【ゆっくり歴史解説】李信『記録は少ないけど実在の人物』

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  • Опубликовано: 25 окт 2024

Комментарии • 117

  • @tfujisaki72jp
    @tfujisaki72jp 4 года назад +31

    資料が少ないのですが秦で楚攻撃を任されるのですからね中々の実力を持った将軍だったのは確実でしょうね。
    新たな資料が発見され実像に迫れたら面白いですね。

  • @焼石水
    @焼石水 4 года назад +14

    あの漫画はファンタジーだから史実通りを望んでる人は殆どいないでしょう。

  • @ハリソンフォード-l4t
    @ハリソンフォード-l4t 4 года назад +21

    信が死んで始皇帝が史実通りの人物像に戻るのか納得

  • @田中ファイナル-n3p
    @田中ファイナル-n3p 4 года назад +32

    某漫画基準で3人のやり取り考えると王賁がどんな顔して2人を助けたのかが目に見える見える。
    某漫画後何年続くことやら…。

  • @Daikoro0728
    @Daikoro0728 4 года назад +22

    信が負けた後にどう挽回したのか本当に気になりますな。それと桓騎も敗北した後にどうなるのか気になりますな。あまり史実で判明していないからこそ作者次第ですね

  • @ヒロシマン-q3n
    @ヒロシマン-q3n 4 года назад +5

    イントネーションのほとんど無い魔理沙・霊夢・妖夢トリオのやり取りがめっちゃ面白いです😁‼️

    • @れーしch歴史
      @れーしch歴史  4 года назад +1

      ありがとうございます!お褒めの言葉感謝です^^

  • @みつかんgck
    @みつかんgck 3 года назад +10

    個人的には李信 蒙恬が処刑されなかったのはやっぱり嬴政と仲良かったのかと思ってしまう。笑

  • @mikelulu724
    @mikelulu724 4 года назад +47

    不明な点が多いから、という事もあるのだろうけど、人望、人気があったのは確かなのだろう。
    もしなかったら””自分の先祖は李信”なんて言う人は出てこないから。

    • @lx1125
      @lx1125 3 года назад +1

      李世民も李信の子孫を称してたらしいですね

  • @下田-i6y
    @下田-i6y 4 года назад +58

    キングダム のおかげで春秋戦国時代に興味を持った。

    • @れーしch歴史
      @れーしch歴史  4 года назад +5

      それはよかったです!

    • @大和弐千伍
      @大和弐千伍 4 года назад +6

      まじで信凄すぎる子孫も凄すぎるもう政が認めることが分かったわ

    • @面心立方格子-d9d
      @面心立方格子-d9d 4 года назад +1

      今の中華はカスですが過去の人物は素晴らしい人ばかりです

  • @nikuonikuo1
    @nikuonikuo1 4 года назад +27

    冒頭の何千年も前の事を「ネタバレが嫌な人は」の注意に思わず笑ってしまった

  • @昼子
    @昼子 4 года назад +20

    この動画の李信蒙恬王賁の会話を某漫画で想像すると面白かった

  • @猫山ミケ太郎
    @猫山ミケ太郎 4 года назад +3

    何時も楽しくれーしチャンネルさんの解説動画を視聴してます。
    れーしチャンネルさん版の諸子百家を解説してもらえないでしょうか。是非お願いします。

  • @卯月-k7y
    @卯月-k7y 4 года назад +31

    項燕といい李牧といい、すごい人なのに報われないのは歴史の悲しみですなあ。

  • @KOUMORIish
    @KOUMORIish 3 года назад +2

    『センゴク』の主役仙石権兵衛秀久と重ねている自分がいる。

  • @gonbheinanashino7269
    @gonbheinanashino7269 2 года назад +4

    秦の中華統一時の諸将の活躍などの記録は、当然ながら王都咸陽にあったはず。咸陽は項羽に略奪・焼き討ちされてしまったので、焼失・散逸してしまったと見るのが妥当でしょうね。そういう意味ではキングダムは史記のわずかな記述の隙間を「ありそうなフィクション」で埋めた傑作だと思います

    • @田中太郎-j5k6t
      @田中太郎-j5k6t Год назад

      こういう妄想が1番楽しいですよね。この頃の歴史はものすごく儚さがあり憧れます。

    • @田中太郎-j5k6t
      @田中太郎-j5k6t Год назад

      こういう妄想が1番楽しいですよね。この頃の歴史はものすごく儚さがあり憧れます。

  • @パグ13
    @パグ13 4 года назад +5

    おお!ついに話題の人物の作品を作られましたね。マンガ考察を除いた歴史考察チャンネルでは一番乗りではないでしょうか。さすがですね。
    李信の出自について、李斯の親戚では、と思いましたが、後で一族皆殺しになってますね。李園・・・李談・・・など他の同時代の人を探してみたら、蜀の超重要施設都江堰を建造した李冰がいました。都江堰は私が子供の時に読んだ歴史の本の記述からあこがれていた場所(四川地震前に行きました)なので、もし李冰の子供とかだったら感動モノです。

  • @ユーベさん
    @ユーベさん 4 года назад +20

    まあ、資料が少ないから物語のネタとしては最良なんだろね
    資料残ってるホウケンがあんななのはご愛嬌かなあ

    • @れーしch歴史
      @れーしch歴史  4 года назад +5

      ホウケンは確かにイメージが全く違いますよね。

  • @morimoto5405
    @morimoto5405 4 года назад +8

    マンガやと兵の数は総司令が決めそうやけど

  • @ozone7554
    @ozone7554 4 года назад +16

    李信が楚を攻めて失敗した後、罰せられなかった下りは、主様の考察がしっくりきますね。
    確かに李信は大軍を率いるより数千単位の軍を率いた方がより真価を発揮するような気がします。
    総大将より、遊撃の方が向いてると思います。
    子孫はいるものの統一後の記述がないのですぐ亡くなってしまったんですかね。
    統一後、何かやらかして、誅殺されそうになった所、匈奴に逃げた。
    その逃亡には蒙恬も一枚噛んでいて、その為蒙恬が対匈奴の前線守備についていた、とかだったら話が広がるんですけどね。

  • @韓非-h4u
    @韓非-h4u 4 года назад +22

    中国版仙石権兵衛
    大軍と小部隊では運用の仕方も代わってくるから李信が小兵力の遊撃戦を得意としていたのではないかというのはありそう。日本だと新田義貞とか楠木正成なんかがこれに該当するわな。

  • @ikunaoikunao
    @ikunaoikunao 3 года назад

    李信、王翦の御前会議からの王翦隠居、李信大敗、王翦復帰、楚の滅亡の件は、
    十数年前に「東周英雄伝」で読んだはずなのに、
    この動画を見るまで全くキングダムとリンクしなかったんだよねぇ

  • @kusunokimasashige
    @kusunokimasashige 4 года назад +5

    前田慶次なんかも以前は誰も知らなかったのがマンガがきっかけで人気に火がついて超有名になったよね。
    どちらも史料が少ないことも似てる。

  • @ym1507
    @ym1507 4 года назад +5

    王翦の案が却下された時に昌平君が王を諌めて、丞相クビになるんだよな。それが後に楚王として秦に立ち向かう転換点になった。そして最期は王翦・蒙武に敗れるという戦国の皮肉。
    個人的には、信らが大敗した戦いの楚軍を動かしてたのは、すでに縁のある楚に寝返った昌平君だったんじゃないかと思う

    • @rops0881
      @rops0881 4 года назад

      信が将軍になっても遊撃隊と同じノリで軍を脳筋指揮していて、それを知っている昌平君が項燕にリーク、飛信隊メンバーもテンとキョウカイくらいしか残らないほど惨敗して犠牲の上にやっと一人前の将軍になる、とかありそうですね

  • @taknar4020
    @taknar4020 4 года назад +21

    実在して要所要所で簡単な記録しか無いからこそ、作者が自由に脚色して描けるってことなんでしょう。
    でもあの物語の進行ペースだと秦の天下統一まで果たして何年(何巻)かかるやら・・・。

    • @藤岡たけし
      @藤岡たけし 4 года назад +7

      関係各社の売り上げをあげるため無理に物語を引き伸ばされてなかなか終わらせてもらえないだろう。ドラゴンボールのように。

  • @isuzusuzuki5458
    @isuzusuzuki5458 2 года назад

    統一王朝の創業時の武将って、敗戦で死罪になるより
    統一後に死罪になるイメージが・・・w

  • @Zohar4Merkabah
    @Zohar4Merkabah 4 года назад +1

    故鄭問氏の作品で「東周英雄伝」収録「貪財将軍」を読んでいる立場から見ると王翦の扱いがあまりにもさらっとし過ぎて悲しい。
    十八史略で王翦ってカッコいいと思って、故鄭問氏の圧倒的画力に支えられた貪財将軍で更にカッコよく描かれていて痺れました。
    (始皇ではちょっと変な方向になってますけど)
    遊撃に回った李信の考察は成程と唸りました。素晴らしいですね。

  • @風魔忍者ぶきみ丸
    @風魔忍者ぶきみ丸 3 года назад

    李信の子孫の1人が、軍歌「敵は幾万」の歌詞「石に立つ矢の前例(ためし)あり」のモデルになった飛将軍・李広です。

  • @ks5643
    @ks5643 2 месяца назад

    この頃「天下の大将軍」になるには、ある程度の家柄と共に、大将となりダイナミックな作戦を立案し勝利に大きく貢献しないと駄目な時代だったと思います。
    三国志の様に大将同士の一騎打ちでのし上がる時代ではなかったと思いますが。

  • @ybb4295
    @ybb4295 Год назад

    某漫画では「天下の大将軍に俺はなる!」といってるが、「それは違う。お前にそんな器は無い」ってことだ。
    リシンの器は将軍まで。某漫画のリンブ君と同格ということか。

  • @木村廣行
    @木村廣行 2 года назад

    次は姜カイをお願いします。

  • @くみた-z5m
    @くみた-z5m 4 года назад +2

    れーしさんの動画を見まくってたら春秋戦国時代に興味をもちました。
    某漫画は読んでないので、色んな動画を見てようやく当時の背景が分かってきました\(^o^)/

  • @joc8764
    @joc8764 4 года назад +2

    ゲリラ屋にはゲリラ屋なりのやり方が有るのだよ byランバ・ラル
    信はランバ・ラルだったのか。

  • @チャンモンモン
    @チャンモンモン 4 года назад +5

    こんばんは。毛利隆元に続いて李信の考察動画、楽しませてもらいました。
    李信将軍の敗戦からのカムバックの話ですが、この頃の秦の歴史の時系列って、秦始皇帝本記や白起王翦列伝などでは微妙に食い違いがあるんですよね
    始皇帝本記では
    〇始皇帝21年
    王賁が荊(燕の都)を攻め、太子丹の首を得る。王翦が老病を理由に引退
    〇同22年
    王賁が魏を攻め、水攻めで魏の都大梁を落とし魏を降伏させる
    〇同23年
    王翦を始皇帝の要請で復帰させる。王翦は楚王を虜にするが楚将項燕が昌平君を楚王に立てて抵抗を続ける
    〇同24年
    王翦、蒙武が楚を攻め,昌平君は戦死し項燕は自害
    〇同25年
    王賁が燕を攻め燕王を虜にして燕を滅亡させ、引き続き代も攻め代王嘉もとらえる。王翦は江南の地を平定する
    〇同26年
    王賁李信が国交を断った斉を攻め降伏させる
    となっていますが、白起王翦列伝では年限の表記はないのですが
    〇始皇帝の命で王翦は燕を攻め平定する
    〇王賁に楚を攻めさせ楚軍を破り、次いで魏を攻めこの地を平定
    〇始皇帝が李信に楚攻めに必要な人数を問う。この件で王翦は隠居し、李信蒙恬が20万の兵で楚に攻め入る
    〇李信が敗北したので、始皇帝が王翦を復帰させる
    〇王翦率いる60万が楚に侵攻し、蘄水の戦いで楚軍を破り項燕を殺す。秦軍は勝ちに乗じて楚に攻め入り、1年あまりで楚王負芻を捕虜にして楚を平定する。同じく王賁李信も斉を攻め降伏させる
    とあるんですよね。
    始皇帝本紀では王翦の隠居は魏攻略の前、燕を攻めて李信が太子丹の首を取った年なのですが、王翦列伝では魏攻略の後の話になっている。楚への侵攻の話も項燕の結末も違うし、楚王を捕虜にしたのも本紀では項燕の戦死前だが、列伝では戦死後
    また本紀では魏攻略前に一度王賁が楚に攻めてる記述がある。
    ここで私の私見なんですが、李信蒙恬は敗北し、7名の将校を失いましたが、全軍崩壊までは至っていないのではないかということです
    李信は始皇帝が激怒するほどの敗北をしたわけですが、その後も罰せられる事無く2年後の燕攻めにも参加している事から、れーしさんが書くように何かしら汚名返上する武功を挙げた可能性はあると思います。
    ただ王賁から兵を借りたかとなると、王賁が魏を攻略したのは、李信が楚を攻める前という可能性もあるし、王賁李信の燕攻めと、王翦による楚平定が同年であることから、難しいのではないかと思います
    広大な中国大陸の南から北へ、大軍が一年もたたずに移動するのは難しいんじゃないかと思います
    むしろ、李信蒙恬の敗北は全軍が壊滅したわけではなかったと考えた方がいいのかもしれません
    李信蒙恬が兵を借りないと戦えないほどの大損害を受けていたのなら、さすがにその後汚名返上したとしても罰せられないというのはさすがに無いと思いますし…
    また、復帰した王翦が項燕と戦った蘄水が安徽省北部を流れる川で、李信が敗北した城父も案微省北西部にある町なので、城父で敗北しつつも、楚軍に大きく押し戻されることはなかった(軍として機能していて楚軍の反撃をある程度は食い止めてた)可能性もありますね
    個人的には李信と蒙恬は項燕の奇襲を受け敗北したが、全軍崩壊には至らず、王翦が60万の大軍を引き連れてくるまで現状維持に努めた。そして王翦の60万の大軍と共に反撃して蘄水の戦いで勝利の一因を作る武功を挙げた(これに関してはれーしさんが前の動画で考察されている、楚軍を東におびき出すための別働隊として行動して勝機を作ったなどの可能性もあると思います)。これにより汚名返上を果たした李信は、引き続き楚平定を進める王翦軍と別れ、魏を占領後燕国境に進出した王賁軍と合流して燕攻めに参加した
    という流れだったのかもと推察します
    ガバガバな推察かもしれませんが…
    長文となって申し訳ないです。
    更なる古代中国史の考察を楽しみにしてます

    • @チャンモンモン
      @チャンモンモン 4 года назад +1

      追記ですが、三国志の魏の将李典も一説では李陵(飛将軍李広の孫)の子孫を名乗っていたそうなので李信の子孫かも知れませんね

    • @れーしch歴史
      @れーしch歴史  4 года назад +1

      仰るように時系列のズレはありますよね!史記は特に1年のずれがかなりあって、考え込んでしまう事が多々あります汗
      自分も李信と蒙恬は敗れはしたが、軍が全崩壊したとか、そこまでの敗北ではないのではないか?と動画を作りながら考えていました。
      色々な事を考えるのも、古代史の楽しさだと感じております!

    • @れーしch歴史
      @れーしch歴史  4 года назад +1

      三国志の楽しさは、名将の子孫(名乗る人?)があちこちで出ている事かな?とも感じております!

  • @lemonsoup1920
    @lemonsoup1920 4 года назад +2

    中国の地図は山は茶色で塗りつぶして平野で見た方が領土がわかりやすい

  • @たなかあきら-f2x
    @たなかあきら-f2x 4 года назад +6

    そもそも、王翦が60万必要ってのが正解。でもそんな大軍を任せると反乱された時にはどうしようもなくなるので危険と見ていた。だから李信が秦王の気持ちを汲み取って多少無理ゲーでも20万でトライしてみたけどダメだった。秦王も無理ゲーって分かってるのでそんなに責める気持ちになれなかった。つまり王翦は危なくて使いたくなかった。王翦も60万の件で却下喰らったので秦王が自分の事を怪しんだと思って引退した。誅殺されるくらいならって話。ここまでが確か横山輝光先生の史記。
    個人的に王賁が魏攻めなのは王翦と合流出来なくするために分散させたかなと。李信と蒙恬はもしかしたら楚軍の補給線を延々と叩いてたんじゃないかな?と思う。

    • @れーしch歴史
      @れーしch歴史  4 года назад

      確かに補給線を延々と叩いたっていうのはありそうな話だと考えております!勉強になりました。ありがとうございます!

  • @みや-k4y8s
    @みや-k4y8s 4 года назад +4

    背景の恐竜が歩いているゲームがとても気になります
    今回のはオヴィラプトロサウルス類でしょうか?

  • @藤岡敬大-s7i
    @藤岡敬大-s7i 4 года назад +12

    李信は、秦の最後の戦いで命を落とし…
    そのせいで政が極端に走り、秦の崩壊へと繋がる…なんて展開を予想。

  • @頭お花畑-l7i
    @頭お花畑-l7i 4 года назад +8

    一人で二人の子供を平均残すとして、1世代25年ごとに倍々にしていけば、500年過ぎたら子孫100万人いるからなぁ
    ありえるんじゃね

    • @ミイハー
      @ミイハー 4 года назад +1

      1人で残せるのか…

    • @佐藤りょうすけ-d6j
      @佐藤りょうすけ-d6j Год назад

      昔だと産まれてすぐに亡くなるとかざらだからなぁ
      子を作ることが出来なかった人も多かったはず

  • @penta73
    @penta73 4 года назад +5

    春秋戦国時代の時代と人物関係の動画を長編でいいので希望、主様ならできると思いコメント

  • @gyaroGR
    @gyaroGR 4 года назад +2

    前漢の陳平やってほしいです

  • @jeste1010
    @jeste1010 3 года назад +1

    仙石久秀と被ってしまうのは自分だけではないはずだ。

  • @w_blue
    @w_blue 4 года назад +2

    乙です。某漫画はリーボックの扱いしかり、どんどんアレになってるからなあ… ただ記録が少ないけど失態を犯したのに挽回した人間って創作のやりがいがあるよね。

  • @ヨシオの下手っぴゲーム研究所

    子孫もそこそこに名のある人物を輩出していますね。李広とか孫の李陵とか^-^

    • @しいたけ-h3p
      @しいたけ-h3p 4 года назад +4

      唐代の詩仙李白も李信の末裔とされているよね

    • @ヨシオの下手っぴゲーム研究所
      @ヨシオの下手っぴゲーム研究所 4 года назад +1

      @@しいたけ-h3p さん
      そうなのですか。それは知らなかったです。
      漢の中山靖王劉勝が末孫と同じでなければよいのですが、色々な人を輩出しているのですね。
      御教え下さり有難う御座いますm(__)m

  • @tanakaakira2001
    @tanakaakira2001 4 года назад

    李信が刺客列伝に出てるのがわからないんですよね。5将に名前を連ねてるから軍属であって刺客扱いってのも。

  • @そけ939
    @そけ939 4 года назад +8

    劉秀希望

  • @2ytku723kp
    @2ytku723kp 4 года назад +6

    なぜ李信が大敗して誅殺されなかったかはベタだけど李家がかなりの名門だったが一説でありますね
    (某漫画の李信は出自がまるっきり逆だけど)
    今じゃ道教の始祖にあたる老子が李信の先祖だなんてトンデモ説もあるのを俺は最近知りましたし(笑)

    • @れーしch歴史
      @れーしch歴史  4 года назад +1

      李家が名門説は知りませんでした。勉強になります!

  • @丸山康平-l2f
    @丸山康平-l2f 3 года назад

    赤血球に驚き
    今回も怪獣(恐竜?に
    驚きますた。

  • @ホーエンジョージ
    @ホーエンジョージ 4 года назад +8

    李信の魅力はもう少し高いと思う。
    知力はまあこの程度かな?
    政治は記録ないからわからんね。

  • @松尾健治-b2i
    @松尾健治-b2i 3 года назад

    李信の最後は恐らく良いタイミングで亡くなったのか?
    それとも病気等を理由に隠居したのでは?

  • @トメぞう
    @トメぞう 4 года назад +1

    「李蔡/漢の丞相、李信の子孫で漢の将軍・李広の従弟」の存在も忘れてはいけません。「李信」の曽孫(ひまご)か玄孫(やしゃご)辺りの世代には漢の丞相と(高位の)将軍を輩出している事を考えたら、楚漢戦争の時代即ち「李信」の子世代の時には既に「劉邦」に臣従していたと考えられますが、『新唐書』に書かれる「李超」のようにいきなり大将軍となっていたかどうかは疑問であると言えます。
    個人的には「灌嬰」の下で校尉をして「灌嬰」が丞相になった頃に漢の将軍となっていた「李必」が「李信」の子で後の「李広」「李蔡」へ系譜を繋ぐ存在だったのではないだろうか?と考えたりもしています。

    • @れーしch歴史
      @れーしch歴史  4 года назад +1

      李超に関しては自分もかなり疑問があります。大将軍になっているのであれば、もっと記録があっていいのではないか?とも考えております!

  • @7k422
    @7k422 3 года назад +2

    某漫画の最終回は始皇帝が亡くなった後に李信が反乱勢力の劉邦か項羽に討たれるという感じにしてほしい。(大河ドラマ新撰組の最終回みたいな感じで)

  • @田中太郎-f9k5l
    @田中太郎-f9k5l 4 года назад +2

    むしろ、秦以外の他ね滅した国の兵が主で負けたなら負けたぐらいだったのでは?

  • @ムラサメフォウ
    @ムラサメフォウ 3 года назад

    謎が多いから好き勝手に描けるでしょうか。

  • @LiLiMA159
    @LiLiMA159 4 года назад +1

    UP主の言う通り始皇帝より早くに死んでたんだろうね。生き残ってたら趙高の大粛清か項羽に殺されてたでしょう。

  • @hanatosi2834
    @hanatosi2834 4 года назад

    キングダムや横山光輝三国志を読んだとき衝撃を受けました。キングダムはせっかく中華統一するものの部下が策略し15年で国がつぶれる。三国志は3国が統一を目指す話なのに結論は統一せず三国共に滅亡。これは少年ジャンプじゃ無理ですね。まさに、事実は小説より奇なり

  • @名無し-b8y
    @名無し-b8y 4 года назад +2

    内史騰やってほしい

  • @ryujiinazuma6220
    @ryujiinazuma6220 4 года назад +2

    信と政って連れだで信の失敗は笑って許せたんじゃない?ってのがキングダムの印象。

  • @s-yo
    @s-yo 2 месяца назад

    殺されると知って朝鮮か北にに逃げたとかとも言われていますよね?

  • @山山-t5z
    @山山-t5z 4 года назад +1

    唐太宗李世民的父親李淵漢族隴西李氏 母親突厥族 李淵的父親漢族隴西李氏 母親鮮卑族獨孤氏 唐朝是漢族創立沒有錯
    李信家族
    先祖:李宗,字尊祖,魏國大夫,是道家
    創始人李耳(老子)的長子,也是隴西李氏和趙郡李氏共同的直系遠祖
    祖父:李崇,魏國隆南太守,秦國隴西太守,封南鄭公。
    父親:李瑤,秦國南郡太守,封狄道侯。
    兒子: 李超,秦國隴西守將,魏國彭越丞相旗下將領。
    後代:李廣,漢朝隴西都尉、騎郎將、右北平太守、郎中令、後將軍。
    後代:李肅,原董卓謀士、再投呂布、後反叛、弘農戰敗死於呂布之手。
    唐太宗李世民隴西李氏後代

  • @ちゃぴ-g5z
    @ちゃぴ-g5z 3 года назад

    すみません💦聞き取りにくい

  • @丸山康平-l2f
    @丸山康平-l2f 3 года назад

    あれ、陸遜が、、

  • @福岡の民-d3q
    @福岡の民-d3q 4 года назад +2

    まさかキャプテン翼3に出てくる中国代表の
    リ・バンクンとリ・ハンネも李信の子孫なのか
    先に謝っとくわ
    すまん

  • @バラバラバギー
    @バラバラバギー 4 года назад

    コーエーの三國志の古武将はあの頃全然誰か分からなかったけど…アニメや漫画を読んで凄いなって思った👍エイセイが始皇帝って言うのすら知らなかったし😭因みにスーパーファミコン時代の話しですけど🤣

  • @hk9565
    @hk9565 4 года назад +1

    「的を得る」のではなく「的を射る」のですよ
    「得る」を使うのなら「当を得る」で意味的には同等に

  • @ゆう-g4t6t
    @ゆう-g4t6t 4 года назад

    せめて刀を持って

  • @ちぐさゆっくり
    @ちぐさゆっくり 4 года назад

    つまらない考察ですが、財産を国に献上して無罪となったのかも・・・

  • @ダーピン
    @ダーピン 4 года назад

    唐王朝はタクバツ部族出身の異民族系だからなあ……

    • @れーしch歴史
      @れーしch歴史  4 года назад

      確かに異民族って事になっていますよね!

    • @山山-t5z
      @山山-t5z 4 года назад

      唐太宗李世民的父親李淵漢族隴西李氏 母親突厥族 李淵的父親漢族隴西李氏 母親鮮卑族獨孤氏 唐朝是漢族創立沒有錯

    • @山山-t5z
      @山山-t5z 4 года назад

      李信家族
      先祖:李宗,字尊祖,魏國大夫,是道家
      創始人李耳(老子)的長子,也是隴西李氏和趙郡李氏共同的直系遠祖
      祖父:李崇,魏國隆南太守,秦國隴西太守,封南鄭公。
      父親:李瑤,秦國南郡太守,封狄道侯。
      兒子: 李超,秦國隴西守將,魏國彭越丞相旗下將領。
      後代:李廣,漢朝隴西都尉、騎郎將、右北平太守、郎中令、後將軍。
      後代:李肅,原董卓謀士、再投呂布、後反叛、弘農戰敗死於呂布之手。
      唐太宗李世民隴西李氏後代

  • @masaouchino2625
    @masaouchino2625 Год назад

    的を得るって。。。。

  • @夢は世界征服
    @夢は世界征服 4 года назад +1

    李信は始皇帝になった政に粛清されたんじゃなかったけ?

  • @rairakonatu1414
    @rairakonatu1414 4 года назад

    ここの動画は聞こえにくいわ!声が割れすぎ

  • @円-t5f
    @円-t5f 4 года назад +12

    最近の某漫画はつまらなすぎてちょっとやばい・・・

    • @レイス最強
      @レイス最強 4 года назад +3

      ろうあいの反乱過ぎたあたりからあんまですよな

    • @LiLiMA159
      @LiLiMA159 4 года назад +11

      龐煖が出てくると一気につまらなくなるな。戦略戦術全て台無しになっておもしろくない。
      あいつ一人で戦争終わるじゃん

    • @レイス最強
      @レイス最強 4 года назад +2

      LiLiMA159 夜営してる敵陣に大将自ら1人で行って無双ってほんまねww

    • @円-t5f
      @円-t5f 4 года назад +4

      俺イケメン当たり前 個人的には壁が死ななくて、その後大手柄を立てたところぐらいから冷めたかな。壁が生存ルートはいいとは思うが活躍させずになんかなーなーな感じでたまに絡んでくる程度なら楽しめたかな。後ピークは政が政権を完全に勝ち取った一部の最後だと思ってますよ!

    • @円-t5f
      @円-t5f 4 года назад +2

      LiLiMA159 それもあるよねー、後ホウ煖が出てくるとなんか脳内で、すげーでかい太鼓をならしてドヤ顔してるカンメイだっけ?がでてくるのよ。
      カンメイ!(キリっ 太鼓ドドン!ってシーンがどうしてもホウ煖!(キリっ 太鼓ドドンって脳内変換されて萎えるんだよね。あいつらキャラ被りしてるし。

  • @高橋研司-v7b
    @高橋研司-v7b 3 года назад

    あのアニメは、太鼓叩いて『汗明!』とか言いながら頭悪い展開のバトルしたから視聴切った(笑)