紫式部と藤原宣孝の複雑な結婚 為時一家の没落と藤原兼家の権力支配「大河ドラマ 光る君へ」歴史解説12
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- Опубликовано: 16 мар 2024
- 花山天皇失脚によって藤原兼家一族の権力はますます高まった。しかし紫式部の父藤原為時は蔵人職を失ってします。今回の動画では紫式部と藤原宣孝の結婚による道長との三角関係。そして為時一家の没落と藤原兼家の権力支配について紹介。
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●楽曲提供:LAMP BGM
●楽曲クレジット
Splash (feat.Tristan) / Stardom Sound
(P) & (C) Star Music Entertainment Inc. Развлечения
複雑難解な平安時代、先生の解説ですっきり頭に入りドラマの今後がますます楽しみになります。
ネタバレ部分、ちょっとミスリードでしたね!それだと(私が大ファンの)浜崎さんが「道長、感じ悪い」と誤解するのも仕方がない😅
好きな浜崎さんが好きな柄本道長を嫌いになって欲しくないので、余計な補足を試みます🙇🏻♂️
ドラマの柄本道長の提案は2つでした✌🏼
1)全て捨て遠くで二人で暮らそう
2)(京都に残るなら) 形式は正妻にはできないけど一番に思うから妾の身分になってくれ
吉高まひろは先ず1)を断ります。理由は「直秀が死なない世を作れるのは道長だけだから(申し出は嬉しいけど)逃げては駄目。寧ろ頂点を目指すべき」。
そう、愛の逃避行を断ったのは、まひろの方でした☝🏼
道長は抵抗しますが最終的に受け入れ、父に付き従い権力の座を目指すことにします。
しかし父がまひろ父を左遷したのを知り、2)を提案します。
しかし道長が好き過ぎるまひろは「妾は心が持たないから無理」とつい反応してしまう。
テンパった道長は「どないせい言うねん!残れ言うたんはお前やないかい!」とブチ切れた訳です!
まひろは賢すぎて幸を逃した訳ですね。
でも両者に縁ある倫子が妻になる事で、運命の歯車は悲喜交々を織り交ぜながら尚も回り続けるのです!
恐ろしい脚本です!
はい、最初に 愛の逃避行を提案したのは まひろですよね。
陶淵明の「帰去来」の辞の3通目は、あの後「こんな都は捨てて、田舎に行こう」というものだと、歴史系RUclipsrさんで、漢詩に詳しい人達の多くが指摘していました。
先生の研究に基づいた解説で、ますますドラマが楽しみになります。
先生!本日の講義もありがとうございます!。ところで、私の実家の近くの揖斐川町に谷汲山華厳寺というところがあります。ここは、西国33か所の霊場の満願寺です。ここに火山天皇(出家した法皇)のおいづる(紫衣なのかな?すみません、変換できませんでした。)が奉納されています。これから、丁度桜の季節になるので、一度訪れてみてください。いいとこですよ!
❤❤
か
勉強になります
いつも解説動画早いですね。ライブじゃないのになぜ当日の解説がBS放送直後に出るのか不思議です。
NHK出版から大河ドラマの公式ガイドブックが発売されており、そこにあらすじも書いてあるんです。
生首は大鏡に書いてますね。物語ですが。
ありがとうございます
生首事件のもとは、大鏡ではないでしょうか。
道長のかかわりは書いてなかったですが。
大鏡はのちに書かれた読み物ですから、史実というわけにはいきませんが、書いた人の妄想、ということで。😊
大鏡に書かれていたと云うことなので、もしかしたら……😣
「大鏡」
“高御座の内に、髪つきたるものの頭の、血のつきたるを見つけたりける、あさましく、いかがすべきかと行事思ひあつかひて”と…ネットからお借りしてきました。
ネットから見つけただけのおせっかい、お許しください。ネットをうのみしました。
史実かどうかはわかりませんが、大鏡にありますね
貴族の収入は荘園ですがそれをどう納めるかが大切なんですね
山向こうの紫香楽(信楽)は貴族の荘園だったと伝わりますが都から領地経営するのは難しかったでしょうね😢
源高明はたかあきらなのでは?光源氏のモデルとも言われます。道長は明子から色々聞いていたので源氏物語制作に協力したのではないかとも言われていると思います。
はい、私も咄嗟にそう思い、コメントしようとしたら、貴方様のコメントが有りましたので、返信の形で、賛同致しました。
ありがとうございます!
いつも応援、ありがとうございます
藤原範忠は藤原頼忠の打ち間違えですよね?
この解説で、いろんな事がわかる。
初めまして、こんにちは。政界のプリンスとお金持ちの令嬢との政略結婚は現代でもありますので道長の事情も理解できますが、まひろに同情しちゃいますねー😢
大河ではいつ源氏物語を書くのかな?
平城京大極殿、飛鳥の小墾田宮推定見取図、平安宮朝堂院大極殿跡、場所は聚楽が出てきて混乱する!
生首事件はどこにも書かれてないようです。大鏡には一条院の章は数行で大したことは書かれてませんよね。
紫式部の人生は辛いことばかりです。
天皇が即位の時にのぼられるのは高御座、皇后は御帳台です。
生首は大鏡では?それ以外ににという話かな?
先生、あきこさんがいっぱい出てきて混乱してます😂
生首置いてあったとか不吉なこと公式な資料や日記に残すとは思えませんので実際になかったというのは言えないと思いますー!
その時いた人の誰かの口から漏れて、後々大鏡とかに書かれたとかは全然あり得ると思います。
なんで資料にないと絶対なかったと言い切れるのか謎です。
あったとは断定できないけど、諸々の状況考えたらあったかも?と推理推察するのは悪いことではないのかなと思います。
今回のシナリオはそのあたりの匙加減が上手いなーと思います。
後、荘園の寄進とかという経済的な基盤みたいな話が全く出ないから、何か平安時代の貴族ってエラく貧乏クサイ感じですね?😅
道長は折衝ではなく内覧では?