藤原行成の生涯 道長の栄華の立役者となるも一条天皇にも信頼された忠臣 【光る君へ】
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- Опубликовано: 4 окт 2024
- 藤原行成は、道長のために一条天皇を説き伏せ、出世のために道長にすり寄ったように見えますが、実際は一条天皇の忠臣で、現実的には道長の言う通りにしないといけないことは分かっている一条天皇の背中を押すために行成が論理的に説得しただけです。
一条天皇からの信頼は特に厚く、敦康親王を託されるほどでしたが、それゆえに道長に私的に尽くす選択肢は取れませんでした。
ですが、一条天皇死後は、道長の権力が確立していく中で、生き残りをかけて道長に接近するしかなくなり、道長の息子を婿に迎える中で藤原斉信と対立するなど、「恪勤の上達部」の言葉通りの振る舞いが増えていきます。
今回は、第一の忠臣として一条天皇のために動こうとするも、道長のことも社会の安定に不可欠な権力者として認め、理想と現実の板挟みになりながら全体にとって良い方向を目指し続けた藤原行成の生涯について紹介します!
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参考文献
関口力『摂関時代文化史研究』
amzn.to/3UMc49G
黒板伸夫『藤原行成 (人物叢書)』
amzn.to/3SyzteR
倉本一宏『藤原道長の権力と欲望 「御堂関白記」を読む (文春新書 915) 』
amzn.to/4b5FiqJ
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【画像引用】
大河ドラマ光る君へ公式サイト
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【目次】
01:42 藤原行成の出自
07:54 蔵人頭時代の行成
14:40 藤原行成の後半生
#光る君へ #藤原行成 #一条天皇 #大河ドラマ
三蹟としての評価など省いている部分は多々あります…
今回は大まかな人生の流れ、一条天皇との関係中心のみになってしまいました。
一条帝には只々忠実に尽していたんですね、道長が距離を置くぐらい。
行成(こうぜい)は三蹟の方が有名ですが、政治にも深く関わったのですね。
レキショック様
気が早い話ですが、来年の大河ドラマは江戸時代が舞台ですが、所謂幕閣の出世競争も激しかったと推察します。
来年の大河ドラマは一般庶民の話で幕府内部の話は余り無いでしょうが、○○が俺より先に奉行になった、役職についたとかで悲喜こもごも有ったものと思います。それは幕末まであって、もう幕府が無くなるのにまだ出世争いとかしていた気がします。
ドラマでは行成は道長命、の様に描かれているのですが、実は一条天皇に最も忠誠を尽くしていたのですね。敦成親王が生まれてから道長一条天皇への忠誠心のバランスが崩れてきた様な気がしました。
行成というと、書家のイメージが強い。それか、謙徳公(行成の祖父・伊尹。伊尹・兼通・兼家の三兄弟)四十五番と、藤原義孝 五十番の孫、子どもで、あの時期に、世尊寺流をも後世に残しました。
この時代って嫡流非嫡流が簡単に入れ替わるよね。恐ろしい。
忠臣かあ☆