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ヒルが在籍したすべてのチームがその時期にチーム最高成績を出していることからも開発能力、チーム力強化に大きな影響力を持っていたことがわかる永遠に自分のベストドライバー
ワイ、歴代のF1ドライバーでいちばんの推しがこの方ですわ。
セナやミハエルの様な圧倒的な速さは決して無かったヒルだけど非力なアロウズで2位表彰台、ジョーダンで雨のベルギーを優勝したりと腕は超一流であることに変わりない。
地味だったから損しちゃったよね
97年の開幕戦もヤマハのスタッフ曰く、なぜあのマシンで予選通過出来たのかと驚かれた位ですもんね。
@@zxrcbrfzr そんなとこまでジョージに似なくても……
彼ほど過少評価されたドライバーはいないと思う。ウィリアムズ時代は「マシンがいいから」など言われたが、その後のアロウズやジョーダンでの走りで周りを黙らせ、その評価を一変させた。元々開発能力が高いドライバーだけあってどちらのチームも後半戦で調子をあげてきた。マンセルやプロストも一目置くドライバー。
そのいいマシンはヒルの開発能力の賜物だったしね。
今でも大好きで尊敬するワールドチャンピオンです。「ジェントルマン・ドライバー」の正統を受け継いだ素晴らしいドライバー。1996年のタイトル戴冠時は本当に嬉しくて泣きました。そして悔しかった1997年のハンガリー。「現役のチャンピオンがなぜ尊敬を受けないのか?」という当時の雑誌に今宮純さんが書いた一言も重かったと思います。マシン開発能力は当代一流、ギターの腕も一流、家庭人としても一流。引退後の生き方もロックでカッコいい。
昔、古舘さんがF1界のジョージ・ハリスンなんて言ってましたが、実際父グラハムの頃からジョージ・ハリスンとは親交があったらしく、自らもバンド組んでたり、本国イギリスでは錚々たるミュージシャン達と音楽番組で演奏したりギターテクも一級ですね。私も96年チャンピオンは嬉しかったし、97年のハンガリーは悔しいけど嬉しい、あのアロウズであんな走りを見せられたら皆黙っちゃいますよね。見たか!て感じでした。そして98年雨のベルギーでジョーダンでワンツー!もう、ドラマチックな彼の人生にピッタリな演出の様でした🎉
ブラバムで決勝進出・完走、ウィリアムズで独走の初優勝、アロウズで優勝目前の力走。ヒルさんといえばハンガリーマイスター。
デーモンは地味だったが速かった、悪辣なドライビングはせず晩年は不遇であったがジョーダン無限に初勝利をもたらした優勝はすごかった
同じ 1960年生まれなので、特別好きな F1ドライバーです。セナさんも同じ年の生まれですが、どこか神様のようなブラジリアンとは親しみやすさが違いますね。そんな彼が初優勝した時と、王座に輝いた時は本当にうれしかったものです。彼の言葉で印象に残っているのは、マンちゃんファンの多い 1992年のイギリスGPで、「スタンドのユニオンジャック、一本くらいは僕のために振られていないかなあ」と、どこまでも謙虚な4年後のチャンピオンでした。
現在のイケオジなヒルが大好きこういう歳の取り方ができるといいなって思います
正に遅咲きという言葉がピッタリなドライバー。引退後のシルバーヘアーがまた渋くて似合っててカッコイイんだよね。
デイモン・ヒル、大好きでした97年ハンガリーは、馬鹿にしてたやつ、見たか!!って興奮しましたわ
フェラーリ好きでミハエルを応援していた僕も、ミハエルをオーバーテイクしたシーンは「ヒルって、実は速いドライバーなんやなぁ」と脱帽するしかなかったです。
わかります。1997年ハンガリーGPのヒルはかっこよかった
鈴木アナが絶叫してましたな
@@piojokazu さんすみません💦馬鹿にしていた一人でした。ハンガリーGPを境に掌クルリンパして称賛しました。
予選落ち寸前の車をたった6カ月でフェラーリを直接オーバーテイク。あわやアロウズもヤマハも、参戦初年度のブリヂストンにとっても全部まとめてF1史上初優勝という快挙寸前にまで持っていきましたからね……あれを奇跡で片づけるには無理がありすぎた。
エイドリアン・ニューウェイはホントにドライバーを見る目がありましたね。
結局ヒル放出に怒ったニューウェイが離脱したことでウイリアムズは凋落しましたからね。
@@black-knight_03 そうそう、そこですよね。
96年、チャンピオンを決めた鈴鹿で「みんなに祝ってもらうんだ」と奥さんと喜んでいたのが印象的でした❗️
古舘さんに上げ底の栄光と言われたウィリアムズ時代からアロウズやジョーダンで実力があることを見せた男👍
ヒルはワールドチャンピオンをとったことよりも、その後のたった1勝と、下位チームであと少しで優勝の2位で評価が上がった稀有なドライバー。ヒルが在籍時最好チームは、離脱後見事に堕落の途へ。。。
1996年のチャンピオンが1997年は「どべ」からのスタート。他のドライバーらはヒルをこぞってヤジったがミカだけは彼に対して謙虚だったよな。もしミカとチームメイトになって居たならどんなストーリーが用意されて居たのだろうか...?
二世ドライバーでありながら極貧下積みを経験し、やっと辿り着いたF1シートのウィリアムズでは死ぬほどテストで走らされた。登り詰めて行った感が強い方ですね
ヘルメット越しの目がカッコいい。そして地味だが速い。未だに自分の中でヒル以上好きなドライバーが出てこない。
その謙虚さ堅実さ故にチャンピオンドライバー特有のエゴの強さが見え辛かったり、肝心なところでのミスが強く印象づけられてしまったり、更に当時最強のウィリアムズに乗っていたこともヒルの正当な評価を阻んでいたと思います。当時見ていた自分もはっきり言ってヒルを舐めていました。ただ、戦闘力がウィリアムズより遥かに劣るアロウズで優勝目前まで行ったことで彼はその実力を証明しましたし、あのエイドリアン・ニューウェイがヒルの解雇に怒ってウィリアムズを離脱したというエピソードを知って、自分の見る目のなさを痛感しました。その人柄も含め、間違いなく尊敬に値するドライバーです。
速いドライバーはたくさんいましたけど、デーモンみたいなマシンそのものを速くできるドライバーは、中々いないですよね(今はテスト制限などで、シーズン中の開発も難しいし…)愛妻家でギターも上手と、人柄もチャンピオンに相応しいドライバーだと思います!
ヒル×バーナード×ヤマハV10で覚醒したA18、この美しいシルエットとカラーリングはティレル022と並ぶ名車
みんな97年ハンガリーを挙げるから、俺は98年ベルギーを挙げようかな。雨のスパでクルサードのやらかしから多くのマシンがリタイヤする中、堅実な走りでハンガリーでの忘れ物を取り返した。あんなに嬉しかった優勝は数えるほどしかない。ゴール直後に思いっきりホンダミュージックを奏でたのも凄く良かった。無限ホンダとジョーダンの最盛期の立役者と言っても過言ではない。
アロウズでの2位は涙なしに見れん。このレースでF1ジャーナリストの手のひらクルン。アイツラ本当にクソだと思った。マンセル:「どうしてデイモンの言う通りにしないんだ!!」マシン開発でも超一流でしたね。
ほんとどうして言うこと聞かないんですかね?'97年後半のウィリアムズ不振も前半からフレンツェンが指摘していた弱点をヴィルヌーブが同じこと言うまで放置してたって言うし・・・
ロスマンズカラーのウィリアムズに乗ってる姿が最も似合うドライバー
わかる。ジャックじゃなくてデイモンなんだよね。
F1で最初の親子チャンピオンでしたよね。2016年には20年ぶりにロズベルグ親子がそれを達成しました(ケケは82年、ニコは16年)。
ここにはヒル好きの方が多くてコメントも全く同意できるものばかり。1996の鈴鹿を生で見られて本当に良かった。ただ同時期にライバルであれほど栄光に満ちたシューマッハの現在を思うと、人の人生とはわからないものだ、と思う
ヒルとハッキネンは人格者
バトンもお忘れなく。
ヒルがチャンピオンを決めた日本GPでハッキネンが3位に入り、ヒルがハッキネンに『君にも同じ日が来る』と言って、その2年後に現実になったしかも日本で、胸アツ展開だった
あとライコネンも
メカニック上がりのパパヒル同様に開発能力に長け、イキったトラッシュトークをしないクリーンなドライバーのイメージがとても好印象でした。引退後のイケおじっぷりがまたいいですよね。大好きです。
マクラーレンに移籍をした時の世界線も見てみたかったですね。
苦労は多かったけど、いいレーサー人生でしたね。アロウズ、ジョーダンでの閃光も印象に残ってますが、やっぱりウィリアムズでのキャリアがいちばんです。皆から好かれてたおかげで引退後もいい歳の取り方してますね。嫌われるくらい偏ってないとチャンピオンは獲れない、ように言われることも多く、意外とこういうチャンピオンって珍しい気がします。
一番好きなワールドチャンピオン
ヒルは私の永遠のベストドライバー97年のハンガリーGP、フェラーリのミハエルを抜いた時夜中にもかかわらず大絶叫した事を覚えていますマシン開発能力が高い所も、人格者な所も、不遇な状況でも腐らず努力する所も、たまにミスしちゃう所も、全てが大好きです
ヒルがしでかすミスは経験不足が原因でしたね。キャリアを積むに従ってミスをしない強いドライバーになりました。
ヒルを解雇したウィリアムズは暗黒時代へ足を踏み入れてしまいました。。マシン開発能力は素晴らしかったです。
腕前も去る事ながら開発能力も高かったドライバー。鈴鹿でのブリヂストンタイヤテストではあの星野一義氏を唸らせたりしてましたね。因みに趣味の音楽ではデフ・レパードのアルバムで一曲のみギターソロで参加してるとか。
デモリションマンのギターですね。ギターとデフレパすきですが、当時驚きました笑
友達の家で観たF1で古舘伊知郎が「顔面ジョージ・ハリスン」と呼ぶドライバーがいたことがF1に興味を持った切っ掛けの一つ。後にデーモン自身ギタリストで、しかもジョージ本人と友人と知った時の感動は更に大きかったな(ジョージはグレアム・ヒルとも友人)。ジョーダンに移籍した時は「これで毎日ロックンロール・パーティだ!」とエディ・ジョーダンが発言したとか(ジョーダンはPremier社と契約があるセミプロレベルのドラマー)。
シューマッハと違ってヒルを悪く言う人少ないですねデビュー当時は親の七光りと言われてたが実力で黙らせた人ですウイリアムズ解雇は本当に信じられなかったヒルの解雇でエイドリアンニューウェイも離脱しウイリアムズが没落していった記憶があります。現在はモデルの様なイケおじですね
96年にチャンピオンになり97年の開幕戦の予選では、あわや107%落ちかと思いきや…イギリスGPでの1ポイントからのハンガリーGPの幻の2位とヘレスの予選まで…彼のマシン開発能力が素晴らしい事だと思う。
あの、アクティブサス車を初期段階から開発したのだから。
日本GPのオフの日に、市街でヒルを見かけた人が声をかけると、「とても謙虚な人だった」と言っていたのを当時(ウィリアムズ当時)のF1雑誌で見たのを覚えています。また、ベネトンのシューマッハだったと思いますが、予選のラップ争いの際に最後のアタック前に、目を瞑って精神統一していたのが、私のおぼえている印象です。それで逆転ポールポジションですから。渋い❕カッコいい❕憧れの人です。
ヘルメットのデザインがシンプルでカッコ良かった
わかりますシンプルが故に逆に目立つカッコいいヘルメットですね
なお、93年のヘルメットは8本のオールの中に丸が入ったことで「真上から見たらアブない」と言われた模様w
父親のグラハム・ヒルと同じデザインでしたね。グラハムが在籍していたロンドン大学ボート部に由来のあるデザインだと聞いたことがあります。
@@ダーヨ-p8xそうです。そのボート部の帽子、又はヘルメットのデザインをモチーフにしたそうです。
ハンガリーが初優勝となるドライバーって多いけど、ヒルもその1人だったんだね
1997年ハンガリーGPは鳥肌もんでした。もう少しだったのに残念でした😭
ウィリアムズ時代のデイモンは過小評価されていたけど、97年開幕で予選通過も怪しいアロウズでトップ3を最後に狙えるように開発し、ジョーダンでは優勝して一流ドライバーなのを結果で見せた。走りはさながら、開発能力は超一流だったな。
バイクは350あたりのノービスクラスでしたかな。よく知らないけど💦94年度のアデレードの結末は後味がかなり悪い当時観てた父からしたらセナプロ合戦を彷彿させたよう…98年度の土壇場の雨の修羅場と化したベルギーでのラルフシューマッハさんとのワンツーフィニッシュや97年度の難癖あるアロウズ車体のヤマハでのハンガロリンクでも猛走も惜しくも優勝は逃しましたがアロウズとヤマハに快挙をもたらしましたことはあっぱれですね👌
個人的にヒルを1番評価している部分は、悪夢のマシンFW16で開幕戦から2位を獲ったこと。セナが3戦連続ポール→リタイアした間もヒルは10ポイントほど稼いでいた。セナの方が速い速度域だったのはあるだろうが、ピーキーなマシンで上位を取るのもドライバーに必要な実力です。そういう意味では2018〜20年頃のマックスに通じる能力がヒルにありました。
自分からのデイモン・ヒルの印象は、予選でずーっと目をつぶりシューマッハがTOPタイムを出しても動じず、目をつぶっているヒル……予選時間も迫ってくると急に眼をカーッと開き、ミスすることなく周回をするヒル。そしてポールを奪うヒル……。カッコよかった。
92年アマティーの代役がヒルだったとは知りませんでした。93年はハンガリー前にも初優勝してもおかしくないレースはありましたし、94年は事故死したセナと同じ車でよく1年間戦い続けてくれたと思いました。当時はどこか勝負弱い印象を受けていましたが、改めてこの動画を見ると、チャンスを掴み車を作り上げ、しっかり結果を残してきた素晴らしいドライバーであると気づかされました。
優勝してもおかしくないどころかマシントラブルで3連続トップからリタイヤじゃなかったかな?その3戦優勝してたら6連勝でチャンピオンもあり得たでしょうね・・・
セナを応援していた時ウィリアムズ在籍時のパートナーがデーモン・ヒルだった、セナにも引けを取らない位素晴らしいドライバーだと感じました😊1996年にワールドチャンピオンを獲得出来て本当に良かった、私もデーモン・ヒルのように年齢を重ねても魅力的なイケオジになりたいと思います😂
デーモン.・ヒルのファンでした🏁ベストレースは94年の日本GPだと思います🏁ワンストップで性能低下したウエットタイヤで雨の鈴鹿をシューマッハに2秒差をつけて走り切ったのは感動しました🥹ウィリアムズのアクティブサスペンションは開発ドライバーのヒルのフィードバックのおかげです🏎️👍
ヒルで一番印象に残ってるのはカーナンバー0なんですがアロウズで苦労しながら戦い抜いてまた違う形でカーナンバー1を輝かせたのもよく覚えてますウィリアムズの黄金期を築いた集大成が96年だと思いますし92年に走らなかったらそこまでだったかもですね
ヒルが一番輝いてたのはやはり97年で間違いないと思う✨
97年最終戦の予選、上位三人の1分21秒072同タイムに続く4位。実はアタックラップで右京さんに邪魔されて、クリアラップでなかった もしかしたらポールだったかも
右京はヒルを馬鹿にしてましたからね!ミハエルやハッキネンほどオーラを感じないって。ふざけた奴だなぁ。
ほとんどのトップドライバーが中堅以下のチームに行くと落ちぶれていくけれどデーモンは違ったなあ〜 アロウズYAMAHAで優勝争いまで引き上げたし ジョーダンでも存在感示したもんなあ〜 最後はYAMAHA 無限ホンダと日本のメーカーと関わりあったねえ〜 良いドライバーでした🎉
親が伝説級の存在であった事がプレッシャーとなる者同士で分かり合えたヒルとヴィルヌーブのコンビは最高だったのにウイリアムズの判断はおろかとしか言いようがない
デイモン・ヒルはマシンの開発能力が高く1997年ハンガリーGPはワールドチャンピオンらしい走りを魅せてくれた父親はF1ワールドチャンピオン、インディ500WINNER、ル・マン総合優勝を獲得したグラハム・ヒル
お父さんの、グラハム▪ヒルさんは、世界三大レースすべてを制覇した偉大なレーサーですね!
いつも、貴重な F1 情報をありがとうございます。高品質な内容を安定して継続できる動画主様は何者ですか?デイモン・ヒルからは、なぜか日本人的なものを感じます。とても好きなドライバーです。
ヒルの初優勝の時、プロストがいきなりエンストして引き立て役に回ってたな。ウィリアムズ最後の年にチャンピオン取れてよかったな。考えてみたらダメジョーダンで初優勝、ダメアロウズで優勝目前というのもすごいな!因みにこの時のアロウズのマシンかっこいいな!
ウィリアムズ時代のデイモンは過小評価されていたけど、97年開幕で予選通過も怪しいアロウズでトップ3を最後に狙えるように開発し、ジョーダンでは優勝して一流ドライバーなのを結果で見せた。走りはさながら、開発能力は超一流だったな。マンセルとエイドリアンニューエィには評価も高かった
ヒル選手は真面目だから好き(お年を召してもますますイケメンだし)。当時いくらナンバー1マシーンのウィリアムズだったとしても大半で表彰台の常連だから決して遅いレーサーじゃない(亜久里選手 選手が自分より遅いとか舐めたこといってたが)。マンセル、プロストと超超超超1流の人とチームメイトになりメキメキ腕を挙げていったよね。マシーン、チームの連携、無論レーサーと全てが揃ってないとチャンピオンにはなれない、チャンピオンになったヒル選手はあたりまえだが速い。
後に亜久里さんも片山右京さんもヒル評を改めましたね。
ギターも得意でプロ級の演奏ができた。元ビートルズのジョージ・ハリスンにそっくりなので古舘伊知郎さんからは「顔面ジョージ・ハリスン」と言われていた。
なおヒルが所属していたバンドは「セックス・ヒトラー・アンド・ホルモンズ」というムチャクチャな名前でした。
@@maxs2k566さん確かこのバンドはパンクロックバンドで、デーモン氏はそのギタリストだったんですよね🎸🎸🎸あの紳士然としたデーモン氏がツンツンのヘアーでギターをギャンギャンかき鳴らしていたのは想像すると面白いですね🎸🎼🎹
ブリヂストンのF1参戦直前のタイヤテストでも、開発能力の高さを見せたと思います。
この時ブリヂストンが用意したテストマシンが鈴木亜久里が最後に乗った型落ちのリジェ。このテストでの最速ラップタイムは同年の鈴鹿予選の4位に相当するものでブリヂストンタイヤが優れているといえども気温の低い12月だったか条件的に悪いのに普通に出るタイムじゃない。この時見学に来ていた星野一義がヒルのドライビングを絶賛。現役時からヒルより自分のほうが速いと言っていた鈴木亜久里はショックだったとか。
ヒルを起用したウィリアムズは正解だったけどヒルをクビした事は間違ってたと思う
だからニューウェイがブチ切れて離脱したから、ウィリアムズが目も当てられない状態に・・・
後にフランクウィリアムズもヒルを解雇したのは失敗だったと語ってました。
マンセルの推薦だったんだよね。もちろんテストドライバーを務めていたからウィリアムズも実力は良く分かっていたと思うけど。
デーモン・ヒルがアイルトン・セナや鈴木亜久里と同い年って思うとかなりの遅咲きですね。
ヒルがアロウズに移籍してもう勝つことはないと思っていたらあのハンガリーGPでのトラブルが残念でなりませんでした。。ヤマハとブリヂストンの初優勝もかかってたので。94年の鈴鹿といい、随所にいいレースを見せる記憶に残るドライバーの一人ですね😁
若い頃に苦労した経験がブラバムやウィリアムズのテストドライバーなど下積み、セカンドドライバーでも決して腐らず我慢をした結果、チャンピオンまで登り詰めた苦労人でしたね。
ブラバムで予選落ちを繰り返しつつ、ウィリアムズでテストドライバーを務めた。少ないチャンスを掴んだ、偉大なドライバー。カーナンバー『0』を二年連続で使ったドライバーでもある。
ブラバム時代、デーモン(デイモン)繋がりでデーモン小暮がスポンサーになったよねノーズ部分にデーモン小暮のステッカーを貼って
マンセルのアクティブサスを開発した男ですし、アランプロストもヒルのことを讃えてますから。流石です。当時のフジの実況は酷かったですが大好きなドライバーでした。
プロストも93年の中盤から速さを見せて来たヒルに焦りのようなものを感じていた。ハンガリーでの初優勝から怒涛のハットトリック達成だからね。ヒル自身はプロストのようなスムーズで無駄のない走りを理想としていたとか。プロストも引退後はヒルのファンだと公言するぐらい認めていたね。
@ さん、ご返事ありがとうございます😊
これでもかの逆風に抗って進み続けたヒル。アロウズでの走り、ジョーダンでの優勝はフロックではない。痛快でした。実力もあったし何よりもクリーンなドライビング。速かったと思いますよ。
サーティースやヴァレンティーノ・ロッシもそう言われるけど、2輪出身の人は4輪の開発能力が高い人が多いような気がするな。
1998年鈴鹿ファイナルラップのシケインでウィリアムズのフレンツェンをパスしてコンストラクターズランキングでベネトンを土壇場で逆転した走りも印象的。
もしマクラーレン移籍してMP4/13に乗ってたら2回目のタイトルが取れていた可能性も‥。
お父さんグラハムヒルも遅咲きでした。ヒゲが自分の祖父に似てて大好きでした😍
親父さんはモナコ強かったなぁ
94年の鈴鹿で終わりかけのタイヤでスライドしながら走る97年ハンガリーでミハエルを1コーナーで差した時は痺れましたねタラレバだけど94アデレードはあの場面で抜きに行かなければ余裕で抜けて94年に初チャンピオンになれたと思う、フランクウィリアムズはうちのマシンなら誰でもタイトルを獲れるという考えからあっさりヒルを放出してニューウェイが激怒してウィリアムズを離脱とかドライバーの扱いは酷かったですね
平凡なドライバーと思ってたのに、'97ハンガリーはめっちゃかっこよかった!
いまでもVHSで撮ったこのレース見てます。腕が証明されたレースでしたね。
デーモン・ヒルの速さと開発力を買っていたエイドリアン・ニューウェイは自身の知らないところでヒル放出が決まって、ドライバー人事に意見できるという契約を破られ、ウィリアムズに不信感を抱き離脱したんだよね。
接触や「マシンのおかげ」みたいな過小評価やけど、その良いマシンは、ヒルの開発能力の高さによって造られてるし、適応もしてる、ちゃんと記憶に残るチャンピオン🇬🇧ナンバーが「0」てのも全ての始まり感があって良い
みなさん、ヒルをご自身に重ねあわせて応援していたのではないでしょうか。私もそうです。ヒルが世界チャンピオンになった時は我が事のようにとても嬉しかったです。思い出深いF1ドライバーです。尊敬しています。
地味だけど、堅実な走りはさすがと思わせるものがありました。プロストからいろんな事を学び、セナと組んでこれからという時に自分がエースドライバーになってしまい、シューマッハにたいした事ないとディスられたりしたが、結果で示して黙らせた。94セナの他界後〜96はシューマッハよりも自分はヒル推しだった。アロウズで2位ジョーダンで優勝したので普通のドライバーではない事は証明されている。
デイモン・ヒルと言えばタイトル獲得後のチームではアロウズヤマハやスチュワートフォードだけでなくジョーダンプジョーやプロスト無限ホンダからもオファーが届いていたそうですよ、プロスト無限ホンダへ移籍していたらどうなっていたと思いますか?^^
ヒルって恵まれてたと思う。テストドライバーの時はマンセルと居たし。プロストとチームメイト。セナとも。 これだけレジェント一緒に仕事が出来たんだもんなぁ~。
セナのヒル評はどうだったんだろうねえ?たった3戦しかチームメイトとしては走ってないけど。
@@hide-wq3oz どうなんでしょうねぇ~ ただ逆にFW16の改良版を投入するまで?でヒルがセナの速さは異次元みたいな事言ってたみたいですね。 そこまで扱いは難しかったみたいです。 ヒルはメカさんなどからも好かれてたみたいですね。もちろん自分も好きなドライバーの一人です。
@@takuchanman ダメマシンでも速く走らせてしまうという能力はセナやシューマッハが抜きん出ていた。ゆえに欠点が炙り出せないということにもなった。マシンの熟成が進んだシーズン中盤ではヒルもいい勝負を見せたんじゃないかと思う。ちなみに94年のパシフィックGPでルノースポールがシミュレーションしたPPタイムを上回って来たのはセナ、シューマッハ、ヒルの3人だけだった。
最も尊敬するドライバーです。
軽く扱われているのが残念だと思うチャンピオンです。決してミハエルやジャックの引き立て役ではなくミハエルやジャックこそデーモンの引き立て役だったんです。
親父殿は世界三大レース(モナコGP・インディ500・ル・マン24時間)を制した唯一のドライバー、グラハム・ヒル氏でしたっけ😊
正解️⭕️
99年の最終戦で「戦意喪失」が理由でリタイアしててびっくりした
しかもモナコGPは通算5勝もしており、「Mr.モナコ」とも呼ばれている。ちなみにモナコGPで一番勝っているのはアイルトン・セナの6勝でグラハム・ヒルとミハエル・シューマッハが共に5勝しているが、デーモン・ヒルはモナコには縁がなく未勝利。
ヘルメットのカラーデザインもお父さまと同じなのが美しい華麗なり親子ドライバーですね👌日本なら中嶋親子さんや星野親子さんがヘルメット同じ配色かな。
@@根小草原 いつぞやのグッドウッドフェスティバルで親父さんが乗ってたマシンで出場したそうな。ヘルメットも親子で全く同じカラーリングだから親族の方々はさぞかし嬉しかっただろうな。
中島とヒルが大好き
派手さはないが頭のいいドライバーという印象ですウィリアムズは離してはいけなかったよ
俺が車好きになった頃、見出したF1で活躍してたね。当時は地上波でやってたから毎戦見てたね。活躍してたね。ジョーダンで優勝した時は夜中に興奮して、両親、兄弟にやたら怒られた。
初めて観たF1が'93イギリスGPだったので、母国での初優勝目指しトップ快走中にリタイヤ→ドイツGP優勝目前の残り2周でタイヤバースト→初優勝ハンガリーからベルギーイタリアと3連勝→あれ?このカーナンバー0の人って実は最強ドライバーなんじゃね???……という壮大な勘違い認識から始まった自分のFオタ人生でした(汗'97ハンガリー時は夜中に絶叫し過ぎて親どころか近所からも苦情が来ました。余談ですが「2戦連続同一名グランプリを優勝」という珍記録保持者でもあるんですよねデイモンさん('95最終戦オーストラリアGP→'96開幕戦オーストラリアGP)。
もう一つ余談ですが、デーモンはデビューから引退まで、カーナンバーが一桁なんですよね😮
デイモンヒルがウィリアムズのテストドライバーをやっていたから1992年のウィリアムズとマンセルがチャンピオンになったと思います。ヒルもFW14でのシーズンオフテストてはマンセルより速いタイムを出していたのを雑誌で見たのを覚えてます。のちにヒルも優勝したりチャンピオンになりましたね。ヒルが離脱した後のウィリアムズはだんだん戦闘力が落ちてアロウズで2位になったのを見るとヒルは開発能力のあるベストドライバーだったと思います。
私が知っているのは、ウィリアムズのテストドライバーをしていた時からですね。ブラバムのジョバンナですか。因縁のドライバーですね。中谷がF1にステップアップできなくした相手ですね。
ウィリアムズからの参戦時には二世のコネ&イギリス人ドライバーのおかげでシートが得られたと思っていました。その後の移籍したチームでのマシン開発力の高さや渋い走りでチャンスを掴む姿に誤解していたと思ったドライバーでした。
20歳前後からすんなりとF1に乗る若いエリートたちと違い、彼には、本来は父とともに運命づけられているはずのF1に至るまでの、長く厳しい道のりを歩む者に特有の耐性のようなものが感じられました。いわゆる親の七光りの二世とは明らかに違うキャリアですが、トップチームのドライバーになったのは才能のほかにやはりヒルという名、背負った運命によるものだったろうし、はかなさが共存していたのも、父がかつていたF1になんとか戻るために変節を重ねたキャリアゆえだったのかもしれない。まるで「一撃離脱」のようなF1キャリアでしたが、その少ないチャンスで栄冠を見事に勝ち取ったのは、ひたすらに彼の努力と才能、彼特有の運命によるものだったのではないか、と思わせます。
マークブランデルがARDのスーツを着てたことにちょっと驚きましたw
ウィリアムズでワールドチャンピオンを獲得した事よりも、そのウィリアムズと比べて格下のチームであるアロウズで優勝争いまで持っていた事がとても衝撃的でした。加えてマシンの開発能力も備わっているので、もし他に同じタイプのF1ドライバーがいると答えるなら、アストンマーティンい所属するアロンソみたいなタイプだと答えると思います。
ミスター・ハンガロリンク
セナ無きf-1 ジャックヴィルヌーヴ、デーモンヒル、2人を応援していたなぁ
ロスマンズカラーにパパヒル風メットがよく似合ってましたねー。初めて買ったF-1のミニカーがオニクスのFW17でした。その後ブリヂストンテストカーも買って大事にしてます
彼のレース人生を通じて、F1ドライバーは他ジャンルのアスリート同様、実力だけじゃなく人間性も重要だと気付かされますね。そしてそんな非凡な才能の持ち主を、過小評価したフランク・ウイリアムズ卿のダイヤモンドよりも堅い意志が災いしたのが、不幸のハジマリだなんて本当に皮肉としか言えません。
最近、94年モナコの予選の動画が上がっていた。FW16でフルアタックするヒルに震えた
黄金期のウィリアムズのマシンはヒルとニューウェイのコンビで作り上げたものと後に分かることになった。当時ヒルの能力を評価していたのはニューウェイだけだった。ヒルをクビにしてフレンツェンと契約した結果、ニューウェイも去り2人の遺産であるマシンで何とかチャンピオンになれたのがビルヌーブ
ヒルが在籍したすべてのチームがその時期にチーム最高成績を出していることからも開発能力、チーム力強化に大きな影響力を持っていたことがわかる
永遠に自分のベストドライバー
ワイ、歴代のF1ドライバーで
いちばんの推しがこの方ですわ。
セナやミハエルの様な圧倒的な速さは決して無かったヒルだけど非力なアロウズで2位表彰台、ジョーダンで雨のベルギーを優勝したりと腕は超一流であることに変わりない。
地味だったから損しちゃったよね
97年の開幕戦もヤマハのスタッフ曰く、なぜあのマシンで予選通過出来たのかと驚かれた位ですもんね。
@@zxrcbrfzr そんなとこまでジョージに似なくても……
彼ほど過少評価されたドライバーはいないと思う。ウィリアムズ時代は「マシンがいいから」など言われたが、その後のアロウズやジョーダンでの走りで周りを黙らせ、その評価を一変させた。元々開発能力が高いドライバーだけあってどちらのチームも後半戦で調子をあげてきた。マンセルやプロストも一目置くドライバー。
そのいいマシンはヒルの開発能力の賜物だったしね。
今でも大好きで尊敬するワールドチャンピオンです。
「ジェントルマン・ドライバー」の正統を受け継いだ素晴らしいドライバー。
1996年のタイトル戴冠時は本当に嬉しくて泣きました。
そして悔しかった1997年のハンガリー。「現役のチャンピオンがなぜ尊敬を受けないのか?」という当時の雑誌に今宮純さんが書いた一言も重かったと思います。
マシン開発能力は当代一流、ギターの腕も一流、家庭人としても一流。引退後の生き方もロックでカッコいい。
昔、古舘さんがF1界のジョージ・ハリスンなんて言ってましたが、実際父グラハムの頃からジョージ・ハリスンとは親交があったらしく、自らもバンド組んでたり、本国イギリスでは錚々たるミュージシャン達と音楽番組で演奏したりギターテクも一級ですね。
私も96年チャンピオンは嬉しかったし、97年のハンガリーは悔しいけど嬉しい、あのアロウズであんな走りを見せられたら皆黙っちゃいますよね。見たか!て感じでした。そして98年雨のベルギーでジョーダンでワンツー!
もう、ドラマチックな彼の人生にピッタリな演出の様でした🎉
ブラバムで決勝進出・完走、
ウィリアムズで独走の初優勝、
アロウズで優勝目前の力走。
ヒルさんといえばハンガリーマイスター。
デーモンは地味だったが速かった、悪辣なドライビングはせず
晩年は不遇であったがジョーダン無限に初勝利をもたらした優勝はすごかった
同じ 1960年生まれなので、特別好きな F1ドライバーです。
セナさんも同じ年の生まれですが、どこか神様のようなブラジリアンとは親しみやすさが違いますね。
そんな彼が初優勝した時と、王座に輝いた時は本当にうれしかったものです。
彼の言葉で印象に残っているのは、マンちゃんファンの多い 1992年のイギリスGPで、
「スタンドのユニオンジャック、一本くらいは僕のために振られていないかなあ」
と、どこまでも謙虚な4年後のチャンピオンでした。
現在のイケオジなヒルが大好き
こういう歳の取り方ができるといいなって思います
正に遅咲きという言葉がピッタリなドライバー。引退後のシルバーヘアーがまた渋くて似合っててカッコイイんだよね。
デイモン・ヒル、大好きでした
97年ハンガリーは、馬鹿にしてたやつ、見たか!!って興奮しましたわ
フェラーリ好きでミハエルを応援していた僕も、ミハエルをオーバーテイクしたシーンは「ヒルって、実は速いドライバーなんやなぁ」と脱帽するしかなかったです。
わかります。
1997年ハンガリーGPのヒルはかっこよかった
鈴木アナが絶叫してましたな
@@piojokazu さん
すみません💦馬鹿にしていた一人でした。
ハンガリーGPを境に掌クルリンパして称賛しました。
予選落ち寸前の車をたった6カ月でフェラーリを直接オーバーテイク。あわやアロウズもヤマハも、参戦初年度のブリヂストンにとっても全部まとめてF1史上初優勝という快挙寸前にまで持っていきましたからね……あれを奇跡で片づけるには無理がありすぎた。
エイドリアン・ニューウェイはホントにドライバーを見る目がありましたね。
結局ヒル放出に怒ったニューウェイが離脱したことでウイリアムズは凋落しましたからね。
@@black-knight_03 そうそう、そこですよね。
96年、チャンピオンを決めた鈴鹿で「みんなに祝ってもらうんだ」と奥さんと喜んでいたのが印象的でした❗️
古舘さんに上げ底の栄光と言われたウィリアムズ時代からアロウズやジョーダンで実力があることを見せた男👍
ヒルはワールドチャンピオンをとったことよりも、その後のたった1勝と、下位チームであと少しで優勝の2位で評価が上がった稀有なドライバー。
ヒルが在籍時最好チームは、離脱後見事に堕落の途へ。。。
1996年のチャンピオンが1997年は「どべ」からのスタート。
他のドライバーらはヒルをこぞってヤジったがミカだけは彼に対して謙虚だったよな。
もしミカとチームメイトになって居たならどんなストーリーが用意されて居たのだろうか...?
二世ドライバーでありながら極貧下積みを経験し、やっと辿り着いたF1シートのウィリアムズでは死ぬほどテストで走らされた。登り詰めて行った感が強い方ですね
ヘルメット越しの目がカッコいい。そして地味だが速い。未だに自分の中でヒル以上好きなドライバーが出てこない。
その謙虚さ堅実さ故にチャンピオンドライバー特有のエゴの強さが見え辛かったり、肝心なところでのミスが強く印象づけられてしまったり、更に当時最強のウィリアムズに乗っていたこともヒルの正当な評価を阻んでいたと思います。当時見ていた自分もはっきり言ってヒルを舐めていました。
ただ、戦闘力がウィリアムズより遥かに劣るアロウズで優勝目前まで行ったことで彼はその実力を証明しましたし、あのエイドリアン・ニューウェイがヒルの解雇に怒ってウィリアムズを離脱したというエピソードを知って、自分の見る目のなさを痛感しました。その人柄も含め、間違いなく尊敬に値するドライバーです。
速いドライバーはたくさんいましたけど、デーモンみたいなマシンそのものを速くできるドライバーは、中々いないですよね(今はテスト制限などで、シーズン中の開発も難しいし…)
愛妻家でギターも上手と、人柄もチャンピオンに相応しいドライバーだと思います!
ヒル×バーナード×ヤマハV10で覚醒したA18、この美しいシルエットとカラーリングはティレル022と並ぶ名車
みんな97年ハンガリーを挙げるから、俺は98年ベルギーを挙げようかな。
雨のスパでクルサードのやらかしから多くのマシンがリタイヤする中、堅実な走りでハンガリーでの忘れ物を取り返した。あんなに嬉しかった優勝は数えるほどしかない。ゴール直後に思いっきりホンダミュージックを奏でたのも凄く良かった。
無限ホンダとジョーダンの最盛期の立役者と言っても過言ではない。
アロウズでの2位は涙なしに見れん。このレースでF1ジャーナリストの手のひらクルン。アイツラ本当にクソだと思った。
マンセル:「どうしてデイモンの言う通りにしないんだ!!」マシン開発でも超一流でしたね。
ほんとどうして言うこと聞かないんですかね?
'97年後半のウィリアムズ不振も前半からフレンツェンが指摘していた弱点をヴィルヌーブが同じこと言うまで放置してたって言うし・・・
ロスマンズカラーのウィリアムズに乗ってる姿が最も似合うドライバー
わかる。ジャックじゃなくてデイモンなんだよね。
F1で最初の親子チャンピオンでしたよね。2016年には20年ぶりにロズベルグ親子がそれを達成しました(ケケは82年、ニコは16年)。
ここにはヒル好きの方が多くてコメントも全く同意できるものばかり。1996の鈴鹿を生で見られて本当に良かった。ただ同時期にライバルであれほど栄光に満ちたシューマッハの現在を思うと、人の人生とはわからないものだ、と思う
ヒルとハッキネンは人格者
バトンもお忘れなく。
ヒルがチャンピオンを決めた日本GPでハッキネンが3位に入り、ヒルがハッキネンに『君にも同じ日が来る』と言って、その2年後に現実になったしかも日本で、胸アツ展開だった
あとライコネンも
メカニック上がりのパパヒル同様に開発能力に長け、イキったトラッシュトークをしないクリーンなドライバーのイメージがとても好印象でした。引退後のイケおじっぷりがまたいいですよね。大好きです。
マクラーレンに移籍をした時の世界線も見てみたかったですね。
苦労は多かったけど、いいレーサー人生でしたね。アロウズ、ジョーダンでの閃光も印象に残ってますが、やっぱりウィリアムズでのキャリアがいちばんです。
皆から好かれてたおかげで引退後もいい歳の取り方してますね。
嫌われるくらい偏ってないとチャンピオンは獲れない、ように言われることも多く、意外とこういうチャンピオンって珍しい気がします。
一番好きなワールドチャンピオン
ヒルは私の永遠のベストドライバー
97年のハンガリーGP、フェラーリのミハエルを抜いた時夜中にもかかわらず大絶叫した事を覚えています
マシン開発能力が高い所も、人格者な所も、不遇な状況でも腐らず努力する所も、たまにミスしちゃう所も、全てが大好きです
ヒルがしでかすミスは経験不足が原因でしたね。キャリアを積むに従ってミスをしない強いドライバーになりました。
ヒルを解雇したウィリアムズは暗黒時代へ足を踏み入れてしまいました。。
マシン開発能力は素晴らしかったです。
腕前も去る事ながら開発能力も高かったドライバー。
鈴鹿でのブリヂストンタイヤテストではあの星野一義氏を唸らせたりしてましたね。
因みに趣味の音楽ではデフ・レパードのアルバムで一曲のみギターソロで参加してるとか。
デモリションマンのギターですね。
ギターとデフレパすきですが、当時驚きました笑
友達の家で観たF1で古舘伊知郎が「顔面ジョージ・ハリスン」と呼ぶドライバーがいたことがF1に興味を持った切っ掛けの一つ。後にデーモン自身ギタリストで、しかもジョージ本人と友人と知った時の感動は更に大きかったな(ジョージはグレアム・ヒルとも友人)。ジョーダンに移籍した時は「これで毎日ロックンロール・パーティだ!」とエディ・ジョーダンが発言したとか(ジョーダンはPremier社と契約があるセミプロレベルのドラマー)。
シューマッハと違ってヒルを悪く言う人少ないですね
デビュー当時は親の七光りと言われてたが実力で黙らせた人です
ウイリアムズ解雇は本当に信じられなかったヒルの解雇でエイドリアンニューウェイも離脱しウイリアムズが没落していった記憶があります。現在はモデルの様なイケおじですね
96年にチャンピオンになり
97年の開幕戦の予選では、あわや107%落ちかと思いきや…
イギリスGPでの1ポイントからの
ハンガリーGPの幻の2位と
ヘレスの予選まで…
彼のマシン開発能力が素晴らしい事だと思う。
あの、アクティブサス車を初期段階から開発したのだから。
日本GPのオフの日に、市街でヒルを見かけた人が声をかけると、「とても謙虚な人だった」と言っていたのを当時(ウィリアムズ当時)のF1雑誌で見たのを覚えています。また、ベネトンのシューマッハだったと思いますが、予選のラップ争いの際に最後のアタック前に、目を瞑って精神統一していたのが、私のおぼえている印象です。それで逆転ポールポジションですから。渋い❕カッコいい❕憧れの人です。
ヘルメットのデザインがシンプルでカッコ良かった
わかります
シンプルが故に逆に目立つカッコいいヘルメットですね
なお、93年のヘルメットは8本のオールの中に丸が入ったことで「真上から見たらアブない」と言われた模様w
父親のグラハム・ヒルと同じデザインでしたね。グラハムが在籍していたロンドン大学ボート部に由来のあるデザインだと聞いたことがあります。
@@ダーヨ-p8x
そうです。そのボート部の帽子、又はヘルメットのデザインをモチーフにしたそうです。
ハンガリーが初優勝となるドライバーって多いけど、ヒルもその1人だったんだね
1997年ハンガリーGPは鳥肌もんでした。もう少しだったのに残念でした😭
ウィリアムズ時代のデイモンは過小評価されていたけど、97年開幕で予選通過も怪しいアロウズでトップ3を最後に狙えるように開発し、ジョーダンでは優勝して一流ドライバーなのを結果で見せた。
走りはさながら、開発能力は超一流だったな。
バイクは350あたりの
ノービスクラスでしたかな。
よく知らないけど💦
94年度のアデレードの
結末は後味がかなり悪い
当時観てた父からしたらセナプロ合戦を彷彿させたよう…
98年度の土壇場の雨の
修羅場と化した
ベルギーでのラルフシューマッハさんとの
ワンツーフィニッシュや
97年度の難癖ある
アロウズ車体のヤマハ
でのハンガロリンクでも
猛走も惜しくも優勝は
逃しましたがアロウズとヤマハに快挙をもたらしましたことはあっぱれですね👌
個人的にヒルを1番評価している部分は、悪夢のマシンFW16で開幕戦から2位を獲ったこと。セナが3戦連続ポール→リタイアした間もヒルは10ポイントほど稼いでいた。
セナの方が速い速度域だったのはあるだろうが、ピーキーなマシンで上位を取るのもドライバーに必要な実力です。そういう意味では2018〜20年頃のマックスに通じる能力がヒルにありました。
自分からのデイモン・ヒルの印象は、予選でずーっと目をつぶりシューマッハがTOPタイムを出しても動じず、目をつぶっているヒル……予選時間も迫ってくると急に眼を
カーッ
と開き、ミスすることなく周回をするヒル。
そしてポールを奪うヒル……。
カッコよかった。
92年アマティーの代役がヒルだったとは知りませんでした。93年はハンガリー前にも初優勝してもおかしくないレースはありましたし、94年は事故死したセナと同じ車でよく1年間戦い続けてくれたと思いました。当時はどこか勝負弱い印象を受けていましたが、改めてこの動画を見ると、チャンスを掴み車を作り上げ、しっかり結果を残してきた素晴らしいドライバーであると気づかされました。
優勝してもおかしくないどころかマシントラブルで3連続トップからリタイヤじゃなかったかな?
その3戦優勝してたら6連勝でチャンピオンもあり得たでしょうね・・・
セナを応援していた時ウィリアムズ在籍時のパートナーがデーモン・ヒルだった、セナにも引けを取らない位素晴らしいドライバーだと感じました😊
1996年にワールドチャンピオンを獲得出来て本当に良かった、私もデーモン・ヒルのように年齢を重ねても魅力的なイケオジになりたいと思います😂
デーモン.・ヒルのファンでした🏁
ベストレースは94年の日本GPだと思います🏁
ワンストップで性能低下したウエットタイヤで雨の鈴鹿をシューマッハに2秒差をつけて走り切ったのは感動しました🥹
ウィリアムズのアクティブサスペンションは開発ドライバーのヒルのフィードバックのおかげです🏎️👍
ヒルで一番印象に残ってるのはカーナンバー0なんですがアロウズで苦労しながら戦い抜いてまた違う形でカーナンバー1を輝かせたのもよく覚えてます
ウィリアムズの黄金期を築いた集大成が96年だと思いますし92年に走らなかったらそこまでだったかもですね
ヒルが一番輝いてたのはやはり97年
で間違いないと思う✨
97年最終戦の予選、上位三人の1分21秒072同タイムに続く4位。実はアタックラップで右京さんに邪魔されて、クリアラップでなかった もしかしたらポールだったかも
右京はヒルを馬鹿にしてましたからね!
ミハエルやハッキネンほどオーラを感じないって。ふざけた奴だなぁ。
ほとんどのトップドライバーが中堅以下のチームに行くと落ちぶれていくけれどデーモンは違ったなあ〜 アロウズYAMAHAで優勝争いまで引き上げたし ジョーダンでも存在感示したもんなあ〜 最後はYAMAHA 無限ホンダと日本のメーカーと関わりあったねえ〜 良いドライバーでした🎉
親が伝説級の存在であった事がプレッシャーとなる者同士で分かり合えたヒルとヴィルヌーブのコンビは最高だったのにウイリアムズの判断はおろかとしか言いようがない
デイモン・ヒルはマシンの開発能力が高く
1997年ハンガリーGPはワールドチャンピオン
らしい走りを魅せてくれた
父親はF1ワールドチャンピオン、インディ500
WINNER、ル・マン総合優勝を獲得した
グラハム・ヒル
お父さんの、グラハム▪ヒルさんは、世界三大レースすべてを制覇した偉大なレーサーですね!
いつも、貴重な F1 情報をありがとうございます。
高品質な内容を安定して継続できる動画主様は何者ですか?
デイモン・ヒルからは、なぜか日本人的なものを感じます。
とても好きなドライバーです。
ヒルの初優勝の時、プロストがいきなりエンストして引き立て役に回ってたな。
ウィリアムズ最後の年にチャンピオン取れてよかったな。
考えてみたらダメジョーダンで初優勝、ダメアロウズで優勝目前というのもすごいな!
因みにこの時のアロウズのマシンかっこいいな!
ウィリアムズ時代のデイモンは過小評価されていたけど、97年開幕で予選通過も怪しいアロウズでトップ3を最後に狙えるように開発し、ジョーダンでは優勝して一流ドライバーなのを結果で見せた。
走りはさながら、開発能力は超一流だったな。
マンセルとエイドリアンニューエィには評価も高かった
ヒル選手は真面目だから好き(お年を召してもますますイケメンだし)。当時いくらナンバー1マシーンのウィリアムズだったとしても大半で表彰台の常連だから決して遅いレーサーじゃない(亜久里選手 選手が自分より遅いとか舐めたこといってたが)。マンセル、プロストと超超超超1流の人とチームメイトになりメキメキ腕を挙げていったよね。マシーン、チームの連携、無論レーサーと全てが揃ってないとチャンピオンにはなれない、チャンピオンになったヒル選手はあたりまえだが速い。
後に亜久里さんも片山右京さんもヒル評を改めましたね。
ギターも得意でプロ級の演奏ができた。
元ビートルズのジョージ・ハリスンにそっくりなので古舘伊知郎さんからは「顔面ジョージ・ハリスン」と言われていた。
なおヒルが所属していたバンドは「セックス・ヒトラー・アンド・ホルモンズ」というムチャクチャな名前でした。
@@maxs2k566さん
確かこのバンドはパンクロックバンドで、デーモン氏はそのギタリストだったんですよね🎸🎸🎸
あの紳士然としたデーモン氏がツンツンのヘアーでギターをギャンギャンかき鳴らしていたのは想像すると面白いですね🎸🎼🎹
ブリヂストンのF1参戦直前のタイヤテストでも、開発能力の高さを見せたと思います。
この時ブリヂストンが用意したテストマシンが鈴木亜久里が最後に乗った型落ちのリジェ。このテストでの最速ラップタイムは同年の鈴鹿予選の4位に相当するものでブリヂストンタイヤが優れているといえども気温の低い12月だったか条件的に悪いのに普通に出るタイムじゃない。この時見学に来ていた星野一義がヒルのドライビングを絶賛。現役時からヒルより自分のほうが速いと言っていた鈴木亜久里はショックだったとか。
ヒルを起用したウィリアムズは正解だったけど
ヒルをクビした事は間違ってたと思う
だからニューウェイがブチ切れて離脱したから、ウィリアムズが目も当てられない状態に・・・
後にフランクウィリアムズもヒルを解雇したのは失敗だったと語ってました。
マンセルの推薦だったんだよね。
もちろんテストドライバーを務めていたからウィリアムズも実力は良く分かっていたと思うけど。
デーモン・ヒルがアイルトン・セナや鈴木亜久里と同い年って思うとかなりの遅咲きですね。
ヒルがアロウズに移籍してもう勝つことはないと思っていたら
あのハンガリーGPでのトラブルが残念でなりませんでした。。
ヤマハとブリヂストンの初優勝もかかってたので。
94年の鈴鹿といい、随所にいいレースを見せる記憶に残るドライバーの一人ですね😁
若い頃に苦労した経験がブラバムやウィリアムズのテストドライバーなど下積み、セカンドドライバーでも決して腐らず我慢をした結果、チャンピオンまで登り詰めた苦労人でしたね。
ブラバムで予選落ちを繰り返しつつ、ウィリアムズでテストドライバーを務めた。
少ないチャンスを掴んだ、偉大なドライバー。
カーナンバー『0』を二年連続で使ったドライバーでもある。
ブラバム時代、デーモン(デイモン)繋がりでデーモン小暮がスポンサーになったよね
ノーズ部分にデーモン小暮のステッカーを貼って
マンセルのアクティブサスを開発した男ですし、アランプロストもヒルのことを讃えてますから。流石です。当時のフジの実況は酷かったですが大好きなドライバーでした。
プロストも93年の中盤から速さを見せて来たヒルに焦りのようなものを感じていた。
ハンガリーでの初優勝から怒涛のハットトリック達成だからね。
ヒル自身はプロストのようなスムーズで無駄のない走りを理想としていたとか。
プロストも引退後はヒルのファンだと公言するぐらい認めていたね。
@ さん、ご返事ありがとうございます😊
これでもかの逆風に抗って進み続けたヒル。アロウズでの走り、ジョーダンでの優勝はフロックではない。痛快でした。
実力もあったし何よりもクリーンなドライビング。速かったと思いますよ。
サーティースやヴァレンティーノ・ロッシもそう言われるけど、2輪出身の人は4輪の開発能力が高い人が多いような気がするな。
1998年鈴鹿ファイナルラップのシケインでウィリアムズのフレンツェンをパスしてコンストラクターズランキングでベネトンを土壇場で逆転した走りも印象的。
もしマクラーレン移籍してMP4/13に乗ってたら2回目のタイトルが取れていた可能性も‥。
お父さんグラハムヒルも遅咲きでした。ヒゲが自分の祖父に似てて大好きでした😍
親父さんはモナコ強かったなぁ
94年の鈴鹿で終わりかけのタイヤでスライドしながら走る
97年ハンガリーでミハエルを1コーナーで差した時は痺れましたね
タラレバだけど94アデレードはあの場面で抜きに行かなければ余裕で抜けて94年に初チャンピオンになれたと思う、フランクウィリアムズはうちのマシンなら誰でもタイトルを獲れるという考えからあっさりヒルを放出してニューウェイが激怒してウィリアムズを離脱とかドライバーの扱いは酷かったですね
平凡なドライバーと思ってたのに、'97ハンガリーはめっちゃかっこよかった!
いまでもVHSで撮ったこのレース見てます。腕が証明されたレースでしたね。
デーモン・ヒルの速さと開発力を買っていたエイドリアン・ニューウェイは自身の知らないところでヒル放出が決まって、ドライバー人事に意見できるという契約を破られ、ウィリアムズに不信感を抱き離脱したんだよね。
接触や「マシンのおかげ」みたいな過小評価やけど、
その良いマシンは、ヒルの開発能力の高さによって造られてるし、適応もしてる、
ちゃんと記憶に残るチャンピオン🇬🇧
ナンバーが「0」てのも全ての始まり感があって良い
みなさん、ヒルをご自身に重ねあわせて応援していたのではないでしょうか。私もそうです。ヒルが世界チャンピオンになった時は我が事のようにとても嬉しかったです。思い出深いF1ドライバーです。尊敬しています。
地味だけど、堅実な走りはさすがと思わせるものがありました。
プロストからいろんな事を学び、セナと組んでこれからという時に自分がエースドライバーになってしまい、シューマッハにたいした事ないとディスられたりしたが、結果で示して黙らせた。94セナの他界後〜96はシューマッハよりも自分はヒル推しだった。アロウズで2位ジョーダンで優勝したので普通のドライバーではない事は証明されている。
デイモン・ヒルと言えばタイトル獲得後のチームではアロウズヤマハやスチュワートフォードだけでなくジョーダンプジョーやプロスト無限ホンダからもオファーが届いていたそうですよ、プロスト無限ホンダへ移籍していたらどうなっていたと思いますか?^^
ヒルって恵まれてたと思う。テストドライバーの時はマンセルと居たし。プロストとチームメイト。セナとも。 これだけレジェント一緒に仕事が出来たんだもんなぁ~。
セナのヒル評はどうだったんだろうねえ?
たった3戦しかチームメイトとしては走ってないけど。
@@hide-wq3oz どうなんでしょうねぇ~ ただ逆にFW16の改良版を投入するまで?でヒルがセナの速さは異次元みたいな事言ってたみたいですね。 そこまで扱いは難しかったみたいです。 ヒルはメカさんなどからも好かれてたみたいですね。もちろん自分も好きなドライバーの一人です。
@@takuchanman ダメマシンでも速く走らせてしまうという能力はセナやシューマッハが抜きん出ていた。
ゆえに欠点が炙り出せないということにもなった。
マシンの熟成が進んだシーズン中盤ではヒルもいい勝負を見せたんじゃないかと思う。
ちなみに94年のパシフィックGPでルノースポールがシミュレーションしたPPタイムを上回って来たのはセナ、シューマッハ、ヒルの3人だけだった。
最も尊敬するドライバーです。
軽く扱われているのが残念だと思うチャンピオンです。
決してミハエルやジャックの引き立て役ではなくミハエルやジャックこそ
デーモンの引き立て役だったんです。
親父殿は世界三大レース(モナコGP・インディ500・ル・マン24時間)を制した唯一のドライバー、グラハム・ヒル氏でしたっけ😊
正解️⭕️
99年の最終戦で「戦意喪失」が理由でリタイアしててびっくりした
しかもモナコGPは通算5勝もしており、「Mr.モナコ」とも呼ばれている。
ちなみにモナコGPで一番勝っているのはアイルトン・セナの6勝でグラハム・ヒルとミハエル・シューマッハが共に5勝しているが、デーモン・ヒルはモナコには縁がなく未勝利。
ヘルメットのカラーデザインもお父さまと同じなのが美しい華麗なり親子ドライバーですね👌
日本なら中嶋親子さんや星野親子さんがヘルメット同じ配色かな。
@@根小草原 いつぞやのグッドウッドフェスティバルで親父さんが乗ってたマシンで出場したそうな。
ヘルメットも親子で全く同じカラーリングだから親族の方々はさぞかし嬉しかっただろうな。
中島とヒルが大好き
派手さはないが頭のいいドライバーという印象です
ウィリアムズは離してはいけなかったよ
俺が車好きになった頃、見出したF1で活躍してたね。
当時は地上波でやってたから毎戦見てたね。
活躍してたね。
ジョーダンで優勝した時は夜中に興奮して、両親、兄弟にやたら怒られた。
初めて観たF1が'93イギリスGPだったので、母国での初優勝目指しトップ快走中にリタイヤ→ドイツGP優勝目前の残り2周でタイヤバースト→初優勝ハンガリーからベルギーイタリアと3連勝→あれ?このカーナンバー0の人って実は最強ドライバーなんじゃね???……という壮大な勘違い認識から始まった自分のFオタ人生でした(汗
'97ハンガリー時は夜中に絶叫し過ぎて親どころか近所からも苦情が来ました。
余談ですが「2戦連続同一名グランプリを優勝」という珍記録保持者でもあるんですよねデイモンさん('95最終戦オーストラリアGP→'96開幕戦オーストラリアGP)。
もう一つ余談ですが、デーモンはデビューから引退まで、カーナンバーが一桁なんですよね😮
デイモンヒルがウィリアムズのテストドライバーをやっていたから1992年のウィリアムズとマンセルがチャンピオンになったと思います。ヒルもFW14でのシーズンオフテストてはマンセルより速いタイムを出していたのを雑誌で見たのを覚えてます。のちにヒルも優勝したりチャンピオンになりましたね。ヒルが離脱した後のウィリアムズはだんだん戦闘力が落ちてアロウズで2位になったのを見るとヒルは開発能力のあるベストドライバーだったと思います。
私が知っているのは、ウィリアムズのテストドライバーをしていた時からですね。ブラバムのジョバンナですか。因縁のドライバーですね。中谷がF1にステップアップできなくした相手ですね。
ウィリアムズからの参戦時には二世のコネ&イギリス人ドライバーのおかげでシートが得られたと思っていました。
その後の移籍したチームでのマシン開発力の高さや渋い走りでチャンスを掴む姿に誤解していたと思ったドライバーでした。
20歳前後からすんなりとF1に乗る若いエリートたちと違い、彼には、本来は父とともに運命づけられているはずのF1に至るまでの、長く厳しい道のりを歩む者に特有の耐性のようなものが感じられました。いわゆる親の七光りの二世とは明らかに違うキャリアですが、トップチームのドライバーになったのは才能のほかにやはりヒルという名、背負った運命によるものだったろうし、はかなさが共存していたのも、父がかつていたF1になんとか戻るために変節を重ねたキャリアゆえだったのかもしれない。まるで「一撃離脱」のようなF1キャリアでしたが、その少ないチャンスで栄冠を見事に勝ち取ったのは、ひたすらに彼の努力と才能、彼特有の運命によるものだったのではないか、と思わせます。
マークブランデルがARDのスーツを着てたことにちょっと驚きましたw
ウィリアムズでワールドチャンピオンを獲得した事よりも、そのウィリアムズと比べて格下のチームであるアロウズで優勝争いまで持っていた事がとても衝撃的でした。加えてマシンの開発能力も備わっているので、もし他に同じタイプのF1ドライバーがいると答えるなら、アストンマーティンい所属するアロンソみたいなタイプだと答えると思います。
ミスター・ハンガロリンク
セナ無きf-1
ジャックヴィルヌーヴ、
デーモンヒル、
2人を応援していたなぁ
ロスマンズカラーにパパヒル風メットがよく似合ってましたねー。
初めて買ったF-1のミニカーがオニクスのFW17でした。その後ブリヂストンテストカーも買って大事にしてます
彼のレース人生を通じて、F1ドライバーは他ジャンルのアスリート同様、実力だけじゃなく人間性も重要だと気付かされますね。
そしてそんな非凡な才能の持ち主を、過小評価したフランク・ウイリアムズ卿のダイヤモンドよりも堅い意志が災いしたのが、不幸のハジマリだなんて本当に皮肉としか言えません。
最近、94年モナコの予選の動画が上がっていた。
FW16でフルアタックするヒルに震えた
黄金期のウィリアムズのマシンはヒルとニューウェイのコンビで作り上げたものと後に分かることになった。
当時ヒルの能力を評価していたのはニューウェイだけだった。ヒルをクビにしてフレンツェンと契約した結果、ニューウェイも去り2人の遺産であるマシンで何とかチャンピオンになれたのがビルヌーブ