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今回相談させて頂いたとんぼと申します。あれから2年が経ち、現在18歳です。無事バイクの免許も取得する事が出来ました。少しずつですが、色んな場所へツーリングに行っています。周りの方々に恵まれたお陰もあり、アルバイトを長く続けることが出来ました。少し自信もついたと思います。両親からどれだけ与えてもらっていたか気づくことも出来ました。貯めているお金で現在大学へ進学した事と普通車の免許も取得するため合宿中でしたが、少し落ち込んでいた所、この動画を拝見しました。恥ずかしながら、相談した事も忘れていました。2年経った今でもやはり、百尺の竿の先までを歩く事は簡単ではありませんが、これからも先を見つめて少しずつ頑張ります。今回の動画でコメントして下さった皆様から私自身、とても励まされています。有難うございます。お忙しい中、回答して頂き本当にありがとうございました。
文章の丁寧さ等から、応援したくなるような人柄だという印象を受けました。これからの人生、是非とも上手くいって欲しいと思います。☺️
人は皆、出来ない事だらけ何事にも挑戦する意味は、失敗して出来ない事を知り、更に出来ない自分を許すことだと思います貴女だけではなく人は皆、自分を買いかぶる生き物です時には自嘲(自分で自分を笑う)する余裕も必要なのでは?
応援してます😊
この16歳の方の倍以上生きてるのに同じようなこと考えて苦しんでます。
そういう人を多数見掛けますが、要するに自分への買いかぶりだと思います出来ない自分を許さないから辛いんですね
百尺竿頭。素晴らしい言葉と出会えました。最近は人生や仕事に行き詰まりを感じていましたが、まだまだ百尺に辿り着けてさえいませんでした。周囲の賞賛や批判などに振り回されることなく一歩一歩歩みを進めて行きたいと思います。また16歳というお若い女の子にも、対等の目線で真剣に回答されておられる和尚様にも心を打たれました。
バイクのお話が聞けて、お近しいように感じられて嬉しいです。私はまだ百尺竿頭の先どころか、足元の一歩も歩き始めていません。16才、羨ましいな!何でもできるよ。私も一歩、そして百尺へ歩きたい。
お話を聞いていてバイクのくだりから若い頃を思い出しました。若い頃は何も持ってない。そんな中で欲しいものができて日々それしか見ずに考えずにあほでしたが楽しかったですね。通った教習所、友達と行ったバイク屋、免許をもらったとき、はじめて買ったバイク。ああ心がむずがゆい!
本日は百尺渡って、なお一歩、百尺竿頭竹竿の先っちょだけを見て一歩一歩進む、目標に向かって努力する。とても良い学びをさせて頂きました。感謝です。ありがとうございます🙏目標を持って行動出来る事が有難いです。
素晴らしい、笑顔が素晴らしい、ありがとうございます。
人は「何かをしたい」という欲求・願望はもともと持っている。そのように思います。それはまるで、生まれたての赤ちゃんがいろいろなものに興味を持つような感覚です。赤ちゃんは、「カッコいいからこれをやる」という心はありませんよね?ただ単に、それがやりたいだけです。でもやがて、「社会」の中で生きていく必要性から「しつけ」「教育」がなされます。そのことで「内なる声」がだんだん、そがれていくんですね。そして、・あなたは公務員になりなさい・サッカー大会で一位になったらカッコいいこういう、「内なる声」とは別のものが、自分に付け加えられてきます。そして、自分でも、それが「自分のやりたいことなんだ」と思い込んで、それをやり始めます。でもそれは、「内なる声」が求めていることじゃないので心の純度が低く、他人の声が気になるんですね。なので、「内なる声」を思い出すことが必要だと思うんです。そのためには、・探究するという心がけが必要かな、と思います。今回の大愚和尚のお話の「竹の上を歩く」―こういう感覚で、目の前のことを「探究していく」心持ちで取り組んでみる。すると、やがて忘れかけていた「内なる声」が呼び覚まされ、他人も気にならなくなる。個人的にはそのように思います。いつも貴重な気づきをありがとうございます。
お陰様で 百尺竿頭 よい御言葉を頂きました 深謝です 先ず自分で自分の竿頭と百尺を対比させてみます
とんぼさん、がんばって下さいね😊同じくらいの年の子どもがいるので、とても共感します。まだ若いので、可能性はいくらでもあります。いいなぁ〜❤今日のお話も、ありがたいです。竹竿の事を聞いて、耳が痛い❗️私は何か、褒めてもらったりしたら、すぐいい気になって、よそを見ては下に落ちる、その繰り返しの人生です😅まあこんな私でも、この人生で、せめて一歩でも踏み出せる人間になりたいと、指を加えて過ごしています☝️
バイク教習の一本橋を思い出しました。私もバイクには無我夢中で乗っていたので共感できます。今はおっさんになり、何か物足りない毎日を送っていますが、この機会にまた何かを始めたいと思います。
励まされました。私も10代、20代前半までは親に援助してもらって、色々やりたがりに、ひとつの道を歩き通したことなかったな。。。その時は、親に援助してもらうありがたみも気づいてませんでした。社会人になり、今、竹竿の上を歩んでいる途中です。竹竿の上を歩く感覚、大変ですが、この道歩き通した先に、何かあるかな。。。
ご本人の後ろにいらっしゃるであろう、ご両親にも投げかけているお言葉。伝わりました(^^)
ありがとうございました😊
これはまた違う話かもしれませんがもうダメだと思ったところで更にもう一歩進むと 意外と道が開けるかも と聞いたことがあります
素晴らしいお言葉言葉は人を勇気づける
バイクのお話をなさる和尚がとても楽しそうで、こちらまで幸せな気分になりました🤗 他の動画のお話、特に一つ前のお金についてのお話にも通ずる気付きがありました。環境に恵まれる事=幸せ とは限らないのですね。自分の人生を、これを踏まえて振り返ってみます。新たな気付きが得られそうです。 また、百尺竿頭、私の場合は、自分が苦手な事に向き合う時に使ってみようと思いました。(長年苦手だけれども、生きていく上で避けられない事です。)これまで向き合う時の目線が足下ばかりで、先を見るという事をしていなかったです。 そして、私の場合は周りの声ではなく、自分の苦手な事に対するザワザワした声が邪魔になっていました。(だからこそ厄介でした。)それをシャットアウトし、竿頭だけを見てやってみますね。いつもありがとうございます!
確かに与えられた環境だと簡単に手に入ってしまって有り難みもないからすぐに止めてしまいますよね。自分の力で苦労したからこそ有り難みもあるし喜びもあります。
人の評価が気になるときって、2つあると思う。1つは、自分が相手に厳しい評価をしてるとき。自分を許してべき論を捨てると緩和し得るけどこの方は違うと思う。もう1つは、身近な方が過剰に厳しい時。これは厳しい方と少し距離を置いて、寛容な人と接して、必ずしもそんな雁字搦めに生きなくていいんだよって、自身を労ってあげてもいいと思うっていうのも、ふと思った(留学などを考えると、それはご両親などではないのかもしれないなと、一部訂正。)。
目標にどれだけ近づけるかを阻害する要因は、家族や同僚などを始めとする「ドリームキラー」の存在が大きいと思う。特に理由がなくとも、意識してか知らずかはわからないが、自分が何もしないので他者にも突出してほしくないとの思いがあるのかもしれない。
大好きな音楽を海外でプロとして続ける。好き嫌いの激しい私が、大好きな音楽のために嫌いな?興味を持てないIT技術習得に時間を費やす。私も’’一歩百尺渡って尚一歩’’。
もうはまだなり、まだはもうなり😎
仏道を学ぶ事は利他の心、自分中心でなく他人中心、人を救ける心、そして人を救った時には自分のように喜ぶ、そしてどんな事があろうと絶対に揺るがない不動心がなければ出来ません、だからこの僧侶の方は不動心の事を竹竿と表してるのではないでしょうか?不動心、絶対に揺るがない心、文字にするには簡単ですが実践するには厳しい修行をしなければなりません、人間という生き物はすぐに誘惑に負けてしまう、イラっとする事があれば怒りに転じてしまう、だからこの方は心を竹竿と言ってるのではないでしょうか。この方の話を聞いて少しでも仏道を学んでみようと思う人が頂いたのなら有り難いです。
和尚様だけでなく今回は相談者もコメント欄のレベルも高い。歩くべき竹竿さえ無い凡人にとっては、憧れでさえあります。
サムネが金だと見たくなる
今回相談させて頂いたとんぼと申します。
あれから2年が経ち、現在18歳です。
無事バイクの免許も取得する事が出来ました。少しずつですが、色んな場所へ
ツーリングに行っています。
周りの方々に恵まれたお陰もあり、
アルバイトを長く続けることが出来ました。少し自信もついたと思います。
両親からどれだけ与えてもらっていたか
気づくことも出来ました。
貯めているお金で現在大学へ進学した事と
普通車の免許も取得するため合宿中でしたが、少し落ち込んでいた所、この動画を拝見しました。恥ずかしながら、相談した事も忘れていました。
2年経った今でもやはり、百尺の竿の先までを歩く事は簡単ではありませんが、これからも先を見つめて少しずつ頑張ります。
今回の動画でコメントして下さった皆様から
私自身、とても励まされています。
有難うございます。
お忙しい中、回答して頂き
本当にありがとうございました。
文章の丁寧さ等から、応援したくなるような人柄だという印象を受けました。
これからの人生、是非とも上手くいって欲しいと思います。☺️
人は皆、出来ない事だらけ
何事にも挑戦する意味は、失敗して出来ない事を知り、更に出来ない自分を許すことだと思います
貴女だけではなく人は皆、自分を買いかぶる生き物です
時には自嘲(自分で自分を笑う)する余裕も必要なのでは?
応援してます😊
この16歳の方の倍以上生きてるのに同じようなこと考えて苦しんでます。
そういう人を多数見掛けますが、要するに自分への買いかぶりだと思います
出来ない自分を許さないから辛いんですね
百尺竿頭。素晴らしい言葉と出会えました。最近は人生や仕事に行き詰まりを感じていましたが、まだまだ百尺に辿り着けてさえいませんでした。周囲の賞賛や批判などに振り回されることなく一歩一歩歩みを進めて行きたいと思います。
また16歳というお若い女の子にも、対等の目線で真剣に回答されておられる和尚様にも心を打たれました。
バイクのお話が聞けて、お近しいように感じられて嬉しいです。
私はまだ百尺竿頭の先どころか、足元の一歩も歩き始めていません。16才、羨ましいな!何でもできるよ。私も一歩、そして百尺へ歩きたい。
お話を聞いていてバイクのくだりから若い頃を思い出しました。若い頃は何も持ってない。そんな中で欲しいものができて日々それしか見ずに考えずにあほでしたが楽しかったですね。通った教習所、友達と行ったバイク屋、免許をもらったとき、はじめて買ったバイク。ああ心がむずがゆい!
本日は百尺渡って、なお一歩、百尺竿頭
竹竿の先っちょだけを見て一歩一歩進む、目標に向かって努力する。
とても良い学びをさせて頂きました。感謝です。ありがとうございます🙏
目標を持って行動出来る事が有難いです。
素晴らしい、笑顔が素晴らしい、
ありがとうございます。
人は「何かをしたい」という欲求・願望はもともと持っている。そのように思います。それはまるで、生まれたての赤ちゃんがいろいろなものに興味を持つような感覚です。赤ちゃんは、「カッコいいからこれをやる」という心はありませんよね?ただ単に、それがやりたいだけです。でもやがて、「社会」の中で生きていく必要性から「しつけ」「教育」がなされます。そのことで「内なる声」がだんだん、そがれていくんですね。そして、
・あなたは公務員になりなさい
・サッカー大会で一位になったらカッコいい
こういう、「内なる声」とは別のものが、自分に付け加えられてきます。そして、自分でも、それが「自分のやりたいことなんだ」と思い込んで、それをやり始めます。でもそれは、「内なる声」が求めていることじゃないので心の純度が低く、他人の声が気になるんですね。なので、「内なる声」を思い出すことが必要だと思うんです。そのためには、
・探究する
という心がけが必要かな、と思います。今回の大愚和尚のお話の「竹の上を歩く」―こういう感覚で、目の前のことを「探究していく」心持ちで取り組んでみる。すると、やがて忘れかけていた「内なる声」が呼び覚まされ、他人も気にならなくなる。個人的にはそのように思います。
いつも貴重な気づきをありがとうございます。
お陰様で 百尺竿頭 よい御言葉を頂きました 深謝です 先ず自分で自分の竿頭と百尺を対比させてみます
とんぼさん、がんばって下さいね😊
同じくらいの年の子どもがいるので、とても共感します。
まだ若いので、可能性はいくらでもあります。いいなぁ〜❤
今日のお話も、ありがたいです。竹竿の事を聞いて、耳が痛い❗️
私は何か、褒めてもらったりしたら、すぐいい気になって、よそを見ては下に落ちる、その繰り返しの人生です😅
まあこんな私でも、この人生で、せめて一歩でも踏み出せる人間になりたいと、指を加えて過ごしています☝️
バイク教習の一本橋を思い出しました。私もバイクには無我夢中で乗っていたので共感できます。
今はおっさんになり、何か物足りない毎日を送っていますが、この機会にまた何かを始めたいと思います。
励まされました。私も10代、20代前半までは親に援助してもらって、色々やりたがりに、ひとつの道を歩き通したことなかったな。。。
その時は、親に援助してもらうありがたみも気づいてませんでした。
社会人になり、今、竹竿の上を歩んでいる途中です。
竹竿の上を歩く感覚、大変ですが、この道歩き通した先に、何かあるかな。。。
ご本人の後ろにいらっしゃるであろう、ご両親にも投げかけているお言葉。伝わりました(^^)
ありがとうございました😊
これはまた違う話かもしれませんが
もうダメだと思ったところで
更にもう一歩進むと 意外と道が開けるかも と聞いたことがあります
素晴らしいお言葉
言葉は人を勇気づける
バイクのお話をなさる和尚がとても楽しそうで、こちらまで幸せな気分になりました🤗
他の動画のお話、特に一つ前のお金についてのお話にも通ずる気付きがありました。
環境に恵まれる事=幸せ とは限らないのですね。自分の人生を、これを踏まえて振り返ってみます。新たな気付きが得られそうです。
また、百尺竿頭、私の場合は、自分が苦手な事に向き合う時に使ってみようと思いました。(長年苦手だけれども、生きていく上で避けられない事です。)
これまで向き合う時の目線が足下ばかりで、先を見るという事をしていなかったです。
そして、私の場合は周りの声ではなく、自分の苦手な事に対するザワザワした声が邪魔になっていました。(だからこそ厄介でした。)
それをシャットアウトし、竿頭だけを見てやってみますね。
いつもありがとうございます!
確かに与えられた環境だと簡単に手に入ってしまって有り難みもないからすぐに止めてしまいますよね。自分の力で苦労したからこそ有り難みもあるし喜びもあります。
人の評価が気になるときって、2つあると思う。
1つは、自分が相手に厳しい評価をしてるとき。自分を許してべき論を捨てると緩和し得るけどこの方は違うと思う。
もう1つは、身近な方が過剰に厳しい時。これは厳しい方と少し距離を置いて、寛容な人と接して、必ずしもそんな雁字搦めに生きなくていいんだよって、自身を労ってあげてもいいと思うっていうのも、ふと思った(留学などを考えると、それはご両親などではないのかもしれないなと、一部訂正。)。
目標にどれだけ近づけるかを阻害する要因は、家族や同僚などを始めとする「ドリームキラー」の存在が大きいと思う。
特に理由がなくとも、意識してか知らずかはわからないが、自分が何もしないので他者にも突出してほしくないとの思いがあるのかもしれない。
大好きな音楽を海外でプロとして続ける。好き嫌いの激しい私が、大好きな音楽のために嫌いな?興味を持てないIT技術習得に時間を費やす。私も’’一歩百尺渡って尚一歩’’。
もうはまだなり、まだはもうなり😎
仏道を学ぶ事は利他の心、自分中心でなく他人中心、人を救ける心、そして人を救った時には自分のように喜ぶ、そしてどんな事があろうと絶対に揺るがない不動心がなければ出来ません、だからこの僧侶の方は不動心の事を竹竿と表してるのではないでしょうか?不動心、絶対に揺るがない心、文字にするには簡単ですが実践するには厳しい修行をしなければなりません、人間という生き物はすぐに誘惑に負けてしまう、イラっとする事があれば怒りに転じてしまう、だからこの方は心を竹竿と言ってるのではないでしょうか。この方の話を聞いて少しでも仏道を学んでみようと思う人が頂いたのなら有り難いです。
和尚様だけでなく今回は相談者もコメント欄のレベルも高い。歩くべき竹竿さえ無い凡人にとっては、憧れでさえあります。
サムネが金だと見たくなる