【ゆっくり歴史解説】王賁の史実

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  • Опубликовано: 10 сен 2024
  • 王賁は秦末期の代表的な将軍でもあり統一戦争において活躍しました。
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Комментарии • 21

  • @nekono_mimikon
    @nekono_mimikon Год назад +7

    秦王政に初めて軍を将いる権限を与えられたのが燕攻めの時なだけで、そこに至るまで部将としての下積みは長かったと思います。
    軍規や戦術はもちろん将兵の統率や兵站管理など、出征に関わる全てのことを熟知していなければ秦王の現場代理人である将軍とはなれないので、王翦の下で様々な軍務を経験したでしょうね。

  • @tmur0703
    @tmur0703 Год назад +12

    勝ち戦を確実に勝ち切るのもまた名将。

    • @YH-nu7wc
      @YH-nu7wc Год назад +1

      競馬でいう本命馬をしっかり勝たせられるのと同じですかね。

  • @ks5643
    @ks5643 Месяц назад +1

    始皇帝の時代には秦にとってのるかそるかの戦いはなくなっていたと思います。
    あえて言えば楚を攻めて失敗しかかった場面ですが、20万だの60万だのと兵数を調整出来るだけでもむしろ余裕がある状態だったと感じます。
    その気になればもっと兵力を増やす事も出来たでしょう。
    始皇帝時代の若い将軍達は昔の「六大将軍」の様に命懸けの華々しい戦いをする機会はもはや望むべくもなかったかも知れませんね。

  • @宴は終わったが
    @宴は終わったが Год назад +2

    動画ありがとうございます。
    19:28 政治そのものが腐敗していたわけですから、仮に鎮圧をしても次から次へと反乱を起こされたら、有能な軍人がいてもどうしようもなかったのではと思います。

  • @user-gp4uy4ng7l
    @user-gp4uy4ng7l Год назад +5

    日本の武将での話になりますが、息子の初陣には「確実に勝てる戦」に出陣させる、という話を聞いたことがあります。

    • @nekono_mimikon
      @nekono_mimikon Год назад +3

      織田信長の初陣は大浜城攻めなのですが、信長公記には火を放っただけで帰って来たように描かれているものの、どうやら伏兵により大きな損害を出したので苦し紛れに火を放つだけ放って逃げ帰ったようです。
      ろくに敵のいない大勢力なら「確実に勝てる戦」が選べるのでしょうが、周囲を大勢力に囲まれた小勢力では「確実に勝てない戦」でも初陣させるしかないでしょうね。

  • @antiJJ
    @antiJJ Год назад +5

    通武侯に封じられた事から、良将以上なのは確かなんだよな。
    少なくとも瑯琊台の瑯琊台刻石では王賁は王離と共にその名を列せられた以上、李信以上の能力があったのは確かだと思う。

    • @intelljp
      @intelljp Год назад +2

      最高位の爵位を与えられてるので、始皇帝の評価は一番ですね。

  • @mocchi2643
    @mocchi2643 Год назад +2

    もう一方の子孫である琅邪王氏からは二十四孝の一人王祥や竹林の七賢の一人王戎、書家として有名な王義之が出ている。

  • @li8375
    @li8375 Год назад

    エイ丘?だっけ、趙軍の饅頭みたいなやつに王賁軍が壊滅されられたときの恩を、ここで返す的な流れになりそう。 14:04

  • @jsetagaya1482
    @jsetagaya1482 Год назад +4

    この時代の歴史書は情報が少ないのにあそこまで演出を盛り込めた原泰久先生はすごいですね

    • @user-nb4vy2xt5r
      @user-nb4vy2xt5r Год назад

      一時中だるみしてたがもりかえしてやはりすごいと思う。

  • @ks5643
    @ks5643 Месяц назад

    始皇帝の時代にはもはや秦にとってのるかそるかの戦いはなかったと思います。
    楚を滅ぼした際に20万だの60万だの言えるのは兵数を自在に調整出来る状態だったという事であり、むしろ余裕があったとも思われます。
    始皇帝時代の若い将軍達は「六大将軍」の様な華々しい戦いを得る機会はもはや望めなかったのかも知れません。
    李信が楚攻めの失敗で処罰されなかった理由ですが、始皇帝は当時軍隊の少数精鋭化を考えており、そこに李信が20万人説を唱えたため喜び李信に任せたところ破れてしまったため、李信を責める事が出来なかったからだと考えます。

  • @user-mh8bf7md5i
    @user-mh8bf7md5i Год назад

    足利兄弟、未来より将の宿命を悟る。

  • @伝説の麻婆豆腐
    @伝説の麻婆豆腐 Год назад +2

    なんか影が薄いよね。王離や王允が子孫と聞くとやっぱりそれなりの家なんですな
    漫画ではちょっといけ好かない野郎ですが

    • @nokokoneko22
      @nokokoneko22 Год назад

      項羽に子孫が全滅させられた訳では無いのですね。
      まぁ正当かどうかは判らないでしょうけど。

  • @yakiniku28
    @yakiniku28 Год назад +1

    蒙恬には一歩劣る準名将だな

  • @user-xo8ye7wq4z
    @user-xo8ye7wq4z Год назад

    なんかサムネを露骨に鳥〇間の動画に寄せてきたな。

  • @user-qj2it7ex5z
    @user-qj2it7ex5z Год назад

    三国志地図は捏造だそうです。因みに僕は三国志否定派です。