【ゆっくり解説】木曽義仲 平家を都落ちさせ、英雄となるはずだった男はなぜ滅ぼされてしまうことになったのか?その生涯について簡単に解説

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  • Опубликовано: 31 дек 2024

Комментарии • 91

  • @laughingowl8766
    @laughingowl8766 6 месяцев назад +3

    15:42 将棋風に言うと、形作りさえさせてもらえなかった義仲

  • @tzoe938
    @tzoe938 Год назад +18

    粗暴だったから貴族に嫌われたと言うより、貴族に嫌われたから粗暴な人物として扱われたんかね

  • @やっつ-h7s
    @やっつ-h7s 11 месяцев назад +3

    ここら辺、嫌いじゃないんだけど
    登場人物がむずいのよね
    改めて思うけど、この人ら皆んな親戚よね笑

  • @КэндзиИкэда
    @КэндзиИкэда Год назад +29

    木曽義仲や巴御前は江戸時代の錦絵に多く描かれていますね。『平家物語』で義仲は乱暴狼藉で悪く書かれていますが、錦絵で描かれている義仲や巴御前はまさに勇士ですね。

  • @HatenaZ
    @HatenaZ 2 месяца назад

    義経とぶつからずに状況見て、一旦自身の本拠地の木曽北陸に引いていれば、こういう結果にならなかっただろうな
    それ以前に大姫と吉高との婚姻時も、逆に頼朝のバックアップに回る事を条件に、大姫の方を迎える形にして置けば吉高を殺されずに済んだ
    こういう全体の状況判断が出来なかったのが滅んだ原因
    逆に頼朝はそういう状況判断の政治判断が凄かった
    後の世の家康の様に時節を待てるのも大事

  • @とらねこ-v3h
    @とらねこ-v3h Год назад +52

    義仲陣営には朝廷工作ができる人材がいなかった。これが頼朝との最大の違い。

    • @黒狐-t8l
      @黒狐-t8l Год назад +10

      みんな脳筋しか居なかったからね😅義経もそうだったけど…結局家来筋までが限界

  • @丸山康平-l2f
    @丸山康平-l2f Год назад +36

    頼朝の政治力
    距離の取り方が絶妙だった
    都の権威を否定はしないけど近づかない

    • @queirrelel
      @queirrelel Год назад +3

      別にいいんですよ
      破滅しても
      不忠の烙印を押されるよりは生きた心地しただろうし

  • @廣石恒生
    @廣石恒生 Год назад +2

    このての話を系図をじっくり見せてくれないと、さっぱりわからない❗

  • @sugisinfkk
    @sugisinfkk Год назад +35

    源氏のお得意のお家芸・内ゲバ
    従兄の頼朝・範頼・義経に滅ぼされる

    • @ジョンスミス-d9z
      @ジョンスミス-d9z Год назад +13

      そしてその範頼・義経も兄の頼朝に滅ぼされる

    • @sugisinfkk
      @sugisinfkk Год назад +13

      @@ジョンスミス-d9z その頼朝(一族)もある意味自業自得な末路を迎えるから、ある意味良かったかも

    • @un-105x
      @un-105x Год назад

      父の世代からして兄弟で敵対して争う関係なんだから何の不思議もないw
      父の義賢は甥の悪源太義平に討たれるが、これにはさらに後日談があって、
      義賢の養子分になり、事実上為義が義賢に代わる嫡子と目していた頼賢(為義の四男)が
      仇を討とうと東国へ下ると、今度は義朝が朝廷から頼賢追討の院宣を受けて
      頼賢追討に向かうという…
      結局義朝と頼賢は戦う事は無くその場は収まったが、これで義朝と為義の関係は
      決定的な亀裂となり、保元の乱における「為義一党vs義朝」へと繋がる。

    • @kazsteinkreis8570
      @kazsteinkreis8570 Год назад +7

      父や祖父、そのもっと前の代から骨肉の争いばっかりしてたのがこの一族😫

    • @sugisinfkk
      @sugisinfkk Год назад +5

      @@kazsteinkreis8570
      分家(?)の足利や武田も同じようなことやってましたね
      同族争いは他も多少はあるけど、ここは特に酷い。平氏(not平家)のほうがマシ。

  • @MyForestStudio
    @MyForestStudio Год назад +22

    武将としては優れていたけど、都で渡り歩く教養が欠けていたのが致命的だった…
    皇位継承に介入しようとしたり云々
    当初は北陸の寺院を味方に付けていたんだけど、法住寺合戦で後白河側にいた天台座主を討ち取ってドン引きされて離反したこともあったとか

  • @mimi-hm2ez
    @mimi-hm2ez Год назад +1

    上洛後の織田信長は、義仲の失敗を反面教師にしてたりして。

  • @takashike
    @takashike Год назад +19

    皇位継承問題に介入したのが運の尽き。

    • @黒狐-t8l
      @黒狐-t8l Год назад +3

      確かにね…最近で言ったら平成の時に次の皇位継承者は今の天皇陛下ではなくていきなり高円宮殿下を皇太子にしようとするような感じで以仁王の息子の北陸宮を擁立させようとしましたしね…

    • @rKK-p1f
      @rKK-p1f Год назад +1

      しかし皇位継承に介入した、なら平家も北条家もやってるような

    • @takashike
      @takashike Год назад

      @@rKK-p1f 平家と北条家は皇位継承に介入できる正当性と権威があった。義仲にはない。

    • @syuzredsyuzred8507
      @syuzredsyuzred8507 3 месяца назад +1

      介入自体はあり得ても担いだ北陸宮が無理筋過ぎた親王とかを担いでたら行けたかもねえ

  • @Hぴーちゃん-u4f
    @Hぴーちゃん-u4f Год назад +4

    義仲が尾張あたりの産まれで母親が高貴な家柄だったら

  • @qzp01467
    @qzp01467 Год назад +2

    田舎者が都の公家の扱い方を知らずに、上皇以上の権力を持ったと勘違いしたからかな。

  • @yuki-lt5jm
    @yuki-lt5jm Год назад +3

    うしおととら外伝で、木曽義仲と巴御前のエピソードがありましたね。
    星を掴み損ねたというか、もう気がついたらどうにもならない状況の中足掻くしかない。新撰組に通じるものがありますね。

  • @真榊
    @真榊 Год назад +1

    頼朝はスターリンみたい。
    はっきりわかんだね

  • @88番大窪寺
    @88番大窪寺 Год назад +7

    討って討たれて、最後にウハウハしたのが「北条」

  • @laughingswordfish3665
    @laughingswordfish3665 10 месяцев назад +1

    木曽義仲の不運は軍事的才能はあったけど政治的才能が乏しかったことではないかと思います。
    平氏は一族がまとまる傾向だけど源氏は身内同士がつぶし合う傾向がある気がします。

  • @munetika2
    @munetika2 Год назад +15

    大姫可哀そす

    • @江戸城の正成像
      @江戸城の正成像 Год назад +6

      鎌倉殿の13人でそれがよく描かれてました…
      死後何年経っても義高のことが忘れられず、「あの世に行けば義高様に会える🥰」と生きる気力を無くし、そのまま逝ってしまった👼

    • @慈悲-t9x
      @慈悲-t9x Год назад

      ​@@江戸城の正成像
      大泉洋

  • @КэндзиИкэда
    @КэндзиИкэда Год назад +6

    長野県歌『信濃の国』の歌詞に「旭将軍義仲も 仁科の五郎信盛も 象山佐久間先生も 春台太宰先生も」があります。

    • @太田光児
      @太田光児 11 месяцев назад +1

      最後の歌詞は「国は偉人のある習い♪~」。

  • @草壁健一郎-t2w
    @草壁健一郎-t2w Год назад +2

    地元に倶利伽羅峠があるので、地元の自治体は義仲と巴御前と何故か火牛ゆるキャラを作って
    木曽義仲を主役にした大河ドラマを実現しようと猛アピールしているのですが
    正直、無理だと思う・・・
    挙兵して京都から平氏を追い出したまでは良かったですが
    その後は、平家追討で大敗し仕舞には、同族に討たれる訳ですが
    これは1年間の大河ドラマでやるには、内容が少なすぎると思う訳です
    まあ、それ以前に悲劇の英雄である義経は、ストーリー的にも良いですが
    果たして義仲はどうなのかと・・・

  • @みっちー-u1f7j
    @みっちー-u1f7j Год назад +5

    荒武者のイメージだったけど「鎌倉殿の13人」見てからは誇り高い武人のイメージなった。

  • @紀墓林
    @紀墓林 Год назад +12

    朝日将軍の朝日って倶利伽羅の地名だった様な…

  • @ドリームマスター-g5z
    @ドリームマスター-g5z Год назад +6

    地獄谷wこの動画をみる少し前にニホンザルが地獄谷の温泉に遣ってる話を見たばかりだw

  • @ワイルドメーン
    @ワイルドメーン Год назад +16

    親の代から抹殺される運命だったんだよ
    大人しく木曽谷で生きていたら良かったのに

    • @丸山康平-l2f
      @丸山康平-l2f Год назад +5

      この人と逃げ若君は本当長野で
      地方権威として暮らしてたら
      良かったと思いますね。庇護者は
      地元の名家ですし。

    • @hiron114
      @hiron114 Год назад +3

      しかし、それなりに実力はあるから、周囲が勝手に担ぎ上げるやろな。
      本人の意思にかかわらず・・・

  • @carnagejp
    @carnagejp 8 месяцев назад +1

    木曽がクソに聞こえて堪えきれなかった

    • @fuki_rekishi
      @fuki_rekishi  8 месяцев назад

      めちゃくちゃ暴言吐きながらの人物紹介!!w

  • @kazsteinkreis8570
    @kazsteinkreis8570 Год назад +14

    『鎌倉殿』のキャストとスタッフでスピンオフを作って欲しい
    コロナもおさまったし合戦シーンも存分に

  • @リョウ-m3b
    @リョウ-m3b Год назад +7

    北陸から出るべきではなったな〜

  • @小野裕輝-o7p
    @小野裕輝-o7p Год назад +5

    義仲は三国志の董卓と共通点が多い。地方から上洛して権力を握ったが配下に中央とのコネがあるのがいなく栄華も短期間で終わった。

    • @twintail1723
      @twintail1723 Год назад +2

      蔡邕が居たよ朝廷のパイプ
      残念ながら王允に殺された

  • @牛カルビ-h1z
    @牛カルビ-h1z Год назад +18

    越前あたりで軍を止め、北陸地方の地盤を固めて様子見するべきだったのかなぁ...。
    勢いにまかせて西に進まなかった慎重な頼朝との差が出たような気がする。

    • @sugisinfkk
      @sugisinfkk Год назад +3

      自分は鎌倉にいて異母弟2人を派遣したし

    • @黒狐-t8l
      @黒狐-t8l Год назад +3

      @@sugisinfkk 恐らく坂東武士で和田義盛辺りが同じような事をしでかさないか心配だったと思うし皇室とべったりしたら録な事にならないって解ったからでは…

  • @is6020ua
    @is6020ua Год назад +1

    この動画を見た感じだと、短期的な合戦の戦術には優れていたけど、兵糧の確保などを含めた長期的な戦略や、世渡り的な政略的な能力はなかったのかな。頼朝は戦略や政略的な能力についてはしっかりしていた印象だし。

  • @kpo1870
    @kpo1870 Год назад +3

    「主上にやならまし、法皇にやなるべき。法皇にならうと思へども、法師にならんもをかしかるべし。主上にならうと思へども、童にならんもしかるべからず」(「平家物語」巻八『法住寺合戦の事』)・・・あーあ、とうとう言っちゃあならんことを。知い~~らない(嘆息)。

  • @sugisinfkk
    @sugisinfkk Год назад +9

    長野県木曽郡日義村
    (現・木曽郡木曽町日義)
    朝日将軍義仲が名前の由来

  • @暁隼人
    @暁隼人 Год назад +7

    武力100
    政治20
    みたいな能力値だったから。
    日本版、呂布といえばわかりやすい。

    • @呉志
      @呉志 Год назад +2

      呂布なら、行家を助けないしwww
      鎌倉軍では、呂布は、倒せない⁉️

    • @暁隼人
      @暁隼人 Год назад +2

      鎌倉軍って、大軍の上に、義経がいたでしょ?
      いくら義仲が強くても勝てるわけないやん😂

  • @morikumiR
    @morikumiR Год назад +2

    ずるい人間しか登場しない

  • @787boeing
    @787boeing Год назад +6

    源氏定番の同族抗争と朝廷の策略に翻弄された生涯だったと言う可き哉。

  • @ころっとo0-c1v
    @ころっとo0-c1v Год назад +6

    俺の先祖の可能性高い人だから悲しい

  • @ravilsan1987
    @ravilsan1987 Год назад +8

    今井兼平の兄樋口兼光は直江兼続の祖先

    • @MyForestStudio
      @MyForestStudio Год назад +2

      ちなみに海野も真田の本家筋の先祖

  • @rcvbnj
    @rcvbnj Год назад +21

    10:32
    そもそも義仲軍自体が乱暴狼藉の限りを尽くしていたので、他の軍勢の非行の取り締まりなんか出来る訳もなかった

    • @しぐまる-l7n
      @しぐまる-l7n Год назад +4

      まあ、飢饉の最中だから多少はね?

    • @黒瀬明文
      @黒瀬明文 Год назад +5

      まぁ、都を守る警察が実は強盗団の親玉だったって感じ?

    • @rcvbnj
      @rcvbnj Год назад +5

      当時京都に居た法然(浄土宗の開祖、浄土真宗の開祖である親鸞の師)は毎日欠かさず長時間の念仏修行をしていたのですが、義仲軍の狼藉が余りに酷く京都が騒乱状態に陥った為に落ち着いて修行が出来なくなり京都から退避せざるを得ない程だったと言われています

    • @rcvbnj
      @rcvbnj Год назад +5

      残念ながら、はっきり言って「田舎の山賊が、きらびやかな都の様々な文物に目がくらんで盛大に“ヒャッハー!”してしまった」という、情状酌量の余地が余り無い有り様だった様です…

    • @MyForestStudio
      @MyForestStudio Год назад +9

      当時は占領後の略奪行為は当然の権利だったらしい
      でも飢饉の最中、しかも都でやったのがまずかった
      どうも義仲と董卓のイメージが被ることがしばしばある

  • @rosan617
    @rosan617 Год назад +14

    身内の内紛は源氏の伝統ですが、平氏よりも頼朝の方が怨敵だったので平氏と組んで頼朝を攻撃する選択肢もあったはず。
    平氏以上に同族の源氏の方が信用できないという認識がなかったのか。

    • @sugisinfkk
      @sugisinfkk Год назад +7

      父の義賢をその兄で頼朝父の義朝に討たれてるわけですから

  • @takashi-aoki
    @takashi-aoki Год назад +9

    火牛の計は春秋戦国時代の田単のパクリだろうね。

  • @huna27huna27
    @huna27huna27 Год назад +2

    園城寺 おんじょうじ

  • @小鳥遊聖-m1p
    @小鳥遊聖-m1p Год назад +3

    ん~⁉️ 木曽義仲って言うと…。
    【落馬して、田んぼに顔を突っ込んだ状態で】タヒ亡したオッサンだっけ⁉️😁

  • @morikumiR
    @morikumiR Год назад +1

    肖像画で珍しく笑ってる

  • @Milepoch
    @Milepoch Год назад +2

    ざっくりだとバカの典型に思える
    こんなやり方で誰が従う?
    簒奪では人心はついてこない

  • @gillangillan264
    @gillangillan264 Год назад +1

    あららららら、鬱陶しい