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私はDC映画とアート映画の両方を好むたぶん少数派の者です。映画には竹内さんとほぼ同じ理由で満足してます。前作から「現実と虚構が入り混じる作風」だったので今作は最初から注視していたのですが、2回目をIMAXで観たら驚くべき演出に気づきました。この映画、おそらく現実と虚構で画面アスペクト比を使い分けてます。明らかに虚構のミュージカルシーンは全てIMAXサイズで、アーサーの日常風景やジョーカーの最終弁論など明らかに現実のシーンは全て2.20:1でした。自由に広がる虚構と、狭く閉じ込められる現実、というメタ表現かと。1回目の観覧ではどちらか判別しにくかった現実離れしたシーン(4色の綺麗なパラソル、病院で歌うアーサー、ハーレイがアーサーに夜這い、ハーレイがアーサーの家に行く、法廷が爆破されてアーサーの逃避行など)は全てIMAXサイズの虚構でした。なおハーレイも2.20のシーンがあったので竹内さんの読み通りハーレイは映画内現実に存在してますよ。最後にアーサーが刺される場面は2.20なので現実ですが、一度ジョーカーが腹をピストルで撃たれる妄想を挟んで、再び病院に戻ってアーサーが明らかに死んでるラストショットはIMAXサイズのままでした。つまり「アーサーが絶命して後ろで笑いながらナイフで口を切り裂いてる青年にジョーカーが継承された」のは虚構ということになります。もしかしたらIMAXサイズは単純に「現実ではない虚構」と見なすよりは「ジョーカー的な狂った何か」と含みを持たせて解釈した方がより正しいかもしれません。実はこの二代目ジョーカーが最初に映画に出てくるのは序盤の病院の日常生活で2.20のシーンで、この青年には台詞も何も無い1秒程度のワンショットがあるのですが、そこだけわざわざIMAXサイズにしてました。つまり映画の序盤で画面サイズを使ってジョーカーの継承者を予告していたものだと思われます。
IMAXで観てみたくなりました。
@meciter3405さんへ私は池袋のIMAXで観ましたが、確かに上下フルサイズになるシーンが期待以上に多く全編の半分くらいはそうだったと思います。だから歌って踊るシーンはあの巨大なスクリーンサイズに浸ることが出来て好きでしたねえ。通常のレーザーIMAXだとこのシーンは少し上下が拡がるわけですよね?だからとにかくどのIMAXで観ても少しは拡がるということで現実と虚構の違いは意味ある差としてわかるわけですよね。1回しか観ていないので現実と虚構との違いとして区別などしなかったのですが、おっしゃる通りの区別の仕方であっているのではと思いました。そこで伺いますが独房にハーレイが裏で手をまわして入ってきたというシーンでセックスまでするというあのシーンもサイズが拡がっていましたか?あのシーンは特にのめり込んでみていたせいか((笑))私は記憶にないのですが・・・・あれが独房での虚構ということならスムーズに全体を理解できますね。独房に入り込んでセックスまで出来るわけないだろう!と文句を言いながら観ていたので(笑)それなら結局ラストで「息子が欲しかった」と言うセリフにも納得がいくし。法廷爆破のシーンやあの名所の階段シーンにも納得! こうなるとレーザーIMAXの他の劇場でもう一度見てみるしかありませんね!
@@musclepooh さん私も池袋のIMAXレーザーGTで観たので、残念ながら通常IMAXでの挙動は確認しておりません。先のコメントでは言葉を端折ってしまい、すみませんでした。ただ予告映像や国内海外の各種SNS投稿から判断するに、通常IMAX用の1.90:1の左右を切り取ってレーザーGTの1.43:1を製作しているのはほぼ確定なので、画面サイズの変更箇所は1.90と1.43で同じだと思われます。この見分け方を知ってから1.90のIMAXで観覧して納得したという声もありました。ご質問にあるハーレイが独房に夜這う場面はIMAXサイズでした。しかし実は一点だけ不整合を起こす箇所がありまして、ハーレイが「妊娠した」と言うシーンは通常サイズでした。独房が虚構なら、現実でこの台詞は矛盾します。私はこれを①ハーレイにも妄想が感染していたから想像妊娠した(二人狂い説)か、もしくは②ハーレイは精神科の医師(医学生?)なのでアーサーの妄想癖を見抜いてハッタリを言って反応を観察していた(ただの嘘つき説)(うろ覚えですが父親が誰かは明言してなかったような気もします)、のどちらかだろうと解釈しています。
@@meciter3405 さんへご返答ありがとうございます。そうですか。ハーレイが「妊娠した」と言ったシーンは通常サイズでしたか!あのシーンは裁判所爆破後の逃亡シーンで地元のあの長い階段を登りつめたところでのセリフですよね?だから上下拡大された虚構シーンの中でのセリフだと記憶していたのですが、今一度はっきり覚えていません。ただハーレイのはったり説が有力だと今勝手に思っています(笑)
@@musclepooh さん少し記憶違いされてますね…ハーレイがアーサーに妊娠を告げるのは裁判が始まってすぐに弁護士を信頼するなと警告する場面です。なんなら妊娠を告げられてアーサーは強気になって翌日に弁護士を解雇したとも言えるかと。爆破後に階段に行った時には逆にアーサーから妊娠してるなら一緒に暮らそうと声をかけますが、ジョーカーじゃないアーサーに興味がないハーレイは冷めた目つきで無言で立ち去ります。こちらの場面は仰る通り上下に拡張された画面サイズでした。
ジョーカーは死なない、ジョーカーはどこにでもいるという竹内さんの話はちょっと感動してしまいました
この映画、傑作だと思ったんですが、世間が酷評ばかりで寂しい思いをしていたとろ、竹内さんの評を聞いて救われました。
アーサーの最後の微笑みがたまらなく良くて、また観に行く
劇場で観て「大正解!」と満足しました。ストーリーよりも、ガガとフェニックスのデュエットとダンス、そして全編貫くビジュアル、特に色彩が素晴らしい!一級のアート映画だと思います。ただ、ストーリーに拘ると期待感はみごとにかわされるので、賛否が分かれるのも当然です。でもこのような質の高い作品がこれからも創られ続けて欲しいものです。
1時間ずっとジョーカーを語る竹内さん!他者に惑わされない独自解説に映画への深い愛情が伝わってきて、心を動かされます。プチ感動です✨フラットな視点、大事ですよね。全く観る気なかったんですけど、観てみようと思います。この動画ホアキンに見せたいです✨✨
最高に切なく素晴らしい作品でした!1、2も「アーサー・フレック」の物語として鑑賞していたので、何の違和感もなく心にずっしりと残りましたとにかく、ホアキンフェニックスの表情、瞳に魅了されてしまいましたし、どこを切り取ってもアート作品となりますね裁判での同僚ゲイリーの発言は監督の伝えたい事として強く受けとめました沢山のことを語り合いたい作品ですね☺️
今回のジョーカー、最高でした。前作から一貫してジョーカーは個人ではなく概念として描かれている映画であると解釈できていれば何の違和感もなく、優れた大作アート映画として観れるんだと思います。DCコミックが土台なので賛否が別れるのは解ってましたが、正直続編作る時点でハードル駄々下がりだった自分の視点からすると、ここまで振り切らないと肯定派の層を唸らせるには至らなかったとも思います
評価も低いし何で続編なんか作ったんだとトッドフィリップスやっぱり信用できないと思ってましたガラガラのiMAXで観ましたが映画人としての真心を感じる簡潔に仕上った挑戦的な傑作でしたホアキンが引き受けたのも必然だなと思いながらラストは泣きました
今日観てきました。悲しくて重くて好きでした。ちなみに、若い女性が鑑賞後「涙出そうになってきた」って言ってたので、ばっちり若い方にも作品の主旨が伝わってましたね。
コメントand若い方の反応情報ありがとうございます!
観た後にドヨン〜とした鑑賞感は結構好きで、ただ面白かったでは物足りないので観てみたくなりました。
私はバイク旅の旅先のシネコンで見ましたが、震えるほど感動しました。竹内さんの作品理解と感想と全く一致してます。前作を軽々超えました。ここ5年間で見た映画のなかでは、ナンバー1です。世間で賛否両論、世界興行が惨敗なのも知りませんでした。ジョーカーは悪魔に魅入られた男で、その悪魔性は彼を悪のカリスマに押し上げ、悪魔性を人々に伝播しましたが、最後にその悪魔に突き放されます。それは、悪魔が、ジョーカーがリーに愛を感じたことを善しとしなかったからではないでしょうか。また、リーも彼から愛を求めていたわけではない。本作は悪魔性の伝播を描いてたから、次作はキャスト一新して「神と悪魔の戦い」を描くため、バットマン登場かな、と思いましたが、興行成績的に次はトッド・フィリップスはないだろうから、その点は単純に残念に思います。
今回の竹内さんのおはなし、いちいち頷いてました。竹内さんの見解は今回特に明晰で分かりやすかったです。リーもジョーカー新派たちと同じく奉りまくって煽って、挙げ句にあんなことになる。フォリアドゥも竹内さんの今回のおはなしもとても良かったです。(^^)自分個人的にはガガ(リー)と看守たちは特に素晴らしかった。ひげ剃り、テレビを見上げてるシーンはヒリヒリしました。自分も今年の重要な1本になりました。期待しながら賛否あるのも聞いておきながらワクワクしながら観てました。上映中は全く賛否がどうだとかは遥か彼方に置き忘れて作品に没頭できました。ホントに語りあいたい語りがいのある作品です。ホアキンお疲れ様でした。
「竹内さんこっちの方が好きって言いそう」ってTさんが的中したくだりと、脚本地味だけど後の祭りでGOサイン出しちゃったんだろ?っていう雑予想めっちゃ笑いました
これからも雑予想やります!
とても面白かったと思います。
コウモリ男に思い入れがないので前作のジョーカーと今回のフォリ・ア・ドゥは2作とも非常に楽しめました。観に行く前のアメリカでの評価が散々だったので心配しながら観に行ったのですが、始まったら「アーサー」の物語に引き込まれてしまいました。
哀しいけど深くて凄かった!泣きました😭1より良かった、絶賛派です!😊・・久しぶりに劇場で2回観ました。周りの映画を沢山見てる友人は、褒めてる人が多い印象です(アメコミとして見なければ)
ジョーカーの続編を作った経緯が竹内さんと酒匂さんのミニコントが外れてなさそうなのがこわいですよねw
映画として面白かったかと問われたら、そこそこの映画でしたが、映像の美しさやオシャレさに圧倒されたので、映画館で観て良かったです。
コメントありがとうございます!おっしゃる通り映画館で観て良かった作品でした。
私も傑作だと思いました。今年1番かも笑ジョーカーは死なない。なるほどな〜
『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』良かったです♪期待を上回った出来の前作を超えるほどではないですが続編がしっかりと造られてそれがリアルタイムで鑑賞出来たことに感謝ですwとてもとは言えませんが良かったと思いますww最後にこの動画の長さにお三方の熱を感じますwありがとうございます♪
待ってました♩
竹内さんの解説聞いてるとなんかいい映画に思えるようになりました(笑)送り手は前作でのjoker信者を含めた観客の幻想を破壊するために本作を作ったのだ思います、それだけでそんなに金をかけるとも思えないけどね
私はこのジョーカー良いと思いますよ
見終わった瞬間は複雑な感情が入り混じってましたが、非常に素晴らしい作品だったと思っています。一方で賛否両なことも理解できて、予告にあったジョーカーとハーレクインが裁判所の前で信者たちに囲まれて踊るシーンのようなヴィランの復活を見てみたかった気持ちも自分の中に少しだけあるのです。一本の映画として満足しつつも、仄めかされたもう一つの展開も見てみたいという意味で、すごく印象に残る作品でした。
1作目に熱狂しなかった口なので、賛否両論ということであとまわしあとまわしで、公開から3週たってから見てまいりました。おっしゃるとおりエンタメじゃなくてアートでしたね 素晴らしかった 前半ホアキンとガガなにやってんのから、ホアキンとガガでなければ成立しないにみていくうちに自分の感想がかわっていったことがおもしろかったですヒットしなかったことで新たなカルト映画となる気がします
劇場公開時に不発からの数年後に高評価、おっしゃる通りカルトの王道路線ですね。
こう来たかと思って楽しめました。DCとかに思い入れが薄いからでしょうか。自分の作りだした虚像に翻弄されているところとか、サブタイトルからすると、リーもアーサーに影響を与えていて共鳴していたのかなと思いました。
観たかったものが観れなかったから否定するような感想に溢れているのが残念だったのですが、竹内さんのお話を聞いて溜飲が下がりました。僕も1より2の方が好きです。アーサーにひとときでしたが、幸せな時間が流れたので😢。でも、あれも妄想だった可能性もあるんですよねぇ…。
個人的には「否」の感想なのですが、動画の方は楽しく拝見しました。少なくとも、逆張りとは全く思いませんでした。それと酒匂さんの、実際に映画を観て確かめてみなければ分からない、というのは仰る通りだと思いました。この場をお借りして謝罪いたします。私の失言でした。
竹内さんが最後の方におっしゃってた、「前作の最後に出てきた牢獄に捕まってたキャラクター」というのは「THE BATMAN ザ・バットマン」(2022)のポール・ダノが演じるリドラーのことではないでしょうか。大変不躾なコメント申し訳ありません。
アーサー視点の恋愛鬱映画としては普通に面白いと思いました。深読みどころも多いので、批評家にはそこそこウケるんじゃないかと思ってたら、恋愛鬱映画に理解ありそうな人も酷評していて驚いています。ミュージカルシーンがいまいち盛り上がらかったのはちょっと残念でしたが、ジョニー・キャッシュが好きなのでホアキン主演の「ウォーク・ザ・ライン」風の夫婦漫才シーンがあって個人的に面白かったです。ジョニー・キャッシュは「Devil's Right Hand」という歌をカヴァーしているんですが、マザコン感のある男が銃で人を撃ってしまうという歌詞で、ジョーカー第一作やカミュの「異邦人」とか「ボヘミアン・ラプソディ」のような雰囲気があって、オススメです。
動画はそういう見方もあるかというので面白かったです。竹内氏の「品格がある」「これだけの密度のある映像作品は滅多にない」という見解については、同意はするものの、本映画のメインのテーマってメタ的に「そうやって崇め奉る視聴者を糾弾すること」でもあると私は感じたので、酒匂氏の芸術映画と言ってごまかしたとしてもこの内容でここまで贅沢に金をかけた作品を作るのはどうなのか、という指摘にわりと共感した感じです。けど「ジョーカー」「ハーレイクイン」という非常に歴史があって人気のあるコンテンツだと、とにかくそれらしいキャラクターが出さえすれば予算がついて作れちゃうんだなーと思った感じです。
コメントand共感いただきありがとうございます!制作決定者の意見を聞いてみたいものです。
観てみようかなぁ
公開前観に行きたいと思っていた所にミュージカルで米で大コケしていると聞いてしまい観るの迷いましたが、昨日観に行き面白かったです。役者の演技や絵作りは最高でドラマの延長にある歌唱シーンは違和感をあまり感じなかったけど、アーサーの内面と思われるミュージカルシーンは唐突感があり残念な感じでした。1作目では左右の利き手でアーサー(右利き)とジョーカー(左利き)を描き分けていたと別コメで観たのですが、本作をその視点で観れていなかったので、どう描かれていたか気になりますね。唯一覚えているハーレーがアーサーと出会った序盤で右手で自身の頭を打つしぐさをアーサーに見せるのはアーサーを殺せと暗示していたのだと感じました。
ジョーカー:フォリ・ア・ドゥラストのシーンが唯一の現実で、その後の息絶えるまでの僅かな時間での回想と妄想が本作に於ける物語の全てでしょうね。前作は公開時に鑑賞済みでしたが、うろ覚えでした。本作は明らかに続編で要所要所で思い出されせてくれる仕掛けもありました。母と暮らしていたアーサーは愛されてこなくて鬱屈した感情が段々と偏屈化していって産まれたのがジョーカーという人格でした。だから心の奥底では愛されがたっていて、その想いがリーという幻想の恋人として妄想上に現れたのでしょう。このどこまでが幻想や妄想なのかとの判断は観客次第でどうとでも理解が可能です。きっとそれによって本作の解釈は様々に及びます。
本作、個人的には前作の衝撃を超えませんでしたが、十分に見応えのある作品でした。ダークナイトもそうでしたが、DCシリーズ最大かつ唯一無二のキャラクターのヴィランであるジョーカーだからこその作品ではないかと。本作は、観る人によって様々な解釈が出来る余地がふんだんに含まれている気がしましたので、正解は一つでなくてもいいと思います。ちなみに、竹内さんのおっしゃられたエンディングは前作の「ジョーカー」ではなくて、違う世界線の作品の「ザ・バットマン」ではないでしょうか。あちらの主役ヴィラン「リドラー」が刑務所に入れられて、隣の房の囚人が声をかける場面がありますが、おそらくその人物こそが ”あちらの世界”のジョーカーだと思われます。(バリー・コーガンが演じていたらしいです)ザ・バットマンの続編が出れば、新しいジョーカーが観れるのでしょうね。
コメントand情報ありがとうございます!
私は面白かったです!このミュージカルと言って良いのか違うのかのギリギリのライン。歌がオリジナルと60年代くらいのjazzやバート・バカラックをごちゃまぜに歌っていて「え、この曲何??」という感じが連発。レディー・ガガの歌がいいのは当然として、ホアキン・フェニックスがここまで歌って、それがすごく味がある点に驚きました。
善悪を超越した自信にジョーカーの魅力を感じますが、一方で生身の人間の苦悩や揺れがアーサーにはあり、私は前作からこちらに興味をひかれていました。そのせいか、たいへん面白く今作を見ました。御二方が評価してくださり、とても嬉しく、自分の感想に自信が持てました😅
鑑賞を悩んでました。レビュー見てハードル激下げして来週見に行ってきます。
前作のジョーカーが結構ギリギリまで悪徳に寄せた快作であったのでその続編となるフォリアドゥは一変、とことん罪を悔いて終わる結末にしたことで作者の良心が透けて見えました。2本で一本の映画かと。😊
賛否両論なのは、メジャー映画は「共感しやすいもの」を求められてしまうからなのかなーって思いました。でも本来は、批評性こそ、メジャー映画に受け入れられるべきですよね‥😢
吹き替え、字幕で計2回の観賞で終了しました。爆破シーンでお金使い過ぎたのかな?
ハーレイの存在でダークヒーローとして確立するジョーカーを見たかった…こんな勝手な期待をしてしまったが故に裏切られた感を感じてしまって残念だった。
そうなりますよね。予告編でハードルかなり下がりました💦
自分はDCコミックに興味はなく前作ジョーカーを「万引き家族」、「パラサイト半地下の家族」と同じ地平の格差社会、貧困が産んだ男の狂気の映画と観ましたので今作も全く違和感を感じませんでした。ジョーカーファンはリー(ガガ)と悪の限りを尽くす映画を期待したのかも知れないしミュージカル仕立ては不満だったのかも知れない。フォアキン・フェニックスの人物造形が素晴らしく歌も上手いしタップも本人?僕が大好きなスタンダードナンバー「BEWITCHED, BOTHERED AND BEWILDERED」(魅惑されて)を歌ってくれたのも嬉しかった。映画のオープニングのアニメがよくできていて楽しかったのだけれど、この映画のテーマは殆どこのアニメが言い尽くしていたのかも知れない…と思いました。竹内解説でかなり腑に落ちたところもあったので、少し間を空けてもう一度鑑賞したくなりました。
遅れてしまったのでここで言及させて下さい。【シビル・ウォー アメリカ最後の日】IMAXで観なきゃです!今年自分のベスト級。めちゃめちゃ面白かったです!ヘリコプターから爆撃するシーン、かっこよきです!(あくまでも映画に対しての感想です)ショットを挟む演出も印象的でした。最初慄いている新人カメラマンの少女が徐々に戦場の狂気を撮る事に生き甲斐を感じ。。。松田優作主演の怪作『野獣死すべし』の狂気な戦場カメラマンを想起しました。ラストシーンも余韻を残し好きです。
私は賛です。この映画は映画についての物語だと思いました。観客を堕落させることもできるし、戦争に駆り立てることもできるメディアであると同時に、死のうと思っている人間や疎外されていると思っている人間に救いを与える事もできる。前作と今作で1本。どちらが表でどちらが裏かがその都度捉える人によって目まぐるしく変わると思います。ハル・デイヴィッドとバート・バカラックは本当に素晴らしい曲を書いたなあ、と改めて思いました。どちらにせよ、映画を観るためだけに私たちは生きている訳ではなく、映画とは実人生が豊かになるための一助であるものだと私は思っています。
悲壮感のある重々しいストーリは日本人向けな気がする。海外での酷評に比べて、日本では賞賛意見が多いと思いますね。まぁ、自分はもう少し派手な展開を期待しましたが(笑)
前作に熱狂した殆どの人が今作にはガッカリすると思いますが、トッド・フィリップス監督の狙いはむしろそこにこそあるのではないか(前作に熱狂する人々をたしなめるという狙い)という気がしました。なぜ前作は良くて今作はつまらないと感じるのか、安易につまらないと断じる前に、一人ひとりの内省・反芻が求められる作品だと思います。
コメントありがとうございます!監督の狙いはおっしゃる通りかもしれませんね。ワーナーの経営陣はどう思ってたのかどうしても気になります。
私は前作大好きですが、本作を見てさらに前作の評価も上がりました。
観ました鑑賞後感が似てると思ったのは「金田一耕助の冒険」でした。
コメントありがとうございます!金田一耕助気になります!
ハービーデント検事が爆発で顔半分やけどみたいになってたので、いよいよトゥーフェースになるのかなーと思ったら...ならない。アーサーも逃げたのでいよいよジョーカー誕生...にならない。わざとそういう期待を裏切って作ってると感じましたが、この作品は嫌いではないです。
コメントありがとうございます!おっしゃる通り監督は確信犯でしょうね。
20キロ位減らしたそうですね前作それほどハマらなかったので過度に期待せずに観れたのが良かったです前作見終わった時これバットマンに絡めていくのかなぁ?と思ったけど完全に前作を閉じる作りジョーカーがアーサーに戻る独立した二作だったんですね楽しみました
自分が行った回は高校生カップルが二組くらいいたから感想聞いて見たいなあ
俺は賛なんだけど、WBが何故止めなかったんだろう、と言うのは凄く思います。劇中でアンだけ罵倒されてるし。凄い度量なのか、罵倒されるだけの事はある馬鹿なのか。俺はアーサー対ジョーカーの話で、リーがヴィラン、つまり本作のジョーカーはリーだ、と言う見立て。冒頭では、二重人格の枠にはめたい弁護側と、あくまでもアーサーの犯罪だと立証したいハービー側の内、アーサーが味方と観てるのはハービー(これは前作のマーレ―の再話でもある)。リーに心は開いてない。利用しようと、つまりジョーカーとして名が売れた事によるご利益と見做してる。当然、リーの側も利用しようとしてるのは分かった上で勝てる(アーサーとしてモテるようになる)と思っている。が、早い段階で妊娠の件で一撃喰らう。法廷でダメージ喰らって忌避してたジョーカーとしての立場に逃げ込み依存する辺りのリーとの攻防が、ミュージカルシーンに度々本作本来の劇伴曲、ストリングスが被さる事で表現される。挙句、前作で仕込まれていた「加害者としてのアーサー」の立場を突きつけられてジョーカーを演じるのを降りる、事でリーの誘惑に勝ったと思いきや、、、。なので、俺がショックを受けたのは階段で自分の外側のジョーカー、つまりリーに、今更に縋ったシーンでした。刺されるのはDCファンへの御愛想でしょう。「みんな道化しか求めてない」と歌うシーン、多くの前作ファンとWBへ投げつけた罵倒が、本作の眼目だと思います。
56:05 前作にそんなシーン、ありましたっけ…?
😮うん、違う作品じゃないかな?ザ・バットマンとか。
@@安井敏樹やはりそうですよね…単に、竹内氏の勘違いという事だけならまだしも、問題は、なぜか他のお二人も同調してしまっているので、勘違いの重複が起きた結果、完全に滑稽なものになってしまっているんですよね。
私もシンプルに面白く観れてしまったんですけど、たしかにアンチが増えそうだし、よくこのお話で会社の偉いヒトがGOを出したよなー、て思いました。とは言え、私もジョーカーとハーレイ・クインがもっとハチャメチャに大暴れする様は見たかった...w正直こちらのミュージカルパートがあんまり楽しくなかったですし...でもでも、私の中では、真のジョーカー(ヒース・レジャー?)は別にいて、前作終盤の暴動も今作の爆破とか暴動はそいつが煽動してて、リーはその真ジョーカーから派遣されてたのでは?て思っているのでメチャクチャ楽しい作品になっていますw
酒匂さん、脱獄してちゃんちゃんじゃなかったですね😂
口コミが酷いので、どれだけダメ映画なのか観てきましたが、思っていよりも傑作でした!前作もそうだけど、今回のジョーカーは等身大なジョーカーなので愛着も湧いたし好きなジョーカーです。でも、世間からは前作で悪のカリスマに覚醒したのだと勘違いをしていた観客が大勢いたと思う。これまでのジョーカーにあった狡猾さやサイコパス感はまるでないし、悪のカリスマには見えませんでしたけど。社会的弱者が世間から追い詰められ、どうしようもなくなってピエロの顔を借りた犯罪者になってしまった悲しい男の末路だよね。アーサーの中にたまっていたシャドウってことなのかな?
終始、浮かない酒匂さん。シネマサロン三者中、映画で商いをしている視点からですかね…自分は、やっぱり、最初から竹内さん視点でした。本国や外国は、DCの世界観を求めているのかもしれませんが、自分には、前作や近作のバッドマンが提案された時点でコミックから離れた世界観だと感じていましたし、前作でジョーカーの悲哀、やるなせなさに完全に魅了されたので観る気満々でしかもIMAXを選択し、鑑賞してきました。鑑賞後感も鑑賞中も終始竹内さんと同じ気持ちでした。映像、綺麗で素敵でした。ホント、あの雨のシーンや法廷のシーン、スタンダードナンバーの歌唱シーン、もう、もう…という感じで。ホアキンが演じるジョーカーが好きで、前作から全く変わらない姿で演じてくれた事に感謝でした。剃刀シーンのヒリヒリ感は、亡くなった父親が一番怖いのは、床屋で髭を剃って貰う時だと語っていた事からもひとに剃刀を任す怖さもあり、なかなかこわ〜と。でも、ラスト法廷が爆破されるシーンでここは、ゴッサムシティなんだと思わされました。暗くて、決して社会がきれいな街角ではないこと。コウモリ男が出てきてもおかしく無い世界では、ある部分は、コミックの世界観は、踏襲されてる事に感心しました。竹内さんのジングル好きでした(笑)あと、Tさん、酒匂さんはジングル後、「ネタバレでーす」と言うのは、お約束になったのでしょうか。万人には、受け入れらなくてもすぐに配信になっても良い一作でしたし、ますます前作が愛おしくなりました。
否を唱える人たちが言う『ジョーカーはジョーカーであって欲しかった』と言われます。ですがトッドフィリップスは前作からジョーカーを怪人でなく人間として描いていたので、このラストはとても腑に落ちました。再び20キロ以上減量して挑んだ役、左右の肩甲骨が非対称に歪むほど酷い状況にあるという掴みからやられました、ジョーカーを殺した男がまた新たなジョーカーになる、これは前作のような不条理な世の中を暴力でやり返す!みたいな連鎖でいいの?と私たちに問うている気がしました。私は圧倒的に讃でした。
お二人の感想を聞いて、面白くなかった。。はダメなのかなぁ〜って気になってしまいました。。まだまだアマちゃんですネ。。
要するにあのラストは「デウスエクスマキナ」?
後、どいつもこいつも、、、!という作り手たちの本音かと。
ちょっと待って欲しい、映画の内容の良し悪しよりもこの作品をジョーカーとしてだしてるから問題なんじゃないですかね?批判している人のほとんどが先ずそう思ってると思いますよ。ミュージカル要素も前作でそういう作りならまだしも、全く違う作品を見せられてるようで、それでジョーカーは完成する言われても受け入れられないですよ。
わかります。なので、予告編でハードル駄々下がりでした💦
また酒飲んで観に行ってしまってほぼ寝ちゃったんですよね…何も分かりませんでしたw予想とまったく違う作品ではありました。酷評という前情報、聞かなきゃよかったですね。
10/17山形フォーラムで「【字幕】ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ」を観てきました。前作はもちろんバットマンシリーズ、DCなどすべて観ていないのですが観てきました。普通の人間が環境や扱われ方によって殺人者になり、ジョーカーという架空のダークヒーローに祭り上げられて苦悩するという話として見ました。ところどころに入るガガ扮するリーという女性と繰り広げるミュージカル場面が夢なのか妄想なのかわかりませんがこれをどう受け止めればいいのかわかりませんでした。アーサーがやっと理解してくれる人ができたと思ったのに彼女はジョーカーというヒーローを思っていたというなんとも悲しい結末でした。果たして私たち普通の人間もジョーカーになりうるのでしょうか。
アメリカでは爆速で2週目、興収落ちてますね(4千万ドル→7百万ドル)。私も週末に観ましたが、ミュージカルなのがねえ。ガガ様は良かったけど。よくできてるんでしょうけど、まあ、私好みではなかったです。賛否が多いと言うのは知らずに観ました。予告編のみですね。
酒匂さんに同感。誰も期待していない物語を、これほどのお金と手間をかけて作り上げるとは。メジャーのプロデューサーがよく許したものだと感心してしまう。冒頭のアニメと、劇中歌の歌詞がイヤというくらいに全てを説明しちゃってて。ガガ と ホアキン の歌と絵力で辛うじて観ていられるが、アンチクライマックスな法廷劇を寓話とミュージカルで粉飾した感じ。前作に対するアンチテーゼだとしたら、痛々しいくらいの制作側の自意識過剰。気持ち良いくらいの、今年のワースト。
映画業界の人は映画知らないwwwwww
作品内でリー(ガガ)の歌やミュージカル シーンが多いなと感じたのですが、観ているうちにそれさえも、アーサーがジョーカー信奉者にスポットライトを奪われていくことの暗喩と思いました。賛否の否が多いとは聞いていました。その心情はあの映画内でジョーカー信奉者が傍聴席を去ったのと限りなく近いような気がしてしまったのですが……もしそうであるならそれこそ笑えない、薄ら寒い恐怖を感じます。前作と同様に重い内容で、未だに不気味に鳴り響く弦の音とアーサーの悲しい笑い声が耳の奥に残っています。
内容的にはここまで酷評される作品ではないし、つまらなくはないけど、ただレディー・ガガとミュージカル調がノイズでしかなかった。後、ホアキン・フェニックスが心配になるわ、ジョーカーではあんなに痩せてボーではあんなに太ってるから
ジョーカーではなくアーサー・フレックの物語だと思いました。周りの熱狂は教祖を祀り上げるオウム真理教の選挙戦を見てるようでした。ジョーカー≒麻原◯晃、アーサー・フレック≒松本◯津夫
前作の時点で大半の観客はアーサージョーカーの虚像と実像は百も承知なので、そこの答え合わせの続編をやった所で、まぁそうなるよな。としか思いませんでした。少数の過激な観客への戒めを意識しすぎたのが大コケ、酷評の原因ですね。どうせ続編やるならあのジョーカーがバットマンのライバルになるのが観たかったなぁ
まず、この映画は、ジョーカーの話ではありません。前作も含めて、あくまで「アーサーフレック」の話で、しかも、彼の道を外した瞬間から、最期の末路を描いた2部作でした。で、ここから、自分が気になった箇所を!①ジョーカーは「人物」ではなく、「象徴=アイコン」。「象徴」というのは、いつの間にか、誰かが勝手に作り上げた物で、例え、それが実在しようがしまいが、熱狂している人間には関係ない。アーサーは生放送で殺しを行い、格差社会の底辺にいる人間たちから、上級国民たちに対する怒りを表す代弁者とされてしまった。その熱狂は生放送での裁判でも同じく、ジョーカーのメイクで挑んだら、ジョーカーは存在しない。と言われたら、熱狂した信者たちは幻滅することに気づいていない。だが、アーサーはジョーカーという仮面を脱いで、アーサーとして自由になりたい。この違いを理解できなかったのだと、思いました。②リー(ハーレイクイン)は、我々である。問題を起こした人物について、起こした問題を追及するのはいいが、その人物の存在自体をまるで子供のオモチャのように無責任に扱っていないだろうか?面白がって近づいて、飽きたら離れていく。例え、その人物の命が無くなろうが関係ない態度している。「中身」をキチンと見てあげているか?面白がるためには、リーみたく平気で嘘、ついていませんか?などと、問われているように感じました。③正義とは、果たして何なのか?ハービーデント検事が、アーサーについて追及していた裁判で、我々に見せていた様子は、正義なのでしょうか?もちろん、裁判でアーサーの罪状について追及するのは被害者がいるから、当然です。ただ、その裁判自体、テレビカメラが入り、熱狂的な信者たちが裁判所をとり囲む自体、不自然ではないだろうか?もし、本当に裁きたいと思うなら、最初から傍聴人すらいない完全非公開の裁判にすればよかった。例え、アーサーからの願いであっても、本当に罪を罰したいだけなら、それが可能だったはず。しかも、裁判長が「ショーにするつもりはない」と言いながら、カメラスタッフや傍聴人を退廷させなかった。つまり、アーサーの裁判すら、大がかりなエンターテイメントショーであり、アーサーが自らジョーカーがいないと証言したことにより、判決によって有罪が確定した。で、この判決を言う直後に爆発が起きた。つまり、裁判をエンターテイメントショーにしたことの罰が、法廷に降りかかったのでないだろうか。この裁判に正義があるのだろうか?④ジョーカーは感染するウィルス。ラストに同じアーカム収容所にいる囚人から刺されて、アーサーは亡くなる。あの倒れ方は、前作のオープニングであった悪ガキに看板を盗まれ、追いかけたら反対にボコボコにされ、倒れた直後にタイトルロゴが出たときと、似ている。つまり、アーサーの物語の開始と終了を表した、いい表現でした。ただ、違うのは、刺されたアーサーの後ろで、刺した人物が笑いながら、自ら口を裂く。つまり、彼が第2のジョーカーになり、年齢からいって、我々の知るバットマンのヴィランである「本当のジョーカー」になるのでないだろうか?だから、「ジョーカー」は象徴でありながら、誰にでも感染するウィルスである。さらに、このことを表現しているのが、裁判所の爆発の直後である。ハービーデント検事の顔に近づいていき、ハービーの顔が左半分、真っ赤な血を流して火傷した顔。右半分がホコリ被っていながら、前の顔のまま。これは、ハービーデントが後に、「トゥーフェイス」というヴィランになる(実写映画なら、かつてトミーリー・ジョーンズや、アーロン・エッカートが演じた)。これは監督なり表現だが、法律の世界にいる人間たちも、一歩間違えれば、裁かれる立場になるし、ジョーカーに感染してしまえば、第3、第4のジョーカーに代われる存在になるという暗示だと考えます。⑤虚構(フィクション)から現実(リアル)に。前作「ジョーカー」を公開された後、アメリカではホワイトハウス集団襲撃事件が起き、日本では「ジョーカー」に感化された男が電車内で似た格好をして傷害事件を起こした。さらなる格差はさらに広がり、この映画の前週にはアメリカ合衆国で内戦が起きたらという内容の「シビルウォー」という映画が大統領選挙前に公開された。あと数年したら、本当にテレビ番組で実際に事件を起こす人間がいてもおかしくない。しかも、そういう人物が起こした犯罪が次第に大きくなり、「シビルウォー」のような話になる。ならないとは、確定して言えない。あくまで映画内に抑えていたことが、次々に現実へ侵食してくるだろう。「フォリア・ドゥ」では、アーサーの知らない間に「ジョーカー」は映画内現実に侵食し、次々と多くの人を感染させていった。明日には、どこかの国。いや、日本でも「ジョーカー」を産み出しているかもしれません。ちなみに、日本ではすでに「貞子」という映画内キャラが一人立ちして、映画の世界から現実に侵食してますが……!最後に、シネマサロンという、この映画チャンネル。作品によっては、かなり過激な意見を皆さん、言われることがありますが、果たして、その意見。どこかでジョーカーを生んでいると考えているのか、いないのか……!
赤サングラスの男の方がジョーカーよりも、はるかに狂気を感じた。シビルウォーになったら、ジョーカーどころじゃない!もっとヤバい奴らは世界中にいっぱいいそうだ…
レディガガって女優とかしないで、歌に専念したほうがいいと思う。歌手なんだから。外見がチャーミングじゃないんですよ。顔が可愛くない。この映画、恋愛ミュージカルでしょ?お金払って映画観るなら、かわいい女優さんをみたいですよ。「ニューヨークニューヨーク」のライザ・ミネリ、かわいいでしょ?「スタア誕生」のバーブラ・ストライサンド、かわいいでしょ?「ラ・ラ・ランド」のエマ・ストーン、かわいいでしょ?ミュージカルとか恋愛映画のヒロインは顔が可愛くないとダメ、歌が上手いだけじゃダメ。
評価はさまざまですが、興行収入少ないが、そういうことなのだと思います。ほとんどのシネコンで21日以降は一気に縮小になるでしょう。私は46歳ですけど、ほんと世の中嫌なことばかりなので、映画観る時ぐらいはスカッとしたい、感動したい、よかったあーと思いたいのですが、それとは真逆の映画なんですよね。ほんと救いがない。通常料金2000円で嫌な思いしたくないですし。そもそも作る意味もなかったと思います。次のDCはスーパーマンらしいですけどこれもオオコケでしょう。DCコミックの映画化はしばらく凍結になると思います。よかったと思う人には、すみません。
賛否両論とか、そもそも?😵他人がどんな評価しようが、先ずは、自身が鑑賞して、どうだったか、それに尽きますね、僕は。と言いながら、僕は未鑑賞のまま、この動画を視聴ということに😅
この作品より、鑑賞したい作品が豊作の秋なので、手が回らないまま、今に。
アメリカでの史上最低の映画とのレビューを見て 映画館に行くのをやめました😢
レビューに惑わされずに、ぜひ劇場でご自身の目でご確認ください!
全く私見ですが、映画ファンでこれを劇場で観ないのは勿体ないってくらいの映画でしたよ。
ジョーカーなのに弱すぎます。ハーレイとの力関係もジョーカーらしくありません。薬品タンクに落ちる前のエピソード1にしては、2人ともトウが立ちすぎているような? 過去の話なのにマーゴット・ロビーよりレディ・ガガの方が年上なのがちょっと?
歴代ジョーカーにあった狡猾さやサイコパス感がまるで無かったし、悪のカリスマには見えないよね。
その先入観がそもそも間違っているだよ…という決定打を打ったのが今作なのに、彼ら、キミたちは一体どんな幻を見ていたのか…?きっとアドゥしちゃったんだろね😉
私は今作はイマイチでした。理由は、アーサーが法廷最後に証言を変えた心変わりに、アーサーとしての一貫性を作品として感じさせられていなかったと感じたからです。そして、その不自然さは、(映画の内在性から出てきているのではなく)前作に対する外の世界に影響されて、映画の内容を外から歪めてしまったところに起因していると思われました。私は、(ジョーカーを過度に肯定するにしろ、過度に否定するにしろ)前作の外の世界の影響に屈した時点で映画の敗北だとの感想を持ちました。(一方で、私自身は現実にも現れたジョーカー信奉者のようなテロリズムに対して、現実では心底否定的な立場です。)終盤の法廷で、アーサーとジョーカーは精神的に分離している精神病だから罪に問えないと(つまりジョーカーのカリスマ性の否定)の主張の弁護士をアーサーは解任し、本人弁護でアーサーとジョーカーが一貫している(すなわちカリスマ殉教者として死罪を受け入れる主張になる)との主張をアーサーはジョーカーのメイクで法廷で展開します。その証言内容がTV中継を見ていた看守たちの怒りを買い、刑務所に戻ったアーサーは看守たちに暴行され、あげく自分を信奉していた若い囚人がその時にその看守に殺される声を独房で聞きます。アーサーが心変わりしてジョーカーの存在を法廷で否定したのは、その看守の暴行と若い囚人の殺害に遭遇した後の出来事だと記憶します。しかし、私はこれは変だなとは思われました。なぜなら、アーサーは、幼少期からの虐待や周囲の無理解の積み重ねによってジョーカーになっていて、であるなら、さらなる看守の理不尽の暴行や自身の身近な若い囚人の殺害によってジョーカーの存在を否定する考えに至るのは、アーサーにとって一貫性がなく不自然に思われたからです。アーサーが証言をひるがえす心変わりの理由は、映画やアーサーとしての一貫性のためにもっと強い何かが必要だっとと思われます。今作への批判や酷評は観客が思っていたジョーカー像が否定されたからだ、という主張もいくつか見かけました。しかし私は、今作に対する多くの観客の批判や酷評は、理想のジョーカー像かどうだかではなく、映画の内在性から自然に求められるアーサーの心の動きとは異なる最後の証言のひるがえしに対して、不自然に感じたのが理由だと思われました。また、今作でジョーカーではなくアーサーを描きたかったのであれば、ジョーカーを信奉しているリーとのミュージカル調含めたエピソードを中心に描くのではなく、アーサーの人物像の方を掘り起こす物語構成にする必要があったと思われました。リーはジョーカー信奉者の象徴であるのはその通りですが、映画の大部分をリーとの関係描写に使い、結局はリーはジョーカーしか見ておらずアーサーを見捨てる存在として描きたかったのであれば、この映画は、初めからアーサーの実存的な生き様を描く映画というよりも、リーに投影したジョーカー信奉者を否定するための映画だった、との結論になろうかと思われます。すると、私達が映画を信頼している理由だと思われる、多面的重層的で功罪があり、一筋縄ではいかない関係性の中でもがく人間そのものの内在性から来る存在の肯定でなく、今作は、前作で起こった(肯定的にしろ否定的にしろ)外野の反響におもねった、人間存在の否定の、不自然な帰結の映画になっていると思われました。なので、一般の観客の多くは、ジョーカーが肯定されているかそうでないかといった表層的な話をしているのではなく、もっと深い、本来の人間存在の一貫性ある肯定をしているのかそうでないのか、に反応して、今作を批判し酷評しているのだと感じました。仮に、アーサーの物語にするなら、アーサーを理解する人物配置や、仮にそれが出来ないのであればアーサー理解者のいないという意識した物語構成が必要だったと思われます。そこから考えるとジョーカー信奉者のリーの配置の偏重さは不自然過ぎると思われます。私はジョーカーの信奉者のリーとの関係にほとんどの時間を割いて、最後にリーはアーサーを見ていなかったとの描写は、アーサーやリーの人間存在(の肯定や、いわれなき圧殺、あるいは存在を肯定した上の批判)を描いていたというより、ジョーカー信奉者に対する外野的価値観からの否定に重きが置かれた、私にとっては悪趣味な映画になっていると思われました。つまり、アーサーの物語というより、アーサーを利用したジョーカー信奉者否定プロパガンダになっていたということです。(たとえジョーカーを否定した物語であっても、初めからアーサーの一貫した存在肯定の映画になっていれば、多くの人が別の意味で称賛した映画になっていたと思われます。)映画は、外の世界の圧力に屈して人間の存在を潰してしまっては、映画そのものの内在性の否定なのではないでしょうか?そしてそれに対する異議申し立てを今作に対して批判や酷評を通して伝えようとしている多くの観客の感性は、深く正鵠を射抜いていると私には思われました。もちろん、その今作の酷評や批判は、根源的なこの映画に対する人間存在を外野の価値観に明け渡し歪めようとしている本質を否定的に突き刺しているのであって、その描写自体に全く見るべき点がなかった訳ではなく、見る価値が全くなかった訳ではなかったとは私も思われています。しかし、直感でこの映画はダメだつまらないと感じた多くの観客は、惑わされず、その自身の、自身に限らず様々な人間存在を肯定したいという根源的な感性を、最後まで信じてあげて欲しいなと思われました。
私はDC映画とアート映画の両方を好むたぶん少数派の者です。映画には竹内さんとほぼ同じ理由で満足してます。
前作から「現実と虚構が入り混じる作風」だったので今作は最初から注視していたのですが、2回目をIMAXで観たら驚くべき演出に気づきました。この映画、おそらく現実と虚構で画面アスペクト比を使い分けてます。明らかに虚構のミュージカルシーンは全てIMAXサイズで、アーサーの日常風景やジョーカーの最終弁論など明らかに現実のシーンは全て2.20:1でした。自由に広がる虚構と、狭く閉じ込められる現実、というメタ表現かと。
1回目の観覧ではどちらか判別しにくかった現実離れしたシーン(4色の綺麗なパラソル、病院で歌うアーサー、ハーレイがアーサーに夜這い、ハーレイがアーサーの家に行く、法廷が爆破されてアーサーの逃避行など)は全てIMAXサイズの虚構でした。なおハーレイも2.20のシーンがあったので竹内さんの読み通りハーレイは映画内現実に存在してますよ。最後にアーサーが刺される場面は2.20なので現実ですが、一度ジョーカーが腹をピストルで撃たれる妄想を挟んで、再び病院に戻ってアーサーが明らかに死んでるラストショットはIMAXサイズのままでした。つまり「アーサーが絶命して後ろで笑いながらナイフで口を切り裂いてる青年にジョーカーが継承された」のは虚構ということになります。もしかしたらIMAXサイズは単純に「現実ではない虚構」と見なすよりは「ジョーカー的な狂った何か」と含みを持たせて解釈した方がより正しいかもしれません。実はこの二代目ジョーカーが最初に映画に出てくるのは序盤の病院の日常生活で2.20のシーンで、この青年には台詞も何も無い1秒程度のワンショットがあるのですが、そこだけわざわざIMAXサイズにしてました。つまり映画の序盤で画面サイズを使ってジョーカーの継承者を予告していたものだと思われます。
IMAXで観てみたくなりました。
@meciter3405さんへ
私は池袋のIMAXで観ましたが、確かに上下フルサイズになるシーンが期待以上に多く全編の半分くらいはそうだったと思います。
だから歌って踊るシーンはあの巨大なスクリーンサイズに浸ることが出来て好きでしたねえ。
通常のレーザーIMAXだとこのシーンは少し上下が拡がるわけですよね?
だからとにかくどのIMAXで観ても少しは拡がるということで現実と虚構の違いは意味ある差としてわかるわけですよね。
1回しか観ていないので現実と虚構との違いとして区別などしなかったのですが、おっしゃる通りの区別の仕方であっているのではと思いました。
そこで伺いますが独房にハーレイが裏で手をまわして入ってきたというシーンでセックスまでするというあのシーンもサイズが拡がっていましたか?
あのシーンは特にのめり込んでみていたせいか((笑))私は記憶にないのですが・・・・
あれが独房での虚構ということならスムーズに全体を理解できますね。
独房に入り込んでセックスまで出来るわけないだろう!と文句を言いながら観ていたので(笑)
それなら結局ラストで「息子が欲しかった」と言うセリフにも納得がいくし。
法廷爆破のシーンやあの名所の階段シーンにも納得!
こうなるとレーザーIMAXの他の劇場でもう一度見てみるしかありませんね!
@@musclepooh さん
私も池袋のIMAXレーザーGTで観たので、残念ながら通常IMAXでの挙動は確認しておりません。先のコメントでは言葉を端折ってしまい、すみませんでした。ただ予告映像や国内海外の各種SNS投稿から判断するに、通常IMAX用の1.90:1の左右を切り取ってレーザーGTの1.43:1を製作しているのはほぼ確定なので、画面サイズの変更箇所は1.90と1.43で同じだと思われます。この見分け方を知ってから1.90のIMAXで観覧して納得したという声もありました。
ご質問にあるハーレイが独房に夜這う場面はIMAXサイズでした。しかし実は一点だけ不整合を起こす箇所がありまして、ハーレイが「妊娠した」と言うシーンは通常サイズでした。独房が虚構なら、現実でこの台詞は矛盾します。私はこれを①ハーレイにも妄想が感染していたから想像妊娠した(二人狂い説)か、もしくは②ハーレイは精神科の医師(医学生?)なのでアーサーの妄想癖を見抜いてハッタリを言って反応を観察していた(ただの嘘つき説)(うろ覚えですが父親が誰かは明言してなかったような気もします)、のどちらかだろうと解釈しています。
@@meciter3405 さんへ
ご返答ありがとうございます。
そうですか。ハーレイが「妊娠した」と言ったシーンは通常サイズでしたか!
あのシーンは裁判所爆破後の逃亡シーンで地元のあの長い階段を登りつめたところでのセリフですよね?
だから上下拡大された虚構シーンの中でのセリフだと記憶していたのですが、今一度はっきり覚えていません。
ただハーレイのはったり説が有力だと今勝手に思っています(笑)
@@musclepooh さん
少し記憶違いされてますね…
ハーレイがアーサーに妊娠を告げるのは裁判が始まってすぐに弁護士を信頼するなと警告する場面です。なんなら妊娠を告げられてアーサーは強気になって翌日に弁護士を解雇したとも言えるかと。爆破後に階段に行った時には逆にアーサーから妊娠してるなら一緒に暮らそうと声をかけますが、ジョーカーじゃないアーサーに興味がないハーレイは冷めた目つきで無言で立ち去ります。こちらの場面は仰る通り上下に拡張された画面サイズでした。
ジョーカーは死なない、ジョーカーはどこにでもいるという竹内さんの話はちょっと感動してしまいました
この映画、傑作だと思ったんですが、世間が酷評ばかりで寂しい思いをしていたとろ、竹内さんの評を聞いて救われました。
アーサーの最後の微笑みがたまらなく良くて、また観に行く
劇場で観て「大正解!」と満足しました。ストーリーよりも、ガガとフェニックスのデュエットとダンス、そして全編貫くビジュアル、特に色彩が素晴らしい!一級のアート映画だと思います。
ただ、ストーリーに拘ると期待感はみごとにかわされるので、賛否が分かれるのも当然です。でもこのような質の高い作品がこれからも創られ続けて欲しいものです。
1時間ずっとジョーカーを語る竹内さん!他者に惑わされない独自解説に映画への深い愛情が伝わってきて、心を動かされます。プチ感動です✨フラットな視点、大事ですよね。全く観る気なかったんですけど、観てみようと思います。この動画ホアキンに見せたいです✨✨
最高に切なく素晴らしい作品でした!
1、2も「アーサー・フレック」の物語として鑑賞していたので、何の違和感もなく心にずっしりと残りました
とにかく、ホアキンフェニックスの表情、瞳に魅了されてしまいましたし、どこを切り取ってもアート作品となりますね
裁判での同僚ゲイリーの発言は監督の伝えたい事として強く受けとめました
沢山のことを語り合いたい作品ですね☺️
今回のジョーカー、最高でした。
前作から一貫してジョーカーは個人ではなく概念として描かれている映画であると解釈できていれば何の違和感もなく、優れた大作アート映画として観れるんだと思います。
DCコミックが土台なので賛否が別れるのは解ってましたが、
正直続編作る時点でハードル駄々下がりだった自分の視点からすると、ここまで振り切らないと肯定派の層を唸らせるには至らなかったとも思います
評価も低いし何で続編なんか作ったんだとトッドフィリップスやっぱり信用できないと思ってました
ガラガラのiMAXで観ましたが映画人としての真心を感じる簡潔に仕上った挑戦的な傑作でした
ホアキンが引き受けたのも必然だなと思いながらラストは泣きました
今日観てきました。悲しくて重くて好きでした。ちなみに、若い女性が鑑賞後「涙出そうになってきた」って言ってたので、ばっちり若い方にも作品の主旨が伝わってましたね。
コメントand若い方の反応情報ありがとうございます!
観た後にドヨン〜とした鑑賞感は結構好きで、ただ面白かったでは物足りないので観てみたくなりました。
私はバイク旅の旅先のシネコンで見ましたが、震えるほど感動しました。竹内さんの作品理解と感想と全く一致してます。前作を軽々超えました。ここ5年間で見た映画のなかでは、ナンバー1です。世間で賛否両論、世界興行が惨敗なのも知りませんでした。ジョーカーは悪魔に魅入られた男で、その悪魔性は彼を悪のカリスマに押し上げ、悪魔性を人々に伝播しましたが、最後にその悪魔に突き放されます。それは、悪魔が、ジョーカーがリーに愛を感じたことを善しとしなかったからではないでしょうか。また、リーも彼から愛を求めていたわけではない。本作は悪魔性の伝播を描いてたから、次作はキャスト一新して「神と悪魔の戦い」を描くため、バットマン登場かな、と思いましたが、興行成績的に次はトッド・フィリップスはないだろうから、その点は単純に残念に思います。
今回の竹内さんのおはなし、いちいち頷いてました。
竹内さんの見解は今回特に明晰で分かりやすかったです。
リーもジョーカー新派たちと同じく奉りまくって煽って、挙げ句にあんなことになる。
フォリアドゥも竹内さんの今回のおはなしもとても良かったです。
(^^)
自分個人的にはガガ(リー)と看守たちは特に素晴らしかった。
ひげ剃り、テレビを見上げてるシーンはヒリヒリしました。自分も今年の重要な1本になりました。
期待しながら賛否あるのも聞いておきながらワクワクしながら観てました。
上映中は全く賛否がどうだとかは遥か彼方に置き忘れて作品に没頭できました。
ホントに語りあいたい語りがいのある作品です。
ホアキンお疲れ様でした。
「竹内さんこっちの方が好きって言いそう」ってTさんが的中したくだりと、脚本地味だけど後の祭りでGOサイン出しちゃったんだろ?っていう雑予想めっちゃ笑いました
これからも雑予想やります!
とても面白かったと思います。
コウモリ男に思い入れがないので前作のジョーカーと今回のフォリ・ア・ドゥは2作とも非常に楽しめました。
観に行く前のアメリカでの評価が散々だったので心配しながら観に行ったのですが、始まったら「アーサー」の物語に引き込まれてしまいました。
哀しいけど深くて凄かった!泣きました😭
1より良かった、絶賛派です!😊
・・久しぶりに劇場で2回観ました。
周りの映画を沢山見てる友人は、褒めてる人が多い印象です(アメコミとして見なければ)
ジョーカーの続編を作った経緯が竹内さんと酒匂さんのミニコントが外れてなさそうなのがこわいですよねw
映画として面白かったかと問われたら、そこそこの映画でしたが、映像の美しさやオシャレさに圧倒されたので、映画館で観て良かったです。
コメントありがとうございます!
おっしゃる通り映画館で観て良かった作品でした。
私も傑作だと思いました。今年1番かも笑ジョーカーは死なない。なるほどな〜
『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』
良かったです♪
期待を上回った出来の前作を超えるほどではないですが
続編がしっかりと造られてそれがリアルタイムで鑑賞出来たことに感謝ですw
とてもとは言えませんが
良かったと思いますww
最後にこの動画の長さにお三方の熱を感じますw
ありがとうございます♪
待ってました♩
竹内さんの解説聞いてるとなんかいい映画に思えるようになりました(笑)
送り手は前作でのjoker信者を含めた観客の幻想を破壊するために本作を作ったのだ思います、それだけでそんなに金をかけるとも思えないけどね
私はこのジョーカー良いと思いますよ
見終わった瞬間は複雑な感情が入り混じってましたが、非常に素晴らしい作品だったと思っています。
一方で賛否両なことも理解できて、予告にあったジョーカーとハーレクインが裁判所の前で信者たちに囲まれて踊るシーンのようなヴィランの復活を見てみたかった気持ちも自分の中に少しだけあるのです。
一本の映画として満足しつつも、仄めかされたもう一つの展開も見てみたいという意味で、すごく印象に残る作品でした。
1作目に熱狂しなかった口なので、賛否両論ということであとまわしあとまわしで、公開から3週たってから見てまいりました。
おっしゃるとおりエンタメじゃなくてアートでしたね 素晴らしかった
前半ホアキンとガガなにやってんのから、ホアキンとガガでなければ成立しないにみていくうちに自分の感想がかわっていったことがおもしろかったです
ヒットしなかったことで新たなカルト映画となる気がします
劇場公開時に不発からの数年後に高評価、おっしゃる通りカルトの王道路線ですね。
こう来たかと思って楽しめました。DCとかに思い入れが薄いからでしょうか。自分の作りだした虚像に翻弄されているところとか、サブタイトルからすると、リーもアーサーに影響を与えていて共鳴していたのかなと思いました。
観たかったものが観れなかったから否定するような感想に溢れているのが残念だったのですが、竹内さんのお話を聞いて溜飲が下がりました。僕も1より2の方が好きです。アーサーにひとときでしたが、幸せな時間が流れたので😢。でも、あれも妄想だった可能性もあるんですよねぇ…。
個人的には「否」の感想なのですが、動画の方は楽しく拝見しました。
少なくとも、逆張りとは全く思いませんでした。
それと酒匂さんの、実際に映画を観て確かめてみなければ分からない、というのは仰る通りだと思いました。
この場をお借りして謝罪いたします。私の失言でした。
竹内さんが最後の方におっしゃってた、「前作の最後に出てきた牢獄に捕まってたキャラクター」というのは「THE BATMAN ザ・バットマン」(2022)のポール・ダノが演じるリドラーのことではないでしょうか。大変不躾なコメント申し訳ありません。
アーサー視点の恋愛鬱映画としては普通に面白いと思いました。
深読みどころも多いので、批評家にはそこそこウケるんじゃないかと思ってたら、恋愛鬱映画に理解ありそうな人も酷評していて驚いています。
ミュージカルシーンがいまいち盛り上がらかったのはちょっと残念でしたが、ジョニー・キャッシュが好きなのでホアキン主演の「ウォーク・ザ・ライン」風の夫婦漫才シーンがあって個人的に面白かったです。
ジョニー・キャッシュは「Devil's Right Hand」という歌をカヴァーしているんですが、マザコン感のある男が銃で人を撃ってしまうという歌詞で、ジョーカー第一作やカミュの「異邦人」とか「ボヘミアン・ラプソディ」のような雰囲気があって、オススメです。
動画はそういう見方もあるかというので面白かったです。
竹内氏の「品格がある」「これだけの密度のある映像作品は滅多にない」という見解については、同意はするものの、本映画のメインのテーマってメタ的に「そうやって崇め奉る視聴者を糾弾すること」でもあると私は感じたので、酒匂氏の芸術映画と言ってごまかしたとしてもこの内容でここまで贅沢に金をかけた作品を作るのはどうなのか、という指摘にわりと共感した感じです。
けど「ジョーカー」「ハーレイクイン」という非常に歴史があって人気のあるコンテンツだと、とにかくそれらしいキャラクターが出さえすれば予算がついて作れちゃうんだなーと思った感じです。
コメントand共感いただきありがとうございます!制作決定者の意見を聞いてみたいものです。
観てみようかなぁ
公開前観に行きたいと思っていた所にミュージカルで米で大コケしていると聞いてしまい観るの迷いましたが、昨日観に行き面白かったです。役者の演技や絵作りは最高でドラマの延長にある歌唱シーンは違和感をあまり感じなかったけど、アーサーの内面と思われるミュージカルシーンは唐突感があり残念な感じでした。
1作目では左右の利き手でアーサー(右利き)とジョーカー(左利き)を描き分けていたと別コメで観たのですが、本作をその視点で観れていなかったので、どう描かれていたか気になりますね。唯一覚えているハーレーがアーサーと出会った序盤で右手で自身の頭を打つしぐさをアーサーに見せるのはアーサーを殺せと暗示していたのだと感じました。
ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ
ラストのシーンが唯一の現実で、その後の息絶えるまでの僅かな時間での回想と妄想が本作に於ける物語の全てでしょうね。
前作は公開時に鑑賞済みでしたが、うろ覚えでした。本作は明らかに続編で要所要所で思い出されせてくれる仕掛けもありました。
母と暮らしていたアーサーは愛されてこなくて鬱屈した感情が段々と偏屈化していって産まれたのがジョーカーという人格でした。だから心の奥底では愛されがたっていて、その想いがリーという幻想の恋人として妄想上に現れたのでしょう。
このどこまでが幻想や妄想なのかとの判断は観客次第でどうとでも理解が可能です。きっとそれによって本作の解釈は様々に及びます。
本作、個人的には前作の衝撃を超えませんでしたが、十分に見応えのある作品でした。
ダークナイトもそうでしたが、DCシリーズ最大かつ唯一無二のキャラクターのヴィランであるジョーカーだからこその作品ではないかと。
本作は、観る人によって様々な解釈が出来る余地がふんだんに含まれている気がしましたので、正解は一つでなくてもいいと思います。
ちなみに、竹内さんのおっしゃられたエンディングは前作の「ジョーカー」ではなくて、違う世界線の作品の「ザ・バットマン」ではないでしょうか。
あちらの主役ヴィラン「リドラー」が刑務所に入れられて、隣の房の囚人が声をかける場面がありますが、おそらくその人物こそが ”あちらの世界”のジョーカーだと思われます。(バリー・コーガンが演じていたらしいです)
ザ・バットマンの続編が出れば、新しいジョーカーが観れるのでしょうね。
コメントand情報ありがとうございます!
私は面白かったです!このミュージカルと言って良いのか違うのかのギリギリのライン。
歌がオリジナルと60年代くらいのjazzやバート・バカラックをごちゃまぜに歌っていて「え、この曲何??」という感じが連発。レディー・ガガの歌がいいのは当然として、ホアキン・フェニックスがここまで歌って、それがすごく味がある点に驚きました。
善悪を超越した自信にジョーカーの魅力を感じますが、一方で生身の人間の苦悩や揺れがアーサーにはあり、私は前作からこちらに興味をひかれていました。そのせいか、たいへん面白く今作を見ました。
御二方が評価してくださり、とても嬉しく、自分の感想に自信が持てました😅
鑑賞を悩んでました。レビュー見てハードル激下げして来週見に行ってきます。
前作のジョーカーが結構ギリギリまで悪徳に寄せた快作であったのでその続編となるフォリアドゥは一変、
とことん罪を悔いて終わる結末にしたことで作者の良心が透けて見えました。2本で一本の映画かと。😊
賛否両論なのは、メジャー映画は「共感しやすいもの」を求められてしまうからなのかなーって思いました。でも本来は、批評性こそ、メジャー映画に受け入れられるべきですよね‥😢
吹き替え、字幕で計2回の観賞で終了しました。
爆破シーンでお金使い過ぎたのかな?
ハーレイの存在でダークヒーローとして確立するジョーカーを見たかった…こんな勝手な期待をしてしまったが故に裏切られた感を感じてしまって残念だった。
そうなりますよね。
予告編でハードルかなり下がりました💦
自分はDCコミックに興味はなく前作ジョーカーを「万引き家族」、「パラサイト半地下の家族」と同じ地平の格差社会、貧困が産んだ男の狂気の映画と観ましたので今作も全く違和感を感じませんでした。
ジョーカーファンはリー(ガガ)と悪の限りを尽くす映画を期待したのかも知れないしミュージカル仕立ては不満だったのかも知れない。
フォアキン・フェニックスの人物造形が素晴らしく歌も上手いしタップも本人?
僕が大好きなスタンダードナンバー「BEWITCHED, BOTHERED AND BEWILDERED」(魅惑されて)を歌ってくれたのも嬉しかった。
映画のオープニングのアニメがよくできていて楽しかったのだけれど、この映画のテーマは殆どこのアニメが言い尽くしていたのかも知れない…と思いました。
竹内解説でかなり腑に落ちたところもあったので、少し間を空けてもう一度鑑賞したくなりました。
遅れてしまったのでここで言及させて下さい。【シビル・ウォー アメリカ最後の日】IMAXで観なきゃです!今年自分のベスト級。めちゃめちゃ面白かったです!ヘリコプターから爆撃するシーン、かっこよきです!(あくまでも映画に対しての感想です)ショットを挟む演出も印象的でした。最初慄いている新人カメラマンの少女が徐々に戦場の狂気を撮る事に生き甲斐を感じ。。。松田優作主演の怪作『野獣死すべし』の狂気な戦場カメラマンを想起しました。ラストシーンも余韻を残し好きです。
私は賛です。
この映画は映画についての物語だと思いました。
観客を堕落させることもできるし、戦争に駆り立てることもできるメディアであると同時に、死のうと思っている人間や疎外されていると思っている人間に救いを与える事もできる。
前作と今作で1本。どちらが表でどちらが裏かがその都度捉える人によって目まぐるしく変わると思います。
ハル・デイヴィッドとバート・バカラックは本当に素晴らしい曲を書いたなあ、と改めて思いました。
どちらにせよ、映画を観るためだけに私たちは生きている訳ではなく、映画とは実人生が豊かになるための一助であるものだと私は思っています。
悲壮感のある重々しいストーリは日本人向けな気がする。
海外での酷評に比べて、日本では賞賛意見が多いと思いますね。
まぁ、自分はもう少し派手な展開を期待しましたが(笑)
前作に熱狂した殆どの人が今作にはガッカリすると思いますが、トッド・フィリップス監督の狙いはむしろそこにこそあるのではないか(前作に熱狂する人々をたしなめるという狙い)という気がしました。なぜ前作は良くて今作はつまらないと感じるのか、安易につまらないと断じる前に、一人ひとりの内省・反芻が求められる作品だと思います。
コメントありがとうございます!
監督の狙いはおっしゃる通りかもしれませんね。
ワーナーの経営陣はどう思ってたのかどうしても気になります。
私は前作大好きですが、本作を見てさらに前作の評価も上がりました。
観ました
鑑賞後感が似てると思ったのは「金田一耕助の冒険」でした。
コメントありがとうございます!
金田一耕助気になります!
ハービーデント検事が爆発で顔半分やけどみたいになってたので、いよいよトゥーフェースになるのかなーと思ったら...ならない。アーサーも逃げたのでいよいよジョーカー誕生...にならない。わざとそういう期待を裏切って作ってると感じましたが、この作品は嫌いではないです。
コメントありがとうございます!
おっしゃる通り監督は確信犯でしょうね。
20キロ位減らしたそうですね
前作それほどハマらなかったので過度に期待せずに観れたのが良かったです
前作見終わった時これバットマンに絡めていくのかなぁ?と思ったけど完全に前作を閉じる作り
ジョーカーがアーサーに戻る
独立した二作だったんですね
楽しみました
自分が行った回は高校生カップルが二組くらいいたから感想聞いて見たいなあ
俺は賛なんだけど、WBが何故止めなかったんだろう、と言うのは凄く思います。劇中でアンだけ罵倒されてるし。凄い度量なのか、罵倒されるだけの事はある馬鹿なのか。
俺はアーサー対ジョーカーの話で、リーがヴィラン、つまり本作のジョーカーはリーだ、と言う見立て。
冒頭では、二重人格の枠にはめたい弁護側と、あくまでもアーサーの犯罪だと立証したいハービー側の内、アーサーが味方と観てるのはハービー(これは前作のマーレ―の再話でもある)。
リーに心は開いてない。利用しようと、つまりジョーカーとして名が売れた事によるご利益と見做してる。当然、リーの側も利用しようとしてるのは分かった上で勝てる(アーサーとしてモテるようになる)と思っている。が、早い段階で妊娠の件で一撃喰らう。
法廷でダメージ喰らって忌避してたジョーカーとしての立場に逃げ込み依存する辺りのリーとの攻防が、ミュージカルシーンに度々本作本来の劇伴曲、ストリングスが被さる事で表現される。
挙句、前作で仕込まれていた「加害者としてのアーサー」の立場を突きつけられてジョーカーを演じるのを降りる、事でリーの誘惑に勝ったと思いきや、、、。
なので、俺がショックを受けたのは階段で自分の外側のジョーカー、つまりリーに、今更に縋ったシーンでした。刺されるのはDCファンへの御愛想でしょう。
「みんな道化しか求めてない」と歌うシーン、多くの前作ファンとWBへ投げつけた罵倒が、本作の眼目だと思います。
56:05
前作にそんなシーン、ありましたっけ…?
😮うん、違う作品じゃないかな?ザ・バットマンとか。
@@安井敏樹
やはりそうですよね…
単に、竹内氏の勘違いという事だけならまだしも、
問題は、なぜか他のお二人も同調してしまっているので、勘違いの重複が起きた結果、
完全に滑稽なものになってしまっているんですよね。
私もシンプルに面白く観れてしまったんですけど、たしかにアンチが増えそうだし、よくこのお話で会社の偉いヒトがGOを出したよなー、て思いました。
とは言え、私もジョーカーとハーレイ・クインがもっとハチャメチャに大暴れする様は見たかった...w
正直こちらのミュージカルパートがあんまり楽しくなかったですし...
でもでも、私の中では、真のジョーカー(ヒース・レジャー?)は別にいて、前作終盤の暴動も今作の爆破とか暴動はそいつが煽動してて、リーはその真ジョーカーから派遣されてたのでは?て思っているのでメチャクチャ楽しい作品になっていますw
酒匂さん、脱獄してちゃんちゃんじゃなかったですね😂
口コミが酷いので、どれだけダメ映画なのか観てきましたが、思っていよりも傑作でした!
前作もそうだけど、今回のジョーカーは等身大なジョーカーなので愛着も湧いたし好きなジョーカーです。
でも、世間からは前作で悪のカリスマに覚醒したのだと勘違いをしていた観客が大勢いたと思う。
これまでのジョーカーにあった狡猾さやサイコパス感はまるでないし、悪のカリスマには見えませんでしたけど。
社会的弱者が世間から追い詰められ、どうしようもなくなってピエロの顔を借りた犯罪者になってしまった悲しい男の末路だよね。アーサーの中にたまっていたシャドウってことなのかな?
終始、浮かない酒匂さん。シネマサロン三者中、映画で商いをしている視点からですかね…自分は、やっぱり、最初から竹内さん視点でした。本国や外国は、DCの世界観を求めているのかもしれませんが、自分には、前作や近作のバッドマンが提案された時点でコミックから離れた世界観だと感じていましたし、前作でジョーカーの悲哀、やるなせなさに完全に魅了されたので観る気満々でしかもIMAXを選択し、鑑賞してきました。鑑賞後感も鑑賞中も終始竹内さんと同じ気持ちでした。映像、綺麗で素敵でした。ホント、あの雨のシーンや法廷のシーン、スタンダードナンバーの歌唱シーン、もう、もう…という感じで。
ホアキンが演じるジョーカーが好きで、前作から全く変わらない姿で演じてくれた事に感謝でした。
剃刀シーンのヒリヒリ感は、亡くなった父親が一番怖いのは、床屋で髭を剃って貰う時だと語っていた事からもひとに剃刀を任す怖さもあり、なかなかこわ〜と。
でも、ラスト法廷が爆破されるシーンでここは、ゴッサムシティなんだと思わされました。暗くて、決して社会がきれいな街角ではないこと。コウモリ男が出てきてもおかしく無い世界では、ある部分は、コミックの世界観は、踏襲されてる事に感心しました。
竹内さんのジングル好きでした(笑)
あと、Tさん、酒匂さんはジングル後、「ネタバレでーす」と言うのは、お約束になったのでしょうか。
万人には、受け入れらなくてもすぐに配信になっても良い一作でしたし、ますます前作が愛おしくなりました。
否を唱える人たちが言う『ジョーカーはジョーカーであって欲しかった』と言われます。ですがトッドフィリップスは前作からジョーカーを怪人でなく人間として描いていたので、このラストはとても腑に落ちました。再び20キロ以上減量して挑んだ役、左右の肩甲骨が非対称に歪むほど酷い状況にあるという掴みからやられました、ジョーカーを殺した男がまた新たなジョーカーになる、これは前作のような不条理な世の中を暴力でやり返す!みたいな連鎖でいいの?と私たちに問うている気がしました。
私は圧倒的に讃でした。
お二人の感想を聞いて、面白くなかった。。はダメなのかなぁ〜って気になってしまいました。。
まだまだアマちゃんですネ。。
要するにあのラストは「デウスエクスマキナ」?
後、どいつもこいつも、、、!という作り手たちの本音かと。
ちょっと待って欲しい、映画の内容の良し悪しよりもこの作品をジョーカーとしてだしてるから問題なんじゃないですかね?
批判している人のほとんどが先ずそう思ってると思いますよ。
ミュージカル要素も前作でそういう作りならまだしも、全く違う作品を見せられてるようで、それでジョーカーは完成する言われても受け入れられないですよ。
わかります。
なので、予告編でハードル駄々下がりでした💦
また酒飲んで観に行ってしまってほぼ寝ちゃったんですよね…何も分かりませんでしたw
予想とまったく違う作品ではありました。酷評という前情報、聞かなきゃよかったですね。
10/17山形フォーラムで「【字幕】ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ」を観てきました。
前作はもちろんバットマンシリーズ、DCなどすべて観ていないのですが観てきました。普通の人間が環境や扱われ方によって殺人者になり、ジョーカーという架空のダークヒーローに祭り上げられて苦悩するという話として見ました。ところどころに入るガガ扮するリーという女性と繰り広げるミュージカル場面が夢なのか妄想なのかわかりませんがこれをどう受け止めればいいのかわかりませんでした。アーサーがやっと理解してくれる人ができたと思ったのに彼女はジョーカーというヒーローを思っていたというなんとも悲しい結末でした。果たして私たち普通の人間もジョーカーになりうるのでしょうか。
アメリカでは爆速で2週目、興収落ちてますね(4千万ドル→7百万ドル)。
私も週末に観ましたが、ミュージカルなのがねえ。ガガ様は良かったけど。
よくできてるんでしょうけど、まあ、私好みではなかったです。
賛否が多いと言うのは知らずに観ました。予告編のみですね。
酒匂さんに同感。誰も期待していない物語を、これほどのお金と手間をかけて作り上げるとは。メジャーのプロデューサーがよく許したものだと感心してしまう。
冒頭のアニメと、劇中歌の歌詞がイヤというくらいに全てを説明しちゃってて。ガガ と ホアキン の歌と絵力で辛うじて観ていられるが、アンチクライマックスな法廷劇を寓話とミュージカルで粉飾した感じ。前作に対するアンチテーゼだとしたら、痛々しいくらいの制作側の自意識過剰。
気持ち良いくらいの、今年のワースト。
映画業界の人は映画知らないwwwwww
作品内でリー(ガガ)の歌やミュージカル シーンが多いなと感じたのですが、観ているうちにそれさえも、アーサーがジョーカー信奉者にスポットライトを奪われていくことの暗喩と思いました。
賛否の否が多いとは聞いていました。その心情はあの映画内でジョーカー信奉者が傍聴席を去ったのと限りなく近いような気がしてしまったのですが……もしそうであるならそれこそ笑えない、薄ら寒い恐怖を感じます。
前作と同様に重い内容で、未だに不気味に鳴り響く弦の音とアーサーの悲しい笑い声が耳の奥に残っています。
内容的にはここまで酷評される作品ではないし、つまらなくはないけど、ただレディー・ガガとミュージカル調がノイズでしかなかった。後、ホアキン・フェニックスが心配になるわ、ジョーカーではあんなに痩せてボーではあんなに太ってるから
ジョーカーではなくアーサー・フレックの物語だと思いました。周りの熱狂は教祖を祀り上げるオウム真理教の選挙戦を見てるようでした。
ジョーカー≒麻原◯晃、アーサー・フレック≒松本◯津夫
前作の時点で大半の観客はアーサージョーカーの虚像と実像は百も承知なので、そこの答え合わせの続編をやった所で、まぁそうなるよな。としか思いませんでした。少数の過激な観客への戒めを意識しすぎたのが大コケ、酷評の原因ですね。どうせ続編やるならあのジョーカーがバットマンのライバルになるのが観たかったなぁ
まず、この映画は、ジョーカーの話ではありません。前作も含めて、あくまで「アーサーフレック」の話で、しかも、彼の道を外した瞬間から、最期の末路を描いた2部作でした。
で、ここから、自分が気になった箇所を!
①ジョーカーは「人物」ではなく、「象徴=アイコン」。「象徴」というのは、いつの間にか、誰かが勝手に作り上げた物で、例え、それが実在しようがしまいが、熱狂している人間には関係ない。アーサーは生放送で殺しを行い、格差社会の底辺にいる人間たちから、上級国民たちに対する怒りを表す代弁者とされてしまった。その熱狂は生放送での裁判でも同じく、ジョーカーのメイクで挑んだら、ジョーカーは存在しない。と言われたら、熱狂した信者たちは幻滅することに気づいていない。だが、アーサーはジョーカーという仮面を脱いで、アーサーとして自由になりたい。この違いを理解できなかったのだと、思いました。
②リー(ハーレイクイン)は、我々である。問題を起こした人物について、起こした問題を追及するのはいいが、その人物の存在自体をまるで子供のオモチャのように無責任に扱っていないだろうか?面白がって近づいて、飽きたら離れていく。例え、その人物の命が無くなろうが関係ない態度している。「中身」をキチンと見てあげているか?面白がるためには、リーみたく平気で嘘、ついていませんか?などと、問われているように感じました。
③正義とは、果たして何なのか?ハービーデント検事が、アーサーについて追及していた裁判で、我々に見せていた様子は、正義なのでしょうか?もちろん、裁判でアーサーの罪状について追及するのは被害者がいるから、当然です。ただ、その裁判自体、テレビカメラが入り、熱狂的な信者たちが裁判所をとり囲む自体、不自然ではないだろうか?もし、本当に裁きたいと思うなら、最初から傍聴人すらいない完全非公開の裁判にすればよかった。例え、アーサーからの願いであっても、本当に罪を罰したいだけなら、それが可能だったはず。しかも、裁判長が「ショーにするつもりはない」と言いながら、カメラスタッフや傍聴人を退廷させなかった。つまり、アーサーの裁判すら、大がかりなエンターテイメントショーであり、アーサーが自らジョーカーがいないと証言したことにより、判決によって有罪が確定した。で、この判決を言う直後に爆発が起きた。つまり、裁判をエンターテイメントショーにしたことの罰が、法廷に降りかかったのでないだろうか。この裁判に正義があるのだろうか?
④ジョーカーは感染するウィルス。ラストに同じアーカム収容所にいる囚人から刺されて、アーサーは亡くなる。あの倒れ方は、前作のオープニングであった悪ガキに看板を盗まれ、追いかけたら反対にボコボコにされ、倒れた直後にタイトルロゴが出たときと、似ている。つまり、アーサーの物語の開始と終了を表した、いい表現でした。ただ、違うのは、刺されたアーサーの後ろで、刺した人物が笑いながら、自ら口を裂く。つまり、彼が第2のジョーカーになり、年齢からいって、我々の知るバットマンのヴィランである「本当のジョーカー」になるのでないだろうか?だから、「ジョーカー」は象徴でありながら、誰にでも感染するウィルスである。さらに、このことを表現しているのが、裁判所の爆発の直後である。ハービーデント検事の顔に近づいていき、ハービーの顔が左半分、真っ赤な血を流して火傷した顔。右半分がホコリ被っていながら、前の顔のまま。これは、ハービーデントが後に、「トゥーフェイス」というヴィランになる(実写映画なら、かつてトミーリー・ジョーンズや、アーロン・エッカートが演じた)。これは監督なり表現だが、法律の世界にいる人間たちも、一歩間違えれば、裁かれる立場になるし、ジョーカーに感染してしまえば、第3、第4のジョーカーに代われる存在になるという暗示だと考えます。
⑤虚構(フィクション)から現実(リアル)に。前作「ジョーカー」を公開された後、アメリカではホワイトハウス集団襲撃事件が起き、日本では「ジョーカー」に感化された男が電車内で似た格好をして傷害事件を起こした。さらなる格差はさらに広がり、この映画の前週にはアメリカ合衆国で内戦が起きたらという内容の「シビルウォー」という映画が大統領選挙前に公開された。あと数年したら、本当にテレビ番組で実際に事件を起こす人間がいてもおかしくない。しかも、そういう人物が起こした犯罪が次第に大きくなり、「シビルウォー」のような話になる。ならないとは、確定して言えない。あくまで映画内に抑えていたことが、次々に現実へ侵食してくるだろう。「フォリア・ドゥ」では、アーサーの知らない間に「ジョーカー」は映画内現実に侵食し、次々と多くの人を感染させていった。明日には、どこかの国。いや、日本でも「ジョーカー」を産み出しているかもしれません。ちなみに、日本ではすでに「貞子」という映画内キャラが一人立ちして、映画の世界から現実に侵食してますが……!
最後に、シネマサロンという、この映画チャンネル。作品によっては、かなり過激な意見を皆さん、言われることがありますが、果たして、その意見。どこかでジョーカーを生んでいると考えているのか、いないのか……!
赤サングラスの男の方がジョーカーよりも、はるかに狂気を感じた。
シビルウォーになったら、ジョーカーどころじゃない!
もっとヤバい奴らは世界中にいっぱいいそうだ…
レディガガって女優とかしないで、歌に専念したほうがいいと思う。歌手なんだから。
外見がチャーミングじゃないんですよ。顔が可愛くない。
この映画、恋愛ミュージカルでしょ?お金払って映画観るなら、かわいい女優さんをみたいですよ。
「ニューヨークニューヨーク」のライザ・ミネリ、かわいいでしょ?
「スタア誕生」のバーブラ・ストライサンド、かわいいでしょ?
「ラ・ラ・ランド」のエマ・ストーン、かわいいでしょ?
ミュージカルとか恋愛映画のヒロインは顔が可愛くないとダメ、歌が上手いだけじゃダメ。
評価はさまざまですが、興行収入少ないが、そういうことなのだと思います。ほとんどのシネコンで21日以降は一気に縮小になるでしょう。私は46歳ですけど、ほんと世の中嫌なことばかりなので、映画観る時ぐらいはスカッとしたい、感動したい、よかったあーと思いたいのですが、それとは真逆の映画なんですよね。ほんと救いがない。通常料金2000円で嫌な思いしたくないですし。そもそも作る意味もなかったと思います。次のDCはスーパーマンらしいですけどこれもオオコケでしょう。DCコミックの映画化はしばらく凍結になると思います。よかったと思う人には、すみません。
賛否両論とか、そもそも?😵
他人がどんな評価しようが、先ずは、自身が鑑賞して、どうだったか、それに尽きますね、僕は。
と言いながら、僕は未鑑賞のまま、この動画を視聴ということに😅
この作品より、鑑賞したい作品が豊作の秋なので、手が回らないまま、今に。
アメリカでの史上最低の映画とのレビューを見て 映画館に行くのをやめました😢
レビューに惑わされずに、ぜひ劇場でご自身の目でご確認ください!
全く私見ですが、映画ファンでこれを劇場で観ないのは勿体ないってくらいの映画でしたよ。
ジョーカーなのに弱すぎます。ハーレイとの力関係もジョーカーらしくありません。
薬品タンクに落ちる前のエピソード1にしては、2人ともトウが立ちすぎているような?
過去の話なのにマーゴット・ロビーよりレディ・ガガの方が年上なのがちょっと?
歴代ジョーカーにあった狡猾さやサイコパス感がまるで無かったし、悪のカリスマには見えないよね。
その先入観がそもそも間違っているだよ…という決定打を打ったのが今作なのに、彼ら、キミたちは一体どんな幻を見ていたのか…?
きっとアドゥしちゃったんだろね😉
私は今作はイマイチでした。
理由は、アーサーが法廷最後に証言を変えた心変わりに、アーサーとしての一貫性を作品として感じさせられていなかったと感じたからです。
そして、その不自然さは、(映画の内在性から出てきているのではなく)前作に対する外の世界に影響されて、映画の内容を外から歪めてしまったところに起因していると思われました。
私は、(ジョーカーを過度に肯定するにしろ、過度に否定するにしろ)前作の外の世界の影響に屈した時点で映画の敗北だとの感想を持ちました。
(一方で、私自身は現実にも現れたジョーカー信奉者のようなテロリズムに対して、現実では心底否定的な立場です。)
終盤の法廷で、アーサーとジョーカーは精神的に分離している精神病だから罪に問えないと(つまりジョーカーのカリスマ性の否定)の主張の弁護士をアーサーは解任し、本人弁護でアーサーとジョーカーが一貫している(すなわちカリスマ殉教者として死罪を受け入れる主張になる)との主張をアーサーはジョーカーのメイクで法廷で展開します。
その証言内容がTV中継を見ていた看守たちの怒りを買い、刑務所に戻ったアーサーは看守たちに暴行され、あげく自分を信奉していた若い囚人がその時にその看守に殺される声を独房で聞きます。
アーサーが心変わりしてジョーカーの存在を法廷で否定したのは、その看守の暴行と若い囚人の殺害に遭遇した後の出来事だと記憶します。
しかし、私はこれは変だなとは思われました。
なぜなら、アーサーは、幼少期からの虐待や周囲の無理解の積み重ねによってジョーカーになっていて、であるなら、さらなる看守の理不尽の暴行や自身の身近な若い囚人の殺害によってジョーカーの存在を否定する考えに至るのは、アーサーにとって一貫性がなく不自然に思われたからです。
アーサーが証言をひるがえす心変わりの理由は、映画やアーサーとしての一貫性のためにもっと強い何かが必要だっとと思われます。
今作への批判や酷評は観客が思っていたジョーカー像が否定されたからだ、という主張もいくつか見かけました。
しかし私は、今作に対する多くの観客の批判や酷評は、理想のジョーカー像かどうだかではなく、映画の内在性から自然に求められるアーサーの心の動きとは異なる最後の証言のひるがえしに対して、不自然に感じたのが理由だと思われました。
また、今作でジョーカーではなくアーサーを描きたかったのであれば、ジョーカーを信奉しているリーとのミュージカル調含めたエピソードを中心に描くのではなく、アーサーの人物像の方を掘り起こす物語構成にする必要があったと思われました。
リーはジョーカー信奉者の象徴であるのはその通りですが、映画の大部分をリーとの関係描写に使い、結局はリーはジョーカーしか見ておらずアーサーを見捨てる存在として描きたかったのであれば、この映画は、初めからアーサーの実存的な生き様を描く映画というよりも、リーに投影したジョーカー信奉者を否定するための映画だった、との結論になろうかと思われます。
すると、私達が映画を信頼している理由だと思われる、多面的重層的で功罪があり、一筋縄ではいかない関係性の中でもがく人間そのものの内在性から来る存在の肯定でなく、今作は、前作で起こった(肯定的にしろ否定的にしろ)外野の反響におもねった、人間存在の否定の、不自然な帰結の映画になっていると思われました。
なので、一般の観客の多くは、ジョーカーが肯定されているかそうでないかといった表層的な話をしているのではなく、もっと深い、本来の人間存在の一貫性ある肯定をしているのかそうでないのか、に反応して、今作を批判し酷評しているのだと感じました。
仮に、アーサーの物語にするなら、アーサーを理解する人物配置や、仮にそれが出来ないのであればアーサー理解者のいないという意識した物語構成が必要だったと思われます。
そこから考えるとジョーカー信奉者のリーの配置の偏重さは不自然過ぎると思われます。
私はジョーカーの信奉者のリーとの関係にほとんどの時間を割いて、最後にリーはアーサーを見ていなかったとの描写は、アーサーやリーの人間存在(の肯定や、いわれなき圧殺、あるいは存在を肯定した上の批判)を描いていたというより、ジョーカー信奉者に対する外野的価値観からの否定に重きが置かれた、私にとっては悪趣味な映画になっていると思われました。
つまり、アーサーの物語というより、アーサーを利用したジョーカー信奉者否定プロパガンダになっていたということです。
(たとえジョーカーを否定した物語であっても、初めからアーサーの一貫した存在肯定の映画になっていれば、多くの人が別の意味で称賛した映画になっていたと思われます。)
映画は、外の世界の圧力に屈して人間の存在を潰してしまっては、映画そのものの内在性の否定なのではないでしょうか?
そしてそれに対する異議申し立てを今作に対して批判や酷評を通して伝えようとしている多くの観客の感性は、深く正鵠を射抜いていると私には思われました。
もちろん、その今作の酷評や批判は、根源的なこの映画に対する人間存在を外野の価値観に明け渡し歪めようとしている本質を否定的に突き刺しているのであって、その描写自体に全く見るべき点がなかった訳ではなく、見る価値が全くなかった訳ではなかったとは私も思われています。
しかし、直感でこの映画はダメだつまらないと感じた多くの観客は、惑わされず、その自身の、自身に限らず様々な人間存在を肯定したいという根源的な感性を、最後まで信じてあげて欲しいなと思われました。