「名列車で行こう#13」中途半端?海に沈んだ?万能な名車!C58蒸気機関車のお話

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  • Опубликовано: 20 авг 2024
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    画像素材 ワタガシ「投稿者」 Wikipedia 裏辺研究所様 フォト蔵 様 
    音源 ニコニココモンズ 様 甘茶の音楽工房 様 
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Комментарии • 28

  • @user-mg4oo7mx3f
    @user-mg4oo7mx3f 3 месяца назад

    設計はされたがまぼろしになったC63型はC58型の置き換えだったのではないか?機関車の軸配置も1C1プレーリーです。なお急行大雪崩れの北見から網走は蒸機末期まで牽引していましたね。

  • @user-bk1sp2gc8q
    @user-bk1sp2gc8q 3 месяца назад +12

    8600ではなくて8620のような気もしますが
    C58のバランスの悪さは、機構上の問題なのか、保線上の問題なのかの結論は出ていません
    しかし、現在動態保存されているⅭ58が高速走行しても全く問題がないことから、保線上の問題であるとされています

  • @mkep82da
    @mkep82da 3 месяца назад +5

    旧式蒸気の代替として客貨両用として製造されたが唯一の欠点はやや旅客向きで重い貨物だと空転しやすい。

  • @minakatamanabu7413
    @minakatamanabu7413 3 месяца назад +1

    こんなC58も最終末期に陸羽東線に迂回運転をした寝台特急あけぼのを牽引しています(富士と彗星を故障したDF50に代わって牽引したC57と共に「最後の特急を牽引した蒸気機関車」とも呼ばれています)。

  • @user-lw9wu1qu1e
    @user-lw9wu1qu1e 3 месяца назад +4

    高速運転は甲乙線ならC51に匹敵する速度を出しても問題なかったそうですが丙線では振動が大きかった
    ただD60なども丙線で速度を上げると異常な揺れが生じたので、C58の問題というより丙線で動輪を高速回転するのは無理があったようです
    8620の置き換えを阻害したのは性能ではなく、転車台の大きさや重量があることから横圧が大きくなったため、C58でもデカすぎでした
    C58の性能が問題だったのは、引っ張れる貨物が減る9600の置き換えですね

  • @user-wk8bw6qt5r
    @user-wk8bw6qt5r 3 месяца назад +4

    いろんなSLのライバル、大体は8620形説

    • @NAKAZATO-BANKING7
      @NAKAZATO-BANKING7 3 месяца назад

      9600「おいおい、俺を忘れるなよ」

  • @toriri-service
    @toriri-service 3 месяца назад +3

    入れ替えから旅客・貨物の牽引まで万能だった『C58』
    意外な使い道では 黎明期の交流電機に蒸気発生装置が付いてなかったので 暖房車(ヌ)の代用として連結された事。
    黎明期故に電機の故障も少なくなく その時は『C58』が急遽『救援機』に変身して運転を継続したとか。
    なんかカッコ良いですね😊

    • @user-do8wk3mx9k
      @user-do8wk3mx9k 3 месяца назад +4

      363はまさにその運用についてた。

    • @toriri-service
      @toriri-service 3 месяца назад +2

      @@user-do8wk3mx9k さま
      そういえば『仙台』に配置されてましたからね。

  • @SleeperExpressJNR
    @SleeperExpressJNR 3 месяца назад +1

    大正期の9600、8620(8600では別形式)は大正中期ではなく寧ろ構想・設計は明治末期から始まっていたとみるのが自然。9600の登場は1913/大正2年、8620の登場は1914/大正3年だから。主要幹線ですら37㎏レールが使われていた当時には丁度良いSpecだった。
    C58はその両機の置換え及びC50をも置換える目的があった。D512次型・D52・C58が給水温め器を煙突の前に置いているのはこれら1軸先台車機はその軸バネがフロントデッキ部にある為、他機の様に其処に置けなかったから。フロントデッキ部の構造が違うD50(含むD60)はフロントデッキ部に給水温め器がある。
    登場当時(1938/昭和13年)の軌道条件・車輛性能(主に客貨車)を鑑みればMax85km/hという性能は十分だった。後年動力近代化計画が着々と進行していく中所謂SLブームなるものがトレンドになっていた時代、巷間異口同音気味に[最後まで残るSLはC58]と言われていた。それも市井の[鉄]のみならず当時の国鉄幹部もそう言っていたのだがそこにとんでもない[刺客]が現れた。そう、DE10である。
    同機はほぼC58の性能に匹敵していてSGも備えていた(SG非搭載のカマもいる)。急速にその座を明け渡して行く羽目になった。
    DD51も実は性能面ではC62やD52にはやや及ばない部分があるが、投入予定線区の事情を鑑みてあの仕様になった。というのもC62やD52並の性能のカマが求められる様な線区ならDL化より電化した方が得策であり既にEF58・EF15クラスでC62・D52を凌駕していたから。無理してそこまでの大型DLを導入しなくても良いと判断されたものと推測する。

  • @user-bs5eb8ys2s
    @user-bs5eb8ys2s 3 месяца назад +1

    地元の横浜線で昭和30年代頃、このカマが貨物列車牽いていた姿を写真で見た時、この路線でもC58が走っていたんだと驚いた。もちろん横浜線は電化されていたが、線路規格の問題でこの線に適した電機が無かったのだろうか…もう一つの理由は、ハマ線は横浜港の貨物引き込み線ともつながっており、こちらは電化されてなかったから蒸機が用いられたのかも知れない。いずれにせよ、ハマ線にC58が走っていたなんて、現在では想像できない。

  • @user-df3fg3jj1u
    @user-df3fg3jj1u 3 месяца назад +4

    貴婦人と呼ばれたC57や蒸機の代名詞のD51みたいに派手さは無いが。
    1966年迄、余剰廃車が無い
    (地味だが、凄い、C58らしい😊)

    • @watagasi583
      @watagasi583  3 месяца назад +2

      ご視聴ありがとうございます!もっと人気になって欲しいです、、

  • @京成3050
    @京成3050 3 месяца назад

    2:59 新幹線の車両センターにあるD51 1108 解体されましたね(泣)
    C58 蒸気機関車が海に沈んだとは驚きでした

  • @Waribashi-tabemasu
    @Waribashi-tabemasu 3 месяца назад +1

    銀河のC58撮りたかったな…
    秩父来てくんないかな…

  • @Kaneyanmaru_Channel
    @Kaneyanmaru_Channel 3 месяца назад

    四国といえばこのカマ。
    四国の蒸気はあまり注目されていませんが、四国仕様のC58は重装デゴイチに負けないかっこよさがあると思います。

  • @bakayarou4545
    @bakayarou4545 3 месяца назад

    カッコイイなぁ〜

  • @user-sz7pt4hw9u
    @user-sz7pt4hw9u 3 месяца назад

    千葉県は戦前からc58がいた。あとは8620ばかりで、9600が来たのは戦後自衛隊の鉄道連隊用に一機だけと聞く。

  • @user-rw2zt4iq5p
    @user-rw2zt4iq5p 3 месяца назад

    こんにちは初めてコメントさせていただきます c58大好きです 幼少期からパレオエクスプレスのc58363が大好きでした sl銀河のc58239はキハ141が補機で押しながら走る名目ながらも実際よっぽどの時以外はc58の力で走る c58の本来の性能を発揮して走るすごい列車でしたが去年廃止されて残念でした また何かに運用してほしいです

    • @watagasi583
      @watagasi583  3 месяца назад

      ご視聴ありがとうございます!これからもよろしくお願いします!C58、、地味に運用が減りつつあり大変悲しいですね、、

  • @user-ox7mx4jm2k
    @user-ox7mx4jm2k 3 месяца назад

    役割の異なる9600と8620を、たった1種類の機関車で置き換えるという欲求は、まさに二兎を追う者は~の諺の通りですね。結局鉄道省はC58を無難な機関車として世に出ざるを得ず、性能不足のせいで9600・8620を淘汰する使命を完遂させられず、最終的に中途半端な形式であるという評価を負わせるに至ってしまいました。
    とは言え欠陥機であったわけではないので、縁の下の力持ちとして無煙化直前まで国鉄の発展に力を尽くせたことは幸いであり、それらの功績は素直に称賛されるべきでしょう。あと現代においてはイベント列車を牽くのにうってつけの性能だと思います。大型機の派手さは無いものの、入線可能範囲の広いテンダー機は人気と機能の両面でしぶとく生き残れそうですから。

  • @user-bv2ju6li2i
    @user-bv2ju6li2i 3 месяца назад

    筑豊で試験をした時に振動で怪我人が出たので。70年代まで、門司鉄道管理局では煙たがれていました。

  • @user-ig4qh4dj5z
    @user-ig4qh4dj5z 3 месяца назад

    因みに僕が住んでいる栃木におもちゃ博物館があるわんぱく公園にc58がいます。
    そして、銀河のc58はどうなるんだろう…
    まさかの解体か⁈

    • @Waribashi-tabemasu
      @Waribashi-tabemasu 3 месяца назад +3

      流石に解体はないと思いますけど結局どうなるんでしょうね。
      個人的には秩父に来てほしいなぁ(絶対無理)

  • @God-Masunosushi
    @God-Masunosushi 3 месяца назад

    一コメかつ一視聴

    • @watagasi583
      @watagasi583  3 месяца назад

      ご視聴ありがとうございます!