Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
坂口安吾も飛騨に王朝があったんじないかって言ってたような。記紀と万葉集を参考にしたみたい。
今度金山巨石郡見学に行くのでタイムリーな内容ありがとうございます。 旧石器時代からの技術文化伝承があっての安定した縄文文明だと思うので、各地域に大きな勢力が誕生するのが自然ですよね。 記紀は8世紀編纂で平安時代まで編集され勝者の歴史。いろんな話ぶっ込むのは阿礼もも大変だったでしょう。
いつも楽しみにしてます!いろんなところに栄えていたクニがあったんですねーいつか吉備国についても、ずんだもんに教えて欲しいです!
28:28、飛騨は長野県でなく、岐阜県の北部です
以前、飛騨王朝の本を読み、古事記の話においての疑問が解消した記憶があります。なぜ九州という遠回りルートを経たのか、長距離を船で移動できるくらい海洋に強い仲間がいる理由、ナガスネヒコ戦で太陽を背にする方へ周った現実的な理由、十種神宝が作られた理由などなど。どれも筋道が通っていました。ただ大前提として、神通力というものを信じなければ成立しない話なので、あまり世間に広まっていないのでは?と思います‥興味深い動画をありがとうございました!
縄文遺跡は沖縄からも発見されてるけどね
日本の中心というのは其々時代ごとに違っていても不思議ではないかな?と思います。鎌倉幕府、室町幕府、戦国時代、江戸幕府大都市は時代毎に変わっているし。大和朝廷は比較的新しい王朝なのだと思います。
三内丸山遺跡のある場所が縄文時代に栄えたことは間違いなくて、それに日高見国という国名が(自称なのかヤマト王権から見た他称なのかはわからないけど)ついていたというのはありうる話かと感じます飛騨王国についても、メソポタミア文明やエジプト文明もそうだけど農業をする文明が正確な天文学も持ってるというのは頷ける話ですどこが日本の中心かという話は、ずんだもんと同じくもっと調べてからでお願いしたいかな、、、
関東にもあったと思うよ
確かに北上川の河口付近に住んでるけど家の裏に縄文土器あったなあ
7300年前の鬼界カルデラ大噴火で西日本に住めなくなり、東に逃げた縄文人がまた西に戻っていく背景を当てはめると面白くなる。自分は国産み神話は西に戻っていく話ではないかと感じている。
それ面白いな
私は鬼界カルデラの大噴火のもっと前の時代に日本の中心は関東~北海道南部にあった。その後 地球の寒冷化によって次第にかなりの人が西へ移動したのではないかと思っています。縄文時代(15000年前~)の遺跡や貝塚は関東以北に多いが日本全体にあるから。 近畿地方が日本の中心になる前の時代には 中心が九州に移っていたと思うが、それは7000年も前ではなくもっと新しい話ではないかと。よくわかりませんが。
鬼界カルデラ噴火から避難した縄文人が、降灰の影響を受けない東日本~東北地域で個々に再興して行ったって考えたら、飛騨王朝も日高見国も、そのほか越国や出雲など、複数の文化圏が同時代に存在していたのかもしれませんね~
人口の多い地域はどこだったか。大和朝廷の統治地域である奈良盆地はお世辞にも農業生産地域ではないし盆地の真ん中は湖だったとも。大阪平野も現在ほど広くはない。東海地方の尾張氏の援助が大きかったのでは?コメの生産が多かっただろうし大和朝廷の遺跡から尾張美濃伊勢三河の土器で半分を占める。相当数の労働力と兵力を送り込んでただろう。
古代について夢想するのはいいけど、真面目に考えるときは、こうだったらいいな的な思考は厳禁。
こういう研究はどうしても自分の地元だったら良いなが根幹にあって、研究のモチベーションになってる事がほとんどなんですよね色々な派閥の意見を聞いてまとめる立場の人がしっかりいるのが大事なので、こういう動画から興味を抱いた子供たちが未来の公平な研究者になってくれる事を願いましょう
常陸国総社宮にはヤマトタケルが座ったとされる岩があります
日本は山地や山脈、盆地が複雑に入り組んだ地形をしているので、どこが中心かと言うより各地に独自勢力(独自のコミュニティ)があり、それが徐々に淘汰併合をされていった結果、最終的にヤマト王権が勝ち残ったってな感じではないかと思います。
ホツマツタヱはファンタジー小説としては面白いけど、発見の経緯やその利用のされ方から歴史研究の根拠にするのはキツイんだよね
カルデラ噴火がイザナギの黄泉の国逃避行物語だよ。
気温や水面の高さも、今と違ったから。縄文で有名な山内丸山遺跡は青森県だが、その頃は今よりも温暖でそのため水面も今よりも高かった。これよりも前の日本は、よくわからんホツマツタエは、江戸時代のもの。古代日本語(上代日本語)ではありえない。奈良時代頃まで8母音あったことは、普通に万葉仮名を見ればわかる。
竹内文書使っちゃダメでしょ
ヤマトタケルは、景行天皇の第二王子で、六世紀後半になります。一世紀ではありません。
なんか畿内🆚SAGAみたい古代日本って首都機能一つに纏めて無かったんでないᴡ
後漢王族の子孫、坂上田村麻呂😮
出雲王朝しかかたんのだ
文系が全て学問として低く理系に見られるのがこういう事。理系分野は数学、化学、物理等全ては方程式(公式)や化学式は前提として新たな発想があれど証明する事が担保されて今更覆す事ができる。できない基礎を高校生までに習う。だから、教科書に曖昧なものはなく異論なんて基本的にない。それにひきかえ文系は2000前の言葉、作者の思いや登場人物の心境も(国語)勝手に推察しただけ。歴史(考古学、文献史学)も結局断定できないもの。邪馬台国がどこにあるのかを専門家も素人研究家も同じレベルで論じて確定できないものを理系学問と同レベル学問である。なんてちゃんちゃらおかしいし、学会が権威からして確定できないから趣味レベルの学問の様なものになる。
日本語の通じる異国・土佐の鬼伝説神に戦いを挑んだ鬼ダイバン。神はダイバンを成敗せず和解した。土佐人にとって鬼は敵ではなく英雄だった❗
土佐の鬼伝説…全く関係ないかもだけどお〜い竜馬のジョンを思い出す
三内丸山遺跡の建物の高さは、当時は今よりも雪深かったから、春中頃から作ってたんじゃない?と勝手に思ってる。倉庫兼用で大きかったとも。
部族 トライバル位は人員居ないとつくれないからな小規模血縁集団 バンドでは無理だし
@@tike2435 技術的に出来ないとか、人員的に出来ない。ではなく、もしかしたら出来たかも知れない。って視点で見てますので。きちんと考察すれば、私もそちらの方の意見に偏ると思いますが。昔出来て、今できないものもある。ということは、昔出来て、いつの間にか出来なくなって今は出来るがあって、いいかな?と思ってますので。人それぞれですよ。どうせ何れ◯ぬんですから、色んな意見を見つつも、こうだったらいいな。って持ってないと、生きることが、窮屈になってしまいますから。
ヒダ→ひだ(日高見)なのか、ひだ(飛騨高山)ヤマト→やま(邪馬台国)なのか、(大和)なのか?片方の主張が出た時に否定論が出るのはある意味学者の”こじつけ論“が付いて回るのだなぁ。。。日高見→東北ではなく(日高)関東平野の埼玉にあるし、飛騨は四方山に囲まれた地形にある。単純に考えて山に囲まれた文化がわざわざ険しい道のりをあえて乗り越え何かを広げようと思うか?武田信玄だって天下を目論んだかも知れないけど執拗以上に執着はしていなかったと考えると・・・んんっ?!どうでしょう???
竹内文書?さすがに胡散臭すぎん
私はミナミAアシュタールさんの話が事実だと考えています。その話では、縄文時代の中頃に少しずつ大陸から人がやって来て、一緒に生活している間に少しずつ縄文人の考え方が変わり、生活の仕方が変わっていきました。それが弥生時代への移行です。縄文時代は自由で平等でしたが、その理由は、縄文人はワンネス(皆が同じ存在だという概念)を知っていたからです。そして、食料も住む場所も、地球が与えてくれている事を知っていたからです。それはつまり、必要な物は必要な時に手に入る事を知っていたという事です。そして、現代を含む弥生時代以降の人たちとは違い、縄文人は所有の概念を持っていませんでした。なので、土地や食料を取り合う事はしなかったのです。渡来人は、最初は縄文人の生き方に合わせていましたが、彼らは所有する生き方をしてきました(大陸が戦国時代だったのは、それが理由です)。所有しない生き方に窮屈を感じ始めた結果、自分たちの慣れた生き方(所有する生き方)に変えていき、勝手に土地を所有し始めました(弥生時代に土地の取り合いをしていたのは、それが理由です)。その結果、縄文人の多くは別の土地に行く事になりました。そこで行き着いたのが沖縄と北海道であり、後の琉球民族とアイヌ民族です。より多くの土地を所有した人たちが邪馬台国やヤマト王権の中心人物となったのです。彼らは、大陸にいたナーガという存在からの指示を受けて行動していました。国家とは、その地域で一番多く土地を所有している存在だという事です。所有の概念を持たなかった縄文時代に国家があったはずがないのです。なので、動画で言われているような国家は、少なくとも縄文時代にはありませんでした。あったとしても、弥生時代以降です(ちなみに、縄文時代でも後期は、ほぼ弥生時代と考えて良いと思います)。
坂口安吾も飛騨に王朝があったんじないかって言ってたような。記紀と万葉集を参考にしたみたい。
今度金山巨石郡見学に行くのでタイムリーな内容ありがとうございます。
旧石器時代からの技術文化伝承があっての安定した縄文文明だと思うので、各地域に大きな勢力が誕生するのが自然ですよね。
記紀は8世紀編纂で平安時代まで編集され勝者の歴史。いろんな話ぶっ込むのは阿礼もも大変だったでしょう。
いつも楽しみにしてます!いろんなところに栄えていたクニがあったんですねーいつか吉備国についても、ずんだもんに教えて欲しいです!
28:28、飛騨は長野県でなく、岐阜県の北部です
以前、飛騨王朝の本を読み、古事記の話においての疑問が解消した記憶があります。なぜ九州という遠回りルートを経たのか、長距離を船で移動できるくらい海洋に強い仲間がいる理由、ナガスネヒコ戦で太陽を背にする方へ周った現実的な理由、十種神宝が作られた理由などなど。どれも筋道が通っていました。ただ大前提として、神通力というものを信じなければ成立しない話なので、あまり世間に広まっていないのでは?と思います‥興味深い動画をありがとうございました!
縄文遺跡は沖縄からも発見されてるけどね
日本の中心というのは其々時代ごとに違っていても不思議ではないかな?と思います。
鎌倉幕府、室町幕府、戦国時代、江戸幕府大都市は時代毎に変わっているし。
大和朝廷は比較的新しい王朝なのだと思います。
三内丸山遺跡のある場所が縄文時代に栄えたことは間違いなくて、それに日高見国という国名が(自称なのかヤマト王権から見た他称なのかはわからないけど)ついていたというのはありうる話かと感じます
飛騨王国についても、メソポタミア文明やエジプト文明もそうだけど農業をする文明が正確な天文学も持ってるというのは頷ける話です
どこが日本の中心かという話は、ずんだもんと同じくもっと調べてからでお願いしたいかな、、、
関東にもあったと思うよ
確かに北上川の河口付近に住んでるけど家の裏に縄文土器あったなあ
7300年前の鬼界カルデラ大噴火で西日本に住めなくなり、東に逃げた縄文人がまた西に戻っていく背景を当てはめると面白くなる。自分は国産み神話は西に戻っていく話ではないかと感じている。
それ面白いな
私は鬼界カルデラの大噴火のもっと前の時代に日本の中心は関東~北海道南部にあった。その後 地球の寒冷化によって次第にかなりの人が西へ移動したのではないかと思っています。縄文時代(15000年前~)の遺跡や貝塚は関東以北に多いが日本全体にあるから。
近畿地方が日本の中心になる前の時代には 中心が九州に移っていたと思うが、それは7000年も前ではなくもっと新しい話ではないかと。よくわかりませんが。
鬼界カルデラ噴火から避難した縄文人が、降灰の影響を受けない東日本~東北地域で個々に再興して行ったって考えたら、飛騨王朝も日高見国も、そのほか越国や出雲など、複数の文化圏が同時代に存在していたのかもしれませんね~
人口の多い地域はどこだったか。大和朝廷の統治地域である奈良盆地はお世辞にも農業生産地域ではないし盆地の真ん中は湖だったとも。大阪平野も現在ほど広くはない。東海地方の尾張氏の援助が大きかったのでは?コメの生産が多かっただろうし大和朝廷の遺跡から尾張美濃伊勢三河の土器で半分を占める。相当数の労働力と兵力を送り込んでただろう。
古代について夢想するのはいいけど、真面目に考えるときは、こうだったらいいな的な思考は厳禁。
こういう研究はどうしても自分の地元だったら良いなが根幹にあって、研究のモチベーションになってる事がほとんどなんですよね
色々な派閥の意見を聞いてまとめる立場の人がしっかりいるのが大事なので、こういう動画から興味を抱いた子供たちが未来の公平な研究者になってくれる事を願いましょう
常陸国総社宮にはヤマトタケルが座ったとされる岩があります
日本は山地や山脈、盆地が複雑に入り組んだ地形をしているので、どこが中心かと言うより各地に独自勢力(独自のコミュニティ)があり、それが徐々に淘汰併合をされていった結果、最終的にヤマト王権が勝ち残ったってな感じではないかと思います。
ホツマツタヱはファンタジー小説としては面白いけど、発見の経緯やその利用のされ方から歴史研究の根拠にするのはキツイんだよね
カルデラ噴火がイザナギの黄泉の国逃避行物語だよ。
気温や水面の高さも、今と違ったから。
縄文で有名な山内丸山遺跡は青森県だが、その頃は今よりも温暖でそのため水面も今よりも高かった。
これよりも前の日本は、よくわからん
ホツマツタエは、江戸時代のもの。古代日本語(上代日本語)ではありえない。
奈良時代頃まで8母音あったことは、普通に万葉仮名を見ればわかる。
竹内文書使っちゃダメでしょ
ヤマトタケルは、景行天皇の第二王子で、六世紀後半になります。
一世紀ではありません。
なんか畿内🆚SAGAみたい
古代日本って首都機能一つに纏めて無かったんでないᴡ
後漢王族の子孫、坂上田村麻呂😮
出雲王朝しかかたんのだ
文系が全て学問として低く理系に見られるのがこういう事。
理系分野は数学、化学、物理等全ては方程式(公式)や化学式は前提として新たな発想があれど証明する事が担保されて今更覆す事ができる。できない基礎を高校生までに習う。
だから、教科書に曖昧なものはなく異論なんて基本的にない。
それにひきかえ文系は2000前の言葉、作者の思いや登場人物の心境も(国語)勝手に推察しただけ。
歴史(考古学、文献史学)も結局断定できないもの。邪馬台国がどこにあるのかを専門家も素人研究家も同じレベルで論じて確定できないものを理系学問と同レベル学問である。なんてちゃんちゃらおかしいし、学会が権威からして確定できないから趣味レベルの学問の様なものになる。
日本語の通じる異国・土佐の鬼伝説
神に戦いを挑んだ鬼ダイバン。神はダイバンを成敗せず和解した。土佐人にとって鬼は敵ではなく英雄だった❗
土佐の鬼伝説…全く関係ないかもだけど
お〜い竜馬のジョンを思い出す
三内丸山遺跡の建物の高さは、当時は今よりも雪深かったから、春中頃から作ってたんじゃない?と勝手に思ってる。
倉庫兼用で大きかったとも。
部族 トライバル位は人員居ないとつくれないからな
小規模血縁集団 バンドでは無理だし
@@tike2435 技術的に出来ないとか、人員的に出来ない。ではなく、もしかしたら出来たかも知れない。って視点で見てますので。
きちんと考察すれば、私もそちらの方の意見に偏ると思いますが。
昔出来て、今できないものもある。ということは、昔出来て、いつの間にか出来なくなって今は出来るがあって、いいかな?と思ってますので。人それぞれですよ。どうせ何れ◯ぬんですから、色んな意見を見つつも、こうだったらいいな。って持ってないと、生きることが、窮屈になってしまいますから。
ヒダ→ひだ(日高見)なのか、ひだ(飛騨高山)
ヤマト→やま(邪馬台国)なのか、(大和)なのか?
片方の主張が出た時に否定論が出るのはある意味
学者の”こじつけ論“が付いて回るのだなぁ。。。
日高見→東北ではなく(日高)関東平野の埼玉にあるし、飛騨は四方山に囲まれた地形にある。単純に考えて山に囲まれた文化がわざわざ険しい道のりをあえて乗り越え
何かを広げようと思うか?
武田信玄だって天下を目論んだかも知れないけど執拗以上に執着はしていなかった
と考えると・・・んんっ?!どうでしょう???
竹内文書?
さすがに胡散臭すぎん
私はミナミAアシュタールさんの話が事実だと考えています。
その話では、縄文時代の中頃に少しずつ大陸から人がやって来て、一緒に生活している間に少しずつ縄文人の考え方が変わり、生活の仕方が変わっていきました。
それが弥生時代への移行です。
縄文時代は自由で平等でしたが、その理由は、縄文人はワンネス(皆が同じ存在だという概念)を知っていたからです。
そして、食料も住む場所も、地球が与えてくれている事を知っていたからです。
それはつまり、必要な物は必要な時に手に入る事を知っていたという事です。
そして、現代を含む弥生時代以降の人たちとは違い、縄文人は所有の概念を持っていませんでした。
なので、土地や食料を取り合う事はしなかったのです。
渡来人は、最初は縄文人の生き方に合わせていましたが、彼らは所有する生き方をしてきました(大陸が戦国時代だったのは、それが理由です)。
所有しない生き方に窮屈を感じ始めた結果、自分たちの慣れた生き方(所有する生き方)に変えていき、勝手に土地を所有し始めました(弥生時代に土地の取り合いをしていたのは、それが理由です)。
その結果、縄文人の多くは別の土地に行く事になりました。
そこで行き着いたのが沖縄と北海道であり、後の琉球民族とアイヌ民族です。
より多くの土地を所有した人たちが邪馬台国やヤマト王権の中心人物となったのです。
彼らは、大陸にいたナーガという存在からの指示を受けて行動していました。
国家とは、その地域で一番多く土地を所有している存在だという事です。
所有の概念を持たなかった縄文時代に国家があったはずがないのです。
なので、動画で言われているような国家は、少なくとも縄文時代にはありませんでした。
あったとしても、弥生時代以降です(ちなみに、縄文時代でも後期は、ほぼ弥生時代と考えて良いと思います)。