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ファンでした。最大の優勝のチャンスは、昭和43年春場所!千秋楽で若浪にまさかの平幕優勝を許してしまいました。
今のように優勝に絡んだ平幕力士は、終盤戦は上位力士に当てるという仕組みだったら、この場所に豊山は優勝できただろうと今でも思っています。
大好きな力士で紳士的な相撲で好感を持てた!
今見ても本当に気品に満ちた素晴らしい土俵態度だったと思います。今の力士は土俵上のマナーが落ち着きがなくどっしりしてないので豊山を習って欲しいです。育ちが良いのか坊っちゃん育ちだったせいかハングリー精神に欠け、横綱になれなかったのが悔やまれる。大鵬のように差し身が上手ければ難なく横綱になっていただろう。しかし大好きな力士でした。
豊山さんが子供の頃双葉山をラジオで聞いた覚えがあると聞いてビックリしたけど、双葉山の引退が昭和20年で豊山さんが昭和12年産まれだから幼少期なら覚えててもおかしくないのか。今現在 双葉山の相撲を見たり ラジオで聞いたりした人はもう居ないんじゃないかと思っていたけど長寿の方ならまだまだいらっしゃるのかもしれないな。話とか聞いてみたい。
優しそうなインテリ大関、豊山関。私が小学生の時、学生横綱と言う言葉を初めて聴いた力士です。長身だったのですね😊
横綱にはなれず、優勝も1度もできずだったけど、日本相撲協会の理事長というトップの座に就けたことはよかったと思います。
当代豊山も引退してしまったなあ先代は越えられんかった
横綱に上がるって妄想してたのに笑
優勝できなかった中では最強力士かと思います。大鵬と柏戸さえいなければとも思いますが、兄弟子として双津竜を立派に育て上げましたし、理事長にもなりました。
大関昇進直前の3場所は12→12→13で計37勝という現代でも破られていない最高タイ記録。他に達成したのは北天佑、3代目若乃花、栃ノ心だけ
昭和の名力士、彩千丹をしゅっとさせたような力士だったんだな
引退後のお話ぶりも、とても謙虚な人柄がうかがえます。しかし、太ももの筋肉の付き方や土俵際の余裕ある柔軟さは、素質と並みならぬ稽古の賜物でしょうか。
先代豊山関名前を次つぐかたは先代があまりにも凄いと期待されすぎ大変だったと思います‼️同じ大学出身でもプレッシャーがおおかったとおもいますたしか農大のエースがんばり‼️大関までいつたはず‼️時代が輪島北ノ湖貴乃花などスターの影に隠れた大学出身の実力者2代目さんも好きでした‼️
輪島以上に出世が早く、体格、相撲内容からして、すぐにでも横綱になると思っていたが、大鵬に勝てない事とうっちゃり気味の取り口をするようになって腰を痛めてしまい大関止まりになった非常に惜しい力士、本来なら佐田の山より早く横綱になってもおかしくなかった。
当時、大鵬とがっぷり左四つで胸を合わせて5歩近くで相撲の取れる唯一の力士でした。大成すると思ってました。腰さへ痛めなかったらと悔やまれます
豊山は横綱間違いなしと言われながら横綱はおろか優勝、ひいては優勝同点すら果たせなかった。ここ一番でガチガチになってしまったのが災いした。その分、引退後は若くして理事になり、ずっと理事を保ちつつ最後は理事長にまでなった。現役の時は不完全燃焼だったけど、引退後に真価を発揮した人ですね。今でも健在で、まさか自分の後任の時津風を3人も見ることになるとは思わなかったと思っています。確か大相撲ダイジェストの監修も大関豊山の時津風さんがやっていましたね。
引退後に本領を発揮して相撲協会在京理事として春日野さん、二子山さん、出羽海(境川)さんを支えて後に理事長の椅子に座った。出来る事なら今の相撲協会に文句言いたいだろうなぁ。
昔ながらの相撲ファンの方々からするとムラがあるけど白鵬にいい勝負する琴欧洲や稀勢の里みたいな感じで応援してたんですかね?凄い哀愁と色気があってカッコいい力士だと思います。
おっしゃる通りです😃今で言うイケメンですね。明武谷とともに女性ファンが多かったです。 大鵬には4回しか勝てなかったけど、「がっぷり四つになって対等に戦えるのは豊山だけだ」と言われていました😄
@@神代洋一-u8w 教えてくださりありがとうございます!一度この時代の大相撲を生で見てみたかったなぁ…
当時を知らない20代の者だけど、なんか成績とか境遇を見てると大関時代の稀勢の里に似てる感じしますね。白鵬の存在が大鵬。で、横綱も期待されて優勝も出来そうなのになかなか掴めない。栃ノ海、佐田の山の立ち位置が若干日馬富士、鶴竜に似ているようにも感じる。ただ、稀勢の里は最終的には横綱と優勝掴んだけど。
@@washimisan 柏戸が日馬富士じゃない?栃ノ海は知らん
豊山が大関に昇進して5大関になりましたが、横綱柏戸を含めた6人の中で、大鵬とガップリ四つになって対抗できるのは豊山だけといわれたものです。でも腰を痛めて未完に終わりました。私と同郷なのでとても残念に思ったことを覚えています。なお、あまり知られていませんが、この人以前にも「豊山」という同名の力士が昭和20年代に幕内にいました。たしか伊勢ノ海部屋所属だったように思います。
稽古の時に映る若い衆がみんな細マッチョ。今はぽっちゃり君が大半だ。こんな時代に戻れるように協会は努力を重ねないといけないね。
俺もそうなってほしいと思うわ相撲取りに対するイメージを変えるためにね
数少ないソップ型の若い衆を見ると応援したくなるんだよな。
豊山の土俵マナーは気品がありました。相撲協会の理事長になれたのも、その誠実な人柄に理由があったからだと思います。 私の小学校時代に活躍したのが大関豊山。高校時代に活躍したのが、輪島のライバル、本名長浜の豊山。そして、現豊山は本名小柳で押し相撲が得意。3力士の相撲の取り口がみな違うのは面白いです😃‼️😄
豊山は、豊かな才能が有りながら、柏鵬の陰に隠れて、とうとう横綱になる事が出来ませんでした。当時、豊山は気が優しいから横綱になれないんだ、とよく言われたものです。
この人は長生き まだ生きてる
歴代横綱の誰よりも長寿となりましたね(私のこのコメントの時点で84歳)。
角界は長生きの人少ないよな寺尾すら早逝するし
十両全勝優勝は衝撃的でした。髷結えないで相撲取ってる人初めて見た。
大器。まわしさえ取ったら、たいほうにも勝った人。後の理事長です。
器用な力士ではなかつたけれど、大鵬、柏戸には力負けしなかった。
カンガルーみたいな立ち合いですねこの時代の力士たちは
優勝のチャンスは7度ありながら、ついに賜杯を抱くことがなかった。ここ一番になるとガチガチになって本来の力を発揮出来なかったのかも。
優勝同点すらない
関脇時分には189cmと柏鵬を上回る上背とリーチで猛突っ張り、体重も130kgを超え、バランスもよく、あのまま突っ張りを主武器にしていれば、佐田の山の機関銃のような突っ張りなどとはスケールも違い、太刀山、千代の山を上回るハイマース横綱になっていただろう。それが大関に上がって、どういうわけか消極的な守りの相撲に終始し、そのようなタイプにはまず負けない大鵬ばかりか、琴櫻、麒麟児、清国、長谷川、北の富士と、後を追いかけてくる後輩連中にも来る場所来る場所カモにされた。あるいは、尊敬する双葉山の完成された右四つの型という、自身の資質とは相容れない幻の理想像に踏み迷ったのか、最後の最後まで迷いに迷って晩年は5勝10敗、4勝11敗と無残な体たらくだった。部屋の大先輩鏡里も、若い頃は突っ張りでならし、膝を痛めて体重で圧倒する四つ相撲に転向、綱を張ったが、豊山はその道も選べなかった。
気っ風の良い相撲、土俵上マナーはは今の力士の手本にしたいほど。白鵬の俵で足をガシガシ踏みつける態度に厳しく注意をしていた程。ただ、弟弟子の双津竜や、弟子の時津海にその教えが伝わらなかったのは残念。
孫弟子の土佐豊には伝わってほしいですね…
はさ
あれ実際は双葉山さんがそうしてて。
内田は本来、出羽海部屋に入門する予定だったのが、直前で双葉山が時津風部屋に入門させたと聞いた。常ノ花の出羽海親方は激怒し、出羽一門三羽烏は豊山戦には執念を燃やしたらしい。
同様なのが日大の山崎のちの大翔山ですね!本来、藤島部屋が内定してたみたいですが年寄株の関係で立浪部屋に寝返りったみたいで、藤島勢に目の敵にされてました、とりわけ貴闘力には!智乃花に対してもです!
今居る力士は『3代目豊山』デスね‼️
時津風部屋の力士としては3代目ですが厳密には4代目です!
豊山新大関で皆勤負け越しの汚名は、残念。身長のある横綱と豊山は、大相撲を背負っていく力士としてふさわしいと思っていたが、横綱に上がれなかったのは、大鵬に勝てなかったからも、ある。今の大相撲と比べたら、身長の高い横綱や、沢山の大関が存在し、レベルが高かったように思う。
豊山ってこんな昔から今まで長い間現役でやってるんや。今は平幕だと思うけど、頑張ってほしい
ちゃうで!
@@yoshidamakoto2485 違うん!?
今の豊山は3代目ですね
ネタだと思うけどおもろいww
14勝で優勝できなかったからな😅
ファンでした。最大の優勝のチャンスは、昭和43年春場所!千秋楽で若浪にまさかの平幕優勝を許してしまいました。
今のように優勝に絡んだ平幕力士は、終盤戦は上位力士に当てるという仕組みだったら、この場所に豊山は優勝できただろうと今でも思っています。
大好きな力士で紳士的な相撲で好感を持てた!
今見ても本当に気品に満ちた素晴らしい土俵態度だったと思います。今の力士は土俵上のマナーが落ち着きがなくどっしりしてないので豊山
を習って欲しいです。育ちが良いのか坊っちゃん育ちだったせいかハングリー精神に欠け、横綱になれなかったのが悔やまれる。大鵬のように差し身が上手ければ難なく横綱になっていただろう。しかし大好きな力士でした。
豊山さんが子供の頃双葉山をラジオで聞いた覚えがあると聞いてビックリしたけど、双葉山の引退が昭和20年で豊山さんが昭和12年産まれだから幼少期なら覚えててもおかしくないのか。
今現在 双葉山の相撲を見たり ラジオで聞いたりした人はもう居ないんじゃないかと思っていたけど長寿の方ならまだまだいらっしゃるのかもしれないな。話とか聞いてみたい。
優しそうなインテリ大関、豊山関。私が小学生の時、学生横綱と言う言葉を初めて聴いた力士です。
長身だったのですね😊
横綱にはなれず、優勝も1度もできずだったけど、日本相撲協会の理事長というトップの座に就けたことはよかったと思います。
当代豊山も引退してしまったなあ
先代は越えられんかった
横綱に上がるって妄想してたのに笑
優勝できなかった中では最強力士かと思います。大鵬と柏戸さえいなければとも思いますが、兄弟子として双津竜を立派に育て上げましたし、理事長にもなりました。
大関昇進直前の3場所は12→12→13で計37勝という現代でも破られていない最高タイ記録。他に達成したのは北天佑、3代目若乃花、栃ノ心だけ
昭和の名力士、彩千丹をしゅっとさせたような力士だったんだな
引退後のお話ぶりも、とても謙虚な人柄がうかがえます。しかし、太ももの筋肉の付き方や土俵際の余裕ある柔軟さは、素質と並みならぬ稽古の賜物でしょうか。
先代豊山関名前を次つぐかたは先代があまりにも凄いと期待されすぎ大変だったと思います‼️同じ大学出身でもプレッシャーがおおかったとおもいますたしか農大のエースがんばり‼️大関までいつたはず‼️時代が輪島北ノ湖貴乃花などスターの影に隠れた大学出身の実力者2代目さんも好きでした‼️
輪島以上に出世が早く、体格、相撲内容からして、すぐにでも横綱になると思っていたが、大鵬に勝てない事とうっちゃり気味の取り口をするようになって
腰を痛めてしまい大関止まりになった非常に惜しい力士、本来なら佐田の山より早く横綱になってもおかしくなかった。
当時、大鵬とがっぷり左四つで胸を合わせて5歩近くで相撲の取れる唯一の力士でした。
大成すると思ってました。腰さへ痛めなかったらと悔やまれます
豊山は横綱間違いなしと言われながら横綱はおろか優勝、ひいては優勝同点すら果たせなかった。ここ一番でガチガチになってしまったのが災いした。
その分、引退後は若くして理事になり、ずっと理事を保ちつつ最後は理事長にまでなった。現役の時は不完全燃焼だったけど、引退後に真価を発揮した人ですね。
今でも健在で、まさか自分の後任の時津風を3人も見ることになるとは思わなかったと思っています。
確か大相撲ダイジェストの監修も大関豊山の時津風さんがやっていましたね。
引退後に本領を発揮して相撲協会在京理事として春日野さん、二子山さん、出羽海(境川)さんを支えて後に理事長の椅子に座った。出来る事なら今の相撲協会に文句言いたいだろうなぁ。
昔ながらの相撲ファンの方々からすると
ムラがあるけど白鵬にいい勝負する琴欧洲や稀勢の里みたいな感じで応援してたんですかね?
凄い哀愁と色気があってカッコいい力士だと思います。
おっしゃる通りです😃
今で言うイケメンですね。明武谷とともに女性ファンが多かったです。
大鵬には4回しか勝てなかったけど、「がっぷり四つになって対等に戦えるのは豊山だけだ」と言われていました😄
@@神代洋一-u8w 教えてくださりありがとうございます!一度この時代の大相撲を生で見てみたかったなぁ…
当時を知らない20代の者だけど、なんか成績とか境遇を見てると大関時代の稀勢の里に似てる感じしますね。
白鵬の存在が大鵬。
で、横綱も期待されて優勝も出来そうなのになかなか掴めない。
栃ノ海、佐田の山の立ち位置が若干日馬富士、鶴竜に似ているようにも感じる。
ただ、稀勢の里は最終的には横綱と優勝掴んだけど。
@@washimisan 柏戸が日馬富士じゃない?
栃ノ海は知らん
豊山が大関に昇進して5大関になりましたが、横綱柏戸を含めた6人の中で、大鵬とガップリ四つになって対抗できるのは豊山だけといわれたものです。でも腰を痛めて未完に終わりました。私と同郷なのでとても残念に思ったことを覚えています。なお、あまり知られていませんが、この人以前にも「豊山」という同名の力士が昭和20年代に幕内にいました。たしか伊勢ノ海部屋所属だったように思います。
稽古の時に映る若い衆がみんな細マッチョ。今はぽっちゃり君が大半だ。
こんな時代に戻れるように協会は努力を重ねないといけないね。
俺もそうなってほしいと思うわ
相撲取りに対するイメージを変えるためにね
数少ないソップ型の若い衆を見ると応援したくなるんだよな。
豊山の土俵マナーは気品がありました。相撲協会の理事長になれたのも、その誠実な人柄に理由があったからだと思います。
私の小学校時代に活躍したのが大関豊山。高校時代に活躍したのが、輪島のライバル、本名長浜の豊山。そして、現豊山は本名小柳で押し相撲が得意。3力士の相撲の取り口がみな違うのは面白いです😃‼️😄
豊山は、豊かな才能が有りながら、柏鵬の陰に隠れて、とうとう横綱になる事が出来ませんでした。当時、豊山は気が優しいから横綱になれないんだ、とよく言われたものです。
この人は長生き まだ生きてる
歴代横綱の誰よりも長寿となりましたね(私のこのコメントの時点で84歳)。
角界は長生きの人少ないよな
寺尾すら早逝するし
十両全勝優勝は衝撃的でした。髷結えないで相撲取ってる人初めて見た。
大器。まわしさえ取ったら、たいほうにも勝った人。後の理事長です。
器用な力士ではなかつたけれど、大鵬、柏戸には力負けしなかった。
カンガルーみたいな立ち合いですねこの時代の力士たちは
優勝のチャンスは7度ありながら、ついに賜杯を抱くことがなかった。ここ一番になるとガチガチになって本来の力を発揮出来なかったのかも。
優勝同点すらない
関脇時分には189cmと柏鵬を上回る上背とリーチで猛突っ張り、体重も130kgを超え、バランスもよく、あのまま突っ張りを主武器にしていれば、佐田の山の機関銃のような突っ張りなどとはスケールも違い、太刀山、千代の山を上回るハイマース横綱になっていただろう。それが大関に上がって、どういうわけか消極的な守りの相撲に終始し、そのようなタイプにはまず負けない大鵬ばかりか、琴櫻、麒麟児、清国、長谷川、北の富士と、後を追いかけてくる後輩連中にも来る場所来る場所カモにされた。あるいは、尊敬する双葉山の完成された右四つの型という、自身の資質とは相容れない幻の理想像に踏み迷ったのか、最後の最後まで迷いに迷って晩年は5勝10敗、4勝11敗と無残な体たらくだった。部屋の大先輩鏡里も、若い頃は突っ張りでならし、膝を痛めて体重で圧倒する四つ相撲に転向、綱を張ったが、豊山はその道も選べなかった。
気っ風の良い相撲、土俵上マナーはは今の力士の手本にしたいほど。
白鵬の俵で足をガシガシ踏みつける態度に厳しく注意をしていた程。
ただ、弟弟子の双津竜や、弟子の時津海にその教えが伝わらなかったのは残念。
孫弟子の土佐豊には伝わってほしいですね…
はさ
あれ実際は双葉山さんがそうしてて。
内田は本来、出羽海部屋に入門する予定だったのが、直前で双葉山が時津風部屋に入門させたと聞いた。常ノ花の出羽海親方は激怒し、出羽一門三羽烏は豊山戦には執念を燃やしたらしい。
同様なのが日大の山崎のちの大翔山ですね!本来、藤島部屋が内定してたみたいですが年寄株の関係で立浪部屋に寝返りったみたいで、藤島勢に目の敵にされてました、とりわけ貴闘力には!智乃花に対してもです!
今居る力士は『3代目豊山』デスね‼️
時津風部屋の力士としては3代目ですが厳密には4代目です!
豊山新大関で皆勤負け越しの汚名は、残念。身長のある横綱と豊山は、大相撲を背負っていく力士としてふさわしいと思っていたが、横綱に上がれなかったのは、大鵬に勝てなかったからも、ある。今の大相撲と比べたら、身長の高い横綱や、沢山の大関が存在し、レベルが高かったように思う。
豊山ってこんな昔から今まで長い間現役でやってるんや。
今は平幕だと思うけど、頑張ってほしい
ちゃうで!
@@yoshidamakoto2485
違うん!?
今の豊山は3代目ですね
ネタだと思うけどおもろいww
14勝で優勝できなかったからな😅