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四職の方までリクエストに答えて頂いてありがとうございます😭😭結構三管領もそうだけど信長と対立したり揉めてたりしてるの知ると室町時代と戦国時代が連続してるの実感する…しかも室町時代の名家なはずなのに明治の肖像画まで出てくるあたり息の長い家になってますよね!
守護大名のその後を調べると有為転変ってのを痛感しますよね。三管領四職と謳われたのに、平和になったら僅かな勢力。それだけ乗り切るのが大変な時代だったんだなぁと。一色家には金地院崇伝もいたようですが、これも断絶したように記憶してます。家を守るのは、激動の乱世以外にも、血筋や時の勢力を両天秤にかけたり、本当に大変だったんだなあと思います。今に残る名家で、嫡流が継承し続けてる家はほぼ無いんでは?
当時のエピソードだけで無く、江戸・明治までその子孫を追跡調査してくれているので、歴史の繋がりを感じられて面白いです。
「京都の山は赤一色」で覚えた高校時代
京極氏、佐々木道誉こと京極高氏は北条高時からの偏諱でそれ以後現在に至るまで京極一族の通字になってるんだわな。分家の尼子氏は謀略がうまいし、京極本家は立ち回りが上手かったし、この一族は代々政治向きの一族なんだな。
痒くないところを痒くして掻いてくれる感じ
いいえてみょう
四職?四職・・・四職!
なんという表現力!ゴゴゴゴゴ…
四つのポジション!
パクコメ乙
リクエスト回ありがとうございます。
丹後一色氏の末裔だとされてる一色重之もいますね。帰農して江戸時代は大庄屋だったみたい
私は、丹後の与謝野町の出身で今は三河に住んでいます。丹後も三河も一色氏の拠点。三河の西尾市には一色氏発祥の地を顕す石碑があります。他方、丹後の与謝野町には一色氏が最後の拠点とした弓木城の跡があります。与謝野町あたりの方言は、愛知県のそれと似ています。
東京新聞の連載小説が最後の丹後一色氏なんだよねなかなか面白いのでおすすめです
ここに紹介されてない一色氏で、一色重之公からはじまる伊予一色家があります。丹後一色氏滅亡後、伊予に渡り、後に伊予桑村郡旦之上村の庄屋になる源姓足利氏庶流の青野氏と婚姻を結んで土着しました。この伊予一色氏は、桑村郡を管轄する大庄屋に任命され現在まで血筋が残っています。明治以降、伊予一色氏の流れを汲む壬生川一色氏の一色耕平さんが公害問題に尽力しました。この時に、耕平さんに協力したのが、先程の青野氏の分家筋にあたる青野岩平さんです。両者は、公害問題の解決に尽力したことで偉人となっています。この青野氏の血筋も現代まで残っています。歴史って色んな血筋の繋がりがあって面白いですよね笑
これ最近気になってたので嬉しい
6:53 有馬記念の名前の元となった有馬頼寧は有馬家15代当主になります。
逃げ若から調べたけどなんというか諸行無常だな
美濃国の戦国大名斎藤義龍は足利幕府からの承認の下に一色氏の名乗りと家督を得たとか。重臣達も一色家の家臣の氏に名乗りを変えたらしい…。本元の一色氏が衰退してるからでもあるんだろうけど一応はまだ丹後で一色氏が残っていたのにこんな事が許されるなんて酷い話だわな。
京極家は 鬼平に出て来るぜ 上司で
何とか江戸時代に大名として残れた京極氏だが関ヶ原で立花直茂の軍に敗れたり妻の妹が徳川秀忠の正室だったこともあって「蛍大名」と呼ばれていたらしい
尼子は京極氏の支流だよ
京極高次の孫・高広が丹後宮津藩の藩主時代にお隣の丹波福知山藩主・稲葉紀通と寒ブリにまつわるイザコザ起こしてるエピソード好き(紀通はこのイザコザを原因として火縄銃乱射事件を起こして最終、自決したと言われている)
せめて高広も寒ブリの頭を切り落とした理由をうまいこと伝えていれば…笑
家督争いは将軍や幕府が起きるように絡んでたりするからなあ
ある意味名門のプライドにしがみ付かずに、名門の看板を利用して時の支配者に接近した者が生き残ったと言えますね
山名豊国...京極高次...彼らや家を守ったのはこれらの家の女性達だと思います。凄い方々。尊敬する。特に山名豊国の三女は、猿の側室に加えられて可哀想。足利氏姫のプライド高い行動を見てる感じ、四職家だった山名家の人達もそれなりのプライドはあったはずなのに、覚悟が違いすぎる
世間の情勢に疎いと、余程の特別な才が無ければ生き残れない。情報戦によって優位に立った者が生き残るのは、戦国時代も現代も同じということでしょうね
混乱期の処し方が京極な感じ
京極竜子の働き大きいな。
山名家の場合は豊国の三女が大活躍してる。
既に言ってる人いるかもだけど嘉吉の乱じゃなくて嘉吉の変じゃない?日本史において「乱」は失敗「変」は成功だったはず
幕末の「禁門の変」などのように一概にそういう分類ができないパターンもございまして…
@ 言われてみればそうですね嘉吉の変も義教を討つところまでは成功しているので単体で見れば「変」だけれど、その後満祐も幕府によって討たれているので全体で見ると「乱」ですしね
やっぱり三管領、四職家はカッコイイ‼️私も苗字を斯波氏を名乗りたい😅
三管領もだがゴタゴタしてんな(汗)でもそんな時代が好き
丹後一色氏は最後すら不明なんだよな軍記物語は全部信頼できないし
一応帰農して江戸時代は大庄屋をやってたらしい事が麻田藩の記録にある。丹後一色氏の末裔一色重之が始祖
@@名無し-q6y5w 伝承だし家祖(重之の父・義道)が軍記物語にしか出てこないしでうーんって感じ
美濃の土岐氏も侍所の長官になれたので実際は五職よ😊
こんにちは
伊勢氏→傍流が後北条氏、嫡流は足利幕府滅亡後はいかに?上杉氏→分裂しまくったけど長尾景虎が養子になって良かった土岐氏→そういえば美濃の土岐氏以外知らないなーそんなイメージですね
ノリスケ
戦国大名が次々と刷新してゆくからね尼子や後北条、三好や織田の功績は大きいよ
厳密には彼らの功績じゃないけどね。三好は細川が内輪揉めしまくって弱体化した結果で、尼子は京極家の当主が早逝しまくって弱体化したから。後北条氏は享徳の乱などで弱まった関東の武士達を平らげただけだしね。もう内乱に続く内乱でどの家も疲弊してたところにトドメを刺したのがそれらの家だと思う
ヤホ
いちこめ
聞き辛い❗
四職の方までリクエストに答えて頂いてありがとうございます😭😭
結構三管領もそうだけど信長と対立したり揉めてたりしてるの知ると室町時代と戦国時代が連続してるの実感する…しかも室町時代の名家なはずなのに明治の肖像画まで出てくるあたり息の長い家になってますよね!
守護大名のその後を調べると有為転変ってのを痛感しますよね。三管領四職と謳われたのに、平和になったら僅かな勢力。それだけ乗り切るのが大変な時代だったんだなぁと。一色家には金地院崇伝もいたようですが、これも断絶したように記憶してます。家を守るのは、激動の乱世以外にも、血筋や時の勢力を両天秤にかけたり、本当に大変だったんだなあと思います。今に残る名家で、嫡流が継承し続けてる家はほぼ無いんでは?
当時のエピソードだけで無く、江戸・明治までその子孫を追跡調査してくれているので、
歴史の繋がりを感じられて面白いです。
「京都の山は赤一色」で覚えた高校時代
京極氏、佐々木道誉こと京極高氏は北条高時からの偏諱でそれ以後現在に至るまで京極一族の通字になってるんだわな。
分家の尼子氏は謀略がうまいし、京極本家は立ち回りが上手かったし、この一族は代々政治向きの一族なんだな。
痒くないところを痒くして掻いてくれる感じ
いいえてみょう
四職?四職・・・四職!
なんという表現力!ゴゴゴゴゴ…
四つのポジション!
パクコメ乙
リクエスト回ありがとうございます。
丹後一色氏の末裔だとされてる一色重之もいますね。帰農して江戸時代は大庄屋だったみたい
私は、丹後の与謝野町の出身で今は三河に住んでいます。丹後も三河も一色氏の拠点。三河の西尾市には一色氏発祥の地を顕す石碑があります。他方、丹後の与謝野町には一色氏が最後の拠点とした弓木城の跡があります。与謝野町あたりの方言は、愛知県のそれと似ています。
東京新聞の連載小説が最後の丹後一色氏なんだよね
なかなか面白いのでおすすめです
ここに紹介されてない一色氏で、一色重之公からはじまる伊予一色家があります。
丹後一色氏滅亡後、伊予に渡り、後に伊予桑村郡旦之上村の庄屋になる源姓足利氏庶流の青野氏と婚姻を結んで土着しました。
この伊予一色氏は、桑村郡を管轄する大庄屋に任命され現在まで血筋が残っています。
明治以降、伊予一色氏の流れを汲む壬生川一色氏の一色耕平さんが公害問題に尽力しました。
この時に、耕平さんに協力したのが、先程の青野氏の分家筋にあたる青野岩平さんです。
両者は、公害問題の解決に尽力したことで偉人となっています。この青野氏の血筋も現代まで残っています。
歴史って色んな血筋の繋がりがあって面白いですよね笑
これ最近気になってたので嬉しい
6:53 有馬記念の名前の元となった有馬頼寧は有馬家15代当主になります。
逃げ若から調べたけどなんというか諸行無常だな
美濃国の戦国大名斎藤義龍は足利幕府からの承認の下に一色氏の名乗りと家督を得たとか。重臣達も一色家の家臣の氏に名乗りを変えたらしい…。
本元の一色氏が衰退してるからでもあるんだろうけど一応はまだ丹後で一色氏が残っていたのにこんな事が許されるなんて酷い話だわな。
京極家は 鬼平に出て来るぜ 上司で
何とか江戸時代に大名として残れた京極氏だが関ヶ原で立花直茂の軍に敗れたり妻の妹が徳川秀忠の正室だったこともあって「蛍大名」と呼ばれていたらしい
尼子は京極氏の支流だよ
京極高次の孫・高広が丹後宮津藩の藩主時代にお隣の丹波福知山藩主・稲葉紀通と寒ブリにまつわるイザコザ起こしてるエピソード好き(紀通はこのイザコザを原因として火縄銃乱射事件を起こして最終、自決したと言われている)
せめて高広も寒ブリの頭を切り落とした理由をうまいこと伝えていれば…笑
家督争いは将軍や幕府が起きるように絡んでたりするからなあ
ある意味名門のプライドにしがみ付かずに、名門の看板を利用して時の支配者に接近した者が生き残ったと言えますね
山名豊国...京極高次...彼らや家を守ったのはこれらの家の女性達だと思います。凄い方々。尊敬する。
特に山名豊国の三女は、猿の側室に加えられて可哀想。足利氏姫のプライド高い行動を見てる感じ、四職家だった山名家の人達もそれなりのプライドはあったはずなのに、覚悟が違いすぎる
世間の情勢に疎いと、余程の特別な才が無ければ生き残れない。
情報戦によって優位に立った者が生き残るのは、戦国時代も現代も同じということでしょうね
混乱期の処し方が京極な感じ
京極竜子の働き大きいな。
山名家の場合は豊国の三女が大活躍してる。
既に言ってる人いるかもだけど嘉吉の乱じゃなくて嘉吉の変じゃない?
日本史において「乱」は失敗「変」は成功だったはず
幕末の「禁門の変」などのように一概にそういう分類ができないパターンもございまして…
@ 言われてみればそうですね
嘉吉の変も義教を討つところまでは成功しているので単体で見れば「変」だけれど、その後満祐も幕府によって討たれているので全体で見ると「乱」ですしね
やっぱり三管領、四職家はカッコイイ‼️
私も苗字を斯波氏を名乗りたい😅
三管領もだがゴタゴタしてんな(汗)
でもそんな時代が好き
丹後一色氏は最後すら不明なんだよな
軍記物語は全部信頼できないし
一応帰農して江戸時代は大庄屋をやってたらしい事が麻田藩の記録にある。丹後一色氏の末裔一色重之が始祖
@@名無し-q6y5w 伝承だし家祖(重之の父・義道)が軍記物語にしか出てこないしでうーんって感じ
美濃の土岐氏も侍所の長官になれたので実際は五職よ😊
こんにちは
伊勢氏→傍流が後北条氏、嫡流は足利幕府滅亡後はいかに?
上杉氏→分裂しまくったけど長尾景虎が養子になって良かった
土岐氏→そういえば美濃の土岐氏以外知らないなー
そんなイメージですね
ノリスケ
戦国大名が次々と刷新してゆくからね
尼子や後北条、三好や織田の功績は大きいよ
厳密には彼らの功績じゃないけどね。三好は細川が内輪揉めしまくって弱体化した結果で、尼子は京極家の当主が早逝しまくって弱体化したから。
後北条氏は享徳の乱などで弱まった関東の武士達を平らげただけだしね。
もう内乱に続く内乱でどの家も疲弊してたところにトドメを刺したのがそれらの家だと思う
ヤホ
いちこめ
聞き辛い❗