『藤原行成』一帝二后の立役者はどのように天皇を説得したのか

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  • Опубликовано: 12 дек 2024

Комментарии • 25

  • @shinno9292
    @shinno9292 4 месяца назад +17

    待ってました😂武士道さんいつもありがとう!

  • @Y.Y.Y.951
    @Y.Y.Y.951 4 месяца назад +5

    最新話の解説にもなってる。素晴らしい👍

  • @owyd2236
    @owyd2236 4 месяца назад +13

    名筆の文化人のイメージがありましたが、苦労もしたのですね
    本日のドラマでも、苦悩が描かれてました
    道長と同じ日に死去とは、偶然とはいえ、因果を感じますね。

  • @okada0715ya
    @okada0715ya 4 месяца назад +3

    今回の武士道さんの動画はすごい‼️藤原行成の解説動画なのに、しっかりと28回【一帝ニ后】の内容に沿った話になってる❗️この動画自体は28回を見る前に収録されてると思うから、よくぞここまで大河ドラマの流れを正確に読める物だと驚きました😳

  • @wakamutsumi
    @wakamutsumi 4 месяца назад +13

    超タイミングの良い人物解説

  • @cancan5892
    @cancan5892 4 месяца назад +32

    行成は一条帝、道長双方に信頼されていました。蔵人頭として貴族と天皇との間を調整し、帝の秘書であり代弁者という立場は、有能でないと務まらない職です。彼は道長の6歳下で、道長の娘、影子を中宮にする際と彼女の息子敦成親王を次期天皇となる立太子にする上で、貢献しています。影子が入内した頃には定子が既に中宮となっていて、二人中宮となってしまうため一条天皇から相談された時、公平な意見書を出し影子を立后しています。その後、定子と影子の双方の息子が後の天皇となるべき立太子を選ぶ時も、再び一条天皇からアドバイスを求められ、影子の子を推薦しています。しかし選ばれなかった定子の息子敦康親王にも手厚く接し、長年別当として仕えています。こういう行動からも、道長にピッタリくっついて出世できる立場にいながら、公正な判断や態度に終始していて、好感が持てます。天皇の信頼が厚かったからこそ、アドバイスも尊重されたわけで、自身の出世で暮し向きが大いに変わるこの時代、道長に癒着しない洗練潔白さは貴重です。好感度の高い人物だと思います。

    • @cancan5892
      @cancan5892 4 месяца назад +6

      影子➡️彰子

    • @風の丘-s6j
      @風の丘-s6j Месяц назад

      道長におもねってるようにしか、思えないのですが。

  • @みにゃお-o2q
    @みにゃお-o2q 4 месяца назад +10

    行成頑張ってましたね。

  • @user-et5wq4kw3w
    @user-et5wq4kw3w 4 месяца назад

    史実、記録から当時の人物の心情に想いを馳せる楽しさを教えてもらっています!
    行成さんの苦労話のさなか登場した定子ブラザーズの圧に、うん、これはなんとかしなければ。がんばれ行成!!えらいぞ行成!!となりました。笑

  • @soli8604
    @soli8604 4 месяца назад +26

    これだけ血が濃くなってハプスブルク家みたいにならないの不思議

    • @ManamoYouko
      @ManamoYouko 4 месяца назад +5

      母はともかく父が誰かはビミョウなのかも

  • @小寺亮己
    @小寺亮己 4 месяца назад +5

    お疲れ様です

  • @平時国
    @平時国 4 месяца назад +7

    解説ありがとうございます、行成は中間管理職として忙しく働いてせいか脳卒中とみられる病気で倒れ、道長と同日に亡くなったため
    、道長の死に隠れて話題にもならかったと聞いて頑張った割りに不遇な人だと思いました。

  • @ke1m10
    @ke1m10 4 месяца назад +12

    今日はホントに帝と道長に板挟まれてましたねー。
    状況に流されてたら、結果うまくいったという日本の中間管理職の鑑(^_^;)

  • @亮-l1n
    @亮-l1n 4 месяца назад +2

    高校の日本史で習って以来ずっと伊尹は「これただ」が当たり前だと思ってました…
    公暁の「こうぎょう」以来のショック

  • @亮白鳥
    @亮白鳥 4 месяца назад +4

    蔵人頭という秘書と藤原家の人間と狭間で道長の言う一帝ニ后を進言しなければならない狭間をこなせるのは行成において他にいなかったのかなと思う。

  • @danchouseven
    @danchouseven 4 месяца назад +12

    毎回彼の胃袋が心配です...笑

  • @yasushitsuji9534
    @yasushitsuji9534 4 месяца назад +4

    大原野社 小塩山の麓 長岡京遷都のさい藤原氏氏神奈良春日大社より分社。 現在西京区大原野におわす大原野神社。 昭和の時代は奈良春日大社から頂いた鹿が鹿園にたくさんいましたが平成の頃は全滅してました。(ここまでは本当)そのさい奈良春日大社がおこらはって以来鹿をくれなくなったという地元話。今は鹿いません。

    • @Mii-i3t
      @Mii-i3t 4 месяца назад +2

      子供の頃、大原野神社へよく遊びに行きました。今は鹿がいなくなってるのですね🦌

  • @user-akatsuki2434
    @user-akatsuki2434 4 месяца назад +7

    前回の藤原行成に~という言及を聞いて嫌な予感がしてましたが・・・。
    歴史的には踏ん張れば名を残せるんだよ!とは思いつつ本当にそんな役割ですよね。
    ドラマの中でぐらいもう少し健やかで居て欲しい。

  • @SY-sw9tu
    @SY-sw9tu 4 месяца назад +5

    行成の子孫に新田義貞の妻、勾当内侍がいますね!

  • @風の丘-s6j
    @風の丘-s6j Месяц назад

    行成は、枕草子にも度々描かれ、ただ字の上手な人物と思ってた。大河ドラマはフィクションだけど、歴史動画を観て、色々学べるのが面白い。 行成は優秀な官僚。でも人物像はなかなか評価できない。一条帝の和歌、亡くなる前に詠んだものを、定子に宛てていると、解釈してたり、道長にぞっこんだったのか、何かわからない人だ。

  • @黒猫アキちゃん
    @黒猫アキちゃん 4 месяца назад +9

    行成も1000年後にRUclipsとか言う怪しげな催し物で裏切者の疑いを掛けられるとは思ってもいないだろうね。

  • @ピーナッツ-m8l
    @ピーナッツ-m8l 4 месяца назад +6

    板挟みで描かれてるね😁あのポジション嫌やなぁ。なんか妹子思う。道長栄華極め過ぎる