BRAHMS : Symphony No.1, 4th movement, Maestro Kazuhiro KOIZUMI with New Japan Philharmonic
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- Опубликовано: 29 сен 2024
- New Japan Philharmonic, “SUMIDA TOBIRA of Classic” #9
17th Sep, 2022, Sumida Triphony Hall, Tokyo
Johannes Brahms:Symphony No. 1 in C minor, op. 68, 4th movement
Conductor: Kazuhiro KOIZUMI
Concertmaster:Tatsuo NISHIE
Orchestra: New Japan Philharmonic
新日本フィルハーモニー交響楽団
<すみだクラシックへの扉> 第9回
2022年9月17日 すみだトリフォニーホール
ヨハネス・ブラームス:交響曲第1番 ハ短調 op.68より第四楽章
指揮:小泉和裕
コンサートマスター:西江辰郎
管弦楽:新日本フィルハーモニー交響楽団
最高指揮❤小泉和裕新日本交響楽団皆様お世話に成り誠に有り難う御座います❤ブラムスクラシック演奏で世界平和願い世界の皆様元気に幸福にお心爽やかお清め有り難う❤️新日本交響楽団皆様❤ユウチユウブ沢山感謝
4:49
新日本フイルハモ二一です超越技巧奏者宝の楽器に真心素晴らしい技法と素晴らしい表現力で世界に幸福お届け感謝💓♥️❤️クラシックは身体健康の王様ですよ🈷️皆様いつも有り難う御座います❤🌄
両日生で聴きましたが、新日×小泉マエストロらしい正統派な解釈と優しさが発揮された好演だったと思います。ブラボー👏🏻👏🏻👏🏻
4:49
フィナーレ手前でのティンパニの裏打ち連打が粒立ってない。ボヤケている。残念。そこにもまた美学的要素が在る筈なのだったが(ちなみにそれは、Beethovenの第9の第3楽章のEndにも出て来る手法。ブラームスはまさに熟れて描いている。)。ただ何となく「流し連打しているだけ」の凡庸さ、霞んでいる打突音。レコーディングセンスの問題か?しかし、あのマイキングはしっかりとブームマイクでON MICになっているから、しっかりその音の特徴は捉えている筈だ。その感覚が解っているのといないでは、締めへのドラマツルギー手法にも影響する。あの、テーリヒェンだったら、どう処理しただろうか?指揮者としての演奏美学よりは上を行ってるトップ奏者は時としているものだ。そのプロフェッショナルとしての一家言が指揮者に有効に作用する時もある(〜それが過ぎた行為からカラヤンはテーリヒェンからフォーグラーに替えた節もある様だが。)。
ホールの残響放射特性を指揮者として客席遠目に行ってチェックするべきだったな。Maestro.Karajanは本番前のその辺の精査チェックは抜かり無かった人だ。何が違うのだろう?思想の違いなのか?
カラヤン国際指揮者コンクール1973での1位をヴァシリー・シナイスキーと2人分けの経歴だが。
またティンパニ自体、フィナーレでの連打ロールピッチがトゥッティの中で、明らかにズレているように感じる(いや、完全にズレている)。張りのテンション調節やマレット玉選定もやや硬質なモノに替えりゃあ良かったのかも。
ライブでのカラヤンやベーム、マタチッチやミュンシュ等に感じられる様なそれこそ全体を俯瞰・観通している「凄絶なる核臨界点(Core💥)」が無い(形容的に問題あるが)。
マンネリ化している様なモチヴェーション。
この楽曲独自が持つ独特のウネリを即興性に結び付ける相互・相対呼吸Passengerとしてのコミュニケーションはどうなのだろう?
Maestro.Karajanの様な完全暗譜指揮での勝負スタイルスタンスは解るがメンタル的ドラマツルギーにも掴み所が無い。結局だから本場からなかなかお呼びが掛からず仕舞いなのだろうか…。
Hornのトップとかは良かったが。
ちなみにカラヤンのウィーン・アカデミーでの副科は打楽器≒ティンパニだった。
ruclips.net/video/BDmF6ikbyR/видео.html
ruclips.net/video/OULabXciATk/видео.htmlsi=z5V20eI1bf5dEsVZ😮
素人は黙っていたほうがいいよ
urlどっちもダメで草
😮 宇野功芳みたいでおそろしい。凝り固まった偏見に満ちたコメント。当然、生で聴いているのでしょうね。