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「解釈を自分の中で育てて」って言葉すごく良い。
岡田さんの考察は本当に凄いとしか言いようがない。
他の作品も絡めているのがすごい
ジブリの考えさせられるストーリーとエヴァみたいに考えていくストーリーどっちも素敵だなぁ。
「生きて」は二郎への罰であり、菜穂子による救済の否定なのかと思いました。つまり夢のために良心を蔑ろにした二郎は、その夢が破裂したあとの虚しさの中で、菜穂子に拒絶されたまま生きて苦しまなければならないのかもしれない、ということです。
失礼します反論のような形になってしまうのですが、菜穂子が二郎に罰を与えるというのは少しおかしい気がします。自らの望みの為に良心を蔑ろにしたという点では、二郎と菜穂子はどちらも似ている感じがします。付け加えて、生前の菜穂子の行動原理となっていたのは二郎を独占し、命を削ってでも力になりたいという気持ちでした。そう考えると、二郎に救済を与え、一緒に煉獄に飛び込み、共に煉獄を全うする方が辻褄が合うと思います。では、何故そうしなかったのでしょうか。私は、菜穂子が魔女のような役回りから解放されたと考えます。菜穂子は今まで、まるで魔法のような奇跡で、二郎の側にいることが出来ました。そして、その代償が結核を患うことだと岡田斗司夫さんは仰られていました。そうだとすると、最後の菜穂子が消えるシーンは、主体的に自らの幸せを追い求めていた菜穂子を嫉妬や束縛をしたいという気持ちから解放し、救済を受けたシーンだと思います。その結果が、二郎に対しての応援や幸福を願う「生きて」という言葉につながったのかなと思います。ですが、上記の説明だと『神曲』『ファウスト』と噛み合ってない感じもします。長文に付き合っていただきありがとうございます。補足、反論、指摘などあれば遠慮せず書いてください。
生きての意味をてっきり、あなたは私の分まで生きてほしいってことだと思ってたから、まさかそんな意味だとは思いませんでした
ラストシーンは二郎の夢の中の話であり、自分が情熱を注いだ美しい飛行機が結局戦争の道具に使われ1機も帰ってこなかったことで絶望し、カプローニが死(表現上は夢の国)に誘導している。そこに菜穂子が最後の愛の力で「生きて」と二郎を呼び戻しにきたと解釈しています。菜穂子はそしてさわやかな風になり二郎の苦悩を取り除いたのだと。
岡田さんはパヤオが説明してくれないことを解説してくれるから助かる
分かりマスク
パヤオ😂😂😂😂😂😂😂😂😂
高校現代文の授業で、ある映画の考察を聞い時と同じような感動的考察💡
来て、生きて、1文字違うだけでストーリーのエンディングがまるっきり正反対になってしまう凄さ。
q
おいおいそんなに深かったのかよジブリはよォ…子供の時はただのおとぎ話に見えたのによォ
いつも思ってたんですけど後ろにレゴブロック飾ってますよね!好きなので分かります。結構マニアックなものを集めてますねwww
絵コンテも紹介してくださるの面白いです!
母も同じ病気って言ってたけどお母様も魔法が使えたんだろうか
傘が最後残ったのは最初のまじないの伏線回収でその傘を取ったら終わりが変わっていたのではないかと…
解説聞いて久しぶりに見たくなった
庵野監督にここで辞めるな、エヴァを完成させろと言ってるようにも感じた。
実際これに関わった事が糧になって描き切りましたからね
ゴジラを生贄にしてでも、作品を作れというエールというか呪いというか熱いよなぁ
風立ちぬ全く見ようと思わなかったけど岡田さんの考察を聞いてたら見たくなったジブリを深く見たことがないのですごく感心しました
ベアトリーチェは、ファウストではなく、ダンテの初恋の人の方「神曲」の人だと思います。ファウストの魂をメフィストフェレスから助けてくれるのはグレートヒェンだと思います。
ラストシーンの場所はまさに煉獄で、次郎は自殺を図った後なのだと感じました。そこに菜穂子が現れ、「生きて(死ぬことは許さない)」とある種の罰を与え、息絶えて消えた…という解釈です。
文学作品と同様の、あるいはそれ以上の奥深さと繊細さでアニメ作品を解説していただける動画に感動しました。人の想いと代償を描く作品の素晴らしさを知る一方で、現実には今後そのような悲劇がなくなるよう切望します。脱線しますが米国映画『DUNE』を含め、今後作られる作品も、そのような名作になってほしいと思いました。
あれ?③の動画でパラソルが飛んだ場面では菜穂子はまだ二郎がかつて助けてくれた初恋の青年だってことに気付いてなくて、その日の夜に食堂で二郎を見た時にやっと分かったって言ってなかった?なのにこの動画だとパラソルのシーンでもう二郎に気が付いたって言ってて矛盾してるんだけど
解説聞いてて、天気の子と一緒だなと思った瞬間にちょうど天気の子って言っててびっくりした
ラストのカプローニ(宮崎駿監督)に二郎(庵野秀明監督)が「ここは私たちの夢の王国」と言われて。それまで自分を支えてくれた(迷惑をかけた)人たちがいない。奥さんも去って行くし、もう甘えは通用しない。お前が全ての創造者になれるのか?と聞かれたみたいで。あの奥さんはファムファタール運命の女、そして生命に関わる女
「来て」を「生きて」に変更した理由はもっとシンプルで、宮崎駿が自身が持つ女性との心中願望を衆目に晒すことに耐えられなかったためじゃないかなと…。というのも以前TV番組で、同部分の変更の理由について聞かれた宮崎さんがカメラから目線をそらして「前日にダンテの神曲なんかを読んだもんだから云々…」と答え、それを聞いた庵野さんがにやっと笑ってその変更について「宮さんらしくていいと思います」と言った所から僕は上記のように判断しました。(補足:庵野さんは以前から「宮崎駿は客の前でパンツを脱げない(客の前に裸の自分を晒すことができない)」と言っています)庵野さんのように達観できない自分としてはあのラストだけが本当に残念で、そこさえ「来て」だったら、風立ちぬは本当に完璧な映画だったのになあと思ってしまいますね。
現実の方が地獄だもんな。救われたように見せて生き地獄を行くんだな。その方がリアルではあるね。
菜穂子の不思議な力が魔法かどうかは置いとくとして全然有り得る話だなと思ったわ風立ちぬがリアリティを追求した作品というのは見る側が勝手に解釈しただけでファンタジーではないってのは誰も説明してない何よりも宮崎駿は恋愛ものを描くのが苦手で、好きになったのはいつなのかどう育んたのかを描くのが下手では無いが描くのが照れくさい人ってのは分かってるからこそ、魔法のような不思議な力に頼ったと思うと全てがしっくりくる
傘が無くなっていく方向、菜穂子が消えていく方向と同じなんだなぁ
考察全部見たけど全く散りばめられた描写に気づけなかった。駿さんに無知蒙昧だから死んでしまえと言われてもしょうがないのかもしれない。
風立ちぬはセカイ系だったのか…
こんにちわ、サイコパスおじさんに質問があります。千と千尋や風立ちぬでCharacterの目の色が変わるのを見ました。これはなぜですか。千と千尋では、千尋がハクに鎌爺のところへ案内されるときです。目が青っぽくなってます。風立ちぬでは、Giovanniの目が電車の中では青いのです。
菜穂子自身が魔法の代償として衰弱していくならメフィストフェレスなわけないじゃないか。それにベアトリーチェは『ファウスト』ではなく『神曲』だろ。何言うとんねん。
8:06 なんで、お絹と二郎が会えなかったから菜穂子は結核になったんですか??
小学生のころ風立ちぬを見た後、複雑な気持ちになったのをこの動画を見て分かった気がした。
生きとっても自分に惚れこませる呪いをかけられ、死んでも呪いをかけられ…女は恐ろしや…まあでも現代の女も男に似たようなことしてるわねぇ…
地獄で仲良く暮らすっていうのは、進撃のアニメ最終話と似てる気がする
業...ですかね
嫁として、「来て」も「生きて」も同じ意味じゃない?もちろん、描写としてのニュアンスは対局でしょうが、想っていることは一緒だと思う
菜穂子は 超能力者だった ?!サイコキネンスだな щ(゜▽゜щ)
あと三年で紅の豚の主演できそうやね
この人はもっとあくまでも一つの考えですよーって大きい声で言わなきゃいけない
生き続けることが罰
心中ものなの…
絶対来てのほうがよかったそっちのほうが名作になってた
比べるのもどうかと思うけど、内面的な残酷さで言えば火垂るの墓の比じゃないよな。
「解釈を自分の中で育てて」って言葉すごく良い。
岡田さんの考察は本当に凄いとしか言いようがない。
他の作品も絡めているのがすごい
ジブリの考えさせられるストーリーとエヴァみたいに考えていくストーリーどっちも素敵だなぁ。
「生きて」は二郎への罰であり、菜穂子による救済の否定なのかと思いました。つまり夢のために良心を蔑ろにした二郎は、その夢が破裂したあとの虚しさの中で、菜穂子に拒絶されたまま生きて苦しまなければならないのかもしれない、ということです。
失礼します
反論のような形になってしまうのですが、菜穂子が二郎に罰を与えるというのは少しおかしい気がします。自らの望みの為に良心を蔑ろにしたという点では、二郎と菜穂子はどちらも似ている感じがします。
付け加えて、生前の菜穂子の行動原理となっていたのは二郎を独占し、命を削ってでも力になりたいという気持ちでした。そう考えると、二郎に救済を与え、一緒に煉獄に飛び込み、共に煉獄を全うする方が辻褄が合うと思います。
では、何故そうしなかったのでしょうか。
私は、菜穂子が魔女のような役回りから解放されたと考えます。菜穂子は今まで、まるで魔法のような奇跡で、二郎の側にいることが出来ました。そして、その代償が結核を患うことだと岡田斗司夫さんは仰られていました。そうだとすると、最後の菜穂子が消えるシーンは、主体的に自らの幸せを追い求めていた菜穂子を嫉妬や束縛をしたいという気持ちから解放し、救済を受けたシーンだと思います。
その結果が、二郎に対しての応援や幸福を願う「生きて」という言葉につながったのかなと思います。
ですが、上記の説明だと『神曲』『ファウスト』と噛み合ってない感じもします。
長文に付き合っていただきありがとうございます。補足、反論、指摘などあれば遠慮せず書いてください。
生きての意味をてっきり、あなたは私の分まで生きてほしいってことだと思ってたから、まさかそんな意味だとは思いませんでした
ラストシーンは二郎の夢の中の話であり、自分が情熱を注いだ美しい飛行機が結局戦争の道具に使われ1機も帰ってこなかったことで絶望し、カプローニが死(表現上は夢の国)に誘導している。そこに菜穂子が最後の愛の力で「生きて」と二郎を呼び戻しにきたと解釈しています。菜穂子はそしてさわやかな風になり二郎の苦悩を取り除いたのだと。
岡田さんはパヤオが説明してくれないことを解説してくれるから助かる
分かりマスク
パヤオ😂😂😂😂😂😂😂😂😂
高校現代文の授業で、ある映画の考察を聞い時と同じような感動的考察💡
来て、生きて、1文字違うだけでストーリーのエンディングがまるっきり正反対になってしまう凄さ。
q
おいおいそんなに深かったのかよジブリはよォ…子供の時はただのおとぎ話に見えたのによォ
いつも思ってたんですけど後ろにレゴブロック飾ってますよね!好きなので分かります。結構マニアックなものを集めてますねwww
絵コンテも紹介してくださるの面白いです!
母も同じ病気って言ってたけどお母様も魔法が使えたんだろうか
傘が最後残ったのは最初のまじないの伏線回収でその傘を取ったら終わりが変わっていたのではないかと…
解説聞いて久しぶりに見たくなった
庵野監督にここで辞めるな、エヴァを完成させろと言ってるようにも感じた。
実際これに関わった事が糧になって描き切りましたからね
ゴジラを生贄にしてでも、作品を作れというエールというか呪いというか
熱いよなぁ
風立ちぬ全く見ようと思わなかったけど
岡田さんの考察を聞いてたら見たくなった
ジブリを深く見たことがないので
すごく感心しました
ベアトリーチェは、ファウストではなく、ダンテの初恋の人の方「神曲」の人だと思います。ファウストの魂をメフィストフェレスから助けてくれるのはグレートヒェンだと思います。
ラストシーンの場所はまさに煉獄で、次郎は自殺を図った後なのだと感じました。
そこに菜穂子が現れ、「生きて(死ぬことは許さない)」とある種の罰を与え、息絶えて消えた…という解釈です。
文学作品と同様の、あるいはそれ以上の奥深さと繊細さでアニメ作品を解説していただける動画に感動しました。
人の想いと代償を描く作品の素晴らしさを知る一方で、現実には今後そのような悲劇がなくなるよう切望します。
脱線しますが米国映画『DUNE』を含め、今後作られる作品も、そのような名作になってほしいと思いました。
あれ?③の動画でパラソルが飛んだ場面では菜穂子はまだ二郎がかつて助けてくれた初恋の青年だってことに気付いてなくて、その日の夜に食堂で二郎を見た時にやっと分かったって言ってなかった?
なのにこの動画だとパラソルのシーンでもう二郎に気が付いたって言ってて矛盾してるんだけど
解説聞いてて、天気の子と一緒だなと思った瞬間にちょうど天気の子って言っててびっくりした
ラストのカプローニ(宮崎駿監督)に二郎(庵野秀明監督)が「ここは私たちの夢の王国」と言われて。
それまで自分を支えてくれた(迷惑をかけた)人たちがいない。奥さんも去って行くし、もう甘えは通用しない。お前が全ての創造者になれるのか?と聞かれたみたいで。
あの奥さんはファムファタール
運命の女、そして生命に関わる女
「来て」を「生きて」に変更した理由はもっとシンプルで、宮崎駿が自身が持つ女性との心中願望を衆目に晒すことに耐えられなかったためじゃないかなと…。というのも以前TV番組で、同部分の変更の理由について聞かれた宮崎さんがカメラから目線をそらして「前日にダンテの神曲なんかを読んだもんだから云々…」と答え、それを聞いた庵野さんがにやっと笑ってその変更について「宮さんらしくていいと思います」と言った所から僕は上記のように判断しました。(補足:庵野さんは以前から「宮崎駿は客の前でパンツを脱げない(客の前に裸の自分を晒すことができない)」と言っています)
庵野さんのように達観できない自分としてはあのラストだけが本当に残念で、そこさえ「来て」だったら、風立ちぬは本当に完璧な映画だったのになあと思ってしまいますね。
現実の方が地獄だもんな。救われたように見せて生き地獄を行くんだな。その方がリアルではあるね。
菜穂子の不思議な力が魔法かどうかは置いとくとして
全然有り得る話だなと思ったわ
風立ちぬがリアリティを追求した作品というのは見る側が勝手に解釈しただけでファンタジーではないってのは誰も説明してない
何よりも宮崎駿は恋愛ものを描くのが苦手で、好きになったのはいつなのかどう育んたのかを描くのが下手では無いが描くのが照れくさい人ってのは分かってるからこそ、魔法のような不思議な力に頼ったと思うと全てがしっくりくる
傘が無くなっていく方向、菜穂子が消えていく方向と同じなんだなぁ
考察全部見たけど全く散りばめられた描写に気づけなかった。
駿さんに無知蒙昧だから死んでしまえと言われてもしょうがないのかもしれない。
風立ちぬはセカイ系だったのか…
こんにちわ、サイコパスおじさんに質問があります。
千と千尋や風立ちぬでCharacterの目の色が変わるのを見ました。これはなぜですか。
千と千尋では、千尋がハクに鎌爺のところへ案内されるときです。目が青っぽくなってます。
風立ちぬでは、Giovanniの目が電車の中では青いのです。
菜穂子自身が魔法の代償として衰弱していくならメフィストフェレスなわけないじゃないか。それにベアトリーチェは『ファウスト』ではなく『神曲』だろ。何言うとんねん。
8:06 なんで、お絹と二郎が会えなかったから菜穂子は結核になったんですか??
小学生のころ風立ちぬを見た後、複雑な気持ちになったのをこの動画を見て分かった気がした。
生きとっても自分に惚れこませる呪いをかけられ、死んでも呪いをかけられ…
女は恐ろしや…
まあでも現代の女も男に似たようなことしてるわねぇ…
地獄で仲良く暮らすっていうのは、進撃のアニメ最終話と似てる気がする
業...ですかね
嫁として、「来て」も「生きて」も同じ意味じゃない?
もちろん、描写としてのニュアンスは対局でしょうが、想っていることは一緒だと思う
菜穂子は 超能力者だった ?!
サイコキネンスだな щ(゜▽゜щ)
あと三年で紅の豚の主演できそうやね
この人はもっとあくまでも一つの考えですよーって大きい声で言わなきゃいけない
生き続けることが罰
心中ものなの…
絶対来てのほうがよかった
そっちのほうが名作になってた
比べるのもどうかと思うけど、内面的な残酷さで言えば火垂るの墓の比じゃないよな。