ヤマトタケルの東方遠征と前方後方墳を作った勢力~日本古代史を地図で考える
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- Опубликовано: 4 окт 2024
- 前方後方形墳丘墓から前方後方墳への成立に濃尾平野が重要な役割を果たしたと考えられている。3世紀前半の弥生時代終末期頃、東海地方では方形墓の周壕が一周するものや方形の一辺に突出状の祭壇を設ける墓が流行した。そしてやがてその際壇部や陸橋部が発展し前方後方形が出現する。 その例としては愛知県の廻間SZ01墳丘墓があげられ、祖形と考えられる。この墳形は西は京都府から東は千葉県までひろがった。 つまり前方後方墳は伊勢湾沿岸で誕生し各地にもたらされたと考えられる。
分かり易いですね👍
岐阜の一ノ宮の南宮には、イワレビコが祀ってましたよ~
岐阜の入口の琵琶湖側には、多賀大社イザナギ・イザナミですから、名残なんですかね?
方墳、吾妻の吾は、屋根の四角の意味なので、源頼朝の先祖の領域?頼朝公位の年代だと先祖の事知ってたでしょうから、吾妻鏡にしたんでしょうか?
地図は、真実を示す道しるべ👍です。
各研究者の我田引水の風潮の中、古荘さんの言わば外堀から埋めていく方法によって、納得せざるを得ない答が見えてきそうです。
ありがとうございます
ぼくは古代史を文学のように考えてます
この地形でこんな環境でこんな文明度なら人はどう行動するだろうか?
それで勝手に考えたことが、事実と一致することがありそこが面白くて古代史を続けてます
なので全く学問的な検証ではありません
@@ancientJapanesehistorywithMAP 確かに、古荘さんのお話をうかがっていると、作家が執筆するにあたり、プロットをひとつひとつ検証していくような工程が想像できます。あるいは、ミステリーの謎解きの思考過程が見えるようです。思考のシステムが似ている人(私もそうかもしれません)にとっては、いずれのコンテンツも明解で楽しいです。今は、古荘さんの全部の番組に目を通すのを目標にしております。
東北の福島県に前方後方墳が普通にいくつもあるのですが。
ありがとうございます