【若松区(北九州市)の歴史】人力車や貨物車が商店街を駆け抜けた日本一の石炭積出港だった北九州一のカオスな町・川筋やくざが作った町・若松区の歴史を深掘り
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- Опубликовано: 6 авг 2024
- 北九州市若松区は日本一の石炭積出港として、やくざが沖仲士を束ねて港湾事業を支え、発展させたことはあまり知られていない。
芥川賞作家・火野葦平の著書であり実話でもある「花と龍」は映画化されて、若松は全国に知られた。
若松の大親分・吉田磯吉は後に代議士となって、若松発展に尽力した。
火野葦平の父である玉井金五郎は若松港における石炭積出の沖仲士をまとめた若親分として港湾事業の発展に活躍した。
若戸大橋、筑豊鉄道、若戸渡船ができるまでは、石炭輸送で働くエネルギッシュな人間たちによって支えられた。
商店街の中を人力車や石炭貨物車が駆け抜けたエネルギッシュな若松の町。
洞海湾に残る大正ロマンと人情と活気にあふれた古き良き時代に思いを馳せながら、葦平ゆかりの地を巡る若松の歴史を解説しました。
敬称は略させていただきました。
地域の町名・地域、歴史遺産など当時の呼称でアナウンスしているので、現在と違う呼称もあるかと思うので、ご了承ください。
#北九州市#福岡歴史#九州観光
【関連動画】
北九州洞海湾を結ぶ若戸渡船の歴史風景
→ • 【北九州洞海湾を結ぶ若戸渡船の歴史風景】若松...
【動画の目次】
00:00 はじまり
00:20 火野葦平「花と龍」の若松
02:33 原始古代の若松
04:56 若松の由来
05:59 鎌倉時代の若松
08:00 江戸期の若松
10:28 石炭との関わり
12:16 若松町になるまで
13:51 若松築港の始まり
18:58 若松築港の激動
22:05 若戸渡船の始まり
23:05 若戸渡船転覆事故
25:21 若戸大橋建設の理由
27:40 若松B29による大空襲
28:39 若松駅の役割
29:50 葦平旧居(河伯洞)
31:41 洞海湾埋め立ての町並み
33:41 大正ロマンの風景必見
40:26 若松の大親分・吉田磯吉
42:15 川筋男の連歌町遊郭
43:47 デパートの前を走る石炭貨物車
45:12 働き者の町・若松商店街
46:45 まとめ
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若松区出身の者です。若松の知らない歴史を学ぶことができ大変勉強になりました。ありがとうございます。
1951年(昭和26年)生まれ。古前小学校、高塔中学校、若松商業高校卒。その後九州産業大学へ入学。賑やかだった若松の町で青春時代を過ごしました。
たまに帰省しますが、若松の町はすっかり寂しくなりました。もう少し活気のある町になってほしいと願っています。
私は芦屋に住んでいまして、私のの祖父が北九州史跡同好会というクラブに入っていたので、私も子供の頃から北九州の史跡や歴史に親しんでいました!とても楽しく、素晴らしい内容で嬉しかったです!
わが街、北九州市若松区。
ありがとうございます。
ごんちゃんさん。
すごく引き込まれました。若松を深く学ばせてもらいました。ありがとうございました!!
昭和レトロが大好きで昔の映画もよく見ます。
若松は映画「でっかいでっかい野郎」で商店街の真ん中を貨物が走るのを見て衝撃を受け
どんなところなのか興味が湧き、2回ほど訪れた事があります。
昭和の名残が多く残る大好きな街のひとつになりました。
素晴らしい内容でした、鳥肌が立つような感動を頂きました。繰り返し何度も拝見致したく思います。東京から門司小倉戸畑黒崎折尾には何度も仕事で行きましたが、若松にだけは縁がありませんでした。戸畑駅ホーム上から赤い橋を何度も見ていましたが、、。渡船に乗ってご案内の場所にすぐ行きたくなりました。
たいへんお疲れ様でした。
若松の歴史観を学ぶことが
出来ました。
いつも懐かしい映像ありがとうございます。
伯父が昔働いていた海運会社が若戸大橋の側にあり、子供の頃、佐賀から訪れた私は凄く都会に感じました。
亡き伯父伯母、両親を思い出し懐かしくて涙してしまいました。
中川通に石炭積んだディーゼル機関車が運行していた記憶があります。もう半世紀以上前の事です。また、高塔山へはロープウェイで行った記憶もあります。
叔母がいる若松に行って驚いたの丸柏の横を汽車が走っている光景でした💦
子供の頃に住んでいました。
今は寂れて切ないですが見入ってしまいました。
取り上げて頂きありがとうございます!
自分も子供の頃、本町に住んだことがあり、兄弟でよく通った銭湯が今も営業しているのに感動しました😊
@@fm1 本町懐かしいですね。
私は浜町で若戸柔剣道場に通っていました。
親の転勤が多く福岡県内を転々としていたのでいつも懐かしく拝見しています。
次回以降も楽しみにしています。
明治人は偉大ですね
私欲ではなく地域や日本の為私財を出すのですから
お蔭で北九州の発展が有ったんですね
葦平旧邸大変立派な邸宅でしたが心に残ったのはご係累の中村哲さんの掲示でした きっと哲さんに若松の方たちの志といったものが繋がれていたのでしょうね
哲さんは葦平と親戚筋になる方です、今回は哲さんを紹介していないのですが、サブチャンネルで紹介予定です。よろしくお願いします。
高倉健さん主演の玉井金五郎、星由里子さんのマンさん夫妻を見事に成り切って演じる花と龍、ごんぞうや、若松や戸畑を聞いています、つぼ掘り師と彫物師を扮する藤純子さん、他豪華キャストにストーリーに笑ったり、泣かされたり、中身の濃い印象深い映画でした、高倉健さんの袴での立ち廻り、凛々しく格好良ったですね、肩の龍と菊と輝いていました、夫婦の絆をみました。
いつも楽しく拝見しております。街が変わりゆくさまが興味深いです。
街なかに市電のように貨物列車が通っていたとは面白いです
北九州八幡西区出身ですが、ここまで若松区の事知りませんでした!東京で通訳ガイドやってますが、俄然北九州の歴史に興味湧いて来ました!有り難うございます‼️
実家が若松だったせいで、子供のころから若松の町を見て来ました。
吉田磯吉は喧嘩をしない大親分として有名で、小学校卒なのに、貴族院議員にまでなりました。
金鍋にはいろんな豪華な食器も残されていました。
30年くらい前でしょうか?まだキャバレーもありました。ホステスとカラオケで歌った記憶があります。
昔の西鉄ホテルなど、高塔山にある史跡とか?
もう少し、歴史を掘り起こしてください
自分も若松にいたので、別動画「吉田磯吉の生涯」や「吉田磯吉の信望厚い岡部亭蔵と矢頭組による北九州最大の抗争」でこってり深掘りしている。
しつかりと楽しむと言いますか、学ぶと言いますか、早い話興味一杯で見せていただきました。北九州の事は関門連絡船だけしか知らんかったもんやけん。 石炭景気の頃は猥雑でもあったでしょうが、街の発展に胸おどらせた人人のようすが、胸にせまるおもいでした。木屋瀬出身の親の知人に子供の時可愛がられた思い出と共に、動画ありがとうございました。
LIVE IN わかまつで、ロッカーズやルースターズ、シーナ&ロケッツをものすごい安価で見ることができた。
赤ちょうちんの天ぷらと細かく切られた豆腐の赤だしがもう1回食べたかった。
北九州出身ですが、ここまで若松市?の歴史を知りませんでした❗️有り難うございます!今度是非若松探索してみます‼️
シーナアンドロケットのシーナの実家があり夫の鮎川誠が居候してたとか、若松駅に鉄道学校があったとか、軍艦の下側をを丸ごと沈めて作った軍艦埠頭とかにも触れてほしかったです。
若松区出身で、葦平家のすぐ近くに家があるので修多羅一丁目から高塔山入り口(教会の横)撮って欲しかった😅❤
1996年から3年、小倉に住んでいて、若松辺りにも何度か行きました。料亭の金鍋にもピアノの演奏会をするというので行き、白人のピアニストの演奏を聴きました。途中で、隣のスナックのカラオケが聞こえてきて、ピアニストが耳に手を当てておどけていました。この動画を見てたいへん懐かしかったです。ありがとうございました。
中年になってから北九州に住み始めました。
とても興味深く観させて頂いています👍
半島だし区の東西有毛や本町で言葉が違うカオスな町
石炭荷役のゴンゾは昭和46ねんくらいまであった。
吉田磯吉の別宅(今はインテリア内装会社)が若松高校から少し降った左手深町ですが ドテラ婆 島村ギンさんのお墓のすぐそばにありました。
昭和40年代まで。
丸柏社長の柏原さんの娘 香?さんとは同級生です。
突然すみません。
ドテラ婆さんのお墓、私の生まれた地の近くに有ったなんて!
父は柏原社長の同級生でして、娘さんと一緒にボーリングに行った記憶があります。
丸柏の「お子様ランチ」
最高の贅沢でした😊
興味深い福岡の歴史をいつも分かりやすく、丁寧にご解説していただきありがとうございます。私も若い頃、9年間北九州市と福岡に住んでいました。いつも懐かしい思い出とともに拝見しています。これからもどうぞよろしくお願いします!
コメントありがとうございます。
素晴らしい‼️
門司、門司港の歴史を期待しております。
ハイ、準備にかかっています、リクエストありがとうございます😊
二島バス(ふたじまバス)はもうなくなったのですか?
北九州市営になったと思います。
@@fm1 ありがとうございます。
桑田佳祐さんのお父さんが若松出身なのはあまり知られていないようですね
満州開拓民として役割を終えて若松に移り住んでいますね。ここで本籍を届け出ています。
梅沢富美男さんのお父様も若松生まれです。
彼は半島の人ですよね。ハングルも堪能ですよ。最近は半日しなくなりましたね。もう、歌出しても売れないけど。笑
国道は199号だけではない。495号という立派なスイスイ走れる国道ができている。
ここが若松? 悪かったなあ 寂れたいかがわしい遊郭街より、気持ちがいい。若松は高塔山も含めて、八幡製鐵の防衛拠点として軍が開発を制限していた。でもね、もう若松の人口の重心は、二島から西にある。
太閤水 たいこうすいとはいわない。たいこうみずが正しい。
焚石会所 ふんせきかいしょ? 焚石はたきいしと読む。
芦屋焚石会所が出たのなら、黒田藩の専売を引き継いだのが安川敬一郎だということは、触れていただきたかった。
些細なことはあるが、よく出来ていると思います。
焚石は「ふんせき」とも読みますね。😀