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長文失礼します。お時間のある方どうぞ。この映画の重大なポイントとして、瀧が口噛み酒を飲んだあとの「カタワレ時での二人の出会い」が「町民全員死亡」と「町民全員救出」の世界線を交差させたと考えるしかない。瀧にとって、飛騨に出かけるまでは「町民全員死亡」の過去だったが、飛騨から東京に帰ってきたときには「町民全員救出」の過去になっていたのだ。三年前の彗星落下の日、もともと三葉は浴衣姿で受動的に彗星の落下を眺めていて、そして彗星に直撃されて死んでいた。だがもうひとつの世界線では、口噛み酒を飲んだ瀧が彗星当日の三葉の体に割り込んで、彼女の体を動かして町救出の行動を起こさせた。同時に三葉は三年後に飛騨を訪れた瀧の体に移らされ、クレーターの縁で三年後の町の悲劇を現実のこととして目撃させられる。このふたりが「それがなぜなのか、いつなのか」は分からないが「同い年の男女として」それぞれの体に戻ってカタワレ時に出会い、そこで瀧から「町の救出作戦」のバトンを受け継いだ(組紐の受け継ぎ)のが生き残る世界線の側の三葉だった。これが行われたのがカタワレ時だったということで、だからこそあの「出会い」がふたつの世界線の交叉点であったことが明瞭になる。そしてまたこれがこの作品の「セカイ系」たるところだ。瀧は役目を果たして東京に戻るが、口噛み酒を飲んだせいで飛騨で何をしたのか思い出せない。そして「まだやることがある」といわれ組紐のバトンを受け継いだ三葉の方は、途中、瀧の「好きだ」の文字に励まされながら、受け継いだ役目を見事に果たして「全員救出」の世界線を完成することになる。こう見るともう、この物語は瀧による糸守救出の「英雄物語」だったというしかない。そして三葉にとってこの物語は遠くから待ちに待った男性がやってきて自分を救い出してくれるという白雪姫並みの「お姫様物語」なのだ。瀧に逢った瞬間、三葉は感激の涙を流していたではないか。これはベタな解釈だろうしあまりにも「英雄物語」と「お姫様物語」の定番にハマリすぎている。いやしかし、実は昔も今も、結局世界中の人が男も女も英雄とお姫様のお話が大好きなのだ。だからこそ、この作品は世界中でヒットしたんだろう。最後の最後、ふたりが東京で出会うのはおそらく、大事業を成し遂げたふたりに対する新海監督の「ご褒美」である。それまでの新海作品ならここで「すれ違いに終わる」可能性もあったという人がいるがそれは違う。そこまでのふたりの入れ替わりは運命や天命による「お告げ」に類するものだった。しかしここでのふたりは初めてお互いの意思で「会いたい」と願って出会ったのだ。そしてだからこそ、その後のふたりは、結婚しようが別れようが、それぞれの意思に任されればいい。それを描く必要はない。ここでは「出会う」だけでいいのだ。「その後」を描かないところがむしろ新海監督らしいところなんだろう(普通のお姫様物語なら結婚して幸せに暮らしましたとさ、となる)。なお、周到にも監督は奥寺先輩がすでに(司と)婚約済みであり瀧と恋愛関係にないことを明示している。こうした「英雄とお姫様」のお話を現代的に、最初はコミカルに、やがては深刻に、それと分からぬように仕組んだ新海監督の巧妙な仕組みこそが、改めて賞賛されるべきなのではないか。以上長文失礼しました。
入れ替わっているのが、時空を超えて、ちょっと年上のお姉さんと年下の男の子と言うのがなんかいいんだよね。歳の差3歳ぐらいだっけ。姉と弟としても程よい年齢差。
そうなんだよね。岡田氏が2016年8月1日発売『君の名は。 Another Side: Earthbound』原作:新海誠 を無いものとして扱ってるのが残念。というかそういう人。問題の動画は9月4日収録だから、気が付いても良さそうだけど、知らなかったのだろうね。自転車の件と町長の決断の件はコメントで指摘したけど、消されたよん。
どういうこと?
この自転車のやりとり好きでした。テッシーの返事良すぎた!
見る前に散歩で須賀神社に行ってたから気になってた最近ようやく見たけど結構おもしろかった
アニメ君の名は。予告編で終わりかな?DVDで観て、You Tubeでも観れるかと思ったが、予告だけかな。??
ふむふむ、隕石が街に落ちて町民が全滅…少し違和感があるなぁ~もしや、SCPの仕業か?瀧のやっていることは立派な過去改変だから財団が黙ってないな、ドラえもんとか初音ミクとかがSCPになっているんだから、この作品もなってもおかしくない
SCP製作者としては、書いてみたい気もする。
長文失礼します。お時間のある方どうぞ。
この映画の重大なポイントとして、瀧が口噛み酒を飲んだあとの「カタワレ時での二人の出会い」が「町民全員死亡」と「町民全員救出」の世界線を交差させたと考えるしかない。瀧にとって、飛騨に出かけるまでは「町民全員死亡」の過去だったが、飛騨から東京に帰ってきたときには「町民全員救出」の過去になっていたのだ。三年前の彗星落下の日、もともと三葉は浴衣姿で受動的に彗星の落下を眺めていて、そして彗星に直撃されて死んでいた。だがもうひとつの世界線では、口噛み酒を飲んだ瀧が彗星当日の三葉の体に割り込んで、彼女の体を動かして町救出の行動を起こさせた。同時に三葉は三年後に飛騨を訪れた瀧の体に移らされ、クレーターの縁で三年後の町の悲劇を現実のこととして目撃させられる。このふたりが「それがなぜなのか、いつなのか」は分からないが「同い年の男女として」それぞれの体に戻ってカタワレ時に出会い、そこで瀧から「町の救出作戦」のバトンを受け継いだ(組紐の受け継ぎ)のが生き残る世界線の側の三葉だった。これが行われたのがカタワレ時だったということで、だからこそあの「出会い」がふたつの世界線の交叉点であったことが明瞭になる。そしてまたこれがこの作品の「セカイ系」たるところだ。
瀧は役目を果たして東京に戻るが、口噛み酒を飲んだせいで飛騨で何をしたのか思い出せない。そして「まだやることがある」といわれ組紐のバトンを受け継いだ三葉の方は、途中、瀧の「好きだ」の文字に励まされながら、受け継いだ役目を見事に果たして「全員救出」の世界線を完成することになる。こう見るともう、この物語は瀧による糸守救出の「英雄物語」だったというしかない。そして三葉にとってこの物語は遠くから待ちに待った男性がやってきて自分を救い出してくれるという白雪姫並みの「お姫様物語」なのだ。瀧に逢った瞬間、三葉は感激の涙を流していたではないか。これはベタな解釈だろうしあまりにも「英雄物語」と「お姫様物語」の定番にハマリすぎている。いやしかし、実は昔も今も、結局世界中の人が男も女も英雄とお姫様のお話が大好きなのだ。だからこそ、この作品は世界中でヒットしたんだろう。
最後の最後、ふたりが東京で出会うのはおそらく、大事業を成し遂げたふたりに対する新海監督の「ご褒美」である。それまでの新海作品ならここで「すれ違いに終わる」可能性もあったという人がいるがそれは違う。そこまでのふたりの入れ替わりは運命や天命による「お告げ」に類するものだった。しかしここでのふたりは初めてお互いの意思で「会いたい」と願って出会ったのだ。そしてだからこそ、その後のふたりは、結婚しようが別れようが、それぞれの意思に任されればいい。それを描く必要はない。ここでは「出会う」だけでいいのだ。「その後」を描かないところがむしろ新海監督らしいところなんだろう(普通のお姫様物語なら結婚して幸せに暮らしましたとさ、となる)。なお、周到にも監督は奥寺先輩がすでに(司と)婚約済みであり瀧と恋愛関係にないことを明示している。こうした「英雄とお姫様」のお話を現代的に、最初はコミカルに、やがては深刻に、それと分からぬように仕組んだ新海監督の巧妙な仕組みこそが、改めて賞賛されるべきなのではないか。
以上長文失礼しました。
入れ替わっているのが、時空を超えて、ちょっと年上のお姉さんと年下の男の子と言うのがなんかいいんだよね。
歳の差3歳ぐらいだっけ。
姉と弟としても程よい年齢差。
そうなんだよね。岡田氏が2016年8月1日発売『君の名は。 Another Side: Earthbound』原作:新海誠 を無いものとして扱ってるのが残念。というかそういう人。問題の動画は9月4日収録だから、気が付いても良さそうだけど、知らなかったのだろうね。
自転車の件と町長の決断の件はコメントで指摘したけど、消されたよん。
どういうこと?
この自転車のやりとり好きでした。
テッシーの返事良すぎた!
見る前に散歩で須賀神社に行ってたから気になってた
最近ようやく見たけど結構おもしろかった
アニメ君の名は。予告編で終わりかな?DVDで観て、You Tubeでも観れるかと思ったが、予告だけかな。??
ふむふむ、隕石が街に落ちて町民が全滅…少し違和感があるなぁ~もしや、SCPの仕業か?
瀧のやっていることは立派な過去改変だから財団が黙ってないな、ドラえもんとか初音ミクとかがSCPになっているんだから、この作品もなってもおかしくない
SCP製作者としては、書いてみたい気もする。