【武田氏滅亡】織田信長・徳川家康に追い詰められた武田勝頼、天目山手前の田野で自決し、武田氏滅亡す。

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  • Опубликовано: 16 окт 2024
  • moka studio2020です。この動画は、武田氏滅亡について説明した動画です。平山優氏の『武田氏滅亡』を中心に、「家宝・御旗と楯無とは? 戦国武田家を滅亡にも導いた「名門源氏意識」」(shuchi.php.co....) 等を参考に構成しています。勝頼一行の最後については、文献によりいくつかの説があり、真相は不明です。ここでは平山優氏の『武田氏滅亡』の中から、『甲乱記』の記述を中心にして構成しました。
    3月2日の高遠城落城が新府城に伝えられると、翌3月3日に勝頼は新府城に火を放ち、小山田信茂を頼って郡内に落ちのびて行きます。しかし、いつまでたっても迎えをよこさない信茂に対して家来を派遣すると、信茂は郡内の入口を閉ざしてしまい、ここで勝頼は信茂が裏切ったことを悟ります。このため武田氏が滅亡の危機に瀕した天目山栖雲寺を目指します。しかし、ここでも地下人たちの拒絶に会い、田野で行き場を失ってしまいました。3月11日、田野での自決を決意した勝頼は、小宮山内膳・土屋昌恒らのわずかに残った忠臣たちが押し寄せる織田軍を食い止める間に自決しました。北条夫人も時を同じくして自決します。こうして甲斐源氏の名家である武田氏は滅亡します。
    【参考文献・サイト】
    平山優 『武田氏滅亡』(角川選書)
    家宝・御旗と楯無とは? 戦国武田家を滅亡にも導いた「名門源氏意識」
    shuchi.php.co....
    #武田氏滅亡 #武田勝頼 #織田信長 #甲州征伐

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