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バスが鉄道の廃止に追い込むケースはよく聞きますけどその逆は初めて見ましたね
大正時代末期は鉄道が船舶の廃止に追い込んでいたぞ。日本海の貨物船運航が盛んだった頃の船舶会社本社が多かった新潟県の人口は全国一だったぞ。
JR(国鉄)は大所帯で小回りが利きませんでしたが、まじめに取組めばまだまだメリットを活かすことができるという好例ですね。
確かに嵯峨野線は電化&複線化で便利になりましたが、運転見合わせになると困りますね。バス会社が倒産しても、それを引き継いだ京阪京都交通の京都亀岡線はまだまだ活躍してほしいです。
地元民の多くが車やバイクを主な移動手段として使っている理由
不採算路線から減便や撤退をしにくい当時の法律(や省庁の運用)のせいもあったのかもしれませんね。現在は減便や「共同運行」などで、ある程度需要に合わせて運行できるようになっているようですが。
まだJRになったばかりは旧京都交通で亀岡・園部行ってました。京銀・京信の機械の保守点検。電車使えば確実な時間につくけど遅いうえにそれぞれ行く支店はみんな9号線沿いにあるから電車でいくよりバスの方が早い。免許取ったのは会社辞める寸前だったのでこのバスは重宝しました
東京都と埼玉県で運行している国際興業も、埼京線や有楽町線などの開業で、乗客が半分ぐらいに減ってしまったそうです。バス会社としては大手なので、倒産はしなかったですけどね。
東北地方にも、国際興業グループのバス会社がある。
@@大坂孝幸 国際興業は東北や山梨のバス会社を傘下に入れてましたが、経営不振のため、今はグループから独立させたそうです。
@@大坂孝幸 独立と云うよりかは不採算会社の整理でグループ会社から追い出された感じですね。似た様な例だと北海道の東急系列の函館バス、北関東の東武(朝日)系列の東野交通、茨城県の日立製作所系列の日立電鉄もこれに当てはまるのではないでしょうか?
その後も埼玉高速鉄道や日暮里舎人ライナーの開通もあり、従来の城北エリアだけでなく、城東エリアも侵食されてその度に長距離路線バスが廃止され、循環バスが増えたり、短距離駅間連絡のバスにシフトしましたね。
@@まじまんじ-z3k 埼玉高速鉄道は運賃が高額に設定されたため、思ったほどバスの客が減らなかったのは、国際興業にとっては不幸中の幸いだったらしいです。
倒産とまでは言えませんが、福岡県の平成筑豊鉄道が駅・列車本数を増やす等、旅客の利便性向上に努めた結果、筑豊地区の西鉄バス筑豊は大打撃を受け、田川〜行橋・田川〜直方間等の区間は路線の廃止に至っています。母体が西鉄という広大な路線網を持つ大企業であったため、西鉄バス筑豊は現在も特急バスや鉄道線に並行しない路線等で生き残っていますが、これがへいちく沿線地域のみのバス会社だったならば、今頃どうなっていたことやら...。
☆ 同じ福岡県内で言うなら福岡市西部、現糸島市(前原町、志摩町、二丈町)、佐賀県唐津市を結ぶ昭和自動車も,旧国鉄筑肥線の福岡市営地下鉄直通及び電化で甚大な影響を受け、国道202号線沿いに展開していた旧幹線やそこから派生していた地域路線は廃止及び大幅な縮小となり,一部が高速バスとして生き残るというこの話と非常によく似た状況になっている。
本梅車庫、懐かしい😄能勢電の妙見口から、本梅車庫まで行って、乗り換えて、亀岡まで行きました。もう20年以上前の懐かしい思い出です。
日祝(末期は月一)は妙見山〜京都の直通便もありましたね。いま阪急バスになっている、能勢電妙見口駅〜ケーブル黒川駅のバスも京都交通の運行でした。
倒産ではないけどJRが青森~弘前間を機関車牽引の客車列車と気動車から運行を701系電車投入してスピードアップしたら、並行路線バスの弘南バスが利用客を取られて廃止しました、当時は一般道経由30分間隔運行の他に深夜バスや高速バスも運行でしたが現在は乗換が必要です。
青森県内で、あの❝ゲタ電タイプ❞の701系にしたらバスより便利になってそうなったとは興味深い。鉄道の旅自体を楽しむには物足りないが。
青森⇔弘前間位だと通勤電車の方が便利なんですね、同様に弘前市近郊の弘南鉄道線が経営不振になってるようで気になります、前は終日30分間隔で運転していたのが最近は減っていますね。
@@N--jv3go様、ご返信有難うございます。最近のコロナウィルス蔓延で,地方の鉄道はさらに窮地に追い込まれているので心配ですね。
長崎〜諫早も、市布経由の普通・快速列車の本数が増やされると、並行していた県営バスの路線に大きな影響が出て、今でも長崎〜諫早直通は1時間に1ないし2本は運行されていますが、特急・急行・準急便(佐世保、島原、雲仙、口之津ゆき)などは廃止されました。特に、島原半島への直通バスは一日3本の雲仙行特急バス以外は全て諫早発に短縮されました。最近になって、高速経由便を新設して巻き返しを図っていますが。
嵯峨野線区間は実は現在も500mほど単線区間が残ります。ここだけは土地がなく重層化も難しいのですが、果たして完全複線化を達成できる日は来るのでしょうか。
京都駅自体にキャパがないですし、駅前再開発でもしないかぎり無理なんじゃないでしょうかね?(^^;)
500mもあったらガントレット化も難しいでしょうね。
京都駅出てすぐのところですね。
一応あの単線区間は「京都駅構内」なので、「嵯峨野線は全区間複線」になるそうですが。名鉄岐阜駅同様のボトルネックになっているのはまちがいありませんね。
タキイの前あたりですね
嵯峨野線は初代電車でGOの印象が強かったから現代の近代化した姿に驚いた覚えがある
そういや松本伊代と早見優が線路で写真撮って書類送検されたときのニュースで誰か忘れたけど女性のコメンテーターが「あそこ(嵯峨野線)ってコトコトローカル線が走ってるのかな?と想像してたんだけど特急がビュンビュン通るからびっくりした」とか言ってました。
旧京都交通は、京都府北部の公共交通機関網の貧弱さによって存在意義を得ていた事業者と言えると思います。1980年後半までは、京都府の亀岡市以北は鉄道網のみならず道路網も貧弱だったため、京都駅が四条河原町を中心とする京都市繁華街から離れていたこともあり、「祇園着発(=四条河原町直通)」「急行バス」の設定をすることで、時間はかかっていたものの乗客の支持を得ていたと言えるでしょうね。でも山陰本線の改善に加えて地下鉄の整備、高速道路網も整備されたため、鉄道利用者は二条駅などで地下鉄などに乗り換えて便利に行けるようになり、同時に京都駅周辺に、京都駅ビルをはじめとした商業集積もなされたことで、「祇園」直通バスの存在意義がなくなってしまったのだと言えるでしょうね。
サムネで旧京都交通を連想しましたけど、やっぱりそうでしたか。経営破綻には至らなくても、JR線の利便向上と全体の利用客減少で減便や廃止に追い込まれた例もあったりしますね。
だけど、その嵯峨野線も今や減便の嵐、残念な時代だね
瀬戸大橋線のマリンライナーが30分ヘッドに特急もあって、バスが完全撤退しましたね
その教訓から明石海峡大橋には屁理屈捏ねて鉄道作ってません。実際ゼネコンが圧力かけてますから。ー
@@古家武史-f5d 鉄道引いてたら引いてたで新幹線専用化されていたかも。
小学校時代、京交ユーザーでした。祇園⇄園部15分間隔。亀岡⇄京都駅。まあ時間通り走ることはあまりなかったですが。能勢や美山、日吉、福井県にも路線が
勉強になりました。大手私鉄系バス会社であれば都市間輸送ではなく、住宅街から最寄り駅への輸送に早く切替えていたような気がします。沿線人口が増えたのだからやり方はあったのでは?
こんばんは。確か旧京都交通の路線バスは京阪京都交通が引き継いでますね。
7:45 この113系は800かな?初期車改造車の特徴が色濃く残る窓配置やね!
そうそう、エアロスターのトイレ付き、当時話題になりました。結局乗れずじまいに終わりました😥
そうそう。京都市内(祇園または四条河原町)~舞鶴市内または天橋立間を直通する快速または特急バスには東舞鶴営業所(舞鶴市市場国道27号沿いにあり、跡地にはドラッグストア「太陽堂」が建設され現在の姿となる)に所属するごく普通の一般路線車両を用いていたのではなく、仰る通りトイレ付きエアロスター(但しナンバープレートが「京22」改め「京都22」の表記になってから)が専属的に用いられました(後に追加された「スーパー特急」にはさらに贅沢さを増したトップドアオンリーのトイレ付き専用車を導入)。トイレ付きエアロスター導入までは冷暖房付きの特注車を終始用いていました。
今は京都から亀岡がメインの京阪京都交通やけど、昔の京都交通は京都から園部行きや一般型の路線バスで京都から東舞鶴行きの特急やら距離を走る路線バスが多かったですもんね。
京都市内から舞鶴市内方面行きの路線バスはごく普通の標準タイプの車両を使っていたのではなく、長距離輸送を主眼に置いて冷暖房完備の特注車を終始使っていました(後にはトイレ付きも加わる)。
京都交通はシルフィード以外にも広島行のSANYOEXPRESS(もみじ号)もありました。こちらは京阪京都に引き継がれてほどなく撤退になりましたが…(のちに廃止)
さらに、昼行の福山線も。これは中国バス単独運行になりました。ちなみに、SANYO EXPRESSは、共同運行の相手が広島バスから防長交通に変わったことにより徳山までの路線になりました。SANYO EXPRESSの夜行便は、高速を降りる直前のPAで休憩したので良かったです。
福知山線を思い出しました。宝塚線となり、阪急バスが苦戦したようです。電鉄では、阪急、阪神の本線と支線もあり、JRは国鉄時代から、苦戦していたのですが、貨物を抱えていたので、駅の風景が違い、それなりに、おもしろかったですが。また、各市バスと阪神バスもあり、結構、歴史があるようです。神戸、能勢電鉄の動画はおもしろかったです。やはり、国鉄がらみが、良かったです。
かつての国道本線の名残からか、京阪京都交通は国道線(亀岡駅~桂駅〜京都駅、亀岡駅~亀岡車庫、亀岡駅〜千代川駅〜園部)に最若番【1】【1A】【2】【3】【5】【6】が付けられています。この中では【2】亀岡駅~京都駅が圧倒的に本数が多く、他の本数は平日のみ運行の【1A】亀岡駅~京都成章高等学校を除き、数えるほどです。
ドル箱路線を抱えているから、不採算でも枝葉のように地元民の足となれる公共交通機関としての役割を担っていた。昔の亀岡駅前はまさにバスターミナルといってよい様相でしたね。鉄道路線の進化に伴ってもっと早く現在のような鉄道と共存するような方向性にシフトしていけていれば規模は小さくなっても生き残れていたかも知れないですね。亀岡で育ち旧京都交通にもお世話になった者として取り上げていただき懐かしい気持ちになれました。
やっぱりバスより鉄道のほうが輸送力があるからいいよね
需要が見合うだけ有るならね。
@@tororo321 うん
旧京都交通時代に当時運行していた洛西バスターミナル→京都駅と乗ったことありますが、並走する市バスは結構乗っていた感じだったのに対し、旧京都交通は全区間乗客が私だけで、京都市内を肩身が狭そうに走っていた記憶があります(福岡市内の昭和バスのような感じで)。その数年後に路線も廃止され会社もああなりましたが...
京都市内なら敬老乗車証福祉乗車証持ってる人は市バス一択ですからね。
@@ポンポンポコポコ 京阪バス、京都バスも京都市敬老福祉乗車証を使えます。
80年台後半までは、山陰本線の列車が、1時間に1~2本、亀岡から京都駅まで1時間近くかかる列車もあり、バスなら30分に1本京都行のバスがありましたから、利用客も多かったです(;^ω^)祇園~園部の急行バスは、京都市営地下鉄東西線が二条駅で接続、乗り換えの利便性が上がったことにより、大打撃を受けたようです。
祇園営業所廃止は1996年地下鉄東西線第一期(二条~醍醐)開通は1997年・・・
@@第四軍道 祇園営業所は無くなりましたが、急行バスは、四条河原町行きとして、2004年まで運転されていました。
亀岡出身の自分には懐かしい話です
近鉄グループの琴平参宮電鉄(琴参バス)も高松琴平間に毎時数本走らせていましたが、予讃線電化で簡易駅に停車したことで客が流れて大幅減便→廃止、現在は坂出の路線と四国高速バスと丸亀競艇場送迎バスがメイン。ほぼJR四国に潰されました…
新幹線の開通で廃止になった空路は多いけどねぇ
国鉄って都市圏の近郊型車両を使う線区を苦手としていたのか、並行私鉄やバスに乗客を取られていた印象がありますね。山陰本線と京都交通の関係もそれに近く、国鉄が本気出せば京都交通なんて入る余地がなかったのにそこまで本気出していなかったから京都交通が儲かってたって感じ。
長距離路線が、高速道路ではなくて一般国道を走るバスだったってのが山陰本線の電化及び複線化後にボディブローのように効いてきましたね。もしこの区間に高速道路があったなら、また違った展開になっていたかも?
どっかの博物館にありそうなビデオ。勉強になりました。
人口が多いところだと鉄道が便利になるかもしれないね
かって石勝線は札幌−釧路間航空路線廃止させた歴史がある✈️
今後もそういうことが起きることを願ってます
なくなってね~しこら😡⚡
札幌-帯広では。
旧京都交通は京バスと呼んでいました。タイトルとサムネの電車・113系5300番台を見た瞬間、京バスの事とすぐわかりました。祇園〜天の橋立・東舞鶴に走っていたトイレ付きバスは乗ることありませんでした。1980年代後半からかなり使い込んだ古いバスも多数あり、新車に代替できずあちこちから中古バスを購入してたようです。分割譲渡後は日交・京阪の傘下に入り、古すぎるバスは廃車にして新車導入の他、特に京阪京都交通には京阪バスから程度良好な中古バスも仲間入りして体質改善を行われました。その当初は亀岡市内に京阪バスが走っている?という違和感もありましたが(笑)両社ともドル箱である高速バスにかなり力を入れていますね。新京都交通は舞鶴〜京都市内・大阪なんば・神戸三宮に、京阪京都交通は両備バスや下電バスと共同で京都〜倉敷を走らせています。
小湊鉄道みたいな鉄道事業とバス事業どこで採算取ってるのか不思議な会社も有る。
小湊鐵道は圧倒的にバスでしょ。アクアライン高速バスを見ても明白。
嵯峨野線の通っている所が地元なんですが113系とか日野ブルーリボン懐かしいですねぇ。
当時の報道などによると鉄道の整備(電化、複線化、特急料金の値下げなどの)影響もあるが自家用車へのシフトや地域の過疎化がかなり大きな部分を占めている(この地域を含む)田舎は基本的に車社会で、園部以北は利用者が少ない(特急を除く)嵯峨野線の利用者が多いのは沿線に学校や観光地が多いからだと思う
災害時の電車の無能感は歪めないだからバス倒産って笑えないしバスは電車より必要
沖縄なんかバスオンリーでしたな。
比較ではなく適材適所だね。いま問題の赤字ローカル鉄道路線はバス🚌転換した方がいい路線は多い😉
この前太秦で嵐電から嵯峨野線乗り換えたら、嵐山観光の外国人でいっぱいで驚かされましたよ。京都近郊ってだけでポテンシャル高いんですから。放置してた国鉄は本当に解せないです。
南丹市の美山かやぶきの里💮🏞️とかへ京阪本線🚋の駅からバス🚌出てるなぁ。😗
嵯峨野線は電Go!1の初級でもおなじみですね。隠しコマンドで省略区間を運転できるロングバージョンが話題でした
京都交通はかつて、四条河原町に営業所があった。確か高島屋のすぐそばにあったな。京都交通は、山陰本線が非電化で、しかも、保津川沿いをノロノロと走っている時代は羽振りがよく、四条河原町から天橋立・東舞鶴方面は1時間に1本、園部行きはなんと15分間隔で運行していた頃があり、丹後地区では「無敵」を誇った。しかし、川本というワンマン創業者がタクシー事業など、多角化経営に乗り出したとたん経営が悪化。加えて、マイカー利用者が増えたこと、山陰本線が愛称・嵯峨野線と呼ばれるようになって、線形改良等を行ったうえで電化した影響を受け、本業の業績もみるみる急降下。そして2006年(平成18年)9月20日の会社更生手続終結決定をもって、「京都交通(亀岡)」こと、京都交通株式会社は60年に及ぶ歴史に幕を閉じた。
Wikipediaによりますと2011年9月時点における「京都タクシー」社長は、会社更生手続終結決定時点での「京都交通(亀岡)」社長と同一人物で、川本家の一族でした。また現在もその川本家から「京都タクシー」社長が輩出されています。
・大都市京都に直結する.・概ね一直線上に市街地を繋げる.・バスよりも高速大容量の輸送強度を提供できる.これらが,嵯峨野線区間が地位を確立できた要因ですね.
旧京都交通は祇園にバスターミナルを持っていてそこから亀岡・園部へ急行バスや快速バスが走っていました。京都駅から洛西地域・亀岡へのバスは元々京阪自動車(現京阪バス)が所持してたのを園部以北を日本交通(鳥取市が本社)の傘下に入り亀岡以南を京阪グループ入りになり京阪京都交通という形で亀岡~京都間の路線を買い戻したというらしいです。京都駅で京阪バス・京阪京都交通と同じ塗装を纏ったバスが入り混じりややこしい状態になって居ます。前面に「京阪」という筆文字が京阪バスで、京阪電鉄と同じ紋章が付いているのが京阪京都交通と見分けられます。一時期大阪の妙見山(吉川)まで走っていたのですが廃止となり、京阪グループとしては一般路線で珍しい京都府南丹市の園部駅~兵庫県丹波篠山市まで走る路線もあります。
名鉄ミュースカイ思い浮かんだけどバス会社倒産まではいってないと思った。
京都交通のトイレ付きエアロは確かどこかの営業所に保存?されてましたね
国鉄が超有能経営陣だったら、全国のバス会社の多数が倒産させられて、社会党から自民党は追求させられていたんでしょうね。あと、会社は健在ですが、下津井電鉄も瀬戸大橋線開通で児島〜大都会岡山の旅客を奪われて衰退した。
下電は鉄道線もこの影響で廃止になっていますので1社で両方に悪影響が出ております。
以前は今以上に、客が多いのにいろいろな理由で鉄道が貧弱で強化も難しい区間に並行している京都交通の急行バスみたいな路線が多くありました。こういうところに国鉄バスを運行すれば国鉄が儲かることは自明だったんですが、民業圧迫禁止で国鉄は進出できなかったという仕組みです。経営陣の有能さはあまり関係なくて、バス会社が赤字線も抱えなくてはならなかったのと同様な制度の問題ですね。
「親方日の丸であるがゆえにいたずらに無双もできない」ということですね。
結果論なのに意図的に倒産させた主犯のような扱い様ある意味叩き潰したから良いのか
同じ関西では、名神ハイウェイバスの急行便も、JR化後に新快速が米原まで延伸した事により、廃止に追い込まれたのも有名な話ですね。
大都市近郊や都市間といった高い需要が見込める区間は、複線化や電化により高速・高頻度運転を達成すれば、鉄道が自動車よりも優位になります。嵯峨野線の成功は、福知山線や瀬戸大橋線や札沼線と共に、近年稀にみる鉄道輸送の利点が大きく発揮できた事例となりましたね。
今の京都交通は、鳥取、大阪の日本交通が吸収されたのですね。
いいね、逆に鉄道会社のバス会社に逆襲する姿勢はこのまま黙ってやられっぱなしされる訳にはいかないと力を付けたのは中々の期待ですよ
まぁ、かなり特殊な例ですよね。 日本で沿線住民が増える、開発地域を走る現状単線路線なんて、日本中さがしてもほとんど無いんじゃないだろうかと・・・思っていたら、同じく京都の南部、奈良の手前にありましたwww この先何十年後か、リニアが走ったら、もっと開発が進んで住民も増えて、なんて事になっていきそうな予感・・・wwwま、東西路線が無いんで、バスは無くならないでしょうけどwww
災害時バスはいいよ電車なんか使いもんにならない
快速・特急・スーパー特急・・・懐かしいなぁ京都行く時はスーパー特急、帰りは快速で使い分けてたなぁこの頃は国道中山にも停まってたし、回数券も割引あったから便利だったなぁ今は京都駅まで直行だからちょっと不便、せめて国道中山を停めてほしい
そもそも当時の京都交通は西京区の中山営業所に本社が併設されていたわけではなく、本当の本社は亀岡市古世町向島にありました(中山のほか綾部・東舞鶴・福知山にそれぞれ営業所があり、舞鶴支社も舞鶴線西舞鶴~真倉間のほぼ中間地点にありました)。亀岡側は後に京阪京都交通へ社名変更、舞鶴側は社名こそ変更していないものの鳥取市に本社がある日本交通と資本関係を持つ企業として再生され現在の姿と化しています。なおWikipediaによりますと倒産(正確には「会社更生法申請」)時点での京都交通社長は2011年9月当時の京都タクシー社長と同一人物でした。現在でもその人物一家から京都タクシー社長が輩出されています。
@@rhscm989 京タクの社長!?初耳です
栃木県では、東武鉄道宇都宮線が宇都宮口の東武バスを淘汰した、という歴史があります。まぁ、一部区間は関東自動車バスとして残りましたが…。
超地元やけど、京阪京都交通と京都交通はベンの会社やったんや…亀岡から洛西、沓掛の成章高校にかよう学生が京都駅行きのバスによう乗ってたなぁ
1:11ホモーズイックあんじゃん亀岡だしな
恐るべしJR嵯峨野線。
幼い頃亀岡市に住んでおり、ちょうど京都交通が倒産した時期でした。なんかすごい経営努力していたみたいな言われ方ですが、末期は間引き運転や、運転手の質の低下、車両の信じられない故障(椅子がもげてる、朽ちて錆がすごい等)など、かなり優しくない会社でした。それもこれもお金がなかったからと言われればそれまでですが。。。またトイレ付き車両は今では考えられないバリアフリー完全無視車両でかなり車高が高く、幼い私1人では乗車不可能で、よく母親に抱き抱えられ乗せられていた記憶があります。車内も青白く薄暗い雰囲気で独特でした。経営難→サービス低下→客離れというサイクルが既にその時には完成していたのかもしれないですね。
亀岡営業所では末期に小型のノンステップバスが導入されたようですがそれ以外はほぼツーステップでしたもんね。そう考えたら幼児とかお年寄りは結構乗り降りキツかったのかも...?
私がFacebookを昔やっていた時に京都府亀岡市に住んでる女性がいたんですが、亀岡市はかなり田舎でバスの利用者が少なく廃止したと聞きました。
本当にバス会社が倒産するのは悲しいですね。福岡でもどこのバス事業者か忘れたけど倒産してせっかく出来た高速バス路線が一年も立たないうちに廃止されたとも聞きました。
そもそも京都市内がバス移動は時間がかかりすぎる。意外とこういった近距離通勤路線の方が定時制やピーク時輸送力が求められるゆえにバスに勝ちやすい気がする。遠距離になるとたとえ所要時間で勝っても料金面で敗北しちゃうんよな。
へー一般路線バスの車両にトイレが付く何て珍しいなー
他にも観光バスのシャーシに路線バスの車体というのが快速バスなどに使われていました。(このパターンは全国的にも散見された)
西日本鉄道にもありました。トイレ付きの貸切バスを高速バスの車両に改造し転属した車両でした。
使って無いだけでトイレ装備しているケースだと北鉄バスの能登急行がありますね、高速のお下がり。
全廃だけはしないでくれ!
トロッコ列車で亀岡行って保津峡下りして嵐山観光ってやると無駄なく回れるよね
他にも要因はあるのでしょうが。園部以北の公共交通から切り捨てられたエリアに関してもレポしてほしかった。
都市間だとうちの地元は随分前に廃止になっているその影響で隣の市にはバスがないみたい(コミュニティバスがあるかもしれませんが)
1時間に1本客車が園部まで1時間以上かけて走ってた時代から、電車がビュンビュン走り出したらバスの出番はないですね
それ以前に自家用車の普及でバスの乗客数は減少傾向だった
マジで嵯峨野線ガチ混みしてるから一部ロングマジで入れろ
ラッシュ時限定で「座席のない詰め込み専用完全立ち乗り車両」なんてのがあってもいいかも。
@@shinpeikitajima7115 そこまでしなくていいレベル
ラッシュ時は8連固定にして日中も6連くらいの方が良さそう
@@yamasan0827 でも8連固定ロングてあったか…?
@@MaruruHO2800 っ323
2000年頃まては、阪急桂発の天橋立行の快速バスが走っていました。特急まいづるは、園部から先の単線区間の速度が遅いのが課題ですね。
園部~綾部間の単線区間では方向別で線路が振り分けられている和知と立木を除けば、唯一行き違いができない鍼灸大学前以外の行き違い可能な駅では、2線あるうちの1線が一線スルーになっていて、特急列車は原則的にそこを通過しています。
祇園~天橋立行き特急バス祇園~東舞鶴行き快速バス福知山や綾部行きってのもあったような・・・。祇園~園部行き急行バス・・・。上の2便は亀岡駅を経由せずに、旧矢田口を右折せずそのまま9号線を下り、市役所前バス停(現au付近)を経て、丹後方面へ走ってましたね。祇園車庫や四条河原町バス停とか、真夜中に工事をしに行った覚えも・・・・。トイレ付きバスを導入するからって、排水設備の工事してるのを見た記憶も・・・。親戚が勤めていたので家族乗車券で何回か乗車しました。懐かしい所です。
天橋立に京都交通の特急バス走ってたっけ😒?
@@イオンマサトチャンネル さん何せ小学校の頃なのでうろ覚えなんですが、東舞と橋立が逆かもしれません。昭和50~56年ころの事なので・・・。祇園営業所や四条河原町の営業所は真夜中に呼び出されて修繕に行った覚えは・・・。それでも35年ほど前かなぁ・・・。亀岡の古世車庫(当時の本社)や園部、中山の車庫などへ仕事に行ったときは、いろいろな部品や方向幕、急マークとか貰ったんですが、引っ越しや倉庫整理の際に知らない間に捨てられたりして怒り狂ってましたね。学校帰りに国鉄に乗ってタバコ吸うとチクられたりしたので、園部から急行バスに乗ってましたね(笑)。運転手さんに、お前高校生やろ!タバコ吸うたらあかんやないか。って怒られてましたね。舞鶴から東京行きの拘束深夜バスは当時は斬新でした。亀岡駅の現ミスド前バス停へ入るのに、市役所前からがーーーっとセレガが大回りして右折するシーンはカッコ良かったな。
@@イオンマサトチャンネル 本数は少なかったですけど、天の橋立ゆきの快速バスもありました、これとは別に丹海バスの天橋立から間人ゆきの快速バスは現在も運行されています。また、天の橋立〜舞鶴の普通バスもあり、昔乗ったことがあります。
京都やなく丹波のバス会社やからな。それが京都を名乗ったからナマイキという意識やろな。どっかの田舎出身の地銀がリテールで信金や中央信金に大負けしてるみたいに余所者が地元みたいに名乗られると反感をかうわけや。
JR許せねぇ…ううう…
京都市営地下鉄東西線もある意味鉄道がバス路線を廃止に追い込んだ路線
JRや地方私鉄の廃止で列車代換バス運行話はよく聞くが、鉄道が強すぎて、バス会社が経営破綻した話て何なんだ⁉️どこの鉄道会社の路線のどこのバス会社の話❔
バスが鉄道の廃止に追い込むケースはよく聞きますけどその逆は初めて見ましたね
大正時代末期は鉄道が船舶の廃止に追い込んでいたぞ。日本海の貨物船運航が盛んだった頃の船舶会社本社が多かった新潟県の人口は全国一だったぞ。
JR(国鉄)は大所帯で小回りが利きませんでしたが、まじめに取組めばまだまだメリットを活かすことができるという好例ですね。
確かに嵯峨野線は電化&複線化で便利になりましたが、運転見合わせになると困りますね。バス会社が倒産しても、それを引き継いだ京阪京都交通の京都亀岡線はまだまだ活躍してほしいです。
地元民の多くが車やバイクを主な移動手段として使っている理由
不採算路線から減便や撤退をしにくい当時の法律(や省庁の運用)のせいもあったのかもしれませんね。
現在は減便や「共同運行」などで、ある程度需要に合わせて運行できるようになっているようですが。
まだJRになったばかりは旧京都交通で亀岡・園部行ってました。
京銀・京信の機械の保守点検。電車使えば確実な時間につくけど
遅いうえにそれぞれ行く支店はみんな9号線沿いにあるから電車で
いくよりバスの方が早い。免許取ったのは会社辞める寸前だったので
このバスは重宝しました
東京都と埼玉県で運行している国際興業も、
埼京線や有楽町線などの開業で、乗客が半分ぐらいに減ってしまったそうです。
バス会社としては大手なので、倒産はしなかったですけどね。
東北地方にも、国際興業グループのバス会社がある。
@@大坂孝幸
国際興業は東北や山梨のバス会社を傘下に入れてましたが、経営不振のため、今はグループから独立させたそうです。
@@大坂孝幸
独立と云うよりかは不採算会社の整理でグループ会社から追い出された感じですね。
似た様な例だと北海道の東急系列の函館バス、北関東の東武(朝日)系列の東野交通、茨城県の日立製作所系列の日立電鉄もこれに当てはまるのではないでしょうか?
その後も埼玉高速鉄道や日暮里舎人ライナーの開通もあり、従来の城北エリアだけでなく、城東エリアも侵食されてその度に長距離路線バスが廃止され、循環バスが増えたり、短距離駅間連絡のバスにシフトしましたね。
@@まじまんじ-z3k
埼玉高速鉄道は運賃が高額に設定されたため、
思ったほどバスの客が減らなかったのは、
国際興業にとっては不幸中の幸いだったらしいです。
倒産とまでは言えませんが、福岡県の平成筑豊鉄道が駅・列車本数を増やす等、旅客の利便性向上に努めた結果、筑豊地区の西鉄バス筑豊は大打撃を受け、田川〜行橋・田川〜直方間等の区間は路線の廃止に至っています。
母体が西鉄という広大な路線網を持つ大企業であったため、西鉄バス筑豊は現在も特急バスや鉄道線に並行しない路線等で生き残っていますが、これがへいちく沿線地域のみのバス会社だったならば、今頃どうなっていたことやら...。
☆ 同じ福岡県内で言うなら福岡市西部、現糸島市(前原町、志摩町、二丈町)、佐賀県唐津市を結ぶ昭和自動車も,旧国鉄筑肥線の福岡市営地下鉄直通及び電化で甚大な影響を受け、国道202号線沿いに展開していた旧幹線やそこから派生していた地域路線は廃止及び大幅な縮小となり,一部が高速バスとして生き残るというこの話と非常によく似た状況になっている。
本梅車庫、懐かしい😄能勢電の妙見口から、本梅車庫まで行って、乗り換えて、亀岡まで行きました。もう20年以上前の懐かしい思い出です。
日祝(末期は月一)は妙見山〜京都の直通便もありましたね。
いま阪急バスになっている、能勢電妙見口駅〜ケーブル黒川駅のバスも京都交通の運行でした。
倒産ではないけどJRが青森~弘前間を機関車牽引の客車列車と気動車から運行を701系電車投入してスピードアップしたら、並行路線バスの弘南バスが利用客を取られて廃止しました、当時は一般道経由30分間隔運行の他に深夜バスや高速バスも運行でしたが現在は乗換が必要です。
青森県内で、あの❝ゲタ電タイプ❞の701系にしたらバスより便利になってそうなったとは興味深い。鉄道の旅自体を楽しむには物足りないが。
青森⇔弘前間位だと通勤電車の方が便利なんですね、同様に弘前市近郊の弘南鉄道線が経営不振になってるようで気になります、前は終日30分間隔で運転していたのが最近は減っていますね。
@@N--jv3go様、ご返信有難うございます。
最近のコロナウィルス蔓延で,地方の鉄道はさらに窮地に追い込まれているので心配ですね。
長崎〜諫早も、市布経由の普通・快速列車の本数が増やされると、並行していた県営バスの路線に大きな影響が出て、今でも長崎〜諫早直通は1時間に1ないし2本は運行されていますが、特急・急行・準急便(佐世保、島原、雲仙、口之津ゆき)などは廃止されました。特に、島原半島への直通バスは一日3本の雲仙行特急バス以外は全て諫早発に短縮されました。
最近になって、高速経由便を新設して巻き返しを図っていますが。
嵯峨野線区間は実は現在も500mほど単線区間が残ります。
ここだけは土地がなく重層化も難しいのですが、果たして完全複線化を達成できる日は来るのでしょうか。
京都駅自体にキャパがないですし、駅前再開発でもしないかぎり無理なんじゃないでしょうかね?(^^;)
500mもあったらガントレット化も難しいでしょうね。
京都駅出てすぐのところですね。
一応あの単線区間は「京都駅構内」なので、「嵯峨野線は全区間複線」になるそうですが。
名鉄岐阜駅同様のボトルネックになっているのはまちがいありませんね。
タキイの前あたりですね
嵯峨野線は初代電車でGOの印象が強かったから現代の近代化した姿に驚いた覚えがある
そういや松本伊代と早見優が線路で写真撮って書類送検されたときのニュースで誰か忘れたけど
女性のコメンテーターが
「あそこ(嵯峨野線)ってコトコトローカル線が走ってるのかな?と想像してたんだけど特急がビュンビュン通るからびっくりした」とか言ってました。
旧京都交通は、京都府北部の公共交通機関網の貧弱さによって存在意義を得ていた事業者と言えると思います。1980年後半までは、京都府の亀岡市以北は鉄道網のみならず道路網も貧弱だったため、京都駅が四条河原町を中心とする京都市繁華街から離れていたこともあり、「祇園着発(=四条河原町直通)」「急行バス」の設定をすることで、時間はかかっていたものの乗客の支持を得ていたと言えるでしょうね。でも山陰本線の改善に加えて地下鉄の整備、高速道路網も整備されたため、鉄道利用者は二条駅などで地下鉄などに乗り換えて便利に行けるようになり、同時に京都駅周辺に、京都駅ビルをはじめとした商業集積もなされたことで、「祇園」直通バスの存在意義がなくなってしまったのだと言えるでしょうね。
サムネで旧京都交通を連想しましたけど、やっぱりそうでしたか。
経営破綻には至らなくても、JR線の利便向上と全体の利用客減少で減便や廃止に追い込まれた例もあったりしますね。
だけど、その嵯峨野線も今や減便の嵐、残念な時代だね
瀬戸大橋線のマリンライナーが30分ヘッドに特急もあって、バスが完全撤退しましたね
その教訓から
明石海峡大橋には屁理屈捏ねて鉄道作ってません。
実際ゼネコンが圧力かけてますから。ー
@@古家武史-f5d 鉄道引いてたら引いてたで新幹線専用化されていたかも。
小学校時代、京交ユーザーでした。祇園⇄園部15分間隔。亀岡⇄京都駅。まあ時間通り走ることはあまりなかったですが。
能勢や美山、日吉、福井県にも路線が
勉強になりました。
大手私鉄系バス会社であれば都市間輸送ではなく、住宅街から最寄り駅への輸送に早く切替えていたような気がします。沿線人口が増えたのだからやり方はあったのでは?
こんばんは。確か旧京都交通の路線バスは京阪京都交通が引き継いでますね。
7:45 この113系は800かな?初期車改造車の特徴が色濃く残る窓配置やね!
そうそう、エアロスターのトイレ付き、当時話題になりました。結局乗れずじまいに終わりました😥
そうそう。京都市内(祇園または四条河原町)~舞鶴市内または天橋立間を直通する快速または特急バスには東舞鶴営業所(舞鶴市市場国道27号沿いにあり、跡地にはドラッグストア「太陽堂」が建設され現在の姿となる)に所属するごく普通の一般路線車両を用いていたのではなく、仰る通りトイレ付きエアロスター(但しナンバープレートが「京22」改め「京都22」の表記になってから)が専属的に用いられました(後に追加された「スーパー特急」にはさらに贅沢さを増したトップドアオンリーのトイレ付き専用車を導入)。トイレ付きエアロスター導入までは冷暖房付きの特注車を終始用いていました。
今は京都から亀岡がメインの京阪京都交通やけど、昔の京都交通は京都から園部行きや一般型の路線バスで京都から東舞鶴行きの特急やら距離を走る路線バスが多かったですもんね。
京都市内から舞鶴市内方面行きの路線バスはごく普通の標準タイプの車両を使っていたのではなく、長距離輸送を主眼に置いて冷暖房完備の特注車を終始使っていました(後にはトイレ付きも加わる)。
京都交通はシルフィード以外にも広島行のSANYOEXPRESS(もみじ号)もありました。
こちらは京阪京都に引き継がれてほどなく撤退になりましたが…(のちに廃止)
さらに、昼行の福山線も。これは中国バス単独運行になりました。
ちなみに、SANYO EXPRESSは、共同運行の相手が広島バスから防長交通に変わったことにより徳山までの路線になりました。
SANYO EXPRESSの夜行便は、高速を降りる直前のPAで休憩したので良かったです。
福知山線を思い出しました。宝塚線となり、阪急バスが苦戦したようです。
電鉄では、阪急、阪神の本線と支線もあり、JRは国鉄時代から、苦戦していたのですが、貨物を抱えていたので、駅の風景が違い、それなりに、おもしろかったですが。また、各市バスと阪神バスもあり、結構、歴史があるようです。
神戸、能勢電鉄の動画はおもしろかったです。やはり、国鉄がらみが、良かったです。
かつての国道本線の名残からか、京阪京都交通は国道線(亀岡駅~桂駅〜京都駅、亀岡駅~亀岡車庫、亀岡駅〜千代川駅〜園部)に最若番【1】【1A】【2】【3】【5】【6】が付けられています。この中では【2】亀岡駅~京都駅が圧倒的に本数が多く、他の本数は平日のみ運行の【1A】亀岡駅~京都成章高等学校を除き、数えるほどです。
ドル箱路線を抱えているから、不採算でも枝葉のように地元民の足となれる公共交通機関としての役割を担っていた。昔の亀岡駅前はまさにバスターミナルといってよい様相でしたね。
鉄道路線の進化に伴ってもっと早く現在のような鉄道と共存するような方向性にシフトしていけていれば規模は小さくなっても生き残れていたかも知れないですね。
亀岡で育ち旧京都交通にもお世話になった者として取り上げていただき懐かしい気持ちになれました。
やっぱりバスより鉄道のほうが輸送力があるからいいよね
需要が見合うだけ有るならね。
@@tororo321 うん
旧京都交通時代に当時運行していた洛西バスターミナル→京都駅と乗ったことありますが、並走する市バスは結構乗っていた感じだったのに対し、旧京都交通は全区間乗客が私だけで、京都市内を肩身が狭そうに走っていた記憶があります(福岡市内の昭和バスのような感じで)。その数年後に路線も廃止され会社もああなりましたが...
京都市内なら敬老乗車証福祉乗車証持ってる人は市バス一択ですからね。
@@ポンポンポコポコ 京阪バス、京都バスも京都市敬老福祉乗車証を使えます。
80年台後半までは、山陰本線の列車が、1時間に1~2本、亀岡から京都駅まで1時間近くかかる列車もあり、バスなら30分に1本京都行のバスがありましたから、利用客も多かったです(;^ω^)祇園~園部の急行バスは、京都市営地下鉄東西線が二条駅で接続、乗り換えの利便性が上がったことにより、大打撃を受けたようです。
祇園営業所廃止は1996年
地下鉄東西線第一期(二条~醍醐)開通は1997年・・・
@@第四軍道 祇園営業所は無くなりましたが、急行バスは、四条河原町行きとして、2004年まで運転されていました。
亀岡出身の自分には懐かしい話です
近鉄グループの琴平参宮電鉄(琴参バス)も高松琴平間に毎時数本走らせていましたが、予讃線電化で簡易駅に停車したことで客が流れて大幅減便→廃止、現在は坂出の路線と四国高速バスと丸亀競艇場送迎バスがメイン。ほぼJR四国に潰されました…
新幹線の開通で廃止になった空路は多いけどねぇ
国鉄って都市圏の近郊型車両を使う線区を苦手としていたのか、並行私鉄やバスに乗客を取られていた印象がありますね。
山陰本線と京都交通の関係もそれに近く、国鉄が本気出せば京都交通なんて入る余地がなかったのにそこまで本気出していなかったから京都交通が儲かってたって感じ。
長距離路線が、高速道路ではなくて一般国道を走るバスだったってのが山陰本線の電化及び複線化後にボディブローのように効いてきましたね。
もしこの区間に高速道路があったなら、また違った展開になっていたかも?
どっかの博物館にありそうなビデオ。勉強になりました。
人口が多いところだと鉄道が便利になるかもしれないね
かって石勝線は札幌−釧路間航空路線廃止させた歴史がある✈️
今後もそういうことが起きることを願ってます
なくなってね~しこら😡⚡
札幌-帯広では。
旧京都交通は京バスと呼んでいました。
タイトルとサムネの電車・113系5300番台を見た瞬間、京バスの事とすぐわかりました。
祇園〜天の橋立・東舞鶴に走っていたトイレ付きバスは乗ることありませんでした。
1980年代後半からかなり使い込んだ古いバスも多数あり、新車に代替できずあちこちから中古バスを購入してたようです。
分割譲渡後は日交・京阪の傘下に入り、古すぎるバスは廃車にして新車導入の他、特に京阪京都交通には京阪バスから程度良好な中古バスも仲間入りして体質改善を行われました。
その当初は亀岡市内に京阪バスが走っている?という違和感もありましたが(笑)
両社ともドル箱である高速バスにかなり力を入れていますね。
新京都交通は舞鶴〜京都市内・大阪なんば・神戸三宮に、京阪京都交通は両備バスや下電バスと共同で京都〜倉敷を走らせています。
小湊鉄道みたいな鉄道事業とバス事業どこで採算取ってるのか不思議な会社も有る。
小湊鐵道は圧倒的にバスでしょ。アクアライン高速バスを見ても明白。
嵯峨野線の通っている所が地元なんですが113系とか日野ブルーリボン懐かしいですねぇ。
当時の報道などによると鉄道の整備(電化、複線化、特急料金の値下げなどの)影響もあるが
自家用車へのシフトや地域の過疎化がかなり大きな部分を占めている
(この地域を含む)田舎は基本的に車社会で、園部以北は利用者が少ない
(特急を除く)嵯峨野線の利用者が多いのは沿線に学校や観光地が多いからだと思う
災害時の電車の無能感は歪めない
だからバス倒産って笑えないしバスは電車より必要
沖縄なんかバスオンリーでしたな。
比較ではなく適材適所だね。いま問題の赤字ローカル鉄道路線はバス🚌転換した方がいい路線は多い😉
この前太秦で嵐電から嵯峨野線乗り換えたら、嵐山観光の外国人でいっぱいで驚かされましたよ。
京都近郊ってだけでポテンシャル高いんですから。放置してた国鉄は本当に解せないです。
南丹市の美山かやぶきの里💮🏞️とかへ京阪本線🚋の駅からバス🚌出てるなぁ。😗
嵯峨野線は電Go!1の初級でもおなじみですね。隠しコマンドで省略区間を運転できるロングバージョンが話題でした
京都交通はかつて、四条河原町に営業所があった。確か高島屋のすぐそばにあったな。京都交通は、山陰本線が非電化で、しかも、保津川沿いをノロノロと走っている時代は羽振りがよく、四条河原町から天橋立・東舞鶴方面は1時間に1本、園部行きはなんと15分間隔で運行していた頃があり、丹後地区では「無敵」を誇った。しかし、川本というワンマン創業者がタクシー事業など、多角化経営に乗り出したとたん経営が悪化。加えて、マイカー利用者が増えたこと、山陰本線が愛称・嵯峨野線と呼ばれるようになって、線形改良等を行ったうえで電化した影響を受け、本業の業績もみるみる急降下。そして2006年(平成18年)9月20日の会社更生手続終結決定をもって、「京都交通(亀岡)」こと、京都交通株式会社は60年に及ぶ歴史に幕を閉じた。
Wikipediaによりますと2011年9月時点における「京都タクシー」社長は、会社更生手続終結決定時点での「京都交通(亀岡)」社長と同一人物で、川本家の一族でした。また現在もその川本家から「京都タクシー」社長が輩出されています。
・大都市京都に直結する.
・概ね一直線上に市街地を繋げる.
・バスよりも高速大容量の輸送強度を提供できる.
これらが,嵯峨野線区間が地位を確立できた要因ですね.
旧京都交通は祇園にバスターミナルを持っていてそこから亀岡・園部へ急行バスや快速バスが走っていました。京都駅から洛西地域・亀岡へのバスは元々京阪自動車(現京阪バス)が所持してたのを園部以北を日本交通(鳥取市が本社)の傘下に入り亀岡以南を京阪グループ入りになり京阪京都交通という形で亀岡~京都間の路線を買い戻したというらしいです。
京都駅で京阪バス・京阪京都交通と同じ塗装を纏ったバスが入り混じりややこしい状態になって居ます。前面に「京阪」という筆文字が京阪バスで、京阪電鉄と同じ紋章が付いているのが京阪京都交通と見分けられます。一時期大阪の妙見山(吉川)まで走っていたのですが廃止となり、
京阪グループとしては一般路線で珍しい京都府南丹市の園部駅~兵庫県丹波篠山市まで走る路線もあります。
名鉄ミュースカイ思い浮かんだけどバス会社倒産まではいってないと思った。
京都交通のトイレ付きエアロは確かどこかの営業所に保存?されてましたね
国鉄が超有能経営陣だったら、全国のバス会社の多数が倒産させられて、社会党から自民党は追求させられていたんでしょうね。
あと、会社は健在ですが、下津井電鉄も瀬戸大橋線開通で児島〜大都会岡山の旅客を奪われて衰退した。
下電は鉄道線もこの影響で廃止になっていますので1社で両方に悪影響が出ております。
以前は今以上に、客が多いのにいろいろな理由で鉄道が貧弱で強化も難しい区間に並行している京都交通の急行バスみたいな路線が多くありました。
こういうところに国鉄バスを運行すれば国鉄が儲かることは自明だったんですが、民業圧迫禁止で国鉄は進出できなかったという仕組みです。
経営陣の有能さはあまり関係なくて、バス会社が赤字線も抱えなくてはならなかったのと同様な制度の問題ですね。
「親方日の丸であるがゆえにいたずらに無双もできない」ということですね。
結果論なのに意図的に倒産させた主犯のような扱い様
ある意味叩き潰したから良いのか
同じ関西では、名神ハイウェイバスの急行便も、JR化後に新快速が米原まで延伸した事により、廃止に追い込まれたのも有名な話ですね。
大都市近郊や都市間といった高い需要が見込める区間は、複線化や電化により高速・高頻度運転を達成すれば、鉄道が自動車よりも優位になります。嵯峨野線の成功は、福知山線や瀬戸大橋線や札沼線と共に、近年稀にみる鉄道輸送の利点が大きく発揮できた事例となりましたね。
今の京都交通は、鳥取、大阪の日本交通が吸収されたのですね。
いいね、逆に鉄道会社のバス会社に逆襲する姿勢は
このまま黙ってやられっぱなしされる訳にはいかないと力を付けたのは中々の期待ですよ
まぁ、かなり特殊な例ですよね。 日本で沿線住民が増える、開発地域を走る現状単線路線なんて、
日本中さがしてもほとんど無いんじゃないだろうかと・・・
思っていたら、同じく京都の南部、奈良の手前にありましたwww この先何十年後か、リニアが走ったら、
もっと開発が進んで住民も増えて、なんて事になっていきそうな予感・・・www
ま、東西路線が無いんで、バスは無くならないでしょうけどwww
災害時バスはいいよ
電車なんか使いもんにならない
快速・特急・スーパー特急・・・懐かしいなぁ京都行く時はスーパー特急、帰りは快速で使い分けてたなぁ
この頃は国道中山にも停まってたし、回数券も割引あったから便利だったなぁ
今は京都駅まで直行だからちょっと不便、せめて国道中山を停めてほしい
そもそも当時の京都交通は西京区の中山営業所に本社が併設されていたわけではなく、本当の本社は亀岡市古世町向島にありました(中山のほか綾部・東舞鶴・福知山にそれぞれ営業所があり、舞鶴支社も舞鶴線西舞鶴~真倉間のほぼ中間地点にありました)。
亀岡側は後に京阪京都交通へ社名変更、舞鶴側は社名こそ変更していないものの鳥取市に本社がある日本交通と資本関係を持つ企業として再生され現在の姿と化しています。
なおWikipediaによりますと倒産(正確には「会社更生法申請」)時点での京都交通社長は2011年9月当時の京都タクシー社長と同一人物でした。現在でもその人物一家から京都タクシー社長が輩出されています。
@@rhscm989 京タクの社長!?初耳です
栃木県では、東武鉄道宇都宮線が宇都宮口の東武バスを淘汰した、という歴史があります。まぁ、一部区間は関東自動車バスとして残りましたが…。
超地元やけど、京阪京都交通と京都交通はベンの会社やったんや…亀岡から洛西、沓掛の成章高校にかよう学生が京都駅行きのバスによう乗ってたなぁ
1:11ホモーズイックあんじゃん亀岡だしな
恐るべしJR嵯峨野線。
幼い頃亀岡市に住んでおり、ちょうど京都交通が倒産した時期でした。
なんかすごい経営努力していたみたいな言われ方ですが、末期は間引き運転や、運転手の質の低下、車両の信じられない故障(椅子がもげてる、朽ちて錆がすごい等)など、かなり優しくない会社でした。それもこれもお金がなかったからと言われればそれまでですが。。。
またトイレ付き車両は今では考えられないバリアフリー完全無視車両でかなり車高が高く、幼い私1人では乗車不可能で、よく母親に抱き抱えられ乗せられていた記憶があります。車内も青白く薄暗い雰囲気で独特でした。
経営難→サービス低下→客離れというサイクルが既にその時には完成していたのかもしれないですね。
亀岡営業所では末期に小型のノンステップバスが導入されたようですがそれ以外はほぼツーステップでしたもんね。そう考えたら幼児とかお年寄りは結構乗り降りキツかったのかも...?
私がFacebookを昔やっていた時に京都府亀岡市に住んでる女性がいたんですが、亀岡市はかなり田舎でバスの利用者が少なく廃止したと聞きました。
本当にバス会社が倒産するのは悲しいですね。
福岡でもどこのバス事業者か忘れたけど倒産してせっかく出来た高速バス路線が一年も立たないうちに廃止されたとも聞きました。
そもそも京都市内がバス移動は時間がかかりすぎる。意外とこういった近距離通勤路線の方が定時制やピーク時輸送力が求められるゆえにバスに勝ちやすい気がする。遠距離になるとたとえ所要時間で勝っても料金面で敗北しちゃうんよな。
へー一般路線バスの車両にトイレが付く何て珍しいなー
他にも観光バスのシャーシに路線バスの車体というのが快速バスなどに使われていました。(このパターンは全国的にも散見された)
西日本鉄道にもありました。
トイレ付きの貸切バスを高速バスの車両に改造し転属した車両でした。
使って無いだけでトイレ装備しているケースだと北鉄バスの能登急行がありますね、高速のお下がり。
全廃だけはしないでくれ!
トロッコ列車で亀岡行って保津峡下りして嵐山観光ってやると無駄なく回れるよね
他にも要因はあるのでしょうが。
園部以北の公共交通から切り捨てられたエリアに関してもレポしてほしかった。
都市間だとうちの地元は随分前に廃止になっている
その影響で隣の市にはバスがないみたい(コミュニティバスがあるかもしれませんが)
1時間に1本客車が園部まで1時間以上かけて走ってた時代から、電車がビュンビュン走り出したらバスの出番はないですね
それ以前に自家用車の普及でバスの乗客数は減少傾向だった
マジで嵯峨野線ガチ混みしてるから
一部ロングマジで入れろ
ラッシュ時限定で「座席のない詰め込み専用完全立ち乗り車両」なんてのがあってもいいかも。
@@shinpeikitajima7115
そこまでしなくていいレベル
ラッシュ時は8連固定にして日中も6連くらいの方が良さそう
@@yamasan0827
でも8連固定ロングてあったか…?
@@MaruruHO2800 っ323
2000年頃まては、阪急桂発の天橋立行の快速バスが走っていました。
特急まいづるは、園部から先の単線区間の速度が遅いのが課題ですね。
園部~綾部間の単線区間では方向別で線路が振り分けられている和知と立木を除けば、唯一行き違いができない鍼灸大学前以外の行き違い可能な駅では、2線あるうちの1線が一線スルーになっていて、特急列車は原則的にそこを通過しています。
祇園~天橋立行き特急バス
祇園~東舞鶴行き快速バス
福知山や綾部行きってのもあったような・・・。
祇園~園部行き急行バス・・・。
上の2便は亀岡駅を経由せずに、旧矢田口を右折せずそのまま9号線を下り、市役所前バス停(現au付近)を
経て、丹後方面へ走ってましたね。
祇園車庫や四条河原町バス停とか、真夜中に工事をしに行った覚えも・・・・。
トイレ付きバスを導入するからって、排水設備の工事してるのを見た記憶も・・・。
親戚が勤めていたので家族乗車券で何回か乗車しました。
懐かしい所です。
天橋立に京都交通の特急バス走ってたっけ😒?
@@イオンマサトチャンネル さん
何せ小学校の頃なのでうろ覚えなんですが、東舞と橋立が逆かもしれません。
昭和50~56年ころの事なので・・・。
祇園営業所や四条河原町の営業所は真夜中に呼び出されて修繕に行った覚えは・・・。
それでも35年ほど前かなぁ・・・。
亀岡の古世車庫(当時の本社)や園部、中山の車庫などへ仕事に行ったときは、いろいろな部品や
方向幕、急マークとか貰ったんですが、引っ越しや倉庫整理の際に知らない間に捨てられたりして
怒り狂ってましたね。
学校帰りに国鉄に乗ってタバコ吸うとチクられたりしたので、園部から急行バスに乗ってましたね(笑)。
運転手さんに、お前高校生やろ!タバコ吸うたらあかんやないか。
って怒られてましたね。
舞鶴から東京行きの拘束深夜バスは当時は斬新でした。
亀岡駅の現ミスド前バス停へ入るのに、市役所前からがーーーっとセレガが大回りして右折するシーンはカッコ良かったな。
@@イオンマサトチャンネル
本数は少なかったですけど、天の橋立ゆきの快速バスもありました、これとは別に丹海バスの天橋立から間人ゆきの快速バスは現在も運行されています。
また、天の橋立〜舞鶴の普通バスもあり、昔乗ったことがあります。
京都やなく丹波のバス会社やからな。それが京都を名乗ったからナマイキという意識やろな。
どっかの田舎出身の地銀がリテールで信金や中央信金に大負けしてるみたいに余所者が地元みたいに名乗られると反感をかうわけや。
JR許せねぇ…ううう…
京都市営地下鉄東西線もある意味鉄道がバス路線を廃止に追い込んだ路線
JRや地方私鉄の廃止で列車代換バス運行話はよく聞くが、鉄道が強すぎて、バス会社が経営破綻した話て何なんだ⁉️
どこの鉄道会社の路線のどこのバス会社の話❔