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海外ゲームが豊富だったのとPC98の有名どころのソフトはアダルトゲームも含めパワーアップして移植されてたし定期的に発売されてたフリーウェアコレクションに収録されているソフトで十分満足出来るハードだったメタバースの前身の様な富士通Habitatにはじまり音楽編集や動画作成、いまのPCではあたりまえの事を20年以上前に出来たのは貴重な体験だったと思う
TONWSユーザーでした。PC-88の後継機としてPC-98を選ぶのがシャクだったので、TOWNSを購入しました。PCエンジンのようなCD-DAをバリバリ使い、256色を使うような派手なゲームはなかなか出ませんでしたが、PC-98がハードディスク必須というような時代で、CD-ROMでそこを補っていたから、まあいいのかな?と。エメラルドドラゴンがとにかく遊びたかった。TOWNSの内蔵音源(OPN2 ?)を活かしたサウンドは魅力的だったし、256色の描き直しもよかった。ヴェインドリームI、IIも面白かった。ファルコムのゲームは英雄伝説II(これはブラザー工業より)で終わってしまったが、フルマウスオペレーションが魅力のブランディッシュも遊べた。同級生2、プリンセスメーカー2、ジェノサイド・スクエア、ここらへんもよく遊んだ。データウェストの動画再生システムDAPSは当時すごいと思った。以下の作品がTOWNSで出てたら、よかったのになと思ってたな。ブランディッシュ2、3、VT、英雄伝説III、IV(ファルコム)YU-NO(エルフ)エメラルドドラゴン外伝・オストラコン戦記(グローディア PC-98版開発中止)ポリスノーツ(コナミ あとになってTOWNSでの開発が候補として挙げられていたことを知った。結局はPC-9821で開発)X68みたいなゲームはハナから求めていなかったので、TOWNS買ってそれなりに満足しています。あーアリスソフトはよくTOWNSをサポートしてくれたなー。Only youとかデアボリカとか面白かった。
当時は周りが騒ぐほど個人的にはX68000をライバル視してなかったですねまぁ同じアーケードゲームが発売されたら少し気になる程度むしろPC98からの移植がいかにパワーアップされるかの方が重要でした二代目タウンズ、タウンズⅡ、HBと歩んだ6年間は幸せだった気がします
当時の話を一つ。試作機は68000を2個搭載していました。内部的にFM7シリーズを踏襲した形です。しかし富士通は、今後、インテル系CPUとマイクロソフトのOSがパソコンの主流になることと、DOSエクステンダによるプロテクトモードが利用できることから、FMRベースのマシンに変更しました。「もしモトローラ系で出たいたら」とよく言われますが、もし出ていたら、超マニア向けの短命マシンで終わったでしょう。この後、インテルとWindowsの時代に突き進んでいきましたから、時代の流れには正解でした。
どこまで試作されいたかわかりませんが、i286を搭載した安価なパソコンという計画もあったそうです。これが否定されi386・CDドライブというバブリーなマシンになった。西和彦さんが言ってた
正式発表されるかなり前からBEEP誌などで、68020搭載のX68対抗の32bitNEWマシンみたいな情報がちょくちょく出ていたのでFM77AV持ちとしてすごく期待していましたよ。東京ドームのイベントにも行きました。画面がAC版そっくりのアフターバーナーにも痺れましたけど、確かにカタログスペック先行のフシはありましたね。スプライト周りの制限については発表翌月のOh!FM誌で詳細がきっちり載っていましたけど。それでもCPUは高速ネイティブ386だしPCM8音にCD-ROM付きと、話題性はバッチリでしたよね。
X68000、towns両方持っていたが、世間の噂程、townsを買って損したと思わなかった。むしろ、メリーゴーランド、オルゴール、その他、townsの方が心に残る作品が多かった。逆にx68は、メガドラが綺麗になったね程度の事で感動は少なかった。むしろネオジオ買った時の方が感動したし。
わかる。pc98しかもってなかったけど。
両方持っているのは凄いですね自分はソフトのラインナップ的にX68000派です今見ると粗が目立ちますが、家庭用しか知らなかったガロスペや沙羅曼蛇、ファイナルファイトが衝撃でしたtownsも本格的に触れたいですtowns版のガロスペ欲しいです
このころは画像表示するだけでもいっぱいいっぱいで、アニメーション表示なんてものができるのはx68kとtownsくらいでしたよね
TOWNSのキーボードが別売なのはJISキーボードの他に親指シフトキーボードがあったからです富士通の16bit機もキーボードはJISキーボードと親指シフトキーボードがあり別売だったりしました
別売りキーボードは富士通の親指シフトを選択できるようにするためだから仕方ない
ワープロでは当時最速と言われた親指シフト OASYSは名機だった
中途半端な印象があるのは、アフターバーナーやGF2といった当時人気だったスーパーゲームを、ハード性能を無視して移植して、失敗作にしてしまったからというのもあるかもしれません。最新鋭の32ビットマシンであることを強調するために、無理やりサウンドをCD-DAでアレンジしたり、X68Kのようにグラフィックを適度に省略することなく、表示能力いっぱいまで引き出そうとしていました。
After burner は残念でした。
他社の386機がDOS前提のリアルモードで動作していたのに対して、TOWNSは386の機能をフルに使える32ビットプロテクトモードが使えるのを売りにしていた。しかし、メモリウェイトがそれを台無しに。
初代のカタログにもネイティブモードで動くOSを自慢してたなぁ
2が出てから1の中古がクッソ安くなったな。当時、一番安価にUNIX(Linux)が動くハードとして重宝した記憶。
これからだんだん寒くなっていきますので お体大切にお過ごしください。
ありがとうございます。
所々間違ってるんだよなぁ。FM TOWNSIIはCXが386DX、UXが386SX。CXはノーウェイトであるFASTモード設定可能。UXはSXなので初代機と同等速度。
UXを持っているが、あのトリニトロンモニタは映らなくなっていました。メモリを強化しようと思ったが、1Mメモリが2万くらいした記憶がある。結局、メモリは買わなかったが、あの頃のPC関連はとにかく高かった。でも、ゲーム(主にアダルトですが)は楽しませてもらった。エメドラやエルムナイトなCDを上手く使っていたよ。
キノコマウスの初代と純血ラストのペンティアム機触ってました。キーボードは親指シフトが使えるうんずだったから仕方ないのです。海外ゲームコレクションのラインナップとかは他社より良かったのですよ。質の低い洋ゲーも多かったですが(笑)あと動画だらけのシャーロック・ホームズは技術力の高い作品。文化で言えば、ネットが無い時代に日本全国でファンが、毎号楽しみにしていたフリコレは最高だと思う。忘れちゃいけない、シグノシスのフラクタルエンジン。当時であの技術力はヤバい。ゲームは、サイキックディテクティブシリーズがほんと大ファンだったな。DAPSのアニメーションとシナリオが良かった。『降矢木さん、…貴方の助けが必要だ。 ○○○○は、○○○います。』このエピローグシーン、最高過ぎましたね、
当時、Townsの購入を見送り、Mac LCを使っていた。親は、英語を勉強させるのが目的だったらしい。
メモリアクセスが遅い問題はCX以前も多くの人がノーウエイト化をしていたような。ただし、私が所有してた3代目ではノーウエイト化で大きな効果があったようには記憶していませんが。TOWNS IIの最初のCX(従来型)はCPUに変更なく386DX 16MHz、一体型の廉価モデルUGが386SXで僅かに高クロック20MHzになっています。それでもDX 16MHzと速度同じまでいったっけ?結局、初代からこの頃まで4年間4代かけて実質的に進化しなかったのがダメだったかなと思っています。X68000についてはそっちが好きな人とメディアが勝手にワーワー言ってたかもしれませんが元から比較するものではなかったかな。
時代的に仕方ない面も多いですが、なんとかして欲しい部分も沢山ありました。メモリたくさん積んじゃうからトレードオフで低速仕様なメモリにせざるを得ないし。初代や2のCRTCの転送速度が中途半端で多重背景のシューティングの移植が作りにくいし。BIOSに縛られすぎててCRTCに設定できる画面モードが当初は使用禁止で使えず、スプライトを使うと画面が真四角になったり。電脳遊園地in東京ドームも22億使った効果はあったのかな。そんな金あるなら5年前のFM-77の前から開発に全力投入してくれと思わなくもありませんでした。アセンブラ、リンカ、Cが別売りで高価。BASICの仕様はCもどきじゃないだけいいけど。386については賛否あるだろうけど、モトローラが680x0のクロックアップに苦労していたのをみると悪くない選択に思えます。どうせCPUは使い始めたらすぐ慣れます。でもDOS-extenderのようなものは外部に頼らず富士通が独自開発して、開発ツールも標準でつけて欲しかった。CD-ROM標準搭載だけは大正解。CD-Rが民生市場に出てくるのはずっと先だったし、コピーできないから参入してくれるメーカーもかなりあった。併せて640×400/200もあったため、98からの移植もすんなりできました。
ゲーグラがニコ動からRUclipsに来てたの知らなかった。86系使うなら登場したときはDOSVが無かったけどIBM互換マシンでマルチメディア機能に振ったマシンにしてればな
>本体のみで40万円弱にするためでも、FM-TOWNS 1Sの発売記念セットだとキーボード・モニターもセットで 39万8千円(消費税施行前)だったんですよね。ほかにもTOWNSがゲーム機にも向かなくなる残念仕様が。TOWNSパッドのSELECTボタン・RUNボタンの割り当てが最悪でそれぞれ「上下ボタン同時」「左右ボタン同時」なので、アフターバーナーの場合は「アフターバーナー使用中は左右に動けない」「低速飛行時は上下移動できない」という、ゲーム機移植版には無い仕様になってました。
初めてタウンズを見た時、これはパソコンなのか❓️って首を傾げた記憶がある。でも見た目がカッコ良くて欲しかったな~。88買う前なら、間違いなくこっち買ってた・・・😁💦
CDが回るのが見えるのはインパクトありましたね
@@ネコのま 自分もCDクルクルに魅力された一人です🤗
キーボードはJIS配列と親指シフトのどちらかを選べってことで別売りだった。んで、x86採用したおかげで役所や学校のPCとして大量に売れた。TownsOSはほとんど使われなかったけどなー
京橋のツインビルまで見に行った学生時代…アフターバーナーもっさりしてるね
80386SXは内部32bit、外部16bit これをインテルは32bitCPUとして売ってた68000も内部32bit、外部16bit だが、モトローラは16bitCPU(というかモトローラはMPUって言ってた)として売ってた
タウンズ出た時になんで廉価とは言え386SXなんて使うんだよって思ったわメインストリームは既に386DXの頃じゃなかったっけ?最高機種なら486もあり得た頃そもそもグラフィック系はモトローラが強いしインテルは事務系というイメージだった、しかもメモリの扱いもモトローラみたいに積んでるメモリをすべて使えるものじゃなかった記憶
@@ネコのま PC98時代は悪名高い「セグメント」によって様々な制約がキツかったですね。386になって解放されるかと思いきや「セレクタ」になって更に複雑な事になって覚えるのが面倒でした。素直にメモリをフラットに使わせろよ!と思ったもんです。
CMに使ったアイドルは当たった。
当時はメモリーが遅かったですからねえ。386SXは外部バスが16bitでしたからウエイトかけてたらえらいことになったでしょうねえ。惜しい機種でした。
富士通の強みを活かして教育現場にかなり導入されたから、何だかんだと当時触った人は多かったはず。X68kはゲームマニア向け、FM-TOWNSは教育向け、PC-98はビジネス向けで棲み分けされてたイメージ、FM-Rとの競合でウェイトを無意味に入れて性能劣化させたりとかアホすぎて一般向けには駄目でしたけどね…
富士通もFMVシリーズの最上位機としてFM TOWNSをスペックアップして継続して販売していたら面白かったのにな。CPUにペンティアムⅡケースデザインも踏襲していたらと思っていた。
CPUが86系っていうのが、気に入らなかったなぁ。8ビットの頃は、FMシリーズはモトローラ系だったので、68000積んでくれてたら、好きになれたのかもしれない。そんな理由もあって、FM-7の後釜はX68Kをかっちゃった。
不治痛❤ The possibilities are infinite ∞
X68ユーザの俺にはなぜラスタスクロールができないのか謎だった
アフターバーナーの出来の悪さは メモリー転送速度が足りないとフレームレートが落ちるフレームバッファを採用しているのに コストダウンで低速なメモリーシステムを採用した影響が大きかったと思います。フレームバッファってチラつかない代わりにマシンへの負荷が大きいんです。ちなみに1/60秒(1フレーム)内に表示できるのは386機と互換モードでは200パターン程度(画面の80%相当を埋められる枚数)で、それ以上にすると、表示の更新自体がさらに1フレーム遅くなるうえ 以降の高速機で特殊な操作をすればメモリーウエイトがなくなり上限が増えるとはいえ メモリーウエイトが重かったデビュー当時の仕様では「フレームレートを優先してキャラクタ数を上限以内になるよう間引く」か or「フレームレートを諦めてキャラクター数を維持する」2択しか無かったと思います。 なので プログラム技術の優劣だけではないでしょうね
ちなみに エミュレータだとCPU とウエイトの重さを自由に設定出来ますが、アフターバーナーⅡでは CPUだけ上げても全然速くならないのに互換モードを切りキャラクターの表示限界が無くなるとCPUが初期型なままでも描画が劇的に速くなります。
白TOWNSなら高速モードに設定されていれば特にI/O操作などしなくてパターン数は秒間280枚程度になります。
キーボードはついてないけどマウスとゲームパッドは標準装備だったようなキーの同時入力の数の制限だったとかでアフターバーとか操作が独特だったな最終ペンティアム位までてwindows95か98位までは動いたんだろうか?目玉のCDが結構劣化して読み込みエラー頻発してた思い出が
なんか酷評してますけど・・そもそもPC互換機が出た時点で98もX68も終わったんですけどね。あとフラクタルエンジンデモからなる一連の作品はプログラマの力量次第だと知らしめる作品でした。要するに国内のプログラマたちの技術力不足が原因。VINGだけは素晴らしかった。
最近は購入pcがここのメーカーによく当たります。
当時高校生だったが、FMTOWNSをもってるのはいなかったなー
どうして洗車さんの声でなく出来の悪い合成音声なんだ。これではやっぱりしっくりこない。洗車さんにファーンとか言ってほしい!
後期に発売された素晴らしいシューティングゲームの数々を見ると、初期の技術力の低さが残念でなりません。富士通は、東京ドームを貸し切って宣伝イベントをする金があったならもっとやりようがあったろうに。
当時、X68000を選んだの、僕の人生における数少ない正解
VAを選んだのは、僕の人生における数多い不正解orz
オープニングBGMアウトすぎてw
リアルタイム世代ではないので、滅多なこと言えませんがもったいないパソコンですね。活かしきれないなんて。
実際にFM TOWNS機でプログラミングやっている身としては、活かしきれないというより制約が多くて作れるゲームの幅が狭いというのが正解のような。
@@bcc2528 さんそうなんですね。性能がいいのに規制が多いとはやはりもったいないですね・・・教えていただき有難うございます。
当時の日本のPCじゃトップの性能でソフトも色んな分野で多数出た有料機種だったよ68000はRPGや海外ゲームが少なかったのでそんなに欲しいと思わなかった音声がCDから直接出力されるアドベンチャーゲームは凄かった動画主は表面的な事しか分からないのでこの程度のレベルの低い解説になるんだなぁ
皮肉にも現在コンシュマーゲーム専用機並びにゲーミングPCの主流がゲームにむかないはずのインテル系CPUになってしまった、、、、、、、、、、
ゲーム向け(低消費電力よりも性能が必要)だから採用されているような。
@@bcc2528 CPU性能は関係ないと思います。ゲームはGPU至上主義だから高性能なAMDのGPUにワンチップに組み込めるAMD製APU、NVIDIAのGPUにワンチップに組み込めるARMになっただけで、いまやゲームにCPUはどうでもいいというのが真相だと思います。
@@makira1943 CPU性能もかなり重要だってPCゲームやっているならわかると思うんですよね。第4世代Core i7のPCにGeForce RTXシリーズに載せてもそんなにフレームレートは向上しなかったって実体験でありましたから。
海外ゲームが豊富だったのと
PC98の有名どころのソフトはアダルトゲームも含めパワーアップして移植されてたし
定期的に発売されてたフリーウェアコレクションに収録されているソフトで十分満足出来るハードだった
メタバースの前身の様な富士通Habitatにはじまり音楽編集や動画作成、
いまのPCではあたりまえの事を20年以上前に出来たのは貴重な体験だったと思う
TONWSユーザーでした。
PC-88の後継機としてPC-98を選ぶのがシャクだったので、TOWNSを購入しました。
PCエンジンのようなCD-DAをバリバリ使い、256色を使うような派手なゲームはなかなか出ませんでしたが、
PC-98がハードディスク必須というような時代で、CD-ROMでそこを補っていたから、まあいいのかな?と。
エメラルドドラゴンがとにかく遊びたかった。TOWNSの内蔵音源(OPN2 ?)を活かしたサウンドは魅力的だったし、256色の描き直しもよかった。ヴェインドリームI、IIも面白かった。
ファルコムのゲームは英雄伝説II(これはブラザー工業より)で終わってしまったが、フルマウスオペレーションが魅力のブランディッシュも遊べた。
同級生2、プリンセスメーカー2、ジェノサイド・スクエア、ここらへんもよく遊んだ。
データウェストの動画再生システムDAPSは当時すごいと思った。
以下の作品がTOWNSで出てたら、よかったのになと思ってたな。
ブランディッシュ2、3、VT、英雄伝説III、IV(ファルコム)
YU-NO(エルフ)
エメラルドドラゴン外伝・オストラコン戦記(グローディア PC-98版開発中止)
ポリスノーツ(コナミ あとになってTOWNSでの開発が候補として挙げられていたことを知った。結局はPC-9821で開発)
X68みたいなゲームはハナから求めていなかったので、TOWNS買ってそれなりに満足しています。
あーアリスソフトはよくTOWNSをサポートしてくれたなー。Only youとかデアボリカとか面白かった。
当時は周りが騒ぐほど個人的にはX68000をライバル視してなかったですね
まぁ同じアーケードゲームが発売されたら少し気になる程度
むしろPC98からの移植がいかにパワーアップされるかの方が重要でした
二代目タウンズ、タウンズⅡ、HBと歩んだ6年間は幸せだった気がします
当時の話を一つ。
試作機は68000を2個搭載していました。内部的にFM7シリーズを踏襲した形です。
しかし富士通は、今後、インテル系CPUとマイクロソフトのOSがパソコンの主流になることと、DOSエクステンダによるプロテクトモードが利用できることから、FMRベースのマシンに変更しました。
「もしモトローラ系で出たいたら」とよく言われますが、もし出ていたら、超マニア向けの短命マシンで終わったでしょう。この後、インテルとWindowsの時代に突き進んでいきましたから、時代の流れには正解でした。
どこまで試作されいたかわかりませんが、i286を搭載した安価なパソコンという計画もあったそうです。
これが否定されi386・CDドライブというバブリーなマシンになった。
西和彦さんが言ってた
正式発表されるかなり前からBEEP誌などで、68020搭載のX68対抗の32bitNEWマシンみたいな情報がちょくちょく出ていたので
FM77AV持ちとしてすごく期待していましたよ。東京ドームのイベントにも行きました。
画面がAC版そっくりのアフターバーナーにも痺れましたけど、確かにカタログスペック先行のフシはありましたね。
スプライト周りの制限については発表翌月のOh!FM誌で詳細がきっちり載っていましたけど。
それでもCPUは高速ネイティブ386だしPCM8音にCD-ROM付きと、話題性はバッチリでしたよね。
X68000、towns両方持っていたが、世間の噂程、townsを買って損したと思わなかった。むしろ、メリーゴーランド、オルゴール、その他、townsの方が心に残る作品が多かった。逆にx68は、メガドラが綺麗になったね程度の事で感動は少なかった。むしろネオジオ買った時の方が感動したし。
わかる。pc98しかもってなかったけど。
両方持っているのは凄いですね
自分はソフトのラインナップ的にX68000派です
今見ると粗が目立ちますが、家庭用しか知らなかったガロスペや沙羅曼蛇、ファイナルファイトが衝撃でした
townsも本格的に触れたいです
towns版のガロスペ欲しいです
このころは画像表示するだけでもいっぱいいっぱいで、アニメーション表示なんてものができるのはx68kとtownsくらいでしたよね
TOWNSのキーボードが別売なのはJISキーボードの他に親指シフトキーボードがあったからです
富士通の16bit機もキーボードはJISキーボードと親指シフトキーボードがあり別売だったりしました
別売りキーボードは富士通の親指シフトを選択できるようにするためだから仕方ない
ワープロでは当時最速と言われた親指シフト OASYSは名機だった
中途半端な印象があるのは、アフターバーナーやGF2といった当時人気だったスーパーゲームを、ハード性能を無視して移植して、失敗作にしてしまったからというのもあるかもしれません。最新鋭の32ビットマシンであることを強調するために、無理やりサウンドをCD-DAでアレンジしたり、X68Kのようにグラフィックを適度に省略することなく、表示能力いっぱいまで引き出そうとしていました。
After burner は残念でした。
他社の386機がDOS前提のリアルモードで動作していたのに対して、TOWNSは386の機能をフルに使える32ビットプロテクトモードが使えるのを売りにしていた。しかし、メモリウェイトがそれを台無しに。
初代のカタログにもネイティブモードで動くOSを自慢してたなぁ
2が出てから1の中古がクッソ安くなったな。
当時、一番安価にUNIX(Linux)が動くハードとして重宝した記憶。
これからだんだん寒くなっていきますので お体大切にお過ごしください。
ありがとうございます。
所々間違ってるんだよなぁ。FM TOWNSIIはCXが386DX、UXが386SX。CXはノーウェイトであるFASTモード設定可能。UXはSXなので初代機と同等速度。
UXを持っているが、あのトリニトロンモニタは映らなくなっていました。
メモリを強化しようと思ったが、1Mメモリが2万くらいした記憶がある。
結局、メモリは買わなかったが、あの頃のPC関連はとにかく高かった。
でも、ゲーム(主にアダルトですが)は楽しませてもらった。
エメドラやエルムナイトなCDを上手く使っていたよ。
キノコマウスの初代と純血ラストのペンティアム機触ってました。キーボードは親指シフトが使えるうんずだったから仕方ないのです。
海外ゲームコレクションのラインナップとかは他社より良かったのですよ。質の低い洋ゲーも多かったですが(笑)あと動画だらけのシャーロック・ホームズは技術力の高い作品。
文化で言えば、ネットが無い時代に日本全国でファンが、毎号楽しみにしていたフリコレは最高だと思う。忘れちゃいけない、シグノシスのフラクタルエンジン。当時であの技術力はヤバい。
ゲームは、サイキックディテクティブシリーズがほんと大ファンだったな。DAPSのアニメーションとシナリオが良かった。
『降矢木さん、…貴方の助けが必要だ。
○○○○は、○○○います。』
このエピローグシーン、最高過ぎましたね、
当時、Townsの購入を見送り、Mac LCを使っていた。親は、英語を勉強させるのが目的だったらしい。
メモリアクセスが遅い問題はCX以前も多くの人がノーウエイト化をしていたような。ただし、私が所有してた3代目ではノーウエイト化で大きな効果があったようには記憶していませんが。
TOWNS IIの最初のCX(従来型)はCPUに変更なく386DX 16MHz、一体型の廉価モデルUGが386SXで僅かに高クロック20MHzになっています。それでもDX 16MHzと速度同じまでいったっけ?
結局、初代からこの頃まで4年間4代かけて実質的に進化しなかったのがダメだったかなと思っています。X68000についてはそっちが好きな人とメディアが勝手にワーワー言ってたかもしれませんが元から比較するものではなかったかな。
時代的に仕方ない面も多いですが、なんとかして欲しい部分も沢山ありました。
メモリたくさん積んじゃうからトレードオフで低速仕様なメモリにせざるを得ないし。初代や2のCRTCの転送速度が中途半端で多重背景のシューティングの移植が作りにくいし。BIOSに縛られすぎててCRTCに設定できる画面モードが当初は使用禁止で使えず、スプライトを使うと画面が真四角になったり。
電脳遊園地in東京ドームも22億使った効果はあったのかな。そんな金あるなら5年前のFM-77の前から開発に全力投入してくれと思わなくもありませんでした。アセンブラ、リンカ、Cが別売りで高価。BASICの仕様はCもどきじゃないだけいいけど。
386については賛否あるだろうけど、モトローラが680x0のクロックアップに苦労していたのをみると悪くない選択に思えます。どうせCPUは使い始めたらすぐ慣れます。
でもDOS-extenderのようなものは外部に頼らず富士通が独自開発して、開発ツールも標準でつけて欲しかった。
CD-ROM標準搭載だけは大正解。CD-Rが民生市場に出てくるのはずっと先だったし、コピーできないから参入してくれるメーカーもかなりあった。
併せて640×400/200もあったため、98からの移植もすんなりできました。
ゲーグラがニコ動からRUclipsに来てたの知らなかった。
86系使うなら登場したときはDOSVが無かったけどIBM互換マシンでマルチメディア機能に振ったマシンにしてればな
>本体のみで40万円弱にするため
でも、FM-TOWNS 1Sの発売記念セットだとキーボード・モニターもセットで 39万8千円(消費税施行前)だったんですよね。
ほかにもTOWNSがゲーム機にも向かなくなる残念仕様が。
TOWNSパッドのSELECTボタン・RUNボタンの割り当てが最悪でそれぞれ「上下ボタン同時」「左右ボタン同時」なので、
アフターバーナーの場合は「アフターバーナー使用中は左右に動けない」「低速飛行時は上下移動できない」という、ゲーム機移植版には無い仕様になってました。
初めてタウンズを見た時、これはパソコンなのか❓️って首を傾げた記憶がある。
でも見た目がカッコ良くて欲しかったな~。
88買う前なら、間違いなくこっち買ってた・・・😁💦
CDが回るのが見えるのはインパクトありましたね
@@ネコのま 自分もCDクルクルに魅力された一人です🤗
キーボードはJIS配列と親指シフトのどちらかを選べってことで別売りだった。
んで、x86採用したおかげで役所や学校のPCとして大量に売れた。
TownsOSはほとんど使われなかったけどなー
京橋のツインビルまで見に行った学生時代…
アフターバーナーもっさりしてるね
80386SXは内部32bit、外部16bit これをインテルは32bitCPUとして売ってた
68000も内部32bit、外部16bit だが、モトローラは16bitCPU(というかモトローラはMPUって言ってた)として売ってた
タウンズ出た時になんで廉価とは言え386SXなんて使うんだよって思ったわ
メインストリームは既に386DXの頃じゃなかったっけ?最高機種なら486もあり得た頃
そもそもグラフィック系はモトローラが強いしインテルは事務系というイメージだった、しかもメモリの扱いもモトローラみたいに積んでるメモリをすべて使えるものじゃなかった記憶
@@ネコのま
PC98時代は悪名高い「セグメント」によって様々な制約がキツかったですね。
386になって解放されるかと思いきや「セレクタ」になって更に複雑な事になって覚えるのが面倒でした。
素直にメモリをフラットに使わせろよ!と思ったもんです。
CMに使ったアイドルは当たった。
当時はメモリーが遅かったですからねえ。
386SXは外部バスが16bitでしたからウエイトかけてたらえらいことになったでしょうねえ。
惜しい機種でした。
富士通の強みを活かして教育現場にかなり導入されたから、何だかんだと当時触った人は多かったはず。X68kはゲームマニア向け、FM-TOWNSは教育向け、PC-98はビジネス向けで棲み分けされてたイメージ、FM-Rとの競合でウェイトを無意味に入れて性能劣化させたりとかアホすぎて一般向けには駄目でしたけどね…
富士通もFMVシリーズの最上位機としてFM TOWNSをスペックアップして継続して販売していたら
面白かったのにな。CPUにペンティアムⅡケースデザインも踏襲していたらと思っていた。
CPUが86系っていうのが、気に入らなかったなぁ。8ビットの頃は、FMシリーズはモトローラ系だったので、68000積んでくれてたら、好きになれたのかもしれない。そんな理由もあって、FM-7の後釜はX68Kをかっちゃった。
不治痛❤ The possibilities are infinite ∞
X68ユーザの俺にはなぜラスタスクロールができないのか謎だった
アフターバーナーの出来の悪さは メモリー転送速度が足りないとフレームレートが落ちるフレームバッファを採用しているのに コストダウンで低速なメモリーシステムを採用した影響が大きかったと思います。フレームバッファってチラつかない代わりにマシンへの負荷が大きいんです。
ちなみに1/60秒(1フレーム)内に表示できるのは386機と互換モードでは200パターン程度(画面の80%相当を埋められる枚数)で、それ以上にすると、表示の更新自体がさらに1フレーム遅くなるうえ 以降の高速機で特殊な操作をすればメモリーウエイトがなくなり上限が増えるとはいえ メモリーウエイトが重かったデビュー当時の仕様では「フレームレートを優先してキャラクタ数を上限以内になるよう間引く」か or「フレームレートを諦めてキャラクター数を維持する」2択しか無かったと思います。
なので プログラム技術の優劣だけではないでしょうね
ちなみに エミュレータだとCPU とウエイトの重さを自由に設定出来ますが、アフターバーナーⅡでは CPUだけ上げても全然速くならないのに
互換モードを切りキャラクターの表示限界が無くなるとCPUが初期型なままでも描画が劇的に速くなります。
白TOWNSなら高速モードに設定されていれば特にI/O操作などしなくてパターン数は秒間280枚程度になります。
キーボードはついてないけどマウスとゲームパッドは標準装備だったような
キーの同時入力の数の制限だったとかでアフターバーとか操作が独特だったな
最終ペンティアム位までてwindows95か98位までは動いたんだろうか?
目玉のCDが結構劣化して読み込みエラー頻発してた思い出が
なんか酷評してますけど・・
そもそもPC互換機が出た時点で98もX68も終わったんですけどね。
あとフラクタルエンジンデモからなる一連の作品はプログラマの力量次第だと
知らしめる作品でした。要するに国内のプログラマたちの技術力不足が原因。
VINGだけは素晴らしかった。
最近は購入pcがここのメーカーによく当たります。
当時高校生だったが、FMTOWNSをもってるのはいなかったなー
どうして洗車さんの声でなく出来の悪い合成音声なんだ。これではやっぱりしっくりこない。洗車さんにファーンとか言ってほしい!
後期に発売された素晴らしいシューティングゲームの数々を見ると、初期の技術力の低さが残念でなりません。
富士通は、東京ドームを貸し切って宣伝イベントをする金があったならもっとやりようがあったろうに。
当時、X68000を選んだの、僕の人生における数少ない正解
VAを選んだのは、僕の人生における数多い不正解orz
オープニングBGMアウトすぎてw
リアルタイム世代ではないので、滅多なこと言えませんがもったいないパソコンですね。
活かしきれないなんて。
実際にFM TOWNS機でプログラミングやっている身としては、活かしきれないというより制約が多くて作れるゲームの幅が狭いというのが正解のような。
@@bcc2528 さん
そうなんですね。
性能がいいのに規制が多いとはやはりもったいないですね・・・
教えていただき有難うございます。
当時の日本のPCじゃトップの性能でソフトも色んな分野で多数出た有料機種だったよ
68000はRPGや海外ゲームが少なかったのでそんなに欲しいと思わなかった
音声がCDから直接出力されるアドベンチャーゲームは凄かった
動画主は表面的な事しか分からないのでこの程度のレベルの低い解説になるんだなぁ
皮肉にも現在コンシュマーゲーム専用機並びにゲーミングPCの主流がゲームにむかないはずのインテル系CPUになってしまった、、、、、、、、、、
ゲーム向け(低消費電力よりも性能が必要)だから採用されているような。
@@bcc2528 CPU性能は関係ないと思います。ゲームはGPU至上主義だから高性能なAMDのGPUにワンチップに組み込めるAMD製APU、NVIDIAのGPUにワンチップに組み込めるARMになっただけで、いまやゲームにCPUはどうでもいいというのが真相だと思います。
@@makira1943 CPU性能もかなり重要だってPCゲームやっているならわかると思うんですよね。第4世代Core i7のPCにGeForce RTXシリーズに載せてもそんなにフレームレートは向上しなかったって実体験でありましたから。