Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
米原で暇つぶしするにしても行くところが無いので大変でした。駅併設の市役所が、高校生たちの勉強スペースと化していたことが印象的です。
米原駅って特急や新快速が止まるたびにめちゃめちゃ混むんですよね。にもかかわらずトイレがちっちゃいから、男子トイレでさえ長い行列ができます。あれをなんとかしてほしいです。
JR西からすると、乗り換え客はお金を落とさないからテコ入れは厳しそうな…。
特急の客はきれいな特急電車内でトイレする。湖西線やないから治安も悪いない。18キッパーの時間帯のみ混むだけ。
3年前にセブンイレブンが移転して多少使いやすくなりました。改札口の中と外両方から使えます。
@Pineapple00000 さん快速と新快速コロナ減便したからな。今も減便中。コロナでリストラされた人がけったくそ悪いので募集に応じないから永久減便。
まだ東海が6連化してくれて大分ましになったんですよ。昔は10連新快速から大垣行き3連… 西の相生 東の米原でしたから。
駅の東側が山、西側が琵琶湖で意外と街が狭いんですね。ヤンマーの研究所とか鉄道ファンにはお馴染みの実験施設がありますから、産業はそれなりにありそう。
若いころ18きっぷで何度も通りましたが、米原駅はあの物寂しい独特な雰囲気が好きでした。関西からみたら「異国情緒漂う」というか、北陸本線やJR東海の車両が待機していて、東国や北国への玄関口という雰囲気を醸し出していたし、逆に関東東海から米原駅に到達したときは、JR西日本の青い駅名標にアーバンネットワークの車両を見て、「ついに関西に来たんだ!」と実感したものでした。ちなみに、米原駅構内は1995年に18きっぷのポスターにも採用されています。古びたホームにて駅そばをすする若者たち、懐かしいです。ネットで検索すれば今でも出てきますよ。
異国情緒漂う印象は同じですが、昭和45年生まれの私にとっては「関西」との印象とは全く逆で、米原駅はむしろ「名古屋(東海)圏」の駅でした。国鉄時代の米原は名古屋鉄道管理局下にあって、駅ホームの自動放送も名古屋や岐阜と同じだったんです。近江八幡市の在住である私は、中学生の頃、その「異国」の空気に触れたいと、30分という所用時間でよく脚を運びましたね。もう今はありませんが、彦根ー米原の線路のすぐそばにある「管理局境ポスト」を横目に見ながら。
昔、鉄道ピクトリアル誌で、「雨の米原」と言うページが有り、これ程詩情漂う駅が他に有るだろうか、との文章がありました。新幹線がまだ開通していない頃、沢山のホー厶と、広大な貨車操車場、入換貨車の連結音に機関車の笛が響く光景に自分も何と無く詩情を感じたものです。
私は90過ぎで元気。することがないのであちらこちら暇つぶしにJRにのって、いわばのり鉄老人です。先日jr快速に乗って米原まで行きました。駅改札を出ると自転車の貸し出しをやっていました。ああ、これで琵琶湖一周したら面白いなあと思いました。でも体力が心配、服装も適切でなかったのでやめました。近江鉄道は500円で乗り放題の切符をだしていました。三重県の方を回って名古屋に行き、帰りました。夜遅く家に着きました。楽しかったです。
鐵・謎坊主様の投稿はデータベースが深くて感銘します。30年位前は彦根城と多賀大社しか関心がなかったので、JRを降りて近江鉄道に乗り換えるだけでした。
しらさぎの停車駅で1番都市規模が小さいのは他でもない米原なんだよね本当に拠点性だけで特急停車駅になってるけど、スイッチバックと会社境界がなかったらそのまま通過して長浜停車になってたと思う
今は無き「きたぐに」が583系電車化された頃に米原駅は通過(運転停車)で長浜駅に停車していたのを思い出しました…
中川デルタみたいなのがあったら大垣の次は長浜かな。むしろそれすると長浜が全列車停車で、史実よりも長浜がべんりではってんしてそう
こんな感じの動画は、本質をとらえてるから時が経っても色褪せず、ためになるんす
「そもそも米原に(都市化を進めるための)広い土地が無かった」というのも大きな理由だと思うのですが。米原駅から琵琶湖の間には一見、未開発の農地が広がってますが、このあたりは戦後に作られた干拓地で、それまでは入江内湖という琵琶湖に繋がる湖だったようです。
米原は市と言っても、単に合併して人口がそれなりにあるから市になれてるだけで、米原町エリアも新幹線があるだけの一ローカル駅に過ぎないです。交通の要衝の米原、ショッピングの坂田(近江町)、観光地の醒ヶ井、山側の拠点と山岳観光の長岡(山東町)、山林と雪観光の伊吹町
それでも米原駅の固定資産税収入は米原市にとっては膨大な額になると思います。下手に行動して赤字を作るより、慎重に動かずに黒字を維持するのが米原町や米原市の基本姿勢だったのでしょう。これは生物の生存戦略としては立派な生存戦略の一つで、ナマケモノなどが脈々と生き続けています。
ナマケモノ扱いはさすがに草。でも余計な箱モノを作って、巨額の赤字に苦しめられるよりは、無駄のないスリムな体質で継続性を重視するのは、これからの地方自治体に求められる姿勢とも言えますね。
自分は馴染が無いが、イオンモールとやらが、やたらに出店してるようで、地方のそれなりの都市でも、メインの在来商店街が無惨なシャッター街になってしまってるから、やたら商業施設やスポーツ施設等もいずれお荷物の赤字源となるかもで、無理に在り来りの開発等しない方が良い場合も有るかもだ。
30年前後前の米原駅は今より駅は活気あったと思います、ホームでは駅そば駅弁販売キヨスク、近江鉄道も昔の駅舎は昭和感ありました、
covid-19で在来線の駅そばが閉店、なんとか駅弁販売だけ残ってます。
@@ksasak さん 子会社のほうが可愛いからな。駅弁にセブンのおにぎりは含まれないやろけど。
学生時代、青春18切符で何度もお世話になりました。駅前にスーパーができるまでは本当に何もなく、時間つぶしにすごい時間かかりました。冬場は、雪もけっこうすごかった思い出。懐かしいです
そのスーパーである平和堂は2019年に閉店した。冬は寒くて雪降るから待合室か車内で待つしか無い。
@@playboy4649japan 大規模スーパーである平和堂は閉店しましたが、普通の規模のスーパーマーケット「フレンドマート 米原駅前店」ができました
@@playboy4649japanさん 4階建ての平和堂は閉店して平屋の平和堂フレンドマートにリニューアルされて少し裏手に移動した。
あの平和堂無くなっちゃったんだー。よく時間つぶしでお世話になりました。
2020年にフレンドマート米原店として再開店しました。今は逆側の米原市庁舎一階にできたのケーキ・パン屋さんの方に行くことが多いですが。
誘致に成功してヤンマーの中央研究所が大山崎から移転してきたり、市役所を東口に新規に開庁させたりと、20年前に比べれば…と思いたいですが、なかなか駅の発展が見えてこないです。ここにきて新快速が減便されたことは追い打ちの大打撃。乗り換え駅としての役割も北陸新幹線の敦賀延伸で低下が見込まれますし、駅機能だけでなく、行政も彦根または長浜もしくは両者と大合併もあるのではないでしょうか?
滋賀県の地場スーパー、平和堂でさえ米原駅前から撤退したくらいです昔、彦根に住んでいましたが、乗り換え以外で米原に行く用事がほぼなかったです
系列のフレンドマートが代わりにできましたね。
映画『ブレットトレイン』でハリウッド的トンデモ日本が舞台となっている中で駅の周りに何もない荒野が広がっている米原駅が出てくるシーンだけ「唯一本物に忠実」って見た人達から言われてるの好き
とにかく長浜と米原には頑張ってほしい!
私は福井県出身なので、米原駅はよく利用していました。米原で新幹線を降り、北陸本線ホームに立っただけで、北陸に来たという雰囲気が感じられました。
米原市在住者です。相変わらず調査内容が詳細で驚かされます。そう言えぱ暇坊主さんは滋賀県に住んでいたことがあるんですね。北陸新幹線が小浜経由に決まったこと、米原貨物駅計画が頓挫した辺りが、米原にとっての近年のトホホ案件でしょう。しかしこの間、宅地開発にかなり大型のものがあったり、永遠に田んぼだろうと思っていた駅と琵琶湖の間に住宅が連なったりと開発が意外と進んでいる面もあります。
大垣に住んでいたときに関西方面への乗り継ぎでよく米原駅を利用したけど、冬のホームの寒さがキツくて辛かったなあ。せめて駅ナカにカフェとか休憩ラウンジ程度でもあればいいのにといつも思っていた。
伊勢中川「停車中の電車を待合室やホーム移動用の通路として使わせる近鉄はやさしいんやなぁ…」
大宮は京浜東北線の開業で東京の住宅地に転換していて、さらに戦後は商業地として成長できたのが良かった。今も巨大な大宮総合車両センターが鎮座するけど、南のさいたま新都心や北の鉄道博物館も鉄道施設だった事を考えれば、昔の「鉄道のまち」がどれだけの労働力を必要としていたのかがうかがえます。
彦根にビバシティ平和堂、長浜にもアルプラザ平和堂、西友、イオンがあり、米原に商業施設を作ってもダメでしょう米原にはヤンマー研究所やアイリスオーヤマの工場が立地しており、米原は工場立地を中心に、背伸びせず身の丈でやっていくのが正解だと思います
米原は大阪と名古屋の大都市近郊区間内と言えるので、その中だと各都市への在来線での利便性の方が重要ですよね。大阪名古屋どちらからも在来線の果ての的な場所なので、そこまで発展しないのは仕方ないかなと。
JRになるまで名鉄局管轄で新快速も最初は彦根発やったけどな。
それも酷い、岐阜駅さえ飲食店充実、米原駅牛丼屋もない
@@baha2046 さん 岐阜は特殊な風呂屋さんが超充実。
@@tabibito6330金津園w
彦根城を見た後に新幹線に乗り関東方面に帰るため米原から乗り換えたが駅構内は比較的閑散とした印象があり乗り換え時間の間は暇つぶしするような店や飲食店が無かったと記憶している。宿泊をした彦根も城までは歩くと蹴っこな距離もあり駅前は有名観光地の割にはさびしい雰囲気が漂っていた。開発は城とは逆側の改札周辺にショッピンセンターなどができ地元の人の流れはそちら側に流れていると思った。集客を考えると米原駅前の山寄りにショッピンセンター、ホテルの出典は相当厳しいものになると思われる。
こんにちは。米原市は江戸時代から彦根市の衛星都市ですからね。あと、発展しなかったのは、米原は雪国なんですよ。伊吹山と、滋賀と岐阜の県境付近はめちゃくちゃ降ります。
関ケ原や佐和山、賤ヶ岳やらに近く、歴史好きにはたまらない場所なんですが、泊まるなら彦根か長浜なんですよね。湖南地区在住の滋賀県民ですが、盛り返してほしいものです。
米原駅の駐車場は関西JR在来線旅行をするにあたって、非常に重宝しています。
東横インで泊まって夕飯は駅近くの来来亭。唯一の楽しみ
一方で、今年母校の応援で甲子園へ行った時、米原の東横インに宿泊しようとしましたが満室だったので、彦根にしたという経緯があります。彦根のほうが安かったのに空室あり、米原のほうが高かったのに満室。これは明らかに新幹線の最寄り駅であるかそうではないかで別れたように思います。さらには、名神と北陸道が交差するという立地もあるでしょう。むしろ、古い町である長浜と彦根は新しいことはできないように思います。彦根駅前にはホテルだけではなく家電量販店もあるので人口が維持できている点があると思いますので、米原は駅ビルにこだわらず、例えばスーパーがあるだけでも賑わいを創出できるのではと思います。リニアが開通したとして、本当に東海道新幹線から多くの転移があるかは疑問で、むしろ航空からリニアへの転移が進み、東海道新幹線はそのままというケースさえあり得ると思います。なので確かに時間的には猶予はないと思いますが考えておられるよりは時間はあると思います。とはいえ、早きに越したことはありません。
米原駅前にも「平和堂」という日用品なども売ってる店があったのですが、縮小して食料品だけのスーパーになってしまいました
@@てん-l8g 車で来れないからだったのでしょうか?米原駅にこの夏降り立ちましたが、明らかに新しくなっていたのですが、駐車場とか整備する計画がないのでしょうか。
彦根は他にもホテルありますから。米原は昔は一つも無かった。
@@ワッツ-d7b あるのは知っていますが、東横インでとなると、彦根にもう一つあるわけではないので。
昔から言われてることだけど、米原の駅周辺は、地盤が弱いのよ。開拓のための土地を掘っても、石炭のくずが出るばかり。なので、高いビルを建てようにも、建てられなかった。住宅を建てようにも、基礎の費用が高くつくから、敬遠された。ただ、ボーリング技術も発達したようで、最近、高層のホテルが建ちましたね。これからに期待。
そうそう! 米原駅周辺はもともと琵琶湖の内湖だったところで、掘れば釧路湿原よろしく泥炭が出るはず。だから田んぼくらいにした土地の利用ができないし、それゆえに機関庫や操車場といった広大な敷地を要する駅ができた、とも。
米原駅は映像でも判りますが、東南方向はすぐに山が迫っています。西の彦根市へも国道では小さな山越えをします。更に1km 程北は鳥人間で有名な湖岸です。元々スペースが少ないのと、北畠家の墓等歴史的な寺等の材料があるのに県が有効活用していません。駅周辺の県の土地も国道整備したときにしっかりとしたビジョンを持っていれば、似た場所としての相生駅以上に賑やかで良い駅になっていて北陸新幹線の接続も視野に入ったかもしれないですね。
唯一残念なのは、多賀大社は多賀町なんで彦根市ではない平成の大合併をしなかったせいですが
山沿いの工業団地もありますし、人口に比べてお金があるんでしょうね。
新幹線の接続悪くて時間空いた時に、ささっと何か食べようと思っても駅から見える範囲にそういう店があまり見当たらないので結局構内のセブンイレブンで何か買うことが多いですね
駅弁業者の井筒屋の「ステーキ弁当」も気のせいかステーキが小さくなったような気がしました。値段はそれなりなんだけど。
ちなみに、米原駅の住所は、米原市(まいばらし)米原(まいはら)です。
新幹線車内から見える『せんねん灸』の看板も米原駅名物ですよ😊
米原市民ですが 米原駅前開発って 市役所建てた位ですよ なーんもない 静かな町です 昔から、
彦根市民です。彦根城の近くに住んでますが、彦根駅より米原駅を利用する頻度の方が高いです。なぜなら必ず座れるから。境界駅のため、米原始発の列車も多いです。駐車場も1泊300-400円くらいなので、新幹線停車駅とは思えないほど安いです。湖東地区の運転免許センター、パスポートセンターもあります。そこも大体すいてます。なにげに便利ですよ。米原。
上越新幹線の燕三条駅とは対照的ですね。燕市と三条市の市境にできた燕三条駅も、どちらの市の中心部からも離れているけど、やはり駅の近くに北陸自動車道の三条燕インターがあって、後からロードサイド店がいろいろ出店しています。米原駅と米原インターは山を挟んで離れているから、むしろ市街地が分散してしまっていますね。
米原のホテルに一泊したことあるけど、駅前本当に何もなかった。初めから隣の彦根に行ってればよかったです。近江鉄道乗ったのは思い出ですが。
単なる「ジャンクション」の域を出なかったのが原因でしょうね。素通りする人が、偶然ドアトゥドアで乗り継ぐだけの場所。列車が到着した瞬間、乗り換える客がゾロゾロ歩いてる風景は「素通り」にすぎず、別に賑わいでもなんでもない。全国各地にこんな駅はまだまだあるように感じます。昔はこれでも賑わいと呼べたのかもしれないが、米原を目的地として、街に出てもらう仕組み作りは確かに課題かもしれませんね。
乗り鉄とドライブ両方好きな私は最後の道路が名神だってわかって嬉しい気持ちに しらさぎの来年衰退で客単価が下がる事が心配ですね しらさぎとか特急系の乗客が駅弁を買ったり乗車券の単価も高いですからね
彦根(佐和山)の方が昔から北国街道と中山道の交点でもあり、井伊家の城下町として発展していってたのも大きいと思いますよ。長浜にしても、秀吉の整備した城下町がそのまま湖北の中心地となっていってる形なので、両方から距離が離れていないから、米原は発展しずらいのかもですけどね。
同様のパターンに旧小郡駅があります。在来線の要衝として確立され、新幹線の駅ができたにも関わらず、目立った発展を遂げることはできなかった。
米原駅周辺は物流施設や次世代モビリティの試験場が立地するには優れたロケーションだと考えます。・名古屋・大阪・北陸方面の交通の要衝・琵琶湖に近く、水環境が整っている・米原駅西口から約1〜2キロ西の土地に余裕がある
豪雪地帯なので適してはいないのではないでしょうか?
@@totu4039 さん豪雪地帯という事情は考慮する必要がありそうですね。物流施設に関しては非常時の対策が課題になると思います。次世代モビリティの試験場については豪雪地帯という特徴を活かして非常事態の試験をするのに米原駅周辺の環境は適していると考えます。
@@totu4039言うほど豪雪でもない。降っても毎年20cmから30cm、多く降っても80cm。このことも思えば、むしろ雪国向けの実証もできるので一石二鳥では?
@@393_Kariumu 雪国向けの実証をしたければ雪国(北陸、東北)でやればいいと思います。雪国向けの実証にどれくらい意味があるのかわかりませんが・・・京都南部や奈良北部など、積雪がほぼなく広い土地がある場所がたくさんあるので、わざわざ平地の少ない米原を選択する理由がないと思います。
興味深い考察有難うございます。自分は長年青春18切符で米原は本当に良く通るのでとても思い出深い駅です。米原や大垣に到着すると西日本に来たなーという旅情にひたるのが醍醐味でした。米原はその交通の要衝たる位置に比べていつも周囲が閑散としているなと思っていました。地方の駅にはありがちなことですが、東海道の主要駅にしては不思議な位だったので今回理由が分かりなるほど~と納得しました。なんとか賑わう地域になって頂きたいですね。
確かに駅周辺は寂しいですね。湖西線が出来てから、関西からのアクセスは米原経由ではなくなりましたし、東京からは北陸新幹線になったでしょうし…
国鉄分割民営化の際、流動の少ない個所を境界駅にするという取り決めがあり、境界駅として選ばれた米原は当時の旅客流動の谷間であったことと思います。JR化後は、長浜、果ては敦賀からの京阪神直通が設定される一方、大垣からの京阪神直通がなくなってしまいました。高速道路のインターチェンジにも近いので、物流倉庫や流通センターが立地しても不思議ではないのですがあまりなさそうな様子で不思議です。京阪神からも中京圏からも遠いのが難点なのかも。米原駅の駅弁が大好きで、時にはわざわざ「ひかり」を選んで停車中にホーム売店で弁当を選ぶのも旅の楽しみでしたが、上り東京方面の売店は今年1月の段階で全廃されてしまっていました。北陸新幹線敦賀開業でも米原駅が活性化される見込みは薄そうで今後を案じてしまいます。
今でも閑散としている米原駅前ですが、東横インとスーパーができましたよね。東横インとスーパーができる前の米原駅前はホントに道路と民家しかない感じでした。昭和40年代、米原駅停車中の急行「比叡」の車内から窓越しに駅弁とプラスティックの容器にティーパックが入ったお茶をよく買ってました。何も無い割には広大な米原駅の駅名標には(滋賀県坂田郡米原町)と書かれていたのを覚えています。
佐久平と小諸のように大逆転現象は起きず、新幹線が通っても彦根・長浜と米原の関係性は今でもあまり変わってないのがよくわかる動画でした。もし、北陸新幹線が米原ルートを選んでいたら変わったのかもしれませんが、その可能性もほぼ0になりました
小諸の場合は佐久平に新幹線駅ができたことで小諸駅が不便になったという事実がありますが、彦根や長浜は米原に新幹線駅ができても利便性が低下したわけではない点が大きな違いかもしれませんね。特に彦根なんて1駅5分程度の距離なので新幹線ができたからと言って米原に拠点が移るということは考えにくいですし。
北陸新幹線延伸が遅れてリニアの大阪延伸後になれば、東海道新幹線乗入れのため米原経由に変更されるかも。
@@FLAKPANZER2000 東海道乗り入れは、JR西日本が拒否すると思います。
@@kezuri_ 様直通するか否かに関わらず、北陸新幹線を米原に乗り入れたところで米原がターミナルとして充分に機能するとは思えなくなってしまいました。残念ながら北陸新幹線は敦賀で打ち止めとせざるをえないでしょう。東海道新幹線のバイパス的路線を期待していただけに非常に残念でなりません。
北陸新幹線が米原ルートを選んだら、名古屋方面からの乗り換えすら消滅する訳だから、もっと衰退するのでは?
長浜市の人口はおおよそ12万人です!
北陸新幹線は京都経由は調整が非常に難しく、一旦土地の収容が容易そうな米原止まりにすれば良いのにと思います。北陸新幹線の速達タイプが米原を出る時間前に、のぞみが停車するのが落としどころかなと。生きている間に京都や新大阪まで延びていないような気がします。
子供の頃,大阪駅ホームに[米原行]の案内放送が流れ🚅も停車するので断然巨大な街と思っていた。彦根,長浜の存在を知ったのは成人以後😅
30年以上前ですが、学生の頃に名古屋から福井へ行くため普通電車を乗り継いで行く時、1時間以上の待機時間を駅前の平和堂でスガキヤのラーメンを啜っていたのを思い出しました。バブルの全盛期の時ですらそんなに発展していないイメージでしたが、今は更に酷くなっていることに驚きです。
平和堂がただのフレンドマートになって弱くなった気がします。また例のコロナ禍で駅東口南側の開発も遅くなったりどうなってるのやらの状態なのも影響な気がします。
数十年前の冬期、北陸線から23:54発の寝台急行『銀河』(現在はありません)へ乗り換えで、米原駅で2時間以上待つ羽目になりましたが、暖房が効いた新幹線待合室は最終新幹線が過ぎると中から出るよう言われて閉鎖され、1時間以上冷たい風が吹き抜ける駅舎内で待っていたことがあります。時間的に通過列車もほとんどなくもう2度と米原駅で待つのは嫌なため、わざわざ銀河の始発駅の大阪まで行って乗るようにしていました。
電車の中で、忘れ物をしてしまい、回収いただいたのが、米原駅でした。さすがに、遠くて、着払いで送付していただきました。ちなみに、逆方向の網干駅でも、対応いただいたことがあります。駅員さん、ありがとうございました。
最も土地の価値が高い駅前は高層住宅を建てるのが正解だと思います。低層階は商業施設でもいいですが、建物だけで一つの町の機能が提供できるようなものが必要です。
米原一度行ったことがありますが、確かに何もなかったなあ。地図でみると多くの電車の乗換駅だから大きく見えるんだけど、実際に行ってみると「へ?」って感じになりますよね。ホントに乗換駅としての需要しかないってのがちょっとかわいそうですけどね。
7:50 米原市になる前は、まいはらまちではなく、まいはらちょうでした。
米原ってどうしても北陸もしくは東海道への中継点や分岐点ってイメージで旅の目的地っていえるほど名物のイメージもないし何か旅の目的地に出来る様なものが何かあれば変わるかも。
鉄道唱歌の時点で「♪北陸道の分岐点」と歌われているくらいですから。
湖西線がなかったころ、住んでいる富山県から、急行立山で米原に着くと、浜松行きや西明石行の、オレンジと緑の電車がいて、表日本に来たなあという気持ちになりました。
開発するなら東京・品川・新横浜・名古屋・新大阪に投資したほうがリターン大きいですよね米原駅にはそれらの駅から新幹線に乗ってやってきますし
長浜は大河ドラマで、彦根は城とひこにゃんで完全に観光都市化したので間にある米原市はほっとかれた印象。あと、長浜市は都心部の人口は増えているが、合併した田舎の老人が亡くなっているから全体として減っている。ちなみに米原市は車でしか行けない観光地が多いから電車利用は少なくなっても仕方がない。
実家が彦根だから、大学時代から帰省のたびに米原に迎えに来てくれた父親と「ホント何もないね、ずっと変わらないね」と話すのが恒例行事になってた20年以上ずっと同じ繰り返し…JRや市が無能なのか、それともものすごい先見の明でこの有様なのか誰にも答え合わせできない謎を抱えた街、米原w俺が還暦とか70,80になって小銭が余ってたら、駅前に子供を迎えにくる父親母親を称える石碑でも作ろかなほんとにそれくらいしかこの駅を象徴するものってないんだもん笑
昔の鉄道クイズで、「東海道山陽新幹線の駅で、駅自体が『町』に所在するのは?」というのがあり、答えはこの米原と小郡(今の新山口)だった。小郡は所在する旧小郡町が、山口県の県都がある隣の山口市と合併した為に、駅名も「新山口」となり、山口市の玄関っぽくなった。対して米原はというと、滋賀県東部岐阜県境までの町々との合併で、「米原市」の所在とはなったものの、動画にもあるように、既存の彦根市と長浜市に挟まれて、町の発展がない。好対照ですな。
米原駅があります米原市は彦根市と長浜市に挟まれた場所であり、尚且つ東海道新幹線が開業した当初から新幹線の駅がありましたが、当時から滋賀県東部の中心都市は隣の彦根市でありましたので、新幹線駅開業当時から現在まで米原駅新幹線ホームから乗り換えで彦根市や彦根市の次に重要な都市であります長浜市へそのまま向かう利用客が多かったかと思います。また金沢方面からの特急・急行列車が停車し、そのまま新幹線ホームへ向かう利用客が多く、反対に新幹線ホームから金沢方面へ行く特急・急行列車へそのまま乗り換える利用客も多いですので、「乗り換えるだけ」の重要性が高い米原駅が改札外に出てショッピングしたり食事したりする利用客があまりいなければ、駅前が栄えないのが納得できますね。何度か米原駅に行った事がありまして、橋上駅舎になる以前に訪れた時は東口の駅舎が小さく、西口は駅舎自体ありませんでした。その後自由通路を備えた橋上駅舎になりますが、必要最低限にまとめられる位小さな駅舎でありますが、在来線改札内はスペースが大きく、新幹線改札内に待合室がある程、やはり乗り換え客を重視した駅構内の設計になっているなと感じました。
多賀大社があるのは彦根市ではないけどね(その横の犬上郡多賀町)
長浜(今浜)は羽柴秀吉の居城として名を馳せるも、もともとは浅井長政など浅井家のおひざ元。また彦根のシンボルとなっている彦根城は、井伊直政が石田三成が居城としていた佐和山城を廃城とし、嫡男の井伊直継が継承して新たに建てられた。よって、長浜も彦根も、封建時代から栄えていた街だったため、鉄道を敷設する用地が限られており、結果、北近江の鉄道拠点としては、米原に白羽の矢が立った、という感じかな。要するに、駅周辺の許容スペースの問題や、東西南北に広がる鉄道網の中継点として、新大阪駅が設けられた経緯と似ているのが米原駅。はっきり言って、それだけの存在の駅であるため、米原駅に従事していた職員は大勢いたとしても、取り立てて、米原で下車して周辺施設を利用してみたい、という地とは必ずしも言い難い。それでも、今でも新幹線も通る、北近江の鉄道拠点であることに相違はないが、今、米原に観光開発を注力したところで、封建時代から栄えてきた長浜や彦根から人流を振り向けることは難しい。北陸新幹線の敦賀以西ルートとして、いまだに米原ルートを支持する声は根強く、また、中京新幹線が検討される際には、米原を経由することは不可避であると考えられていることから、将来の新幹線構想如何によっては、米原の存在感、重要性が増す可能性がないとは言えないが、彦根や長浜を繋ぐ中間地点であるならば、その役割を逆に生かす施策が求められる。北陸新幹線の米原ルートは実現しなくとも、中京新幹線が通るようならば、現在はどちらかというと関西圏の色合いが強い米原に中京圏の文化もそれなりに入り混じり、独自の「米原文化」を醸成できる可能性がある。中京新幹線の実現性は未知数だが、いずれは実現しなければならないルート。それが実現するまでの間、まずやれることは、宿泊施設の充実や企業誘致が考えられる。そのうえで宅地化を進める、ということが、今後の米原の課題となりそうだ。
5年前くらいに青春18きっぷで旅していた時に、食事がしたくなったので、新幹線が止まる米原駅なら何かあるだろうと途中下車したけれど、周囲に小さなデパートがひとつある程度で何もなく、驚いた記憶がある。この動画で理由が分かり納得。結局、駅の食堂でカレーとか食べたんだったっけ。
米原に限らず改札からでる必要ない乗り換え駅は利用者数に対して駅前が発展しづらいと思います。駅前の発展には利用者数ではなく乗降者数が重要と思います。
県民です。彦根に新幹線を引いていれば...と50代60代〜上の方はよく話します。米原は県民の間でも平和堂が閉店などで諦めムードがある感じです。県民でも京都で新幹線に乗るパターンも多々あるので、新幹線駅としてもアドバンテージがあるようには思えません。
平和堂が閉店した時点で、詰んでいると思います。(平和堂は滋賀県内ならかなりの駅前に店舗があるスーパー)
近江鉄道も「のぞみ」登場前のダイヤだと新幹線との接続を考慮したダイヤを組んでいましたが、のぞみ大増発で湖東地域の人でも京都駅経由でのルート志向が強まり、新幹線との接続は考慮されないダイヤとなりました。……やっぱり彦根が県都にならなかったのが、一番の遠因かと。
長年米原貨物ターミナル建設の構想があり結局昨年断念してしまいました。旅客も貨物も北陸方面への乗り換え・分岐点といった位置付けといった形で進んでいくんでしょうね。かつて新幹線と在来線の乗り換えでめちゃくちゃ歩いた思い出があります。今考えると鉄道と共に歩んだ駅なんだなと改めて認識しました。
上越妙高、伊勢中川、国府津、友部、和田山、備後落合、元々周辺に何もないところに乗り換え駅が出来ても、周辺は発展しづらいんでしょうね。乗り換えは、駅内部で完結してしまいますから、人が外にこぼれて来ない…。逆に、最初に古くからの大きな街があって、それ故に駅が出来、そこに路線が集中してきたような駅は、路線が複数集まったのが、その街の吸引力によるもので乗り換え駅になったのは路線が集まった結果に過ぎないから、駅も街も大発展する。街を訪れる人も乗り換える人も多いので。名古屋、小倉、岡山、広島姫路、郡山、高崎、小山…前者の到達できる限界は…小郡改め新山口レベルまでかな…あれでもよく頑張ったと思ふ。乗り換え専用駅の大将。駅の周りに何も無い、よりはちょっとマシくらいではある。
確かに米原って新幹線なら新大阪まで35分で着くのでもっと栄えてもいいですよね
昔々は東口前の方は小さいなりにお店や商業ビルがありましたね。ゲーセン、喫茶店、食堂、ラーメン屋、おもちゃも売ってた商業店舗そこでギャオスのプラモデル買った思い出あります
鉄道がそれ自体「産業」だった時代があったのですね。
SL時代は動かすならヒトモノカネが必要でしたからね
最近の観光SL列車の舞台裏を観ると、小型SL1台動かすのも大変なんですね。観光SLなんて、鉄道会社には儲け等出ないのではないかと心配しました。
新幹線側の待合室にあった立ち食い蕎麦が美味かったな。冬なんて新幹線のホームで待つのは寒いからここで蕎麦を食べて暖まってからホームへ降りた。なんかの番組で見たけど東海道線内の駅そばはここ米原から関西風の出汁に変わり汁も濃い醤油の色から薄い色に変わるらしい。ここの蕎麦は寒さと関西風の出汁の美味さもあって印象に残っている。
20年程前、18切符の移動で米原止まりになってしまい駅前で泊まる場所を探しました。今のように検索する手段がなく、日付が変わってからチェックイン可能なホテルが見つからず、駅前の交番を頼ってなんとか泊まる場所を見つけました。カビ臭い畳に小さなテレビ直置きの部屋に素泊まりで7,000円。その当時でも「高っ!」と思ったのを覚えています。二度と米原止まりにならないようにしよう…と、それだけの記憶しかありません。そしてそれ以来、通過しかしていません。
青春18きっぷで名古屋方面から福井・石川方面へ行くときに米原で乗り換えすると乗り継ぎが悪い時が多くあります。そんな時、駅には何もないし改札を出ても駅前には何もないしと昔から東海道線・北陸線の交わる駅なのになぜ駅前は栄えていないか疑問でした。それと北陸自動車道を走っていると「米原 MAIHARA」となっていることにすごく疑問を持っていました。今回の動画でそれを知ることができて大変勉強になりました。
西船橋も駅の外はとても県内1位の乗降客数とは思えない感じですね。なお、空港や西日本に行ける高速バスが車庫入れしてくる光景もなかなか珍しいものです。
京都への通勤層をターゲットとした格安(失礼)建売デベロッパーの主戦場は長浜まで来ているので米原には新規流入人口を増加させるポテンシャルはあるのですが、駅至近以外が市街化調整区域のままな現状を見ると、米原市自体が人口減少に手をこまねいている印象ですね。
姫路市民にとっては新快速の終点駅として有名な駅ですが訪れたことはありませんでした。先日、彦根→長浜へ観光旅行に向かう道中に立ち寄りましたが、表題の通り疑問に思っていました。とてもいいチャンネルですね。為になりました、ありがとうございました。
栗東駅が着工目前だったのに前知事のせいで中止になった、滋賀県の人口のほとんど南部に集中してるし。
鐡side制作お疲れ様でござい〼🫡オフ会の後、大阪ひだの時間まで時間を潰した場所は「長浜駅」でした😅米原駅前は厳しぃ〜〜😭せめて「エキナカ」がもう少しでもAREばよかったのですが🤔
やはり、米原駅は新幹線と在来線との乗換に利用されるだけの駅になっている感じがして、もったいない感じはしますね。個人的には、同じ東海道新幹線で利用者の少ない岐阜羽島駅の方が発展している気がするので、やはり、人口が少ないと厳しい印象ですね。ただ、米原駅は、数少ないJR東海とJR西日本の列車を利用できる駅のため、色々な方面へ行きやすいはずなので、この立地は生かすべきだとは思いますね。とは言え、今まで人口が多くなっていない事を考えると、大都市からある程度距離が離れている事もありますし、色々な方面へ行きやすいというだけでは住みたいと思ってもらえないと言う事かと思います。ですのので、立地も生かしつつ、街の魅力を向上させる政策を行い、多くの人に住みたいと思って移住してもらえる街づくりをする必要があるのかなと思いました。
周りにスーパー以外の飲食店ラーメン屋2店だけで、他が虚無過ぎるんですよね…後は田んぼしか広がってない…中々住もうという気持ちにはなりにくいです。でも、アクセスはめちゃくちゃいいんですよね。
鉄道員のまち、信越線の 横川も。 静かな場所に...米原駅の構内配線、立体交差が 東海道の上り線だけというのも、見事かなと思います。
東海道線の下りホー厶と、上りホー厶がかなり離れていて、間に何本もの側線?が有り,そこを付け替えや入換の機関車が通過したり、滞留しているのを、プラットフォームから間近に見られ、鉄道ファンには堪らない魅力的な駅でしたね。また構内の配線が実にユニークで、他に類を見ない駅でもありましたな。
学生の頃、18切符で名古屋方面へ向かう時必ず使いましたが、そう言われてみれば改札の外に出たこと無いですね。223系から311系(たまに313系)にひたすら走った記憶があります。
ここは新幹線撮影には絶好の場所なんですよね~九州人としては糸島市の筑前前原駅と混同してしまいつい「まいばる」と呼んでしまうw
彦根,長浜と観光や商業地に挟まれている米原はただの分岐点
むしろ、米原より坂田の方が栄えている事実、、、。
以前湖北地域で働いていた時期は岡山方面に直接向かう際に米原をよく使ってました。しかし自宅が米原以南なもので、辞めてからはめっきり使わなくなりました。そもそも米原で新幹線に乗ったとしても、結局京都で乗り換えるので米原から乗る意味もそれほどないんですよね。山陽方面直通の便が停まってくれるなら別なんですが、、、。
そもそも新幹線ができる1964年の段階で米原駅は75年の歴史を誇る交通の結節点だったのに、結局は彦根とかの方が栄えていた。 新幹線が出来ようが、簡単には覆らない歴史があったと地元では言ってましたね
待ち時間に周辺散歩したことがあります。本当に、ただ歩いただけ。それもまたよし。
JR東海のエクスプレス予約でも以前は対東京・品川方面では京都駅と米原駅で価格差がそれなりにあったので米原駅を利用していましたが値上げにより米原駅を利用するよりも京都駅発着の早特商品を買うほうが安くなってしまったので米原駅周辺の旅客はともかく京都駅との中間である野洲以南の旅客は京都駅を利用する方を選ぶので鶴賀延伸と合わせて新幹線・特急の乗り換え利用者は減りそうです在来線の始発駅ですから混んでる京都駅から折り返すよりも確実に座れるこじんまりとした米原駅の方が個人的には好きなのですが価格には勝てません
8:05 長浜市の人口は11万人いますよ
確かに行った時思いました、駅前にコンビニすらなかった気が、、同じような感じで相生駅もやって欲しいです!新幹線止まるのになかなか街が発展してないイメージ。
駅前がそこまで発展していなくても、在来線の結節点および普通列車の運行拠点という条件を満たせば新幹線乗り入れは可能です。東海道新幹線の彦根駅に乗り入れなかった理由は当時北陸本線の普通列車が米原駅より先の彦根駅に乗り入れておらず、乗り入れる見込みすらなかったからです。これは山陽新幹線の西明石駅や新山口駅でも同じことがいえます。改めて北陸新幹線は高岡駅に乗り入れるべきだったと悔やまれます。個人的に米原駅と比較しがちなのがJR四国の阿波池田駅で、土讃線から徳島線が分岐しています。駅周辺人口も米原駅周辺と同じくらいです。過去の動画で鐡坊主さんは四国新幹線の計画で琴平で松山方面と高知方面が分岐し、高知方面へは阿波池田駅に乗り入れる案を示していましたが、私だったら阿波池田駅で分岐したほうがいいと思っています。阿波池田駅で分岐できれば、松山〜高知間の移動にわざわざ遠回りせずに済みますし、松山〜徳島間の移動でも徳島線特急との乗り継ぎで高松を経由しない短絡ルートが確立されます。松山駅までの途中駅は伊予西条駅のみで、在来線普通列車の運行拠点にならない伊予三島駅や新居浜駅などに新幹線を乗り入れさせる必要はありません。
鉄道でも車でも便利な彦根駅東口側の開発に全てを持って行かれた感じ。
最初から与えられた役割が役割なだけに、今更どうなるものではないでしょう。これはもし北陸新幹線が米原ルートになったとしても同じ事。発展性は無いが交通の利便性を享受できるのだから上等でしょう。ここはまだ恵まれている。
北陸新幹線 北陸中京新幹線も忘れずに。
米原市には少し関わったことがあるので感じますが、役所の移転も含めて行政が空回りして民間が少し引いているみたいな印象がありました。人口減少対策もおっしゃる通りで、草津や守山みたいな手は使えません。鉄道と道路の要衝であるメリットを生かして工場を誘致するしかないと思います。今はモーダルシフトも求められているので、メリットは大きくなっているはずですね。駅前の活用は、まず地元の人口を増やさなければ進まないかと。たいていのことは長浜か彦根へクルマで出れば十分ですし。利用者目線だと、商業施設が出来るメリットより、開発されて駅前駐車場の料金があがるデメリットのほうが大きいかもしれませんが。
東海道新幹線が雪で遅れる時にしか米原を気にしない人も多いでしょうね
岐阜市民ですが西日本方面へ新幹線で行く時は米原駅を利用させてもらってます。確かに米原の駅前は何にもないですがその分駐車場代が安いので助かってます。ちなみに米原駅よりはやや栄えてる岐阜羽島駅は場所的に駅が中途半端なんで利用しません😌米原駅ありがとう!!
米原で暇つぶしするにしても行くところが無いので大変でした。駅併設の市役所が、高校生たちの勉強スペースと化していたことが印象的です。
米原駅って特急や新快速が止まるたびにめちゃめちゃ混むんですよね。にもかかわらずトイレがちっちゃいから、男子トイレでさえ長い行列ができます。あれをなんとかしてほしいです。
JR西からすると、乗り換え客はお金を落とさないからテコ入れは厳しそうな…。
特急の客はきれいな特急電車内でトイレする。湖西線やないから治安も悪いない。18キッパーの時間帯のみ混むだけ。
3年前にセブンイレブンが移転して多少使いやすくなりました。
改札口の中と外両方から使えます。
@Pineapple00000 さん快速と新快速コロナ減便したからな。今も減便中。コロナでリストラされた人がけったくそ悪いので募集に応じないから永久減便。
まだ東海が6連化してくれて大分ましになったんですよ。昔は10連新快速から大垣行き3連… 西の相生 東の米原でしたから。
駅の東側が山、西側が琵琶湖で意外と街が狭いんですね。
ヤンマーの研究所とか鉄道ファンにはお馴染みの実験施設がありますから、産業はそれなりにありそう。
若いころ18きっぷで何度も通りましたが、米原駅はあの物寂しい独特な雰囲気が好きでした。
関西からみたら「異国情緒漂う」というか、北陸本線やJR東海の車両が待機していて、東国や北国への玄関口という雰囲気を醸し出していたし、
逆に関東東海から米原駅に到達したときは、JR西日本の青い駅名標にアーバンネットワークの車両を見て、「ついに関西に来たんだ!」と実感したものでした。
ちなみに、米原駅構内は1995年に18きっぷのポスターにも採用されています。
古びたホームにて駅そばをすする若者たち、懐かしいです。ネットで検索すれば今でも出てきますよ。
異国情緒漂う印象は同じですが、昭和45年生まれの私にとっては「関西」との印象とは全く逆で、米原駅はむしろ「名古屋(東海)圏」の駅でした。国鉄時代の米原は名古屋鉄道管理局下にあって、駅ホームの自動放送も名古屋や岐阜と同じだったんです。近江八幡市の在住である私は、中学生の頃、その「異国」の空気に触れたいと、30分という所用時間でよく脚を運びましたね。もう今はありませんが、彦根ー米原の線路のすぐそばにある「管理局境ポスト」を横目に見ながら。
昔、鉄道ピクトリアル誌で、「雨の米原」と言うページが有り、これ程詩情漂う駅が他に有るだろうか、との文章がありました。新幹線がまだ開通していない頃、沢山のホー厶と、広大な貨車操車場、入換貨車の連結音に機関車の笛が響く光景に自分も何と無く詩情を感じたものです。
私は90過ぎで元気。することがないのであちらこちら暇つぶしにJRにのって、いわばのり鉄老人です。
先日jr快速に乗って米原まで行きました。駅改札を出ると自転車の貸し出しをやっていました。ああ、これで琵琶湖一周したら面白いなあと思いました。でも体力が心配、服装も適切でなかったのでやめました。近江鉄道は500円で乗り放題の切符をだしていました。三重県の方を回って名古屋に行き、帰りました。夜遅く家に着きました。楽しかったです。
鐵・謎坊主様の投稿はデータベースが深くて感銘します。30年位前は彦根城と多賀大社しか関心がなかったので、JRを降りて近江鉄道に乗り換えるだけでした。
しらさぎの停車駅で1番都市規模が小さいのは他でもない米原なんだよね
本当に拠点性だけで特急停車駅になってるけど、スイッチバックと会社境界がなかったらそのまま通過して長浜停車になってたと思う
今は無き「きたぐに」が583系電車化された頃に米原駅は通過(運転停車)で長浜駅に停車していたのを思い出しました…
中川デルタみたいなのがあったら大垣の次は長浜かな。むしろそれすると長浜が全列車停車で、史実よりも長浜がべんりではってんしてそう
こんな感じの動画は、本質をとらえてるから時が経っても色褪せず、ためになるんす
「そもそも米原に(都市化を進めるための)広い土地が無かった」というのも大きな理由だと思うのですが。
米原駅から琵琶湖の間には一見、未開発の農地が広がってますが、このあたりは戦後に作られた干拓地で、それまでは入江内湖という琵琶湖に繋がる湖だったようです。
米原は市と言っても、単に合併して人口がそれなりにあるから市になれてるだけで、米原町エリアも新幹線があるだけの一ローカル駅に過ぎないです。交通の要衝の米原、ショッピングの坂田(近江町)、観光地の醒ヶ井、山側の拠点と山岳観光の長岡(山東町)、山林と雪観光の伊吹町
それでも米原駅の固定資産税収入は米原市にとっては膨大な額になると思います。
下手に行動して赤字を作るより、慎重に動かずに黒字を維持するのが米原町や米原市の基本姿勢だったのでしょう。
これは生物の生存戦略としては立派な生存戦略の一つで、ナマケモノなどが脈々と生き続けています。
ナマケモノ扱いはさすがに草。でも余計な箱モノを作って、巨額の赤字に苦しめられるよりは、無駄のないスリムな体質で継続性を重視するのは、これからの地方自治体に求められる姿勢とも言えますね。
自分は馴染が無いが、イオンモールとやらが、やたらに出店してるようで、地方のそれなりの都市でも、メインの在来商店街が無惨なシャッター街になってしまってるから、やたら商業施設やスポーツ施設等もいずれお荷物の赤字源となるかもで、無理に在り来りの開発等しない方が良い場合も有るかもだ。
30年前後前の米原駅は今より駅は活気あったと思います、
ホームでは駅そば駅弁販売キヨスク、
近江鉄道も昔の駅舎は昭和感ありました、
covid-19で在来線の駅そばが閉店、なんとか駅弁販売だけ残ってます。
@@ksasak さん 子会社のほうが可愛いからな。駅弁にセブンのおにぎりは含まれないやろけど。
学生時代、青春18切符で何度もお世話になりました。駅前にスーパーができるまでは本当に何もなく、時間つぶしにすごい時間かかりました。冬場は、雪もけっこうすごかった思い出。懐かしいです
そのスーパーである平和堂は2019年に閉店した。冬は寒くて雪降るから待合室か車内で待つしか無い。
@@playboy4649japan
大規模スーパーである平和堂は閉店しましたが、普通の規模のスーパーマーケット「フレンドマート 米原駅前店」ができました
@@playboy4649japanさん 4階建ての平和堂は閉店して平屋の平和堂フレンドマートにリニューアルされて少し裏手に移動した。
あの平和堂無くなっちゃったんだー。よく時間つぶしでお世話になりました。
2020年にフレンドマート米原店として再開店しました。
今は逆側の米原市庁舎一階にできたのケーキ・パン屋さんの方に行くことが多いですが。
誘致に成功してヤンマーの中央研究所が大山崎から移転してきたり、市役所を東口に新規に開庁させたりと、20年前に比べれば…と思いたいですが、なかなか駅の発展が見えてこないです。ここにきて新快速が減便されたことは追い打ちの大打撃。乗り換え駅としての役割も北陸新幹線の敦賀延伸で低下が見込まれますし、駅機能だけでなく、行政も彦根または長浜もしくは両者と大合併もあるのではないでしょうか?
滋賀県の地場スーパー、平和堂でさえ米原駅前から撤退したくらいです
昔、彦根に住んでいましたが、乗り換え以外で米原に行く用事がほぼなかったです
系列のフレンドマートが代わりにできましたね。
映画『ブレットトレイン』でハリウッド的トンデモ日本が舞台となっている中で駅の周りに何もない荒野が広がっている米原駅が出てくるシーンだけ「唯一本物に忠実」って見た人達から言われてるの好き
とにかく長浜と米原には頑張ってほしい!
私は福井県出身なので、米原駅はよく利用していました。
米原で新幹線を降り、北陸本線ホームに立っただけで、北陸に来たという雰囲気が感じられました。
米原市在住者です。
相変わらず調査内容が詳細で驚かされます。そう言えぱ暇坊主さんは滋賀県に住んでいたことがあるんですね。
北陸新幹線が小浜経由に決まったこと、米原貨物駅計画が頓挫した辺りが、米原にとっての近年のトホホ案件でしょう。
しかしこの間、宅地開発にかなり大型のものがあったり、永遠に田んぼだろうと思っていた駅と琵琶湖の間に住宅が連なったりと開発が意外と進んでいる面もあります。
大垣に住んでいたときに関西方面への乗り継ぎでよく米原駅を利用したけど、冬のホームの寒さがキツくて辛かったなあ。せめて駅ナカにカフェとか休憩ラウンジ程度でもあればいいのにといつも思っていた。
伊勢中川「停車中の電車を待合室やホーム移動用の通路として使わせる近鉄はやさしいんやなぁ…」
大宮は京浜東北線の開業で東京の住宅地に転換していて、さらに戦後は商業地として成長できたのが良かった。
今も巨大な大宮総合車両センターが鎮座するけど、南のさいたま新都心や北の鉄道博物館も鉄道施設だった事を考えれば、昔の「鉄道のまち」がどれだけの労働力を必要としていたのかがうかがえます。
彦根にビバシティ平和堂、長浜にもアルプラザ平和堂、西友、イオンがあり、米原に商業施設を作ってもダメでしょう
米原にはヤンマー研究所やアイリスオーヤマの工場が立地しており、米原は工場立地を中心に、背伸びせず身の丈でやっていくのが正解だと思います
米原は大阪と名古屋の大都市近郊区間内と言えるので、その中だと各都市への在来線での利便性の方が重要ですよね。
大阪名古屋どちらからも在来線の果ての的な場所なので、そこまで発展しないのは仕方ないかなと。
JRになるまで名鉄局管轄で新快速も最初は彦根発やったけどな。
それも酷い、岐阜駅さえ飲食店充実、米原駅牛丼屋もない
@@baha2046 さん 岐阜は特殊な風呂屋さんが超充実。
@@tabibito6330
金津園w
彦根城を見た後に新幹線に乗り関東方面に帰るため米原から乗り換えたが駅構内は比較的閑散とした印象があり乗り換え時間の間は暇つぶしするような店や飲食店が無かったと記憶している。宿泊をした彦根も城までは歩くと蹴っこな距離もあり駅前は有名観光地の割にはさびしい雰囲気が漂っていた。開発は城とは逆側の改札周辺にショッピンセンターなどができ地元の人の流れはそちら側に流れていると思った。
集客を考えると米原駅前の山寄りにショッピンセンター、ホテルの出典は相当厳しいものになると思われる。
こんにちは。
米原市は江戸時代から彦根市の衛星都市ですからね。
あと、発展しなかったのは、米原は雪国なんですよ。伊吹山と、滋賀と岐阜の県境付近はめちゃくちゃ降ります。
関ケ原や佐和山、賤ヶ岳やらに近く、歴史好きにはたまらない場所なんですが、泊まるなら彦根か長浜なんですよね。
湖南地区在住の滋賀県民ですが、盛り返してほしいものです。
米原駅の駐車場は関西JR在来線旅行をするにあたって、非常に重宝しています。
東横インで泊まって夕飯は駅近くの来来亭。唯一の楽しみ
一方で、今年母校の応援で甲子園へ行った時、米原の東横インに宿泊しようとしましたが満室だったので、彦根にしたという経緯があります。彦根のほうが安かったのに空室あり、米原のほうが高かったのに満室。これは明らかに新幹線の最寄り駅であるかそうではないかで別れたように思います。さらには、名神と北陸道が交差するという立地もあるでしょう。むしろ、古い町である長浜と彦根は新しいことはできないように思います。彦根駅前にはホテルだけではなく家電量販店もあるので人口が維持できている点があると思いますので、米原は駅ビルにこだわらず、例えばスーパーがあるだけでも賑わいを創出できるのではと思います。
リニアが開通したとして、本当に東海道新幹線から多くの転移があるかは疑問で、むしろ航空からリニアへの転移が進み、東海道新幹線はそのままというケースさえあり得ると思います。なので確かに時間的には猶予はないと思いますが考えておられるよりは時間はあると思います。とはいえ、早きに越したことはありません。
米原駅前にも「平和堂」という日用品なども売ってる店があったのですが、縮小して食料品だけのスーパーになってしまいました
@@てん-l8g
車で来れないからだったのでしょうか?米原駅にこの夏降り立ちましたが、明らかに新しくなっていたのですが、駐車場とか整備する計画がないのでしょうか。
彦根は他にもホテルありますから。米原は昔は一つも無かった。
@@ワッツ-d7b
あるのは知っていますが、東横インでとなると、彦根にもう一つあるわけではないので。
昔から言われてることだけど、米原の駅周辺は、地盤が弱いのよ。開拓のための土地を掘っても、石炭のくずが出るばかり。
なので、高いビルを建てようにも、建てられなかった。住宅を建てようにも、基礎の費用が高くつくから、敬遠された。
ただ、ボーリング技術も発達したようで、最近、高層のホテルが建ちましたね。これからに期待。
そうそう! 米原駅周辺はもともと琵琶湖の内湖だったところで、掘れば釧路湿原よろしく泥炭が出るはず。
だから田んぼくらいにした土地の利用ができないし、それゆえに機関庫や操車場といった広大な敷地を要する駅ができた、とも。
米原駅は映像でも判りますが、東南方向はすぐに山が迫っています。西の彦根市へも国道では小さな山越えをします。更に1km 程北は鳥人間で有名な湖岸です。元々スペースが少ないのと、北畠家の墓等歴史的な寺等の材料があるのに県が有効活用していません。駅周辺の県の土地も国道整備したときにしっかりとしたビジョンを持っていれば、似た場所としての相生駅以上に賑やかで良い駅になっていて北陸新幹線の接続も視野に入ったかもしれないですね。
唯一残念なのは、多賀大社は多賀町なんで彦根市ではない
平成の大合併をしなかったせいですが
山沿いの工業団地もありますし、人口に比べてお金があるんでしょうね。
新幹線の接続悪くて時間空いた時に、ささっと何か食べようと思っても駅から見える範囲にそういう店があまり見当たらないので結局構内のセブンイレブンで何か買うことが多いですね
駅弁業者の井筒屋の「ステーキ弁当」も
気のせいかステーキが小さくなったような気がしました。
値段はそれなりなんだけど。
ちなみに、米原駅の住所は、米原市(まいばらし)米原(まいはら)です。
新幹線車内から見える『せんねん灸』の看板も米原駅名物ですよ😊
米原市民ですが 米原駅前開発って 市役所建てた位ですよ なーんもない 静かな町です 昔から、
彦根市民です。彦根城の近くに住んでますが、彦根駅より米原駅を利用する頻度の方が高いです。
なぜなら必ず座れるから。
境界駅のため、米原始発の列車も多いです。
駐車場も1泊300-400円くらいなので、
新幹線停車駅とは思えないほど安いです。
湖東地区の運転免許センター、パスポートセンターもあります。
そこも大体すいてます。
なにげに便利ですよ。米原。
上越新幹線の燕三条駅とは対照的ですね。燕市と三条市の市境にできた燕三条駅も、どちらの市の中心部からも離れているけど、やはり駅の近くに北陸自動車道の三条燕インターがあって、後からロードサイド店がいろいろ出店しています。米原駅と米原インターは山を挟んで離れているから、むしろ市街地が分散してしまっていますね。
米原のホテルに一泊したことあるけど、駅前本当に何もなかった。初めから隣の彦根に行ってればよかったです。近江鉄道乗ったのは思い出ですが。
単なる「ジャンクション」の域を出なかったのが原因でしょうね。素通りする人が、偶然ドアトゥドアで乗り継ぐだけの場所。列車が到着した瞬間、乗り換える客がゾロゾロ歩いてる風景は「素通り」にすぎず、別に賑わいでもなんでもない。全国各地にこんな駅はまだまだあるように感じます。
昔はこれでも賑わいと呼べたのかもしれないが、米原を目的地として、街に出てもらう仕組み作りは確かに課題かもしれませんね。
乗り鉄とドライブ両方好きな私は最後の道路が名神だってわかって嬉しい気持ちに しらさぎの来年衰退で客単価が下がる事が心配ですね しらさぎとか特急系の乗客が駅弁を買ったり乗車券の単価も高いですからね
彦根(佐和山)の方が昔から北国街道と中山道の交点でもあり、井伊家の城下町として発展していってたのも大きいと思いますよ。
長浜にしても、秀吉の整備した城下町がそのまま湖北の中心地となっていってる形なので、両方から距離が離れていないから、米原は発展しずらいのかもですけどね。
同様のパターンに旧小郡駅があります。在来線の要衝として確立され、新幹線の駅ができたにも関わらず、目立った発展を遂げることはできなかった。
米原駅周辺は物流施設や次世代モビリティの試験場が立地するには優れたロケーションだと考えます。
・名古屋・大阪・北陸方面の交通の要衝
・琵琶湖に近く、水環境が整っている
・米原駅西口から約1〜2キロ西の土地に余裕がある
豪雪地帯なので適してはいないのではないでしょうか?
@@totu4039 さん
豪雪地帯という事情は考慮する必要がありそうですね。
物流施設に関しては非常時の対策が課題になると思います。
次世代モビリティの試験場については豪雪地帯という特徴を活かして非常事態の試験をするのに米原駅周辺の環境は適していると考えます。
@@totu4039言うほど豪雪でもない。降っても毎年20cmから30cm、多く降っても80cm。このことも思えば、むしろ雪国向けの実証もできるので一石二鳥では?
@@393_Kariumu 雪国向けの実証をしたければ雪国(北陸、東北)でやればいいと思います。雪国向けの実証にどれくらい意味があるのかわかりませんが・・・
京都南部や奈良北部など、積雪がほぼなく広い土地がある場所がたくさんあるので、わざわざ平地の少ない米原を選択する理由がないと思います。
興味深い考察有難うございます。自分は長年青春18切符で米原は本当に良く通るのでとても思い出深い駅です。
米原や大垣に到着すると西日本に来たなーという旅情にひたるのが醍醐味でした。米原はその交通の要衝たる位置に比べていつも周囲が閑散としているなと思っていました。
地方の駅にはありがちなことですが、東海道の主要駅にしては不思議な位だったので今回理由が分かりなるほど~と納得しました。なんとか賑わう地域になって頂きたいですね。
確かに駅周辺は寂しいですね。
湖西線が出来てから、関西からのアクセスは米原経由ではなくなりましたし、東京からは北陸新幹線になったでしょうし…
国鉄分割民営化の際、流動の少ない個所を境界駅にするという取り決めがあり、境界駅として選ばれた米原は当時の旅客流動の谷間であったことと思います。
JR化後は、長浜、果ては敦賀からの京阪神直通が設定される一方、大垣からの京阪神直通がなくなってしまいました。
高速道路のインターチェンジにも近いので、物流倉庫や流通センターが立地しても不思議ではないのですがあまりなさそうな様子で不思議です。京阪神からも中京圏からも遠いのが難点なのかも。
米原駅の駅弁が大好きで、時にはわざわざ「ひかり」を選んで停車中にホーム売店で弁当を選ぶのも旅の楽しみでしたが、上り東京方面の売店は今年1月の段階で全廃されてしまっていました。
北陸新幹線敦賀開業でも米原駅が活性化される見込みは薄そうで今後を案じてしまいます。
今でも閑散としている米原駅前ですが、東横インとスーパーができましたよね。
東横インとスーパーができる前の米原駅前はホントに道路と民家しかない感じでした。
昭和40年代、米原駅停車中の急行「比叡」の車内から窓越しに駅弁とプラスティックの容器にティーパックが入ったお茶をよく買ってました。
何も無い割には広大な米原駅の駅名標には(滋賀県坂田郡米原町)と書かれていたのを覚えています。
佐久平と小諸のように大逆転現象は起きず、新幹線が通っても彦根・長浜と米原の関係性は今でもあまり変わってないのがよくわかる動画でした。
もし、北陸新幹線が米原ルートを選んでいたら変わったのかもしれませんが、その可能性もほぼ0になりました
小諸の場合は佐久平に新幹線駅ができたことで小諸駅が不便になったという事実がありますが、彦根や長浜は米原に新幹線駅ができても利便性が低下したわけではない点が大きな違いかもしれませんね。
特に彦根なんて1駅5分程度の距離なので新幹線ができたからと言って米原に拠点が移るということは考えにくいですし。
北陸新幹線延伸が遅れてリニアの大阪延伸後になれば、東海道新幹線乗入れのため米原経由に変更されるかも。
@@FLAKPANZER2000
東海道乗り入れは、JR西日本が拒否すると思います。
@@kezuri_ 様
直通するか否かに関わらず、北陸新幹線を米原に乗り入れたところで米原がターミナルとして充分に機能するとは思えなくなってしまいました。
残念ながら北陸新幹線は敦賀で打ち止めとせざるをえないでしょう。
東海道新幹線のバイパス的路線を期待していただけに非常に残念でなりません。
北陸新幹線が米原ルートを選んだら、名古屋方面からの乗り換えすら消滅する訳だから、もっと衰退するのでは?
長浜市の人口はおおよそ12万人です!
北陸新幹線は京都経由は調整が非常に難しく、一旦土地の収容が容易そうな米原止まりにすれば良いのにと思います。北陸新幹線の速達タイプが米原を出る時間前に、のぞみが停車するのが落としどころかなと。生きている間に京都や新大阪まで延びていないような気がします。
子供の頃,大阪駅ホームに[米原行]の案内放送が流れ🚅も停車するので断然巨大な街と思っていた。彦根,長浜の存在を知ったのは成人以後😅
30年以上前ですが、学生の頃に名古屋から福井へ行くため普通電車を乗り継いで行く時、1時間以上の待機時間を駅前の平和堂でスガキヤのラーメンを啜っていたのを思い出しました。バブルの全盛期の時ですらそんなに発展していないイメージでしたが、今は更に酷くなっていることに驚きです。
平和堂がただのフレンドマートになって弱くなった気がします。また例のコロナ禍で駅東口南側の開発も遅くなったりどうなってるのやらの状態なのも影響な気がします。
数十年前の冬期、北陸線から23:54発の寝台急行『銀河』(現在はありません)へ乗り換えで、米原駅で2時間以上待つ羽目になりましたが、
暖房が効いた新幹線待合室は最終新幹線が過ぎると中から出るよう言われて閉鎖され、1時間以上冷たい風が吹き抜ける駅舎内で待っていたことがあります。
時間的に通過列車もほとんどなくもう2度と米原駅で待つのは嫌なため、わざわざ銀河の始発駅の大阪まで行って乗るようにしていました。
電車の中で、忘れ物をしてしまい、回収いただいたのが、米原駅でした。さすがに、遠くて、着払いで送付していただきました。ちなみに、逆方向の網干駅でも、対応いただいたことがあります。駅員さん、ありがとうございました。
最も土地の価値が高い駅前は高層住宅を建てるのが正解だと思います。低層階は商業施設でもいいですが、建物だけで一つの町の機能が提供できるようなものが必要です。
米原一度行ったことがありますが、確かに何もなかったなあ。地図でみると多くの電車の乗換駅だから大きく見えるんだけど、実際に行ってみると「へ?」って感じになりますよね。ホントに乗換駅としての需要しかないってのがちょっとかわいそうですけどね。
7:50 米原市になる前は、まいはらまちではなく、まいはらちょうでした。
米原ってどうしても北陸もしくは東海道への中継点や分岐点ってイメージで旅の目的地っていえるほど名物のイメージもないし何か旅の目的地に出来る様なものが何かあれば変わるかも。
鉄道唱歌の時点で「♪北陸道の分岐点」と歌われているくらいですから。
湖西線がなかったころ、住んでいる富山県から、急行立山で米原に着くと、浜松行きや西明石行の、オレンジと緑の電車がいて、表日本に来たなあという気持ちになりました。
開発するなら東京・品川・新横浜・名古屋・新大阪に投資したほうが
リターン大きいですよね
米原駅にはそれらの駅から新幹線に乗ってやってきますし
長浜は大河ドラマで、彦根は城とひこにゃんで完全に観光都市化したので間にある米原市はほっとかれた印象。
あと、長浜市は都心部の人口は増えているが、合併した田舎の老人が亡くなっているから全体として減っている。
ちなみに米原市は車でしか行けない観光地が多いから電車利用は少なくなっても仕方がない。
実家が彦根だから、大学時代から帰省のたびに米原に迎えに来てくれた父親と「ホント何もないね、ずっと変わらないね」と話すのが恒例行事になってた
20年以上ずっと同じ繰り返し…
JRや市が無能なのか、それともものすごい先見の明でこの有様なのか誰にも答え合わせできない謎を抱えた街、米原w
俺が還暦とか70,80になって小銭が余ってたら、駅前に子供を迎えにくる父親母親を称える石碑でも作ろかな
ほんとにそれくらいしかこの駅を象徴するものってないんだもん笑
昔の鉄道クイズで、
「東海道山陽新幹線の駅で、駅自体が『町』に所在するのは?」
というのがあり、答えはこの米原と小郡(今の新山口)だった。
小郡は所在する旧小郡町が、山口県の県都がある隣の山口市と合併した為に、駅名も「新山口」となり、山口市の玄関っぽくなった。
対して米原はというと、滋賀県東部岐阜県境までの町々との合併で、「米原市」の所在とはなったものの、動画にもあるように、既存の彦根市と長浜市に挟まれて、町の発展がない。
好対照ですな。
米原駅があります米原市は彦根市と長浜市に挟まれた場所であり、尚且つ東海道新幹線が開業した当初から新幹線の駅がありましたが、当時から滋賀県東部の中心都市は隣の彦根市でありましたので、新幹線駅開業当時から現在まで米原駅新幹線ホームから乗り換えで彦根市や彦根市の次に重要な都市であります長浜市へそのまま向かう利用客が多かったかと思います。
また金沢方面からの特急・急行列車が停車し、そのまま新幹線ホームへ向かう利用客が多く、反対に新幹線ホームから金沢方面へ行く特急・急行列車へそのまま乗り換える利用客も多いですので、「乗り換えるだけ」の重要性が高い米原駅が改札外に出てショッピングしたり食事したりする利用客があまりいなければ、駅前が栄えないのが納得できますね。
何度か米原駅に行った事がありまして、橋上駅舎になる以前に訪れた時は東口の駅舎が小さく、西口は駅舎自体ありませんでした。その後自由通路を備えた橋上駅舎になりますが、必要最低限にまとめられる位小さな駅舎でありますが、在来線改札内はスペースが大きく、新幹線改札内に待合室がある程、やはり乗り換え客を重視した駅構内の設計になっているなと感じました。
多賀大社があるのは彦根市ではないけどね(その横の犬上郡多賀町)
長浜(今浜)は羽柴秀吉の居城として名を馳せるも、もともとは浅井長政など浅井家のおひざ元。また彦根のシンボルとなっている彦根城は、井伊直政が石田三成が居城としていた佐和山城を廃城とし、嫡男の井伊直継が継承して新たに建てられた。よって、長浜も彦根も、封建時代から栄えていた街だったため、鉄道を敷設する用地が限られており、結果、北近江の鉄道拠点としては、米原に白羽の矢が立った、という感じかな。要するに、駅周辺の許容スペースの問題や、東西南北に広がる鉄道網の中継点として、新大阪駅が設けられた経緯と似ているのが米原駅。はっきり言って、それだけの存在の駅であるため、米原駅に従事していた職員は大勢いたとしても、取り立てて、米原で下車して周辺施設を利用してみたい、という地とは必ずしも言い難い。それでも、今でも新幹線も通る、北近江の鉄道拠点であることに相違はないが、今、米原に観光開発を注力したところで、封建時代から栄えてきた長浜や彦根から人流を振り向けることは難しい。北陸新幹線の敦賀以西ルートとして、いまだに米原ルートを支持する声は根強く、また、中京新幹線が検討される際には、米原を経由することは不可避であると考えられていることから、将来の新幹線構想如何によっては、米原の存在感、重要性が増す可能性がないとは言えないが、彦根や長浜を繋ぐ中間地点であるならば、その役割を逆に生かす施策が求められる。北陸新幹線の米原ルートは実現しなくとも、中京新幹線が通るようならば、現在はどちらかというと関西圏の色合いが強い米原に中京圏の文化もそれなりに入り混じり、独自の「米原文化」を醸成できる可能性がある。中京新幹線の実現性は未知数だが、いずれは実現しなければならないルート。それが実現するまでの間、まずやれることは、宿泊施設の充実や企業誘致が考えられる。そのうえで宅地化を進める、ということが、今後の米原の課題となりそうだ。
5年前くらいに青春18きっぷで旅していた時に、食事がしたくなったので、新幹線が止まる米原駅なら何かあるだろうと途中下車したけれど、
周囲に小さなデパートがひとつある程度で何もなく、驚いた記憶がある。この動画で理由が分かり納得。
結局、駅の食堂でカレーとか食べたんだったっけ。
米原に限らず改札からでる必要ない乗り換え駅は利用者数に対して駅前が発展しづらいと思います。
駅前の発展には利用者数ではなく乗降者数が重要と思います。
県民です。
彦根に新幹線を引いていれば...と50代60代〜上の方はよく話します。米原は県民の間でも平和堂が閉店などで諦めムードがある感じです。
県民でも京都で新幹線に乗るパターンも多々あるので、新幹線駅としてもアドバンテージがあるようには思えません。
平和堂が閉店した時点で、詰んでいると思います。(平和堂は滋賀県内ならかなりの駅前に店舗があるスーパー)
近江鉄道も「のぞみ」登場前のダイヤだと新幹線との接続を考慮したダイヤを組んでいましたが、のぞみ大増発で湖東地域の人でも京都駅経由でのルート志向が強まり、新幹線との接続は考慮されないダイヤとなりました。
……やっぱり彦根が県都にならなかったのが、一番の遠因かと。
長年米原貨物ターミナル建設の構想があり結局昨年断念してしまいました。
旅客も貨物も北陸方面への乗り換え・分岐点といった位置付けといった形で進んでいくんでしょうね。
かつて新幹線と在来線の乗り換えでめちゃくちゃ歩いた思い出があります。
今考えると鉄道と共に歩んだ駅なんだなと改めて認識しました。
上越妙高、伊勢中川、国府津、友部、和田山、備後落合、
元々周辺に何もないところに乗り換え駅が出来ても、
周辺は発展しづらいんでしょうね。
乗り換えは、駅内部で完結してしまいますから、人が外にこぼれて来ない…。
逆に、最初に古くからの大きな街があって、それ故に駅が出来、
そこに路線が集中してきたような駅は、
路線が複数集まったのが、その街の吸引力によるもので
乗り換え駅になったのは路線が集まった結果に過ぎないから、
駅も街も大発展する。
街を訪れる人も乗り換える人も多いので。
名古屋、小倉、岡山、広島
姫路、郡山、高崎、小山…
前者の到達できる限界は…
小郡改め新山口レベルまでかな…
あれでもよく頑張ったと思ふ。
乗り換え専用駅の大将。
駅の周りに何も無い、よりはちょっとマシくらいではある。
確かに米原って新幹線なら新大阪まで35分で着くので
もっと栄えてもいいですよね
昔々は東口前の方は小さいなりにお店や商業ビルがありましたね。
ゲーセン、喫茶店、食堂、ラーメン屋、おもちゃも売ってた商業店舗
そこでギャオスのプラモデル買った思い出あります
鉄道がそれ自体「産業」だった時代があったのですね。
SL時代は動かすならヒトモノカネが必要でしたからね
最近の観光SL列車の舞台裏を観ると、小型SL1台動かすのも大変なんですね。観光SLなんて、鉄道会社には儲け等出ないのではないかと心配しました。
新幹線側の待合室にあった立ち食い蕎麦が美味かったな。
冬なんて新幹線のホームで待つのは寒いからここで蕎麦を食べて暖まってからホームへ降りた。
なんかの番組で見たけど東海道線内の駅そばはここ米原から関西風の出汁に変わり汁も濃い醤油の色から薄い色に変わるらしい。
ここの蕎麦は寒さと関西風の出汁の美味さもあって印象に残っている。
20年程前、18切符の移動で米原止まりになってしまい駅前で泊まる場所を探しました。
今のように検索する手段がなく、日付が変わってからチェックイン可能なホテルが見つからず、駅前の交番を頼ってなんとか泊まる場所を見つけました。
カビ臭い畳に小さなテレビ直置きの部屋に素泊まりで7,000円。その当時でも「高っ!」と思ったのを覚えています。
二度と米原止まりにならないようにしよう…と、それだけの記憶しかありません。
そしてそれ以来、通過しかしていません。
青春18きっぷで名古屋方面から福井・石川方面へ行くときに米原で乗り換えすると乗り継ぎが悪い時が多くあります。
そんな時、駅には何もないし改札を出ても駅前には何もないしと昔から東海道線・北陸線の交わる駅なのになぜ駅前は栄えていないか疑問でした。
それと北陸自動車道を走っていると「米原 MAIHARA」となっていることにすごく疑問を持っていました。
今回の動画でそれを知ることができて大変勉強になりました。
西船橋も駅の外はとても県内1位の乗降客数とは思えない感じですね。
なお、空港や西日本に行ける高速バスが車庫入れしてくる光景もなかなか珍しいものです。
京都への通勤層をターゲットとした格安(失礼)建売デベロッパーの主戦場は長浜まで来ているので米原には新規流入人口を増加させるポテンシャルはあるのですが、駅至近以外が市街化調整区域のままな現状を見ると、米原市自体が人口減少に手をこまねいている印象ですね。
姫路市民にとっては新快速の終点駅として有名な駅ですが訪れたことはありませんでした。先日、彦根→長浜へ観光旅行に向かう道中に立ち寄りましたが、表題の通り疑問に思っていました。とてもいいチャンネルですね。為になりました、ありがとうございました。
栗東駅が着工目前だったのに前知事のせいで中止になった、滋賀県の人口のほとんど南部に集中してるし。
鐡side制作お疲れ様でござい〼🫡
オフ会の後、大阪ひだの時間まで時間を潰した場所は「長浜駅」でした😅
米原駅前は厳しぃ〜〜😭
せめて「エキナカ」がもう少しでもAREばよかったのですが🤔
やはり、米原駅は新幹線と在来線との乗換に利用されるだけの駅になっている感じがして、もったいない感じはしますね。
個人的には、同じ東海道新幹線で利用者の少ない岐阜羽島駅の方が発展している気がするので、やはり、人口が少ないと厳しい印象ですね。
ただ、米原駅は、数少ないJR東海とJR西日本の列車を利用できる駅のため、色々な方面へ行きやすいはずなので、この立地は生かすべきだとは思いますね。
とは言え、今まで人口が多くなっていない事を考えると、大都市からある程度距離が離れている事もありますし、色々な方面へ行きやすいというだけでは住みたいと思ってもらえないと言う事かと思います。
ですのので、立地も生かしつつ、街の魅力を向上させる政策を行い、多くの人に住みたいと思って移住してもらえる街づくりをする必要があるのかなと思いました。
周りにスーパー以外の飲食店ラーメン屋2店だけで、他が虚無過ぎるんですよね…後は田んぼしか広がってない…中々住もうという気持ちにはなりにくいです。でも、アクセスはめちゃくちゃいいんですよね。
鉄道員のまち、信越線の 横川も。
静かな場所に...
米原駅の構内配線、立体交差が 東海道の上り線だけというのも、見事かなと思います。
東海道線の下りホー厶と、上りホー厶がかなり離れていて、間に何本もの側線?が有り,そこを付け替えや入換の機関車が通過したり、滞留しているのを、プラットフォームから間近に見られ、鉄道ファンには堪らない魅力的な駅でしたね。また構内の配線が実にユニークで、他に類を見ない駅でもありましたな。
学生の頃、18切符で名古屋方面へ向かう時必ず使いましたが、そう言われてみれば改札の外に出たこと無いですね。
223系から311系(たまに313系)にひたすら走った記憶があります。
ここは新幹線撮影には絶好の場所なんですよね~
九州人としては
糸島市の筑前前原駅と混同してしまい
つい「まいばる」と呼んでしまうw
彦根,長浜と観光や商業地に挟まれている米原はただの分岐点
むしろ、米原より坂田の方が栄えている事実、、、。
以前湖北地域で働いていた時期は岡山方面に直接向かう際に米原をよく使ってました。
しかし自宅が米原以南なもので、辞めてからはめっきり使わなくなりました。
そもそも米原で新幹線に乗ったとしても、結局京都で乗り換えるので米原から乗る意味もそれほどないんですよね。
山陽方面直通の便が停まってくれるなら別なんですが、、、。
そもそも新幹線ができる1964年の段階で米原駅は75年の歴史を誇る交通の結節点だったのに、結局は彦根とかの方が栄えていた。 新幹線が出来ようが、簡単には覆らない歴史があったと地元では言ってましたね
待ち時間に周辺散歩したことがあります。本当に、ただ歩いただけ。それもまたよし。
JR東海のエクスプレス予約でも以前は対東京・品川方面では京都駅と米原駅で価格差がそれなりにあったので米原駅を利用していましたが
値上げにより米原駅を利用するよりも京都駅発着の早特商品を買うほうが安くなってしまったので
米原駅周辺の旅客はともかく京都駅との中間である野洲以南の旅客は京都駅を利用する方を選ぶので鶴賀延伸と合わせて新幹線・特急の乗り換え利用者は減りそうです
在来線の始発駅ですから混んでる京都駅から折り返すよりも確実に座れるこじんまりとした米原駅の方が個人的には好きなのですが価格には勝てません
8:05 長浜市の人口は11万人いますよ
確かに行った時思いました、駅前にコンビニすらなかった気が、、
同じような感じで相生駅もやって欲しいです!新幹線止まるのになかなか街が発展してないイメージ。
駅前がそこまで発展していなくても、在来線の結節点および普通列車の運行拠点という条件を満たせば新幹線乗り入れは可能です。東海道新幹線の彦根駅に乗り入れなかった理由は当時北陸本線の普通列車が米原駅より先の彦根駅に乗り入れておらず、乗り入れる見込みすらなかったからです。これは山陽新幹線の西明石駅や新山口駅でも同じことがいえます。改めて北陸新幹線は高岡駅に乗り入れるべきだったと悔やまれます。
個人的に米原駅と比較しがちなのがJR四国の阿波池田駅で、土讃線から徳島線が分岐しています。駅周辺人口も米原駅周辺と同じくらいです。過去の動画で鐡坊主さんは四国新幹線の計画で琴平で松山方面と高知方面が分岐し、高知方面へは阿波池田駅に乗り入れる案を示していましたが、私だったら阿波池田駅で分岐したほうがいいと思っています。阿波池田駅で分岐できれば、松山〜高知間の移動にわざわざ遠回りせずに済みますし、松山〜徳島間の移動でも徳島線特急との乗り継ぎで高松を経由しない短絡ルートが確立されます。松山駅までの途中駅は伊予西条駅のみで、在来線普通列車の運行拠点にならない伊予三島駅や新居浜駅などに新幹線を乗り入れさせる必要はありません。
鉄道でも車でも便利な彦根駅東口側の開発に全てを持って行かれた感じ。
最初から与えられた役割が役割なだけに、今更どうなるものではないでしょう。
これはもし北陸新幹線が米原ルートになったとしても同じ事。
発展性は無いが交通の利便性を享受できるのだから上等でしょう。
ここはまだ恵まれている。
北陸新幹線 北陸中京新幹線も忘れずに。
米原市には少し関わったことがあるので感じますが、役所の移転も含めて行政が空回りして民間が少し引いているみたいな印象がありました。
人口減少対策もおっしゃる通りで、草津や守山みたいな手は使えません。鉄道と道路の要衝であるメリットを生かして工場を誘致するしかないと思います。今はモーダルシフトも求められているので、メリットは大きくなっているはずですね。
駅前の活用は、まず地元の人口を増やさなければ進まないかと。たいていのことは長浜か彦根へクルマで出れば十分ですし。
利用者目線だと、商業施設が出来るメリットより、開発されて駅前駐車場の料金があがるデメリットのほうが大きいかもしれませんが。
東海道新幹線が雪で遅れる時にしか
米原を気にしない人も多いでしょうね
岐阜市民ですが西日本方面へ新幹線で行く時は米原駅を利用させてもらってます。確かに米原の駅前は何にもないですがその分駐車場代が安いので助かってます。ちなみに米原駅よりはやや栄えてる岐阜羽島駅は場所的に駅が中途半端なんで利用しません😌米原駅ありがとう!!