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当時、車掌として乗務していました。碧南急行は、この区間は知立乗務区が担当だったので、営業車としては乗務することは無かったですが、三河線への送り込み回送で該当区間で何度か乗務したことがあります。この区間の上り列車は、とにかく本線系統の特急・急行の合間を縫って走るので、必死に飛ばしても後続列車に追いつかれそうになるから、運転士は地形の高低差をフル活用して限界に近い速度で運転していました。3400は、初動は遅いけど加速がいい感じに伸びてくると、割と安定して高速を維持してくれる車両だと体感しています。あと、3700ではないですが、HLの3700系列だとこの区間は更に難易度が高いと、当時ペアの運転士が教えてくれました。「どれだけノッチ駆使しても、100km/hが限界なんだよなぁ~」って、笑って言ってたけど、あの車両だと100出せること自体一瞬でして、それに近い状態だと揺れが酷くて、回送だから出来るけど営業車だと危険すぎるという感じでした。今の時代、高速で走る吊掛け車両は、日本中でもほぼ皆無になりましたが、当時の高速で走る列車の動画は貴重なものだと思います。
当時の車掌さんですか。興味深いコメントをありがとうございます。私は昭和50年代、AL車8両の急行に乗ったことがありますが、当時はそれが日常の走りであり、必死に走っているなと思ったくらいでした。1994年(平成6年)の3400系の碧南急行は名鉄100周年記念の期間限定運行でした。既にAL車は限られたものしが残っていない時代で、これはビデオで激走を記録するしかないと思うだけの動機がありました。もうパノスパが最高速度120km/hの運行をしていましたので、より厳しいダイヤでの運転が強いられていたことが、コメントから感じられます。3700系のご苦労も伝わってきます。他の方からもコメントをいただいていますが、地形、カーブを熟知し、アナログながら高度なテクニックを駆使して走っていたのですね。また貴重な体験談をご披露いただければ幸いです。
瀬戸線も、尾張瀬戸から清水へ向かって緩く降りる片勾配ですAL HLが主流だった頃は、栄町行きより尾張瀬戸行きの所要時間が僅かに長いダイヤ構成でした吊り掛け駆動の加速が如何に弱いかが伺い知れます更に1983年から1990年に掛けて東大手~矢田が高架化され、その高架区間取り付け勾配の加速は、吊り掛け駆動電車には過酷でした特に大曽根~矢田は、高架のJR中央本線の更に上を越える超高度なので、AL HLの性能には酷く堪えたでしょうね
@@光宏日比野 さん4ヶ月前にコメントをいただいていたのですね。ありがとうございます。他の方への返信には通知が来ないようですので、気付かず失礼しました。瀬戸線、大曽根のJR線オーバークロスは確かに厳しい勾配ですね。6750系は苦しい音を立てていたように記憶しています。さらに前の時代、HL車がいた頃は、なるべく急行に使用していたと言われていますね。おっしゃるように、HLは加速が鈍いので、駅間距離が短い瀬戸線では、普通列車には不向きだったと思います。
2400は赤色塗装時代に、偽パノラマカー7300と連結運用したこともありましたね。2400がまだベージュに赤帯で犬山線でもよく見かけた頃に同時期活躍した 3700「HL」も懐かしいです。 高校通学時代、ベージュ色で赤帯で小窓顔のタイプが来るとガッカリで、走るとモーターの音は結構回ってるのにドッタタドタタと遅いし冷房もない(3780にはあったけどね)乗客のわたしにも他の旧型電車より非力感を感じたものでした。まだベージュ組でも3900は「高速」でも運用していてガッシリした印象の車両で覚えています。 名鉄電車は1985年頃まではまだ旧塗装もあり、戦前の2560~3550系などの濃緑色の「木」の電車は肌色に赤帯の電車もあって、その中に2400はベージュに赤帯で犬山線でも活躍して、戦前の深緑色の810 なんかもふつうに 7000, 7500, 5000, 5200, 5500, 6000 やらといっしょに活躍して木製車内の電車もパノラマカーもみんな赤色に塗装されたのですが、まだ塗装しきってない濃緑色とベージュと名鉄赤の3色混成の旧型電車も、まるで国鉄のバラバラ気動車を思わせる風景のようで面白かったですよ。あの頃のラッシュアワー蒸し風呂通学電車がなつかしい・・😂
確か元東急3700型は弱め界磁を撤去したので遅かったです。名鉄に来て復旧したんですね。
当時車齢57年とは思えないほどの爆走っぷりですね。よほど整備が行き届いてたんだろうなぁと思う。
コメントありがとうございます。名鉄名古屋本線は高速運転の列車が高密度で走っていますので、故障の発生は大きな障害となります。おっしゃるようにしっかり整備されていたのでしょうね。それだけでなく、運転士さんが線形や車両の特性を熟知していて、絶妙なハンドルさばきでダイヤを守っていたとのことです。
名鉄3400系いもむし乗りたかった、吊り掛けの音最高すぎる。貴重な映像です。
ありがとうごさいます。多くの方に気に入っていただき、嬉しく思います。本当によくここまで飛ばしていたものです。
疫前の良きシーンですな…。
はじめてメールいたします。今は1個人で、農業修行中の身分なのでコメントは少しだけですけど,ある某鉄道車両メーカーに勤めていた頃に100周年記念で、国府から新岐阜迄貸し切り列車に乗るチャンスがありまして、その頃もうクーラー改装工事済みだったんですけど,110km/h走ってくれて凄かったですねぇ。いい思い出です。
コメント2件ありがとうございます。つい先日、それらしい画像(静止画)を見ました。私が乗った新名古屋~知立よりも長い直線が多いので、高速運転を堪能されたことと思います。7300系でも音は同じように楽しめますね。豊川線ではスピードをあまり出さなかったと思いますが。3400系引退間際の頃、110km運転の車内動画を公開されている方がおみえだったのですが、もう相当前にサイトが閉鎖になっています。
懐かしい動画ありがとうございます。自分は3400がまだ4両編成で走っていた頃の急行に何十回と乗った世代です(笑)丁度地元駅から蒲郡行の急行として3400初め、AL車が活躍をしていた頃です。動画で紹介されている区間は、正に吊り掛けの絶叫が堪能できた至極の場所です。個人的には他の方も書かれている、HLの知立急行の同区間の走りっぷりが大好きでした。何本かカセットテープに録音したのですが…(泣)急行が前後を通過していたのすら忘れていましたが、とても懐かしい気分になりました。ありがとうございました。
コメントありがとうございます。アップから年月が経ちましたが、この動画はうちの一番人気です。蒲郡急行ですか。高校生の頃、部活の試合があった安城市内の陸上競技場は西尾線沿いにあり、3400系や3900系といったALの4連固定編成はよく見掛けました。動画の碧南急行は有松に停まる代わりに前後を通過していたようです。まだ7300系が急行に使われていたと思いますので、両方停めてしまうと、当時の車掌さんのコメントのように、後続のパノスパなどから逃げ切るのは厳しかったことでしょう。
7300系の豊川線臨時高速,全車一般席特急運用懐かしいですねぇ。
名鉄は空港開業を境に様変わりしたようですね。それまでは「パノラマカー」含む50~60年代の片開きSR車が闊歩していたどころか、この「いもむし」や「丸窓電車」といった戦前の名車も動態保存のごとく運行していたなんて。一方で今は製造35年程度の6500/6800系でさえ処分してしまうハイペースさ…。5500系や路面電車が消えた2005年頃はまだチビで乗せてもらった記憶もうろ覚えでしかなく、2002年のいもむし引退時にはまだこの世にもいませんでした。高速釣りかけ車を体験できたなんてとても羨ましい限りです。またその貴重な光景を後世に残してくださって本当にありがとうございます。長文・駄文失礼しました。
コメントありがとうございます。穏やかではないアカウント名ですが、思い通りには行かないことがあったのでしょうか?その他、文面からおおよその世代がわかりました。ご見解のとおり、2005年の空港線開業のときは、大きな変化があったと思います。2000系や2200系に初めて触れたとき、タイフォンの音一つを取っても、名鉄の世代交代を感じさせました。かつては古い電車にいわゆる魔改造を施しながら長生きをさせて来た会社ですが、それも今はしなくなりました。昨今はシステムの高度化が進んで、例えば車内表示装置の配線を変更するだけでも、相当大掛かりな工事になるとのこと。それゆえ、改造をするよりも、新しい車両に取り換えたほうが得策という方針に自ずと変わって来たようです。3400系本線急行は名鉄100周年記念の企画で、この機会に爆走をビデオで残しておこうと思うに十分な動機になりました。>貴重な光景を後世に残してくださって本当にありがとうございます。そう言っていただけると素直に嬉しいです。今後も古い映像を順次公開していきたいと思います。
豊明通過時は110km/hフルスピードを出し切ったまさにこれぞ名鉄3400系名車いもむし。
撮った私も驚きました。名鉄創業100周年記念の特別運行でしたが、名車ぶりを発揮してくれたと思います。
懐かしい映像です。有松駅は改装されたし、知立駅も高架化工事中。イモムシとナマズはよく乗りました。
コメントありがとうございます。来年で撮影から30年になります。改めて見返してみると、大きく変わっているところ、意外に変化が小さいところが混在しています。高架工事中の知立は、まさに激変ですね。
加速の鈍さが最高ですね👍
コメントありがとうございます。ギア比が低く抑えられているのでしょうか。加速は鈍いが、スピードに乗ると速いですね。
音が最高ですね☆
気に入っていただいたら何よりです。
今の 知立駅が 仮駅舎になっていますので この動画は貴重な映像なので宜しく。🙇
おはようございます。名鉄3400系イモムシの急行列車、懐かしいですね。🚃💨私は、この三河線直通急行には乗れませんでしたが、各務原線の急行には乗りました。1996年の3月です。☺️
各務原線の急行は引退間際にもありましたね。しかし、通過駅がそれほど多くないので、名古屋本線のように力行→惰行→再力行という急行らしい走りはあまりなかったかも知れません。
はじめまして。 沿線に住んで居りますが懐かしいものを拝見しました。かつては本線から三河線への直通とかいろいろありましたね。自分的には、知立駅乗り換え時の階段の音が思い出されます。では。
コメントありがとうございます。知立駅地下道の階段ですね。滑り止めの金属板が浮いているのか、パタパタと独特の音がしていましたね。高架工事で何もかもか思い出になります。
昭和40年代後半は、AL車更新のパノラマカーもどきの7300系が三河線と津島、尾西線を結ぶ役割を担い、その独壇場でした。しかしオイルショック後、運行体系が見直されて、支線直通から、本線優等列車充実と支線との接続になり、三河線は本線との直通は稀になってしまい、さらに7300系はおろか、HL車唯一の冷房車の3780系が瀬戸線へ転籍してしまい、寂れた感じになりました。
@@坂田庄司-g6n さん7300系がデビューしたときは別返信にも書いたとおり、三河線でも沢山走っていました。オイルショックで見直しとなると、2年後くらいでしょうか。せっかくよい電車になったのに、HL 中心に戻ってしまったなと思ったことは覚えています。おっしゃることと符合します。3780系も意識して撮れば写真を残せたはずですが、残念ながらそこまでのこだわりがありませんでした。瀬戸線の6600系は当初冷房なしで製造されました。そのような事情もあって、3780系を転用することによって、冷房化率を上げたかったのでしょうか。私は三河線を日常的に利用することはありませんでしたが、3780系がいなくなったのは寂しいことでした。
知立駅に7300系の猿投行きが止まってましたね。
そうですね。7300系急行の車窓ビデオも撮っておけばよかったと思います。
昭和末期の鉄道誌に、HL4連の知立急行と常滑〜新一宮の準急AL4連の記事を読んだことがあります。知立急行は撮影はしましたが、乗れませんでした。既出の通り、中京や豊明の先の下り坂を使っての100㎞走行に感動とあり、夕日に輝いて入線する3730の写真が印象的でした。また常滑〜新一宮の準急は 新一宮〜新名古屋間が準急で、雑誌取材では3400に当たり 国府宮前後で100㎞走行をしたと書かれていました。この準急は88年頃登場し 数年で消えた列車だと記憶しています。HLの知立急行と同じダイヤで新名古屋を午後の58分発で、AL2連の急行新安城もありましたよね。後続の高速で抜かして新安城に着いたら、追い掛けてきて西尾線のAL2連に増結されたのを見ました。新安城急行を撮った写真ですが、昭和末期なので3800や3850ばかりでした。P車ばかりに目が行き、これら急行も乗っておけば良かったと今は思います。
ALやHLの急行、かつては当たり前でしたが、既に大昔の出来事になってしまいました。そうですね。今さらながらもっと乗っておけばよかったと思います。新安城行の急行ですか。それは記憶がありません。昭和末期というと、旧型車までみんな赤ばっかりになった名鉄に魅力を感じなくなったことや、資格試験、終わったら関東へ転勤と、名鉄と触れる機会が少なかった時代です。
初コメ失礼致します。オジサン世代には’94年って最近の事だろうと思っていたらもう30年経過しますよね。対向列車もSR車や7300系だったのは時の流れを感じます。名鉄も3ドア・ロングシート車ばかりが幅を利かす現状とは隔世の感がありますよね。
コメントありがとうございます。そうですね。もうそんなに経ったかと思わされます。このところ、名鉄の新車はロングシートばかり。JRに新たなサービス競争を仕掛けるということがなくなりましたからね。
3400系が爆走する急行…今なら大パニック必至な気がしますが、撮影者が少ないのは時代でしょうかできることなら、当時に戻ってその姿を見てみたいものです(今の機材で撮影もしてみたい)
コメントありがとうございます。撮影者が少ないのは運転日が多くて集中しなかったこと。さよなら運転のような後がない列車ではないことがその理由だと思います。最近のイベント列車も運転日が多ければ混乱が避けられると思うのですが。
吊り掛けの音がとても素晴らしい動画だと思う
ありがとうございます。撮影したときはこのように多くの皆さんに見ていただくことになるとは思いませんでした。
一回乗ってみたかった。いつ無くなるかと言われていて、それでも生きながらえていたけども結局中京圏には行けずじまいでした。
動態保存されていたのは大雑把に言えば10年くらいでした。比べるのはナンセンスかも?ですが、大井川さんのSLは今年動態保存45周年です。電車はお金、手間をなかなかかけてもらえないようです。おいでになれなかったのは残念ですが、音だけでもお楽しみいただけたならば幸いです。
関東の「赤いあんちくしょう」は京急ですが、中京では「赤い疾風」と言えば名鉄で、昔から韋駄天っぷりを遺憾なく発揮した鉄道会社でもある証拠がこの「いもむし」のスピードメーターに表れています。
コメントありがとうございます。京急があんちくしょうですか。それは初耳です。関東では抜きんでた速さの私鉄ですね。こんな狭いところをよくこんなスピードで抜けていくなぁという印象です。名鉄は昔から国鉄とのスピード競争という課題がありましたので、吊掛式の旧型車も統一仕様(旧東急車3880系を除く)で高速運転を行っていました。ラッシュ時のAL車8連の急行などものすごい迫力でした。
もし碧南まで撮ったんならカットしてない全編も見てみたいです今だと街の風景も駅舎も変わってたりするから懐かしい
ご覧いただき、ありがとうございます。このときは刈谷で下車しましたので、残りとなると重原到着から刈谷までの一駅分しかありません。未アップ分についても考えたいと思いますので、気長にお待ちいただければと思います。マイナス評価もいただいていますが、「おい、そこでカットするなよ」というお叱りと受け止めています。
折角お返事をいただいたのに長らく放置してすみませんでした。刈谷下車だったんですん。未アップ分もお待ちしてます。ありがとうございました。
知立の駅舎も懐かしいな。とにかく音が最高!
知立駅は大変貌ですね。本線での高速走行に期待して撮った映像です。多くの方にご覧いただけてよかったと思います。
この時にはまだ豊明検車区も伊勢湾岸道も無い時代……知立も当時の街並みがまだ健在だった頃。いもむしは碧南へ来ていたのか
コメントありがとうございます。そうですね。今と比べると、変化に気づくところがあります。来年には撮影から30年になります。いもむしは通常、犬山地区で運行されていたと思います。このときは名鉄創業100周年の記念として、三河線碧南直通の運用に充当されたものです。
一度だけ本線のこの区間で乗った記憶があります。上下の揺れが激しかった記憶がありますが、動画でも分かりますね。記憶の中だけの世界でしたが動画でまた見られて良かったです。
コメントありがとうございます。昔は名鉄と国鉄、JRを比べると名鉄はよく揺れるという評判でした。RUclips内の編集機能を利用して激しい揺れを緩和する処理を行っていますので、画質が低下していますが、処理なしでは酔ってしまいそうです(笑)
いもむしも懐かしいですが、ここのコメント見ていて「高速」という種別も懐かしいなと思ってしまいました。
全く同じとは言えませんが、現行の全車一般車特急や快速急行がそれに相当するでしょうか。「高速」ができたときを知る世代ですが、いいなと思いました。
@@hekkairail 自分も子供のころは特急といえば全車特別車が当たり前で、それ以外は急行か高速か快速だったので、東京に行った時に全車ロングシートの特急を見た時に衝撃を受けましたw「全然特別感ないやん!!!」みたいな。そんな関東の私鉄が今は指定席特急が増えているのを見ると、名鉄はその点だけは30年先を行ってますwww
@@yama-d1546 さん関東の私鉄よりも時代を先取りですか。面白い発想ですね。私の年になると、特急は全車指定では全然なくて、850系「なまず」吊掛ロングシート、6000系1次車、瀬戸線へ行くと緑色のモ700形の特急もありました。1977年のダイヤ改正以前は急行がレア種別で、支線だろうが旧形車だろうが特急を乱発していたんです。
@@hekkairail それは存じませんでした。自分の子供の頃のイメージですと、特急=パノラマカーか7000系の白ライン。高速や急行がラインなしのパノラマカーか旧5500系が多かったと思います。
@@yama-d1546 さんだいたいいつ頃か想像できますよ。白帯のパノラマカーはパノラマメイツという客室乗務員が乗っていましたね。当時は種別サボには関心がなくて、差し込み式の「高速」をまともに撮っていないのが悔やまれます。ツイッターはご覧になりますか?先ほど書いた「なまず」の特急をあと1時間以内にアップします。アカウント名は「碧電総合運転区」です。
カメラが揺れる豊明駅、懐かしい。小牧線でやってた後ろに単行の810が付くと加速が素晴らしく良くなる。
豊明を通過するところはスピードメーターから前方にパーンしようとしてよろけてしまいました。かっ飛ばしていますのでかなりの揺れでした。お見苦しくて申し訳ありませんが、迫力がありますのでカットしませんでした。810を付けると1M1Tが2M1Tになりますからね。善師野の発車を撮りましたが、大事なところで音飛びを起こしていて使えません。
子供時代によく乗りました。イモムシ電車大好きでした🐛
そうですか。よい思い出になっていることと思います。
ウィーンという加速音🎶がなんともいえない……
いもむし懐かしいですね。この当時小学生でしたが運転日を勘違いしていて乗れなかった苦い思い出が(汗)1800系がやってきてがっかりしました。その後引退前の有料団体貸切り列車には乗れたので本線での高速走行は体験できました。こちらの動画はズームされているので加速感が分かりづらいのかなと思いました。いもむしの加速はかなりよかったと思いますよ。団体乗車時に新安城の場内信号が停止でしばらく停められてしまい運転士さんが警笛を鳴らすとすぐに青に変わりそこからのダッシュは凄まじかったです。←後ろから特急が追いかけてくるダイヤで余裕もないはずなのに何故か停止させられました。
コメントありがとうございます。引退前の貸し切り列車ですか。名古屋本線の東部は飛ばせるところが多いので、高速運転を堪能されたことと思います。新安城でなぜ停まってしまった(場内信号がなぜ停止だったのか)のかはわかりませんが。当時、団臨の車内から撮った動画を見せていただいたことがあります。やはり110km/hくらい出ていたと思います。
初めていもむしに乗ったのが昭和50年頃だったと思う。何この丸い電車?と思った記憶が。この時は赤一色の塗装じゃなかったような?その後何度も見かけたり、就職後は通勤で乗った事も。最後に乗ったのがデザイン博直前の末期の金山橋駅で、夜なのに塗装したてでピカピカのいもむしがホームに滑り込んで来た。ただ、中間車が無くなって2両編成になっていて、他形式と連結されていた。中も徹底的に磨き上げられすごくきれいで真鍮の網棚もピカピカで、初めての乗った時からずっと中は薄汚れて古ぼけてたのしか見た事なかったので驚いた。(正直珍しい車両だとは思うけど、中が汚い感じがしてあまり乗りたくなかった)でも、見たのも乗ったのもそれが最後で、その後冷房化されていたのも廃車後に知った。
コメントありがとうございます。昭和50年ですと、この年から旧型車を含めて全ての電車が赤1色への塗り替えが行われました。お乗りになったのは黄色味が強いクリーム色に赤帯、スカートはグレーの塗装だったものと思います。その後、スカートを含めて赤1色になりました。製造当日の色への復元は1993年だったでしょうか。冷房化は翌1994年の名鉄100周年記念事業によるものでした。網棚の枠が磨き出されていたのは私も記憶があります。
@@hekkairail その頃にクリーム色に赤帯2両+緑色2両の準急とか見かけた記憶があります。かなり後ですが、木製ドアでガラスに自動扉の文字が書かれた車両も乗った事があります。何系までは分かりませんが。
クリーム+赤やダークグリーン塗装があったことを知る世代としては、古い電車まで全部赤はやめてほしいと思いました。800系や850系「なまず」はやはり緑色が似合っています。木製扉の車両もありましたね。何号車かは私もわかりません。
@@hekkairail 「なまず」はビーチランドの保存車しか見た事ないです。ネットで調べたら残った「なまず」がまだ走ってる頃に通勤で名鉄使ってたのですが、見る事も乗る事もありませんでした。デザイン博を期に名古屋本線冷房化100%で非冷房旧型車は本線から姿を消しましたが、新名古屋(当時)に滑り込んで来た5両の最後尾に800系が1両いました。中に車掌がいましたが、ドアを開けず客扱いしないで空車でした。7300+800の組み合わせで、駅の案内でも4両だったのでその1両は回送だったのでしょう。800系を見たのもその時ぐらいしかなく、旧型車と言えば3X00と2X00の組み合わせしか見た事がないです。
@@ATM09WR さんきっと吊掛車の晩年だったのでしょうね。平成に入った頃にはかなり数を減らしていて、本線では7300系以外の系列を日中に見る機会は減っていたと思います。ただし、私はその頃東京へ転勤になったため、名鉄自体に接する機会が少なくなりました。
小学生の頃に新安城行きで乗った記憶がある。種別はどっちだったかな。高速か急行どっちか。
コメントありがとうございます。「高速」は走っていた期間が限られますね。吊り掛け式の「高速」は本線系では覚えていません。急行ならば新安城どまりのものがあったかも知れません。電車の塗装が何色だったかはご記憶ですか?
hekkairail 色は赤でしたよ。高校生の時は緑のイモムシが三河線の山側走ってました。
そうでしたか。犬山線~知多半島には旧型車の高速が結構あったのですが、写真を撮っていないのが残念です。種別表示にはそれほど頓着していなかったようです。三河山線にも緑のいもむしが入った時期がありますね。
急行がまだ前後通過だったり豊明検車区がまだ無かったり貴重な映像だなぁ(´・ω・`)
コメントありがとうございます。この列車は有松停車、前後通過でしたので、中京競馬場前→前後の緩い下り坂でさらに加速し、110km /hに達したのだと思います。
昭和12年生まれの電車が最速110キロ。日本の電車頑丈。
コメントありがとうございます。そうですね。古い電車は頑丈に作られ、整備も手厚かったので長持ちしました。後年台車が7300系の廃車発生品に取り替えられましたが、1994年当時は古い台車のままでした。
@@hekkairail 確か取り替えられたのはこの3年後だったはず、97年に7300が引退してるのでにしてもD-16にしては乗り心地が良いですね。多分一度D-18へと換装されたのかな?
コメントありがとうございます。台車単体の性能よりも、支える重量、線路の状態などが乗り心地に影響しますね。重量級の貨物列車がたくさん通る国鉄、JR東海道線と比べると、名鉄は線路の状態がよいとは言えず、昔から「飛ばすとよく揺れる」という評判でした。今は台車交換はお金のかかる「大工事」という認識で敬遠されますが、昔は台車交換がしばしば行われました。D-18に変わったどうかわかりませんが、一時期、舞木検査場の試運転線の奥の方に置かれていたのが外された旧台車かな?と思います。
その昔どころか大昔の昭和30年代~40年初め頃の話、三河線碧南、豊田市発の本線への直通列車(知立駅が現在の位置で開業。海線と山線の分割併合が日常的になった頃の)でHL車の2両が併合して、本線をスピードが出ないが「特急(今の全車一般席)」で走り、犬山線へ。当時は岩倉も通過。犬山から広見線へ。終着は御嵩、八百津という国鉄のローカル列車真っ青の列車もあったとか。
コメントありがとうございます。小学校低学年くらいだっと思いますが、HLの三河線~本線直通の特急に乗ったことがあります。知立駅4番線から本線へ出るとき、つり革が網棚に当たってカランコロンと音を立てていたように記憶していますが、別の日かも知れません。特急だから格好良い電車(幼少の頃なので形式はわからなかったのですが、5500系、7700系あたり)が来ると思ったら、いつもの電車(HL)でがっかりしました。特急「御嵩」や「八百津」は本で写真を見たことはあります。岩倉は通過でしたか。当時は大きな駅の扱いではなかったのですね。名鉄がやたらめったら特急を走らせていた時代。懐かしいです。
@@hekkairail 自分も知立駅で碧南、豊田市発着の2両編成同士の分割併合シーンはよく見ました。主さんが言われるのは多分、昭和47年頃の情景ではないでしょうか。5500、7700系のSR車も稀に入りますが、メインはAL車更新のパノラマカーもどきの7300系でした。豊田市行は間合いで挙母線にも入線。名古屋方面へは、森上、津島経由一宮行(碧南発)、佐屋、弥富行(豊田市発)という何とも忙しい感じの直通列車でした。先の御嵩、八百津行のHL車特急はその5年以上前ではないでしょうか。ちなみに岩倉は特急通過。古知野(現、江南)は停車だったとの事。
@@坂田庄司-g6n さん返信いただいて気づきましたが、7700系ができたのは昭和48年でしたね。「がっかりした」のは明らかにそれより前ですから、昭和45年以前と思われます。と、いうのは、昭和46年登場の7300系はできて間もない頃、結構な頻度で三河線に入って来ました。運転士さんも珍しいのか誇らしいのか、ミュージックホーンを鳴らしまくっていました。祖父の家は線路が近く、正月の集まりで来ていた従兄弟と見に行ったのを覚えています。それよりも前のことなんです。過去に三河線で5500系らしき車に当たったことがあって、それを期待したのでしょう。音、乗り心地が全然違うので、小学生にも印象に残りました。御嵩特急は本で見ただけですから、時代は整合しません。
速度は比べものにならないですが、地元の広電宮島線でラッシュ時に時々走っている3100型の走行音を思い出します。音は少し違いますけど
コメントありがとうございます。今まで気づかずにすみません。吊り掛け式電車はすっかり減ってしまいましたが、路面電車ではまだ比較的たくさん残っていますね。時々とはいえ、吊り掛け音を聞くことができるのは、愛知県在住の私には羨ましいことです。
すげーーー!
この動画見ると、電車でGO名鉄編の3400系の加速音の再現度がかなり高いのが分かるな……
そうですか。聞いたことはないのでわかりませんが、よくできているのですね。鉄道趣味の皆さんはなかなか厳しいですから、制作者には半端なものを出してもダメだという意識があったのかも知れないですね。
太平洋戦争当時は,主電動機は3400系専用機種で,120km/h出せたとか。名鉄のやる標準化は,3400系を「唯一無二の名車」から格下車輌に引き下げ,解体に追い込んだようなもんだわな。阪急デイ100は,その意味でも考えると,とても幸せな存在だ。
コメントありがとうございます。そうだったのですね。かつては国鉄並走区間で特急「つばめ」と競争したとは、語り草になっていると聞きます。標準化によって性能が下がってしまったとは残念なことですね。阪急デイ100は正雀の一般公開で走行シーンを見たことがあります。もう20年くらい前のことです。最初のうちは停止位置を超えてしまい、プロの運転士さんでもブレーキの感覚をつかむのが難しいのだなと感じました。自走可能な状態でよく残されていると思います。
今は、吊り掛け駆動音は、電車でGO!名古屋鉄道編のイモムシで味わってます。
そんなのがあるのですね。動画でもかなりリアルなCGが公開されていて、いろいろ楽しめますね。
昔はこれが普通だったのですよね(吊り掛けで特急や急行運用)、モーター音聞いてたら壊れるんじゃないか?って位フルパワー😲
コメントありがとうございます。そうですね。吊掛の特急もかつては日常でした。これまでにたくさんのコメントをいただきました。当時、車掌さんだったという方のものもあります。1994年は特急が120km/hになっていて、より高速性が求められたそうです。運転士さんは線形を熟知していて、巧みなハンドルさばきで運転していたことのことです。
吊り掛けでここまで伸びるとは!知ってる限りで最速の吊り掛けだわΣ(´゚ロ゚` )いもむしSUGEEEEEE(゚Д゚)EEEEEEEEE!!
コメントありがとうございます。お楽しみいただけたようで何よりです。名鉄ではこれが日常だったんですよね。
そうですね。😊僕も゙ たまにしか乗れないので宜しく。[高校時代]ただし、知立から4番ホーム名古屋方面から来るので、それから、普通に変わるので宜しく。ちなみに、Bトレインショーティも゙ 持っていますので宜しく😊✌️
旧型国電が国鉄の主要本線を闊歩していた頃はこんな感じだったんでしょうね。
はい。私の地元の東海道線には1978年まで80系電車がありました。さらに過去には80系の快速もありました。そちらは最高速度90~95キロだったので、動画の名鉄3400系のほうが速いです。
釣りかけで110km/h出せるとは!
私も撮影したときは驚きました。100km/hを超えて、まだ伸びるのかと。
昭和の名鉄車両は、全て個性的でした。今は、車両も良くなり冷暖房も快適。揺れも少ない。だけど車両の魅力は…💦。
コメントありがとうございます。そうですね。昭和~平成初期は国鉄、JRとのよい意味での競争があって、魅力的な電車がたくさんありました。それが地元の人たちの自慢でもありました。競争は住み分けになり、近年はステンレスのロングシート車に取って変わられようとしています。反論はあると思いますが、魅力という意味では寂しくなりましたね。
@@hekkairail はじめまして❗️私は、子供の頃は、大津町ー瀬戸の昔の特急を、バカみたいに乗ってました。もちろん手動ドアの準急も(笑)😄。また小牧線とか、この映像は懐かしく嬉しく涙が出てきました。ありがとうございました。(T△T)。小学生。中学生時代は、勉強もせず名鉄ばかり乗り、母親によく怒られてました。(笑)😄💦
@@なすカボチャ-t5j さん、初めまして。大津町ということは昭和51年以前の外堀線があった頃ですね。勉強もせずに電車に傾倒して親に叱られた。多くの方が似たような経験をされていることと思います。瀬戸線のガントレットは中統テストがあるからという理由で撮り逃し。600V末期も高校受験でまともな写真がありません。頻繁に乗られたのは羨ましいくらいです。気に入っていただき、公開した甲斐がありました。
豊明駅、豊橋方に渡り線がないですね
それは気づきませんでした。今は非営業の回送、工事列車や試運転列車が上り方面に出て行きますから、必要なのでしょうね。
揺れ最高❗️芋の形をしたイモ電
揺れるので撮影はたいへんでした。
これが現在でも味わえるとなると香港とかだな
知らないのですが、香港には高速で走る釣り掛け式がまだあるのでしょうか。
知立を過ぎたところにあるテニスコートが、かつての三河線の本線の跡地です。踏切の手前に、面影が残っていますね。
こんにちは。三河線の海線と山線を直接結んでいた線路のことでしょうか。電車は全て知立駅経由ですが、貨物は連絡線経由だった時期があるようですね。
@@hekkairail さん…本線と三河線が直通できる今の知立駅ができる前の、本来の三河線のルートでしたね。その旧ルートも、しばらくは貨物線として残っていたようです。また、近年まで貨物用に残っていた連絡線も、まだ両線が直通していない頃に、年始の 三河線内ー豊川稲荷 間の臨時便が走ったそうです。
そうですか。三河知立から牛田の手前の信号場へ延びていた連絡線のことですね。旅客列車の運転実績があるとは知りませんでした。
これが、デハ・サハ・デハの3連だったら、もっと加速性能が良くてパワフルな高速運転となっていただろうに…。まあ、7300系でも同じことが言えそうなものが…。
コメントありがとうございます。この列車が運転された1994年当時、両運転台のモ800形が残っていました。Mc+Tc+Mcという編成は可能ではありました。確かに加速がよくなって少しでも余裕のある走りができたかも知れないですね。
3880系が現役の頃は、確かに2M1Tで加速力に優れた編成でSR並みに加速したそうですね。ただ、歯車比が名鉄AL車標準の3.21より加速寄りの3.44で、東急3700系時代に弱界磁回路が撤去されていた関係もあり高速運転は難しかったそうですが。それでも当時、一部の「特急」「高速」「急行」等の運用に入ったことがあったそうで、運転士の方は結構大変だったようですね。また、AL車が多く現役だった80年代末頃までは、AL車3連を本線系でもちょこちょこ見かけましたね。流石に優等列車はかなり少なく、多くが普通運用に使われていましたが。800系の晩年(といっても純粋な800系はモ811(旧名岐鉄道デボ802)のみで、モ812は初代3500系モ3502からの編入)は、各務原線や広見線で、2連の7300系と組んで3連運転してましたが、内装がロングシートだったりエアコンがなかったりするなど完全な「格差列車」と化してましたね。2代目3300系は軽量車体と2M1T編成で弱界磁制御があったようですが、元々支線の輸送力増強のために製造されたものですから、本線系の優等列車にはほとんど使われずに小牧線を中心に細々と使われていたのがちょっともったいなかったかなと。因みに、名鉄は(旧大東急系の)デハ、クハ、サハではなく近鉄等と同じ電動車・制御電動車がモ、制御車がク、付随車がサですね。
「返信」への返信は通知が来ないようになっていますので、今頃になって拝読しました。遅くなりまして失礼しました。3880系は急激な旅客増加に対応するために、緊急避難的に導入したわけですが、その後登場した名鉄の新型車にも影響を与えたと言われていますね。公称と言われる最高速度を上回る速度での運転は日常的に行われていたようですが、確かに高速走行向きの車両ではなかったですね。
@@hekkairail ありがとうございます。3ドア車の有用性を上層部に認識させるとともに、導入した6000系の側ドアの窓のサイズに影響が見られました。まあ、それも3次車まででしたが。また、3880系の廃車後はその台車を3780系に再利用したことで、様々な台車が使われていた3700系、3730系の台車の統一にいかされたり、扇風機が再利用されたりしていて、そういった意味でも影響はあったようですね。
@@masa-nu9qb さん早速返信をいただき、ありがとうございます。3880系が与えた影響は、まったくおっしゃるとおりだと感じました。台車について少し調べてみました。KS33というそうです。名鉄では、この台車は乗り心地がよいとして、好評であったと伝え聞きます。さらに、HL車の古すぎる台車を取り換えたいという事情もあったのでしょうね。名鉄で廃棄されたのではなく、一部は大井川鉄道に譲渡されて、西武の電車改造客車が履いて現存しているようです。(それが通説)白井さんを始めとして、名鉄さんと人的なつながりがあった時代。どちらからのオファーかは不明ながらも、「よい台車」という評価が再利用に結び付いたものと思われます。名鉄のような大手私鉄がオンボロを買ったと揶揄されましたが、3880系の導入は結果的に意義深いものではなかったかと思います。
3400かぁ。懐かしい。この目いっぱい感モーターから火でも吹くんじゃないかってのがいいですね。
コメントありがとうございます。最近、当時の車掌さんという方からコメントをいただきました。パノラマスーパーなど速い列車が追い掛けて来るので、運転士さんは地形を熟知してギリギリのスピードで運転されていたそうです。
1994年吉浜駅近くに住んでいました。知立駅懐かしい。
こんにちは。知立駅は高架工事で大きく変わってしまいますね。本線からの直通列車も既になく、急行の札を裏返して無地の普通札にしてすぐ発車というシーンもなくなりました。
もうすぐ前後(←私の最寄駅)が見れる!と思って見ていたら・・・編集されていました(T-T)
せっかく見ていただいたのにごめんなさい。原画も確認したのですが、このあたりはスピードに乗っていて、速度計のほうへ頻繁にカメラを向けていました。駅通過は写ってはいるのですが、ブレがひどくてカットしてしまいました。
いえ、とんでもございません。見慣れた景色に吊り掛けモーターの音、改装前の一ツ木駅まで見れてとても懐かしい気持ちになりました。動画アップありがとうございました。
アップ時点で23年前の映像ですが、当時既に電柱の更新がかなり進んでいるせいか、そんなに年月が経ったようには思えません。お楽しみいただけたようで何よりです。また懐かし系の映像もアップしたいと思います。
850系なまずの常滑高速に乗ったことがある。110km/h位出すと乗り心地が極悪で、色々とうるさかったのを覚えている
こんにちは。常滑~犬山線にはAL車の高速がありましたね。乗り心地がよくないのは、線路の状態もあったのでしょうか。なまずは852F(後の851F)の普通ならば乗ったことがあります。速度計が付いていなかったと思います。
いもむし様駿馬ですねぇ!
こんにちは。これより前の時代の名鉄では吊掛式の特急、急行が当たり前のように走っていました。
hekkairail やっぱりですねぇ〜、同世代のなまず様(故850形)も吊りかけですしな
赤イモちゃんかな❓青イモちゃんかな❓
青イモですよ。電車が写っていなくてごめんなさい。
当時、車掌として乗務していました。
碧南急行は、この区間は知立乗務区が担当だったので、営業車としては乗務することは無かったですが、三河線への送り込み回送で該当区間で何度か乗務したことがあります。
この区間の上り列車は、とにかく本線系統の特急・急行の合間を縫って走るので、必死に飛ばしても後続列車に追いつかれそうになるから、運転士は地形の高低差をフル活用して限界に近い速度で運転していました。
3400は、初動は遅いけど加速がいい感じに伸びてくると、割と安定して高速を維持してくれる車両だと体感しています。
あと、3700ではないですが、HLの3700系列だとこの区間は更に難易度が高いと、当時ペアの運転士が教えてくれました。
「どれだけノッチ駆使しても、100km/hが限界なんだよなぁ~」って、笑って言ってたけど、あの車両だと100出せること自体一瞬でして、それに近い状態だと揺れが酷くて、回送だから出来るけど営業車だと危険すぎるという感じでした。
今の時代、高速で走る吊掛け車両は、日本中でもほぼ皆無になりましたが、当時の高速で走る列車の動画は貴重なものだと思います。
当時の車掌さんですか。興味深いコメントをありがとうございます。
私は昭和50年代、AL車8両の急行に乗ったことがありますが、当時はそれが日常の走りであり、必死に走っているなと思ったくらいでした。1994年(平成6年)の3400系の碧南急行は名鉄100周年記念の期間限定運行でした。既にAL車は限られたものしが残っていない時代で、これはビデオで激走を記録するしかないと思うだけの動機がありました。
もうパノスパが最高速度120km/hの運行をしていましたので、より厳しいダイヤでの運転が強いられていたことが、コメントから感じられます。3700系のご苦労も伝わってきます。他の方からもコメントをいただいていますが、地形、カーブを熟知し、アナログながら高度なテクニックを駆使して走っていたのですね。
また貴重な体験談をご披露いただければ幸いです。
瀬戸線も、尾張瀬戸から清水へ向かって緩く降りる片勾配です
AL HLが主流だった頃は、栄町行きより尾張瀬戸行きの所要時間が僅かに長いダイヤ構成でした
吊り掛け駆動の加速が如何に弱いかが伺い知れます
更に1983年から1990年に掛けて東大手~矢田が高架化され、その高架区間取り付け勾配の加速は、吊り掛け駆動電車には過酷でした
特に大曽根~矢田は、高架のJR中央本線の更に上を越える超高度なので、AL HLの性能には酷く堪えたでしょうね
@@光宏日比野 さん
4ヶ月前にコメントをいただいていたのですね。ありがとうございます。他の方への返信には通知が来ないようですので、気付かず失礼しました。
瀬戸線、大曽根のJR線オーバークロスは確かに厳しい勾配ですね。6750系は苦しい音を立てていたように記憶しています。
さらに前の時代、HL車がいた頃は、なるべく急行に使用していたと言われていますね。おっしゃるように、HLは加速が鈍いので、駅間距離が短い瀬戸線では、普通列車には不向きだったと思います。
2400は赤色塗装時代に、偽パノラマカー7300と連結運用したこともありましたね。
2400がまだベージュに赤帯で犬山線でもよく見かけた頃に同時期活躍した 3700「HL」も懐かしいです。
高校通学時代、ベージュ色で赤帯で小窓顔のタイプが来るとガッカリで、走るとモーターの音は結構回ってるのにドッタタドタタと遅いし冷房もない(3780にはあったけどね)乗客のわたしにも他の旧型電車より非力感を感じたものでした。
まだベージュ組でも3900は「高速」でも運用していてガッシリした印象の車両で覚えています。
名鉄電車は1985年頃まではまだ旧塗装もあり、戦前の2560~3550系などの濃緑色の「木」の電車は肌色に赤帯の電車もあって、その中に2400はベージュに赤帯で犬山線でも活躍して、戦前の深緑色の810 なんかもふつうに 7000, 7500, 5000, 5200, 5500, 6000 やらといっしょに活躍して木製車内の電車もパノラマカーもみんな赤色に塗装されたのですが、まだ塗装しきってない濃緑色とベージュと名鉄赤の3色混成の旧型電車も、まるで国鉄のバラバラ気動車を思わせる風景のようで面白かったですよ。
あの頃のラッシュアワー蒸し風呂通学電車がなつかしい・・😂
確か元東急3700型は弱め界磁を撤去したので遅かったです。名鉄に来て復旧したんですね。
当時車齢57年とは思えないほどの爆走っぷりですね。
よほど整備が行き届いてたんだろうなぁと思う。
コメントありがとうございます。名鉄名古屋本線は高速運転の列車が高密度で走っていますので、故障の発生は大きな障害となります。おっしゃるようにしっかり整備されていたのでしょうね。
それだけでなく、運転士さんが線形や車両の特性を熟知していて、絶妙なハンドルさばきでダイヤを守っていたとのことです。
名鉄3400系いもむし乗りたかった、吊り掛けの音最高すぎる。貴重な映像です。
ありがとうごさいます。多くの方に気に入っていただき、嬉しく思います。本当によくここまで飛ばしていたものです。
疫前の良きシーンですな…。
はじめてメールいたします。今は1個人で、農業修行中の身分なのでコメントは少しだけですけど,ある某鉄道車両メーカーに勤めていた頃に100周年記念で、国府から新岐阜迄貸し切り列車に乗るチャンスがありまして、その頃もうクーラー改装工事済みだったんですけど,110km/h走ってくれて凄かったですねぇ。いい思い出です。
コメント2件ありがとうございます。
つい先日、それらしい画像(静止画)を見ました。私が乗った新名古屋~知立よりも長い直線が多いので、高速運転を堪能されたことと思います。
7300系でも音は同じように楽しめますね。豊川線ではスピードをあまり出さなかったと思いますが。
3400系引退間際の頃、110km運転の車内動画を公開されている方がおみえだったのですが、もう相当前にサイトが閉鎖になっています。
懐かしい動画ありがとうございます。
自分は3400がまだ4両編成で走っていた頃の急行に何十回と乗った世代です(笑)丁度地元駅から蒲郡行の急行として3400初め、AL車が活躍をしていた頃です。動画で紹介されている区間は、正に吊り掛けの絶叫が堪能できた至極の場所です。
個人的には他の方も書かれている、HLの知立急行の同区間の走りっぷりが大好きでした。
何本かカセットテープに録音したのですが…(泣)
急行が前後を通過していたのすら忘れていましたが、とても懐かしい気分になりました。ありがとうございました。
コメントありがとうございます。アップから年月が経ちましたが、この動画はうちの一番人気です。
蒲郡急行ですか。高校生の頃、部活の試合があった安城市内の陸上競技場は西尾線沿いにあり、3400系や3900系といったALの4連固定編成はよく見掛けました。
動画の碧南急行は有松に停まる代わりに前後を通過していたようです。まだ7300系が急行に使われていたと思いますので、両方停めてしまうと、当時の車掌さんのコメントのように、後続のパノスパなどから逃げ切るのは厳しかったことでしょう。
7300系の豊川線臨時高速,全車一般席特急運用懐かしいですねぇ。
名鉄は空港開業を境に様変わりしたようですね。それまでは「パノラマカー」含む50~60年代の片開きSR車が闊歩していたどころか、この「いもむし」や「丸窓電車」といった戦前の名車も動態保存のごとく運行していたなんて。一方で今は製造35年程度の6500/6800系でさえ処分してしまうハイペースさ…。
5500系や路面電車が消えた2005年頃はまだチビで乗せてもらった記憶もうろ覚えでしかなく、2002年のいもむし引退時にはまだこの世にもいませんでした。高速釣りかけ車を体験できたなんてとても羨ましい限りです。またその貴重な光景を後世に残してくださって本当にありがとうございます。
長文・駄文失礼しました。
コメントありがとうございます。穏やかではないアカウント名ですが、思い通りには行かないことがあったのでしょうか?その他、文面からおおよその世代がわかりました。
ご見解のとおり、2005年の空港線開業のときは、大きな変化があったと思います。2000系や2200系に初めて触れたとき、タイフォンの音一つを取っても、名鉄の世代交代を感じさせました。
かつては古い電車にいわゆる魔改造を施しながら長生きをさせて来た会社ですが、それも今はしなくなりました。昨今はシステムの高度化が進んで、例えば車内表示装置の配線を変更するだけでも、相当大掛かりな工事になるとのこと。それゆえ、改造をするよりも、新しい車両に取り換えたほうが得策という方針に自ずと変わって来たようです。
3400系本線急行は名鉄100周年記念の企画で、この機会に爆走をビデオで残しておこうと思うに十分な動機になりました。
>貴重な光景を後世に残してくださって本当にありがとうございます。
そう言っていただけると素直に嬉しいです。今後も古い映像を順次公開していきたいと思います。
豊明通過時は110km/hフルスピードを出し切ったまさにこれぞ名鉄3400系名車いもむし。
撮った私も驚きました。名鉄創業100周年記念の特別運行でしたが、名車ぶりを発揮してくれたと思います。
懐かしい映像です。有松駅は改装されたし、知立駅も高架化工事中。
イモムシとナマズはよく乗りました。
コメントありがとうございます。来年で撮影から30年になります。改めて見返してみると、大きく変わっているところ、意外に変化が小さいところが混在しています。高架工事中の知立は、まさに激変ですね。
加速の鈍さが最高ですね👍
コメントありがとうございます。ギア比が低く抑えられているのでしょうか。加速は鈍いが、スピードに乗ると速いですね。
音が最高ですね☆
気に入っていただいたら何よりです。
今の 知立駅が 仮駅舎になっていますので この動画は貴重な映像なので宜しく。🙇
おはようございます。
名鉄3400系イモムシの急行列車、
懐かしいですね。🚃💨
私は、この三河線直通急行には乗れませんでしたが、各務原線の急行には乗りました。
1996年の3月です。☺️
各務原線の急行は引退間際にもありましたね。しかし、通過駅がそれほど多くないので、名古屋本線のように力行→惰行→再力行という急行らしい走りはあまりなかったかも知れません。
はじめまして。
沿線に住んで居りますが懐かしいものを拝見しました。
かつては本線から三河線への直通とかいろいろありましたね。
自分的には、知立駅乗り換え時の階段の音が思い出されます。
では。
コメントありがとうございます。知立駅地下道の階段ですね。滑り止めの金属板が浮いているのか、パタパタと独特の音がしていましたね。
高架工事で何もかもか思い出になります。
昭和40年代後半は、AL車更新のパノラマカーもどきの7300系が三河線と津島、尾西線を結ぶ役割を担い、その独壇場でした。しかしオイルショック後、運行体系が見直されて、支線直通から、本線優等列車充実と支線との接続になり、三河線は本線との直通は稀になってしまい、さらに7300系はおろか、HL車唯一の冷房車の3780系が瀬戸線へ転籍してしまい、寂れた感じになりました。
@@坂田庄司-g6n さん
7300系がデビューしたときは別返信にも書いたとおり、三河線でも沢山走っていました。オイルショックで見直しとなると、2年後くらいでしょうか。
せっかくよい電車になったのに、HL 中心に戻ってしまったなと思ったことは覚えています。おっしゃることと符合します。
3780系も意識して撮れば写真を残せたはずですが、残念ながらそこまでのこだわりがありませんでした。
瀬戸線の6600系は当初冷房なしで製造されました。そのような事情もあって、3780系を転用することによって、冷房化率を上げたかったのでしょうか。私は三河線を日常的に利用することはありませんでしたが、3780系がいなくなったのは寂しいことでした。
知立駅に7300系の猿投行きが止まってましたね。
そうですね。7300系急行の車窓ビデオも撮っておけばよかったと思います。
昭和末期の鉄道誌に、HL4連の知立急行と常滑〜新一宮の準急AL4連の記事を読んだことがあります。知立急行は撮影はしましたが、乗れませんでした。既出の通り、中京や豊明の先の下り坂を使っての100㎞走行に感動とあり、夕日に輝いて入線する3730の写真が印象的でした。
また常滑〜新一宮の準急は 新一宮〜新名古屋間が準急で、雑誌取材では3400に当たり 国府宮前後で100㎞走行をしたと書かれていました。この準急は88年頃登場し 数年で消えた列車だと記憶しています。
HLの知立急行と同じダイヤで新名古屋を午後の58分発で、AL2連の急行新安城もありましたよね。後続の高速で抜かして新安城に着いたら、追い掛けてきて西尾線のAL2連に増結されたのを見ました。新安城急行を撮った写真ですが、昭和末期なので3800や3850ばかりでした。P車ばかりに目が行き、これら急行も乗っておけば良かったと今は思います。
ALやHLの急行、かつては当たり前でしたが、既に大昔の出来事になってしまいました。そうですね。今さらながらもっと乗っておけばよかったと思います。
新安城行の急行ですか。それは記憶がありません。昭和末期というと、旧型車までみんな赤ばっかりになった名鉄に魅力を感じなくなったことや、資格試験、終わったら関東へ転勤と、名鉄と触れる機会が少なかった時代です。
初コメ失礼致します。オジサン世代には’94年って最近の事だろうと思っていたらもう30年経過しますよね。対向列車もSR車や7300系だったのは時の流れを感じます。名鉄も3ドア・ロングシート車ばかりが幅を利かす現状とは隔世の感がありますよね。
コメントありがとうございます。そうですね。もうそんなに経ったかと思わされます。
このところ、名鉄の新車はロングシートばかり。JRに新たなサービス競争を仕掛けるということがなくなりましたからね。
3400系が爆走する急行…今なら大パニック必至な気がしますが、撮影者が少ないのは時代でしょうか
できることなら、当時に戻ってその姿を見てみたいものです(今の機材で撮影もしてみたい)
コメントありがとうございます。撮影者が少ないのは運転日が多くて集中しなかったこと。さよなら運転のような後がない列車ではないことがその理由だと思います。最近のイベント列車も運転日が多ければ混乱が避けられると思うのですが。
吊り掛けの音がとても素晴らしい動画だと思う
ありがとうございます。撮影したときはこのように多くの皆さんに見ていただくことになるとは思いませんでした。
一回乗ってみたかった。いつ無くなるかと言われていて、それでも生きながらえていたけども結局中京圏には行けずじまいでした。
動態保存されていたのは大雑把に言えば10年くらいでした。比べるのはナンセンスかも?ですが、大井川さんのSLは今年動態保存45周年です。電車はお金、手間をなかなかかけてもらえないようです。
おいでになれなかったのは残念ですが、音だけでもお楽しみいただけたならば幸いです。
関東の「赤いあんちくしょう」は京急ですが、中京では「赤い疾風」と言えば名鉄で、昔から韋駄天っぷりを遺憾なく発揮した鉄道会社でもある証拠がこの「いもむし」のスピードメーターに表れています。
コメントありがとうございます。京急があんちくしょうですか。それは初耳です。関東では抜きんでた速さの私鉄ですね。こんな狭いところをよくこんなスピードで抜けていくなぁという印象です。
名鉄は昔から国鉄とのスピード競争という課題がありましたので、吊掛式の旧型車も統一仕様(旧東急車3880系を除く)で高速運転を行っていました。ラッシュ時のAL車8連の急行などものすごい迫力でした。
もし碧南まで撮ったんならカットしてない全編も見てみたいです
今だと街の風景も駅舎も変わってたりするから懐かしい
ご覧いただき、ありがとうございます。
このときは刈谷で下車しましたので、残りとなると重原到着から刈谷までの一駅分しかありません。
未アップ分についても考えたいと思いますので、気長にお待ちいただければと思います。
マイナス評価もいただいていますが、「おい、そこでカットするなよ」というお叱りと受け止めています。
折角お返事をいただいたのに長らく放置してすみませんでした。
刈谷下車だったんですん。
未アップ分もお待ちしてます。ありがとうございました。
知立の駅舎も懐かしいな。とにかく音が最高!
知立駅は大変貌ですね。
本線での高速走行に期待して撮った映像です。多くの方にご覧いただけてよかったと思います。
この時にはまだ豊明検車区も伊勢湾岸道も無い時代……知立も当時の街並みがまだ健在だった頃。いもむしは碧南へ来ていたのか
コメントありがとうございます。
そうですね。今と比べると、変化に気づくところがあります。来年には撮影から30年になります。
いもむしは通常、犬山地区で運行されていたと思います。このときは名鉄創業100周年の記念として、三河線碧南直通の運用に充当されたものです。
一度だけ本線のこの区間で乗った記憶があります。
上下の揺れが激しかった記憶がありますが、動画でも分かりますね。
記憶の中だけの世界でしたが動画でまた見られて良かったです。
コメントありがとうございます。昔は名鉄と国鉄、JRを比べると名鉄はよく揺れるという評判でした。
RUclips内の編集機能を利用して激しい揺れを緩和する処理を行っていますので、画質が低下していますが、処理なしでは酔ってしまいそうです(笑)
いもむしも懐かしいですが、ここのコメント見ていて「高速」という種別も懐かしいなと思ってしまいました。
全く同じとは言えませんが、現行の全車一般車特急や快速急行がそれに相当するでしょうか。「高速」ができたときを知る世代ですが、いいなと思いました。
@@hekkairail 自分も子供のころは特急といえば全車特別車が当たり前で、それ以外は急行か高速か快速だったので、東京に行った時に全車ロングシートの特急を見た時に衝撃を受けましたw
「全然特別感ないやん!!!」
みたいな。
そんな関東の私鉄が今は指定席特急が増えているのを見ると、名鉄はその点だけは30年先を行ってますwww
@@yama-d1546 さん
関東の私鉄よりも時代を先取りですか。面白い発想ですね。
私の年になると、特急は全車指定では全然なくて、850系「なまず」吊掛ロングシート、6000系1次車、瀬戸線へ行くと緑色のモ700形の特急もありました。1977年のダイヤ改正以前は急行がレア種別で、支線だろうが旧形車だろうが特急を乱発していたんです。
@@hekkairail それは存じませんでした。
自分の子供の頃のイメージですと、特急=パノラマカーか7000系の白ライン。
高速や急行がラインなしのパノラマカーか旧5500系が多かったと思います。
@@yama-d1546 さん
だいたいいつ頃か想像できますよ。
白帯のパノラマカーはパノラマメイツという客室乗務員が乗っていましたね。
当時は種別サボには関心がなくて、差し込み式の「高速」をまともに撮っていないのが悔やまれます。
ツイッターはご覧になりますか?
先ほど書いた「なまず」の特急をあと1時間以内にアップします。アカウント名は「碧電総合運転区」です。
カメラが揺れる豊明駅、懐かしい。
小牧線でやってた後ろに単行の810が付くと加速が素晴らしく良くなる。
豊明を通過するところはスピードメーターから前方にパーンしようとしてよろけてしまいました。かっ飛ばしていますのでかなりの揺れでした。お見苦しくて申し訳ありませんが、迫力がありますのでカットしませんでした。
810を付けると1M1Tが2M1Tになりますからね。善師野の発車を撮りましたが、大事なところで音飛びを起こしていて使えません。
子供時代によく乗りました。
イモムシ電車大好きでした🐛
そうですか。よい思い出になっていることと思います。
ウィーンという加速音🎶がなんともいえない……
いもむし懐かしいですね。この当時小学生でしたが運転日を勘違いしていて乗れなかった苦い思い出が(汗)
1800系がやってきてがっかりしました。
その後引退前の有料団体貸切り列車には乗れたので本線での高速走行は体験できました。こちらの動画はズームされているので加速感が分かりづらいのかなと思いました。いもむしの加速はかなりよかったと思いますよ。
団体乗車時に新安城の場内信号が停止でしばらく停められてしまい運転士さんが警笛を鳴らすとすぐに青に変わりそこからのダッシュは凄まじかったです。←後ろから特急が追いかけてくるダイヤで余裕もないはずなのに何故か停止させられました。
コメントありがとうございます。引退前の貸し切り列車ですか。名古屋本線の東部は飛ばせるところが多いので、高速運転を堪能されたことと思います。新安城でなぜ停まってしまった(場内信号がなぜ停止だったのか)のかはわかりませんが。当時、団臨の車内から撮った動画を見せていただいたことがあります。やはり110km/hくらい出ていたと思います。
初めていもむしに乗ったのが昭和50年頃だったと思う。
何この丸い電車?と思った記憶が。この時は赤一色の塗装じゃなかったような?
その後何度も見かけたり、就職後は通勤で乗った事も。
最後に乗ったのがデザイン博直前の末期の金山橋駅で、夜なのに塗装したてでピカピカのいもむしがホームに滑り込んで来た。
ただ、中間車が無くなって2両編成になっていて、他形式と連結されていた。
中も徹底的に磨き上げられすごくきれいで真鍮の網棚もピカピカで、
初めての乗った時からずっと中は薄汚れて古ぼけてたのしか見た事なかったので驚いた。
(正直珍しい車両だとは思うけど、中が汚い感じがしてあまり乗りたくなかった)
でも、見たのも乗ったのもそれが最後で、その後冷房化されていたのも廃車後に知った。
コメントありがとうございます。昭和50年ですと、この年から旧型車を含めて全ての電車が赤1色への塗り替えが行われました。お乗りになったのは黄色味が強いクリーム色に赤帯、スカートはグレーの塗装だったものと思います。その後、スカートを含めて赤1色になりました。
製造当日の色への復元は1993年だったでしょうか。冷房化は翌1994年の名鉄100周年記念事業によるものでした。網棚の枠が磨き出されていたのは私も記憶があります。
@@hekkairail
その頃にクリーム色に赤帯2両+緑色2両の準急とか見かけた記憶があります。
かなり後ですが、木製ドアでガラスに自動扉の文字が書かれた車両も乗った事があります。
何系までは分かりませんが。
クリーム+赤やダークグリーン塗装があったことを知る世代としては、古い電車まで全部赤はやめてほしいと思いました。800系や850系「なまず」はやはり緑色が似合っています。
木製扉の車両もありましたね。何号車かは私もわかりません。
@@hekkairail
「なまず」はビーチランドの保存車しか見た事ないです。
ネットで調べたら残った「なまず」がまだ走ってる頃に通勤で名鉄使ってたのですが、見る事も乗る事もありませんでした。
デザイン博を期に名古屋本線冷房化100%で非冷房旧型車は本線から姿を消しましたが、
新名古屋(当時)に滑り込んで来た5両の最後尾に800系が1両いました。
中に車掌がいましたが、ドアを開けず客扱いしないで空車でした。
7300+800の組み合わせで、駅の案内でも4両だったのでその1両は回送だったのでしょう。
800系を見たのもその時ぐらいしかなく、旧型車と言えば3X00と2X00の組み合わせしか見た事がないです。
@@ATM09WR さん
きっと吊掛車の晩年だったのでしょうね。平成に入った頃にはかなり数を減らしていて、本線では7300系以外の系列を日中に見る機会は減っていたと思います。ただし、私はその頃東京へ転勤になったため、名鉄自体に接する機会が少なくなりました。
小学生の頃に新安城行きで乗った記憶がある。種別はどっちだったかな。高速か急行どっちか。
コメントありがとうございます。「高速」は走っていた期間が限られますね。吊り掛け式の「高速」は本線系では覚えていません。急行ならば新安城どまりのものがあったかも知れません。電車の塗装が何色だったかはご記憶ですか?
hekkairail 色は赤でしたよ。高校生の時は緑のイモムシが三河線の山側走ってました。
そうでしたか。犬山線~知多半島には旧型車の高速が結構あったのですが、写真を撮っていないのが残念です。種別表示にはそれほど頓着していなかったようです。
三河山線にも緑のいもむしが入った時期がありますね。
急行がまだ前後通過だったり
豊明検車区がまだ無かったり
貴重な映像だなぁ(´・ω・`)
コメントありがとうございます。この列車は有松停車、前後通過でしたので、中京競馬場前→前後の緩い下り坂でさらに加速し、110km /hに達したのだと思います。
昭和12年生まれの電車が最速110キロ。日本の電車頑丈。
コメントありがとうございます。そうですね。古い電車は頑丈に作られ、整備も手厚かったので長持ちしました。後年台車が7300系の廃車発生品に取り替えられましたが、1994年当時は古い台車のままでした。
@@hekkairail 確か取り替えられたのはこの3年後だったはず、97年に7300が引退してるので
にしてもD-16にしては乗り心地が良いですね。多分一度D-18へと換装されたのかな?
コメントありがとうございます。台車単体の性能よりも、支える重量、線路の状態などが乗り心地に影響しますね。重量級の貨物列車がたくさん通る国鉄、JR東海道線と比べると、名鉄は線路の状態がよいとは言えず、昔から「飛ばすとよく揺れる」という評判でした。今は台車交換はお金のかかる「大工事」という認識で敬遠されますが、昔は台車交換がしばしば行われました。D-18に変わったどうかわかりませんが、一時期、舞木検査場の試運転線の奥の方に置かれていたのが外された旧台車かな?と思います。
その昔どころか大昔の昭和30年代~40年初め頃の話、三河線碧南、豊田市発の本線への直通列車(知立駅が現在の位置で開業。海線と山線の分割併合が日常的になった頃の)でHL車の2両が併合して、本線をスピードが出ないが「特急(今の全車一般席)」で走り、犬山線へ。当時は岩倉も通過。犬山から広見線へ。終着は御嵩、八百津という国鉄のローカル列車真っ青の列車もあったとか。
コメントありがとうございます。
小学校低学年くらいだっと思いますが、HLの三河線~本線直通の特急に乗ったことがあります。知立駅4番線から本線へ出るとき、つり革が網棚に当たってカランコロンと音を立てていたように記憶していますが、別の日かも知れません。
特急だから格好良い電車(幼少の頃なので形式はわからなかったのですが、5500系、7700系あたり)が来ると思ったら、いつもの電車(HL)でがっかりしました。
特急「御嵩」や「八百津」は本で写真を見たことはあります。岩倉は通過でしたか。当時は大きな駅の扱いではなかったのですね。
名鉄がやたらめったら特急を走らせていた時代。懐かしいです。
@@hekkairail 自分も知立駅で碧南、豊田市発着の2両編成同士の分割併合シーンはよく見ました。主さんが言われるのは多分、昭和47年頃の情景ではないでしょうか。5500、7700系のSR車も稀に入りますが、メインはAL車更新のパノラマカーもどきの7300系でした。豊田市行は間合いで挙母線にも入線。名古屋方面へは、森上、津島経由一宮行(碧南発)、佐屋、弥富行(豊田市発)という何とも忙しい感じの直通列車でした。先の御嵩、八百津行のHL車特急はその5年以上前ではないでしょうか。ちなみに岩倉は特急通過。古知野(現、江南)は停車だったとの事。
@@坂田庄司-g6n さん
返信いただいて気づきましたが、7700系ができたのは昭和48年でしたね。「がっかりした」のは明らかにそれより前ですから、昭和45年以前と思われます。
と、いうのは、昭和46年登場の7300系はできて間もない頃、結構な頻度で三河線に入って来ました。運転士さんも珍しいのか誇らしいのか、ミュージックホーンを鳴らしまくっていました。祖父の家は線路が近く、正月の集まりで来ていた従兄弟と見に行ったのを覚えています。それよりも前のことなんです。
過去に三河線で5500系らしき車に当たったことがあって、それを期待したのでしょう。音、乗り心地が全然違うので、小学生にも印象に残りました。
御嵩特急は本で見ただけですから、時代は整合しません。
速度は比べものにならないですが、地元の広電宮島線でラッシュ時に時々走っている3100型の走行音を思い出します。
音は少し違いますけど
コメントありがとうございます。今まで気づかずにすみません。吊り掛け式電車はすっかり減ってしまいましたが、路面電車ではまだ比較的たくさん残っていますね。時々とはいえ、吊り掛け音を聞くことができるのは、愛知県在住の私には羨ましいことです。
すげーーー!
この動画見ると、電車でGO名鉄編の3400系の加速音の再現度がかなり高いのが分かるな……
そうですか。聞いたことはないのでわかりませんが、よくできているのですね。
鉄道趣味の皆さんはなかなか厳しいですから、制作者には半端なものを出してもダメだという意識があったのかも知れないですね。
太平洋戦争当時は,主電動機は3400系専用機種で,120km/h出せたとか。名鉄のやる標準化は,3400系を「唯一無二の名車」から格下車輌に引き下げ,解体に追い込んだようなもんだわな。阪急デイ100は,その意味でも考えると,とても幸せな存在だ。
コメントありがとうございます。
そうだったのですね。かつては国鉄並走区間で特急「つばめ」と競争したとは、語り草になっていると聞きます。標準化によって性能が下がってしまったとは残念なことですね。
阪急デイ100は正雀の一般公開で走行シーンを見たことがあります。もう20年くらい前のことです。最初のうちは停止位置を超えてしまい、プロの運転士さんでもブレーキの感覚をつかむのが難しいのだなと感じました。自走可能な状態でよく残されていると思います。
今は、吊り掛け駆動音は、電車でGO!
名古屋鉄道編のイモムシで味わってます。
そんなのがあるのですね。動画でもかなりリアルなCGが公開されていて、いろいろ楽しめますね。
昔はこれが普通だったのですよね(吊り掛けで特急や急行運用)、モーター音聞いてたら壊れるんじゃないか?って位フルパワー😲
コメントありがとうございます。
そうですね。吊掛の特急もかつては日常でした。
これまでにたくさんのコメントをいただきました。当時、車掌さんだったという方のものもあります。1994年は特急が120km/hになっていて、より高速性が求められたそうです。運転士さんは線形を熟知していて、巧みなハンドルさばきで運転していたことのことです。
吊り掛けでここまで伸びるとは!知ってる限りで最速の吊り掛けだわΣ(´゚ロ゚` )
いもむしSUGEEEEEE(゚Д゚)EEEEEEEEE!!
コメントありがとうございます。お楽しみいただけたようで何よりです。名鉄ではこれが日常だったんですよね。
そうですね。😊
僕も゙ たまにしか乗れないので宜しく。[高校時代]
ただし、知立から4番ホーム名古屋方面から来るので、それから、普通に変わるので宜しく。
ちなみに、Bトレインショーティも゙ 持っていますので宜しく😊✌️
旧型国電が国鉄の主要本線を闊歩していた頃はこんな感じだったんでしょうね。
はい。私の地元の東海道線には1978年まで80系電車がありました。さらに過去には80系の快速もありました。そちらは最高速度90~95キロだったので、動画の名鉄3400系のほうが速いです。
釣りかけで110km/h出せるとは!
私も撮影したときは驚きました。100km/hを超えて、まだ伸びるのかと。
昭和の名鉄車両は、全て個性的でした。今は、車両も良くなり冷暖房も快適。揺れも少ない。だけど車両の魅力は…💦。
コメントありがとうございます。そうですね。昭和~平成初期は国鉄、JRとのよい意味での競争があって、魅力的な電車がたくさんありました。それが地元の人たちの自慢でもありました。
競争は住み分けになり、近年はステンレスのロングシート車に取って変わられようとしています。反論はあると思いますが、魅力という意味では寂しくなりましたね。
@@hekkairail はじめまして❗️
私は、子供の頃は、大津町ー瀬戸の昔の特急を、バカみたいに乗ってました。もちろん手動ドアの準急も(笑)😄。また小牧線とか、この映像は懐かしく嬉しく涙が出てきました。ありがとうございました。(T△T)。小学生。中学生時代は、勉強もせず名鉄ばかり乗り、母親によく怒られてました。(笑)😄💦
@@なすカボチャ-t5j さん、初めまして。
大津町ということは昭和51年以前の外堀線があった頃ですね。勉強もせずに電車に傾倒して親に叱られた。多くの方が似たような経験をされていることと思います。
瀬戸線のガントレットは中統テストがあるからという理由で撮り逃し。600V末期も高校受験でまともな写真がありません。頻繁に乗られたのは羨ましいくらいです。
気に入っていただき、公開した甲斐がありました。
豊明駅、豊橋方に渡り線がないですね
それは気づきませんでした。今は非営業の回送、工事列車や試運転列車が上り方面に出て行きますから、必要なのでしょうね。
揺れ最高❗️芋の形をしたイモ電
揺れるので撮影はたいへんでした。
これが現在でも味わえるとなると香港とかだな
知らないのですが、香港には高速で走る釣り掛け式がまだあるのでしょうか。
知立を過ぎたところにあるテニスコートが、かつての三河線の本線の跡地です。踏切の手前に、面影が残っていますね。
こんにちは。三河線の海線と山線を直接結んでいた線路のことでしょうか。電車は全て知立駅経由ですが、貨物は連絡線経由だった時期があるようですね。
@@hekkairail さん…本線と三河線が直通できる今の知立駅ができる前の、本来の三河線のルートでしたね。その旧ルートも、しばらくは貨物線として残っていたようです。また、近年まで貨物用に残っていた連絡線も、まだ両線が直通していない頃に、年始の 三河線内ー豊川稲荷 間の臨時便が走ったそうです。
そうですか。三河知立から牛田の手前の信号場へ延びていた連絡線のことですね。旅客列車の運転実績があるとは知りませんでした。
これが、デハ・サハ・デハの3連だったら、もっと加速性能が良くてパワフルな高速運転となっていただろうに…。まあ、7300系でも同じことが言えそうなものが…。
コメントありがとうございます。この列車が運転された1994年当時、両運転台のモ800形が残っていました。Mc+Tc+Mcという編成は可能ではありました。確かに加速がよくなって少しでも余裕のある走りができたかも知れないですね。
3880系が現役の頃は、確かに2M1Tで加速力に優れた編成でSR並みに加速したそうですね。ただ、歯車比が名鉄AL車標準の3.21より加速寄りの3.44で、東急3700系時代に弱界磁回路が撤去されていた関係もあり高速運転は難しかったそうですが。それでも当時、一部の「特急」「高速」「急行」等の運用に入ったことがあったそうで、運転士の方は結構大変だったようですね。また、AL車が多く現役だった80年代末頃までは、AL車3連を本線系でもちょこちょこ見かけましたね。流石に優等列車はかなり少なく、多くが普通運用に使われていましたが。800系の晩年(といっても純粋な800系はモ811(旧名岐鉄道デボ802)のみで、モ812は初代3500系モ3502からの編入)は、各務原線や広見線で、2連の7300系と組んで3連運転してましたが、内装がロングシートだったりエアコンがなかったりするなど完全な「格差列車」と化してましたね。2代目3300系は軽量車体と2M1T編成で弱界磁制御があったようですが、元々支線の輸送力増強のために製造されたものですから、本線系の優等列車にはほとんど使われずに小牧線を中心に細々と使われていたのがちょっともったいなかったかなと。因みに、名鉄は(旧大東急系の)デハ、クハ、サハではなく近鉄等と同じ電動車・制御電動車がモ、制御車がク、付随車がサですね。
「返信」への返信は通知が来ないようになっていますので、今頃になって拝読しました。遅くなりまして失礼しました。
3880系は急激な旅客増加に対応するために、緊急避難的に導入したわけですが、その後登場した名鉄の新型車にも影響を与えたと言われていますね。
公称と言われる最高速度を上回る速度での運転は日常的に行われていたようですが、確かに高速走行向きの車両ではなかったですね。
@@hekkairail ありがとうございます。3ドア車の有用性を上層部に認識させるとともに、導入した6000系の側ドアの窓のサイズに影響が見られました。まあ、それも3次車まででしたが。また、3880系の廃車後はその台車を3780系に再利用したことで、様々な台車が使われていた3700系、3730系の台車の統一にいかされたり、扇風機が再利用されたりしていて、そういった意味でも影響はあったようですね。
@@masa-nu9qb さん
早速返信をいただき、ありがとうございます。3880系が与えた影響は、まったくおっしゃるとおりだと感じました。
台車について少し調べてみました。KS33というそうです。名鉄では、この台車は乗り心地がよいとして、好評であったと伝え聞きます。さらに、HL車の古すぎる台車を取り換えたいという事情もあったのでしょうね。
名鉄で廃棄されたのではなく、一部は大井川鉄道に譲渡されて、西武の電車改造客車が履いて現存しているようです。(それが通説)
白井さんを始めとして、名鉄さんと人的なつながりがあった時代。どちらからのオファーかは不明ながらも、「よい台車」という評価が再利用に結び付いたものと思われます。
名鉄のような大手私鉄がオンボロを買ったと揶揄されましたが、3880系の導入は結果的に意義深いものではなかったかと思います。
3400かぁ。懐かしい。この目いっぱい感モーターから火でも吹くんじゃないかってのがいいですね。
コメントありがとうございます。最近、当時の車掌さんという方からコメントをいただきました。パノラマスーパーなど速い列車が追い掛けて来るので、運転士さんは地形を熟知してギリギリのスピードで運転されていたそうです。
1994年吉浜駅近くに住んでいました。知立駅懐かしい。
こんにちは。知立駅は高架工事で大きく変わってしまいますね。本線からの直通列車も既になく、急行の札を裏返して無地の普通札にしてすぐ
発車というシーンもなくなりました。
もうすぐ前後(←私の最寄駅)が見れる!と思って見ていたら・・・編集されていました(T-T)
せっかく見ていただいたのにごめんなさい。原画も確認したのですが、このあたりはスピードに乗っていて、速度計のほうへ頻繁にカメラを向けていました。駅通過は写ってはいるのですが、ブレがひどくてカットしてしまいました。
いえ、とんでもございません。見慣れた景色に吊り掛けモーターの音、改装前の一ツ木駅まで見れてとても懐かしい気持ちになりました。動画アップありがとうございました。
アップ時点で23年前の映像ですが、当時既に電柱の更新がかなり進んでいるせいか、そんなに年月が経ったようには思えません。お楽しみいただけたようで何よりです。また懐かし系の映像もアップしたいと思います。
850系なまずの常滑高速に乗ったことがある。110km/h位出すと乗り心地が極悪で、色々とうるさかったのを覚えている
こんにちは。常滑~犬山線にはAL車の高速がありましたね。乗り心地がよくないのは、線路の状態もあったのでしょうか。なまずは852F(後の851F)の普通ならば乗ったことがあります。速度計が付いていなかったと思います。
いもむし様駿馬ですねぇ!
こんにちは。これより前の時代の名鉄では吊掛式の特急、急行が当たり前のように走っていました。
hekkairail やっぱりですねぇ〜、同世代のなまず様(故850形)も吊りかけですしな
赤イモちゃんかな❓青イモちゃんかな❓
青イモですよ。電車が写っていなくてごめんなさい。