倭人とフェニキア人【夷】エビスとエブス【宮下文書】

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  • Опубликовано: 25 окт 2024

Комментарии • 26

  • @uy6137
    @uy6137 4 дня назад

    何度も繰り返して拝聴してます。地理や歴史など勉強不足な者で、理解が難しいところがたくさん有ります😅
    地図や系図のような視覚的に説明するものがあれば、とっても有難いです。
    自分の先祖達はどのあたりからきたのかなぁと思いをはせます(先祖はかなり大勢いたんでしょうが)今生かされていることに感謝です。
    これからも配信楽しみにしております😊

  • @新地球相互
    @新地球相互 3 месяца назад +6

    この動画は革命的ですね。ありがとうございます。

  • @swanchan.
    @swanchan. Месяц назад

    なるほど納得の考察ありがとうございます🩷
    「エブス人すなわちアモリ人」が「蝦夷人すなわち青森人」に聞こえなくも無い。「青森」は現地の言葉で「ワオモイ」を漢字表記したのだと何かで見ました。エブス人と蝦夷をつなぐ説はあるのでしょうか❓

  • @ラッキー純-h2x
    @ラッキー純-h2x 3 месяца назад +6

    いつもいつも目からウロコです。古代日本と古代世界をリンクさせたこの系統の解説はあるようで無いです。イマジネーションが掻き立てられます。

    • @-eriena
      @-eriena  3 месяца назад +2

      古代史面白いですよね💗いつもありがとうございます!!

    • @weyfey
      @weyfey 3 месяца назад

      都市伝説系を謳ってて古代史を扱っているチャンネルはよくやってる

    • @ラッキー純-h2x
      @ラッキー純-h2x 3 месяца назад +1

      @@weyfey
      たとえば?

  • @kakochan8622
    @kakochan8622 3 месяца назад +5

    やっぱり、白村江の戦いの前と後では造船、操船技術が違いますよね。白村江の戦いは歴史のターニングポイントのように思います。
    今回も驚くべき歴史の考察、楽しく拝聴しました✨

    • @-eriena
      @-eriena  3 месяца назад +1

      わぁ💗いつもありがとうございます😆

  • @チバり-l1f
    @チバり-l1f 3 месяца назад +4

    いつもわかりやすく
    説明頂きありがとうm(_ _)m

    • @-eriena
      @-eriena  3 месяца назад +2

      こちらこそ、いつも見ていただきありがとうございます☺️

  • @鈴木雅博-i2x
    @鈴木雅博-i2x 3 месяца назад +2

    遣唐使時代の日本の航海術があまりに低く とても外洋航海を紀元前にしていたとは思えないでいました。王朝の交代があったことでその航海術が引き継がれてないことで 合点がいきました。
     和国は倭と別が 理解出来ました。

  • @anu5684
    @anu5684 3 месяца назад +1

    文章のほうも拝読させていただいて、フェニキア人が元はペルシア湾岸に住んでいたとの記述で、納得できました。タルシシ船の担い手も、フェニキア人だと考えて良いのでしょうか? 彼らが喜望峰を廻るルートを航海していたのか、気になります。 また、ゾロアスター教との関連性も知りたいですね。ありがとうございました。😊

    • @-eriena
      @-eriena  3 месяца назад +1

      ありがとうございます😊

  • @saburoutanba581
    @saburoutanba581 3 месяца назад +5

    「大国主=大物主」と言う説も有りますが、やはり大国主が出雲系で大物主はインド洋経由の南廻り海上ルートで来日したエブス人と見た方が自然ですね。
    三輪山も、最初出雲系の神を祀っていた処に大物主を持って来たんでしょう。その子孫が多氏であり、後の時代に秦川勝が弾圧した、「常世虫」(漢代~三国時代に渡来した蚕?)を
    祀った大生部多(おおうべのおお)も、太平洋沿岸沿いに近畿~東日本に移住したエブス人の末裔なのでしょうね。弾圧後、「自分達の先祖が既に来ていた」と、秦氏が持ち込んだ
    徐福伝説が宮下文書に混入したのでは無いでしょうか。京都の広隆寺近くの「蚕ノ社」の三本鳥居と同じものが不二阿祖山大神宮に建ってますし、秦氏が持って来たのでは?

    • @-eriena
      @-eriena  3 месяца назад +1

      勉強になります!ありがとうございます💗

  • @April-cat
    @April-cat 3 месяца назад

    タルシシって、タラシヒコと関係あるんでしょうか?

  • @きらやまと-b2p
    @きらやまと-b2p 3 месяца назад

    この手の話て、yハプログループの話はどう解決するのかよくわからないのですが、どうなっているのかな。

  • @Kikuragee
    @Kikuragee 3 месяца назад +1

    紀元前900年頃、ソロモン王の子孫と言われる、エチオピア王朝の最後のハイレ・セラシエ1世が生きていた1974年まで、世界最古の王朝でした。

  • @wordswaves
    @wordswaves 3 месяца назад

    ペトログリフのAの逆さまの文字ってたしかバールでしたよねぇ・・

    • @-eriena
      @-eriena  3 месяца назад

      そうですね!
      90度回転させたのが伝播していきます🏃‍♀️🏃‍♀️

  • @じふもんぽん
    @じふもんぽん 3 месяца назад +2

    縄文時代と神道は何も関係がないというのが印象的でした。私の住む土地にはその時代の神社(鳥居はない)があり、縄文時代のものとされています。社ではなく磐座なので、よりスピリチュアルに直感的に確信的に在ったもの=古神道と思い込んでましたが今一度精査した方が良さそうですね。

  • @fatcatrecord
    @fatcatrecord 3 месяца назад

    チャンネル売ったでしょw

    • @-eriena
      @-eriena  3 месяца назад +4

      うえ!?誰にも売らんww

    • @菊亭英季
      @菊亭英季 3 месяца назад

      どの説を見ても、その理由は
      名前が似ているというだけですね。神話に登場するという事は、当時の日本人を支配していたという事でしょ?ならば、いくつかの名前が似るだけではなく、歩く、泣く、笑う、雨、雪、風、木、日、火、鳥など、生活に密着した基本的な言葉が共通するはずでしょ。反論する程の説じゃないけど、バカはまともに信じるよ?