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百貨店に勤めてるけれど途中霊夢が言った、百貨店に行く方が理由いるっていうのが全てだと思う
昭和の頃は理由がありましたね。親戚の法事に出る為の服を買いにデパートへ行く…。そのデパートへ行く為の服を近所の服屋にお袋に連れられて買いに行く。1970年代の懐かしい思い出です。
デパートはトイレだと思ってる
それなりの人に贈る贈り物とかな
贈り物をする時百貨店名が入った紙袋や包装を貰いに百貨店に行っている感じ「あなたへの贈り物はちゃんと百貨店で買いましたよ」という証明が欲しいだけ
私の父は、お歳暮、おちゅうげんの品物をかいにいく
屋上の遊園地、食堂、エレベーターの綺麗なお姉さん・・・百貨店は「夢の空間』でしたね。気がつけば、『空間を味わう』という買い物の仕方をしなくなったなあと。
埼玉県川越市の丸広百貨店はつい最近まで屋上遊園地がありましたね。今は大手デパートでも大食堂でなくレストラン街、それこそユニクロみたいなテナントも多く入ってますし『その場でしか味わえない経験』って無くなりましたね。
たのしかったあの頃・・・
ほんと、いい時代だったなぁ
そうだね、『空間を味わう』は屋上の遊園地や食堂、エレベータガール、アドバルーン、バーゲンセール、福袋などプライスレスな価値があったね
谷麻理さん今はもうありませんが小学校の頃、浜松に松菱百貨店がありました。日曜日には母親と松菱に行って、お子様ランチ、屋上遊園地、母親の買い物、たまにはぐれて迷子のご案内放送、が定番コースでした。そう、百貨店は子供のワンダーランドでございました。
こうして様々な業態が栄枯盛衰していくことで、黙っていても顧客の利便性が上がるんだから、資本主義経済は本当に良く出来たシステムだと思う。百貨店は衰退したが、百貨店が主導した効率化の遺産は、時代遅れのものを除いて後の業態に受け継がれたわけだし。
控えめに言って、神動画だと思う。百貨店(デパート)→スーパーマーケット→(コンビニ)→専門店(セレクトショップ)→大型ショッピングセンター→ネット通販(EC)、という小売業の移り変わりがわかる。できればディスカウントストアにも触れて欲しかったが、今回の主旨には若干合わないか
とある電鉄系百貨店の社員です。動画の再生数を見て、世間の皆様がまだ百貨店に興味を示していただいていることに驚きました。私が勤めている会社も年々社員の年齢も上がり皆過去の栄光に縋って現実が見えていない気がします。今一度原点回帰をし、お客様から「求められる」お店作りをしないとと思いました。私も新卒から勤めて10年以上経ちますが、弊社に限ったことですが昨今の従業員の質の低下をひしひしと感じざるを得ません。私もまだまだ勉強不足ですが、商品についてお客様の方が詳しい。態度が悪いなどしょうもないクレームが日常茶飯事。部下を教育しない上司。取引先に案件の丸投げ。この動画を拝見して、このままではいけないと改めて思いました。動画に反響があるということは、まだ世間の皆様からの「期待」があると私は感じましたので、これからもお店を少しでも良くしていきたいです。
私も鉄道系百貨店に勤務しております。本当にコメント主さんのおっしゃる事をひしひし感じます。私は社員ではごさいませんが、それでもお客様の要望に応えようと必死で仕事をしています。ただ、時に人間関係で酷く傷つけられて帰宅しては泣く毎日を過ごした事もありました。でも、そんなときに優しいお客様や職場の仲間の言葉に助けられたりもしてます。本当におっしゃる通り、中から変えていける事は沢山ありますよね。その改善がお客様を魅了して最終的には売上へと繋がるのではないかと考える日々です。
非正規雇用者が増えたのも1つの理由だと思う。時給1500円なら手取りは20万ないだろう。一人暮らしならデパートで買い物なんて出来ない。2000年以後、給与が増えてないのは先進国では日本だけ。
電鉄系百貨店に山陽百貨店・伊予鉄高島屋と一畑百貨店は含まれますか。
都内にいた時は実家に帰省するタイミングでしか利用しなかった。ただ、あの忙しいタイミングで丁寧に包装していただいたのが嬉しかったし中身も喜ばれました。
百貨店に興味を示しているうちは終わりません。商店街のように興味すらなくなり素通りされたときが正真正銘の最後ですから。
もう随分と昔の話お正月に会った百貨店勤務の親戚が「百貨店とはそもそも新しもの好きで流行りものにはすぐ乗っかる軽薄なところがあったのに、最近の連中はお高く止まってていかん」と嘆いていましたまだ小さかったので話の内容はよくわからなかったのですが、妙に印象に残ったのでなんとなく覚えていましたそういう危機感を抱いていた人もいたけど声が通らなかったからこうなったんでしょうね
今の百貨店に「軽薄なところ」は皆無。悪い意味で原点回帰(百貨店の業態になる前)してますね。
時代に関わらず新しいことをやる人は新しい業態を選ぶだろうから、かつて百貨店を興したようなタイプの人材は、今の時代百貨店業界にはこないという皮肉。
子供の頃、デパートのレストランで食事するのは特別な時間だった。お昼くらいにデパートに買い物行くと、昼食をレストランで食べられるかもとワクワクしてたものです。
阪急百貨店本店の大食堂では、何を食べても美味かった。そんな時代にはもう戻れない( TДT)
百貨店は「正装」で行く世代でしたが、とにかく楽しかった思い出ででした。思い出させてくれて有り難うございます。
コメント欄での「子供の頃の思い出の場所」が、百貨店とショッピングモールで分かれてて面白い。最近の百貨店で子供ってほどんど見かけない気がします。
基本的に地方だとご老人ばかりいるイメージ
昔の阪急百貨店本店の大食堂が懐かしい( TДT)
首都圏ってか、最寄りのデパートは駅近マンションのおかげで、ファミリーが多いです。
閉店した徳島そごうが思い出の場所だわ…。
昔、うちの母親が阪急のデパ地下によくクリームコロッケ買いに行ってたな。あの味は忘れられん( TДT)
子供時代に百貨店のレストランでお子様ランチを食べて 屋上の遊園地で電車に乗るのが好きだった
子供の頃の贅沢像のひとつだよね
ダイエーも同じように最上階レストラン 屋上にに遊園地はそごうの差別化 三越は蚊帳の外だった(ベンチスペース
日本は百貨店で美術館並みの美術展をやっていた時代があって、諸外国にpgrされたので美術館を作りまくったのですが本当はあの百貨店最上階で美術展をやるのは正解だったのかもしれないですね。今やどこも美術館の維持にひーひー言っている。百貨店でやればwin-winだったのに。
美術館多すぎ(# ゚Д゚)!!
今は実店舗だと百貨店というよりショッピングモールが盛況ですよね~ショッピングモールって安くてなんでも揃いますし千葉の船橋にららぽーとが出来てから百貨店の運命が決まった気がします
自分が学生時代だった80年代末のバブル最終期に、JRの大規模駅ビルがファッションビル化して行ったのが百貨店に大きな打撃を与えたのが大きいと思う。それまでは駅ビルって20-30店舗くらいで地元商店街が入居したような作りだったのが、パルコのようなショッピングセンターの成功に習ってチェーンの専門店をテナントとして招致した結果、都心にしかない百貨店まで足を伸ばす必要なくなりましたよね。
国鉄時代は公共性のために駅テナントなどの副業規制が厳しく、「名店街(いわゆる寄合百貨店)」ぐらいしか併設出来なかったのです。それが国鉄末期に副業規制が緩くなり、さらにJR化後すぐに昭和20~30年代に建てられた大都市の主要駅の駅舎の建て替えラッシュが始まって、各地でファッション駅ビルが誕生したわけです。中には駅ビル新築時に大手百貨店が新規出店し、古い地場百貨店から客を奪った札幌駅みたいな例もありますが……。
令和6年1月14日、島根県唯一の百貨店🏬、「一畑百貨店🏬」 が65年に亘る営業を終了、閉店に至った。「一畑百貨店🏬」 は、島根県西部地区をテリトリーの交通事業者 「一畑グループ」 の関連会社。
百貨店へ行って、見た事がない珍しい物や憧れのブランド品を見るだけでワクワクするし、的確なアドバイスをしてくださる販売員の方々のサービスは本当に質が高いので気持ちよく買い物できますよね。勝負の商談の時のお弁当や手土産、プロポーズのための指輪、お世話になった方への送別の品など、ここぞというときの買い物は決まって百貨店です。沢山の思い出がある百貨店文化がいつまで残って欲しいなって思います。
子供のころよく親に連れられて、デパートに行ったなぁ。デパートのレストランで食事するのが楽しみだった。屋上の遊技場にも行ったなぁ。なんかすべてが輝いてみえた。あのころが懐かしいなぁ。大人になり、たまにしか行かなくなったが、行くと未だに一階の化粧品売場に躊躇する。😅あの化粧品売場の匂いを嗅ぐと、母が化粧品を選んだ時を思い出す。
貴重な想い出ですね。どうか大切にしてください。
子供の頃はまだ百貨店は特別な店っていうイメージがあった。大きくなると、なんか入り辛いイメージに…イオンモールとかが気楽で友達とかと遊びに行くのもイオンでしたね。エッへんのきめえ丸がかわいい
自分はあんまり買い物しないけど、街の豪華でお金かかった百貨店の建物がなくなっちゃうのは嫌だし寂しいみたいな気持ち。買い物しないのに、店内歩くと高級感感じて楽しいし、服でも化粧品でも各ブランドが並んでて比べて見れるのも楽しい。
自分も。グルっと歩いて服や靴を見るのは楽しい。同様に、滅多に買わないけど、たま〜に掘り出し物があったりして。特に7月8月とか1月あたり。
百貨店の解説なのに過去作を思い返すポイントが多くて、今回も内容の厚みが凄いですね。デパート:そごう、西武スーパー:ダイエー(価格の決定権が消費者に移った)アパレル:カネボウ(赤字の紡績を最後まで切り捨てなかったのは、消化仕入によるまとまった利益をアテにしていたから?)
体系的にまとめられていて、大変わかりやすいです。アパレルとの関係、百貨店の商習慣までまで掘り下げておられてとても素晴らしいです。ありがとうございました。
大沼デパートにちょっと触れてくれて嬉しい山形県民です。ちなみに大沼には2回くらいしか行ったことはありませんでした。若者はみんな郊外の大きいイオンモールに遊びに行くのが普通でしたね…。
うちは千葉に住んでるのでアリオかまたはららぽーとのほうが行くのが普通で気軽でいいですねただ横長いから歩くので広いけどね
特に山形市民は天童(イオン)に行くか何なら仙台市に行きますからね⋯仙台駅前⇆山形駅前間の高速バスという運行本数も多けりゃ1時間弱で移動可能な公共機関がある事も大きいですし
一般の人が簡単に入れないようなお店ばかりで親もあまり行かないし、当然子供の頃の百貨店の思い出がない。今年20歳だけど、百貨店の人は客を絞った接客をしてるし、買えないものばかり並んでるからこれからも行く理由があまりない…。
ピチパン·カルチャー
百貨店って当時の最先端を詰め込んだ経営体だったんですね。確かに今じゃ化粧品も服もECサイト(実店舗だとルミネとか)で買うことが増えたし、デパートは総菜売り場くらいしか行かないなぁ。。時代に合わせて方向転換を続けるって本当難しいですね
惣菜売場は確かに未だに行きますねモールとは未だに店舗の種類が結構異なってる
これについてはしくじりというよりも時代の変化が急すぎた悲しみなのかなと思いましたね...
とは言っても時流に数年単位で対応出来てる小売のチェーン店なんかは生き残りもあるので動画内でも言われてますが殿様商売化と、対応が尋常ではなく鈍化してたのがね…2、30年は商売の基礎が変わってないんだもの
私が子供の頃には既に百貨店=40代以上が行く場所で、若者が行くような場所ではないという認識でしたねぇ。案の定、某鉄道系で駅と直結していたその百貨店は潰れて今やコインパーキングです。
デパートで買いたいものがなくなってたと思ったら産業構造が少しずつ変わっていたんですね。山形大沼の駐車場はボロボロで狭く、道路の拡張前に解体して新装した七日町の商店街振興組合の駐車場を利用する方式をとってました。主さんも楽々車出し入れできると思います。
その駐車場結構遠かった。ご高齢の方道路も狭くって危ないよなと思ってました。
阪急阪神や近鉄には百貨店の灯を消さない様に頑張ってほしいが……
阪急のライスカレー好きでした
ここにきてAmazonのような最大手のECサイトの商品や対応のいい加減さが問題になってきてるので、今や巻き返しの時だと思うのですが、体質的に新しいことに取り組むの難しそうですね…
一番気に入ってるのは……値段だ
価格安かったら多少のことは目をつぶるもの。
@@EARofSATAN あぁ~!待って!!ここで動かしたらダメですよぉ!待って!止まれェ~ッ!!
ユニクロやイオンなら1980円でシャツが買えるが百貨店ならシャツ1枚でも15000〜16000円はする百貨店は定価販売だがネットなら値引きしてる
普通にデフレのせいで日本人が貧乏思考になっただけだと思う
真面目な内容なのに例えが秀逸で面白かったです!
本日も楽しく拝見させていただいてます。百貨店の懐かしい思い出たですね。旗があるお子様ランチ。屋上のゲームセンター。親にせがんでよく連れて行ってもらった記憶があります。(年齢バレそう💦)また、次回の動画も楽しみにお待ちしてます♪
80年代のデパートって、大食堂があって、おもちゃ売り場がワンフロアブチヌキデ、屋上に遊園地。おかんが服を選んでる間、ばあちゃんがお子様ランチを食べさせてくれておもちゃ買ってくれて屋上で100円乗り物乗せてくれて。子供には楽しい場所でした。それで、帰るとばあちゃんがおかんに怒られるというものでした。
立地の利便性や商品ジャンルの多さはショッピングモールに奪われ、商品の専門性と安さは専門店やECに奪われた。百貨店の未来はどこへ行くのか。
無くなるのかな?中心地活性化と言いつつ動きがない松山 モールにしてやられっぱなし今のアナウンサー上がりの市長なってから全然だ(口だけから不動 飯食うだけのポジション?)
ゼネラルモータースの時と似たようなもので、創業者や発展させた人たちは有能で一所懸命だったのに、規模が大きくなった時代の経営者たちは先駆者がやっていた時代の分析などせず、引き継いだ物の上にあぐらをかいて食いつぶしているだけですねぇ……
偉大な創業者の後継者が暗愚なため斜陽した企業は数知れず
@@小谷和浩 でもそもそも何代も優秀な跡継ぎが続くなんて確率的にあり得ないんだから後継者の個人的能力に依存するシステム自体に問題がある気がしますね。
それ今の日本じゃん
高校生だが百貨店はなんとなく富裕層向けの商店っていうイメージがある
某アパレルの営業だけど最近の百貨店の責任者とかとても腰が低くてもう切羽詰まってる感じがすごいよ前比聞くたびまずい
40年近く前にエレベーターガールさん居たのは憶えてる。屋上の遊園地や玩具売り場など、買って貰えなくても行くだけで楽しかった。
90年代までならこの業種と客室乗務員のカップルが最強みたいな雰囲気あったよね
色々売ってるけど、買いたい物が無いってのが個人的な印象。
アップお疲れ様ですセブン&アイが持っている西武・そごうの苗場スキー場やプリンスホテル、ゴルフ場を海外のファンドへ売却するというニュースを見たタイミングでしくじり企業の百貨店編w
毎回、視聴してます。とてもためになります。ボケとツッコミのテンポの良さ、わかりやすさ、掛け軸の文字、うp主さんの本音。笑いあり、知識になり、良い動画です。
百貨店の衰退は日本全体の少子高齢化が原因の経済縮小だと思っていました。この動画を見てとても勉強になりましたよ。
衰退する企業・業界を見ていると「奢れるものは久しからず」に尽きます。同じやり方で2度成功するのは難しいですから、伝統や良さを生かしつつ変化も取り入れないと。
現在の百貨店は都心の一等地にあるショッピングセンター同然で、どの百貨店に行っても一通りの有名ブランドのテナントが入っているにすぎない感じがする。外商で得意客を囲えば安定的な利益は図れたろうが、デパートメントストア宣言したころの先進性を失ってしまった時点で、百貨店の衰退のトリガーが引かれてしまったのだろう。学生時代、大して買うものがなかったのに西武百貨店のクラブオンカードを持ってちょっぴり都会人ぶっていたのが懐かしく思える。
今じゃ百貨店に行くのって、物産展がある時くらいだなぁ・・・。挽回できるような額じゃないけど、物産展やバレンタインイベントのような催事は、百貨店業績回復のチャンスではないかとは思う。
氷河期一年生なんですが、昨今の統計で年間の服飾費が37000円程度になったと聞きました。しかし、私が学生の頃はファッション誌はめちゃくちゃあったし、OLの一ヶ月の服飾費は今の一年分くらいだった記憶があります。
広島そごうに、母方の一族(母親、叔母、祖母)と弟と出かけて大食堂でお昼ご飯食べて玩具売り場でいろいろ見てる間に母親たちは買い物をして帰り際に地下の回るお菓子売り場の量り売りのお菓子等を買ってもらうのが楽しみでしたよ。エスカレーターの立ち位置が緑色に点滅してるのを思い出します。食堂や地下売り場の匂いが脳内再生されます。
あのゆっくりくるくる回る量り売りのお菓子、地元に仕事で帰省してて久々に地元デパートの食品街に見に行ったら100g2百うん十円wとてもじゃないが高くて買えないですねめったに買ってもらえないので買ってもらったときは嬉しくて飛びはねるくらいの気持ちでしたお菓子の入った紙袋すら愛おしく感じたものです大して美味しくもないビスケットとかをあんなに喜んでたのも子供で純粋だったからですね
この業界で、予備校業界とか出てきそうだなって思い始めました()カビキラーのくだりまじおもろいです
昨今の高級品バブルを見ると、よりターゲットを富裕層に狭めて高級感を増せば、まだまだ百貨店もやっていけると思うんですけどね宝飾品は基本的には対面で買いたいわけだし、また服などの身の回りのものが一店舗で全部そろうなら便利だと思う
ターゲットをそこまで狭めたら、百貨店のような大きな箱はいらないですよね、、、なんというか、そこまできたら百貨店である必要がないというか…
お支払いは盆と暮れの年2回にまとめて……あれ?退化したw
それをやるには中国の富裕層のインバウンドに頼らないといけないからコロナが収まらないと難しいですね
実際都心の百貨店だと金持ちそうな身なりのお客さん多いですね...
北海道だと大丸はできて数年で1番店になったんだよな。店員も他の店より少ないし、若者向けのブランドも結構多くて他の百貨店とは少し違うけど、そこが他より人気が出た要因だと思う。実際、三越や丸井今井、東急と比べても若い人が多い気がする(駅直結だからかもだけど)。これからこういうスタイルのデパートが増えれば、百貨店もまだ生き残れるはず。
昔駅前のさいか屋に家族で行くと、大食堂でよく昼御飯食べたなぁ。窓際の席に座って電車を見るのがとっても好きだったなぁ。😄😄
さいか屋は4F~7Fが、ヤマダ電機になっちゃったよ。どー言うこと?
そごうの屋上にあった遊園地で遊ぶの楽しかったなぁ。令和生まれのこれからの子供たちには屋上遊園地独特のあのワクワク感が伝わらないのは少し寂しい。
屋上の遊具はなんといっても観覧車でした。高いビルも余りなかったので、市中が鳥瞰できました。
子供の頃の楽しみは親に山形屋に連れて行ってもらうことだったな。故郷を離れて自分が親になってから、ゴジラ対スペースゴジラでゴジラが桜島を背に上陸して逃げ惑う市民に山形屋を肘で壊すシーンは胸が熱くなったね。懐かしかったし、ゴジラシリーズに鹿児島市内が出たことが嬉しかったね。
地元の近鉄百貨店ですと昔はかなり微妙な所でしたが、最近はロフトや大型書店などが入ってて若者でも気軽に行けるところになりました(大阪出るほうがいいっていうのは内緒やけど)
19:34 昔は切磋琢磨して上り詰めたのに、その後は胡坐をかいて追い抜かれる。どこも似た感じだな。
昭和世代にとっては、百貨店は子供の頃の思い出いっぱいの場所です。食堂のお子様ランチ、屋上遊園地、迷子センターで飲める高級ジュース…あっ、迷子センターの常連にならないと知らない話でしたね。
まだダイエーがなかったかあっても限定的な時代ゆえ、日用品食料品以外は否応なしに個人商店か百貨店で買い求めるしかなかったから、そのような「道楽」もできたし、販促にもなりえたわけですな。端的な例だと子供のランドセル。ランドセル買うついでに文房具一式も揃えてもらえりゃその程度の接待もすぐに回収できますからね。定価販売ゆえに。
百貨店の中に美術館ができたのはなぜなのか、そしていまそういうものがほとんど見られないのはなぜなのか知りたい。百貨店美術館でいろんなものを見たけどいまでも鮮明に思い出せる美術品も数々あった。
正直今まで百貨店と不動産賃貸業の違いがあまりにも分からなかったが、アパレス側が予算額に制限されず、百貨店側がリスクを負わずに済む消化仕入方式を選んだことから、なるほどと思った。日商販売士のテキストに、百貨店は消化仕入方式を捨てて、リスクをとって仕入れを行うべきとあったが、それはただ利幅の大きくするだけでなく、アパレス側に依存していた売場作りや販売ノウハウを自ら磨き、競争力を高めろという意味だと分かって勉強になった。
違いなんてないよ。メーカー側にリスクをおっかぶせるのは百貨店もファッションビルもかわらんから。百貨店と、ファッションビルとかテナントビルとかの貸ビル業の違いって、今じゃ「百貨店組合に加盟してるか(≒百貨店共通商品券が使えるか)」でしかないよ。ルミネとか丸井とかは組合に入ってないから百貨店扱いされない一方、事実上貸ビル業になって久しいがまだ組合を脱退したない札幌の丸ヨ池内は百貨店扱いされるって時点で、商品券を使うとき以外にもはやそんな区別自体が不毛なのもわかると思いますよw
地方物産展(特に北海道)が来たときくらいしかデパートに行かなくなったなあ
百貨店の戦略って云うか存在感は凄かったんだな。今後も街のランドマークであって欲しい。鉄道と直結リンクのデパ地下は永遠に不滅。屋上は今も人口の絶対過半数を占める団塊世代に合わせて懐かしの60年代ワールドを演出してはどうかな。タイムトラベルさながらにね。
百貨店行けばわかるけど質は高めで値段も高目でも見合うものは売っており納得はできることが多いと思うから今もある。ただ一般的かといえば入りにくい建物に買い物はしづらい売り場とモールとは違う閉鎖性で古さが目立つ売り方。悪いわけじゃないけど時代に合ってない衰退するという日本の象徴的だと思う。
こないだ「緋の稜線」を一気読みしたけど、無茶苦茶面白かった! デパート繋がりw
「それはカビキラー」に至る怒涛のくだりで、声出して笑ってしまった。さすがのセンスです。
ネット通販って品物が手元に届くまで結構時間かかる場合があるし、百貨店にチャンスが無いわけでは無いと思いますが、やはり専門店やショッピングセンターが強敵ですかね。ところでせかいじゅのしずくがないならプチヒーロー狙うしかないですね。
コメダのミニを信じるなは完全に同意
大変 お勉強になりました。子供の頃 大丸に行くのが 楽しかったなぁ……。
近代日本の大衆文化の中心から、年を追うごとに外れていってしまったデパートの歴史。大変勉強になる動画ですね。
最近二十年ぶりぐらいに実家に帰ってきたら駅前のデパートが全滅してたなあ…それと市内のゲームショップも全滅してたな…幼い頃祖母に連れられてデパート内のレストランで食事をして屋上の変な乗り物やエレメカを楽しみ、辺りを見回せばアドバルーンが浮かんでる光景が懐かしい。ただ、その時代に戻りたいかと言われれば嫌だ。ダウンロード販売と送料無料のネット通販が便利すぎる。それも数十年後には時代遅れになっているんだろうか、最近だとこの先3Dプリンタで瞬間印刷とかされたらかなりの業界に影響あるなーとか思う。現状でも樹脂製品ならある程度イケてしまうし、これから先様々な材質で高速に簡単に印刷できるようになれば部品関係とか大打撃受けそう。メーカーが補修部品のデータをダウンロード出来るようにするとか。現代だと説明書なんかはメーカーのウェブサイトからPDFダウンロードが当たり前だけど数十年前だとメーカーに電話して銀行に送金して送ってもらうとかで説明書紛失したときは二千円近く取られたし。
母が百貨店勤務で自分の職場も日本橋付近なのですごく身近な話題でした。三越や高島屋もたまに行っても地下の食料品以外はガラガラで、店員さんの方が多いくらいで気後れしてしまいます言われてみれば百貨店の衰退はそのルーツからもアパレルと密接な関係があったんですね。アパレル業界自体も大量廃棄問題やコロナで人々が外出しなくなった事でさらに難しい曲面に入ってますしね…
百貨店の営業さんに聞いたんだけど、できた当時は外食産業がそれほど普及してなくて、家族で外食と言えば百貨店の中のレストラン。ついでに家族と買い物でかなり繁盛した。けど、ファミレスとかファーストフードが普及し始めると客足が遠のいて・・・そのダメージが大きかったと言ってた。
阪急が電鉄系デパートの走りだったんだ…一三翁はやっぱすげーや…
関西では小林一三は大実業家、阪急電鉄・宝塚歌劇団・阪急百貨店・東宝(阪急ブレーブス)なんか凄い!
関東では、五島慶太の東急電鉄、東急百貨店、伊豆急行、東映
一三翁が宝塚歌劇を創り、松竹も後に続いた。SKDはなくなったが、OSKは消滅危機を乗り越え、今日にいたる(;´Д`)やはり何事も先を行く一三翁は天才だった(・∀・)
赤いカードの0101はリボ払い+キャッシング事業で成り立つなんか不思議
本業がそれだから
最初のところの、掛け軸をいつも楽しみにしています🎵
最後のうぷ主の本音も。
勉強になった。うちの親父が勤めてた、地元の駅前の超一級立地にあった地場の百貨店も、イオンモールとホテルに建替え中です。悲しいがこれも時代よね…。
百貨店で経費扱いで購入してきていた個人商店や零細起業経営者が徐々に没落した事、スーツや化粧品、雑貨を購入してきていた団塊世代が定年退職、今や後期高齢者となり購入の必要性がなくなってきたから。
令和の若者たちに百貨店の価値は分からないだろう、百貨店はこれからも厳しいぞ、しかしイオンは強いな…
スーツは自分の体型や好みを熟知してくれている洋服屋さんで買いました。値引もしてくれますしね。
外国映画にも出てくる、凝った装飾のエレベータは、百貨店に来たことを想わせる子供時代の強烈な思い出である。
20代だけど、子供の頃よく見てたサザエさんで『みんなお洒落してデパート(百貨店)に行く』という光景が不思議だった記憶。買い物以上に価値のある場所だったんたなぁ。
そりゃドンキもイオンもなく、大型の店舗ってのが百貨店しかなかった時代ですからね。言ってみれば「毎日開催されてるプチ万博」だったから。
今回も素敵な動画ありがとうございます☺️このチャンネルは大人の義務教育にしたいですねえ。
うろ覚えですが昔行ったデパートにはおもちゃ、ゲーセン、PC関連の大きな売り場もあって「ここはすごい所だ」って印象がありましたがいつの間にか魅力的な物はなんにも無くなって、最期は店も無くなったんですよね。
最後の本音がもう納得しかなかったです。百貨店の大食堂最後まで残ってた大丸京都が、今月で大食堂閉めるから、大人のお子様ランチ思い出作りに食べに行こうかなと考え中です。けど、物産店の催事の店舗集めとかまだ百貨店がいいなと思ったりします。
大丸京都だめですかぁ、大丸下関も斜陽です
そんな中でも大型でありながらでかい駐車場にマクドナルドや映画館を積極的に取り入れてるイオンはすげーんだなと改めて思う
イオンって大赤字ですよ出してるだけです。イオン本体の役割はイオンカードとWAONの利用者を確保する事です、
勉強になりました。百貨店の商売の仕組みそのものが、すでに時代遅れというか、資金力のある百貨店に対する対抗手段としてのショッピングセンターやカテゴリーキラー、ECにいいようにやられてしまったのが今の状況というわけですね。この動画、百貨店の中の人はどういう思いで見るんだろうと思います。
ショッピングセンターの中にはシネマコンプレックスにも入館してるのでたまにライブビューイング生上映もあるのでそっちほうが結構業績いいですね ますます百貨店は苦戦しそうですね
@@3yuk991 様 昔、大阪の三越の最上階に三越劇場と言う映画館がありました。結構好みの合う作品の選択で、座席も当時としては高級感のある椅子で、良く観賞に行きました。
在庫の話ですけどアパレルだけじゃないんですよね。デパ地下の食品会社も同じで、百貨店が営業中は品物を切らしてはいけないという規約がありましてねえ。営業終了時に残っている商品は殆ど食品ロスになる。百貨店の総菜コーナーに出店している店舗の食品はソルビン酸などの保存料がほぼ入っていない、入れてはいけないというのもあって次の日に並べるというのが難しい。
「今日は帝劇、明日は三越」というポスターを社会科の資料集か百科事典で見たことある〜。
うちのバアちゃんには、近くの百貨店の外商部の人がよく来ていました。いい顧客だったんだろうな…私も色々買ってもらう場合は、全てそこの百貨店でした。全ては過去の話ですが。
私の地元のそごうが閉店しました。この動画の指摘してる事がストライクKOパンチ👊💨過ぎました。私はトラックの運転手してますし運転の全国大会に出て高成績を獲得していますけど、徳島そごうの駐車場は狭かったです。😭
その内山形県、徳島県に次ぐ“百貨店空白都道府県”が出てくるかも…
山形はもうなっとるわ
@@噛ませ犬-j9dだから「 次ぐ」って書いてるぞ
確かに百貨店業界は斜陽と言われますが、名古屋タカシマヤが毎年バレンタインシーズンに開催している「アムール・デュ・ショコラ」は世界のショコラティエも集まるレベルで、2020年には30億円以上売り上げているんですよね。まだまだ生き残る方法はあると思います。
子供の頃デパートには流行りの玩具が沢山売って居て欲しい物ばかりでした。特に当時は、まだ珍しいマテル社等の外国製の玩具ピストルは凄く魅力的でした。 ですが、親や大人達は「あんな物買って遊んで居たら勉強せんから、ろくな事に成らない。 有害玩具だ。」と決め付けられてました。
昔々、東京の高島屋本店に初めて行ったのは新聞広告に出てたアポロ宇宙船のプラモデル(Revel社製)を買いに行った中学1年生の時だった。さすが東京のデパートは扱う商品が進んでて幅広いなーと素直に思ったもんだ。けれど中学生ってのは趣味の専門性に目覚める頃でもあって、いろんな「専門店」の存在に気づき始める時期。電気製品なら秋葉原、本だったら神保町、オモチャだったらポストホビーやイエローサブマリン、服なら近所のしまむらで、てな塩梅でその後もデパートで買い物した記憶ってほとんど無いなー。まあ今ではほとんど全部Amazonで済ましちゃってるけど、結局そういうことよね。今の時代に求められる専門性と多趣味多品種大量性にそもそも物理的に対応できなくなったてのが最大原因、あと限局性ですかね。買い物のためにわざわざ大都市に出て行く必要が無くなった。
いま自分は会社の新規事業部で百貨店相手に商売してる。言っちゃ悪いけど伊勢○立川店のような弱小店舗ですら全てリスクをメーカーに押し付けてるよ。今年は散々だったからたぶん来年からは出店しない。集客もない店舗なのに全てを押し付けて殿様商売も良いところだよな。その点、な○の東急百貨店なんかは消化仕入だけど什器も販売員も百貨店負担だから、売上悪くても来年も出るよ。
最後のうぷ主の本音、めっちゃ分かります。
千葉駅周辺に住んでたせいか、割とその辺の百貨店の生き残りと衰退は、物凄く良く動いて見えたんだよな…千葉って三越にそごうが有って、そして16年に千葉駅の超駅ビル化、同年にはパルコ、17年に三越が消えると言う、ちょっとした激動が見れたからなぁ…そごうもそごうで、なーんかデパ地下は兎も角、場所によっては格式の高さで、場違い感が凄く滅茶苦茶居づらいと言う…
百貨店は高価格(お高くとまっている)イメージがあって、低所得者層だと近寄ろうとすら思わない。不景気に伴う価値観の転換もあり、今のご時世『高くていい物』より『安くて悪くない物』を求める人が多いと思うし実店舗販売よりネット通販の方が利便性が高く、百貨店のスタンスはほぼ全面的に時代に沿っていない。 まさにオワコンって言葉が当てはまる。
百貨店はバブル期は「高いものが売れる」崩壊後は「高いので売れない」当たり前のこと、なぜ学習してなかったのだ
百貨店で最後に買い物したのは就活スーツでした。まだ就活なんて言葉すらなかった時代。親に最初のスーツだけはいいモノにしろと厳命されたので、たっかいスーツ買いました。ただ、10年以上着てもビクともしないほど丈夫で、結果それほど高い買い物ではなかった気がします。
成人になった時に作ってくれたスーツは確かに百貨店だった。リーマンになっても数年は百貨店だったが、いつの間にか専門店で作るようになったなぁ。
タイムリーに地元のクレディセゾンが天に召されてしまった、
今でも百貨店の人間の傲慢さは凄いよ製品の卸売りの打診した際にもメールの返事はないし、連絡取れないから仕方なく電話した際も担当者が「今忙しいんで」としか言わない人が出てきて対応としても最悪だったわ
そういう傲慢さを持っている人間がいるうちは、復活は難しいだろうね
いつも勉強させてもらってます。面白いし為になる動画てすね。ミニにするつもりだったのか▪▪▪!
「●子の話は信じるな」みたいに書いておきながら素晴らしい情報提供
百貨店で買うのは記念日のジュエリー位でファッションはそれにしても保守的なデザインで高過ぎる…いつか買える日が来たい
個人的に百貨店は敷居が高い感じがしてほとんど足を運ばなかった場所です。
百貨店に勤めてるけれど途中霊夢が言った、百貨店に行く方が理由いるっていうのが全てだと思う
昭和の頃は理由がありましたね。
親戚の法事に出る為の服を買いにデパートへ行く…。
そのデパートへ行く為の服を近所の服屋にお袋に連れられて買いに行く。
1970年代の懐かしい思い出です。
デパートはトイレだと思ってる
それなりの人に贈る贈り物とかな
贈り物をする時百貨店名が入った紙袋や包装を貰いに百貨店に行っている感じ
「あなたへの贈り物はちゃんと百貨店で買いましたよ」という証明が欲しいだけ
私の父は、お歳暮、おちゅうげんの品物をかいにいく
屋上の遊園地、食堂、エレベーターの綺麗なお姉さん・・・
百貨店は「夢の空間』でしたね。
気がつけば、『空間を味わう』という買い物の仕方をしなくなったなあと。
埼玉県川越市の丸広百貨店はつい最近まで屋上遊園地がありましたね。
今は大手デパートでも大食堂でなくレストラン街、それこそユニクロみたいな
テナントも多く入ってますし『その場でしか味わえない経験』って無くなりましたね。
たのしかったあの頃・・・
ほんと、いい時代だったなぁ
そうだね、『空間を味わう』は屋上の遊園地や食堂、エレベータガール、アドバルーン、バーゲンセール、福袋などプライスレスな価値があったね
谷麻理さん
今はもうありませんが小学校の頃、浜松に松菱百貨店がありました。
日曜日には母親と松菱に行って、お子様ランチ、屋上遊園地、母親の買い物、たまにはぐれて迷子のご案内放送、が定番コースでした。そう、百貨店は子供のワンダーランドでございました。
こうして様々な業態が栄枯盛衰していくことで、黙っていても顧客の利便性が上がるんだから、資本主義経済は本当に良く出来たシステムだと思う。百貨店は衰退したが、百貨店が主導した効率化の遺産は、時代遅れのものを除いて後の業態に受け継がれたわけだし。
控えめに言って、神動画だと思う。
百貨店(デパート)→スーパーマーケット→(コンビニ)→専門店(セレクトショップ)→大型ショッピングセンター→ネット通販(EC)、という小売業の移り変わりがわかる。できればディスカウントストアにも触れて欲しかったが、今回の主旨には若干合わないか
とある電鉄系百貨店の社員です。
動画の再生数を見て、世間の皆様がまだ百貨店に興味を示していただいていることに驚きました。
私が勤めている会社も年々社員の年齢も上がり皆過去の栄光に縋って現実が見えていない気がします。
今一度原点回帰をし、お客様から「求められる」お店作りをしないとと思いました。
私も新卒から勤めて10年以上経ちますが、弊社に限ったことですが昨今の従業員の質の低下をひしひしと感じざるを得ません。
私もまだまだ勉強不足ですが、商品についてお客様の方が詳しい。態度が悪いなどしょうもないクレームが日常茶飯事。部下を教育しない上司。取引先に案件の丸投げ。この動画を拝見して、このままではいけないと改めて思いました。
動画に反響があるということは、まだ世間の皆様からの「期待」があると私は感じましたので、これからもお店を少しでも良くしていきたいです。
私も鉄道系百貨店に勤務しております。本当にコメント主さんのおっしゃる事をひしひし感じます。私は社員ではごさいませんが、それでもお客様の要望に応えようと必死で仕事をしています。ただ、時に人間関係で酷く傷つけられて帰宅しては泣く毎日を過ごした事もありました。でも、そんなときに優しいお客様や職場の仲間の言葉に助けられたりもしてます。本当におっしゃる通り、中から変えていける事は沢山ありますよね。その改善がお客様を魅了して最終的には売上へと繋がるのではないかと考える日々です。
非正規雇用者が増えたのも1つの理由だと思う。時給1500円なら手取りは
20万ないだろう。一人暮らしならデパートで買い物なんて出来ない。
2000年以後、給与が増えてないのは先進国では日本だけ。
電鉄系百貨店に山陽百貨店・伊予鉄高島屋と一畑百貨店は含まれますか。
都内にいた時は実家に帰省するタイミングでしか利用しなかった。ただ、あの忙しいタイミングで丁寧に包装していただいたのが嬉しかったし中身も喜ばれました。
百貨店に興味を示しているうちは終わりません。商店街のように興味すらなくなり素通りされたときが正真正銘の最後ですから。
もう随分と昔の話
お正月に会った百貨店勤務の親戚が「百貨店とはそもそも新しもの好きで流行りものにはすぐ乗っかる軽薄なところがあったのに、最近の連中はお高く止まってていかん」と嘆いていました
まだ小さかったので話の内容はよくわからなかったのですが、妙に印象に残ったのでなんとなく覚えていました
そういう危機感を抱いていた人もいたけど声が通らなかったからこうなったんでしょうね
今の百貨店に「軽薄なところ」は皆無。悪い意味で原点回帰(百貨店の業態になる前)してますね。
時代に関わらず新しいことをやる人は新しい業態を選ぶだろうから、かつて百貨店を興したようなタイプの人材は、今の時代百貨店業界にはこないという皮肉。
子供の頃、デパートのレストランで食事するのは特別な時間だった。
お昼くらいにデパートに買い物行くと、昼食をレストランで食べられるかもとワクワクしてたものです。
阪急百貨店本店の大食堂では、何を食べても美味かった。そんな時代にはもう戻れない( TДT)
百貨店は「正装」で行く世代でしたが、とにかく楽しかった思い出ででした。
思い出させてくれて有り難うございます。
コメント欄での「子供の頃の思い出の場所」が、百貨店とショッピングモールで分かれてて面白い。
最近の百貨店で子供ってほどんど見かけない気がします。
基本的に地方だとご老人ばかりいるイメージ
昔の阪急百貨店本店の大食堂が懐かしい( TДT)
首都圏ってか、最寄りのデパートは駅近マンションのおかげで、ファミリーが多いです。
閉店した徳島そごうが思い出の場所だわ…。
昔、うちの母親が阪急のデパ地下によくクリームコロッケ買いに行ってたな。あの味は忘れられん( TДT)
子供時代に百貨店のレストランでお子様ランチを食べて 屋上の遊園地で電車に乗るのが好きだった
子供の頃の贅沢像のひとつだよね
ダイエーも同じように最上階レストラン 屋上にに遊園地はそごうの差別化 三越は蚊帳の外だった(ベンチスペース
日本は百貨店で美術館並みの美術展をやっていた時代があって、諸外国にpgrされたので美術館を作りまくったのですが
本当はあの百貨店最上階で美術展をやるのは正解だったのかもしれないですね。今やどこも美術館の維持にひーひー言っている。
百貨店でやればwin-winだったのに。
美術館多すぎ(# ゚Д゚)!!
今は実店舗だと百貨店というよりショッピングモールが盛況ですよね~
ショッピングモールって安くてなんでも揃いますし
千葉の船橋にららぽーとが出来てから百貨店の運命が決まった気がします
自分が学生時代だった80年代末のバブル最終期に、JRの大規模駅ビルがファッションビル化して行ったのが百貨店に大きな打撃を与えたのが大きいと思う。それまでは駅ビルって20-30店舗くらいで地元商店街が入居したような作りだったのが、パルコのようなショッピングセンターの成功に習ってチェーンの専門店をテナントとして招致した結果、都心にしかない百貨店まで足を伸ばす必要なくなりましたよね。
国鉄時代は公共性のために駅テナントなどの副業規制が厳しく、「名店街(いわゆる寄合百貨店)」ぐらいしか併設出来なかったのです。
それが国鉄末期に副業規制が緩くなり、さらにJR化後すぐに昭和20~30年代に建てられた大都市の主要駅の駅舎の建て替えラッシュが始まって、各地でファッション駅ビルが誕生したわけです。
中には駅ビル新築時に大手百貨店が新規出店し、古い地場百貨店から客を奪った札幌駅みたいな例もありますが……。
令和6年1月14日、島根県唯一の百貨店🏬、「一畑百貨店🏬」 が65年に亘る営業を終了、閉店に至った。「一畑百貨店🏬」 は、島根県西部地区をテリトリーの交通事業者 「一畑グループ」 の関連会社。
百貨店へ行って、見た事がない珍しい物や憧れのブランド品を見るだけでワクワクするし、的確なアドバイスをしてくださる販売員の方々のサービスは本当に質が高いので気持ちよく買い物できますよね。
勝負の商談の時のお弁当や手土産、プロポーズのための指輪、お世話になった方への送別の品など、ここぞというときの買い物は決まって百貨店です。沢山の思い出がある百貨店文化がいつまで残って欲しいなって思います。
子供のころよく親に連れられて、デパートに行ったなぁ。デパートのレストランで食事するのが楽しみだった。屋上の遊技場にも行ったなぁ。
なんかすべてが輝いてみえた。
あのころが懐かしいなぁ。
大人になり、たまにしか行かなくなったが、行くと未だに一階の化粧品売場に躊躇する。😅
あの化粧品売場の匂いを嗅ぐと、母が化粧品を選んだ時を思い出す。
貴重な想い出ですね。どうか大切にしてください。
子供の頃はまだ百貨店は特別な店っていうイメージがあった。
大きくなると、なんか入り辛いイメージに…
イオンモールとかが気楽で友達とかと遊びに行くのもイオンでしたね。
エッへんのきめえ丸がかわいい
自分はあんまり買い物しないけど、街の豪華でお金かかった百貨店の建物がなくなっちゃうのは嫌だし寂しいみたいな気持ち。
買い物しないのに、店内歩くと高級感感じて楽しいし、服でも化粧品でも各ブランドが並んでて比べて見れるのも楽しい。
自分も。グルっと歩いて服や靴を見るのは楽しい。同様に、滅多に買わないけど、たま〜に掘り出し物があったりして。特に7月8月とか1月あたり。
百貨店の解説なのに過去作を思い返すポイントが多くて、今回も内容の厚みが凄いですね。
デパート:そごう、西武
スーパー:ダイエー(価格の決定権が消費者に移った)
アパレル:カネボウ(赤字の紡績を最後まで切り捨てなかったのは、消化仕入によるまとまった利益をアテにしていたから?)
体系的にまとめられていて、大変わかりやすいです。
アパレルとの関係、百貨店の商習慣までまで掘り下げておられて
とても素晴らしいです。ありがとうございました。
大沼デパートにちょっと触れてくれて嬉しい山形県民です。ちなみに大沼には2回くらいしか行ったことはありませんでした。若者はみんな郊外の大きいイオンモールに遊びに行くのが普通でしたね…。
うちは千葉に住んでるのでアリオかまたはららぽーとのほうが行くのが普通で気軽でいいですね
ただ横長いから歩くので広いけどね
特に山形市民は天童(イオン)に行くか何なら仙台市に行きますからね⋯
仙台駅前⇆山形駅前間の高速バスという運行本数も多けりゃ1時間弱で移動可能な公共機関がある事も大きいですし
一般の人が簡単に入れないようなお店ばかりで親もあまり行かないし、当然子供の頃の百貨店の思い出がない。今年20歳だけど、百貨店の人は客を絞った接客をしてるし、買えないものばかり並んでるからこれからも行く理由があまりない…。
ピチパン·カルチャー
百貨店って当時の最先端を詰め込んだ経営体だったんですね。
確かに今じゃ化粧品も服もECサイト(実店舗だとルミネとか)で買うことが増えたし、デパートは総菜売り場くらいしか
行かないなぁ。。時代に合わせて方向転換を続けるって本当難しいですね
惣菜売場は確かに未だに行きますね
モールとは未だに店舗の種類が結構異なってる
これについてはしくじりというよりも時代の変化が急すぎた悲しみなのかなと思いましたね...
とは言っても時流に数年単位で対応出来てる小売のチェーン店なんかは生き残りもあるので
動画内でも言われてますが殿様商売化と、対応が尋常ではなく鈍化してたのがね…2、30年は商売の基礎が変わってないんだもの
私が子供の頃には既に百貨店=40代以上が行く場所で、若者が行くような場所ではないという認識でしたねぇ。
案の定、某鉄道系で駅と直結していたその百貨店は潰れて今やコインパーキングです。
デパートで買いたいものがなくなってたと思ったら産業構造が少しずつ変わっていたんですね。
山形大沼の駐車場はボロボロで狭く、道路の拡張前に解体して新装した七日町の商店街振興組合の駐車場を利用する方式をとってました。主さんも楽々車出し入れできると思います。
その駐車場結構遠かった。ご高齢の方道路も狭くって危ないよなと思ってました。
阪急阪神や近鉄には百貨店の灯を消さない様に頑張ってほしいが……
阪急のライスカレー好きでした
ここにきてAmazonのような最大手のECサイトの商品や対応のいい加減さが問題になってきてるので、今や巻き返しの時だと思うのですが、体質的に新しいことに取り組むの難しそうですね…
一番気に入ってるのは……値段だ
価格
安かったら多少のことは目をつぶるもの。
@@EARofSATAN あぁ~!待って!!ここで動かしたらダメですよぉ!
待って!止まれェ~ッ!!
ユニクロやイオンなら1980円で
シャツが買えるが
百貨店ならシャツ1枚でも
15000〜16000円はする
百貨店は定価販売だが
ネットなら値引きしてる
普通にデフレのせいで日本人が貧乏思考になっただけだと思う
真面目な内容なのに例えが秀逸で面白かったです!
本日も楽しく拝見させていただいてます。
百貨店の懐かしい思い出たですね。
旗があるお子様ランチ。
屋上のゲームセンター。
親にせがんでよく連れて行ってもらった記憶があります。(年齢バレそう💦)
また、次回の動画も楽しみにお待ちしてます♪
80年代のデパートって、大食堂があって、おもちゃ売り場がワンフロアブチヌキデ、屋上に遊園地。おかんが服を選んでる間、ばあちゃんがお子様ランチを食べさせてくれておもちゃ買ってくれて屋上で100円乗り物乗せてくれて。子供には楽しい場所でした。それで、帰るとばあちゃんがおかんに怒られるというものでした。
立地の利便性や商品ジャンルの多さはショッピングモールに奪われ、商品の専門性と安さは専門店やECに奪われた。
百貨店の未来はどこへ行くのか。
無くなるのかな?中心地活性化と言いつつ動きがない松山 モールにしてやられっぱなし
今のアナウンサー上がりの市長なってから全然だ(口だけから不動 飯食うだけのポジション?)
ゼネラルモータースの時と似たようなもので、創業者や発展させた人たちは有能で一所懸命だったのに、
規模が大きくなった時代の経営者たちは先駆者がやっていた時代の分析などせず、
引き継いだ物の上にあぐらをかいて食いつぶしているだけですねぇ……
偉大な創業者の後継者が暗愚なため斜陽した企業は数知れず
@@小谷和浩 でもそもそも何代も優秀な跡継ぎが続くなんて確率的にあり得ないんだから後継者の個人的能力に依存するシステム自体に問題がある気がしますね。
それ今の日本じゃん
高校生だが百貨店はなんとなく富裕層向けの商店っていうイメージがある
某アパレルの営業だけど
最近の百貨店の責任者とかとても腰が低くてもう切羽詰まってる感じがすごいよ
前比聞くたびまずい
40年近く前にエレベーターガールさん居たのは憶えてる。
屋上の遊園地や玩具売り場など、買って貰えなくても行くだけで楽しかった。
90年代までならこの業種と客室乗務員のカップルが最強みたいな雰囲気あったよね
色々売ってるけど、買いたい物が無いってのが個人的な印象。
アップお疲れ様です
セブン&アイが持っている西武・そごうの苗場スキー場やプリンスホテル、ゴルフ場を海外のファンドへ売却するというニュースを見たタイミングでしくじり企業の百貨店編w
毎回、視聴してます。とてもためになります。ボケとツッコミのテンポの良さ、わかりやすさ、掛け軸の文字、うp主さんの本音。
笑いあり、知識になり、良い動画です。
百貨店の衰退は日本全体の少子高齢化が原因の経済縮小だと思っていました。
この動画を見てとても勉強になりましたよ。
衰退する企業・業界を見ていると「奢れるものは久しからず」に尽きます。同じやり方で2度成功するのは難しいですから、伝統や良さを生かしつつ変化も取り入れないと。
現在の百貨店は都心の一等地にあるショッピングセンター同然で、どの百貨店に行っても一通りの有名ブランドのテナントが入っているにすぎない感じがする。
外商で得意客を囲えば安定的な利益は図れたろうが、デパートメントストア宣言したころの先進性を失ってしまった時点で、百貨店の衰退のトリガーが引かれてしまったのだろう。
学生時代、大して買うものがなかったのに西武百貨店のクラブオンカードを持ってちょっぴり都会人ぶっていたのが懐かしく思える。
今じゃ百貨店に行くのって、物産展がある時くらいだなぁ・・・。
挽回できるような額じゃないけど、物産展やバレンタインイベントのような催事は、百貨店業績回復のチャンスではないかとは思う。
氷河期一年生なんですが、昨今の統計で年間の服飾費が37000円程度になったと聞きました。しかし、私が学生の頃はファッション誌はめちゃくちゃあったし、OLの一ヶ月の服飾費は今の一年分くらいだった記憶があります。
広島そごうに、母方の一族(母親、叔母、祖母)と弟と出かけて大食堂でお昼ご飯食べて玩具売り場でいろいろ見てる間に母親たちは買い物をして帰り際に地下の回るお菓子売り場の量り売りのお菓子等を買ってもらうのが楽しみでしたよ。エスカレーターの立ち位置が緑色に点滅してるのを思い出します。食堂や地下売り場の匂いが脳内再生されます。
あのゆっくりくるくる回る量り売りのお菓子、地元に仕事で帰省してて久々に地元デパートの食品街に見に行ったら100g2百うん十円w
とてもじゃないが高くて買えないですね
めったに買ってもらえないので買ってもらったときは嬉しくて飛びはねるくらいの気持ちでした
お菓子の入った紙袋すら愛おしく感じたものです
大して美味しくもないビスケットとかをあんなに喜んでたのも子供で純粋だったからですね
この業界で、予備校業界とか出てきそうだなって思い始めました()
カビキラーのくだりまじおもろいです
昨今の高級品バブルを見ると、よりターゲットを富裕層に狭めて高級感を増せば、まだまだ百貨店もやっていけると思うんですけどね
宝飾品は基本的には対面で買いたいわけだし、また服などの身の回りのものが一店舗で全部そろうなら便利だと思う
ターゲットをそこまで狭めたら、百貨店のような大きな箱はいらないですよね、、、
なんというか、そこまできたら百貨店である必要がないというか…
お支払いは盆と暮れの年2回にまとめて……あれ?退化したw
それをやるには中国の富裕層のインバウンドに頼らないといけないからコロナが収まらないと難しいですね
実際都心の百貨店だと金持ちそうな身なりのお客さん多いですね...
北海道だと大丸はできて数年で1番店になったんだよな。店員も他の店より少ないし、若者向けのブランドも結構多くて他の百貨店とは少し違うけど、そこが他より人気が出た要因だと思う。
実際、三越や丸井今井、東急と比べても若い人が多い気がする(駅直結だからかもだけど)。これからこういうスタイルのデパートが増えれば、百貨店もまだ生き残れるはず。
昔駅前のさいか屋に家族で行くと、大食堂でよく昼御飯食べたなぁ。窓際の席に座って電車を見るのがとっても好きだったなぁ。😄😄
さいか屋は4F~7Fが、ヤマダ電機になっちゃったよ。
どー言うこと?
そごうの屋上にあった遊園地で遊ぶの楽しかったなぁ。令和生まれのこれからの子供たちには屋上遊園地独特のあのワクワク感が伝わらないのは少し寂しい。
屋上の遊具はなんといっても観覧車でした。高いビルも余りなかったので、市中が鳥瞰できました。
子供の頃の楽しみは親に山形屋に連れて行ってもらうことだったな。故郷を離れて自分が親になってから、ゴジラ対スペースゴジラでゴジラが桜島を背に上陸して逃げ惑う市民に山形屋を肘で壊すシーンは胸が熱くなったね。懐かしかったし、ゴジラシリーズに鹿児島市内が出たことが嬉しかったね。
地元の近鉄百貨店ですと昔はかなり微妙な所でしたが、最近はロフトや大型書店などが入ってて若者でも気軽に行けるところになりました(大阪出るほうがいいっていうのは内緒やけど)
19:34 昔は切磋琢磨して上り詰めたのに、その後は胡坐をかいて追い抜かれる。
どこも似た感じだな。
昭和世代にとっては、百貨店は子供の頃の思い出いっぱいの場所です。
食堂のお子様ランチ、屋上遊園地、迷子センターで飲める高級ジュース…
あっ、迷子センターの常連にならないと知らない話でしたね。
まだダイエーがなかったかあっても限定的な時代ゆえ、
日用品食料品以外は否応なしに個人商店か百貨店で買い求めるしかなかったから、
そのような「道楽」もできたし、販促にもなりえたわけですな。
端的な例だと子供のランドセル。
ランドセル買うついでに文房具一式も揃えてもらえりゃ
その程度の接待もすぐに回収できますからね。定価販売ゆえに。
百貨店の中に美術館ができたのはなぜなのか、そしていまそういうものがほとんど見られないのはなぜなのか知りたい。
百貨店美術館でいろんなものを見たけどいまでも鮮明に思い出せる美術品も数々あった。
正直今まで百貨店と不動産賃貸業の違いがあまりにも分からなかったが、
アパレス側が予算額に制限されず、百貨店側がリスクを負わずに済む消化仕入方式を選んだことから、なるほどと思った。
日商販売士のテキストに、百貨店は消化仕入方式を捨てて、リスクをとって仕入れを行うべきとあったが、
それはただ利幅の大きくするだけでなく、アパレス側に依存していた売場作りや販売ノウハウを自ら磨き、競争力を高めろという意味だと分かって勉強になった。
違いなんてないよ。メーカー側にリスクをおっかぶせるのは
百貨店もファッションビルもかわらんから。
百貨店と、ファッションビルとかテナントビルとかの貸ビル業の違いって、
今じゃ「百貨店組合に加盟してるか(≒百貨店共通商品券が使えるか)」でしかないよ。
ルミネとか丸井とかは組合に入ってないから百貨店扱いされない一方、
事実上貸ビル業になって久しいがまだ組合を脱退したない
札幌の丸ヨ池内は百貨店扱いされるって時点で、
商品券を使うとき以外にもはやそんな区別自体が不毛なのもわかると思いますよw
地方物産展(特に北海道)が来たときくらいしかデパートに行かなくなったなあ
百貨店の戦略って云うか存在感は凄かったんだな。今後も街のランドマークであって欲しい。鉄道と直結リンクのデパ地下は永遠に不滅。屋上は今も人口の絶対過半数を占める団塊世代に
合わせて懐かしの60年代ワールドを演出してはどうかな。タイムトラベルさながらにね。
百貨店行けばわかるけど質は高めで値段も高目でも見合うものは売っており納得はできることが多いと思うから今もある。ただ一般的かといえば入りにくい建物に買い物はしづらい売り場とモールとは違う閉鎖性で古さが目立つ売り方。悪いわけじゃないけど時代に合ってない衰退するという日本の象徴的だと思う。
こないだ「緋の稜線」を一気読みしたけど、無茶苦茶面白かった! デパート繋がりw
「それはカビキラー」に至る怒涛のくだりで、声出して笑ってしまった。さすがのセンスです。
ネット通販って品物が手元に届くまで結構時間かかる場合があるし、百貨店にチャンスが無いわけでは無いと思いますが、やはり専門店やショッピングセンターが強敵ですかね。
ところでせかいじゅのしずくがないならプチヒーロー狙うしかないですね。
コメダのミニを信じるなは完全に同意
大変 お勉強になりました。
子供の頃 大丸に行くのが 楽しかったなぁ……。
近代日本の大衆文化の中心から、年を追うごとに外れていってしまったデパートの歴史。
大変勉強になる動画ですね。
最近二十年ぶりぐらいに実家に帰ってきたら駅前のデパートが全滅してたなあ…
それと市内のゲームショップも全滅してたな…
幼い頃祖母に連れられてデパート内のレストランで食事をして屋上の変な乗り物やエレメカを楽しみ、辺りを見回せばアドバルーンが浮かんでる光景が懐かしい。
ただ、その時代に戻りたいかと言われれば嫌だ。
ダウンロード販売と送料無料のネット通販が便利すぎる。
それも数十年後には時代遅れになっているんだろうか、最近だとこの先3Dプリンタで瞬間印刷とかされたらかなりの業界に影響あるなーとか思う。
現状でも樹脂製品ならある程度イケてしまうし、これから先様々な材質で高速に簡単に印刷できるようになれば部品関係とか大打撃受けそう。
メーカーが補修部品のデータをダウンロード出来るようにするとか。
現代だと説明書なんかはメーカーのウェブサイトからPDFダウンロードが当たり前だけど数十年前だとメーカーに電話して銀行に送金して送ってもらうとかで説明書紛失したときは二千円近く取られたし。
母が百貨店勤務で自分の職場も日本橋付近なのですごく身近な話題でした。三越や高島屋もたまに行っても地下の食料品以外はガラガラで、店員さんの方が多いくらいで気後れしてしまいます
言われてみれば百貨店の衰退はそのルーツからもアパレルと密接な関係があったんですね。アパレル業界自体も大量廃棄問題やコロナで人々が外出しなくなった事でさらに難しい曲面に入ってますしね…
百貨店の営業さんに聞いたんだけど、できた当時は外食産業がそれほど普及してなくて、家族で外食と言えば百貨店の中のレストラン。ついでに家族と買い物でかなり繁盛した。けど、ファミレスとかファーストフードが普及し始めると客足が遠のいて・・・そのダメージが大きかったと言ってた。
阪急が電鉄系デパートの走りだったんだ…
一三翁はやっぱすげーや…
関西では小林一三は大実業家、阪急電鉄・宝塚歌劇団・阪急百貨店・東宝(阪急ブレーブス)なんか凄い!
関東では、五島慶太の東急電鉄、東急百貨店、伊豆急行、東映
一三翁が宝塚歌劇を創り、松竹も後に続いた。SKDはなくなったが、OSKは消滅危機を乗り越え、今日にいたる(;´Д`)
やはり何事も先を行く一三翁は天才だった(・∀・)
赤いカードの0101はリボ払い+キャッシング事業で成り立つ
なんか不思議
本業がそれだから
最初のところの、掛け軸をいつも楽しみにしています🎵
最後のうぷ主の本音も。
勉強になった。
うちの親父が勤めてた、地元の駅前の超一級立地にあった地場の百貨店も、
イオンモールとホテルに建替え中です。悲しいがこれも時代よね…。
百貨店で経費扱いで購入してきていた個人商店や零細起業経営者が徐々に没落した事、スーツや化粧品、雑貨を購入
してきていた団塊世代が定年退職、今や後期高齢者となり購入の必要性がなくなってきたから。
令和の若者たちに百貨店の価値は分からないだろう、百貨店はこれからも厳しいぞ、しかしイオンは強いな…
スーツは自分の体型や好みを熟知してくれている洋服屋さんで買いました。値引もしてくれますしね。
外国映画にも出てくる、凝った装飾のエレベータは、百貨店に来たことを想わせる
子供時代の強烈な思い出である。
20代だけど、子供の頃よく見てたサザエさんで『みんなお洒落してデパート(百貨店)に行く』という光景が不思議だった記憶。買い物以上に価値のある場所だったんたなぁ。
そりゃドンキもイオンもなく、大型の店舗ってのが百貨店しかなかった時代ですからね。
言ってみれば「毎日開催されてるプチ万博」だったから。
今回も素敵な動画ありがとうございます☺️
このチャンネルは大人の義務教育にしたいですねえ。
うろ覚えですが昔行ったデパートにはおもちゃ、ゲーセン、PC関連の大きな売り場もあって「ここはすごい所だ」って印象がありましたが
いつの間にか魅力的な物はなんにも無くなって、最期は店も無くなったんですよね。
最後の本音がもう納得しかなかったです。
百貨店の大食堂最後まで残ってた大丸京都が、今月で大食堂閉めるから、
大人のお子様ランチ思い出作りに食べに行こうかなと考え中です。
けど、物産店の催事の店舗集めとかまだ百貨店がいいなと思ったりします。
大丸京都だめですかぁ、大丸下関も斜陽です
そんな中でも大型でありながらでかい駐車場にマクドナルドや映画館を積極的に取り入れてるイオンはすげーんだなと改めて思う
イオンって大赤字ですよ出してるだけです。
イオン本体の役割はイオンカードとWAONの利用者を確保する事です、
勉強になりました。
百貨店の商売の仕組みそのものが、すでに時代遅れというか、資金力のある百貨店に対する対抗手段としてのショッピングセンターやカテゴリーキラー、ECにいいようにやられてしまったのが今の状況というわけですね。
この動画、百貨店の中の人はどういう思いで見るんだろうと思います。
ショッピングセンターの中にはシネマコンプレックスにも入館してるのでたまにライブビューイング生上映もあるのでそっちほうが結構業績いいですね ますます百貨店は苦戦しそうですね
@@3yuk991 様 昔、大阪の三越の最上階に三越劇場と言う映画館がありました。結構好みの合う作品の選択で、座席も当時としては高級感のある椅子で、良く観賞に行きました。
在庫の話ですけどアパレルだけじゃないんですよね。デパ地下の食品会社も同じで、百貨店が営業中は品物を切らしてはいけないという規約がありましてねえ。営業終了時に残っている商品は殆ど食品ロスになる。百貨店の総菜コーナーに出店している店舗の食品はソルビン酸などの保存料がほぼ入っていない、入れてはいけないというのもあって次の日に並べるというのが難しい。
「今日は帝劇、明日は三越」というポスターを社会科の資料集か百科事典で見たことある〜。
うちのバアちゃんには、近くの百貨店の外商部の人がよく来ていました。いい顧客だったんだろうな…
私も色々買ってもらう場合は、全てそこの百貨店でした。全ては過去の話ですが。
私の地元のそごうが閉店しました。この動画の指摘してる事がストライクKOパンチ👊💨過ぎました。私はトラックの運転手してますし運転の全国大会に出て高成績を獲得していますけど、徳島そごうの駐車場は狭かったです。😭
その内山形県、徳島県に次ぐ“百貨店空白都道府県”が出てくるかも…
山形はもうなっとるわ
@@噛ませ犬-j9dだから「 次ぐ」って書いてるぞ
確かに百貨店業界は斜陽と言われますが、名古屋タカシマヤが毎年バレンタインシーズンに開催している「アムール・デュ・ショコラ」は世界のショコラティエも集まるレベルで、2020年には30億円以上売り上げているんですよね。
まだまだ生き残る方法はあると思います。
子供の頃デパートには流行りの玩具が沢山売って居て
欲しい物ばかりでした。
特に当時は、まだ珍しいマテル社等の外国製の玩具ピストルは凄く魅力的でした。 ですが、親や大人達は
「あんな物買って遊んで居たら勉強せんから、ろくな事に成らない。 有害玩具だ。」と決め付けられてました。
昔々、東京の高島屋本店に初めて行ったのは新聞広告に出てたアポロ宇宙船のプラモデル(Revel社製)を買いに行った中学1年生の時だった。さすが東京のデパートは扱う商品が進んでて幅広いなーと素直に思ったもんだ。けれど中学生ってのは趣味の専門性に目覚める頃でもあって、いろんな「専門店」の存在に気づき始める時期。電気製品なら秋葉原、本だったら神保町、オモチャだったらポストホビーやイエローサブマリン、服なら近所のしまむらで、てな塩梅でその後もデパートで買い物した記憶ってほとんど無いなー。まあ今ではほとんど全部Amazonで済ましちゃってるけど、結局そういうことよね。今の時代に求められる専門性と多趣味多品種大量性にそもそも物理的に対応できなくなったてのが最大原因、あと限局性ですかね。買い物のためにわざわざ大都市に出て行く必要が無くなった。
いま自分は会社の新規事業部で百貨店相手に商売してる。言っちゃ悪いけど伊勢○立川店のような弱小店舗ですら全てリスクをメーカーに押し付けてるよ。今年は散々だったからたぶん来年からは出店しない。集客もない店舗なのに全てを押し付けて殿様商売も良いところだよな。その点、な○の東急百貨店なんかは消化仕入だけど什器も販売員も百貨店負担だから、売上悪くても来年も出るよ。
最後のうぷ主の本音、めっちゃ分かります。
千葉駅周辺に住んでたせいか、割とその辺の百貨店の生き残りと衰退は、物凄く良く動いて見えたんだよな…
千葉って三越にそごうが有って、そして16年に千葉駅の超駅ビル化、
同年にはパルコ、17年に三越が消えると言う、ちょっとした激動が見れたからなぁ…
そごうもそごうで、なーんかデパ地下は兎も角、場所によっては格式の高さで、場違い感が凄く滅茶苦茶居づらいと言う…
百貨店は高価格(お高くとまっている)イメージがあって、低所得者層だと近寄ろうとすら思わない。
不景気に伴う価値観の転換もあり、今のご時世『高くていい物』より『安くて悪くない物』を求める人が多いと思うし
実店舗販売よりネット通販の方が利便性が高く、百貨店のスタンスはほぼ全面的に時代に沿っていない。 まさにオワコンって言葉が当てはまる。
百貨店はバブル期は「高いものが売れる」崩壊後は「高いので売れない」当たり前のこと、なぜ学習してなかったのだ
百貨店で最後に買い物したのは就活スーツでした。まだ就活なんて言葉すらなかった時代。親に最初のスーツだけはいいモノにしろと厳命されたので、たっかいスーツ買いました。ただ、10年以上着てもビクともしないほど丈夫で、結果それほど高い買い物ではなかった気がします。
成人になった時に作ってくれたスーツは確かに百貨店だった。
リーマンになっても数年は百貨店だったが、いつの間にか専門店で作るようになったなぁ。
タイムリーに地元のクレディセゾンが天に召されてしまった、
今でも百貨店の人間の傲慢さは凄いよ
製品の卸売りの打診した際にもメールの返事はないし、連絡取れないから仕方なく電話した際も担当者が「今忙しいんで」としか言わない人が出てきて対応としても最悪だったわ
そういう傲慢さを持っている人間がいるうちは、復活は難しいだろうね
いつも勉強させてもらってます。
面白いし為になる動画てすね。
ミニにするつもりだったのか▪▪▪!
「●子の話は信じるな」みたいに書いておきながら素晴らしい情報提供
百貨店で買うのは記念日のジュエリー位でファッションはそれにしても保守的なデザインで高過ぎる…いつか買える日が来たい
個人的に百貨店は敷居が高い感じがしてほとんど足を運ばなかった場所です。