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戦国時代に自分の大将に『はい今から城攻めするぞ!武士らしく力攻めな!』って言われた時、内心『こいつ前線に行かないからって言いたい放題言いやがって』って思ってた武士もいたんかな。
いた
前回が悪い訳じゃないけどやっぱりいつもの声が落ち着く
同感 やっぱりいつもの声がいいですね^^
やむを得ない事情があれば仕方ないか‥‥と落胆してましたが、戻ってきてくれて嬉しいですね
この動画は解説動画なんです。前の回はどちらかというと演劇向けのしゃべり方でした。
この声が一番いいです良かった😊
まあコラボだったしね
城攻めの大変さを知ると1000円ほど払えばどこの城の中でも入れてもらえてゆったりと見学できる現代は最高だと思う
江戸城を無血開城させた勝海舟らのおかげ平和LOVE❤
@@samuejinbei 世界遺産の姫路城もそうだよね
水攻めというと(失敗の方で)必ず出てくると言ってもいい石田三成に何か癒される
最近の研究だと秀吉の至上命令で水攻めせざるを得なかったようです>三成秀吉の指示に従っただけなのに…と心中で思っていたかは不明ですが(笑)
秀吉からやれと言われたからにはやらないといけない。中間管理職の哀しみよ
城攻めで結局の所、経済力だよな。そのことを1番よく分かってたのは豊臣秀吉。豊臣秀吉はホント城攻めうまい。
第二次高天神城の戦いを補足すると、それ以前から家康が周囲の城を攻め落としたり、高天神城の周辺に砦を築いたりしてかなり苦労して奪還した戦いです勝頼も何回も出陣・城に補給はしてるから、最後に援軍行けなかったのも北条と敵対して動けなかったからです
備中高松城の水攻めは周りが湿地帯と梅雨の時期もあって成功しやすい環境だったと思います!逆に水攻めしないと落とせなかった堅固な城でもありました!小舟で唯一切腹した清水宗治は秀吉に絶賛されてました!
家康の芝辻砲による大阪城攻めは画期的やったんやな…大阪の陣の頃は「砲術」みたいなもんが確立されてたみたいやしな。
大砲の登場でこれまでの城壁が無意味になったからな大砲で城壁が壊せるなら堅牢な城壁は不要になってしまった歴史の転換点のひとつ
大砲のタマは石や金属の塊だったので、船などに撃つのは有効だったが、野戦だとイマイチだった。しかし幕末に 炸裂弾が登場して幕府にも西洋から売り込みがなされて、そのときのキャッチフレーズが「これがあればどんな城でも落とせる!」だった。炸裂弾ならば、大勢の兵が籠城している城へ撃ち込むと多大な損害を与えることができる。例えば、五稜郭ではあっさり陥落している。
忍城の水攻めの大失態は「のぼうの城」にて詳細に描かれてますね
改めてやっぱり、このチャンネルは声とセリフがいいですね。「ええーっ」とか「なっ」とか「ぐはー」とか短いセリフがみんなおもしろいです。今後の動画も楽しみにしてますね。
どの城攻めもかなり苦労する手なのが凄いな、それだけ城攻めが大変だと分かる
攻城戦は最低でも3倍の軍勢が必要って言われている堅牢な城って地の利は大きい
15:39 銃眼だらけで鉄砲戦に備えた作りの松本城、内部も火砲関係の展示がびっしり。こんな鉄壁の要塞相手に力攻めなんてやりたくねぇ!!
「人の心を攻めるは上策、城を攻めるは下策」と故事にある通り、太古から力攻めをしたくなかったのがわかります。…ただこの言葉を残した人物は後に大失敗して軍律違反で処刑されてるので信用していいのか少し疑問が残るのですが…
馬謖ですか?
個人的に日本史の漫画動画このチャンネルばっかり見てるなー超分かりやすいw最初のチャンネルメンバーになるチャンネルはここにしたい
やっぱ兵糧攻めは鳥取城思い出すよな
確か鳥取城の戦いの後、城内の生き残った者達に食事を与えたが極限の空腹の状態で普通の食事を口にしたせいでほとんどが亡くなったとか…。
胃が痙攣起こして次々と死んだとか今でも断食修行が終わったら人参とかの形のある野菜を茹でて柔らかくしてよーく噛ませて食わせて胃が食べ物に慣れさせるとか
可能性として、リフィーディング症候群があるそうです水分、電解質の分布異常による代謝性の合併症で多臓器不全を起こしてしまう症状です、死亡率が70%程あるらしいので状況も相まって悲惨この上ないでしょうね。
最初は『秀吉が毒を盛った』と思われたらしいですね。
最初に「城を造れば相手より少数でも負けないじゃん」って考えた人は凄い
どの攻め方にしてもリスク、損害、事後処理、何かしらの損失が半端無いですよねぇ。そりゃぁ孫子の兵法で「城を攻めるのは下策」って書かれるわけだ。
中国のお城は街そのものの城塞都市だから話が違うその土地の民が敵に回る
現代でモグラ攻めを成功させたのは、ペルーの日本大使館占拠事件の際に日本大使館に向かって坑道を構築したペルー軍の工兵部隊と海軍特殊部隊。掘削音がバレないように大音量の音楽を流したりしていた。坑道は合計7ヶ所構築し事件発生から127日後7ヶ所の坑道から一斉突入し、犯人側は全員射殺され、人質は全員救出されている。また、突入した特殊部隊の隊員2名が凶弾に倒れ殉職している。
@@長谷川亮-c4w あとは、オスマン帝国軍がコンスタンティノープルを攻めた時にも、モグラ攻めが行われたらしい。異変に気付いたビザンツ兵が爆弾を投げてモグラ部隊にも被害が出たとか。
一時期のモグラ攻めは過激だった。敵の城や要塞の真下まで坑道を掘り進め、爆薬を仕掛けて炸裂させるというものまで登場した。
塞王の楯をを読み始めたばかりなので、助かります。
謀略や調略をする官兵衛と光秀やっぱり凄い!
無用な血が流れないに越した事はない後の統治を考えると恨みが残るとやりにくい
日本ではないですが中国の故宮(紫禁城)は床を全て人の背丈以上の厚さの煉瓦で固めてもぐら攻めを防いでいるそうです
もぐら攻め…始めて知ったかも
籠城防衛戦動画、楽しみです😊
まぁ、城の力攻めとは話はそれますが、日露戦争でも旅順攻略戦や203高地の戦いでも多大な犠牲者は出てたくらいですからね。
日本史で最初に公式に記録された兵糧攻めは、後三年の役での金沢の柵攻め……。
城攻めと言うと上田城の真田軍と徳川軍の戦いが思い浮かびますね、城に凄い仕掛けがしてあって徳川軍が全然勝てなかったですね
1618年~1648年が三十年戦争だから、戦国時代が50年ズレていたら、火器の輸入によって、合戦・城攻めは前半と後半で様変わりしたろうななんて思います。
謀略が特に得意な武将は毛利元就の他に宇喜多直家、松永久秀、オマケで黒田官兵衛。
上司から城攻めを命じられた時だったので助かりました
圧倒的な知略と畏怖が必要になるけど、やっぱり毛利元就の第二次月山富田城の戦いは一番理想的な城攻めの仕方だと思う
面白いのは、月山富田城は少なくとも鎌倉時代にはあったとか。その頃から難攻不落の城として知られていたのが興味深い。そう思うと、富田城、唐沢山城、人吉城など、平安や鎌倉から利用されている城が残ってるのってすごい。
ようやく毛利シリーズやーーー!!!
当時の城攻めに於いては城を守っている方が降伏を申し出た場合はそれを受け入れ、攻められている城を助けに行けない場合はその城の降伏を認めてやるという暗黙のルールがあったそうです。第二次高天神城攻めの際に信長が家康に降伏を受け入れさせないという暗黙のルールを破っていましたが過去に幾度も常識やルールを破っている信長にとってはそれはどうって事はなく、一方で武田勝頼にもルール破りをさせる事にもなるので勝頼が受けるダメージの方が大きかったと言えます。実際それが原因で木曽義昌や穴山信君らが寝返ってしまい勝頼が滅亡する事になってしまいましたからね。
【小田原征伐】秀吉「よし!山中城を力攻めや!」 ⇨ 山中城の戦い 勝利秀吉「小田原城を包囲して兵糧攻めや!」 ⇨ 半ば失敗秀吉「全然落ちひんな〜.....。せや!城を建てて士気を下げよう!」 ⇨ 約80日かけて関東初の石垣の城『一夜城』の完成。名前の由来は城が完成した時に周りの木を切り倒し、一夜でできたように見せた。これにより北条方の戦意が喪失し、結果的に北条家が降伏をし勝利秀吉「忍城は水攻めがええな!ほな三成君よろしく!」三成「わかりました....。(終わった......)」 ⇨ これの性でのちに三成君は戦下手と呼ばれるようになった
お疲れ様でした。昔みた日本の歴史なる漫画で、家康は大阪城をどう落とすかと秀吉から聞かれて答えられず、嬉々として秀吉自ら堀を埋め火攻めにすると良いと教えられたと語る内容でした。勝者の創作かもしれませんが、英傑らしいやり取りですね。
高天神城跡に行ったことがありますが山頂に大きな井戸がありました。水の手を確保していたことも難攻不落の城となった一因だと思います。同じく、一見、堅牢な山城と思える岐阜城は山の中腹に小さな井戸があるだけ。籠城には不向きな城に感じました
最も楽な方法は、「兵糧攻め」ですな。力攻めと水攻めは、かなり面倒だったりするわで‥‥。
兵糧攻めも、相手方には一粒の米すら入れないっていうくらいに十重二十重に補給路を塞ぐ必要があったからその封鎖網を敷くための人員を動員する必要があった。もし、相手方に海路による流通経路があったら、海上封鎖するための船舶も必要になるので、やはりその分の経費が掛かってしまう。城に籠城する敵方よりも何倍もの動員兵力が必要なことから、それを維持するための自軍の兵糧も必要になるので、下手すれば相手の兵糧が尽きる前に自軍の兵糧が尽きてしまうなんてこともある。兵糧攻めもよほどの戦力差と事前準備が必要な、相当面倒な部類である。
結論:城攻めするよりも、交渉による妥協点の探り合いが一番
岐阜城に登った時、これは攻めるのが大変だろうと思いましたが、何回も落とされてるという矛盾w
戦国時代初期は鉄砲(=物理的に上方へ強力な攻撃を簡単に連打する手段)がなくまた全国的にコメの凶作が続いていて兵糧攻めが現実的な選択肢じゃなかったので…その時代の岐阜城は堅城だった。
岐阜城が織田の城でないならともかくみんな知ってるようじゃ攻略も難しくないんだろう。
冥想の小径や馬の背はキツいけど、七曲り登山道は幼稚園の遠足コースになってるくらい余裕みたいですね当時もそっちがバレればあっという間に攻め落とされるだろうなとは思った
日本ではあまり聞きませんが城内の出来れば井戸に動物の死骸投げ込む疫病攻めもありますね、漫画で城壁が堅固な都市攻略に「城主が隠し財産城壁に埋めてる」というデマを流布させて城内の鉱夫達に城壁崩させて陥落させた若い頃の主人公の逸話がありました(^^)
どの城も簡単には、落とせないとゆうことがわかりますね😮特に、水攻めは難しいといいますもんね…(そのせいで忍城の戦いのせいで石田三成は[戦下手]とのあだ名がついたんでしたね…😢)今日も面白く勉強できました!🎉
そもそも忍城以外では秀吉のみが2回しかやってない戦法のはず
秀吉「山中城を落とすぞ!力攻めだ!!」黒田官兵衛「山中城陥落。でも一柳直末死んじゃった。」秀吉「城を攻め破っても無益である、関東にも代えがたいのが伊豆守であった・・・(号泣)」
お邪魔しました。
水攻めはどちらかと言えば相手の城の水の手を切る方が一般的な気が…
丁度週末に城を落とす予定だったのでありがとうございます
やっぱり戦国時代は物騒な時代ですな..統治って大事♡
うろ覚えですが、徳川三代で片桐且元(小林念持)が淀殿に「戦は残酷にござります。矢で射〇し槍で突き〇し、火をつけて焼き〇し……多くの修羅場を見てまいりました」って言って窘めていたのを思い出しました。
城攻めには守備側の5倍から7倍の兵力が必要ですこういう所は森秀樹先生の「ムカデ戦記」に書かれています
落ち着くわ
城攻めといえば秀吉なんだよな多彩な戦法で敵城を幾つも陥落させている中には飢え殺しや水攻めといった悲惨な結果になるが綺麗事は言えないのが戦国の常
こっちの方が聴きやすいなぁ
火攻めが一番効率的だ。
攻める側は攻める前に調略とかして城に着く頃には降伏手続きが理想だからね守る側も命と地位を保証してくれるならあっさり降伏してたし
一番効果的な水攻めで備中高松城や三国志の呂布討伐戦も大きな力を発揮しました。
戦わずして勝つ。だから調略が一番効果的だったわけですね。自軍と敵軍をそんなに殺さない。そして必要以上に恨みを買わなくて済んだからですね。
拠点を築かれるということが如何に頭を抱える事態かがよく分かる
水攻めのデメリットは難易度よりも復旧が難しい方じゃ無いかな城だけじゃなくて周辺の農耕地も水没させるから城は廃城にしたとしても周辺に人が住めるようになるまでどんだけかかるか…
謀略で城攻めと言うと、真田幸隆の戸石城攻めを思い浮かべるなぁ。
城の守り方、いいですね
(力攻め)「城攻め」と聞くと、大体こっちのイメージです(3:20)弟分に対して時々ムチャブリしますよね、信長様(汗)
信長鬼畜エピソード多くね・・??
城攻めの条件として、少なくとも以下の条件がそろって無ければやるもんじゃないってことがわかる。基本は白兵戦に持ち込んで、ケリを付けるというのが古今東西のセオリーなんだなーとおもう。1)自軍と敵軍とで圧倒的な戦力(動員数)差で優っている2)自軍と敵軍とで圧倒的に物量が優っており、長期滞陣が可能なように補給路が確保できている3)敵軍には援軍がやってくる当てがない4)留守中の自国領を攻める第三国がいない
火攻め好きだね
秀吉「ほう、えとせとらとはどのような戦略なのじゃ?」
そう言えば鳥取にかつえさんっていうゆるくないキャラいましたよね
城の守り方、見たいね。
前回のでも好きだけど、やっぱいつもの声が戻ってきた感がありますねw火攻めと言えば織田信長という、勝手なイメージがありまして( ̄▽ ̄;)
まて鳥取城の策案は秀吉ではなく官兵衛である
信長様のご命令は絶対だ 拒否権などない
その代わり資金援助してたから徳川も全くの損だったわけではない
まぁね
如何にして敵の士気を落とすか…城攻めの成否はそこが根幹なんだろうな
高天神が力攻めというと?だけどなあ。最後には敵から突撃してきたわけだけど、自分からやってるわけではないし。 山中や八王子の方が分かりやすい気がする。後、調略で城落とすのがポピュラーのはずなんだが、ここでは出てこないのはなんでだろう?
???「大砲持ってくればへーきへーき」
日本のお城 ほぼ山城なんだ証拠に攻城兵器がほとんど使われない歴史投石機も強弩(大ボウガン)もない
話は違うけど銀英伝のヤン・ウェンリーのイゼルローン要塞攻略
3:45 この時の力攻めは下策やと思う。何故なら兵糧攻めで城方の士気も落ちてるし降伏を受け入ればあれよあれよと武田方の武将も降伏する可能性があった。
「高天神を制する者は遠州を制する」
竹中半兵衛の稲葉山城攻略は謀略なのか?
戦国時代とは言いますが、現代の戦いにも応用されている場合が多いですね。例えばウクライナでの戦争では、力攻めは、ウクライナ軍の陣地に対するロシア軍の最もたる攻撃方法でしょう。あと東部戦線ではもぐら攻めも行われてますね。マリウポリはウクライナ軍が立てこもる製鉄所をロシア軍が包囲し、テルミット弾(白リン弾かも?間違ってたらすいません)による攻撃を行うことで、火攻めと兵糧攻めを行ってますね。ロシア軍は貯水池を決壊させてもいますが、自軍に疫病が発生するなどうまく行ってないようです。謀略は2014年に領土を奪い取ったことでしょう。
穴流攻め
中華の兵法書は普及していたのかな?
教養の時間
鳥取城攻めについては、「かつ江さん」というマスコットキャラクターが公開されたが、「悲劇を茶化している」などの批判的な意見が噴出し、まもなく中止になっている。まあ、確かに縁起でもないし個人的にもいかがなものかと思った。
こんにちは。
今度はディフェンス面で「焦土作戦のファインプレー特集」やって欲しいです
心を攻めるのが一番良い諸葛孔明は言葉で人を56せる
たしか映画「レッドクリフ」では曹操軍の武将AB(名前忘れたが二人ほどいた?)を言葉巧みに操り曹操軍領内に侵入させた劉備軍の舟に矢の雨に晒すことで大量の矢をタダでゲット、更に「矢をくれてサンキュー」みたいな手紙を曹操軍に送ったらしく曹操キレて武将AB処刑。武将ABは劉備軍拠点辺りの地形に長けてたらしいから以後の戦闘にも地味に影響あったという噂もある。諸葛孔明恐ろし過ぎる(汗)
耳で最初聞いてたからエトセトラ攻め?ってなった
火攻めや力攻めを多用した信長に謀反が頻発したのも宜なるかなだねえ
武田信玄「わしはもう長くない。しかし、力攻めは得策ではない。よし、浜松城を素通りして、家康を三方ヶ原に誘い込もう」←この発想天才すぎる
国崩し とは?😂😂😂
長い
正直、日本の城って中国や欧州に比べてしょぼい。細々とした工夫はあるんだろうけど、全体的な作りが微妙。仮に欧州、中国、日本の城が同じ条件の敵に攻められたら、日本の城が一番最初に落ちるだろうなぁ。
日本と大陸では落城した際のリスクがが違いすぎる大陸では対異民族のため、絶対に負けられない(負ければ、男は殺され女は犯される)日本では負けてもせいぜい城主と側近が切腹する程度、なんなら臣従を許されることもあるそもそも城の防御力は地形と堀、城壁がほとんどで天守なんてほぼ関係ない
にわかあるあるな勘違いしているんだろうな・・・。ほぼ平地な欧州や中国で使われていた城攻めって山岳地帯の日本ではまず使う事すらできないんだよな
欧州と中国では生活拠点と土地支配の役割が強いから平地や低い山に建てられる逆に日本では軍事拠点の側面が他よりも強いから山岳や河川といった地理を利用したケースが多い
城下町に城壁が無いのも他国との違いですよね、火攻めでも言われてましたけど領民に恨まれたく無いし統治にも悪影響出るでるから気を遣うけど、外国だと容赦無いですからね。
だって大陸はデフォが力攻め。何でかって「どうして自国の兵を損耗しないといけないの?異民族か奴隷を使えばいいじゃないか」の発想がまかり通っちゃうんだもの。力攻めがデフォであるからには、正面戦闘で負けないような城を建てるしかないのだから。
戦国時代に自分の大将に『はい今から城攻めするぞ!武士らしく力攻めな!』って言われた時、内心『こいつ前線に行かないからって言いたい放題言いやがって』って思ってた武士もいたんかな。
いた
前回が悪い訳じゃないけど
やっぱりいつもの声が落ち着く
同感 やっぱりいつもの声がいいですね^^
やむを得ない事情があれば仕方ないか‥‥
と落胆してましたが、戻ってきてくれて嬉しいですね
この動画は解説動画なんです。前の回はどちらかというと演劇向けのしゃべり方でした。
この声が一番いいです良かった😊
まあコラボだったしね
城攻めの大変さを知ると1000円ほど払えばどこの城の中でも入れてもらえてゆったりと見学できる現代は最高だと思う
江戸城を無血開城させた勝海舟らのおかげ
平和LOVE❤
@@samuejinbei 世界遺産の姫路城もそうだよね
水攻めというと(失敗の方で)必ず出てくると言ってもいい石田三成に何か癒される
最近の研究だと秀吉の至上命令で水攻めせざるを得なかったようです>三成
秀吉の指示に従っただけなのに…と心中で思っていたかは不明ですが(笑)
秀吉からやれと言われたからにはやらないといけない。中間管理職の哀しみよ
城攻めで結局の所、経済力だよな。そのことを1番よく分かってたのは豊臣秀吉。豊臣秀吉はホント城攻めうまい。
第二次高天神城の戦いを補足すると、それ以前から家康が周囲の城を攻め落としたり、高天神城の周辺に砦を築いたりしてかなり苦労して奪還した戦いです
勝頼も何回も出陣・城に補給はしてるから、最後に援軍行けなかったのも北条と敵対して動けなかったからです
備中高松城の水攻めは周りが湿地帯と梅雨の時期もあって成功しやすい環境だったと思います!
逆に水攻めしないと落とせなかった
堅固な城でもありました!
小舟で唯一切腹した清水宗治は
秀吉に絶賛されてました!
家康の芝辻砲による大阪城攻めは画期的やったんやな…大阪の陣の頃は「砲術」みたいなもんが確立されてたみたいやしな。
大砲の登場でこれまでの城壁が無意味になったからな
大砲で城壁が壊せるなら堅牢な城壁は不要になってしまった
歴史の転換点のひとつ
大砲のタマは石や金属の塊だったので、船などに撃つのは有効だったが、野戦だとイマイチだった。しかし幕末に 炸裂弾が登場して幕府にも西洋から売り込みがなされて、そのときのキャッチフレーズが「これがあればどんな城でも落とせる!」だった。炸裂弾ならば、大勢の兵が籠城している城へ撃ち込むと多大な損害を与えることができる。例えば、五稜郭ではあっさり陥落している。
忍城の水攻めの大失態は「のぼうの城」にて詳細に描かれてますね
改めてやっぱり、このチャンネルは声とセリフがいいですね。
「ええーっ」とか「なっ」とか「ぐはー」とか短いセリフがみんなおもしろいです。
今後の動画も楽しみにしてますね。
どの城攻めもかなり苦労する手なのが凄いな、それだけ城攻めが大変だと分かる
攻城戦は最低でも3倍の軍勢が必要って言われている堅牢な城って地の利は大きい
15:39 銃眼だらけで鉄砲戦に備えた作りの松本城、内部も火砲関係の展示がびっしり。こんな鉄壁の要塞相手に力攻めなんてやりたくねぇ!!
「人の心を攻めるは上策、城を攻めるは下策」と故事にある通り、太古から力攻めをしたくなかったのがわかります。…ただこの言葉を残した人物は後に大失敗して軍律違反で処刑されてるので信用していいのか少し疑問が残るのですが…
馬謖ですか?
個人的に日本史の漫画動画このチャンネルばっかり見てるなー超分かりやすいw最初のチャンネルメンバーになるチャンネルはここにしたい
やっぱ兵糧攻めは鳥取城思い出すよな
確か鳥取城の戦いの後、城内の生き残った者達に食事を与えたが極限の空腹の状態で普通の食事を口にしたせいでほとんどが亡くなったとか…。
胃が痙攣起こして次々と死んだとか
今でも断食修行が終わったら人参とかの形のある野菜を茹でて柔らかくしてよーく噛ませて食わせて胃が食べ物に慣れさせるとか
可能性として、リフィーディング症候群があるそうです水分、電解質の分布異常による代謝性の合併症で多臓器不全を起こしてしまう症状です、死亡率が70%程あるらしいので状況も相まって悲惨この上ないでしょうね。
最初は『秀吉が毒を盛った』と思われたらしいですね。
最初に「城を造れば相手より少数でも負けないじゃん」って考えた人は凄い
どの攻め方にしてもリスク、損害、事後処理、何かしらの損失が半端無いですよねぇ。
そりゃぁ孫子の兵法で「城を攻めるのは下策」って書かれるわけだ。
中国のお城は街そのものの城塞都市だから話が違う
その土地の民が敵に回る
現代でモグラ攻めを成功させたのは、ペルーの日本大使館占拠事件の際に日本大使館に向かって坑道を構築したペルー軍の工兵部隊と海軍特殊部隊。
掘削音がバレないように大音量の音楽を流したりしていた。
坑道は合計7ヶ所構築し事件発生から127日後7ヶ所の坑道から一斉突入し、犯人側は全員射殺され、人質は全員救出されている。
また、突入した特殊部隊の隊員2名が凶弾に倒れ殉職している。
@@長谷川亮-c4w
あとは、オスマン帝国軍がコンスタンティノープルを攻めた時にも、モグラ攻めが行われたらしい。異変に気付いたビザンツ兵が爆弾を投げてモグラ部隊にも被害が出たとか。
一時期のモグラ攻めは過激だった。
敵の城や要塞の真下まで坑道を掘り進め、爆薬を仕掛けて炸裂させるというものまで登場した。
塞王の楯をを読み始めたばかりなので、助かります。
謀略や調略をする官兵衛と光秀やっぱり凄い!
無用な血が流れないに越した事はない
後の統治を考えると恨みが残るとやりにくい
日本ではないですが中国の故宮(紫禁城)は床を全て人の背丈以上の厚さの煉瓦で固めてもぐら攻めを防いでいるそうです
もぐら攻め…始めて知ったかも
籠城防衛戦動画、楽しみです😊
まぁ、城の力攻めとは話はそれますが、日露戦争でも旅順攻略戦や203高地の戦いでも多大な犠牲者は出てたくらいですからね。
日本史で最初に公式に記録された兵糧攻めは、後三年の役での金沢の柵攻め……。
城攻めと言うと上田城の真田軍と徳川軍の戦いが思い浮かびますね、城に凄い仕掛けがしてあって徳川軍が全然勝てなかったですね
1618年~1648年が三十年戦争だから、戦国時代が50年ズレていたら、火器の輸入によって、合戦・城攻めは前半と後半で様変わりしたろうななんて思います。
謀略が特に得意な武将は毛利元就の他に宇喜多直家、松永久秀、オマケで黒田官兵衛。
上司から城攻めを命じられた時だったので助かりました
圧倒的な知略と畏怖が必要になるけど、やっぱり毛利元就の第二次月山富田城の戦いは一番理想的な城攻めの仕方だと思う
面白いのは、月山富田城は少なくとも鎌倉時代にはあったとか。その頃から難攻不落の城として知られていたのが興味深い。
そう思うと、富田城、唐沢山城、人吉城など、平安や鎌倉から利用されている城が残ってるのってすごい。
ようやく毛利シリーズやーーー!!!
当時の城攻めに於いては城を守っている方が降伏を申し出た場合はそれを受け入れ、攻められている城を助けに行けない場合はその城の降伏を認めてやるという暗黙のルールがあったそうです。
第二次高天神城攻めの際に信長が家康に降伏を受け入れさせないという暗黙のルールを破っていましたが過去に幾度も常識やルールを破っている信長にとってはそれはどうって事はなく、一方で武田勝頼にもルール破りをさせる事にもなるので勝頼が受けるダメージの方が大きかったと言えます。実際それが原因で木曽義昌や穴山信君らが寝返ってしまい勝頼が滅亡する事になってしまいましたからね。
【小田原征伐】
秀吉「よし!山中城を力攻めや!」 ⇨ 山中城の戦い 勝利
秀吉「小田原城を包囲して兵糧攻めや!」 ⇨ 半ば失敗
秀吉「全然落ちひんな〜.....。せや!城を建てて士気を下げよう!」 ⇨ 約80日かけて関東初の石垣の城『一夜城』の完成。名前の由来は城が完成した時に周りの木を切り倒し、一夜でできたように見せた。これにより北条方の戦意が喪失し、結果的に北条家が降伏をし勝利
秀吉「忍城は水攻めがええな!ほな三成君よろしく!」
三成「わかりました....。(終わった......)」 ⇨ これの性でのちに三成君は戦下手と呼ばれるようになった
お疲れ様でした。昔みた日本の歴史なる漫画で、家康は大阪城をどう落とすかと秀吉から聞かれて答えられず、嬉々として秀吉自ら堀を埋め火攻めにすると良いと教えられたと語る内容でした。勝者の創作かもしれませんが、英傑らしいやり取りですね。
高天神城跡に行ったことがありますが山頂に大きな井戸がありました。水の手を確保していたことも難攻不落の城となった一因だと思います。同じく、一見、堅牢な山城と思える岐阜城は山の中腹に小さな井戸があるだけ。籠城には不向きな城に感じました
最も楽な方法は、「兵糧攻め」ですな。
力攻めと水攻めは、かなり面倒だったりするわで‥‥。
兵糧攻めも、相手方には一粒の米すら入れないっていうくらいに十重二十重に補給路を塞ぐ必要があったからその封鎖網を敷くための人員を動員する必要があった。
もし、相手方に海路による流通経路があったら、海上封鎖するための船舶も必要になるので、やはりその分の経費が掛かってしまう。
城に籠城する敵方よりも何倍もの動員兵力が必要なことから、それを維持するための自軍の兵糧も必要になるので、下手すれば相手の兵糧が尽きる前に自軍の兵糧が尽きてしまうなんてこともある。
兵糧攻めもよほどの戦力差と事前準備が必要な、相当面倒な部類である。
結論:城攻めするよりも、交渉による妥協点の探り合いが一番
岐阜城に登った時、これは攻めるのが大変だろうと思いましたが、何回も落とされてるという矛盾w
戦国時代初期は鉄砲(=物理的に上方へ強力な攻撃を簡単に連打する手段)がなくまた全国的にコメの凶作が続いていて兵糧攻めが現実的な選択肢じゃなかったので…その時代の岐阜城は堅城だった。
岐阜城が織田の城でないならともかくみんな知ってるようじゃ攻略も難しくないんだろう。
冥想の小径や馬の背はキツいけど、七曲り登山道は幼稚園の遠足コースになってるくらい余裕みたいですね
当時もそっちがバレればあっという間に攻め落とされるだろうなとは思った
日本ではあまり聞きませんが城内の出来れば井戸に動物の死骸投げ込む疫病攻めもありますね、漫画で城壁が堅固な都市攻略に「城主が隠し財産城壁に埋めてる」というデマを流布させて城内の鉱夫達に城壁崩させて陥落させた若い頃の主人公の逸話がありました(^^)
どの城も簡単には、落とせないとゆうことがわかりますね😮特に、水攻めは難しいといいますもんね…(そのせいで忍城の戦いのせいで石田三成は[戦下手]とのあだ名がついたんでしたね…😢)今日も面白く勉強できました!🎉
そもそも忍城以外では秀吉のみが2回しかやってない戦法のはず
秀吉「山中城を落とすぞ!力攻めだ!!」
黒田官兵衛「山中城陥落。でも一柳直末死んじゃった。」
秀吉「城を攻め破っても無益である、関東にも代えがたいのが伊豆守であった・・・(号泣)」
お邪魔しました。
水攻めはどちらかと言えば相手の城の水の手を切る方が一般的な気が…
丁度週末に城を落とす予定だったのでありがとうございます
やっぱり戦国時代は物騒な時代ですな..統治って大事♡
うろ覚えですが、徳川三代で片桐且元(小林念持)が淀殿に
「戦は残酷にござります。矢で射〇し槍で突き〇し、火をつけて焼き〇し……多くの修羅場を見てまいりました」
って言って窘めていたのを思い出しました。
城攻めには守備側の5倍から7倍の兵力が必要です
こういう所は森秀樹先生の
「ムカデ戦記」に書かれています
落ち着くわ
城攻めといえば秀吉なんだよな
多彩な戦法で敵城を幾つも陥落させている
中には飢え殺しや水攻めといった悲惨な結果になるが綺麗事は言えないのが戦国の常
こっちの方が聴きやすいなぁ
火攻めが一番効率的だ。
攻める側は攻める前に調略とかして城に着く頃には降伏手続きが理想だからね
守る側も命と地位を保証してくれるならあっさり降伏してたし
一番効果的な水攻めで
備中高松城や三国志の呂布討伐戦も
大きな力を発揮しました。
戦わずして勝つ。だから調略が一番効果的だったわけですね。自軍と敵軍をそんなに殺さない。そして必要以上に恨みを買わなくて済んだからですね。
拠点を築かれるということが如何に頭を抱える事態かがよく分かる
水攻めのデメリットは難易度よりも復旧が難しい方じゃ無いかな
城だけじゃなくて周辺の農耕地も水没させるから城は廃城にしたとしても周辺に人が住めるようになるまでどんだけかかるか…
謀略で城攻めと言うと、真田幸隆の戸石城攻めを思い浮かべるなぁ。
城の守り方、いいですね
(力攻め)「城攻め」と聞くと、大体こっちのイメージです
(3:20)弟分に対して時々ムチャブリしますよね、信長様(汗)
信長鬼畜エピソード多くね・・??
城攻めの条件として、少なくとも以下の条件がそろって無ければやるもんじゃないってことがわかる。
基本は白兵戦に持ち込んで、ケリを付けるというのが古今東西のセオリーなんだなーとおもう。
1)自軍と敵軍とで圧倒的な戦力(動員数)差で優っている
2)自軍と敵軍とで圧倒的に物量が優っており、長期滞陣が可能なように補給路が確保できている
3)敵軍には援軍がやってくる当てがない
4)留守中の自国領を攻める第三国がいない
火攻め好きだね
秀吉「ほう、えとせとらとはどのような戦略なのじゃ?」
そう言えば鳥取にかつえさんっていうゆるくないキャラいましたよね
城の守り方、見たいね。
前回のでも好きだけど、やっぱいつもの声が戻ってきた感がありますねw
火攻めと言えば織田信長という、勝手なイメージがありまして( ̄▽ ̄;)
まて鳥取城の策案は秀吉ではなく官兵衛である
信長様のご命令は絶対だ 拒否権などない
その代わり資金援助してたから徳川も全くの損だったわけではない
まぁね
如何にして敵の士気を落とすか…城攻めの成否はそこが根幹なんだろうな
高天神が力攻めというと?だけどなあ。
最後には敵から突撃してきたわけだけど、自分からやってるわけではないし。
山中や八王子の方が分かりやすい気がする。
後、調略で城落とすのがポピュラーのはずなんだが、ここでは出てこないのはなんでだろう?
???「大砲持ってくればへーきへーき」
日本のお城 ほぼ山城なんだ
証拠に攻城兵器がほとんど使われない歴史
投石機も強弩(大ボウガン)もない
話は違うけど銀英伝のヤン・ウェンリーのイゼルローン要塞攻略
3:45 この時の力攻めは下策やと思う。何故なら兵糧攻めで城方の士気も落ちてるし降伏を受け入ればあれよあれよと武田方の武将も降伏する可能性があった。
「高天神を制する者は遠州を制する」
竹中半兵衛の稲葉山城攻略は謀略なのか?
戦国時代とは言いますが、現代の戦いにも応用されている場合が多いですね。
例えばウクライナでの戦争では、力攻めは、ウクライナ軍の陣地に対するロシア軍の最もたる攻撃方法でしょう。あと東部戦線ではもぐら攻めも行われてますね。
マリウポリはウクライナ軍が立てこもる製鉄所をロシア軍が包囲し、テルミット弾(白リン弾かも?間違ってたらすいません)による攻撃を行うことで、火攻めと兵糧攻めを行ってますね。
ロシア軍は貯水池を決壊させてもいますが、自軍に疫病が発生するなどうまく行ってないようです。
謀略は2014年に領土を奪い取ったことでしょう。
穴流攻め
中華の兵法書は普及していたのかな?
教養の時間
鳥取城攻めについては、「かつ江さん」というマスコットキャラクターが公開されたが、「悲劇を茶化している」などの批判的な意見が噴出し、まもなく中止になっている。まあ、確かに縁起でもないし個人的にもいかがなものかと思った。
こんにちは。
今度はディフェンス面で「焦土作戦のファインプレー特集」やって欲しいです
心を攻めるのが一番良い
諸葛孔明は言葉で人を56せる
たしか映画「レッドクリフ」では
曹操軍の武将AB(名前忘れたが二人ほどいた?)を言葉巧みに操り
曹操軍領内に侵入させた劉備軍の舟に
矢の雨に晒すことで大量の矢をタダでゲット、
更に「矢をくれてサンキュー」みたいな手紙を曹操軍に送ったらしく
曹操キレて武将AB処刑。
武将ABは劉備軍拠点辺りの地形に長けてたらしいから以後の戦闘にも地味に影響あったという噂もある。
諸葛孔明恐ろし過ぎる(汗)
耳で最初聞いてたからエトセトラ攻め?ってなった
火攻めや力攻めを多用した信長に謀反が頻発したのも宜なるかなだねえ
武田信玄「わしはもう長くない。しかし、力攻めは得策ではない。よし、浜松城を素通りして、家康を三方ヶ原に誘い込もう」←この発想天才すぎる
国崩し とは?😂😂😂
長い
正直、日本の城って中国や欧州に比べてしょぼい。細々とした工夫はあるんだろうけど、全体的な作りが微妙。仮に欧州、中国、日本の城が同じ条件の敵に攻められたら、日本の城が一番最初に落ちるだろうなぁ。
日本と大陸では落城した際のリスクがが違いすぎる
大陸では対異民族のため、絶対に負けられない(負ければ、男は殺され女は犯される)
日本では負けてもせいぜい城主と側近が切腹する程度、なんなら臣従を許されることもある
そもそも城の防御力は地形と堀、城壁がほとんどで天守なんてほぼ関係ない
にわかあるあるな勘違いしているんだろうな・・・。ほぼ平地な欧州や中国で使われていた城攻めって
山岳地帯の日本ではまず使う事すらできないんだよな
欧州と中国では生活拠点と土地支配の役割が強いから平地や低い山に建てられる
逆に日本では軍事拠点の側面が他よりも強いから山岳や河川といった地理を利用したケースが多い
城下町に城壁が無いのも他国との違いですよね、火攻めでも言われてましたけど領民に恨まれたく無いし統治にも悪影響出るでるから気を遣うけど、外国だと容赦無いですからね。
だって大陸はデフォが力攻め。何でかって「どうして自国の兵を損耗しないといけないの?異民族か奴隷を使えばいいじゃないか」の発想がまかり通っちゃうんだもの。
力攻めがデフォであるからには、正面戦闘で負けないような城を建てるしかないのだから。