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22:30 おお、長宗我部盛親さん、少しは戦ったんだな。ただ、ボーっとしていただけかと思っていた。
毛利輝元は西軍総大将として積極的に動いているのに、岐阜城失陥後に三成らに責任をおっ被せてさっさと和睦しちゃうのはある種の怪物だわ
さすがそうせい候の御先祖
新説で三成の本当の陣地と推測されている自害峰の三本杉の上に登ってみたら、平坦な曲輪状態に掘削されてました。当時の陣跡の遺構なのか後世の耕作地化による改変なのか判断不能ですが、中山道を真下に見下ろす絶好の立地でした。通説の笹尾山陣地よりも自害峰陣地説の方が佐和山~大坂方面の抑えとして、戦略的に重要な立地ではないかとも思いました。松尾山の小早川陣も実際に登ると高所すぎて、騒がしい戦の最中に麓からの問い鉄砲など見えも聞こえもしない事がわかります。
関ケ原って、結局徳川のプロパガンダとしては優秀だったってことだわな。最初から圧勝だったってのは、わかる気がする。で、脚色で「互角」にしたんだろうなぁ。家康が戦場に居なかった説は、あり得ると思うわ。
司馬遼太郎は史学者や歴史学を学ぶ人間にとっては迷惑この上ない存在でして。なお、関ヶ原では壬申の乱の際も大合戦が行われているんです。
あと、山岡荘八とかも。
司馬史観をリアルで信じている人の数は少なくないですもんね・・・。
「何だかな〜残念な新説ですよね〜〜“小早川の叛意が明で把握して居た???”・その説は無理筋ですよね?“戦国の習いに照らせば、陣中見舞いを装い小早川の首を挙げてますよ”・小早川の首を晒して“他の叛意を持つ大名を従わせる以外西軍の勝機は無い”ですよね。」
@@オダ吉法師戦国の習いってなんですか?
100年近くも氏の描かれた作品をベースにしたエンタメが何度も使われてると覆すとなると容易ではないのは想像に難くない
最近では島津の退き口は無かったとする説のほうが有力です。あと、参謀本部編纂『日本戦史 関ヶ原の役』の元になった軍記『関ヶ原軍記大成』は、吉川広家が戦後に自己弁護のため捏造した文書を、後の吉川家が家格向上のために『関ヶ原軍記大成』の著者・宮川忍斎に見せて利用させたため吉川ageな面があります。そもそも宮川忍斎は福岡藩士なため黒田家よりな記述が多く、これが現代の関ヶ原の戦いの見方に影響を与えていますね。
『問鉄砲』は、物理的にあり得ないとのこと。あの距離では、大筒ですら音が聞こえないのだとか?
もう時代は令和だぞそろそろやめようよ「西軍の総大将、石田三成」「家康に反旗を翻した首謀者、石田三成」みたいなのは
合戦図は戦国武将群雄ビジュアル百科のものですね、懐かしい❣
今日の大河見る前にみておこう
関ヶ原で勝った家康は東半分の平定に成功したが西半分は東軍に味方した武将に分け与えたんだな残りの西半分は秀忠の代まで待たないといけないんだ
新説による、関ケ原の戦闘の経緯も語ってほしかったですね。
お国言葉でのお叱り、肝が冷えます
そのうち関ヶ原の戦い自体無かった とかなりそう
関ヶ原が終わった時点で豊臣は家康に下って強かに生き残るべきだったな。幕府が弱ってから転覆も可能だったと思う。
知れば知る程ショボくて、がっかり関ヶ原合戦。
つまらない「新説」部分は5分余り。後半になって長々と従来説説明し出して、なにがしたいの?
ですよね〜「何だかな〜残念な新説ですよね〜〜“小早川の叛意が明で把握して居た???”・その説は無理筋ですよね?“戦国の習いに照らせば、陣中見舞いを装い小早川の首を挙げてますよ”・小早川の首を晒して“他の叛意を持つ大名を従わせる以外西軍の勝機は無い”ですよね。」
関ヶ原の戦いばかり1日で終わったって言うのはおかしい。どの戦だって決着がつくのは1日だろ?
そうでもない
単身で必ず死ぬのに誰がその役目やるのよ??軍記物語の読みすぎでは?
@@matukawatositaneはい〜大笑いのご意見ですよね〜「誰が殺るの〜」って”ホント、現代感覚ですよね〜“「親が子を殺し、子が親を殺し、兄弟でも殺し合う」事が起きて居た戦国の世で”東西決戦の大戦で敵側に寝返って居る確証を持つ大名を放置すると本気で考えて居るんですか?”笑える程の“現代お花畑思考”ですよね〜〜ホント、久しぶりに笑えた〜〜
@@matukawatositaneプラス、合戦中に“単身で陣中見舞いに赴く”って考える時点でも笑えました〜
松尾山城に居た西軍を追い出して陣取っているのに叛意が無いわけがないんだよな。
@@nagoyashimin569ん〜ん 微妙ですよね〜?・伊藤盛正=3.4万石・小早川秀秋=36万石プラス、総大将は大阪城から動かず現場の指揮権は実戦経験不足の三成が辛うじてとって居る状態ですから小早川軍が自らの判断で僅か3万石の兵力が松尾山に陣取るより小早川36万石の兵力が陣取った方が有効なのは確実だとしただけの話ともいえますよね。(対東軍&重臣達の勧めを聞き入れ)
22:30 おお、長宗我部盛親さん、少しは戦ったんだな。ただ、ボーっとしていただけかと思っていた。
毛利輝元は西軍総大将として積極的に動いているのに、岐阜城失陥後に三成らに責任をおっ被せてさっさと和睦しちゃうのはある種の怪物だわ
さすがそうせい候の御先祖
新説で三成の本当の陣地と推測されている自害峰の三本杉の上に登ってみたら、平坦な曲輪状態に掘削されてました。当時の陣跡の遺構なのか後世の耕作地化による改変なのか判断不能ですが、中山道を真下に見下ろす絶好の立地でした。通説の笹尾山陣地よりも自害峰陣地説の方が佐和山~大坂方面の抑えとして、戦略的に重要な立地ではないかとも思いました。松尾山の小早川陣も実際に登ると高所すぎて、騒がしい戦の最中に麓からの問い鉄砲など見えも聞こえもしない事がわかります。
関ケ原って、結局徳川のプロパガンダとしては優秀だったってことだわな。
最初から圧勝だったってのは、わかる気がする。で、脚色で「互角」にしたんだろうなぁ。
家康が戦場に居なかった説は、あり得ると思うわ。
司馬遼太郎は史学者や歴史学を学ぶ人間にとっては迷惑この上ない存在でして。
なお、関ヶ原では壬申の乱の際も大合戦が行われているんです。
あと、山岡荘八とかも。
司馬史観をリアルで信じている人の数は少なくないですもんね・・・。
「何だかな〜残念な新説ですよね〜〜
“小早川の叛意が明で把握して居た???”
・その説は無理筋ですよね?
“戦国の習いに照らせば、陣中見舞いを装い小早川の首を挙げてますよ”
・小早川の首を晒して“他の叛意を持つ大名を従わせる以外西軍の勝機は無い”ですよね。」
@@オダ吉法師戦国の習いってなんですか?
100年近くも氏の描かれた作品をベースにしたエンタメが何度も使われてると覆すとなると容易ではないのは想像に難くない
最近では島津の退き口は無かったとする説のほうが有力です。あと、参謀本部編纂『日本戦史 関ヶ原の役』の元になった軍記『関ヶ原軍記大成』は、吉川広家が戦後に自己弁護のため捏造した文書を、後の吉川家が家格向上のために『関ヶ原軍記大成』の著者・宮川忍斎に見せて利用させたため吉川ageな面があります。そもそも宮川忍斎は福岡藩士なため黒田家よりな記述が多く、これが現代の関ヶ原の戦いの見方に影響を与えていますね。
『問鉄砲』は、物理的にあり得ないとのこと。あの距離では、大筒ですら音が聞こえないのだとか?
もう時代は令和だぞ
そろそろやめようよ
「西軍の総大将、石田三成」「家康に反旗を翻した首謀者、石田三成」みたいなのは
合戦図は戦国武将群雄ビジュアル百科のものですね、懐かしい❣
今日の大河見る前にみておこう
関ヶ原で勝った家康は東半分の平定に成功したが
西半分は東軍に味方した武将に分け与えたんだな
残りの西半分は秀忠の代まで待たないといけないんだ
新説による、関ケ原の戦闘の経緯も語ってほしかったですね。
お国言葉でのお叱り、肝が冷えます
そのうち関ヶ原の戦い自体無かった とかなりそう
関ヶ原が終わった時点で豊臣は家康に下って強かに生き残るべきだったな。幕府が弱ってから転覆も可能だったと思う。
知れば知る程ショボくて、がっかり関ヶ原合戦。
つまらない
「新説」部分は5分余り。
後半になって長々と従来説説明し出して、なにがしたいの?
ですよね〜
「何だかな〜残念な新説ですよね〜〜
“小早川の叛意が明で把握して居た???”
・その説は無理筋ですよね?
“戦国の習いに照らせば、陣中見舞いを装い小早川の首を挙げてますよ”
・小早川の首を晒して“他の叛意を持つ大名を従わせる以外西軍の勝機は無い”ですよね。」
関ヶ原の戦いばかり1日で終わったって言うのはおかしい。
どの戦だって決着がつくのは1日だろ?
そうでもない
「何だかな〜残念な新説ですよね〜〜
“小早川の叛意が明で把握して居た???”
・その説は無理筋ですよね?
“戦国の習いに照らせば、陣中見舞いを装い小早川の首を挙げてますよ”
・小早川の首を晒して“他の叛意を持つ大名を従わせる以外西軍の勝機は無い”ですよね。」
単身で必ず死ぬのに誰がその役目やるのよ??軍記物語の読みすぎでは?
@@matukawatositane
はい〜大笑いのご意見ですよね〜
「誰が殺るの〜」
って”ホント、現代感覚ですよね〜“
「親が子を殺し、子が親を殺し、兄弟でも殺し合う」事が起きて居た戦国の世で
”東西決戦の大戦で敵側に寝返って居る確証を持つ大名を放置すると本気で考えて居るんですか?”
笑える程の“現代お花畑思考”ですよね〜〜
ホント、久しぶりに笑えた〜〜
@@matukawatositane
プラス、合戦中に“単身で陣中見舞いに赴く”って考える時点でも笑えました〜
松尾山城に居た西軍を追い出して陣取っているのに叛意が無いわけがないんだよな。
@@nagoyashimin569
ん〜ん 微妙ですよね〜?
・伊藤盛正=3.4万石
・小早川秀秋=36万石
プラス、総大将は大阪城から動かず
現場の指揮権は実戦経験不足の三成が
辛うじてとって居る状態ですから
小早川軍が自らの判断で
僅か3万石の兵力が松尾山に陣取るより
小早川36万石の兵力が陣取った方が有効なのは確実だとしただけの話ともいえますよね。
(対東軍&重臣達の勧めを聞き入れ)