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懐かしい!この強さとイケメンっぷりに子供ながらドキドキしたなぁ💓
断髪された直後でしょうか…お若い上に元力士とは思えない整った体形、なによりイケメン❢❢親方稼業からのご勇退、ご苦労様でした。
ここでも少しありますが、北天祐関の一戦は仕切りから見入りました。必ずにらみ合いするので、見てる方も興奮しました。
大ファンでした。千代の富士に連勝した2番は涙が出ましたね。玉龍、大鉄あたりも作ってもらえないかなぁ
我が母校の誇りです。在校生の頃に全校朝礼で優勝報告に来ました。
こうしてみると男前な力士だなぁ!南海の黒豹、その名に恥じない獲物を狙う眼光でした。
若嶋津は晩年しか知らんが、横綱に上がるチャンスはあったんだな。
南海の黒豹。緑の廻しがトレードマーク。同郷(鹿児島県)の高田みづえと結婚。80年代を代表するイケメンマッチョ力士です。(筆頭は千代の富士)
ライバル北天祐との熱戦は手に汗を握りました。北海の白クマvs南海の黒豹
若嶋津、北天佑との熱戦、2回の優勝北の湖戦、昭和60年苦手の千代の富士に2連勝した相撲が印象に残る!
動画UPありがとうございます。相撲熱がよみがえりました。もっと若島津を掘り下げた動画作成、宜しくお願いいたします。
一般人の青年として見ても男前だな
84年は綱まであと1歩まで迫ったのに。夏場所がせめて10-5だったら、名古屋の全勝優勝で綱取りが成功したかも知れない。返す返す惜しまれるな。
さすがに10勝じゃ、綱取り無理ですよ。最低でも12勝以上を続けないと。
@@rinba11 当時と今は基準が違いますよ。3場所合計39勝なら議論の対象くらいになったと思いますよ。
キャプテン翼にも登場しましたね!
当時の横綱大関は左四つの力士が多く、がっぷり左四つでの好勝負が多かったですね。しかも大型力士が多い中、若嶋津関のみが長身ソップの体型。そんな大関が真っ向勝負で上位に挑む精悍な姿が良かったです。晩年は糖尿病で苦しみましたが、精一杯の相撲を見せ人気は衰えませんでしたね。
いえ、輪湖時代は左四つ一辺倒でしたが、千代の富士台頭後は、隆の里北天佑大乃国北尾と右四つの全盛期が始まりました。この時代は喧嘩四つの攻防が見どころの一つでしたが、一方で右のがっぷりが凄かったです。
そうでした。千代隆時代は北天佑関を含め右四つ主流で、琴風朝潮若嶋津の3大関が左四つ。新興勢力も保志関以外は右四つでしたね。若嶋津関と北天佑関の対戦は、若嶋津関十分の左四つになる事が多かった印象です。
「😂」
地力に傾斜した力士が多かった初代若乃花の弟子の中では異色の緻密な攻めと技能を持った力士。何年か登場が早ければ横綱もあったろうに…と思います。千代の富士(3勝25敗)と小錦(2勝10敗)への苦手意識は最後まで拭えなかったですね。
全盛期の若島津が今の土俵で相撲をとったらどんな活躍をされるか見てみたいです。
若嶋津は軽量ながら自分より体重がある相手でも立会から押し返す相撲がかなり目に付きました。これは千代の富士と同じく前みつを引き相手の腰を浮かせ自分の重心を下げる戦法が大きな要因でしょうが、立会から積極的にグイグイ行くと言う気持ちが強かったからだと思います。若隆景が足腰が強い割にいなしや叩きに対応が遅い様に見受けられるのは、立会からのグイグイとした攻めの気持ちが弱いのも一因と思います。強い大関或いは横綱を目指すのに若嶋津或いは千代の富士の相撲を参考にしたら良いかと思います。
同感です。実際は難敵相手に「粘り」の末に勝利することも多かったのですが、それも、技能に加えて立ち合いからの闘志・闘魂あってこそ。北の湖に(晩年とは言え)勝ち越していますが、このVTRは全盛期の若嶋津の真骨頂をしっかり示していますね。
もし若嶋津が横綱に昇進していたら三代目若乃花になっていたのかな?
高田みづえちゃんの旦那
すごぇ昭和だ高田みづえさんだんな🐹🐱
長い間お疲れ様でしたゆっくりしてください
高校の頃、クラス内でちょっとした相撲ブームがあり、千代の富士関を支持する奴、北天佑を支持する・・といたけど、私は若嶋津関を支持していました。
若島津健
若嶋津は取り組み相手と相性の良し悪しが激しかったなぁ🤔…北の湖には割と相性良く勝ってたが、千代の富士には殆ど勝てなかった。ライバル北天祐とはほぼ五分五分だったし、格下では出羽の花には苦しめられ、やはりほぼ互角だった🤔…
あと、琴風にも勝てませんでしたね。
若島津 強かった
同部屋で同期の大寿山と食事に行った際、太寿山は焼肉16人前を難なく平らげたのに対し、若嶋津も無理して同じくらい腹に詰め込んだら店を出た途端吐いてしまい「もう普通の人に戻りたい」と嘆いたとか。
強い!見応えあるな若嶋津関は千代の富士との取り組みが面白勝ったな
軽量だから一発で持っていかれるのも多かったし、いい勝負までは行ってもなかなか勝てませんでした。隆の里関のように千代の富士関の一発目凌いで長期戦に持ち込み戦法で連勝したがその後ケガと糖尿病残念でした。
足腰が相当強いみたい
東京の叔父さんに顔がそっくりだった
技量や才能は分からないが、琴風や北天佑、朝潮の中では横綱に最接近したと思う。全勝優勝の翌場所13日目まで2敗で、残り2番勝っていたら当時の基準なら昇進できたと思う。
こういう魅力がある方が今、殆どいらっしゃいませんね。寺尾関、舞の海関、若嶋津関、千代の富士関、貴ノ花関等々、今なら炎鵬関位でしょうか。
追伸… 本当にイケメン過ぎますね、若嶋津関、現高田川親方もダンディー、且つイケメンです。
北の湖の立ち会いが酷すぎる。
硝子坂
ゆるふんの度が過ぎでなければって思うけどなぁ毎回毎回ユルフンの人って取り組み後の見た目が悪いよね
朝潮もこの時点でまだ優勝してないですね
懐かしい!
この強さとイケメンっぷりに子供ながらドキドキしたなぁ💓
断髪された直後でしょうか…お若い上に元力士とは思えない整った体形、なによりイケメン❢❢
親方稼業からのご勇退、ご苦労様でした。
ここでも少しありますが、北天祐関の一戦は仕切りから見入りました。
必ずにらみ合いするので、見てる方も興奮しました。
大ファンでした。
千代の富士に連勝した2番は涙が出ましたね。
玉龍、大鉄あたりも作ってもらえないかなぁ
我が母校の誇りです。在校生の頃に全校朝礼で優勝報告に来ました。
こうしてみると男前な力士だなぁ!南海の黒豹、その名に恥じない獲物を狙う眼光でした。
若嶋津は晩年しか知らんが、横綱に上がるチャンスはあったんだな。
南海の黒豹。
緑の廻しがトレードマーク。
同郷(鹿児島県)の高田みづえと結婚。
80年代を代表するイケメンマッチョ力士です。(筆頭は千代の富士)
ライバル北天祐との熱戦は手に汗を握りました。北海の白クマvs南海の黒豹
若嶋津、北天佑との熱戦、2回の優勝北の湖戦、昭和60年苦手の千代の富士に2連勝した相撲が印象に残る!
動画UPありがとうございます。相撲熱がよみがえりました。もっと若島津を掘り下げた動画作成、宜しくお願いいたします。
一般人の青年として見ても男前だな
84年は綱まであと1歩まで迫ったのに。夏場所がせめて10-5だったら、名古屋の全勝優勝で綱取りが成功したかも知れない。返す返す惜しまれるな。
さすがに10勝じゃ、綱取り無理ですよ。
最低でも12勝以上を続けないと。
@@rinba11 当時と今は基準が違いますよ。3場所合計39勝なら議論の対象くらいになったと思いますよ。
キャプテン翼にも登場しましたね!
当時の横綱大関は左四つの力士が多く、がっぷり左四つでの好勝負が多かったですね。しかも大型力士が多い中、若嶋津関のみが長身ソップの体型。そんな大関が真っ向勝負で上位に挑む精悍な姿が良かったです。晩年は糖尿病で苦しみましたが、精一杯の相撲を見せ人気は衰えませんでしたね。
いえ、輪湖時代は左四つ一辺倒でしたが、千代の富士台頭後は、隆の里北天佑大乃国北尾と右四つの全盛期が始まりました。この時代は喧嘩四つの攻防が見どころの一つでしたが、一方で右のがっぷりが凄かったです。
そうでした。千代隆時代は北天佑関を含め右四つ主流で、琴風朝潮若嶋津の3大関が左四つ。新興勢力も保志関以外は右四つでしたね。
若嶋津関と北天佑関の対戦は、若嶋津関十分の左四つになる事が多かった印象です。
「😂」
地力に傾斜した力士が多かった初代若乃花の弟子の中では異色の緻密な攻めと技能を持った力士。何年か登場が早ければ横綱もあったろうに…と思います。
千代の富士(3勝25敗)と小錦(2勝10敗)への苦手意識は最後まで拭えなかったですね。
全盛期の若島津が今の土俵で相撲をとったらどんな活躍をされるか見てみたいです。
若嶋津は軽量ながら自分より体重がある相手でも立会から押し返す相撲がかなり目に付きました。これは千代の富士と同じく前みつを引き相手の腰を浮かせ自分の重心を下げる戦法が大きな要因でしょうが、立会から積極的にグイグイ行くと言う気持ちが強かったからだと思います。若隆景が足腰が強い割にいなしや叩きに対応が遅い様に見受けられるのは、立会からのグイグイとした攻めの気持ちが弱いのも一因と思います。強い大関或いは横綱を目指すのに若嶋津或いは千代の富士の相撲を参考にしたら良いかと思います。
同感です。
実際は難敵相手に「粘り」の末に勝利することも多かったのですが、それも、技能に加えて立ち合いからの闘志・闘魂あってこそ。北の湖に(晩年とは言え)勝ち越していますが、このVTRは全盛期の若嶋津の真骨頂をしっかり示していますね。
もし若嶋津が横綱に昇進していたら三代目若乃花になっていたのかな?
高田みづえちゃんの旦那
すごぇ昭和だ高田みづえさんだんな🐹🐱
長い間お疲れ様でしたゆっくりしてください
高校の頃、クラス内でちょっとした相撲ブームがあり、千代の富士関を支持する奴、北天佑を支持する・・といたけど、私は若嶋津関を支持していました。
若島津健
若嶋津は取り組み相手と相性の良し悪しが激しかったなぁ🤔…北の湖には割と相性良く勝ってたが、千代の富士には殆ど勝てなかった。ライバル北天祐とはほぼ五分五分だったし、格下では出羽の花には苦しめられ、やはりほぼ互角だった🤔…
あと、琴風にも勝てませんでしたね。
若島津 強かった
同部屋で同期の大寿山と食事に行った際、太寿山は焼肉16人前を難なく平らげたのに対し、若嶋津も無理して同じくらい腹に詰め込んだら店を出た途端吐いてしまい「もう普通の人に戻りたい」と嘆いたとか。
強い!見応えあるな
若嶋津関は千代の富士との取り組みが面白勝ったな
軽量だから一発で持っていかれるのも多かったし、いい勝負までは行ってもなかなか勝てませんでした。
隆の里関のように千代の富士関の一発目凌いで長期戦に持ち込み戦法で連勝したがその後ケガと糖尿病残念でした。
足腰が相当強いみたい
東京の叔父さんに顔がそっくりだった
技量や才能は分からないが、琴風や北天佑、朝潮の中では横綱に最接近したと思う。
全勝優勝の翌場所13日目まで2敗で、残り2番勝っていたら当時の基準なら昇進できたと思う。
こういう魅力がある方が今、殆どいらっしゃいませんね。寺尾関、舞の海関、若嶋津関、千代の富士関、貴ノ花関等々、今なら炎鵬関位でしょうか。
追伸… 本当にイケメン過ぎますね、若嶋津関、現高田川親方もダンディー、且つイケメンです。
北の湖の立ち会いが酷すぎる。
硝子坂
ゆるふんの度が過ぎでなければって思うけどなぁ
毎回毎回ユルフンの人って取り組み後の見た目が悪いよね
朝潮もこの時点でまだ優勝してないですね