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ここも成功、あるいは失敗している! などありましたら教えてください。
三重のアクアイグニスは劣化が想定出来ていない悪例ですかね当初はオシャレだったかもしれないですけど、パンチングメタルの外壁は錆びて蜘蛛の巣だらけだし、水盤もそんなに綺麗に思えず枠の鉄板も錆びてる 極め付けは広く設置されたウッドデッキで、アイアンウッドで多少は長持ちしたのかも知れませんが、雨晒しになって流石に痛みが激しく、一部まだらに交換されていましたね
情報、ありがとうございます!
何故か建築に心引かれる素人で恐縮ですが、大津プリンスに泊まったとき、湖面の輝きが天井に反射しあちこちにアールが多様され、また時間によって建物の外観に映る山並みが変化し、光と時間室内はそれに加え空気の流れを意識した好きな建築です。窓から下をみるとプールとグリーンと道路と湖岸が美しい。成功か失敗かといわれると、西武グループ全体がかつての勢いがみられず、経営のスリム化が図られていることも感じるので建物の魅力がずば抜けているわけではないのかもしれない。と知識もないのに身近な人には共感してもらえないので呟いてみました。
コメントありがとうございます。大津プリンスをつくった方々に、この言葉が届けば良いのにと思わずにはいられません。
決定権のある人が建築に興味も知識もないのと、建築は機械装置なんだから維持向上のための継続的なメンテナンス作業(費用)が必須だということが無しにされている気がします。近所の海苔屋さんもクマケン建築でしたが劣化著しく、MUJIレベルで精査されたであろうクマケン設計住宅に入ってみても、手入れできない構造だったりほとんどの窓が開かないなど、そもそも他人に興味がない方なんだなと感じました。藤森建築は、あれはあれでいいのかなと、朽るアトラクション的に見て楽しんでいます。
コメントありがとうございます。藤森先生の建築は、ただの印象にすぎませんが、お施主さんとのコミュニケーション、信頼関係があることを感じました。
建築の知識が普通の人にあるわけないやん金がかかるかは論点でなく、大事なのはその建築により目標を達成できたか?やろ安く末永く運用することが目的なら失敗やし、建築で話題稼いで認知上げるのが目的やったらアンケート会社使うとか、来客数とか、観光収入とか数値で測定すればいい話ま、そんな目標や振り返り方さえ考えてない脳タリンなビジネスが世の中の8割やし公共事業においては9.5割くらい何も考えてないと思うけどね
建築に対する愛情を感じる良い動画です。頑張ってください。
ありがとうございます!
ラ コリーナ近江八幡は藤森氏が好む縄文の竪穴式住居の拡張版ですよね。ボロが目立つようになったとしても、それが当初コンセプトの延長線上にあるから問題ないと考えます。製菓店である施主も初めから、構造が耐えきれなくなった時は諦めると納得してのものでしょう。そこが隈氏の広重美術館との重大な差異ですね…隈氏のほうはシャープなストライプがウリなのに痛んできたら正にそこが台無しになるわけですし、自治体の税金で建てた恒久性前提のハコですからね。同じ自然素材を用いた外観といっても、経年劣化の受け止められ方が異なる二者に思います。
おっしゃる通りだと思います。だから大成功、なのであろうと。
@@Yoshiyuki-Y 同じくエッジを利かせて集客するのでも、この場所なら無機素材の造形バリバリ建築を建てて30年後に時代遅れの遺物として屹立しているより、緑に溶け込む建物が比較的短い間存在してる方がより大成功という評価軸もありえそうです。藤森氏は掘立柱にしたい願望もあったでしょう、礎石を置いた分だけ相応に自重されたのでは😂
そうですね。木造ですので、柱が腐っても取り替えられますし、それこそ見てくれを気にしなければ、名人でなくてもできますし、比較的容易に維持できることと思います。
グッゲンハイム美術館は周りのビルバオの統一された美しい街並みがあるからこそ際立ちお互い相乗効果させた一つの好例。街にメリハリをもたらした。
全くその通りだと思います。
ラ・コリーナは何度も足を運んでいますがそういえば最近傷みが来ていたかもと思い出しました。でも改修すべきところには手を入れてますし、新しく工場兼ショップも増築していますので長く愛される施設として手をいれつつ運営されるつもりかと思います。大津に新たに作る公園内施設も商売としては筋がよいと思えます。建物と公園のデザインはどうなるか、楽しみです。
コメントありがとうございます。私も、長く愛される施設になれると思っています。
前回の隈さん作品の動画から拝見させていただいてます。藤森先生は建築の専門家ではありますが、ずっと歴史家として活躍されてきた方で、設計や施工はある意味素人とも言えますね。しかしむしろ、作品においてはその素人的立場を戦略的に利用されているんだろうな、ということを思いました。有名建築家はほとんど、多かれ少なかれ今回の動画で解説いただいたような建築界の常識を外している部分がありますね。もちろん常識的な納まりや材料の使い方には理由があるわけで、それを外すということはそれなりのデメリットもあるはず。そのデメリットを上回れるだけのメリットが提供できるかどうかが、勝ち負けの境界ですかね。
コメントありがとうございます。そうですね、どうやってメリットを提供できるかが大切だと思います。
JRからどういう建築要望があったか知らないがちょっとボリュームデカいなぁとこれでも思いますなぁ京都駅は。明治の駅舎風にしたらこんなに賛否両論はなかったんじゃないでしょうかねぇ。原田さんは大阪スカイビルで大絶賛されている人ですが適材適所というかコンペする側審査する側もしっかりしてもらいたいなぁと思いますねぇ。
コメントありがとうございます。おかげさまで、議論してみたいことがどんどん湧いてきてしまいます。
原田さんじゃないです。
お話ありがとうございます。成功する建築物には共通の条件があるのですね。'成功' というのは '寂しくない' って事ですよね。その建物をつくった人、ご本人がどれだけ周りに愛されているかにもよると思います。お人柄といいますか。涌口さん、柱のメンテナンスをするように藤森さんにお電話差し上げて下さい😂成功かどうかは分かりませんが、東京国際フォーラムと(建物ではありませんが)横浜港大さん橋国際客船ターミナル、いいなあと思いました。アカン建築だったらすみません。次回も楽しみにしております。
「 '成功' というのは '寂しくない' って事」 いいですね!
京都駅は真ん前の京都タワーも含め前衛的なデザインですね、古都京都の人々は意外と進取に富む気風でもあるのでしょうかね ラコリーナは素人目にはジブリっぽくて楽しく見えます
コメントありがとうございます。そうですね。自分がしっかりしているからこそ、自分と違う前衛的なものを受け入れて、活かすことができるのだろうと思います。ラコリーナ、楽しいですよね!
公共施設って難しいなあと思います。予算の分母は決まっている中でどこまで設計者の思想を反映させられるか?行政の方針を組み込めるのかる人を呼べる施設なのか?長持ちする施設なのか?などなどそんな様々な視点もあるけれど、国全体、地方全体、地域全体ののランドスケープ、デザインというか、、、それをどう考えてその場所のその施設に落とし込むのか??そこから、許容の範囲ももっともっと頑張れ!って意見も異論も生まれるかなあって思いました。
本当に、総合的なものなので難しいですよね。とにかく、リテラシーの底上げが必要ではないかと考えている次第です。そしてまた、業界雑誌や業界メディアの枠にとらわれず、率直な意見や感想が専門家や自治体担当者、発注者にも伝わればと思います。
@@Yoshiyuki-Y いろいろな利害を乗り越えていくのは大変だと思いますが、おっしゃるようになれば個々の施設がもっともっと身近になるでしょうね。^_^
京都駅は個人的には非常に好きで、無駄に何度も足を運んでいます。JR西日本の投資としては大成功の事例だったと思います。
藤森さんの建築を見るため「だけに」滋賀に行きましたし、広島のかなり奥地にバス乗っていきました。それって「行って、実際に見てみたい」、と言う衝動からです。また、フランク・ゲーリーはパリのヴィトン、それ目的で行きました。他にも挙げればキリが無い程タテモノの魅力でいろいろな所に行っています。伊東忠太の大倉集古館、丹下健三の広島や代々木、伊東豊雄さんも博多、岐阜、仙台、そして台湾・台中・・・、勿論、隈さんのM2、南青山の台湾パインケーキ屋、大宰府のスタバ、戻って根津美術館、裏手には坂倉時代の村田豊主担、岡本太郎、そこから日仏会館・・・表参道からの一本道、南青山H&M、PRADAとMIUMIUなど色々、「そこケンチクがあるから行く旅」は大好きな趣味です。(自身はバリ文系ですが) 実物を見る、目の前にする、はまだまだ続けたいですね。オーストラリアのグレン・マーカット、「マリカ・アルダートン邸」はいつか豪州のへき地まで見に行きたいと思わせる衝動的な建物です・・・建築学科や建築専門でない者にも、こうして衝動を与えるタテモノって本当に素晴らしいと思います。
それは、、、すごいですね! 個人的ベスト3とかベスト10とか、おすすめ教えていただければ嬉しいです。
@@Yoshiyuki-Y ご反応、ありがとうございました。子供のころから見ていたのは丹下健三の「代々木」でした。その構造を計算されたのが川口衛さんであり、同時代に空気膜構造の構造計算もされ、その後も複雑な構造計算の大家としてご活躍され、息子さんも有名な構造の先生になられていますね。小さい頃からの記憶で、代々木。これがひとつの原点です。ラコリーナや神勝寺松堂は、本当に藤森建築の実物を見たい、と言う目的で行き、その周辺の(ラコリーナならヴォーリズなど)を見たり、丹下の「広島」を見たり、ついでに谷口さんの公共建築(ごみ処理場)だったり、更についでに山本理顕の消防署を見たり、と言った具合です。伊東豊雄は、福岡が好きです、ドーム状の造形・構造への挑戦が感じられ、更に岐阜で木の構造材をトラスに組んで大屋根をかける。それが更に台中国立歌劇院に。或いは鶴岡のタクト、新潟の青木淳(潟にある建築)、都電の椅子。有名建築家のタテモノだから見るのか、或いはふと見つけて良いな、と思って調べたらああ、あの建築家だったか、と言う場合もあります。それが一位で、と言う事はなかなか難しいところです。勿論、日本の伝統建築としての寺社仏閣もそのたたずまいは宗教建築だから、矢張り荘厳で凛としている。宗教建築、で言えば西洋の教会、特にカソリックの豪奢や荘厳は、同じく宗教建築だから在る神々しさから、構造や建て方では無く、見せ方と豊富に材を使った頑丈な建物であり、興味深い。グレン・マーカットの個人邸作品は、その為だけに行きたい、見たいものだし、ただしプライベートな存在だからなかなかポッと立ち寄ることが出来るのか疑問。戸建てについて言及すれば、軸組工法が壁工法に近付いてきている今、本当に欠き込んで木と木を合わせる技術よりも、面で構成する工法の方が合理的なんじゃないか、とか感じます。家屋のライフサイクルを考えると、木でしっかりと作り、100年を優に超えるタテモノとして研究を重ね、進化させる方が良い(大工の数は人口動態と共に減る一方ですし)のではないか、とか。住み続ける、命を守る、財産としての価値を持つ個人邸をどう進化させるか、と言うテーマには本当に興味関心があります。それとは別に、作品としてケンチクは存在し、表参道から一本道で南青山に至る辺りを散歩しながら安藤忠雄、伊東豊雄、槇文彦、MVRDV、H&M、隈研吾、等々が建ち並ぶ贅沢な道や銀座辺りなどの散策は、それはそれでわくわくします。ただし、それは見て、楽しむ建築物。とまたこちらもグダグダですが書き込みさせて頂きます。
ありがとうございます。ここで挙げていただいた建築や議論について、広く一般の方々とそれなりに普通に知見や論点を共有できるようになればと思いました。
京都駅は確かにその通りだと思いますw全体のボリュームとかは他のコンペ案よりも優れてると思ったのでコンペ時は納得でしたが竣工してみるとあちこち変な意匠で無駄だなと思った記憶があります当時のコンペで巨大な山を作って木を植えるという案があったと記憶してるのですが建築家が誰だったか覚えてません調べても出てこないんですがそもそも私の記憶違いでしょうか?
コメントありがとうございます。コンペの件は、私も記憶があやふやで責任を持ってお答えすることができません。これをご覧の方でご存じの方がおられましたらご教示ください。
安藤忠雄氏の提案が、要項の範囲を超えてプラットホームの上に桜の園を計画していたと記憶しています。コンペがとれなくても、これが俺の答えだっでのが安藤氏らしいと印象に残った、いい案でした。
長持ちしない、すぐ飽きる普遍性の無いデザイン、という意味ではクマさんとフジモリさんは似た者同士、コインの裏表のような存在だと思っています。 クマさんは素人にもすぐにバレてしまうほどの構造的なお粗末さが目立ちますが、フジモリさんのほうがより巧妙に、メルヘンチックな表層でその欠点を覆い隠してしまうので、余計にタチが悪いと思っています。
率直なご意見、ありがとうございます。こうして忖度なく、建築やものづくりについて、オープンな場で話し合えることがなにより大事だと思っています。それが作り手へのフィードバックにも、やりがいにもなりますし。しょうもないものが持ち上げられて、値打ちがあるものが評価されない、そんなことが少なくなるといいなと思います。
美術館は建物そのものも建築家の美術品と捉えているものはありますね。正直アートなんて、当たり外れはあるのでネームバリューとかコンペの印象くらいでしか判断できないし、やるにはあまりにもハイリスクだとは思います。成功例の影に数えきれない失敗もあるでしょう。成功例は、言い方は悪いですが、たまたま成功しただけだと思いますし、同じことを違う場所でやっても失敗率の方が高いと思います。博打を行う予算があるのかどうか。
コメントありがとうございます。建築家などは失敗例も成功例も、ほどほど例も、たくさんサンプリング・研究して、投資になる提案をできる人になる必要がありますし、選ぶ側は誰に頼むのかを慎重に見極められるリテラシーが必要なのではないかと思う次第です。
京都タワーは京都らしくもなければ造形的にもどうかと思うのでさっさと取り壊せばいいのに、と外野ながら思っておりました。(ただ京都の年配の方で遠方から帰ってきた時に京都タワーを見て”やれやれ帰ってきた、ほっとするわ~”などと思われる方もいると聞いたので、その土地の人がいいと思ってるならそれでいいけども、という感じでした。)それが新しい京都駅ができて年月もすぎた今思うのは、以前程に違和感を感じないということです。あの場所全体をまとめる建築として京都駅は一定の役割を果たしていると言えるのかもしれません。
ご意見ありがとうございます。なるほどですね。
動画最後の京都駅は正解を出すのが高難易度な案件だったと思うと原弘司建築は無難な落としどころだったのかもしれませんが、正直に言うと安藤忠雄案とか採用されたif京都も体験してみたかったですね。
これからはきっと、VRなどを使って、if案も格段に高い精度とリアリティで体験できるようになるのではないでしょうか。
よく言った!
「よく言った!」と言ってくださっているのは、どの点についてでしょうか?
京都駅ほど醜い建築はないと子供の頃から思ってました。せっかく古都京都に遊びにきたのに、いきなりあんな醜い駅舎に迎えられてガッカリした旅人は山のようにいたでしょう。前衛的な建築があれば古い街並みの良さがより引き立つ。京都人は新しもの好きだから近代的なデザインの建築で良かった。だというくだらない擁護は聞き飽きました。そもそも京都の街並みが現在進行形で混乱状態なのに、あんなヘンテコなデザインの駅がたったら余計に混乱するだけです。さらに近代建築だからダメだと言ってるわけではなく、建築としての美しさの欠片もないからダメなんです。イタリアのミラノ駅にしてもアメリカのセントラル駅にしても一目見て美さを感じる駅です。なぜ美しさの欠片もない建築を建てようとするのか、地元の人が少しも誇りを持てないのに名建築家の設計だと有り難がるのか、感性の悪さにウンザリします。江戸時代の街並みやヨーロッパの完成された伝統建築に勝るものを建てれないなら古いもので良いんです。私たち日本人が観たいのは京都の伝統的な街並みなんです。なぜならそれが日本人の琴線を刺激する美しさがあるからです。
ご意見ありがとうございます。こうした声が(また違った意見も含めて)、率直に建築家や発注者に伝わること、がとても大事だと思います。建築雑誌等(いまやネットでしょうが)や建築業界のシンポジウムでは出ずらい声。
経済的にシンボリックになる建築は日本にはもういらないし、成功例はないと思います理由は単純に数と質ですね隈研吾については彼の今の立場において羞恥心は無いのかと感じるくらいです
ご意見ありがとうございます。
建築賞の肩書なんて鹿馬を釣る価値しかないよ。そいつ等から人気を得るだけで満足できるなら、一代限りの人生を謳歌すればいい。気象や周辺環境を考慮しない建物は耐久性や保守性がないから歴史には残らないと割り切るべき。例えば、水辺の建築でありがちなのは◯ソまみれ。結構、幻滅するよ。写真集だけ見てたらわからないかもね。
コメントありがとうございます。本当に、写真ではわかりませんよね。
ここも成功、あるいは失敗している! などありましたら教えてください。
三重のアクアイグニスは劣化が想定出来ていない悪例ですかね
当初はオシャレだったかもしれないですけど、パンチングメタルの外壁は錆びて蜘蛛の巣だらけだし、水盤もそんなに綺麗に思えず枠の鉄板も錆びてる 極め付けは広く設置されたウッドデッキで、アイアンウッドで多少は長持ちしたのかも知れませんが、雨晒しになって流石に痛みが激しく、一部まだらに交換されていましたね
情報、ありがとうございます!
何故か建築に心引かれる素人で恐縮ですが、大津プリンスに泊まったとき、湖面の輝きが天井に反射しあちこちにアールが多様され、また時間によって建物の外観に映る山並みが変化し、光と時間室内はそれに加え空気の流れを意識した好きな建築です。
窓から下をみるとプールとグリーンと道路と湖岸が美しい。
成功か失敗かといわれると、西武グループ全体がかつての勢いがみられず、経営のスリム化が図られていることも感じるので建物の魅力がずば抜けているわけではないのかもしれない。
と知識もないのに身近な人には共感してもらえないので呟いてみました。
コメントありがとうございます。大津プリンスをつくった方々に、この言葉が届けば良いのにと思わずにはいられません。
決定権のある人が建築に興味も知識もないのと、建築は機械装置なんだから維持向上のための継続的なメンテナンス作業(費用)が必須だということが無しにされている気がします。近所の海苔屋さんもクマケン建築でしたが劣化著しく、MUJIレベルで精査されたであろうクマケン設計住宅に入ってみても、手入れできない構造だったりほとんどの窓が開かないなど、そもそも他人に興味がない方なんだなと感じました。藤森建築は、あれはあれでいいのかなと、朽るアトラクション的に見て楽しんでいます。
コメントありがとうございます。藤森先生の建築は、ただの印象にすぎませんが、お施主さんとのコミュニケーション、信頼関係があることを感じました。
建築の知識が普通の人にあるわけないやん
金がかかるかは論点でなく、大事なのはその建築により目標を達成できたか?やろ
安く末永く運用することが目的なら失敗やし、建築で話題稼いで認知上げるのが目的やったらアンケート会社使うとか、来客数とか、観光収入とか数値で測定すればいい話
ま、そんな目標や振り返り方さえ考えてない脳タリンなビジネスが世の中の8割やし公共事業においては9.5割くらい何も考えてないと思うけどね
建築に対する愛情を感じる良い動画です。頑張ってください。
ありがとうございます!
ラ コリーナ近江八幡は藤森氏が好む縄文の竪穴式住居の拡張版ですよね。
ボロが目立つようになったとしても、それが当初コンセプトの延長線上にあるから問題ないと考えます。
製菓店である施主も初めから、構造が耐えきれなくなった時は諦めると納得してのものでしょう。
そこが隈氏の広重美術館との重大な差異ですね…隈氏のほうはシャープなストライプがウリなのに痛んできたら正にそこが台無しになるわけですし、自治体の税金で建てた恒久性前提のハコですからね。
同じ自然素材を用いた外観といっても、経年劣化の受け止められ方が異なる二者に思います。
おっしゃる通りだと思います。だから大成功、なのであろうと。
@@Yoshiyuki-Y 同じくエッジを利かせて集客するのでも、この場所なら無機素材の造形バリバリ建築を建てて30年後に時代遅れの遺物として屹立しているより、緑に溶け込む建物が比較的短い間存在してる方がより大成功という評価軸もありえそうです。
藤森氏は掘立柱にしたい願望もあったでしょう、礎石を置いた分だけ相応に自重されたのでは😂
そうですね。木造ですので、柱が腐っても取り替えられますし、それこそ見てくれを気にしなければ、名人でなくてもできますし、比較的容易に維持できることと思います。
グッゲンハイム美術館は周りのビルバオの統一された美しい街並みがあるからこそ際立ちお互い相乗効果させた一つの好例。街にメリハリをもたらした。
全くその通りだと思います。
ラ・コリーナは何度も足を運んでいますがそういえば最近傷みが来ていたかもと思い出しました。
でも改修すべきところには手を入れてますし、新しく工場兼ショップも増築していますので長く愛される施設として手をいれつつ運営されるつもりかと思います。
大津に新たに作る公園内施設も商売としては筋がよいと思えます。建物と公園のデザインはどうなるか、楽しみです。
コメントありがとうございます。私も、長く愛される施設になれると思っています。
前回の隈さん作品の動画から拝見させていただいてます。
藤森先生は建築の専門家ではありますが、ずっと歴史家として活躍されてきた方で、設計や施工はある意味素人とも言えますね。
しかしむしろ、作品においてはその素人的立場を戦略的に利用されているんだろうな、ということを思いました。
有名建築家はほとんど、多かれ少なかれ今回の動画で解説いただいたような建築界の常識を外している部分がありますね。
もちろん常識的な納まりや材料の使い方には理由があるわけで、それを外すということはそれなりのデメリットもあるはず。
そのデメリットを上回れるだけのメリットが提供できるかどうかが、勝ち負けの境界ですかね。
コメントありがとうございます。そうですね、どうやってメリットを提供できるかが大切だと思います。
JRからどういう建築要望があったか知らないがちょっとボリュームデカいなぁとこれでも思いますなぁ京都駅は。
明治の駅舎風にしたらこんなに賛否両論はなかったんじゃないでしょうかねぇ。原田さんは大阪スカイビルで大絶賛されている人ですが適材適所というかコンペする側審査する側もしっかりしてもらいたいなぁと思いますねぇ。
コメントありがとうございます。おかげさまで、議論してみたいことがどんどん湧いてきてしまいます。
原田さんじゃないです。
お話ありがとうございます。
成功する建築物には共通の条件があるのですね。
'成功' というのは '寂しくない' って事ですよね。
その建物をつくった人、ご本人がどれだけ周りに愛されているかにもよると思います。お人柄といいますか。
涌口さん、柱のメンテナンスをするように藤森さんにお電話差し上げて下さい😂
成功かどうかは分かりませんが、東京国際フォーラムと(建物ではありませんが)横浜港大さん橋国際客船ターミナル、いいなあと思いました。
アカン建築だったらすみません。
次回も楽しみにしております。
「 '成功' というのは '寂しくない' って事」 いいですね!
京都駅は真ん前の京都タワーも含め前衛的なデザインですね、古都京都の人々は意外と進取に富む気風でもあるのでしょうかね ラコリーナは素人目にはジブリっぽくて楽しく見えます
コメントありがとうございます。そうですね。自分がしっかりしているからこそ、自分と違う前衛的なものを受け入れて、活かすことができるのだろうと思います。ラコリーナ、楽しいですよね!
公共施設って難しいなあと思います。
予算の分母は決まっている中でどこまで設計者の思想を反映させられるか?
行政の方針を組み込めるのかる
人を呼べる施設なのか?
長持ちする施設なのか?
などなど
そんな様々な視点もあるけれど、国全体、地方全体、地域全体ののランドスケープ、デザインというか、、、
それをどう考えてその場所のその施設に落とし込むのか??
そこから、許容の範囲ももっともっと頑張れ!って意見も異論も生まれるかなあって思いました。
本当に、総合的なものなので難しいですよね。とにかく、リテラシーの底上げが必要ではないかと考えている次第です。そしてまた、業界雑誌や業界メディアの枠にとらわれず、率直な意見や感想が専門家や自治体担当者、発注者にも伝わればと思います。
@@Yoshiyuki-Y いろいろな利害を乗り越えていくのは大変だと思いますが、おっしゃるようになれば個々の施設がもっともっと身近になるでしょうね。
^_^
京都駅は個人的には非常に好きで、無駄に何度も足を運んでいます。JR西日本の投資としては大成功の事例だったと思います。
藤森さんの建築を見るため「だけに」滋賀に行きましたし、広島のかなり奥地にバス乗っていきました。それって「行って、実際に見てみたい」、と言う衝動からです。
また、フランク・ゲーリーはパリのヴィトン、それ目的で行きました。
他にも挙げればキリが無い程タテモノの魅力でいろいろな所に行っています。
伊東忠太の大倉集古館、丹下健三の広島や代々木、伊東豊雄さんも博多、岐阜、仙台、そして台湾・台中・・・、勿論、隈さんのM2、南青山の台湾パインケーキ屋、大宰府のスタバ、戻って根津美術館、裏手には坂倉時代の村田豊主担、岡本太郎、そこから日仏会館・・・表参道からの一本道、南青山H&M、PRADAとMIUMIUなど色々、「そこケンチクがあるから行く旅」は大好きな趣味です。(自身はバリ文系ですが) 実物を見る、目の前にする、はまだまだ続けたいですね。オーストラリアのグレン・マーカット、「マリカ・アルダートン邸」はいつか豪州のへき地まで見に行きたいと思わせる衝動的な建物です・・・建築学科や建築専門でない者にも、こうして衝動を与えるタテモノって本当に素晴らしいと思います。
それは、、、すごいですね! 個人的ベスト3とかベスト10とか、おすすめ教えていただければ嬉しいです。
@@Yoshiyuki-Y ご反応、ありがとうございました。子供のころから見ていたのは丹下健三の「代々木」でした。その構造を計算されたのが川口衛さんであり、同時代に空気膜構造の構造計算もされ、その後も複雑な構造計算の大家としてご活躍され、息子さんも有名な構造の先生になられていますね。小さい頃からの記憶で、代々木。これがひとつの原点です。
ラコリーナや神勝寺松堂は、本当に藤森建築の実物を見たい、と言う目的で行き、その周辺の(ラコリーナならヴォーリズなど)を見たり、丹下の「広島」を見たり、ついでに谷口さんの公共建築(ごみ処理場)だったり、更についでに山本理顕の消防署を見たり、と言った具合です。
伊東豊雄は、福岡が好きです、ドーム状の造形・構造への挑戦が感じられ、更に岐阜で木の構造材をトラスに組んで大屋根をかける。それが更に台中国立歌劇院に。
或いは鶴岡のタクト、新潟の青木淳(潟にある建築)、都電の椅子。
有名建築家のタテモノだから見るのか、或いはふと見つけて良いな、と思って調べたらああ、あの建築家だったか、と言う場合もあります。
それが一位で、と言う事はなかなか難しいところです。
勿論、日本の伝統建築としての寺社仏閣もそのたたずまいは宗教建築だから、矢張り荘厳で凛としている。宗教建築、で言えば西洋の教会、特にカソリックの豪奢や荘厳は、同じく宗教建築だから在る神々しさから、構造や建て方では無く、見せ方と豊富に材を使った頑丈な建物であり、興味深い。
グレン・マーカットの個人邸作品は、その為だけに行きたい、見たいものだし、ただしプライベートな存在だからなかなかポッと立ち寄ることが出来るのか疑問。
戸建てについて言及すれば、軸組工法が壁工法に近付いてきている今、本当に欠き込んで木と木を合わせる技術よりも、面で構成する工法の方が合理的なんじゃないか、とか感じます。家屋のライフサイクルを考えると、木でしっかりと作り、100年を優に超えるタテモノとして研究を重ね、進化させる方が良い(大工の数は人口動態と共に減る一方ですし)のではないか、とか。住み続ける、命を守る、財産としての価値を持つ個人邸をどう進化させるか、と言うテーマには本当に興味関心があります。
それとは別に、作品としてケンチクは存在し、表参道から一本道で南青山に至る辺りを散歩しながら安藤忠雄、伊東豊雄、槇文彦、MVRDV、H&M、隈研吾、等々が建ち並ぶ贅沢な道や銀座辺りなどの散策は、それはそれでわくわくします。ただし、それは見て、楽しむ建築物。
とまたこちらもグダグダですが書き込みさせて頂きます。
ありがとうございます。ここで挙げていただいた建築や議論について、広く一般の方々とそれなりに普通に知見や論点を共有できるようになればと思いました。
京都駅は確かにその通りだと思いますw
全体のボリュームとかは他のコンペ案よりも優れてると思ったのでコンペ時は納得でしたが竣工してみるとあちこち変な意匠で無駄だなと思った記憶があります
当時のコンペで巨大な山を作って木を植えるという案があったと記憶してるのですが建築家が誰だったか覚えてません
調べても出てこないんですがそもそも私の記憶違いでしょうか?
コメントありがとうございます。コンペの件は、私も記憶があやふやで責任を持ってお答えすることができません。これをご覧の方でご存じの方がおられましたらご教示ください。
安藤忠雄氏の提案が、要項の範囲を超えてプラットホームの上に桜の園を計画していたと記憶しています。
コンペがとれなくても、これが俺の答えだっでのが安藤氏らしいと印象に残った、いい案でした。
長持ちしない、すぐ飽きる普遍性の無いデザイン、という意味ではクマさんとフジモリさんは似た者同士、コインの裏表のような存在だと思っています。
クマさんは素人にもすぐにバレてしまうほどの構造的なお粗末さが目立ちますが、フジモリさんのほうがより巧妙に、メルヘンチックな表層でその欠点を覆い隠してしまうので、余計にタチが悪いと思っています。
率直なご意見、ありがとうございます。こうして忖度なく、建築やものづくりについて、オープンな場で話し合えることがなにより大事だと思っています。それが作り手へのフィードバックにも、やりがいにもなりますし。しょうもないものが持ち上げられて、値打ちがあるものが評価されない、そんなことが少なくなるといいなと思います。
美術館は建物そのものも建築家の美術品と捉えているものはありますね。正直アートなんて、当たり外れはあるのでネームバリューとかコンペの印象くらいでしか判断できないし、やるにはあまりにもハイリスクだとは思います。成功例の影に数えきれない失敗もあるでしょう。
成功例は、言い方は悪いですが、たまたま成功しただけだと思いますし、同じことを違う場所でやっても失敗率の方が高いと思います。
博打を行う予算があるのかどうか。
コメントありがとうございます。建築家などは失敗例も成功例も、ほどほど例も、たくさんサンプリング・研究して、投資になる提案をできる人になる必要がありますし、選ぶ側は誰に頼むのかを慎重に見極められるリテラシーが必要なのではないかと思う次第です。
京都タワーは京都らしくもなければ造形的にもどうかと思うのでさっさと取り壊せばいいのに、と外野ながら思っておりました。(ただ京都の年配の方で遠方から帰ってきた時に京都タワーを見て”やれやれ帰ってきた、ほっとするわ~”などと思われる方もいると聞いたので、その土地の人がいいと思ってるならそれでいいけども、という感じでした。)それが新しい京都駅ができて年月もすぎた今思うのは、以前程に違和感を感じないということです。あの場所全体をまとめる建築として京都駅は一定の役割を果たしていると言えるのかもしれません。
ご意見ありがとうございます。なるほどですね。
動画最後の京都駅は正解を出すのが高難易度な案件だったと思うと原弘司建築は無難な落としどころだったのかもしれませんが、正直に言うと安藤忠雄案とか採用されたif京都も体験してみたかったですね。
これからはきっと、VRなどを使って、if案も格段に高い精度とリアリティで体験できるようになるのではないでしょうか。
よく言った!
「よく言った!」と言ってくださっているのは、どの点についてでしょうか?
京都駅ほど醜い建築はないと子供の頃から思ってました。せっかく古都京都に遊びにきたのに、いきなりあんな醜い駅舎に迎えられてガッカリした旅人は山のようにいたでしょう。
前衛的な建築があれば古い街並みの良さがより引き立つ。京都人は新しもの好きだから近代的なデザインの建築で良かった。だというくだらない擁護は聞き飽きました。
そもそも京都の街並みが現在進行形で混乱状態なのに、あんなヘンテコなデザインの駅がたったら余計に混乱するだけです。さらに近代建築だからダメだと言ってるわけではなく、建築としての美しさの欠片もないからダメなんです。イタリアのミラノ駅にしてもアメリカのセントラル駅にしても一目見て美さを感じる駅です。なぜ美しさの欠片もない建築を建てようとするのか、地元の人が少しも誇りを持てないのに名建築家の設計だと有り難がるのか、感性の悪さにウンザリします。
江戸時代の街並みやヨーロッパの完成された伝統建築に勝るものを建てれないなら古いもので良いんです。私たち日本人が観たいのは京都の伝統的な街並みなんです。なぜならそれが日本人の琴線を刺激する美しさがあるからです。
ご意見ありがとうございます。こうした声が(また違った意見も含めて)、率直に建築家や発注者に伝わること、がとても大事だと思います。建築雑誌等(いまやネットでしょうが)や建築業界のシンポジウムでは出ずらい声。
経済的にシンボリックになる建築は日本にはもういらないし、成功例はないと思います
理由は単純に数と質ですね
隈研吾については彼の今の立場において羞恥心は無いのかと感じるくらいです
ご意見ありがとうございます。
建築賞の肩書なんて鹿馬を釣る価値しかないよ。そいつ等から人気を得るだけで満足できるなら、一代限りの人生を謳歌すればいい。気象や周辺環境を考慮しない建物は耐久性や保守性がないから歴史には残らないと割り切るべき。例えば、水辺の建築でありがちなのは◯ソまみれ。結構、幻滅するよ。写真集だけ見てたらわからないかもね。
コメントありがとうございます。本当に、写真ではわかりませんよね。