名古屋発 能登 珠洲行き 急行 のりくら9号に乗って能登半島を縦断しよう。奥能登まで直行のロングラン列車。
HTML-код
- Опубликовано: 18 ноя 2024
- 昭和50年代まで、名古屋駅から全国各地へ多くの急行列車がありました、
その中で、季節列車ですが名古屋から能登半島の、珠洲市まで行く、のりくら9号という列車があり、名古屋からも能登半島を縦断して奥の方まで直接行くことができました。
今一度、昭和50年代に帰り、急行 のりくら9号に乗って、能登半島を縦断して珠洲市まで行ってみたいと思います。この列車に乗ることで、奥能登の珠洲市の位置や能登半島の位置関係、名古屋や金沢からの距離感がわかります。
少しですが、能登半島について、理解を深めることができるかと思います。
ロングラン列車に乗って、能登半島を巡る旅へ名古屋駅から出発しましょう。
#名古屋駅
#七尾駅
#蛸島駅
#珠洲駅
#輪島駅
#穴水駅
#北陸本線
#高山本線
#能登線
#急行
#キハ58
#昭和50年代
#七尾湾
#七尾線
#急行のりくら
#能登半島
#能登
#がんばろう石川
#奥能登
#珠洲
編集
#vllo
VOICEVOX:四国めたん
こういう、情緒ある路線が、日本からどんどん無くなっていくのは、本当に寂しい…。
父親に連れて行ってもらった初めての鉄道の旅がのりくら9号でした 定期運行の金沢行きでしたがとても楽しくいい思い出になりました
母の思い出話の中だけに登場する【急行のりくら】の動画をありがとうございます。
鉄ヲタ度では私に負けない母にこの動画を教えたところ、大変喜んでいます。
母は大学4年の暮れに能登半島の珠洲飯田の温泉宿へ1人旅したそうです。
当時母は東京在住で、名古屋駅迄が【大垣夜行】で、は実家に立ち寄ってからその晩の夜行の【急行のりくら】で金沢へ行き、金沢から【急行能登路】で珠洲飯田駅へ向かう予定だったそうです。
ところが、着いた名古屋駅で岐阜県内の大雪で高山本線がストップしていて運行再開のめどが立っていないことを知り、経路を変更し、翌日の北陸本線経由の485系【特急しらさぎ】で金沢へ向かうことにしたそうです。
母はその10年前に【急行のりくら】で、一家全員で高山へ行ったことがあるそうです。
その当時の【急行のりくら】は、方向転換するのに、一旦停車した東海道本線のホームから大垣寄りの操車場の近くまで引き込み線をノロノロと何分もかけて走り、引き込み線上で方向転換をしてから高山本線のホームへ入って数分停車してから高山本線へ入っていったそうです。
活動的なお母様ですね、素晴らしい。
あの当時は、女性の鉄ヲタは、殆ど見たことが、ありません。居たんですね!
子供の頃、父のお下がりの時刻表でこの列車のことを見つけた時は胸がときめきました。日本の隅々まで急行が走ってましたよね。
昭和45,6年頃名古屋から輪島にまさしくこの
急行、「のりくら」で行きました。
門前町や棚田を見て、輪島の国民宿舎に宿泊して
帰宅した記憶が蘇りました。懐かしい行程でした。
ありがとうございました。
古き良き時代ですね。そうか…廃線になっていたのですね。七尾線、蒸気の時代が懐かしいです。
ありがとうございました。とても参考になりました。
吾輩は鵜飼です!同じ色の列車で!金沢から!各駅停車する列車で帰省していた!とても懐かしい!珠洲までいいから!復活して欲しいです!
46年前に何度か乗りました。懐かしいです。
今では、考えられない、列車ですね、愛知県でまだ車を、持ってない時期だったんで、車を、持つまでは、お世話になりました。
朝になったら、羽咋駅に着いていたんで、便利でした。でも、普通のクロスシートだった為、ほとんど寝れませんでした。若いころだった為出来たことです、今なら、嫌です。出来ません。
動画、あげてくれて、有難う御座います。
懐かしい思い出ですね、ありがとうございます
ふと思った事
普通のクロスシートが急行形の直角背板のあれを思い浮かべる人ももう減ったんだろうなあと
JR西のキハ120ですら一応クッション全面にあるし背板も少しは斜めってるからなあ
今から60年前。学生の頃は、富山と名古屋間を往復していました。その時は、いつも夜行急行乗鞍でした。その当時は、結構混んでいました。たちんぼの時もありました。とても懐かしいです。終点は、蛸島でした。どんなところか、想像したものです。
夢のような路線。ある意味贅沢。
高校生の部活の合宿でのりくら9号乗りました名古屋から富山まで富山では富山港線の旧型電車に乗車して岩瀬浜まで、その後金沢に行き能登路号6両編成で珠洲まで乗車しました、楽しい思い出です!
能登線の廃線跡はかなり残っていましたが地震でどうなってしまったんでしょうね。廃線跡は当然復旧対象にはならないでしょうから被害を受けてたらそのまま失われてしまうので残念です。廃駅も道の駅や店舗に使われてたりあと芸術祭のアート作品の題材に使われてたりしてたんですがそれらもどうなってしまったのか。もちろん現時点では優先度が一番低い話ではありますが。
のりくら号名前は記憶にありますが、能登の奥まで乗り入れしていたのにはビックリ、知らなかった。昭和の時代が懐かしいですね。令和6年元日の大地震これにもびっくり。被災地の皆様希望を持って下さい。見守ってます。
名古屋から立山に行く夜行列車があり立山剣登山でよく利用しました。
金沢通るの遠回りだから氷見から七尾まで線路つなげ!!
のりくら 9号、名古屋から富山まで乗りました。
首都圏発の北陸ワイド周遊券だと、フリーエリアまでの経路が、
上越線, 信越本線, 中央東線 + 大糸線に加えて、東海道本線 + 高山本線など、
豊富な選択肢がありました。
北陸新幹線長野行が開業して、信越本線が切断されたのを期に、乗り鉄をやめてしまいましたが、当時の記憶が甦る、素敵な動画ですね。😉👍
ありがとうございます
のりくら9号の富山止まりの編成が富山始発の神岡行きになるんだよね
で、時刻表2万キロ、第一章のトラブルが起きる
夢の有る時代だっだとしか言えませんね。
一度だけのりくら9号に乗りました。
夏休みということもあり自由席は満席でした。
ただその時は何らかの事情で名古屋発車がかなり遅れ、遅れ回復のために金沢へ行く乗客は津幡で降ろされて、本来とまらないはずの寝台特急北陸に拾ってもらって金沢へ向かいました。
貴重な体験ですね
@@my_note
国鉄時代だからできた芸当かもしれません。
帰りは特急しらさぎで食堂車行ってます。(昼行特急の食堂車はこの時だけでした)
現在の数字で言うと下りの「17号」で、4本前の列車に相当すると思います。
のりくら9号は、10輛編成。
名古屋発車時点では、先頭から4輛はグリーン車を含み「名ナコ」で、金沢行きで、季節列車として珠洲まで行っていました。宇出津行きの時期もありました。
次の4輛はキユニを含んだ「名ミオ」これは、富山到着後、猪谷まで普通列車で折り返し運転。
残りの2輛は通常は富山止まり「名ミオ」ですが、季節列車として「むろどう」の名で、富山地方鉄道の立山まで乗り入れしていました。
季節によっては、富山で、珠洲行き、猪谷行き、立山行きの3方向にそれぞれ発車していきました。
なお、高山本線の真ん中の飛騨小坂駅で、金沢発名古屋行きの上り「のりくら」と交換していました。
立山直通のむろどうは3両で名古屋から富山までは11両でした
富山止めの4両はキユニ組み込みの為金沢編成とその他の車両は行き来出来ないという状態でしたね
ホーム有効長の関係でキユニをホームから外れない位置に止める為、このような編成になったという事でした
すみません。「むろどう」は「名ミオ」3輛で、全体で11輛編成でした。
「むろどう」が運転されない日は、その3輛は「のりくら」として富山止まりでした。
今の高山本線の最大長は10輛編成ですね。
折返し普通猪谷行は宮脇俊三さんのデビュー作「時刻表2万キロ」の第一章で使われてましたね。
何度か利用しましたが、夜の高山線は意外に乗降ありました。
確かこのダイヤですと季節列車の「むろどう」か「うなづき」も併結していたのでは?富山地鉄乗入れですが。
この「のりくら9号」が珠洲に延長運転をした日に限り、上り金沢行急行「能登路8号」が普通列車を併結していたが、その普通列車がのりくらとして珠洲にきた車両に変わり、グリーン車も無料開放されるという…(のりくらにはグリーン車キロ28が連結されていた)
宮脇俊三氏の「時刻表2万キロ」でこの列車が書かれてました。
富山で編成の一部が切り離され主編成は金沢へ行きますが、付属編成は富山止まり。
但し実際は猪谷行き始発になり神岡線に乗る為に宮脇氏は富山からそちらへ乗ったそうです。
(金沢へは何時到着ですか?と聞いた女性客がいて、乗り間違いで引き換えしを教えた云々もありました)
宮脇氏は、上野から信越本線(碓氷峠)周りの「急行 越前」で富山に着かれたんではなかったでしょうか…?
可哀想に車両ごと切り離された上、知らないオジさんに「イノタニまで行って」などと言われ不安気な表情になられた方ですね…
ただ、神岡線の完乗を果たして猪谷まで戻ってきたところで宮脇氏も うっかり降りてしまい、ホームに取り残され、富山港線の末端を乗り残してしまわれるんですよね…
懐かしい! 神岡に良くときに乗りました
おお、かつて能登半島に、和倉温泉から先の、穴水、輪島、
そして珠州まで鉄道が通っていたんですな。
廃線後はバス輸送メイン、完全な車社会になってしまいましたね、
しかし、今回の能登震災で道路かつバス輸送路線も寸断されてしまったとはです。
復興には長い年月と
莫大な費用を要するでしょう。
穴水までは今もありますね
繁忙期には客車運行時代の急行能登も輪島まで延長されていた
後に無料になる能登有料道路が出来て鉄道は使命を終える
能登半島地震が発生し、この列車を思い出しました。
新聞輸送を兼ねたこの列車の郵便、荷物車は前日の夕方、普通列車名古屋行きとして名古屋へ送り込まれていました。
キハ55,26付きの4両。
他のキハ28,58より見劣りしましたね。
飛騨小坂駅で金沢発名古屋行きの夜行のりくら(4両)と行き違いでした。
すごく勉強になりました。
ただ、めたんの声がBGMで掻き消されてると思う
[のりくら][たかやま][能登]愛称の急行が廃止され該当地域の印象も疎遠になった😢😢[輪島]金沢駅では聞けない😭
夜行なんだ!
名古屋行きはありましたか?
帰りは金沢発でした
@@my_note最近出た復刻版の時刻表(多分43・10改正号)だと昼間の設定だったな>能登半島乗り入れ「のりくら」
昨年の9月に「のと鉄道」で穴水駅まで鉄印を貰いに行きました。
七尾湾沿いのおだやかな景色の中をのんびりと走る列車の動画を見返して、早期の復旧を祈っております。
是非もう一度乗りたいですね
珠洲市高屋町に支援お願いします
長良川鉄道と城端線が白川郷と五箇山を経由する形で繋がって氷見線が和倉温泉まで伸びたら外国人観光客が相当見込まれただろうなって思う。
旅情ありますねえ(*'ω'*)
能登半島地震で被害に遭われた方々に
お見舞い申し上げます。
能登鉄道このまま廃線の可能性あるのかな
上下分離やから自治体が町の復旧にお金いるから鉄道には回せないってなったらガチで廃線なるかも
鉄道だけならいけるかもだけど能登半島全体が甚大な被害うけてるからな
のと鉄道、鉄道施設を所有するのがJR西日本で、七尾線の一部廃線の理由になりました。JRが施設を復旧させる義務があり、相当程度の可能性で津軽線と同じことになると。第3セクターなのに。で、それを考えると七尾線も危ないんじゃないかと。新幹線延伸で孤立の度合いが高まります。JRがお金をかけて復旧する必要があるのか。羽咋以降の復旧の見込みがない状況がHPに書かれています。
@@watanabemachiko
そのまま全線を廃線かつ線路敷地の建売業者への細切れ売却かつ70歳以上かつ会員制かつ同一市町村内完結型のデマンドタクシーに転換させ、かつ観光客が嫌がる住民専用の生活交通のみにさせ、かつ学生など若者を自転車of親によるマイカー送迎of送迎サービスにシフトさせるなど毅然とした対応を取るべきだと思います。
@@watanabemachiko
七尾線は復旧しましたね。
のりくら、ゆのくに、くずりゅう
BGMが大きすぎて、説明がよく聞こえませんでした。
乗鞍への登山客を拾うにしては高山での到着が早すぎるしむしろ富山で富山地鉄に乗り換えて立山への登山客を拾うのに好都合だからのりくらという名称はどんなものかと。
1978年10月の時刻表復刻版見ると時期によっては急行むろどう繋いでいて立山まで行ってたからそういう需要も含んでいたと思われ
名鉄から来る北アルプスは午後到着だからアルペンルートのメインはこっちの夜行だったんでしょう
昭和40年代に各線で準急・急行の愛称が乱発状態だったのを高山本線では「のりくら」に纏めただけなので登山客云々は関係ないでしょうね…
@@小早川美幸-h1e同じく能登半島に乗り入れてた大阪発の「ゆのくに」も、以前は「奥能登」と金沢止まりな「加賀」等別愛称だったのを愛称一本化を機に「ゆのくに」にまとまったし
かつて名鉄8000系から借りて夏季臨時運行していた国鉄時代の準急りんどうのスジか?
震災復興企画も兼用?
なぜ蛸島まで行かなく、珠洲止まりだったのでしょうか
気になります
利用客がいないからだと思います
@@apland1438 (笑
急行「能登路」も普通にならず、急行のまま来たのはほとんど珠洲発着だったな。後、折返し列車の加減もあったかと(穴水で増結した定期普通列車は折返し大阪行急行「ゆのくに」に使われてたし・ただし、「のりくら」編成は金沢止まりで、「ゆのくに」のグリーン車は輪島発に設定)。
夜行便の定期列車を金沢から珠洲まで臨時延長したんです。
急行「のらりくらり」に見えた
ルート紹介は十津川警部のアレでお願いします(笑
世が世なら七尾行きひだになってたかも?
岐阜駅の近くに1年ほどいましたが、高山線のでイーゼルカーの軽油の匂いが良く
していたのを思い出します。珠洲から先、蛸島迄線路はありましたが、
のりくらは行っていなかったのですね。
珠洲市の法住寺山門に所蔵されて居ます金剛力士像は、室町時代の享徳3年に、仏師院勝と、院超の2人の仏師達が、共同制作していた作例であります。かなり貴重な文化財だと考えております
能登線をはじめ鉄道ネットワークは国家統治の観点から復活させるべきです
いいえ、能登には70歳以上かつ会員制かつ同一市町村内完結型のデマンドタクシー一択で、かつ観光客が嫌がる手段のみにしてまでも高齢者向け生活交通のみにするなど学生など若者を自転車of親によるマイカー送迎of送迎サービスにシフトさせるなど毅然とした対応を取るべきだと思います。
うらやましい。 日々生活のかかってる者にとっては無理。
米原経由で走った方が早かったんじゃないのか。
のりくら改め「のらりくらり」やなw
うまいですね
芸備・木次線の夜行急行「ちどり足」に匹敵する上手さやなw>のらりくらり