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「膵臓炎のために入院した病院のベッドから、稽古土俵に足を運ぶなど、相撲一途に生きてまいりました旭国…」北の湖との全勝対決の日、ラジオから流れる「向坂松彦」アナウンサーの名調子を録音していました。ヒール役の北の湖、黄金の左腕輪島、つりが得意な貴ノ花、とったりの旭国… 行司さんも呼び出しさんも、テレビのアナウンサーも、魅力的な個性を持った方が多くて、大相撲が最高のエンターテインメントだった時代でした。最高に楽しかった。私の中で、旭国関は日本一のおすもうさんです。魁傑関との10分にわたる大相撲は、感動的でした。ありがとう大関💐
学校から帰ったら時間にはちょうど取り組みがあった地位だったので、旭國にはすごく親近感がありますね。よく稽古をして鍛えてるのはその体や取組からわかりました。まさにいぶし銀の力士でした。
昭和50年頃から大相撲を見始めた自分は、始めは下手捻り、とったり、けたぐりなど変わった技を使う、異能の小兵力士だと思っていました。しかし、突き押しの相手には押しで対抗し、ピラニアと呼ばれた四つ相撲での粘りを見る内、しっかりとした基礎がある上で多彩な技も使える、むしろ職人的な力士だと段々とわかりました。
自身の優勝は叶わなかったが後に大島部屋の弟子である旭富士が叶えその他にも旭豊、旭鷲山、旭天鵬など個性豊かな関取衆を育てました。現在は旭天鵬が大島部屋を再興させまた旭國のような力士が出ればいいなと思います。旭國関、力士としても親方としても最高です。
物心ついた時、旭國関は既に大関でした。ですので、1977年秋場所の快進撃はよく覚えています。大横綱北の湖関が強すぎて、14勝でも優勝できませんでしたが、高見山関戦の内掛けや千秋楽の若三杉関戦での豪快な上手投げなど相撲が冴え渡り、優勝に等しい活躍でしたね。お腹や背中の膏薬が示す通り、内臓疾患と闘った21場所だったと考えます。引退場所も同期の横綱三重ノ海関と熱戦を繰り広げ、力を出し切った印象でした。師匠としても大成功でしたし、テレビ解説でも「相撲博士」ぶりを見せてくれました。三重ノ海さん共々、もっともっと長生きしていただきたいです。
しぶとい小兵力士だと思ってましたがまさか大関になるとは思ってませんでした。大病を患って「土俵で死ねたら本望」という言葉でファンになりました。北の湖に全勝対決で敗れ14勝1敗の準優勝は本当に残念でした。負けたけど魁傑との熱戦は今でも鮮明に覚えています。
旭国さん、テレビ中継ではあまり見れなかったが、小兵で3年半も大関を守ったのは凄い❗昭和54年名古屋、貴ノ花と動き回って外掛けで勝った一番、覚えてる。小さいのに強いと思った!
旭国は相撲が本当に上手い力士でしたね✌️旭国と魁傑の戦いは迫力合ったわ~✌️旭国は輪島だけには本当に歯が立たんかったな~😁
かっての「サントリービール」のCMでは麒麟児さんと加山雄三が共演していた事を今でも良く覚えています。特に「あんたが主役!」の決め台詞が今でも好きです!😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂でも当の麒麟児さんは今はもう既に鬼籍に入ってしまいました!😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢思えば、北の湖さんと貴乃花さん並びに隆の里さんは今はもう既に鬼籍に入っています。😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢更に朝潮さんと寺尾さんと曙さんが鬼籍に入ってしまった事は今でも記憶に新しいところです!😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢そして旭国さんも好敵手(ライバル)達の後を追う様に、あの世へと旅立たれました!😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢今では当時の好敵手達と久し振りの再会をした旭国さん。今はもう既に、あの当時の思い出話を楽しむ一方、あの世にて設置された土俵にて(観客の前にて)久し振りの名勝負を披露しているだろうと思います。改めて合掌します!😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭
私が小学生の時大きな紙に旭国と大きく書いてTVの前で応援していました。
旭國は、引退後、大島部屋を興し多くの関取、旭富士、旭道山、旭豪山、旭里、旭鷲山、旭天鵬、旭豊、旭日松、旭大星等を育て、多くの孫弟子、照ノ富士、豊昇龍、翠富士、錦富士、宝富士、安美錦、熱海富士、明生、天空海等まさに名伯楽の印象があります✌️いつまでも長生きして欲しいと思います✌️
小さいからこそ、いっぱいいっぱい稽古したんでしょうね。素晴らしい力士でした
〝ピラニア〟であり、また『相撲博士』でもありましたよね‼️
ピラニア、相撲博士って、小学生の時、買ってもらった本にも書いてあった❗
膵臓を悪くしてもなお稽古を続けていた旭國は医者に「こんな身体で相撲とっていたら死んでしまう」と警告されたが「土俵の上で死ねるなら本望」と稽古をやめなかったという。
旭國さん、私を近しい親戚にして下さりありがとう。顔も肉の付き方もにていて、誇りでしかありません。私が生まれる頃には亡くなられていましたが、本当に誇りに思います
旭國まだ生きてまっせ
上腕の膨らみすごいな
相撲博士輪島と優勝決定戦までいきましたね、北の湖と全勝対決で優勝まであと一歩でした。背中に針お灸の絆創膏引退した時は「もう見れぬこの膏薬」と新聞に載ってました。
郷里の北海道愛別町。大雪山のふもとの小さな町です。
小さい身体で 1977 年9月場所、優勝は逃したものの大関で14勝したのは立派としか言いようがありません。持病の膵臓炎がなければ、もう少し活躍出来たでしょう。
追悼
輪島との決定戦や北の湖との全勝対決など、あと一歩及ばなかったなあ一度でいいから旭国の優勝を見たかった
同感です。素晴らしい力士だっただけに残念です😢
旭國関が現役時代掴めなかった賜盃は引退後師匠として手塩にかけて育て上げたのちの第63代横綱旭富士関が手にしています。
相撲博士、ピラニアと呼ばれた名力士。病に苦しみながら、大関まで昇進しました。大島部屋の親方として、旭鷲山や旭天鵬を育て上げました。努力と根性の人だと思います。
相撲博士。
横綱旭富士も旭國の弟子ですよ
しぶとさでは初代貴ノ花と双璧だと思います。
輪島関は旭國関、鷲羽山関、千代の富士関のような小兵に対しては上手く取っていたが、デカい高見山関には苦戦していた。
あの頃同世代のライバルたちは物故した人が多い。輪島、貴乃花、魁傑、北の湖、金剛…。旭国はすい臓炎と言う持病を持ちながら今も健在なのは立派。横綱になれず幕内優勝はなかったが弟子の旭富士が横綱になり、旭天鵬も幕内優勝を果たした。他にも多くの関取を育てた。親方としては第一級の名親方だったと言えよう。
旭國関のニックネーム「ピラニア」は第44代横綱栃錦関の「マムシ」にならっているのでしょうか。
ご冥福をお祈りします
技、粘りが、好きだったよ!
現伊勢ヶ濱親方の師匠でしたね。強いお方だったんですね。
この方がガチ格闘家力士・旭國です。大相撲で立ち関節技を使った唯一の力士。
旭國関のニックネームは「ピラニア」(小兵ゆえに喰い付いたら離さないしぶとさから)
During his hay day, he was the PHd of Sumo; great wrestler
間違いがありました。昭和51年春場所千秋楽旭国vs貴ノ花のあと、輪島が北の湖に敗れ、2敗に並んだでは、なく、輪島が北の湖に勝利し、2敗で並んだでは?ないでしょうか?✌️
今の力士と根本的に違う。技のキレが半端ないm(_ _)m
旭国は得意の取ったりでお大関をとったり~。
相撲博士の異名を持つ、小さな大大関!
金城戦のとったりは、プロレス技の脇固めみたい。
ご冥福をお祈り申し上げます。
イメージ的には鶴竜や栃東に似てるかな。
大関に登った力士時代の実績もさることながら、大島親方となった後に旭富士という横綱を育てたこと、そして何より他部屋に先駆けてモンゴル人力士を入門させたことの方を特筆すべきでしょう。自身が膵臓炎で苦しんだからこそ、同じ病を患った旭富士の指導にもその経験を活かせたと思います。結果的に角界がモンゴル人力士に席巻されるきっかけを作ったことには功罪両方の評価があるでしょうが、大きな足跡を残したことは間違いありません。
その旭富士は伊勢ケ浜親方となり、横綱日馬富士、照ノ富士らを育てました
安美錦の師匠の師匠!
@@stofyuki3875 様おっしゃる通りですね。大師匠の旭國同様、膵臓炎や理不尽な横綱昇進見送りなどの苦労を乗り越えた旭富士だからこそ横綱2人を育てるという快挙を成しえたんでしょうね。特に照ノ富士のまぎれもない奇跡の横綱昇進は師匠の旭富士、ひいては大師匠の旭國の存在なくしては絶対に語れませんね。
@@虎猫おじさん 様そうですね。安美錦の大師匠、そして旭天鵬の元師匠でもあります。日馬富士や照ノ富士の陰に隠れがちですが、息長く現役を続けたこうした力士たちを育て上げた下地は旭國(安美錦の場合は旭富士を介して引き継がれたもの)の存在によるところが大きいでしょうね。
千秋楽で輪島は北の湖に勝ちました。杉山サン間違えてます
昭和52年秋場所千秋楽でしたら北の湖は輪島に勝って全勝優勝ですよ!
本当に間違えてます。杉山さんも間違える事があるんですね。
SUMO POWER !!!
この方、輪島にはからっきし駄目やったねぇ
輪島は小兵にはめっぽう強かったですね。
動画中に昭和50年秋に旭國が輪島に勝った一番が出てきますが、輪島の廻しを切り、両差しの速攻で寄り切り。旭國が輪島に勝つにはこの相撲しかなかったんでしょう。輪島に廻しを引かれたら多分旭國は何をやっても勝てなかったんだと思います。
優勝決定戦の時も輪島に子供扱いされて凄い悔しがってたな~。旭国は輪島にはホンマに勝てなかったな~😮
この時代の大相撲は相当にガチでしたね。貴乃花はイケメンだったが弱かったから横綱になれなかった。千代の富士はイケメンだったから横綱になった。多分、千代の富士より遥かに強かった旭國は大関で終わった。双羽黒が解雇されて相撲を見るのを止めた。
「膵臓炎のために入院した病院のベッドから、稽古土俵に足を運ぶなど、相撲一途に生きてまいりました旭国…」
北の湖との全勝対決の日、ラジオから流れる「向坂松彦」アナウンサーの名調子を録音していました。
ヒール役の北の湖、黄金の左腕輪島、つりが得意な貴ノ花、とったりの旭国… 行司さんも呼び出しさんも、テレビのアナウンサーも、魅力的な個性を持った方が多くて、大相撲が最高のエンターテインメントだった時代でした。最高に楽しかった。
私の中で、旭国関は日本一のおすもうさんです。
魁傑関との10分にわたる大相撲は、感動的でした。
ありがとう大関💐
学校から帰ったら時間にはちょうど取り組みがあった地位だったので、旭國にはすごく親近感がありますね。よく稽古をして鍛えてるのはその体や取組からわかりました。まさにいぶし銀の力士でした。
昭和50年頃から大相撲を見始めた自分は、始めは下手捻り、とったり、けたぐりなど変わった技を使う、異能の小兵力士だと思っていました。
しかし、突き押しの相手には押しで対抗し、ピラニアと呼ばれた四つ相撲での粘りを見る内、しっかりとした基礎がある上で多彩な技も使える、むしろ職人的な力士だと段々とわかりました。
自身の優勝は叶わなかったが後に大島部屋の弟子である旭富士が叶えその他にも旭豊、旭鷲山、旭天鵬など個性豊かな関取衆を育てました。
現在は旭天鵬が大島部屋を再興させまた旭國のような力士が出ればいいなと思います。
旭國関、力士としても親方としても最高です。
物心ついた時、旭國関は既に大関でした。ですので、1977年秋場所の快進撃はよく覚えています。大横綱北の湖関が強すぎて、14勝でも優勝できませんでしたが、高見山関戦の内掛けや千秋楽の若三杉関戦での豪快な上手投げなど相撲が冴え渡り、優勝に等しい活躍でしたね。
お腹や背中の膏薬が示す通り、内臓疾患と闘った21場所だったと考えます。
引退場所も同期の横綱三重ノ海関と熱戦を繰り広げ、力を出し切った印象でした。師匠としても大成功でしたし、テレビ解説でも「相撲博士」ぶりを見せてくれました。
三重ノ海さん共々、もっともっと長生きしていただきたいです。
しぶとい小兵力士だと思ってましたがまさか大関になるとは思ってませんでした。大病を患って「土俵で死ねたら本望」という言葉でファンになりました。北の湖に全勝対決で敗れ14勝1敗の準優勝は本当に残念でした。負けたけど魁傑との熱戦は今でも鮮明に覚えています。
旭国さん、テレビ中継ではあまり見れなかったが、小兵で3年半も大関を守ったのは凄い❗昭和54年名古屋、貴ノ花と動き回って外掛けで勝った一番、覚えてる。小さいのに強いと思った!
旭国は相撲が本当に上手い
力士でしたね✌️旭国と魁傑の
戦いは迫力合ったわ~✌️
旭国は輪島だけには本当に
歯が立たんかったな~😁
かっての「サントリービール」のCMでは麒麟児さんと加山雄三が共演していた事を今でも良く覚えています。特に「あんたが主役!」の決め台詞が今でも好きです!😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂でも当の麒麟児さんは今はもう既に鬼籍に入ってしまいました!😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢思えば、北の湖さんと貴乃花さん並びに隆の里さんは今はもう既に鬼籍に入っています。😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢更に朝潮さんと寺尾さんと曙さんが鬼籍に入ってしまった事は今でも記憶に新しいところです!😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢そして旭国さんも好敵手(ライバル)達の後を追う様に、あの世へと旅立たれました!😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢今では当時の好敵手達と久し振りの再会をした旭国さん。今はもう既に、あの当時の思い出話を楽しむ一方、あの世にて設置された土俵にて(観客の前にて)久し振りの名勝負を披露しているだろうと思います。改めて合掌します!😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭
私が小学生の時大きな紙に旭国と大きく書いてTVの前で応援していました。
旭國は、引退後、大島部屋を興し多くの関取、旭富士、旭道山、旭豪山、旭里、旭鷲山、旭天鵬、旭豊、旭日松、旭大星等を育て、多くの孫弟子、照ノ富士、豊昇龍、翠富士、錦富士、宝富士、安美錦、熱海富士、明生、天空海等まさに名伯楽の印象があります✌️いつまでも長生きして欲しいと思います✌️
小さいからこそ、いっぱいいっぱい稽古したんでしょうね。素晴らしい力士でした
〝ピラニア〟であり、また『相撲博士』でもありましたよね‼️
ピラニア、相撲博士って、小学生の時、買ってもらった本にも書いてあった❗
膵臓を悪くしてもなお稽古を続けていた旭國は医者に「こんな身体で相撲とっていたら死んでしまう」と警告されたが「土俵の上で死ねるなら本望」と稽古をやめなかったという。
旭國さん、私を近しい親戚にして下さりありがとう。
顔も肉の付き方もにていて、誇りでしかありません。
私が生まれる頃には亡くなられていましたが、本当に誇りに思います
旭國まだ生きてまっせ
上腕の膨らみすごいな
相撲博士
輪島と優勝決定戦までいきましたね、北の湖と全勝対決で優勝まであと一歩でした。
背中に針お灸の絆創膏
引退した時は「もう見れぬこの膏薬」と新聞に載ってました。
郷里の北海道愛別町。
大雪山のふもとの小さな町です。
小さい身体で 1977 年9月場所、優勝は逃したものの大関で14勝したのは立派としか言いようがありません。
持病の膵臓炎がなければ、もう少し活躍出来たでしょう。
追悼
輪島との決定戦や北の湖との全勝対決など、あと一歩及ばなかったなあ
一度でいいから旭国の優勝を見たかった
同感です。素晴らしい力士だっただけに残念です😢
旭國関が現役時代掴めなかった賜盃は引退後師匠として手塩にかけて育て上げたのちの第63代横綱旭富士関が手にしています。
相撲博士、ピラニアと呼ばれた名力士。
病に苦しみながら、大関まで昇進しました。
大島部屋の親方として、旭鷲山や旭天鵬を育て上げました。
努力と根性の人だと思います。
相撲博士。
横綱旭富士も旭國の弟子ですよ
しぶとさでは初代貴ノ花と双璧だと思います。
輪島関は旭國関、鷲羽山関、千代の富士関のような小兵に対しては上手く取っていたが、デカい高見山関には苦戦していた。
あの頃同世代のライバルたちは物故した人が多い。輪島、貴乃花、魁傑、北の湖、金剛…。
旭国はすい臓炎と言う持病を持ちながら今も健在なのは立派。
横綱になれず幕内優勝はなかったが弟子の旭富士が横綱になり、旭天鵬も幕内優勝を果たした。他にも多くの関取を育てた。
親方としては第一級の名親方だったと言えよう。
旭國関のニックネーム「ピラニア」は第44代横綱栃錦関の「マムシ」にならっているのでしょうか。
ご冥福をお祈りします
技、粘りが、好きだったよ!
現伊勢ヶ濱親方の師匠でしたね。強いお方だったんですね。
この方がガチ格闘家力士・旭國です。
大相撲で立ち関節技を使った唯一の力士。
旭國関のニックネームは「ピラニア」(小兵ゆえに喰い付いたら離さないしぶとさから)
During his hay day, he was the PHd of Sumo; great wrestler
間違いがありました。昭和51年春場所千秋楽旭国vs貴ノ花のあと、輪島が北の湖に敗れ、2敗に並んだでは、なく、輪島が北の湖に勝利し、2敗で並んだでは?ないでしょうか?✌️
今の力士と根本的に違う。技のキレが半端ないm(_ _)m
旭国は得意の取ったりでお大関をとったり~。
相撲博士の異名を持つ、小さな大大関!
金城戦のとったりは、プロレス技の脇固めみたい。
ご冥福をお祈り申し上げます。
イメージ的には鶴竜や栃東に似てるかな。
大関に登った力士時代の実績もさることながら、大島親方となった後に旭富士という横綱を育てたこと、そして何より他部屋に先駆けてモンゴル人力士を入門させたことの方を特筆すべきでしょう。
自身が膵臓炎で苦しんだからこそ、同じ病を患った旭富士の指導にもその経験を活かせたと思います。
結果的に角界がモンゴル人力士に席巻されるきっかけを作ったことには功罪両方の評価があるでしょうが、大きな足跡を残したことは間違いありません。
その旭富士は伊勢ケ浜親方となり、横綱日馬富士、照ノ富士らを育てました
安美錦の師匠の師匠!
@@stofyuki3875 様
おっしゃる通りですね。大師匠の旭國同様、膵臓炎や理不尽な横綱昇進見送りなどの苦労を乗り越えた旭富士だからこそ横綱2人を育てるという快挙を成しえたんでしょうね。特に照ノ富士のまぎれもない奇跡の横綱昇進は師匠の旭富士、ひいては大師匠の旭國の存在なくしては絶対に語れませんね。
@@虎猫おじさん 様
そうですね。安美錦の大師匠、そして旭天鵬の元師匠でもあります。日馬富士や照ノ富士の陰に隠れがちですが、息長く現役を続けたこうした力士たちを育て上げた下地は旭國(安美錦の場合は旭富士を介して引き継がれたもの)の存在によるところが大きいでしょうね。
千秋楽で輪島は北の湖に勝ちました。杉山サン間違えてます
昭和52年秋場所千秋楽でしたら北の湖は輪島に勝って全勝優勝ですよ!
本当に間違えてます。杉山さんも間違える事があるんですね。
SUMO POWER !!!
この方、輪島にはからっきし駄目やったねぇ
輪島は小兵にはめっぽう強かったですね。
動画中に昭和50年秋に旭國が輪島に勝った一番が出てきますが、輪島の廻しを切り、両差しの速攻で寄り切り。旭國が輪島に勝つにはこの相撲しかなかったんでしょう。輪島に廻しを引かれたら多分旭國は何をやっても勝てなかったんだと思います。
優勝決定戦の時も輪島
に子供扱いされて凄い
悔しがってたな~。
旭国は輪島にはホンマ
に勝てなかったな~😮
この時代の大相撲は相当にガチでしたね。
貴乃花はイケメンだったが弱かったから横綱になれなかった。
千代の富士はイケメンだったから横綱になった。多分、千代の富士より遥かに強かった旭國は大関で終わった。
双羽黒が解雇されて相撲を見るのを止めた。