腑に落ちません。笑 サンドの写真を見る限り美しい女性ではないし、どこに惹かれたのか。本当に恋愛関係にあったのか。単なる母親代わりのような存在として好きだったのではないか?ショパンは男性にも興味があったのではないか?どう思われますか?
@@roseblue9078 サンドの著作(邦訳ですが)を読んでると彼女の文才は相当なものです。ものをみて、それを文章に起こす力量はまさに天才的だと思わされます。
リストもサンドとは気が合ったということですし、やはり才能に惹かれたのだろうと思います。サンドの祖先を辿ってみても、みなモテる人たちばかり。サンドがショパンの前に付き合っていた人たちとの物語を読んでいても、抗いがたい魅力が彼女にあったのだと思います。
ただ、息子を溺愛して、娘には冷淡な目を向けているあたりは毒親という感じが非常にしますけれど😅
「単なる母親代わり」?(笑)
年上と言っても、出会った時点で27歳と33歳、ノアンで同棲していた頃は、恐らくは二人とも30代ですよね?
芸術家同士で、この年代でこのくらいの年齢差なら、誤差のようなものだし、特に芸術家同士の場合には、自分の芸術作品を理解してくれる相手かどうかがまず第一。
裏返して言えば、そのくらい、芸術を理解してくれる相手にはなかなか巡り合えないのです。そしてよき理解者に恵まれなければ、芸術など成立しません。
これは研究者の場合でも似たようなもので、結婚して子供も複数生まれてしまってから、「研究を理解してくれない人と一緒にいるのは辛いんだ」などと言って私に泣きついてくる同業者が複数いました。
そんなことを言うけれど、彼らの結婚相手も我々の同業者なのだから、奥様と離婚して私と再婚しても同じことだと思うのにね。
尚且つ、現実の結婚生活にはいろいろと大変なことがつきものなのは当たり前のことで、隣の芝生は青く見える、私の現実を知らずにそんなことを一方的に言われても……(笑)
なので私はその種の話は笑って受け流しています。
でもそのくらい、芸術や研究が成立するためには、理解して支えてくれる人が必要不可欠で、良きパートナーに巡り合い、共同生活をすることは最重要課題。そのことの前には、一般社会で考えられているような容姿、年齢、社会的地位云々は、ほぼほぼ関係ありません。
生活を支えていかれるだけの経済力は問題になるでしょうが、それ以前に芸術や研究に対する理解、価値観・人生観の問題です。
*****
それに、日本とは違って欧州では夫人の方がかなり年上という場合も多い。
特にロシアの農民の間では、妻の方が年上で、夫の母親位の年齢のこともあった、という動画が最近出ていて、ロシア文学なども読んでいたつもりの私もこれにはびっくりしました。
でも、現にフランスのマクロン大統領のブリジット夫人も、大統領より24歳年上で、マクロン大統領の高校時代の恩師ですよね?
-
私などは、ウィーンでキッチンだけ共同の寮のようなところに住んでいた時に、当時の私の半分くらいの年齢の日本人の若手ピアニストから、習いたてのドイツ語で愛の詩を捧げられてしまったものね。
「僕には、自分がある
でも僕は寂しいんだ
僕は、きれいな花を咲かせたいんだ
でも、花を咲かせるには、太陽の光が必要なんだ
そして君は
その太陽の光なんだ
(原文ドイツ語)」
分かります? 彼のこういう気持ち。
当時彼は、日本でコンクールの賞を総なめにして、芸大受験をやめて、高校を出ていきなりウィーン音大に進学することにしてウィーンに来て、ドイツ語を勉強しながらウィーン音大受験準備をしていた18歳。
私は日本で大学院を出てから、奨学金を獲得してドイツに留学して一から勉強し直し、ドイツの大学の博士課程に在学しながらウィーンに資料研究に来ていて自筆譜等の研究をしていた35歳。
部屋はシャワー・トイレ付きの個室でしたがキッチンだけ共同だったので、帰宅して夕食を作りながら、皆が集まる共同キッチンに彼が来て、ドイツ語で楽典の勉強をしているのに質問に答えてあげていたら、こういうことになりました。
ですから、特に私が彼の世話を積極的に焼いてあげたわけではないし、もちろん私の側からアプローチしたり、誘惑したなどという事実は全くありません。
だって相手は高校を卒業したばかりの受験生ですよ? ピアノを聴かせてもらわなくても、いかにも利発で感受性も鋭い才能あふれる青年であることは、話していても分かります。でも、別に彼を殊更に子ども扱いするつもりはなかったとはいえ、私の側からどう、という関係にはならないことは自明でしょう?
かなり年齢は離れているのだけれど、母親的というよりは、姉的に慕ってくれているという雰囲気で、私が彼のドイツ語の詩を「これ自分で書いたの? 凄いじゃない」と褒めてあげたら、「僕って凄い? 僕の入試(ウィーン音大の入試は公開演奏会形式)に聴きに来てくれる?」とおねだりされてしまったり。
「図書館開館時間中は、私は仕事だから行けないわ」と言ったら、「そこを何とか」と食い下がられました。可愛かったですね。
当時、彼はしきりに「女の人はある程度の年齢の人じゃないと。若い人はダメだよね」と言っていましたから、あのくらいの年齢では、年上の女性に憧れることも多いんじゃないのかな?
私はもちろん、母親的に彼の世話をしていたわけではないし、彼の方も、年上の女性なら誰でもいいわけではもちろんなかったでしょう。母親代わりに身の回りの世話をしてくれるからというよりは、もっと精神的、文化教養的に、未熟な若い男性が年上の女性に憧れる時期というのはあるように思います。
-
ゲーテもヴァイマールの大臣に赴任した当初、ヴァイマール公国の年上の主馬頭夫人シャルロッテ・フォン・シュタインに熱烈な恋をしていましたよね。傍から見ても、姉と弟のよう、というよりは、前世でなんらかの因縁があったとしか思えないような親密な仲だったそうです。
でも相手は年上の既婚夫人、いわば同僚の貴族の夫人で、手の届かない存在。簡単に不倫関係にもなり得ない存在だったでしょう。叶わぬ恋の苦しみを、ゲーテは多くの詩に詠んでいます。
それ以前にもゲーテは、未婚の若い女性と何度か恋をしていて、そのたびに青春の瑞々しい恋愛詩を書いています。
でもこの年上の教養豊かな既婚の貴婦人であるシャルロッテ・フォン・シュタインへの道ならぬ恋から生まれた数々の恋愛詩は、ゲーテの恋愛詩の中でもひときわ美しく、情熱的で感情豊か。シャルロッテ・フォン・シュタインはまさにミューズの女神として、人類に多大な贈り物をしてくれた存在と言えるでしょう。
満たされない恋の痛手を癒すためにゲーテはイタリアに逃亡します。何年か経ってヴァイマールに帰ってきたゲーテは、いつの間にか、若くて身分も低い花作り娘を自分の館に住まわせて身の回りの世話をさせるようになり、やがて息子が生まれて正式に結婚します。
なので、少なくともゲーテの場合には、若い頃の年上の恋人は、精神的に憧れる存在(プラトニックラヴ)で、中年になって事実婚から始まって結婚した若い娘は、料理など身の回りの実際的な世話をしてくれる存在(ベッドの関係でもある)だったようです。
-
ショパンとサンドの場合には、サンドには結婚歴があり、子供もいましたが、欧州的には歳の差カップルというほど年齢は離れていなかった。そのためか、エピソードを読んでいると、むしろ普通に恋人だったように見えますけれど?
サンドは、肖像画で見る限り、個性的ですがそれなりに整った顔立ちで、容姿も性格も、カルメン的なところがあったかな? という気はします。
飛び切りの美人ともいえないかもしれませんが、それをいうなら絶世の美女と言われるクレオパトラも鷲鼻にかなりきつい顔立ちで、サンドに近い。エジプトを訪れる外交官にも容姿はあまり美しくないとコメントされているほど。
クレオパトラの最大の魅力は、複数の外国語を巧みに操る知的な話術だったとのことですから、目力が強く、言葉を操る能力も高かったサンドは、その意味でもクレオパトラと似ているのではないでしょうか。
-
(続く)
(続き)
-
サンドは、パリの不規則な生活で害されたショパンの健康を気遣い、自分は家人が寝静まった深夜に執筆活動をしていても、ショパンには早寝早起きをさせ、健康的な食生活、作曲に集中できる静かな環境などにも気を配っている。このあたりは、年上で結婚生活も経験してきたサンドならでは。
その意味では、若い貴族令嬢マリーでは、繊細な神経のショパンの創作活動を、あるゆる方面に気を配ってそこまで支えることはできなかったでしょう。結果としてノアン時代にショパンが生み出したような傑作の数々は、もしショパンがサンドとの同棲生活ではなく、マリーとの結婚生活が成就していたら、生まれえなかったのではないかとは思います。
ただ、サンドがショパンの心を掴んでいたのは、そうした実生活面で母親的に気を配ってくれたからでは必ずしもなく、第一義的には、サンドがショパンの芸術の最大の理解者だったからでしょう。
貴族の教養を身に着け、文学芸術に才能を発揮し、文化サロンの華でもあったサンドは、明け方に執筆を終えて床に就き、昼過ぎに起きると、午前中にショパンが書き上げていた作品を弾いて聴かせるのに的確な批評をした。
また夕方になると、サロンでハイネとショパンが繰り広げたような、詩と音楽の即興演奏をサンドの子供たちにも聞かせたりもしていたというではありませんか。
何年か経つと、サンドがショパンとの生活のことを小説の中に書いてしまったりして、そのことにショパンが怒ったりもしたようですが、いずれにしても、二人の芸術家は深く理解しあっていた。
また、ショパンは早起きして午前中に作曲、サンドはショパンが寝ているしんやに執筆活動をして、ショパンが作曲している午前中は寝ているなど、敢えて活動時間をずらして互いの創作活動を邪魔しなかったことで、いい関係が比較的長く続いて、数々の名作を生み出したのではないかと思います。
-
なので、「ショパンがなぜサンドと恋愛関係になったのかどうしても腑に落ちません。笑 サンドの写真を見る限り美しい女性ではないし、どこに惹かれたのか。本当に恋愛関係にあったのか。単なる母親代わりのような存在として好きだったのではないか?」といういい方は、あまりにも二人の関係、というより、芸術家同士の恋愛関係を理解していないいい方だと私は思います。
確かにサンドと初対面の頃のショパンは、サンドの外見の印象だけを見てかなり否定的、批判的なコメントもしています。でも親しくなるうちに、サンドの持つ内面的世界や貴族的・多角的な深い教養にショパンは惹かれていったということでしょう。
サンドから猛アプローチがあって、そのままズルズルという感じですかね。サンドは結構献身的な女性ですので居候するには居心地はよかったと思います。
同じサロンのリストさんが勧めたんじゃなかったっけ❓😅
@@yumikosbar5320 最初の出会いはそうですね