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漫画「ドリフターズ」の「敵将の首は仇であっても首塚を作って丁重に弔う」が、首以外の遺体は「硝石丘」に「糞尿」と一緒に埋める、というの、割と正しかったんやな…
ドリフターズに出てくる戦略とか考え方は実際に戦国時代等で行われたものがほとんどです。作者の平野耕太さんは本当によく歴史を勉強されてるなと思います。
ヒラコーはめっちゃ歴史考証はしているよキャラは濃いけど
戦国時代の武将たちが戦前に占いや縁起に頼ってたのを知って、やっぱりみんな戦が怖かったんだよなっていう共感や親近感が湧いた
勝つためには神頼みってのがリアル当時は神仏が本当に信じられていたから本気で願ったんだろうな
ちょうど合戦をしようかと思っていたところなので、参考になります!
もしかして…お隣さん?
つまんね
打ち鮑、勝栗、昆布なんて考え方もあるのだから縁起物の考え方も面白いですね。
相変わらず分かりやすいw戦国時代超好きだから嬉しいです。これからも頑張って下さい!
この分かりやすい戦の世界の解説動画。裏方の仕事、兵站も見てみたいね。
ほんとに沢山の情報を一つの動画にまとめれるのすごいです!とてもわかりやすいし面白かったです😊
実際、戦の中で総大将が討ち取られる桶狭間みたいなケースは珍しかったらしいですね。大体が政略的に勝敗が決して、それが長いこと戦国が続いてしまう原因にもなったとか。
大名が合戦で討ち取られたのは今川義元竜造寺隆信が有名だけどどっちもその後は家が没落
孫子に書かれる通り合戦の下準備が何かと忙しそうだな
大河ドラマで見たことあるけど、作物を栽培期間に戦をやるのは御法度らしく、全て収穫が終わったときに戦を始めるのが鉄則と見た。
ある程度配慮するけど嫌がらせ目的で栽培や収穫期間に合戦することもあるよその場合は農民ではなく傭兵や比較的動員しやすい三男四男あたりをかき集めて少数での戦いが多い
その割には兵糧攻めとかいう概念あるから本気で勝ちに行くなら守らなそう
暗黙の了解と言うよりも、戦国大名はほぼ兵農分離が出来て居ないから、収穫時期に戦争するのは自国も収穫量が減ることになる。信長が強かったのは、兵農分離がされて、収穫時期を気にすることなく戦争できたからと言う理由が大きい。
@@仔猫の足跡なんで他の大名達は兵農分離をしなかったんでしょうかね?そう言う考えがなかっんでしょうか?
「へいのう」と読むんですね。「ひょうのう」だと思い込んでました@@仔猫の足跡
劇場版クレヨンしんちゃんを実写化したバラット名も無き恋の歌が、長槍の戦い方が良く分かる映画ですね。長槍を突き合うのでは無く、お互いが上から叩き付け合う戦い方でした。
信長も桶狭間奇襲前には熱田神宮で祈願したことを考えると戦前の験担ぎの重要性がよくわかるな
信長の場合は後続部隊の集合場所でもありました。
信心深い?迷信深い?配下の者達を鼓舞する、コントロールする意味もありますからね。信長が、その場面で馬具を鳴らさせたと言うエピソードもありますよね。
ノッブさん神社だいすこ美濃~北近江の街道沿の神社は、ノッブさんからよくしてもらってた神社多い
@@user-uy1738nfmbg比叡山延暦寺なんてもろ朝倉軍、女子供まで義景の走狗だったからだもんな
改めて思うのは大谷吉継という大物の首を持って帰れば超大手柄なのに吉継の家臣との約束を守り首の在処を隠し通した藤堂高刑の漢気よ…
家康も許してくれた程だから本当に漢気がある
@@たまご-y5r そこで許す家康の漢気も好き
合戦でも今みたいに話し合いはするてのが今でも昔でも変わらない要素だと分かるな、でも今と比べたら昔は結構判断が早かったと分かる
最終的な判断をするのは領主負ければどうなるか分かるからこそ決断には慎重にならざるおえないかそれで御家が没落や断絶するのだからそれこそ胃が痛くなるだろうな
学術的価値がある動画だと思います。
大体の合戦は川中島の戦いのように、睨み合いだけで終わる場合が多かった様ですね。
それがいい。
合戦の奥深さが分かりました。「ルアアアア」って言ってれば皆吹き飛んで終わるのかと思ってました。
何時もアップを心待ちにしてますよ😊毎回楽しい動画を有難うございます😉👍🎶
お疲れ様でした。私の地方では戦勝地蔵という地蔵様が伝わってまして、実際に戦場に持ち込んだりして必勝を願ったそうです。真逆に戦に負けて敗走中に置いてきぼりにしたケースもあります。実家のお寺に真柄地蔵ってありまして、かの姉川の真柄様の戦勝地蔵とか。遠い東北の地に?と、思いましたが一族が流れ流れて持ち込んだのか、それとも討ち取った戦利品で酒井家の家臣が持ち込んだのかは、スッキリとしないようですがね。
ここまでオール・オア・ナッシングだと、合戦にはとにかく縁起を担ぎたくなる気持ちも分かるなやれることは何でもやっておきたい
立国寺の由来を聞いて不思議に思ってたけど、神社やお寺がある度に戦勝祈願していたのなら納得
徳永さん、リクエストがあります。リクエスト①歴代鎌倉北条執権の生涯リクエスト②元寇事件に関わった人物の生涯リクエスト③鎌倉幕府滅亡に関わった人物の生涯。リクエスト④歴代室町(足利)幕府将軍の生涯。リクエスト⑤応仁の乱に関わった人物の生涯。をリクエストします!
戦国には戦だけじゃなく話術や調略によって手柄を立てた者もいるが(代表例:秀吉)そうなると配下は安全だが手柄を立てる機会を失うし、部下からはどう思われてたんだか
もしこの動画で合戦シーンを映像で見たい興味が湧いたら、クレヨンしんちゃん嵐を呼ぶアッパレ戦国大合戦を見るのがマジでオススメです。
6:54 ここかわいい笑
3:11 「はなむけ」ってやつですね。
糧か見栄か?いつの時代も翻弄される
領民すら味方につけた上田城の戦いの真田昌幸は見事な物である。
戦国時代の凄さがわかるな
あんまり考えたこともなかったな!興味深い!
首を返したっていうのは知りませんでした。いつもありがとうございます。
意外と「乱戦」となる合戦は少なかったとも云われてますね。たいてい鉄砲や弓矢を撃ち放ち、睨み合いの末に「分が悪い」と判断した側が適当なところで撤退というのが多かったようです。乱戦となったことで有名なのは、不意の遭遇戦となった「第四回川中島の合戦」や、万に及ぶ本願寺勢の大軍に僅か三千の兵で突撃した織田信長の「天王寺砦の戦い」がある。
討ち取られた首ってこんなに丁重に扱われていたんですね!意外です!
ぞんざいに扱うと呪われると信じられたので
信長の有名なエピソードの金箔髑髏は見せしめではなく、供養だったそうですな・・・
@@T--if9gx そもそも信長は下戸なので酒の席自体嫌ってたとか
首実検はかなり改まった儀式で、ちゃんとしたしきたりがある作法を破ると下手をすると自分の首が飛ぶw
それこそ亡骸をぞんざいに扱うのは縁起が悪いじゃないですか。やはり相手も命を賭して挑んでいるわけですし、それこそ仁義が廃るという考えもあったかも知れませんね
ちょいちょい笑える😆センスあるぅ〜👍
なるほどです!
「始まり方」になると「調略」「同盟 」「交易」から始めて「やらない」選択肢を積み上げるか潰すからが始まりと「ドリフターズ」の信長は話していましたね(^^)
下っ端兵、石を集めて投石に使う。手頃な投石に向いた河川を持ってる村は優遇される。
小学校のころ、公園の場所取りはまさに合戦だったw秘密基地作ったり、知らない子達と水鉄砲で戦ったり、上級生に殴られたり。その内、部活動が始まって、趣味嗜好も違ってきて、中学生になって、同じだと思ってた友達の間にヒエラルキーが出来て。生きてるって感じ。
私の先祖は織田家旧臣の国人領主の一人。合戦では何度も一番槍の功名をたてたという。
まぁ、確かに単純に戦うという訳にはいかないですよね・・・・😅
武者震いって言葉があるように戦前はアドレナリン出まくりで身震いしたことから生まれた言葉
教科書では教えてくれない詳細な流れ、勉強になります(首実検)「首実験」と読んで、ネクロマンサーがやるようなアレコレを想像した子供時代の思い出
桶狭間の時の信長が熱田神宮に寄って戦勝祈願して士気もあげたりしたっていうのもありましたね。
実際の殆どの合戦では小競り合いから徐々に優劣が見えた時点で農民が主体の兵士が離散してほぼ終了するから映画やドラマみたいな死屍累々な光景はあまり無かったらしいですね。
三国志などを見ると、どの国も有能な軍師がたくさん出てきますが、日本だと軍師専門の人はあまり見ないような気がしますが、実際はどうなのでしょうか。武将兼軍師、という印象です。
合戦だから相手がいる事ですので桶狭間みたいに急襲なのは分かるけど、川中島とか関ヶ原とかここで戦うぞとか相手に伝えるものなのかな
3:26時代は下って。科学的な日本共産党でも、選挙のときは候補者が打鮑、勝栗、昆布を肴に出陣式をしていたがバブル崩壊後の資金難やアルコールへの批判から最近はなくなった。
私は現代人だけど、験を担ぎますけどね。
やたら縁起を気にするけど命懸けだから当然か文字通り神にも縋る思いで戦いに赴くんだから
???「戦いは数だよ、兄貴ィ゙!」
合戦場ってそこまでの道が1~2本しかなかったら敵味方一緒になって歩いてたのかなどっかで休んでるときに別の一団が来たら「あの人たち敵かな・・・味方かな・・・でもまだ合戦始まってないし・・・」ってお互い見ながらすれ違ったのかな
「花の慶次」で前田慶次が褌は純白で常にきれいにしておくことにこだわってた理由の一つが戦シしたら身ぐるみはがされて褌一丁にされるからそうなっても恥ずかしくないようにだからなぁ・・・
家康の「小ぎれいにしようが人間はいつか死ぬし死ねばふんどしどころか身体腐るんだから純白とか無駄。最初から色付きの奴にしとけ」論と対極にあるよなと思ってしまう。あくまで前提条件の違いであってどちらも合理的ではあるし。
家に着くまでが合戦です
ゲン担ぎの方法の一つとして、部下の加藤さんに呼びかけるって話を何処かで聞いた記憶がある。つまり「勝とう」ってわけで。だとすれば全国の加藤さんは重宝しただろうなぁw
加藤清正公「勝とうぜ!!」
領主「加藤はいるか?」部下「今日はいません!」領主「…」
@@潤治大西今日はって(笑)(笑)
@@潤治大西もし加藤がいなければ、誰かを改名させて無理矢理にでも名乗らせればいいと考えてしまうけど、なんでも有りの戦国時代ならではかなと。
傭兵部隊の織田軍の場合は農民集める手間が無かった分、他の国より迅速に開戦できたのかな?
それもあるけど、田植えや稲刈りといった忙しい時期の農民を使わないからいつでも戦ができる。農民の死亡による生産力の低下が少ないのがメリット
どの大河ドラマか忘れたが、武田軍を待ち構えていると、霧がかかった地平線の彼方に鼓笛隊が現れて緩やかな音楽と踊りをした後に姿を消し、その後に無数の騎馬隊が現れる演出があった。勝てるとは思えない迫力。
戦国時代じゃなくて幕末だけど壬生義士伝で官軍が鼓笛隊の音と共に錦旗を掲げて行進して来たのを思い出した
昔「天と地と」で川中島で武田の諏訪部隊が輿にでかい太鼓を載せてドーンドーンと鳴らしながら行進してきたのは迫力があった。(ただ、それに対し上杉の軍団が容赦なく発砲しなぎ倒される・・・)
そのシーンならば大河の「信長 KING OF ZIPANGU」ですね
今日か!では今から行くぞ!!!
リクエストです!最近逃げ若にハマっているので室町初期の武将を主役にして欲しいです!特に僕の一番好きな楠木正成・正季とか!
大六天魔王が最強の信教なのかな💡
民明書房ではやたらと演技担ぎアイテムを作ったことになっている武田信玄。
よければ最上義光の人生お願いします🙇
戦場はどうやって決めるんですかね?こっちが陣を敷いても相手が来ないと始まらない
生きて捕虜の辱めを受けずってこの頃からなのか
上杉謙信の小田原攻めの時は、通過点だった沼田をとことん荒らしたらしい
最悪でも勅命講和というジャッジには従うくらい皆戦国レギュレーションで合戦してたんだよね。逆に十字軍なんかはエイリアンvsプレデターくらいのルール無用感。
あの時代の百姓はパワー系で強かったイメージがある笑
信長が浅井・朝倉連合軍と戦って撤退した時に羽柴秀吉が殿(しんがり)を務めたのは有名だが、ただでさえ負け戦で自分の命が危ういのに主君を守り通したのだから、いかにその手柄が大きいかうかがい知れる。
負け戦だからこそなおさら英雄的行為を誉めて目を逸らす必要もあるからね
うちのご先祖は、関ヶ原戦役のあとの大垣城攻めで、津軽方の一手にて、二の丸の一番乗りを果たしたという伝承があります。本丸じゃなく、二の丸ってのが、いかにも我が家らしいというか。うちは決して一番にはなれず、2番なんですよね
いや、二の丸一番乗りでも凄いんだけど😅
アルベルト・W・ワイリーだって充分凄いんだしさ
「十面埋伏」とか「森林強襲」はなかったんでしょうか?
今日は凶ってオヤジギャグですかね
てことは地面掘り続けたりしたら骨の一部とか出てくるのかな?笑
甘寧一番乗り!!!………大手柄じゃ!!!!!
戦で田畑焼かれた百姓達の恨みはさぞかし深かったでしょうね.例え武具を売り払って補填したとしても...
本気の殺し合いに所作や礼儀、ルールのある律儀な国が他にあるだろうか
絵的に配慮して、剥ぎ取り後はスッポンポンにはしなかったのでしょうが、当時一番価値が高かったのは、フンドシだったそうな。
この動画を見ると、河越城の戦いの奇襲は邪道に思える、、、
珍しいからこそ歴史に残る
👍👍👍
3:40 信心深いと言いながら、隣の国の民を殺すことには何の躊躇もなかったのだろうか、といつも思ってしまう。神を畏れ敬っていたと言いながらも、結局自身の欲が最終的には優先されてしまっているのは戦国でも現代でも変わらない。人の最も醜く浅ましい部分なんだなぁとこう言う動画でいつも反省させられる
今日は、長男信康、信康の命日じゃ
ナポレオンも縁起かついだそうで。
勝てば「官軍」か…
しかし写真もない時代によく首だけで誰だと特定出来たよなぁ。会ったことがある人物でも年齢重ねれればかなり変貌することもあるだろうに。
関ヶ原とか遺体処理どうしたんだろ?
結末の自害に関して「生きて恥となるなら散る」というのはちょっと以外だった。自分の中では「この様に負ける合戦を始めてしまったので責任を取り、皆の為に散る」という感覚だった
つくづく戦国の世には生まれたくないと思った。もし生まれるならば平和な江戸時代がいい。
弓の絵が違う
いつの時代にも言えるが人がいなきゃ戦は出来んよ
残酷ね
弓兵なんか金かかるから勝負所でしか使わないぞ。戦術的に無意味な最序盤でなんか金持ちの家でないともったいなくてつかわん。農民兵なんかいくら減っても意味ないからな。エンタメだと中国の弩とかペルシャみたいに空を黒く覆う矢とか映像映えするから使いたがるがかなりナンセンスだよ。矢は無料じゃねえんだぞ。大体合戦で投石ないとか絶対に無いからまず投石から語れといいたい。しんのすの映画は本当に投石からやったから評価されてる
武具がねえだ。しがだねぇ竹で胴つくんべ。あに?竹がねぇ?………薪を尖らせて、えいっえいっすべ。はあ。そもそも飯がねえしな。
こんにちは、。
写真もない時代の首実検って、どうやって真贋判断するんや?
そいつを見たことある奴(外交官や商人)や敵の捕虜にチェックさせるとか?
@@T--if9gx 無名の味方は誰も顔知らなかったやつとかは、手柄にならないとかあったんかなぁ
裏切り者が常にいるのが戦争やで
大将指揮官クラスの有名人は見ればわかるが、それ以下はわりと適当で「こいつはなんか肌艶いいからきっとそれなりの家柄の手柄首に違いない」とかだから首実検するときは敵将の首、めっちゃ綺麗に整えて持ってゆく。少しでもすごいヤツ感を出した方が良い値がつくからだ
悪口を言うのが草
そりゃまぁ、「兵は国の大事」といいますし、そう簡単に戦うってわけにはいかんでしょ。
たくさんの命がかかってる合戦なのに、縁起担いだり、神社やお寺で祈るという非科学的な行為をガチでしているの可愛い😂
占いが抜けてるやり直し
縁起?事実だよ。今でもそれはある。いい加減になればなるほど災難や負けに遭いやすい。ま、今新興宗教など多いから災難や負けに遭いやすい(笑)
漫画「ドリフターズ」の「敵将の首は仇であっても首塚を作って丁重に弔う」が、首以外の遺体は「硝石丘」に「糞尿」と一緒に埋める、というの、割と正しかったんやな…
ドリフターズに出てくる戦略とか考え方は実際に戦国時代等で行われたものがほとんどです。
作者の平野耕太さんは本当によく歴史を勉強されてるなと思います。
ヒラコーはめっちゃ歴史考証はしているよキャラは濃いけど
戦国時代の武将たちが戦前に占いや縁起に頼ってたのを知って、やっぱりみんな戦が怖かったんだよなっていう共感や親近感が湧いた
勝つためには神頼みってのがリアル
当時は神仏が本当に信じられていたから本気で願ったんだろうな
ちょうど合戦をしようかと思っていたところなので、参考になります!
もしかして…お隣さん?
つまんね
打ち鮑、勝栗、昆布なんて考え方もあるのだから縁起物の考え方も面白いですね。
相変わらず分かりやすいw戦国時代超好きだから嬉しいです。これからも頑張って下さい!
この分かりやすい戦の世界の解説動画。裏方の仕事、兵站も見てみたいね。
ほんとに沢山の情報を一つの動画にまとめれるのすごいです!とてもわかりやすいし面白かったです😊
実際、戦の中で総大将が討ち取られる桶狭間みたいなケースは珍しかったらしいですね。
大体が政略的に勝敗が決して、それが長いこと戦国が続いてしまう原因にもなったとか。
大名が合戦で討ち取られたのは今川義元竜造寺隆信が有名だけどどっちもその後は家が没落
孫子に書かれる通り合戦の下準備が何かと忙しそうだな
大河ドラマで見たことあるけど、作物を栽培期間に戦をやるのは御法度らしく、全て収穫が終わったときに戦を始めるのが鉄則と見た。
ある程度配慮するけど嫌がらせ目的で栽培や収穫期間に合戦することもあるよ
その場合は農民ではなく傭兵や比較的動員しやすい三男四男あたりをかき集めて少数での戦いが多い
その割には兵糧攻めとかいう概念あるから本気で勝ちに行くなら守らなそう
暗黙の了解と言うよりも、戦国大名はほぼ兵農分離が出来て居ないから、収穫時期に戦争するのは自国も収穫量が減ることになる。
信長が強かったのは、兵農分離がされて、収穫時期を気にすることなく戦争できたからと言う理由が大きい。
@@仔猫の足跡なんで他の大名達は兵農分離をしなかったんでしょうかね?そう言う考えがなかっんでしょうか?
「へいのう」と読むんですね。「ひょうのう」だと思い込んでました@@仔猫の足跡
劇場版クレヨンしんちゃんを実写化したバラット名も無き恋の歌が、長槍の戦い方が良く分かる映画ですね。
長槍を突き合うのでは無く、お互いが上から叩き付け合う戦い方でした。
信長も桶狭間奇襲前には熱田神宮で祈願したことを考えると戦前の験担ぎの重要性がよくわかるな
信長の場合は後続部隊の集合場所でもありました。
信心深い?迷信深い?配下の者達を鼓舞する、コントロールする意味もありますからね。
信長が、その場面で馬具を鳴らさせたと言うエピソードもありますよね。
ノッブさん神社だいすこ
美濃~北近江の街道沿の神社は、ノッブさんからよくしてもらってた神社多い
@@user-uy1738nfmbg比叡山延暦寺なんてもろ朝倉軍、女子供まで義景の走狗だったからだもんな
改めて思うのは大谷吉継という大物の首を持って帰れば超大手柄なのに吉継の家臣との約束を守り首の在処を隠し通した藤堂高刑の漢気よ…
家康も許してくれた程だから
本当に漢気がある
@@たまご-y5r
そこで許す家康の漢気も好き
合戦でも今みたいに話し合いはするてのが今でも昔でも変わらない要素だと分かるな、でも今と比べたら昔は結構判断が早かったと分かる
最終的な判断をするのは領主
負ければどうなるか分かるからこそ決断には慎重にならざるおえないか
それで御家が没落や断絶するのだからそれこそ胃が痛くなるだろうな
学術的価値がある動画だと思います。
大体の合戦は川中島の戦いのように、睨み合いだけで終わる場合が多かった様ですね。
それがいい。
合戦の奥深さが分かりました。「ルアアアア」って言ってれば皆吹き飛んで終わるのかと思ってました。
何時もアップを心待ちにしてますよ😊毎回楽しい動画を有難うございます😉👍🎶
お疲れ様でした。私の地方では戦勝地蔵という地蔵様が伝わってまして、実際に戦場に持ち込んだりして必勝を願ったそうです。真逆に戦に負けて敗走中に置いてきぼりにしたケースもあります。
実家のお寺に真柄地蔵ってありまして、かの姉川の真柄様の戦勝地蔵とか。遠い東北の地に?と、思いましたが一族が流れ流れて持ち込んだのか、それとも討ち取った戦利品で酒井家の家臣が持ち込んだのかは、スッキリとしないようですがね。
ここまでオール・オア・ナッシングだと、合戦にはとにかく縁起を担ぎたくなる気持ちも分かるな
やれることは何でもやっておきたい
立国寺の由来を聞いて不思議に思ってたけど、神社やお寺がある度に戦勝祈願していたのなら納得
徳永さん、リクエストがあります。
リクエスト①歴代鎌倉北条執権の生涯
リクエスト②元寇事件に関わった人物の生涯
リクエスト③鎌倉幕府滅亡に関わった人物の生涯。
リクエスト④歴代室町(足利)幕府将軍の生涯。
リクエスト⑤応仁の乱に関わった人物の生涯。
をリクエストします!
戦国には戦だけじゃなく話術や調略によって手柄を立てた者もいるが(代表例:秀吉)
そうなると配下は安全だが手柄を立てる機会を失うし、部下からはどう思われてたんだか
もしこの動画で合戦シーンを映像で見たい興味が湧いたら、クレヨンしんちゃん嵐を呼ぶアッパレ戦国大合戦を見るのがマジでオススメです。
6:54 ここかわいい笑
3:11 「はなむけ」ってやつですね。
糧か見栄か?いつの時代も翻弄される
領民すら味方につけた上田城の戦いの真田昌幸は見事な物である。
戦国時代の凄さがわかるな
あんまり考えたこともなかったな!興味深い!
首を返したっていうのは知りませんでした。いつもありがとうございます。
意外と「乱戦」となる合戦は少なかったとも云われてますね。たいてい鉄砲や弓矢を撃ち放ち、睨み合いの末に「分が悪い」と判断した側が適当なところで撤退というのが多かったようです。
乱戦となったことで有名なのは、不意の遭遇戦となった「第四回川中島の合戦」や、万に及ぶ本願寺勢の大軍に僅か三千の兵で突撃した織田信長の「天王寺砦の戦い」がある。
討ち取られた首ってこんなに丁重に扱われていたんですね!意外です!
ぞんざいに扱うと呪われると信じられたので
信長の有名なエピソードの金箔髑髏は見せしめではなく、供養だったそうですな・・・
@@T--if9gx
そもそも信長は下戸なので酒の席自体嫌ってたとか
首実検はかなり改まった儀式で、ちゃんとしたしきたりがある
作法を破ると下手をすると自分の首が飛ぶw
それこそ亡骸をぞんざいに扱うのは縁起が悪いじゃないですか。
やはり相手も命を賭して挑んでいるわけですし、それこそ仁義が廃るという考えもあったかも知れませんね
ちょいちょい笑える😆
センスあるぅ〜👍
なるほどです!
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下っ端兵、石を集めて投石に使う。
手頃な投石に向いた河川を持ってる村は優遇される。
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私の先祖は織田家旧臣の国人領主の一人。
合戦では何度も一番槍の功名をたてたという。
まぁ、確かに単純に戦うという訳にはいかないですよね・・・・😅
武者震いって言葉があるように
戦前はアドレナリン出まくりで身震いしたことから生まれた言葉
教科書では教えてくれない詳細な流れ、勉強になります
(首実検)「首実験」と読んで、ネクロマンサーがやるようなアレコレを想像した子供時代の思い出
桶狭間の時の信長が熱田神宮に寄って戦勝祈願して士気もあげたりしたっていうのもありましたね。
実際の殆どの合戦では小競り合いから徐々に優劣が見えた時点で農民が主体の兵士が離散してほぼ終了するから映画やドラマみたいな死屍累々な光景はあまり無かったらしいですね。
三国志などを見ると、どの国も有能な軍師がたくさん出てきますが、日本だと軍師専門の人はあまり見ないような気がしますが、実際はどうなのでしょうか。武将兼軍師、という印象です。
合戦だから相手がいる事ですので桶狭間みたいに急襲なのは分かるけど、川中島とか関ヶ原とかここで戦うぞとか相手に伝えるものなのかな
3:26
時代は下って。
科学的な日本共産党でも、選挙のときは
候補者が打鮑、勝栗、昆布を肴に出陣式をしていたが
バブル崩壊後の資金難やアルコールへの批判から最近はなくなった。
私は現代人だけど、験を担ぎますけどね。
やたら縁起を気にするけど命懸けだから当然か
文字通り神にも縋る思いで戦いに赴くんだから
???「戦いは数だよ、兄貴ィ゙!」
合戦場ってそこまでの道が1~2本しかなかったら敵味方一緒になって歩いてたのかな
どっかで休んでるときに別の一団が来たら
「あの人たち敵かな・・・味方かな・・・でもまだ合戦始まってないし・・・」
ってお互い見ながらすれ違ったのかな
「花の慶次」で前田慶次が褌は純白で常にきれいにしておくことにこだわってた理由の一つが戦シしたら身ぐるみはがされて褌一丁にされるからそうなっても恥ずかしくないようにだからなぁ・・・
家康の「小ぎれいにしようが人間はいつか死ぬし死ねばふんどしどころか身体腐るんだから純白とか無駄。最初から色付きの奴にしとけ」論と対極にあるよなと思ってしまう。
あくまで前提条件の違いであってどちらも合理的ではあるし。
家に着くまでが合戦です
ゲン担ぎの方法の一つとして、部下の加藤さんに呼びかけるって話を何処かで聞いた記憶がある。つまり「勝とう」ってわけで。
だとすれば全国の加藤さんは重宝しただろうなぁw
加藤清正公「勝とうぜ!!」
領主「加藤はいるか?」部下「今日はいません!」領主「…」
@@潤治大西今日はって(笑)(笑)
@@潤治大西もし加藤がいなければ、誰かを改名させて無理矢理にでも名乗らせればいいと考えてしまうけど、なんでも有りの戦国時代ならではかなと。
傭兵部隊の織田軍の場合は農民集める手間が無かった分、他の国より迅速に開戦できたのかな?
それもあるけど、田植えや稲刈りといった忙しい時期の農民を使わないからいつでも戦ができる。農民の死亡による生産力の低下が少ないのがメリット
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勝てるとは思えない迫力。
戦国時代じゃなくて幕末だけど
壬生義士伝で官軍が鼓笛隊の音と共に錦旗を掲げて行進して来たのを思い出した
昔「天と地と」で川中島で武田の諏訪部隊が輿にでかい太鼓を載せてドーンドーンと鳴らしながら行進してきたのは迫力があった。(ただ、それに対し上杉の軍団が容赦なく発砲しなぎ倒される・・・)
そのシーンならば大河の「信長 KING OF ZIPANGU」ですね
今日か!では今から行くぞ!!!
リクエストです!
最近逃げ若にハマっているので室町初期の武将を主役にして欲しいです!特に僕の一番好きな楠木正成・正季とか!
大六天魔王が最強の信教なのかな💡
民明書房ではやたらと演技担ぎアイテムを作ったことになっている武田信玄。
よければ最上義光の人生お願いします🙇
戦場はどうやって決めるんですかね?
こっちが陣を敷いても相手が来ないと始まらない
生きて捕虜の辱めを受けずってこの頃からなのか
上杉謙信の小田原攻めの時は、通過点だった沼田をとことん荒らしたらしい
最悪でも勅命講和というジャッジには従うくらい皆戦国レギュレーションで合戦してたんだよね。逆に十字軍なんかはエイリアンvsプレデターくらいのルール無用感。
あの時代の百姓はパワー系で強かったイメージがある笑
信長が浅井・朝倉連合軍と戦って撤退した時に羽柴秀吉が殿(しんがり)を務めたのは有名だが、ただでさえ負け戦で自分の命が危ういのに主君を守り通したのだから、いかにその手柄が大きいかうかがい知れる。
負け戦だからこそなおさら英雄的行為を誉めて目を逸らす必要もあるからね
うちのご先祖は、関ヶ原戦役のあとの大垣城攻めで、津軽方の一手にて、二の丸の一番乗りを果たしたという伝承があります。本丸じゃなく、二の丸ってのが、いかにも我が家らしいというか。うちは決して一番にはなれず、2番なんですよね
いや、二の丸一番乗りでも凄いんだけど😅
アルベルト・W・ワイリーだって充分凄いんだしさ
「十面埋伏」とか
「森林強襲」はなかったんでしょうか?
今日は凶ってオヤジギャグですかね
てことは地面掘り続けたりしたら骨の一部とか出てくるのかな?笑
甘寧一番乗り!!!
………大手柄じゃ!!!!!
戦で田畑焼かれた百姓達の恨みはさぞかし深かったでしょうね.例え武具を売り払って補填したとしても...
本気の殺し合いに所作や礼儀、ルールのある律儀な国が他にあるだろうか
絵的に配慮して、剥ぎ取り後はスッポンポンにはしなかったのでしょうが、
当時一番価値が高かったのは、フンドシだったそうな。
この動画を見ると、河越城の戦いの奇襲は邪道に思える、、、
珍しいからこそ歴史に残る
👍👍👍
3:40 信心深いと言いながら、隣の国の民を殺すことには何の躊躇もなかったのだろうか、といつも思ってしまう。
神を畏れ敬っていたと言いながらも、結局自身の欲が最終的には優先されてしまっているのは戦国でも現代でも変わらない。人の最も醜く浅ましい部分なんだなぁとこう言う動画でいつも反省させられる
今日は、長男信康、信康の命日じゃ
ナポレオンも縁起かついだそうで。
勝てば「官軍」か…
しかし写真もない時代によく首だけで誰だと特定出来たよなぁ。会ったことがある人物でも年齢重ねれればかなり変貌することもあるだろうに。
関ヶ原とか遺体処理どうしたんだろ?
結末の自害に関して「生きて恥となるなら散る」というのはちょっと以外だった。自分の中では「この様に負ける合戦を始めてしまったので責任を取り、皆の為に散る」という感覚だった
つくづく戦国の世には生まれたくないと思った。もし生まれるならば平和な江戸時代がいい。
弓の絵が違う
いつの時代にも言えるが人がいなきゃ戦は出来んよ
残酷ね
弓兵なんか金かかるから勝負所でしか使わないぞ。戦術的に無意味な最序盤でなんか金持ちの家でないともったいなくてつかわん。農民兵なんかいくら減っても意味ないからな。
エンタメだと中国の弩とかペルシャみたいに空を黒く覆う矢とか映像映えするから使いたがるがかなりナンセンスだよ。矢は無料じゃねえんだぞ。
大体合戦で投石ないとか絶対に無いからまず投石から語れといいたい。
しんのすの映画は本当に投石からやったから評価されてる
武具がねえだ。しがだねぇ竹で胴つくんべ。
あに?竹がねぇ?
………薪を尖らせて、えいっえいっすべ。
はあ。そもそも飯がねえしな。
こんにちは、。
写真もない時代の首実検って、どうやって真贋判断するんや?
そいつを見たことある奴(外交官や商人)や敵の捕虜にチェックさせるとか?
@@T--if9gx 無名の味方は誰も顔知らなかったやつとかは、手柄にならないとかあったんかなぁ
裏切り者が常にいるのが戦争やで
大将指揮官クラスの有名人は見ればわかるが、それ以下はわりと適当で「こいつはなんか肌艶いいからきっとそれなりの家柄の手柄首に違いない」とか
だから首実検するときは敵将の首、めっちゃ綺麗に整えて持ってゆく。少しでもすごいヤツ感を出した方が良い値がつくからだ
悪口を言うのが草
そりゃまぁ、「兵は国の大事」といいますし、そう簡単に戦うってわけにはいかんでしょ。
たくさんの命がかかってる合戦なのに、縁起担いだり、神社やお寺で祈るという非科学的な行為をガチでしているの可愛い😂
占いが抜けてるやり直し
縁起?事実だよ。今でもそれはある。いい加減になればなるほど災難や負けに遭いやすい。
ま、今新興宗教など多いから災難や負けに遭いやすい(笑)