【古代史観考ver1.1】⛩️✨国譲りは出雲でも、神代でもない!🤩記紀の時系列は間違っている!?😨神武東征と風土記から大山祇神と神大市姫の謎を妄想解釈します😉
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- Опубликовано: 18 окт 2024
- 古代日本考察です😆
国譲りは出雲でも、神代でもない!🤩
記紀の時系列は間違っている!?😨
神武東征と風土記から大山祇神の謎を
妄想解釈します😉
【参考資料】
玉櫛姫
ja.wikipedia.o...
朝鮮の宗教
ja.wikipedia.o...
乙子狭姫のウィキペディア
ja.wikipedia.o...
佐毘売山神社のホームページ
web.archive.or...
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宮崎県西都市にある古墳群の中に大山積みさまの古墳がある。古事記の記載が単なる神話ではない事を知った。
スサノオが天照の朝廷から追放され途中で老夫婦が何人も居た娘がヤマタノオロチに食われて一人残った娘さんを嫁さまに差し出したご夫婦ですよね
久那斗大神。
大神山、大山(伯耆大山)が神隠山
故に、大山祇大神。
とも呼んだ。
出雲王国滅亡(3世紀末)の後は
征服王朝を建てた
物部(神武)により
イザナギ大神に改変させられた。
私は古事記は藤原氏が書かせた小説調に天孫降臨あったとか書かせた。ホツマツタエは伊勢神宮の外宮の豊受大神さま天照さまのお爺さんに当たる方で男神さまです朝廷を構えるにあたって姿勢考え方を老齢の身で勢力的に働き天照の正室は瀬織津姫ですが12人の側室が用意されました
大三島で温泉入ってソフトクリーム食べて大山祇神社に参拝して帰ってます。
かつて朝鮮半島南部は倭人と同じ文化圏だったそうですからね。
そうです。天皇は、出戻り縄文人です。ハプログループDグループであることがわかっています。
でも、剣や鏡を作れたので、つまり大陸にしばらく住んでいたとか、大陸渡来人の部下がいた。藤原氏はハプログループOグループなので、渡来系です。まあ、いったりきたりして、朝鮮半島のどこかで、知り合って、一緒にビジネスをはじめたのでしょうね。
なんとなんと時代をぐちゃぐちゃにした古事記ですね
大山ズミの神は岩ナガガ姫と木の葉花桜姫の 姉と妹を差し出した神でニニギノミコトは
頑丈な顔の姉を代えされ命死ぬものとなりました
素晴らしい!
そうしたら宮内庁は皇室天皇家は万世一系の世界にはない由緒ある皇室としてますが神武の血と皇室関係者騒ぎますが、誰の血が一系されているのでしょうね。矛盾ばかり生んだ気がするのです
一般的に大山祇は山の神ですが大山祇神社は大三島にある事に疑問を持ってました。
実は大山祇は瀬戸内海の海人で水先案内人だったと思う。
大山祇について最初に出て来るのは天孫降臨の後、
邇邇芸命はオオヤマツミの娘である木花之佐久夜毘売と姉の石長比売を差し出した。
だとすると邇邇芸命と素戔嗚は同一人物となる。
かつ、神武東征の折にも謎の水先案内人が登場する。
これも大山祇が関わっている。
記紀は800年ほど時間軸を伸ばしているので同じような話を登場人物を変えて書いてますよね。
大山津見は古事記によると500人長のようです。古事記には大上山津見神もいます。多くの軍団長を統率する将軍でしょう。どうやら最初に日本に侵攻した軍団1500人3旅団のようです。
卑弥呼が瀬戸内海にいたとしたら邪馬台国は阿波や淡路の可能性もありますか?
紀伊水道を挟んで四国と大和紀伊に同じ地名があるのが気になります。
四国山上説と、阿波説があります。四国には2か所、朱が取れる場所があって、徳島県と愛媛県です。
地名が似ているのは、畿内の本家忌部氏が、孫を神武天皇の命令で「四国にいってこーい」といわれたので、移住開拓に四国にいきました。場所は、どうも徳島県です。忌部氏の子孫は、阿波忌部といって、麻を作って皇室に献上しています。その忌部氏はたくさん忌部神社を作ったのですが、どうも奈良か、九州の故郷をなつかしがって、同じような名前を地名につけたようです。九州ー奈良ー徳島で似たような地名があることが、よく報告されています。
奈良県に入る前は当然、忌部氏は神武天皇に仕えていたので、九州(しかも北部です。糸島市です)に住んでいました。
卑弥呼がトヨと同じで13歳で就任した場合、倭国大乱期末期に年長大であったとるするとどうしても長生きしすぎではないでしょうか。
私はメモ書きの卑弥呼と、陳寿の生きていた時代はトヨと同世代であり、先代の卑弥呼は未婚の卑弥呼とは別人だと考えます。宗女とは原則血筋を表すと考えます。
記紀と同じく、東征した卑弥呼とそうでない卑弥呼は別人であったと考えます。
朝鮮半島は経由地で、海人族の移動の範囲内では。地図を逆に見るのは流石です。
海流を読み、星を見て、自在に移動したのではないでしょうか。
富雄丸山古墳からすんごいの発掘されましたねーっ❣️
富!とみ!トミ!ですよ!(笑)
盾ですよ盾!
しかもあんなスゲー蛇行剣⚔️
黒潮ルートは東京湾に入り込んでいたみたいですよ、百済系と瀬戸内海航路、新羅と山陰北陸航路は、物流の利便性からの繋がりのように思えます。
わー、すごい。あの人口急増急減の話は今回の伏線だったのか!
大山祇も世襲制で何人かいる。
纏向自体は3世紀前半くらいから建設が始まっているみたいだから、東遷の準備自体は卑弥呼時代からやってたんだろうか?崇神の前に先遣隊みたいな人達はいってないとなかなか難しそうだろうけどね
ウチの親父は愛媛の内子です。
僕は広島の福山で育ってきました。
話はちょっとズレちゃいますが
プロファイルで言うところの
3 5 8
と言う数字は想像や嘘つく時によく出てくる数字らしいです。
言われてみたら記紀には名前でも神様の数でもこの数字だらけな気がします(笑)
2 4 6 7 9 という数字はほとんど無いですよね。
出雲系のボス神=クナトの大神が
大国主命や大山祇神に変化して呼ばれている
神を個人として捉えると答えが必ず纏まらない!擬人化したグループや組織として考え無いと駄目ですよ性別が無いのもそのためです!
四国が、みしま!
行く着くところは、出雲、天孫に跨る最強祭祀氏族に行く着くのでは?
朝鮮半島に人の形跡の無い5000年後、初めて住み始めたのは縄文人なので渡来でないのては?
動画有難う御座います。
分かり易いですね。
参考になりました。
何となく、記紀の冒頭で
嘘くさい話を選別した、正しさと思う事を残しとくね⁉️って書いてる意味が分かりました。(笑)
確か、出雲以外の各地の風土記を集め681年スタート712年に古事記、720年に日本書紀。完成後出雲風土記だったと思うんですが⁉️
713年瑞祥地名ですので、この時点で、今の漢字の使い方は、しておらず、発音として、漢字を利用していたので、漢字には意味が無く、発音が同じであれば、漢字違いでも同一の可能性がある⁉️
だから、風土記も正しいか?分からないし、記紀自体が、こうかもしれない?と自信が無い?
三国志には、馬韓は倭語を話す倭種ですし、百済を百済と認識したのはいつか?720年まで、漢字の読み書きを理解出来ていない、日本がー『大爆笑』ですね。
720年以降に渡来した人達が、更に創作してるから、日本の歴史は、難解なんでしょうね(笑)
そりゃ、わからん訳ですわ。(笑)
摂津の三島は兵庫県じゃないです。今の大阪の高槻市辺りです。高槻市から奈良までなら近いですよ。高槻市から枚方市交野市生駒市奈良市です。神武天皇の五十鈴姫と結婚はありえます。近くですよ。崇神天皇は倭の首都の阿波に住んでましたよ。この時に阿波美馬市に倭大国魂神社(式社内1社)と倭大国敷神社が出来てます。
大山祇大神
=大倭大国魂大神。
@@森岩光 大山祇は大倭大国魂大神ではありません。奈良にある大倭坐大国魂神社(現在大和神社)は大物主です。帝都阿倭(あわ)の倭大国魂神社から奈良に歓請した神社です。
東征は2回あったのではないでしょうか。一回目は300年頃で邪馬台国が北九州から近畿に東遷し畿内の出雲王国を滅ぼして大和国ができた出雲国譲りと呼ばれているもので、もう一つは400年頃で南九州の武内宿禰が九州を統一し三韓征伐したあと九州から畿内に東征して、東遷していた大和国を滅ぼした応神東征と呼ばれているものではないでしょうか 武内宿禰とは応神天皇でありこれは神武天皇を暗示しているのではないでしょうか
東征が二度あったというのは素晴らしい着眼点だと思います。恐らく九州吉野ヶ里あたりの第一次物部氏東征の準備中、物部氏の首長であった崇神天皇、イニエ大王が亡くなり、息子のイクメ大王(第11代、垂仁天皇)が王となりました。イクメ王はまだ若すぎるので、宇佐神宮の姫巫女豊玉姫二代目ヒミコが女王として物部豊国連合軍が東征を実行することとなりました。船団で紀州熊野からヤマトに東征しましたが、あまりに三輪山の姫巫女の百襲姫初代ヒミコの力が強く、自然吸収されて瓦解、二度目は同じく物部氏イクメ大王と、豊玉姫ヒミコが亡くなり代打わりした後継者の豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)と田道間守が東征し、武内宿禰が率いるヤマト磯城王軍が北陸に逃れたことにより物部王朝が立ちますが、それも九州に戻った息長垂姫の代で終わり物部王朝は短命政権となったようです。
初めて聞きました!
@@nihontaro9す
大元出版『出雲王国とヤマト政権』などのー伝承の日本史ー 出雲口伝より
?
朝鮮の前がシュメール、インド、ペルシャ経由していますよ。考え方の学校のヨシさんを勉強して下さい。百済、ペッツェは、ペルシャからの意味らしいですよ。
出雲にはあまり興味がなかったのですが、親子関係みると、けっこうむちゃくちゃですね。