【ソ連音楽】我等の街【和訳動画】
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- Опубликовано: 14 июл 2019
- そゔぃえとぉ^~(挨拶)
お久しぶりです。
今回は1945年の『我等の街』。
セヴァストポリ市の歌に制定された『伝説のセヴァストポリ』のように正式にレニングラードの歌になってたわけではありませんが、非公式なレニングラード賛歌として歌われたそう。
第二次世界大戦終戦直後に作られたこともあってどこか悲しげな曲調に載せた、戦いを生き抜いた英雄都市レニングラードと戦後の明るい未来を期待するかのような歌詞が特徴。
歌詞について
今回は意訳をぬりゃーんと多用してます。
・レニングラードの街:原文では за заставами ленинградскими(レニングラードの関所の向こう側で)。заставаというのは関所のことで、転じて軍隊の歩哨や警備隊のことも表す言葉。ヨーロッパの街は基本的に城塞都市(進撃の巨人の街を想像してください)なので、関所の向こう側といえば市内を意味しますが、「歩哨に立つ軍の向こう側(つまり、守られている都市の内側)」という解釈もあるかもわからんね。
・ナイチンゲールが春の訪れを歌う:本動画最大の意訳箇所。Бушует(бушевать)は「激しくなる、騒ぎ立てる、にぎやかになる」、соловьиная(соловьиный)は「ナイチンゲール(соловей)の」という形容詞、веснаが「春」なので、「ナイチンゲールの春が賑やかとなっている」という意味ですが、どうにもしっくりこない(というか良い感じの訳が思いつかなかった)ので雑にそれっぽく訳してます。ナイチンゲールというのはスズメ目ヒタキ科の鳥で、ヨーロッパでは「美声」の代名詞として使われるほど鳴き声が美しい鳥と言われています。「サヨナキドリ」という和名もあるようですが、日本にいないことにはどうにもイメージがつかない。
・兵士として眠れぬ日々を過ごした:原文では не спали мы в дни солдатские(兵士としての日々を我々は眠らなかった)。要は、我々が兵士として戦っていた頃は眠る暇すらない激戦だったという意味。そのまま日本語にすると違和感ある文となるので意訳してます。 - Видеоклипы
中3の夏、スイスへ向かう飛行機の窓から見下ろしたレニングラード(サンクトペテルブルク)の街並みとそれを囲む美しい緑の森林と青いラドガ湖の光景を思い出す。
DG Pyeong サンクトペテルブルグの街並みいいですねぇ。 スイスはどうでしたか?
綺麗な曲だ。。。サンクトペテルブルク行ったことないけど、曲聴いてるだけで情景が脳裏に浮かぶ。。。モスクワ郊外の夕べもそうだけど、ロシアって綺麗な曲多いですよね。
第一次大戦では反逆者の牙城だった街が次の大戦では英雄都市に……
独ソ戦が終わり平穏な日々が戻ってきて元の生活を過ごそうとしているレニングラード市民が自然と思い浮かぶ
タチャンカとちがって夜聞いても寝れる
あの壮絶な包囲戦の後で、こんな落ち着いた曲調で、レーニングラードより美しい街はないって。
これが鳥肌を立てずにいられるだろうか。
うp乙です!丁寧な編集(特にカナルビ)、解説ありがとうございます。
歌ってる人うますぎて最高やな!
美しい声
どくりつこっかきょうどうたい^〜(新挨拶)
リクエスト、(乗組員はひとつの家族)の、動画を作っていただきたいです。
曲と関係ないのですが、キリル文字のフォントは何を使われているんですか?
クックティム
times new roman です
お気に入り
ありがとうございます!
ノルウェーの親衛隊の歌消されたよ
ディズニーみを感じる
特に最初のイントロのとこディズニー感あるよね
そう"ぃえとぉ^~
サンクトペテルブルクかあ~ 舌噛みそうだな。
町全体が博物館・美術館のような大変美しい街です。かつてここは女帝が作り上げた女の都・それは女性の感性で作られた町なのです。伝統的に日本と同じく女性を卑下した男性中心社会だったドイツ人にとっては、本能的に反感を持つ町だったのかもしれません。だからこそヒトラーは徹底的に破壊すべしと命じたのです。でもそれはできませんでした。ロシア人特有のガマン強さに負けてしまいました。過去の歴史を勉強すればわかりますが、伝統的に女性を差別して女性の社会的な地位が低い国は、今も絶えなく戦争と暴力にさらされ国土が荒れています。イラン・イラク・アフガニスタン・・・現在内乱や紛争でもめている地域は、みな伝統的に女性を差別している国々です。これは男性だけで社会を動かすと、行き着く果てはファシズムと暴力しかないという証明ですよね。
レニングラード(サンクト=ペテルブルク)の建都が命じられたのは男性であるピョートル大帝(ピョートル1世)の時代です。女帝の時代ではありませんし、レニングラードはご存知の通り「レーニンの街」という意味で「女帝が作り上げた女の都・女性の感性で作られた街」というのは残念ながら当てはまらないと思います。
女性への差別問題は日本を含む国際的な問題であって中近東・西アジアに固有の問題ではありません。
かつて英国がその帝国主義のもの絶頂期を迎えた通称「ヴィクトリア朝」と呼ばれる時代はその名の通り女王ヴィクトリアの治世でしたし、ロシア帝国が現ポーランドやウクライナに領土を拡大させたのはやはり女帝エカチェリーナ2世の治世でした。
帝国主義や植民地主義、ファシズムなどといった時代的背景・思想についての是非はともかくとして、男性の権力者が暴力を導くわけでも、女性が平和を呼ぶわけでもありません。
ファシズムを生んだのはご存知の通り男性のベニート・ムッソリーニですが、その孫娘であるアレッサンドラはファシズム時代を擁護する右派の政治家であることはご存知でしょうか。
ムッソリーニやヒトラーに賛同しなかった女性は当時一人もいなかったでしょうか。
あなたが女性かどうかは私にはわかりかねますし、歴史的に人類が今に至るまで深刻な性差別問題を抱えていることは事実で我々はこれを解消せねばなりませんが、人間の業と歴史、そして性別は別問題です。
@@TheIvanVladたしかに 街の作った始祖はピョートル大帝の時代ですが、現在観光名所となっている、エルミタージュ美術館や従来の街並み・宮殿をより美しく重厚な建物に改良し、美術品を大量に仕入れて既存の美術館・博物館を充実させ、さらにスモヌーリイ貴族女学校の創設など現在に至るロシアの女子教育に力を入れ、街そのものが大きく発展してほぼ現在のレニングラード(サンクト=ペテルブルク)原型を作ったのは、女帝エカテリーナ2世の時代でしょう。(ちなみにこの方はドイツから嫁いだドイツ女性です。)ロココ調のパステルカラーの建物が多いのは、まさに女性好み、女性の感性で作られていますよ。
@@user-bm9di1ct3r
首都であるサンクトペテルブルクの開発はどの時代の皇帝も当然行ってきたことです。既にあった都市に女性が美しい建物の建築を命じて発展したらその街は「女性の感性で作られた」ことになるんですか?
私にはよくわからない理論ですが、確かにかの街が美しいのは事実ですね。建築とか美術には明るくないですが、ああいった創造ができる人ってすごいなと思いますし、ドイツ出身の彼女がロシア社会の未熟さを痛感し近代化に力を入れたことも事実です。保守派の男性貴族たちとの軋轢なんかもあったかと思いますが、女帝の威光には逆らえなかったようですね。後のロシア皇帝も近代化と啓蒙に理解があればロシア革命は起きなかったかもしれませんが...
いつの時代でも「物が言える女性」は必要な存在だと思います。もっとも、男女問わず物が言える社会が望ましいですが。
@@TheIvanVlad
エルミタージュ美術館しかり、ミハイロフスキー宮殿しかり、赤い帆まつりしかり、美しい街ですね。
フェミニズム拗らせ過ぎて男性差別してる……