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貴重な映像ありがとうございます零戦の事気になってました今度見学して来ますスバル360もかっこいい⛽⛽⛽
小さい博物館ですが、中身濃いので一度寄って見てください! メープル街道から近いです
こんばんは!ミリヲタなので思いっきり食いつきます!山頂での着氷実験の写真に写っているのは、96式艦上戦闘機ですね。米軍は当初32型を、翼端の形状が21型と全く異なる事から、零戦の後継機と認識していたようです。また面白い場所を紹介して頂き、有難うございます。ここも、いつか行ってみたいと思います!
お詳しいですね!2機山頂へ運んだのはやはり地元の人たちでした。終戦後はそんな協力得られず、山頂からぽいしたのでしょうか。山頂にはエンジンの固定台のみあるようで、よろしければアンヌプリへ登ってみてください!
貴重な動画をありがとうございます。興味深く拝見しました。零戦の主翼の塗色がオレンジ色に見えますが、確か旧海軍の試作機は橙黄(とうこう)色と呼ばれる塗色のはずなので、調べてみました。すると軍事マニアの方と思しき方のHPに、「32型、22型の試作機は、カウリングが黒で機体が橙黄色だった」との記述がありました。まさに、合致しますよね!
なるほど、風土館では主翼の形状と構造から21型から32型への試作機と説明ありましたが、オレンジ色は説明なく、塗装が退色したためかと私は思いました。もともと試作機の指定色のままで、これはある意味ではコンディション良好な遺品ですね!配信して、そして視聴者にご教示いただき学ぶことができました(^^)
何度か行ったニセコ、あのアンヌプリの山頂にこんな歴史があったとは・・・。まったく知らなかった。スキーに温泉、浮かれてる自分の姿しか浮かばない。晴れやかなご当地からは及びもつかない姿を教えてくださって感謝!!。
話は聞いてましたが、翼が展示されていたのは私も最近知りました。アンヌプリの登山は初級なので一度、登ってエンジン固定土台をみてみたいです!
@@SteelonHayabusainHokkaido さんまだ面影があるのでしょうか?だったらぜひとも見てみたい。
いやぁ今回も素晴らしい映像をありがとうございました。毎回ワクワクしながら拝見しています(^_^)
喜んでもらえて何よりです!天候ゆるせばアンヌプリ登って、基地跡を見たかったです。
スバル…そう…富士重工航空機の技術持ってました。てか 北海道で零戦とか知りませんでした!
中島飛行機が栄エンジンをつくり、ゼロ戦に搭載されましたね。スバル360は倶知安の地元の人が寄贈されたようですが、ゼロ戦との関連あるやと思わせますね。
中谷博士は主に雪の事について書籍の中で紹介してくれました 雪の研究では色々とご苦労したことと思います
少し資料みましたが、当時、戦争下でどうやって自分の研究を継続するか悩んだと思います。一方、現在もロシア北朝鮮の脅威、軍拡の路線が強まり、同じ状況になりつつある気がします
@@SteelonHayabusainHokkaidoそうなのですね そこまで深く考えが及びませんでしたありがとう ございます
発見されて話題になっていましたね。すっかり忘れてました。今度行ってみよう・・・
風土館で現物を堪能してみてください!
ぶっ飛びとの再会は良くありますよね。しばらく走ると路側帯で湯気噴いてたり…この研究施設は噂話レベルで伝え聞いた事はありましたが、具体的には初めて知りました。現代でも高高度飛行や悪天候下では着氷との戦いですね。機体だけでなくピトー管凍結による失速墜落事故も起きています。興味深い動画、ありがとうございます。
早朝のパノラマラインはすごい飛ばし屋がいます。この山頂施設は軍事のほか、気象的にも稀有な存在のようです。ピトー管凍結については勉強になりました。配信して学ぶ機会もえることができ、YouTubeの意義を感じます。今後もよろしくお願いします。
神仙沼からチセヌプリ、イワオヌプリ経由でニセコアンヌプリまで歩いたことを思い出しました。歩きやすい快適ハイキングでしたが、あののんびりした緩やかな雰囲気の山系で軍事研究がされていたこと、寡黙にして知りませんでした。倶知安風土館、機会を作って訪ねてみたいと思います。五色温泉も以前訪ねた時と感じが変わっているので、ついでに再訪してみたいかな?と。
私も天候許せばアンヌプリ山頂に行きたかったです。初心者向け登山道ですが、ゼロ戦担いだ地元民は大変だったでしょうね。戦後は撤収に協力得られなく谷に投棄したのかも🤔
この時使用されていたプロペラは戦後、北大で保管されたあとに岩手県の花巻空港に現在展示されていますただ屋外展示なのが残念ですが
花巻に実験機のプロペラがあるとは知りませんでした! 機会あれば見に行きたいです
お晩でした。「ゼロ」が発見されたのは知っていましたが、展示されていた事にはビックリです。小生が俱知安にいた頃、たぶん展示設備の原型(?)もなかったような気がします。個人的には、五色温泉・・・改装前のほうが好きです^^ スバルのテントウムシ。。あれは板バネじゃなく、棒バネじゃなかったかなぁ・・・気になる動画ありがとうございます。
倶知安におられたのですか!ニセコがリゾート化進んで五色温泉も小ぎれいになったかんじです。スバル360は座ってもいいですよと係員の方がおっしゃってました。
施設からバラさずそのまま投棄されたなら施設跡と翼発見場所のライン上の近辺に残ってそう
他の部品みつけることできたら、すごい発見です😏
こんばんは、毎度です。本件事案については、全くもって知りませんでした。こんなところで、このような研究をしていたとはね・・・。さぞかし酷寒だったのでしょうね。新田次郎の「芙蓉の人」を連想してしまいました🤔。
私は話にはきいてましたが、実際にアンヌプリの頂を見た後、風土館でゼロ戦主翼をみて、非常に考えさせられました!
Steelさん、貴重な情報と画像をありがとうございます!6月の北海道ツーリングで五色温泉旅館前も通り過ぎたのですが、生憎のドン曇りでその辺一帯が雲の中で何も見えませんでした(>_<)残念!技術的な意味でのゼロ戦は素晴らしいものでしたが、結局は戦争の道具であった事も事実です。それ以降も技術はものすごい進歩をとげましたが、人間の引起す戦争の質は昔と少しも変わりが無いと言うか、進歩が技術だけで人の倫理や哲学的な意味の進歩が得られていないような気がします。先日貧者の一投ですが、ウクライナの子供達へ学ぶ機会を作るための寄付をユニセフを通じて行うのがせい一杯😢戦争が引起す問題で物価高や不景気を嘆く人は多いのですが、もう少しお互いを思いやれる気持ちは持てないものでしょうかね😣
五色温泉前の道道58通ったのですね。零戦は性能、そして美しい機体ですが、たしかにこうした道具を改良して、また戦争しているわけですね。私が使っているドローンもウクライナでは偵察や手りゅう弾投擲装置となっているわけで、技術は進歩しても人間は進歩しないのはなぜなんでしょう?
スバル360は零戦の技術力が生かされているんですよね。
零戦は三菱が開発しましたが、エンジンは中島飛行機、スバルが作ったのですよね。スバル360が置いてあったのは偶然なのか、それとも?
@@SteelonHayabusainHokkaido さん、多分....。
こんなことがあったんですね。残りの機体も気になりますけど、アンヌプリ山頂の施設は何か痕跡が残っているのでしょうか。さすがに「見てきてください」などとは言えませんが。
山頂にはエンジン(モーター)の固定台は撤去が難しかったらしく、まだあります。ほんとうはアンヌプリを上ってみてこようと思ってましたが、初級者向けとはいえ、山頂の天候をみてやめました(^^;
はぁー、まだ見事に残っているんですか。山は侮れませんから無理なさらずにしてくださいませ。
北大の低温研究所は北大通りに面して立派な建物がありますね。市井の暮しがレベルアップするのは戦争の研究が一般社会に還元されるからだとか…この研究もエアバスが冬でも飛行するために活かされているんですね。身近に戦争の記憶が遺されているという意義深い動画。ありがとう😊
低温研は今はどんな研究してるのでしょうね。人工雪の碑はえんれいそうというレストランの前にありました。12条くらいかな?技術自体は軍とか大学とか区別しかねる場合がありますが、明示的にお金もらって軍用と示すのは控えた方が。。。
有名どころは南極観測などでしょうか。越冬隊には北大研究者が代々いたようですが…
研究所そのものも、歴史の遺構として残して欲しかったですね。、
高地の木造建屋なので後年まで残らないとは思いますが、エンジン固定台はまだあります!
木造建築だったのですか跡地には基礎とか残ってたのかな?
こんにちは♪これは知りませんでした!是非行ってみます、素敵な情報ありがとうございました(^▽^)/ わしの父は当別出身で平屋の大きい家でしたが戦争中ゼロ戦の設計に携わった人達が疎開してきて父の家にいたそうです、まだ子供だった父はその人達が持ってきたプリンを食べたりガスマスクを被って遊んでいたそうです(^^;
風土館はこじんまりしところですが、ゼロ戦コーナーはすごくマニアックで熱いです。当別に軍の、三菱の方がいらしたのですか?目下、ダムに沈んだ玉の湯探索中です
返信ありがとうございます♪いつも貴重な情報ありがとうございます♪ そう、詳しい話は今や分かりませんが軍の方々が疎開してきてたのは事実みたいです、その中にあの堀越二郎さんもいたのかな~なんて勝手に想像しています(^^;
研究は真面目に取り組んでいたかと推測しますが、極寒リスクの研究と聞くとゾッとしますね。だからと言って無駄とは思いませんが…それなのに処分の仕方があまりにもずさん(笑)しかし、当時の研究が良い意味で今後の為になればと思います。日本人の多くは自国が戦争の無い平和な国と思っています。反面、ギリギリの部分で諍いが無いよう身を呈している者が未だに存在していることを忘れてはいけないと思います。本題から外れてしまいましたが、美しい自然の過去に想いを馳せて書いてみました
あの観測所の建設は地元が請け負い、地元の人たちがゼロ戦を担ぎ上げ、動画で示した集合写真の左の女性たちが炊飯など支援したようです。戦争負けたら、撤収など手伝うわけないですね。よって、谷に投げ捨てられるような扱いになってしまいました。それがあんなきれいなリゾートで起きたとは!
貴重な映像ありがとうございます零戦の事気になってました今度見学して来ますスバル360もかっこいい⛽⛽⛽
小さい博物館ですが、中身濃いので一度寄って見てください! メープル街道から近いです
こんばんは!ミリヲタなので思いっきり食いつきます!
山頂での着氷実験の写真に写っているのは、96式艦上戦闘機ですね。
米軍は当初32型を、翼端の形状が21型と全く異なる事から、零戦の後継機と認識していたようです。
また面白い場所を紹介して頂き、有難うございます。
ここも、いつか行ってみたいと思います!
お詳しいですね!2機山頂へ運んだのはやはり地元の人たちでした。終戦後はそんな協力得られず、山頂からぽいしたのでしょうか。山頂にはエンジンの固定台のみあるようで、よろしければアンヌプリへ登ってみてください!
貴重な動画をありがとうございます。興味深く拝見しました。
零戦の主翼の塗色がオレンジ色に見えますが、確か旧海軍の試作機は橙黄(とうこう)色と呼ばれる塗色のはずなので、調べてみました。
すると軍事マニアの方と思しき方のHPに、「32型、22型の試作機は、カウリングが黒で機体が橙黄色だった」との記述がありました。まさに、合致しますよね!
なるほど、風土館では主翼の形状と構造から21型から32型への試作機と説明ありましたが、オレンジ色は説明なく、塗装が退色したためかと私は思いました。もともと試作機の指定色のままで、これはある意味ではコンディション良好な遺品ですね!配信して、そして視聴者にご教示いただき学ぶことができました(^^)
何度か行ったニセコ、あのアンヌプリの山頂にこんな歴史があったとは・・・。
まったく知らなかった。スキーに温泉、浮かれてる自分の姿しか浮かばない。
晴れやかなご当地からは及びもつかない姿を教えてくださって感謝!!。
話は聞いてましたが、翼が展示されていたのは私も最近知りました。アンヌプリの登山は初級なので一度、登ってエンジン固定土台をみてみたいです!
@@SteelonHayabusainHokkaido さん
まだ面影があるのでしょうか?だったらぜひとも見てみたい。
いやぁ
今回も素晴らしい映像を
ありがとうございました。
毎回ワクワクしながら拝見しています(^_^)
喜んでもらえて何よりです!天候ゆるせばアンヌプリ登って、基地跡を見たかったです。
スバル…
そう…富士重工
航空機の技術持ってました。
てか 北海道で零戦とか知りませんでした!
中島飛行機が栄エンジンをつくり、ゼロ戦に搭載されましたね。スバル360は倶知安の地元の人が寄贈されたようですが、ゼロ戦との関連あるやと思わせますね。
中谷博士は主に雪の事について書籍の中で紹介してくれました 雪の研究では色々とご苦労したことと思います
少し資料みましたが、当時、戦争下でどうやって自分の研究を継続するか悩んだと思います。一方、現在もロシア北朝鮮の脅威、軍拡の路線が強まり、同じ状況になりつつある気がします
@@SteelonHayabusainHokkaidoそうなのですね そこまで深く考えが及びませんでした
ありがとう ございます
発見されて話題になっていましたね。
すっかり忘れてました。今度行ってみよう・・・
風土館で現物を堪能してみてください!
ぶっ飛びとの再会は良くありますよね。しばらく走ると路側帯で湯気噴いてたり…
この研究施設は噂話レベルで伝え聞いた事はありましたが、具体的には初めて知りました。現代でも高高度飛行や悪天候下では着氷との戦いですね。機体だけでなくピトー管凍結による失速墜落事故も起きています。
興味深い動画、ありがとうございます。
早朝のパノラマラインはすごい飛ばし屋がいます。この山頂施設は軍事のほか、気象的にも稀有な存在のようです。
ピトー管凍結については勉強になりました。配信して学ぶ機会もえることができ、YouTubeの意義を感じます。
今後もよろしくお願いします。
神仙沼からチセヌプリ、イワオヌプリ経由でニセコアンヌプリまで歩いたことを思い出しました。
歩きやすい快適ハイキングでしたが、あののんびりした緩やかな雰囲気の山系で軍事研究がされていたこと、寡黙にして知りませんでした。倶知安風土館、機会を作って訪ねてみたいと思います。
五色温泉も以前訪ねた時と感じが変わっているので、ついでに再訪してみたいかな?と。
私も天候許せばアンヌプリ山頂に行きたかったです。初心者向け登山道ですが、ゼロ戦担いだ地元民は大変だったでしょうね。戦後は撤収に協力得られなく谷に投棄したのかも🤔
この時使用されていたプロペラは戦後、北大で保管されたあとに岩手県の花巻空港に現在展示されています
ただ屋外展示なのが残念ですが
花巻に実験機のプロペラがあるとは知りませんでした! 機会あれば見に行きたいです
お晩でした。「ゼロ」が発見されたのは知っていましたが、展示されていた事にはビックリです。小生が俱知安にいた頃、たぶん展示設備の原型(?)もなかったような気がします。個人的には、五色温泉・・・改装前のほうが好きです^^ スバルのテントウムシ。。あれは板バネじゃなく、棒バネじゃなかったかなぁ・・・気になる動画ありがとうございます。
倶知安におられたのですか!ニセコがリゾート化進んで五色温泉も小ぎれいになったかんじです。スバル360は座ってもいいですよと係員の方がおっしゃってました。
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こんばんは、毎度です。本件事案については、全くもって知りませんでした。こんなところで、このような研究をしていたとはね・・・。さぞかし酷寒だったのでしょうね。新田次郎の「芙蓉の人」を連想してしまいました🤔。
私は話にはきいてましたが、実際にアンヌプリの頂を見た後、風土館でゼロ戦主翼をみて、非常に考えさせられました!
Steelさん、貴重な情報と画像をありがとうございます!
6月の北海道ツーリングで五色温泉旅館前も通り過ぎたのですが、生憎のドン曇りでその辺一帯が雲の中で何も見えませんでした(>_<)残念!
技術的な意味でのゼロ戦は素晴らしいものでしたが、結局は戦争の道具であった事も事実です。
それ以降も技術はものすごい進歩をとげましたが、人間の引起す戦争の質は昔と少しも変わりが無いと言うか、進歩が技術だけで人の倫理や哲学的な意味の進歩が得られていないような気がします。
先日貧者の一投ですが、ウクライナの子供達へ学ぶ機会を作るための寄付をユニセフを通じて行うのがせい一杯😢
戦争が引起す問題で物価高や不景気を嘆く人は多いのですが、もう少しお互いを思いやれる気持ちは持てないものでしょうかね😣
五色温泉前の道道58通ったのですね。零戦は性能、そして美しい機体ですが、たしかにこうした道具を改良して、また戦争しているわけですね。私が使っているドローンもウクライナでは偵察や手りゅう弾投擲装置となっているわけで、技術は進歩しても人間は進歩しないのはなぜなんでしょう?
スバル360は零戦の技術力が生かされているんですよね。
零戦は三菱が開発しましたが、エンジンは中島飛行機、スバルが作ったのですよね。スバル360が置いてあったのは偶然なのか、それとも?
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こんなことがあったんですね。
残りの機体も気になりますけど、アンヌプリ山頂の施設は何か痕跡が残っているのでしょうか。さすがに「見てきてください」などとは言えませんが。
山頂にはエンジン(モーター)の固定台は撤去が難しかったらしく、まだあります。
ほんとうはアンヌプリを上ってみてこようと思ってましたが、初級者向けとはいえ、山頂の天候をみてやめました(^^;
はぁー、まだ見事に残っているんですか。
山は侮れませんから無理なさらずにしてくださいませ。
北大の低温研究所は北大通りに面して立派な建物がありますね。市井の暮しがレベルアップするのは戦争の研究が一般社会に還元されるからだとか…この研究もエアバスが冬でも飛行するために活かされているんですね。身近に戦争の記憶が遺されているという意義深い動画。ありがとう😊
低温研は今はどんな研究してるのでしょうね。人工雪の碑はえんれいそうというレストランの前にありました。12条くらいかな?技術自体は軍とか大学とか区別しかねる場合がありますが、明示的にお金もらって軍用と示すのは控えた方が。。。
有名どころは南極観測などでしょうか。越冬隊には北大研究者が代々いたようですが…
研究所そのものも、歴史の遺構として残して欲しかったですね。、
高地の木造建屋なので後年まで残らないとは思いますが、エンジン固定台はまだあります!
木造建築だったのですか
跡地には基礎とか残ってたのかな?
こんにちは♪これは知りませんでした!是非行ってみます、素敵な情報ありがとうございました(^▽^)/ わしの父は当別出身で平屋の大きい家でしたが戦争中ゼロ戦の設計に携わった人達が疎開してきて父の家にいたそうです、まだ子供だった父はその人達が持ってきたプリンを食べたりガスマスクを被って遊んでいたそうです(^^;
風土館はこじんまりしところですが、ゼロ戦コーナーはすごくマニアックで熱いです。当別に軍の、三菱の方がいらしたのですか?目下、ダムに沈んだ玉の湯探索中です
返信ありがとうございます♪いつも貴重な情報ありがとうございます♪ そう、詳しい話は今や分かりませんが軍の方々が疎開してきてたのは事実みたいです、その中にあの堀越二郎さんもいたのかな~なんて勝手に想像しています(^^;
研究は真面目に取り組んでいたかと推測しますが、極寒リスクの研究と聞くとゾッとしますね。だからと言って無駄とは思いませんが…それなのに処分の仕方があまりにもずさん(笑)
しかし、当時の研究が良い意味で今後の為になればと思います。
日本人の多くは自国が戦争の無い平和な国と思っています。反面、ギリギリの部分で諍いが無いよう身を呈している者が未だに存在していることを忘れてはいけないと思います。本題から外れてしまいましたが、美しい自然の過去に想いを馳せて書いてみました
あの観測所の建設は地元が請け負い、地元の人たちがゼロ戦を担ぎ上げ、動画で示した集合写真の左の女性たちが炊飯など支援したようです。戦争負けたら、撤収など手伝うわけないですね。よって、谷に投げ捨てられるような扱いになってしまいました。それがあんなきれいなリゾートで起きたとは!