人生の岐路に立つ人に知ってほしい仏教の教え
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- Опубликовано: 27 ноя 2023
- 給料入った途端、全額パチンコに突っ込み、全部遣ってしまったという人があります。
今月の家賃はどうするのか、も考えていない。
「つい熱くなってしまって・・」っておい、それで済むかい。それでも大の大人か。
と言ってやりたくなるところです。
下町の工場の社長でも、今月、来月のやり繰りで精いっぱいで、来年、再来年の展望まで考えられないという人もありましょう。
高校生ならばまずとにかく大学、と志望大学に入ることだけ考えて、就職のことまで考えていないものです。
経営者やビジネスマンなら、どうしたら儲かるのか、は真剣に考えても、儲けた金をどうするか、の展望がない人が多いでしょう。
皆が「あれしなきゃ。これしなきゃ」と、目先のことに心を奪われています。
そんな中にあって一握りの先見性のある賢い人が、世界情勢の動きを予測して海外で資産管理したり、マンションを子供名義にして税金対策したり、10年先、20年先まで考えて行動しています。
しかしそんな先見性のある賢者も、見落としているものが「死ぬ」ということです。
「死ぬ時が来る」と聞くと、先過ぎる話とでも思っているのか、問題にもせず、したがって「死ぬまでのやるべきことは何か」という視点も持ちません。
シッダルタ太子(お釈迦様の仏になられる前のお名前)は、【死ぬ時がくる】と、真面目に己の人生の行く先を見つめられた方です。
それは100%の将来であり、しかも遠い先の話ではない、早ければ今晩にでもやってくる、と厳粛に受け止められました。
「世人薄俗にして共に不急の事を諍う」(釈迦)
「世の中の人は、目先のことばかりに心をうばわれて、生死の一大事を知らない」
この一大事こそ仏教の出発点なのです。
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(自己紹介)
1988年早稲田大学を中退し、仏教講師の道を目指す。
浄土真宗親鸞会で仏教講師の資格を取得、全国各地で公開講座を始める。
2010年からメールマガジンをはじめ、読者12000人の仏教最大級のメルマガ執筆
2014年からは全国をつなぐオンライン講座の動画レクチャーでも活動中。
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菊谷先生のお話無しでは生きて行けない。
先生、いつも本当にありがとうございます✨😊🙇
生きていることが幸福であるから死が不幸なのかも知れません 死が生きる人の礎となるのであれば 死も崇高なものです 生きることがお互いの命の障害となるのであれば 死を正当化できることも尊いです なまじ自分が特別に生きようとすると 人は傲慢にもなります 譲られて生きられたなら譲って生きてもらう お互いを平等に出来ると感謝の対象にもなります ありがとうございました
何時も有難いお話をして頂き感謝しております。自分は何時 死が来ても 大丈夫です❗️先に 逝った 家族に 会えると信じて 今を一生懸命 精一杯生きています。
@@kennzinakagawa1274 コメントありがとうございます。
亡くなった家族の一人とは ある方を通して話す事が 出来ました。
話しの内容を聞いて 又 会えると思いました。
毎日の忙しさに追われて暮らしていても、一番大事な、いつ死が来ても後悔しない生き方をして生きて生きたいものです。
良いお話をありがとうございました。
そうですね 菊谷さん この世で 命は永遠なら 年を取らないなら いいんでしょうけど 必ず 歳をとって 必ず死にますもんね これは どうしようもない事実であり 現実です。 そして このことは 若いうちはわからないものです。 年老いて初めて分かり 実感します。 私もまだ若いですが 高齢になって 初めて しみじみと 死ぬということ 見 つ め 考えることができます。😅😃
菊谷隆太先生、こんにちは。🤱🤱🤱🤱🤱🤱🤱今日も、ありがとうございます。🧑🍼🧑🍼🧑🍼🧑🍼🧑🍼🧑🍼👨🍼👨🍼👨🍼👨🍼👨🍼👨🍼👩🍼👩🍼👩🍼👩🍼👩🍼👩🍼
死を直視しないで100年生きる者より、死を直視し1日生きる者の方が尊い
ともお経にあるように、死を見つめることが仏教の第一歩であるとよく分かりますね。
人生の岐路への直接的な解決方法もありますが、突き詰めれば死を超えるという仏教本来の真髄に行き当たります。
こんばんわ😃
岐路が、2つ来てます。
ありがとうございますm(_ _)m
調子が良い時に読んでいます。お正信偈を読むと、安心しますね。
ありがとうございます。
遠藤周作さんの「死について考える」という本があります。
もし読まれてないなら是非。
菊谷先生のチャンネルに参加してるかたには悪い人はいないと思います。
深呼吸し、なんとかわたしは己をたもってます。納得いかないことばかりですが、自分なりに。
私は何気なく生きてますが
いつか亡くなってしまいます
だから普通に生きながら
楽しい時は楽しく辛いで気ごとの時は辛く感じ人生はいつか亡くなってしまいだから
普通に今を生きながら
暮らす素晴らしいですね
うまく思いはできませんが
普通に生きます
私達は平和な日常が永遠に続くかの様に錯覚してしまいますよね。毎日「消化」する様に生きるのは勿体ないです。いつ死んでも後悔が無い生き方を心がけています。いいお話をありがとうございます。
1日1日を平穏無事に暮らせることは感謝すべきことですね… 。😂
とても、とても勉強,学びになりました。ありがとございました。
気づきをありがとうございます。
やはり、年齢を重ねると仏教の知識の蓄積にびっくりする。😮
菊谷先生いつも大切なお話と有り難い説法に心より深く感謝申し上げます。この説法は毎日聞いておきたいですね。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。釈尊出世の本懐〜一向専念無量寿仏〜信心正因称名報恩〜南無阿弥陀仏〜三戸拝🙏🙏🙏
お話、聴聞しました。ありがとうございます。。
有難く拝聴させて頂きました。
ポンペイのお話など例え話とても分かりやすかったです。
毎年「来年も桜🌸が見られるかな?」って、年齢になってしまいました。
ありがとうございました。
いつも大変お世話になっております、僕は阿弥陀仏の本願に何度も何度もも救われて生きておりますので、いつ死がきても大丈夫です、これからできるだけ多く善い種をまいて生きていきます
それは救われてないですね。この世での救いは一度です。しかも明らかな体験です。思い込みではないのですよ。続けて聞かせていただきましょう。
菊谷先生、人は、自分の死を考えず、他人の死を考えがちですね!人間の実体を考えさせられました!
ありがとうございました。
(菊谷隆太先生動画視聴メモ)
★人生の岐路に立つ人に知ってほしい仏教の教え
1.メメント・モリ(忘れるな・必ず死ぬ存在)
2.白骨の章(我や先人や先今日とも知らず)老少不定
3.四馬の比喩(無常の感じ方)生死の一大事
今日のお話一点をとれば成程となりますが、紆余曲折ありながら100歳まで生きてしまうかもしれません。非常に難しい。
死を意識しておけということは理解出来ますが、、、。
ありがとうございました。
1度きりの人生
正しい選択をすると思うと迷いが生じます、「判断」するのが煩悩だからです。匠が仕事するとき心がける事は何かと問われた時「気持ち良くすればいい」と答えているのを聞いたことが有ります、「快」や「楽」を感じる事ではありません。
歩く時「右足から出そう」「左足に決まっている」と「判断」して歩く人は居ません、たまたま右足から動いた、左足の方が動いただけ、というのが普通です。匠が仕事をする手順は習慣になって慣れた事を普通にするだけという事、木彫刻をする匠は材料の木に聞くそうです、仏像を刻むのではなく、むき出してあげると言います。自分の「判断」で仕事をすると煩悩が迷いを作ります、こんな仏像、こんな仕事をしようと思うと煩悩が邪魔をします。
気持ちよく仕事をする、気持ちよく働くと結果の成否に煩悩が動かないので感情が動きません。人は「あいつ一皮むけたね」と評価してくれます。煩悩に振り回されて「快」や「楽」を求めると「喜怒哀楽」が生まれます。
愛知万博の時、死んだら無になる。と言われ、虚しくなりました。治してくれませんか?坪井邦彦
北野たけしを「たけし」呼び捨てになんか違和感覚えましたすいません(;´∀`)
私もこの場合は「たけしさん」の方がよいと思います。
ドンピシャ世代かも知れないw
それでつい出ちゃうと。