Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
凄いフィールドワーク。古代の謎を解いていくって楽しいですね。以前名古屋に暮らしたこともある神社マニアですが知らないことばかりでした。有難うございます。ナレーションもわかりやすいし、音楽も和みムードでとっても感動しました😊
こんにちは😊❗ 非常に興味深く、楽しく拝見させて頂きました😊実は、我はまさしく動画の舞台である春日井市在住、彌彦時神社、神倉神社以外は全て足を運んでおります😊恐ろしい程のシンクロに驚いております😵自分なりに考察をして、一人楽しんでおりますが、神倉、彌彦神社などの考察はお見事❗👍 参考になりました😊これは私的な?有名RUclipsrの考察ですが、どうもニギハヤヒ、天火明はアマテラス側でなく、スサノオの息子という説がしっくりくるかと感じております😊 天孫降臨、出雲の国譲りの下り、ニギハヤヒ、ナガスネヒコ等の不自然さなどを考慮すると、藤原不比等によって、かなり巧妙に隠されている、暗号化されているような気がしてなりません😒我が地元を取り上げて下り、ありがとうございました😊❗今後の動画も楽しみにしております😊世界人類が平和でありますように私たちの天命が全うされますように😊
◼️弥彦神社と天香久山命を紹介していただきありがとうございました。私は弥彦神社が大好きです。山頂の御神廟には妃神の熟穂屋姫(うましほやひめ)とともになかよく祀られておられます。以下は参考までに私のひとりごと◼️弥彦神社の御祭神、天香山命は天照大御神の御曾孫(ひまご)で、父神は饒速日命(にぎはやひのみこと)、母神は天道日媛命(あめのみちひめのみこと)です。異母弟に宇摩志麻遅命(うましまぢのみこと)がいます。■妃神は宇摩志麻遅命の妹の熟穂屋姫命(うましほやひめのみこと)。御子神が6人その中でも第二嗣の天忍人命は尾張氏の祖神です。尾張氏は「尾張」を氏の名とする氏族。 『日本書紀』によると天火明命(饒速日命)を祖神とし、天忍人命から始まるとのことです。◼️ 天香久山命は出雲族と天孫族の血統を双方引き継いでいる御祭神と、私なりに推察しております。
いつも拝見させて頂いております。有難うございます。剣関係と龍神様の御祭神に興味があり大変勉強になります。元々地元の氏神様の御祭神が剣の関西圏では珍しい剣の神様経津主命さまから鹿島神宮香取神宮石上神宮と奥宮石上神社桃尾の滝春日大社東大阪市石切神社熱田神宮天河弁財天神社玉置神社熊野本宮熊野速玉神社と参拝させて頂きましたがこの他に知らない所をお教え頂き大変勉強になりありがとうございます。
今日、磐座行ってきました。近隣在住30年で初めてです。磐座があるのは知っていましたが、自衛隊の敷地内と思い込んでいました。道順も丁寧に教えていただき、ありがとうございました。カミライズさんの仰るとおり、尾張戸神社古墳が尾張地区では最古級で紀元350年前後だそうです。熱田地区は400年ごろからで断夫山古墳、白鳥古墳は500年以降とのこと。東谷山、高座山山麓に集落遺跡は確認されておらず、東谷山、高座山を仰ぎ見る平野部の味鋺・味美古墳群には物部氏の祖神である宇麻志麻治命を祭神とする味鋺神社があります。尾張氏と物部氏の関係も興味深いところです。断夫山古墳は熱田台地の南端で海からの眺望を意識して築かれたとされており、威容を見せる相手が内から外へ変わったのかもしれませんね。
いつも楽しく拝見させていただいています。現地に行くのがまた、楽しいです!
いつも配信楽しみにしております😊尾張戸神社は、古墳に古墳が重なる山の頂上と印象でした。頂上から猿投山が見えるのも意味があると考えています。猿投山には、日本武の兄の古墳があります。猿投神社(三河三之宮)😮高蔵神社へは行ったことはないので、是非磐座へ行ってみたいです。熱田神宮を拝むと方角的に諏訪大社があると聞きました。どうなのでしょうか?
伊夜日子様と関連あるのなら行ってみたいです
高座神社の近くに住んでいます動画ありがとうございますこんな近くにこんな良いところがあったのですね登ってみます。通りでこの近くでスペースシップの目撃が、あったのですね別名水晶やま呼ばれているので納得でした❤
初めまして、石上神社参拝後、布津御霊に関心を抱き、関わるお話を探索していましたが、カミライズさんの深掘りには凄く魅了されました。古代神話以前より信仰は存在し、土着の人々が崇めた神々の僅かな痕跡にこそ後に著された神話の由来があるように思えます。継体天皇を探ってみても高倉下に繋がります。 当チャンネルの妄想的解説の裏付けとなる地域のロケーションを拝見していると、抱いていた疑問が解きほぐされた気がします。記紀の裏側に隠されてしまった多くの神々に日本人本来のリスペクト気質DNAが存在しているような気がします。有り難うございます🎉
鹿に乗って移動するということは、鹿島から春日の関係と同じく、高倉下は、関東から移ってきたのでしょうか?
しだみ古墳群、興味深いですね。常陸の筑波山のあるところは、信田群と古代呼ばれてました。東国の東谷で死んでなお故郷の東を向いて眠りたいという事でしょうかねぇ?
神様は何故降臨した場所ではなくて、川の向こうに移動したのでしょうか。 移った先に古墳があることを考えるとその古墳の勢力は神様の権威付けをしたかったのかな?でも地元の人達は降臨したとされる場所を聖地としていたのかな?と感じたりします。距離が近いだけに、わざわざ降臨場所から移動したのは気になります。弥彦神社はイヤヒコ神社ではないかと話を目にしたことがあります。糸魚川のヒスイは縄文時代ですら日本各地に運ばれていましたし、尾張→長野→糸魚川→(弥彦神社)は案外まだそのころは人の行き来があったのかもしれませんね。
熱田神宮は、奥の院のして認めているのでしょうか?
大切な事なので… 天香具山は、本当に高倉下命なのでしょうか? 本来は、大山祇とは大山統み:大山系を統べる統領という役職です。それは初代サクラウチから始まり、②大山カグツミとなり、その子③マウラ(大山津見)と、カグヤマツミ(カグヤマ)となり、③マウラからは木花開耶姫系統が生まれ、カグヤマからはカゴヤマが生まれ、そのカゴヤマから高倉下(弥彦尊)が生まれています。ここで言うカグヤマが天香具山です。飛鳥宮時代に右臣(物主)をされた方です。そしてその妻がタギツ姫です。タギツ姫の母がハヤコであり、このハヤコ姫はハタレの乱以降は消えた存在です。 詰まり、タギツ姫の夫は大国主ですから、天香具山(カグヤマツミ)は、大国主という事になります。そしてその子カゴヤマは、事代主という事にもなります。その事代主の子こそが弥彦尊(高倉下命)となります。出雲口伝によれば、大国主と事代主は、徐福系(天ホヒ)によって同時に消されています。徐福は日本への出入りを繰り返し「饒速日」という名前でも、入って来ています。 縄文時代、帰還組到着により縄文時代の終焉と弥生時代が始まり、その後の古墳時代、飛鳥時代、…と流れる中で、因縁のドラマが繰り返されている構造が見えて来ます…。因縁を持ち込んだ大陸からの流れと、その起点となる「因縁の身魂」の浄化が進まねば、延々と続く因縁物語(低次元世界)が見えて来ます。 縄文精神とは、因縁を生まない高次元意識レベルを意味します。高次元意識に達していなければ、「因縁を生まないという生き方」には到達できない構造があります。一万年を超えて継続できた背景には、高次元意識の存在があります。日本人の大本にある精神は縄文精神(道:高次元意識と繋がる精神)なのです。そこにユダヤ的精神(宗教精神)が入り込んで、天と日本人との間に蓋(フタ: 仲介)ができたのです。そして高次元意識が低次元意識へと低下している構造なのです。ぶら下がってる構造に変換されたのです。高次元意識とは途切れた構造になったのです。「人↔︎蓋(宗教)↔︎天」です。 神道でさえも蓋として変身した姿なのです。神道の元は、「道」です。そもそも縄文精神が大本なのです。 ニニギとは2番めのニギ「②ニギ」であり、ニギとは「和」であり、和身霊(ニギミタマ)から来ています。饒速日とは1番目という意味です。しかしながら、そのどちらも因縁という大陸から持ち込んだ問題を抱えています。日本列島において増殖した「因縁の課題」がカルマとしてのしかかっているのです。 蓋のない時代があって、蓋のある時代が来て、蓋の開いた今があるのです。 繋がっていた時代があって、繋がりの途絶えた時代があって、繋がりが再開された今があるのです。 現在アセンションと呼ばれる、高次元意識と繋がる取組みがありますが、その努力以前に、そもそも繋がっていたのが日本人なのです。そして繋がりは再開され、再開された繋がりは、もう…途絶える事は二度と無いのです。 一神教も多神教も、偏りだったのです。都合の良い神を選び、名前を変えて先導する活動だったのです。だから因縁世界を生んでいたのです。しかしながら宇宙の全体構造は、その様な物では無かったのです。
天(海)香語山。幼名は、(徐)五十猛。父親は彦ホアカリを自称して出雲王国に渡来した徐福。母親は出雲王国の内親王、(神門(郷戸))高光媛命。海(アマ)香語山とその母親、高光媛命の姪、大屋媛命が結婚して海(アマ)高倉下命を生んだ。また、徐福が九州に再び渡来して吉野ヶ里に定住帰化して宗像のサヨリ(市杵島)媛命と結婚して物部王家の祖となる彦ホホデミ命とホヤ媛命を生んだ。このホヤ媛が丹波国主となっていた異母兄の海(アマ)香語山に嫁いで大和王国海王朝の初代大王(系図上の神武)と成る海(アマ)村雲命を生んだ。尾張家(海王朝の傍系王族)はこの村雲大王の子孫。海(アマ)高倉下命は紀伊国に移住して紀伊国造の祖となったその子孫、武内宿禰改め、武内臣大田根さまの子孫、武内臣都久→仁徳天皇が皇室に繋がります。
凄いフィールドワーク。古代の謎を解いていくって楽しいですね。以前名古屋に暮らしたこともある神社マニアですが知らないことばかりでした。有難うございます。ナレーションもわかりやすいし、音楽も和みムードでとっても感動しました😊
こんにちは😊❗ 非常に興味深く、楽しく拝見させて頂きました😊
実は、我はまさしく動画の舞台である春日井市在住、彌彦時神社、神倉神社以外は全て足を運んでおります😊
恐ろしい程のシンクロに驚いております😵
自分なりに考察をして、一人楽しんでおりますが、神倉、彌彦神社などの考察はお見事❗👍 参考になりました😊
これは私的な?有名RUclipsrの考察ですが、どうもニギハヤヒ、天火明はアマテラス側でなく、スサノオの息子という説がしっくりくるかと感じております😊 天孫降臨、出雲の国譲りの下り、ニギハヤヒ、ナガスネヒコ等の不自然さなどを考慮すると、藤原不比等によって、かなり巧妙に隠されている、暗号化されているような気がしてなりません😒
我が地元を取り上げて下り、ありがとうございました😊❗
今後の動画も楽しみにしております😊
世界人類が平和でありますように
私たちの天命が全うされますように😊
◼️弥彦神社と天香久山命を紹介していただきありがとうございました。私は弥彦神社が大好きです。山頂の御神廟には妃神の熟穂屋姫(うましほやひめ)とともになかよく祀られておられます。
以下は参考までに私のひとりごと
◼️弥彦神社の御祭神、天香山命は天照大御神の御曾孫(ひまご)で、父神は饒速日命(にぎはやひのみこと)、母神は天道日媛命(あめのみちひめのみこと)です。異母弟に宇摩志麻遅命(うましまぢのみこと)がいます。
■妃神は宇摩志麻遅命の妹の熟穂屋姫命(うましほやひめのみこと)。御子神が6人その中でも第二嗣の天忍人命は尾張氏の祖神です。尾張氏は「尾張」を氏の名とする氏族。 『日本書紀』によると天火明命(饒速日命)を祖神とし、天忍人命から始まるとのことです。
◼️ 天香久山命は出雲族と天孫族の血統を双方引き継いでいる御祭神と、私なりに推察しております。
いつも拝見させて頂いております。
有難うございます。
剣関係と龍神様の御祭神に興味があり大変勉強になります。
元々地元の氏神様の御祭神が剣の関西圏では珍しい剣の神様経津主命さまから
鹿島神宮香取神宮石上神宮と奥宮石上神社桃尾の滝
春日大社東大阪市石切神社熱田神宮
天河弁財天神社玉置神社熊野本宮熊野速玉神社と
参拝させて頂きましたが
この他に知らない所をお教え頂き大変勉強になり
ありがとうございます。
今日、磐座行ってきました。近隣在住30年で初めてです。
磐座があるのは知っていましたが、自衛隊の敷地内と思い込んでいました。
道順も丁寧に教えていただき、ありがとうございました。
カミライズさんの仰るとおり、尾張戸神社古墳が尾張地区では最古級で紀元350年前後だそうです。
熱田地区は400年ごろからで断夫山古墳、白鳥古墳は500年以降とのこと。
東谷山、高座山山麓に集落遺跡は確認されておらず、東谷山、高座山を仰ぎ見る平野部の味鋺・味美古墳群には物部氏の祖神である宇麻志麻治命を祭神とする味鋺神社があります。
尾張氏と物部氏の関係も興味深いところです。
断夫山古墳は熱田台地の南端で海からの眺望を意識して築かれたとされており、威容を見せる相手が内から外へ変わったのかもしれませんね。
いつも楽しく拝見させていただいています。現地に行くのがまた、楽しいです!
いつも配信楽しみにしております😊
尾張戸神社は、古墳に古墳が重なる山の頂上と印象でした。頂上から猿投山が見えるのも意味があると考えています。猿投山には、日本武の兄の古墳があります。猿投神社(三河三之宮)😮
高蔵神社へは行ったことはないので、是非磐座へ行ってみたいです。
熱田神宮を拝むと方角的に諏訪大社があると聞きました。どうなのでしょうか?
伊夜日子様と関連あるのなら行ってみたいです
高座神社の近くに住んでいます
動画ありがとうございます
こんな近くにこんな良いところがあったのですね
登ってみます。
通りでこの近くで
スペースシップの目撃が、あったのですね
別名水晶やま呼ばれているので納得でした❤
初めまして、石上神社参拝後、布津御霊に関心を抱き、関わるお話を探索していましたが、カミライズさんの深掘りには凄く魅了されました。
古代神話以前より信仰は存在し、土着の人々が崇めた神々の僅かな痕跡にこそ後に著された神話の由来があるように思えます。継体天皇を探ってみても高倉下に繋がります。
当チャンネルの妄想的解説の裏付けとなる地域のロケーションを拝見していると、抱いていた疑問が解きほぐされた気がします。記紀の裏側に隠されてしまった多くの神々に日本人本来のリスペクト気質DNAが存在しているような気がします。
有り難うございます🎉
鹿に乗って移動するということは、鹿島から春日の関係と同じく、高倉下は、関東から移ってきたのでしょうか?
しだみ古墳群、興味深いですね。
常陸の筑波山のあるところは、信田群と古代呼ばれてました。東国の東谷で死んでなお故郷の東を向いて眠りたいという事でしょうかねぇ?
神様は何故降臨した場所ではなくて、川の向こうに移動したのでしょうか。 移った先に古墳があることを考えるとその古墳の勢力は神様の権威付けをしたかったのかな?でも地元の人達は降臨したとされる場所を聖地としていたのかな?と感じたりします。距離が近いだけに、わざわざ降臨場所から移動したのは気になります。弥彦神社はイヤヒコ神社ではないかと話を目にしたことがあります。糸魚川のヒスイは縄文時代ですら日本各地に運ばれていましたし、尾張→長野→糸魚川→(弥彦神社)は案外まだそのころは人の行き来があったのかもしれませんね。
熱田神宮は、奥の院のして認めているのでしょうか?
大切な事なので…
天香具山は、本当に高倉下命なのでしょうか?
本来は、大山祇とは大山統み:大山系を統べる統領という役職です。それは初代サクラウチから始まり、②大山カグツミとなり、その子③マウラ(大山津見)と、カグヤマツミ(カグヤマ)となり、③マウラからは木花開耶姫系統が生まれ、カグヤマからはカゴヤマが生まれ、そのカゴヤマから高倉下(弥彦尊)が生まれています。ここで言うカグヤマが天香具山です。飛鳥宮時代に右臣(物主)をされた方です。そしてその妻がタギツ姫です。タギツ姫の母がハヤコであり、このハヤコ姫はハタレの乱以降は消えた存在です。
詰まり、タギツ姫の夫は大国主ですから、天香具山(カグヤマツミ)は、大国主という事になります。そしてその子カゴヤマは、事代主という事にもなります。その事代主の子こそが弥彦尊(高倉下命)となります。出雲口伝によれば、大国主と事代主は、徐福系(天ホヒ)によって同時に消されています。徐福は日本への出入りを繰り返し「饒速日」という名前でも、入って来ています。
縄文時代、帰還組到着により縄文時代の終焉と弥生時代が始まり、その後の古墳時代、飛鳥時代、…と流れる中で、因縁のドラマが繰り返されている構造が見えて来ます…。因縁を持ち込んだ大陸からの流れと、その起点となる「因縁の身魂」の浄化が進まねば、延々と続く因縁物語(低次元世界)が見えて来ます。
縄文精神とは、因縁を生まない高次元意識レベルを意味します。高次元意識に達していなければ、「因縁を生まないという生き方」には到達できない構造があります。一万年を超えて継続できた背景には、高次元意識の存在があります。日本人の大本にある精神は縄文精神(道:高次元意識と繋がる精神)なのです。そこにユダヤ的精神(宗教精神)が入り込んで、天と日本人との間に蓋(フタ: 仲介)ができたのです。そして高次元意識が低次元意識へと低下している構造なのです。ぶら下がってる構造に変換されたのです。高次元意識とは途切れた構造になったのです。「人↔︎蓋(宗教)↔︎天」です。
神道でさえも蓋として変身した姿なのです。神道の元は、「道」です。そもそも縄文精神が大本なのです。
ニニギとは2番めのニギ「②ニギ」であり、ニギとは「和」であり、和身霊(ニギミタマ)から来ています。饒速日とは1番目という意味です。しかしながら、そのどちらも因縁という大陸から持ち込んだ問題を抱えています。日本列島において増殖した「因縁の課題」がカルマとしてのしかかっているのです。
蓋のない時代があって、蓋のある時代が来て、蓋の開いた今があるのです。
繋がっていた時代があって、繋がりの途絶えた時代があって、繋がりが再開された今があるのです。
現在アセンションと呼ばれる、高次元意識と繋がる取組みがありますが、その努力以前に、そもそも繋がっていたのが日本人なのです。そして繋がりは再開され、再開された繋がりは、もう…途絶える事は二度と無いのです。
一神教も多神教も、偏りだったのです。都合の良い神を選び、名前を変えて先導する活動だったのです。だから因縁世界を生んでいたのです。しかしながら宇宙の全体構造は、その様な物では無かったのです。
天(海)香語山。
幼名は、
(徐)五十猛。
父親は彦ホアカリを自称して出雲王国に渡来した徐福。
母親は
出雲王国の内親王、
(神門(郷戸))
高光媛命。
海(アマ)香語山と
その母親、高光媛命の姪、大屋媛命が
結婚して
海(アマ)高倉下命を生んだ。
また、徐福が九州に再び渡来して
吉野ヶ里に定住帰化して
宗像のサヨリ(市杵島)媛命と結婚して
物部王家の祖となる
彦ホホデミ命と
ホヤ媛命を生んだ。
このホヤ媛が
丹波国主となっていた異母兄の
海(アマ)香語山に嫁いで
大和王国海王朝の
初代大王(系図上の神武)と成る
海(アマ)村雲命を生んだ。
尾張家(海王朝の傍系王族)はこの村雲大王の子孫。
海(アマ)高倉下命は
紀伊国に移住して
紀伊国造の祖となった
その子孫、武内宿禰改め、武内臣大田根さまの子孫、
武内臣都久→仁徳天皇が
皇室に繋がります。