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すげぇなこの人90年代の脇役力士10人分ぐらいの要素を全部持ってる…
栃赤城すごぉーい😱千代の富士があんなぶん投げられてるの初めてみた😱🐥
最後の千代の富士戦、寄ってくるのを見越して逆に助走をつけてのすくい投げ、考えた技にやられたという千代の富士の悔しさの様子が栃赤城の巧さを物語っている。
あの千代の富士があれほど激しく投げられたのを初めて見た。素晴らしい掬い投げですね。
昭和53年前後ですね。懐かしい対戦相手がいっぱいです。ちなみに栃赤城は通算戦績で千代の富士に勝ち越しています。
8−7
そうなんです。千代の富士が幕内に上がって10回以上対戦した力士の中で、数少ない負け越している力士ですね。
栃赤城関は地元のヒーローでした。対戦相手の方々も懐かしいですね
名前は知っていましたが、こんなに素晴らしい力士だとは存じませんでした。長生きしてほしかったですね!!!現代の力士も頑張って下さい。編集の皆さん楽しい動画ありがとうございました。
柔道経験者の力士は珍しくないと思いますけど、栃赤城ほど柔道的な相撲を取る人は珍しいですね。相手優勢のところから絶妙なタイミングでの小手とか足技でひっくり返す。この映像集でも相手が悔しがるシーンが多いのも頷けます。
元大関の魁傑の腰高も、いかにも柔道出身者らしかった
一番好きな力士でした。身体が柔らかく足腰が非常に良く、両手突きでもバランス崩さず前にほとんど落ちなかった。後ろに回られても余裕を感じる他に類を見ない力士です。栃赤城のような力士が出てこないかなぁとずっと思ってますが、いませんね。相撲観戦50年で、最も印象に残った力士です。ありがとうございました。
当時25歳前後で、凄い魅力のある力士が出た来たなあという思いで、観てました。ファンでしたよ。いや、いい映像観れました!!感謝です。
栃赤城関は子供の頃のヒーローでした。多彩な技の数々に惹かれました
土俵際の腰の強さは随一でしょうね。当時栃赤城の大ファンだった父に巡業で当地にやって来た時砂かぶりに陣取り塩を取りに来た栃赤城に、栃赤城!負けたら駄目だぞ!と声を掛けたらギョッとして父を見返して目があったら黙って塩を掴んで背を向けていかにも栃赤城らしい相撲で眼の前で勝ってくれたと子供のように目を輝かせて喜んでいた父の姿を思い出しました。毎場所楽しみにしていた好きな力士でした。
栃赤城の相撲が大好きでした。この人はとにかく右、右で下手取るか差せれば十分、半身になって相手の出てくるところを投げる相撲でしたね。いつの場所が忘れましたが、10勝5敗の星勘定で全て違う技で10勝したという、ほとんど寄り切りなどの決まり手が無かったのでケガしやすかったですよね。
栃赤城の何がすごいかというと、昭和55年前後、役者ぞろいの大相撲隆盛期にありとあらゆるタイプの上位力士に勝っているという驚き。
我が郷土の英雄でした!しかし最後の千代の富士戦は凄まじい。
いつも相手十分で勝ってしまう栃赤城。自分十分で相手に相撲をさせない取口で駆けあがるオオカミ。栃赤城が無事で幕内にいたらもっと相撲が楽しかった。両手突きを解説者にしかられ、窓を開けて寝ると師匠にしかられ、ちょっと変わったタイプだったけど、大好きだった。あらためてみると、立ち技というか柔道技というか、足首の負担が大きい取口だったのかな。いつも最後まであきらめずもがいてあがいて勝ち負けするから、面白かった。栃赤城関、ありがとうございました。
大好きな力士でした。実況アナウンサーから「さて、栃赤城は右半身ですが、これがこの人にとっては充分の形です」と言われていたことをよく覚えています。
50年以上相撲を見てきて未だに一番好きな力士です!半身になってからが真骨頂、身体が小さかった自分はよく真似して大きな身体の友達を投げ飛ばしたものです♪
栃赤城関は面白い相撲取りでしたね。特に最後の千代の富士戦は凄かったですねー。蔵間さんも男前。
全盛期は意外と短かったんだよね。大関取りのチャンスもあったけど、それを逃して僅か2年後には幕内と十両を往復するようになり、さらには幕下にまで落ちて…けど幕下に落ちてからけっこう長く頑張ってたのが印象に残っています。
引退のときは三段目まで落ちてたんじゃなかったでしたっけ?親方(元・栃錦)が亡くなったんで、そこで引退を決めたはず。「俺は、オヤジを慕って入門したんだ。これで思い残すことが無くなった」と言って引退したはず。引退して地元に戻って、そこで亡くなられましたね・・・。
@@hirokitakahashi7891 そうですそうです、出場はしなかったんですが現役最後の番付は三段目でした。Wikiの受け売りになりますけど幕下に落ちてからは師匠の付け人をやっていたそうです。実家の洋品店を継がれたんですが、若くして亡くなったのは本当に残念でした…。
栃赤城大好きでした❤何かしてくれるんじゃないかと取り組み見るのが楽しみでした。引退後も相撲界に残らず潔くていいなと思いました。
昭和57年初場所初日に北の湖に勝った時、大関候補復活かと思ったが•••••。しかし、掬い投げで千代の富士の頭を土俵に叩きつけるとは豪快すぎる。
金太夫、与太夫、筆の助、伊三郎😂行司も懐かしい!!特に与太夫、今聞いても何言ってるかわからん。
栃赤城の現役時代、大ファンでした。
技のデパートと言われた舞の海よりも栃赤城のほうが力強さを感じます。ただ人付き合いが好きでなかったことから年寄株を取得できませんでした。40代前半の早死には、本当に残念です。
肥満力士が多い現代と違い、細身で筋肉質の力士が多くスピード感に溢れ、見ててワクワクした時代。栃赤城、貴ノ花、鷲羽山、増位山、北瀬海、旭国らの業師は好きだったなぁ…あとは麒麟児と富士桜による意地の突っ張り合いも。
まったく同様のコメントを書くところでした。栃赤城の逆とったりや増位山の内掛け、金城の一本背負い等が好きでした。輪湖を中心とした相撲で一番面白かった時期でした。
@@m.kohji.7396 おっしゃる通りです。おー、金城ですか! 渋いですね😀巨体力士が押すだけ、叩いてバッタリ、の単純相撲が増えた現代相撲は、興味が薄れました…当時は土俵際での逆転技も多く、正にプロの技と技との応酬、って感じで、こういう動画には見入ってしまいます。
@@m.kohji.7396さん金城は一本背負いで勝つと、稽古場で元栃錦の春日野親方から一本背負いを食らっていた邪道の相撲で勝った罰だったらしい
@@ぴーすけ-g5d おっしゃる通りです。力士の体は格段に大きくなりましたが、単調な相撲ばかりで・・・この頃のスピード感と多彩な技の応酬が懐かしい。個性のある力士が少なくなったのが残念です。
@@居残り佐平次 栃錦と初代若乃花は厳格者だったですからね。今でも彼らが理事長だったら、相次いだ相撲界のゴタゴタも無かったでしょうし、「とにかく太って押せ!」ってだけの単純指導の相撲界でも無かった気がしています。
栃赤城力士懐かしくみさせて頂きましたーあの頃の力士は個性が強かったですね面白がったです
子どもの頃、この人の相撲が面白くて相撲中継を見始めました。
三重ノ海関や貴ノ花関が、栃赤城関に負けた時の「あっ」という何とも言えない表情が印象にあります。相手に背中を見せてからが栃赤城関の真骨頂でした。映像にはありませんが、1979年九州場所の3金星(二代目若乃花関、三重ノ海関、輪島関)獲得が素晴らしいです。負担の掛かる足首の故障のため、幕内上位で取ったのが4年弱だったのが惜しまれますね。
「勝った!」と思った瞬間に落とし穴に落ちるという負け方が印象強いですね。最後までどうなるか分からない、こういう取組はとても好きです。
オレも同じ柔道経験者といして親近感のある贔屓の力士さんでした。体幹のバランスが良くて、土俵の俵の上をまるで綱渡りみたいに周って勝機を掴む粘り腰にいつもハラハラドキドキしんがら見ていました😊
久しぶりに栃赤城の相撲堪能しました。ありがとうございます。
面白いですね…今の相撲とはスピード感と意気込みが違う気がします最後迄絶対に諦めない…素晴らしいです生で観たかった…顔ぶれも豪華ですね
高校の先輩です。柔道部でかなり活躍していましたが、まさか有名な関取まで出世されるとは思っていませんでした。随所に柔道に通じる技がありましたし、さらに上を期待されていましたが、稽古嫌いも有名で才能を開花させきれないとのことでした。たしか引退後は地元に戻り、家業の洋品店を引き継いでいたという記憶がありますが、急病により若くしてお亡くなりになりました。
見てると運動神経が良く器用で、柔道出身の力士かなと思えるなー。
逆とったりって、ちゃんと技の名前まであるとは思えん技笑こんなすごい力士がいたとは今まで知らなかった
まさに記憶に残る力士。大関候補だったが、あと一歩のところで届かず。とったり、さかとったり、小手投げなど、異端ではあったが相撲に夢中にしてくれた一人。
懐かしい映像ですね。最後の掬い投げとか「まさかのタイミングで、あれだけのスピード」さすがに千代の富士もあっけにとられた顔で、ホント対応できなかったのでしょうね昭和天皇が「実は、ひそかにファンだった」みたいな噂話も当時から、まことしやかに言われてましたしクラシック音楽が好きだった、というのも力士にでは珍しい方ですね。先日、旅立たれた、かつて寺尾さんが「60で若すぎる」と言われてましたが、栃赤城さんはt確か当時42歳でしたからね。あれだけの技、持った力士でしたから親方なって、長い期間、後進の指導してほしかった方ですね
ここで出てくる高見山戦のように、相手がとったりに行っていないのに結果的に逆とったりの形で決めることができるのは栃赤城しかいません。ゴルフ中の心筋梗塞だかで若くして亡くなられたのは残念です。
臀部から大腿の筋肉がすごいですね。北の湖や魁皇を思わせる下半身だ。最後の千代の富士、頭から一回転する千代の富士なんて初めて見た。
全盛期は短かったけど大好きな力士でした!節制が嫌いで若くして旅立ってしまったのは残念でした
後に回られても勝つ力士栃赤城、懐かしいです。
子供の頃だった昭和60年代に相撲に興味を持ったが、当時すでに栃赤城は幕下だった。相撲の本を読んでいくうちに昔は大活躍して大関候補にまでなってたことを最初は信じられなかったな。それほど晩年は全く全盛期の面影がなかった。
相撲が面白かった時代😢懐かしいね❤❤❤❤❤❤
色々アッと驚くすごい技の数々を堪能させていただきました。足のケガと糖尿病で幕内から十両そして幕下に行ってしまったのが残念でした。親方になってこれらの技を伝えていただきたかったとも思いました。急逝されてしまったのも残念でしたね。第二の栃赤城が出てこないかなあとひそかに思っております。素晴らしい動画ありがとうございました。
私は逆とったりという決まり手をこの力士で知った。
大旺戦が貴重。初めて見ました!千代の富士戦の掬い投げは何度見ても凄い。他五輪砕きの一番も見たかった。
子供の頃大好きな力士でした。今こんな多彩な決まり手やる人いないね
初めて「栃赤城」の存在を知りました。素晴らしい体幹!バランス感覚!
足腰の強さで逆転する相撲は本当に素晴らしかったけど、それに頼る相撲だったため、両足首を故障した1980年以降力が発揮できなくなり、最後の5年は十両にすら上がれずに廃業してしまった。当時のスポーツ新聞にあった、幕下以下の力士の星取表をピックアップする『注目の力士』欄に幕下に落ちた後の栃赤城がずっと載っており、最後まで人気は高かったと思う。
廃業した後、群馬県沼田市の実家で洋品店やってたようです。全盛期の頃、修学旅行のバスで実家の前を通過する際、ガイドさんが ここが、栃赤城関の実家ですと案内されました。なんで協会に残らなかったのか?
サーカス相撲。懐かしすぎる。
幼稚園時代から大相撲を見ているが、今も昔も一番好きな関取は「栃赤城関」。大相撲大百科には、手書きで栃赤城関のページにガンバレなんて書いていたぐらい。子供心にも強靭な足腰・体幹を活かした変則相撲に夢中になったものです。早世はとても惜しまれるけど、短い間でも栃赤城関の相撲に魅了され、楽しめたことは幸せに思う。
歴史上一番好きな力士です。
4:32 外無双見事。常に右半身。土俵で柔道をとった男。柔道でいうところの小内刈り(ちょん掛け)、小外刈り(すそ払い)何が飛び出すかわくわくした。
栃赤城さん、その取り口を知った時からずっと映像を見てみたかった力士です。生まれる前に引退してしまったので、リアルタイムでは見る事ができませんでした。この動画で色々見る事ができて嬉しいです!これだけ様々な相撲を見せてくれた栃赤城さん、色々なお話を聞いてみたかっただけに、早世されたのが惜しまれますね・・・。
素晴らしい👏栃赤城関名前は良く覚えてる。こんなに沢山の技で相撲ファンを楽しませてくれてたんですね。見応えのある素晴らしい動画でした。
半身になっても相手への圧力が変わらないのが凄い
動画の最後の昭和55年名古屋の千代の富士戦、両者とも勝ち越しがかかる一番だった。栃赤城は敢闘賞、千代の富士は技能賞。千代はこれが最後の平幕の場所となる。
この場所は平幕の千代の富士が翌年には横綱になるんだから凄いですね。
引退後に新聞記事で「大関になろうと思えばなれたけど、面倒だからまあいいやと思ったらやっぱりなれなかった」とありましたが、負け惜しみではなく実際に大関以上の力があったと思います。上位陣が栃赤城関と当たると目の色変えてましたよ。とにかくこの人の取り組みが相撲の最高の楽しみで、毎日土俵に上がるとどんな技が出るかワクワクして見てました。
三重ノ海はあの場所、栃赤城に負けた翌日から14連勝して、横綱に昇進しました。
破天荒なイメージがありましたね。一人こういうタイプがいてもいいですよね。
それは褒めすぎだよ前人未踏の偉業というほどでもない
面白いですね。昨今の相撲だと大体寄りきり、叩き込み、押し倒しになるのですが、このように多彩な決まり手が見られるのは栃赤城関ならではでしょうか。
右半身に全体重を描けるような相撲ですね(笑)とにかく右からの仕掛けばかり。超個性派ですね。それと今見ても千代の富士関の上手の取り方は見てて肩が怖い(笑)
舞の海や炎鵬といった小兵の業師とは違う魅力の業師だった。やっぱり相撲は色々な技が出るから面白い。
体格的には、旭鷲山や安美錦がまだ近いですかね(それでも栃赤城さんの方が大柄だけど)
すごい。今で言うと、投げの上手さと強さは豊昇龍のよう。背中を取られる無理な体勢からでも回転しながら冷静に技を繰り出す様は宇良のよう。独特の半身(はんみ)使い。決して押しが強くないけど、素早く下がって相手の出てくる力を利用して土俵際で勝つというビジョンが明確に見えているからこその取り口なのだろう。これは面白い。
相撲好きの昭和天皇がファンだった力士、対千代の富士8勝7敗の勝ち越しで新大関千代の富士からも初日に勝っている、アンパンが好きで糖尿病とサーカス相撲ならではの怪我で全盛期は54年の横綱3人を破った頃じゃないかな、晩年は幕下だが金星8個が場所中にもらっていたし親方の為に頑張っていた。印象です。
子供の頃に覚えた珍しい技の名前はほぼ栃赤城の相撲で知ったものですそうか、柔道の基礎があったのか。納得。
今も昔も個性ある力士がいますよね❤相撲界って不思議🎵人気が衰えませんねー🎉
栃赤城関はリクエストしてましたので、今回特集して頂き有難うございます。大旺関は初見でしたので嬉しいです。そろそろ昭和50年初場所と51年春場所を見てみたいです、宜しくお願いします。
素晴らしい技のデパートとはこの人の事でしょ.........(^^)
懐かしい懐かしい!往年の力士たちを見れて、大満足しました。それにしても。ソップがた力士が多かったですね。
たっぷりと栃赤城の業師ぶりを観れて懐かしく感激です 舞の海さんも技のデパートと呼ばれてましたが、栃赤城関の相撲はもっと楽しく観てました。相撲の勘と運動神経がこの人は並外れてたのでしょうね。それにしても昔の相撲を楽しめるのもRUclipsならではですね☺️ 有り難うございます❗️
相撲協会が「若手に悪影響が出るから技能賞は絶対にやらない」と決めてたとか
相撲を見始めた時、引退間近の幕下力士でした。元祖「技のデパート」だな(^◇^)
ちょうど10年前、マツコ有吉の怒り新党というテレビ番組で栃赤城の取組が取り上げられ、貴重な映像やエピソードが披露されました。特番だったため、かなり深く掘り下げた内容で、録画しなかったことを後悔しています。数年前に栃赤城の中学高校の先輩という方にお会いした際に、「禁煙して横綱より吸いまくって幕内」発言の話をしたら苦笑してました。昔から吸ってたみたいです。それにしても当時の取組はみんな勝利への執念が凄い。熱戦ばかりでそりゃ観客も大喜びですよ。
ボクが本当に小さい頃の相撲が多いですね。見ていて面白かったです。
片身からの攻めという変則的な相撲で怪我が多かったと聞いたことがあります。どの相撲にも、現代にはない必死さというか、土俵際怪我してもかまわんという最後まで諦めない相撲というか、今の力士たちにはないハングリー精神というものがひしひしと伝わる大相撲ばかりで、目を見張るものがあります。素晴らしいです。
昔はよかったと思いたいのでしょうが、認識が間違っていますよ。「大関になって苦労するくらいなら、幕内(関脇以下)のままで気楽に取りたい」と言うのが栃赤城の本音でしたから。いずれにせよ、現在の力士を下げるのは違いません?
栃赤城はヘビースモーカーで、「禁煙すれば、横綱も狙えるのに」と言われたのに対し「禁煙して横綱だったら、煙草を吸いまくっての幕内の方が良いです」と答えたらしいですね。
両手突きをいなされても前に落ちない足腰の強さ、誰もが大関は近いと思ったものです。同一門の横綱北の湖が苦手だったんですよね。逆とったりなんて技、この人によって知ったようなものです。
得意の型が半身w最初から逆手にキメる逆とったりは誰にも真似出来ないですね😊
「土俵際の魔術師」ファンだった私は勝手にそう呼んでいました😊
私が大相撲に興味を持ってから、初めて知った改名力士は栃赤城関でした♥️サーカス相撲魅力を感じ、増位山関と大関を争そった時がありました♥️サーカス相撲では、なく、まともな正攻法の相撲をとっていれば大関になれたと思ったのに、残念でした😭😭😭でも記憶に残る力士の1人でした♥️
記憶に残る力士
いや~ この人の相撲は本当に面白かったですね! 忘れられない力士の1人です❗️ ところでこの人は廃業で土俵を去ったのでしょうか?その頃はテレビで相撲観戦する時間がなかったので この人の最後の相撲を観れなかったのが残念です❗️
好きでした。😂
脱臼癖のある千代の富士にあの腕捻りはえげつない。そりゃ膝もつくよね
異能力士はおれども、この人はまさに唯一無二。糖尿病でなければ。。
北の湖戦だったか後ろを取られ俵まで押し込まれ決まったと思ったらそこからくるっと回って相手を押し出した相撲今でも覚えてる
初日に千代の富士をすくい投げで破った一番が印象的です。
新大関の場所ですね。
昭和の名力士 群馬の英雄 栃赤城
幼稚園から小坊のころ相撲に興味を持ち始めて、栃赤城の相撲で、色々な決まり手を覚えていけた。
いい奴だったね 稽古すると普通の力士の3倍くらい疲れる 俺は手があったから 巡業ではよく おしゃべりして いろんな話をしたな 50歳前で亡くなった 悲しいですね
土俵際の柔らかさや「負けない」しぶとさは今の力士達も手本にすべきですね~。
一時期、増井山と栃赤城と玉の富士が大関候補と言われて、栃赤城は大関になれると思ったんだけど、とうとう大関になれなかったね。年末に「今年の変わった決まり手・面白い相撲特集」放送されると半分以上が栃赤城だった。「サーカス相撲」は見ていて面白いけれども「こういう相撲をとるから怪我が多いんです」と言っていた親方もいた。
すごい相撲取りだったなあ。よくおぼえてますよ。すごかった。あと陸奥嵐と若浪もね。
逆とったりの名手。稽古場でも繰り返していたほど。しかし、基本がなっていないとして、技能賞は一度もない。それだけ独特の取り口だったということ。そもそも評価できる人間がいなかったということだ。ただ、足腰はかなり強い方ではないだろうか。逆とったりも、外無双、網打ちも凄く珍しい決まり手やし、腕捻りもなかなかない。若嶋津への切り返しも、小股掬いっぽいし。裾払いも千代大海がたまにやってるのを見るくらいでもう見ないなぁ。個人的には大逆手や波離間投げも好きやけど(笑)
栃赤城関レベルで、柔道技を大相撲の中で活かして戦ってる力士は未だに居ない。柔道経験者としては、いつの日かこんな力士が見てみたい。
あのときのハラハラドキドキ感が懐かしいです。でもケガのリスクも大でしたね。 令和の今、宇良に面白い相撲を期待しがちな私ですが、宇良関、くれぐれもケガのないように‼️😃
初めてファンになった力士。新聞の記事を切り抜いて保存したなぁ。
凄い体幹してますね。魁皇も同じような感じでしたね。
面白い。母の腹の中にいた時、祖父は自分の兄を預かりながら一緒にこの時期の相撲を見て待っていてくれたと思います。相手が悔しがるような土俵際にも強い力士ですね。腕捻り とったり、やられたら悔しい(≧口≦)ノ
すげぇなこの人
90年代の脇役力士10人分ぐらいの要素を全部持ってる…
栃赤城すごぉーい😱
千代の富士があんなぶん投げられてるの初めてみた😱🐥
最後の千代の富士戦、寄ってくるのを見越して逆に助走をつけてのすくい投げ、考えた技にやられたという千代の富士の悔しさの様子が栃赤城の巧さを物語っている。
あの千代の富士があれほど激しく投げられたのを初めて見た。素晴らしい掬い投げですね。
昭和53年前後ですね。懐かしい対戦相手がいっぱいです。
ちなみに栃赤城は通算戦績で千代の富士に勝ち越しています。
8−7
そうなんです。千代の富士が幕内に上がって10回以上対戦した力士の中で、数少ない負け越している力士ですね。
栃赤城関は地元のヒーローでした。対戦相手の方々も懐かしいですね
名前は知っていましたが、こんなに素晴らしい力士だとは存じませんでした。長生きしてほしかったですね!!!
現代の力士も頑張って下さい。編集の皆さん
楽しい動画ありがとうございました。
柔道経験者の力士は珍しくないと思いますけど、栃赤城ほど柔道的な相撲を取る人は珍しいですね。
相手優勢のところから絶妙なタイミングでの小手とか足技でひっくり返す。この映像集でも相手が悔しがるシーンが多いのも頷けます。
元大関の魁傑の腰高も、いかにも柔道出身者らしかった
一番好きな力士でした。身体が柔らかく足腰が非常に良く、両手突きでもバランス崩さず前にほとんど落ちなかった。後ろに回られても余裕を感じる他に類を見ない力士です。栃赤城のような力士が出てこないかなぁとずっと思ってますが、いませんね。相撲観戦50年で、最も印象に残った力士です。ありがとうございました。
当時25歳前後で、凄い魅力のある力士が出た来たなあという思いで、観てました。ファンでしたよ。いや、いい映像観れました!!感謝です。
栃赤城関は子供の頃のヒーローでした。多彩な技の数々に惹かれました
土俵際の腰の強さは随一でしょうね。当時栃赤城の大ファンだった父に巡業で当地にやって来た時砂かぶりに陣取り塩を取りに来た栃赤城に、栃赤城!負けたら駄目だぞ!と声を掛けたらギョッとして父を見返して目があったら黙って塩を掴んで背を向けていかにも栃赤城らしい相撲で眼の前で勝ってくれたと子供のように目を輝かせて喜んでいた父の姿を思い出しました。毎場所楽しみにしていた好きな力士でした。
栃赤城の相撲が大好きでした。
この人はとにかく右、右で下手取るか差せれば十分、半身になって相手の出てくるところを投げる相撲でしたね。
いつの場所が忘れましたが、10勝5敗の星勘定で全て違う技で10勝したという、ほとんど寄り切りなどの決まり手が無かったのでケガしやすかったですよね。
栃赤城の何がすごいかというと、
昭和55年前後、役者ぞろいの大相撲隆盛期に
ありとあらゆるタイプの上位力士に勝っているという驚き。
我が郷土の英雄でした!しかし最後の千代の富士戦は凄まじい。
いつも相手十分で勝ってしまう栃赤城。
自分十分で相手に相撲をさせない取口で駆けあがるオオカミ。
栃赤城が無事で幕内にいたらもっと相撲が楽しかった。
両手突きを解説者にしかられ、窓を開けて寝ると師匠にしかられ、ちょっと変わったタイプだったけど、大好きだった。
あらためてみると、立ち技というか柔道技というか、足首の負担が大きい取口だったのかな。
いつも最後まであきらめずもがいてあがいて勝ち負けするから、面白かった。
栃赤城関、ありがとうございました。
大好きな力士でした。実況アナウンサーから「さて、栃赤城は右半身ですが、これがこの人にとっては充分の形です」と言われていたことをよく覚えています。
50年以上相撲を見てきて未だに一番好きな力士です!半身になってからが真骨頂、身体が小さかった自分はよく真似して大きな身体の友達を投げ飛ばしたものです♪
栃赤城関は面白い相撲取りでしたね。
特に最後の千代の富士戦は凄かったですねー。蔵間さんも男前。
全盛期は意外と短かったんだよね。大関取りのチャンスもあったけど、それを逃して僅か2年後には幕内と十両を往復するようになり、さらには幕下にまで落ちて…けど幕下に落ちてからけっこう長く頑張ってたのが印象に残っています。
引退のときは三段目まで落ちてたんじゃなかったでしたっけ?
親方(元・栃錦)が亡くなったんで、そこで引退を決めたはず。
「俺は、オヤジを慕って入門したんだ。これで思い残すことが無くなった」
と言って引退したはず。
引退して地元に戻って、そこで亡くなられましたね・・・。
@@hirokitakahashi7891
そうですそうです、出場はしなかったんですが現役最後の番付は三段目でした。
Wikiの受け売りになりますけど幕下に落ちてからは師匠の付け人をやっていたそうです。
実家の洋品店を継がれたんですが、若くして亡くなったのは本当に残念でした…。
栃赤城大好きでした❤何かしてくれるんじゃないかと取り組み見るのが楽しみでした。引退後も相撲界に残らず潔くていいなと思いました。
昭和57年初場所初日に北の湖に勝った時、大関候補復活かと思ったが•••••。しかし、掬い投げで千代の富士の頭を土俵に叩きつけるとは豪快すぎる。
金太夫、与太夫、筆の助、伊三郎😂行司も懐かしい!!特に与太夫、今聞いても何言ってるかわからん。
栃赤城の現役時代、大ファンでした。
技のデパートと言われた舞の海よりも栃赤城のほうが力強さを感じます。
ただ人付き合いが好きでなかったことから年寄株を取得できませんでした。
40代前半の早死には、本当に残念です。
肥満力士が多い現代と違い、細身で筋肉質の力士が多くスピード感に溢れ、見ててワクワクした時代。
栃赤城、貴ノ花、鷲羽山、増位山、北瀬海、旭国らの業師は好きだったなぁ…
あとは麒麟児と富士桜による意地の突っ張り合いも。
まったく同様のコメントを書くところでした。栃赤城の逆とったりや増位山の内掛け、金城の一本背負い等が好きでした。輪湖を中心とした相撲で一番面白かった時期でした。
@@m.kohji.7396
おっしゃる通りです。
おー、金城ですか! 渋いですね😀
巨体力士が押すだけ、叩いてバッタリ、の単純相撲が増えた現代相撲は、興味が薄れました…
当時は土俵際での逆転技も多く、正にプロの技と技との応酬、って感じで、こういう動画には見入ってしまいます。
@@m.kohji.7396さん
金城は一本背負いで勝つと、稽古場で元栃錦の春日野親方から一本背負いを食らっていた
邪道の相撲で勝った罰だったらしい
@@ぴーすけ-g5d
おっしゃる通りです。
力士の体は格段に大きくなりましたが、単調な相撲ばかりで・・・この頃のスピード感と多彩な技の応酬が懐かしい。
個性のある力士が少なくなったのが残念です。
@@居残り佐平次
栃錦と初代若乃花は厳格者だったですからね。
今でも彼らが理事長だったら、相次いだ相撲界のゴタゴタも無かったでしょうし、「とにかく太って押せ!」ってだけの単純指導の相撲界でも無かった気がしています。
栃赤城力士懐かしくみさせて頂きましたーあの頃の力士は個性が強かったですね面白がったです
子どもの頃、この人の相撲が面白くて相撲中継を見始めました。
三重ノ海関や貴ノ花関が、栃赤城関に負けた時の「あっ」という何とも言えない表情が印象にあります。相手に背中を見せてからが栃赤城関の真骨頂でした。映像にはありませんが、1979年九州場所の3金星(二代目若乃花関、三重ノ海関、輪島関)獲得が素晴らしいです。
負担の掛かる足首の故障のため、幕内上位で取ったのが4年弱だったのが惜しまれますね。
「勝った!」と思った瞬間に落とし穴に落ちるという負け方が印象強いですね。
最後までどうなるか分からない、こういう取組はとても好きです。
オレも同じ柔道経験者といして親近感のある贔屓の力士さんでした。体幹のバランスが良くて、土俵の俵の上をまるで綱渡りみたいに周って勝機を掴む粘り腰にいつもハラハラドキドキしんがら見ていました😊
久しぶりに栃赤城の相撲堪能しました。ありがとうございます。
面白いですね…
今の相撲とはスピード感と意気込みが違う気がします
最後迄絶対に諦めない…素晴らしいです
生で観たかった…
顔ぶれも豪華ですね
高校の先輩です。
柔道部でかなり活躍していましたが、まさか有名な関取まで出世されるとは思っていませんでした。
随所に柔道に通じる技がありましたし、さらに上を期待されていましたが、稽古嫌いも有名で才能を開花させきれないとのことでした。
たしか引退後は地元に戻り、家業の洋品店を引き継いでいたという記憶がありますが、急病により若くしてお亡くなりになりました。
見てると運動神経が良く器用で、柔道出身の力士かなと思えるなー。
逆とったりって、ちゃんと技の名前まであるとは思えん技笑
こんなすごい力士がいたとは今まで知らなかった
まさに記憶に残る力士。大関候補だったが、あと一歩のところで届かず。
とったり、さかとったり、小手投げなど、異端ではあったが相撲に夢中にしてくれた一人。
懐かしい映像ですね。最後の掬い投げとか「まさかのタイミングで、あれだけのスピード」さすがに千代の富士も
あっけにとられた顔で、ホント対応できなかったのでしょうね
昭和天皇が「実は、ひそかにファンだった」みたいな噂話も当時から、まことしやかに言われてましたし
クラシック音楽が好きだった、というのも力士にでは珍しい方ですね。先日、旅立たれた、かつて寺尾さんが
「60で若すぎる」と言われてましたが、栃赤城さんはt確か当時42歳でしたからね。あれだけの技、持った力士でしたから
親方なって、長い期間、後進の指導してほしかった方ですね
ここで出てくる高見山戦のように、相手がとったりに行っていないのに結果的に逆とったりの形で決めることができるのは栃赤城しかいません。
ゴルフ中の心筋梗塞だかで若くして亡くなられたのは残念です。
臀部から大腿の筋肉がすごいですね。北の湖や魁皇を思わせる下半身だ。
最後の千代の富士、頭から一回転する千代の富士なんて初めて見た。
全盛期は短かったけど大好きな力士でした!
節制が嫌いで若くして旅立ってしまったのは残念でした
後に回られても勝つ力士栃赤城、懐かしいです。
子供の頃だった昭和60年代に相撲に興味を持ったが、当時すでに栃赤城は幕下だった。
相撲の本を読んでいくうちに昔は大活躍して大関候補にまでなってたことを最初は信じられなかったな。
それほど晩年は全く全盛期の面影がなかった。
相撲が面白かった時代😢
懐かしいね❤❤❤❤❤❤
色々アッと驚くすごい技の数々を堪能させていただきました。足のケガと糖尿病で幕内から十両そして幕下に行ってしまったのが残念でした。親方になってこれらの技を伝えていただきたかったとも思いました。急逝されてしまったのも残念でしたね。第二の栃赤城が出てこないかなあとひそかに思っております。素晴らしい動画ありがとうございました。
私は逆とったりという決まり手をこの力士で知った。
大旺戦が貴重。初めて見ました!千代の富士戦の掬い投げは何度見ても凄い。他五輪砕きの一番も見たかった。
子供の頃大好きな力士でした。今こんな多彩な決まり手やる人いないね
初めて「栃赤城」の存在を知りました。素晴らしい体幹!バランス感覚!
足腰の強さで逆転する相撲は本当に素晴らしかったけど、それに頼る相撲だったため、両足首を故障した1980年以降力が発揮できなくなり、最後の5年は十両にすら上がれずに廃業してしまった。
当時のスポーツ新聞にあった、幕下以下の力士の星取表をピックアップする『注目の力士』欄に幕下に落ちた後の栃赤城がずっと載っており、最後まで人気は高かったと思う。
廃業した後、群馬県沼田市の実家で洋品店やってたようです。
全盛期の頃、修学旅行のバスで実家の前を通過する際、ガイドさんが
ここが、栃赤城関の実家ですと案内されました。なんで協会に残らなかったのか?
サーカス相撲。懐かしすぎる。
幼稚園時代から大相撲を見ているが、今も昔も一番好きな
関取は「栃赤城関」。大相撲大百科には、手書きで
栃赤城関のページにガンバレなんて書いていたぐらい。
子供心にも強靭な足腰・体幹を活かした変則相撲に
夢中になったものです。早世はとても惜しまれるけど、
短い間でも栃赤城関の相撲に魅了され、
楽しめたことは幸せに思う。
歴史上一番好きな力士です。
4:32 外無双見事。常に右半身。土俵で柔道をとった男。柔道でいうところの小内刈り(ちょん掛け)、小外刈り(すそ払い)何が飛び出すかわくわくした。
栃赤城さん、その取り口を知った時からずっと映像を見てみたかった力士です。
生まれる前に引退してしまったので、リアルタイムでは見る事ができませんでした。
この動画で色々見る事ができて嬉しいです!
これだけ様々な相撲を見せてくれた栃赤城さん、
色々なお話を聞いてみたかっただけに、
早世されたのが惜しまれますね・・・。
素晴らしい👏栃赤城関名前は良く覚えてる。こんなに沢山の技で相撲ファンを楽しませてくれてたんですね。見応えのある素晴らしい動画でした。
半身になっても相手への圧力が変わらないのが凄い
動画の最後の昭和55年名古屋の千代の富士戦、両者とも勝ち越しがかかる一番だった。栃赤城は敢闘賞、千代の富士は技能賞。千代はこれが最後の平幕の場所となる。
この場所は平幕の千代の富士が翌年には横綱になるんだから凄いですね。
引退後に新聞記事で「大関になろうと思えばなれたけど、面倒だからまあいいやと思ったらやっぱりなれなかった」とありましたが、負け惜しみではなく実際に大関以上の力があったと思います。上位陣が栃赤城関と当たると目の色変えてましたよ。
とにかくこの人の取り組みが相撲の最高の楽しみで、毎日土俵に上がるとどんな技が出るかワクワクして見てました。
三重ノ海はあの場所、栃赤城に負けた翌日から14連勝して、横綱に昇進しました。
破天荒なイメージがありましたね。
一人こういうタイプがいてもいいですよね。
それは褒めすぎだよ
前人未踏の偉業というほどでもない
面白いですね。
昨今の相撲だと大体寄りきり、叩き込み、押し倒しになるのですが、このように多彩な決まり手が見られるのは栃赤城関ならではでしょうか。
右半身に全体重を描けるような相撲ですね(笑)
とにかく右からの仕掛けばかり。
超個性派ですね。
それと今見ても千代の富士関の上手の取り方は見てて肩が怖い(笑)
舞の海や炎鵬といった小兵の業師とは違う魅力の業師だった。やっぱり相撲は色々な技が出るから面白い。
体格的には、旭鷲山や安美錦がまだ近いですかね(それでも栃赤城さんの方が大柄だけど)
すごい。今で言うと、投げの上手さと強さは豊昇龍のよう。背中を取られる無理な体勢からでも回転しながら冷静に技を繰り出す様は宇良のよう。独特の半身(はんみ)使い。決して押しが強くないけど、素早く下がって相手の出てくる力を利用して土俵際で勝つというビジョンが明確に見えているからこその取り口なのだろう。これは面白い。
相撲好きの昭和天皇がファンだった力士、対千代の富士8勝7敗の勝ち越しで新大関千代の富士からも
初日に勝っている、
アンパンが好きで糖尿病とサーカス相撲ならではの怪我で
全盛期は54年の横綱3人を破った頃じゃないかな、晩年は幕下だが
金星8個が場所中にもらっていたし親方の為に頑張っていた。印象です。
子供の頃に覚えた珍しい技の名前はほぼ栃赤城の相撲で知ったものです
そうか、柔道の基礎があったのか。納得。
今も昔も個性ある力士がいますよね❤相撲界って不思議🎵人気が衰えませんねー🎉
栃赤城関はリクエストしてましたので、今回特集して頂き有難うございます。大旺関は初見でしたので嬉しいです。
そろそろ昭和50年初場所と51年春場所を見てみたいです、宜しくお願いします。
素晴らしい
技のデパートとはこの人の事でしょ.........(^^)
懐かしい懐かしい!往年の力士たちを見れて、大満足しました。それにしても。ソップがた力士が多かったですね。
たっぷりと栃赤城の業師ぶりを観れて懐かしく感激です 舞の海さんも技のデパートと呼ばれてましたが、栃赤城関の相撲はもっと楽しく観てました。相撲の勘と運動神経がこの人は並外れてたのでしょうね。それにしても昔の相撲を楽しめるのもRUclipsならではですね☺️ 有り難うございます❗️
相撲協会が「若手に悪影響が出るから技能賞は絶対にやらない」と決めてたとか
相撲を見始めた時、引退間近の幕下力士でした。
元祖「技のデパート」だな(^◇^)
ちょうど10年前、マツコ有吉の怒り新党というテレビ番組で栃赤城の取組が取り上げられ、貴重な映像やエピソードが披露されました。特番だったため、かなり深く掘り下げた内容で、録画しなかったことを後悔しています。
数年前に栃赤城の中学高校の先輩という方にお会いした際に、「禁煙して横綱より吸いまくって幕内」発言の話をしたら苦笑してました。昔から吸ってたみたいです。
それにしても当時の取組はみんな勝利への執念が凄い。熱戦ばかりでそりゃ観客も大喜びですよ。
ボクが本当に小さい頃の相撲が多いですね。見ていて面白かったです。
片身からの攻めという変則的な相撲で怪我が多かったと聞いたことがあります。
どの相撲にも、現代にはない必死さというか、土俵際怪我してもかまわんという最後まで諦めない相撲というか、今の力士たちにはないハングリー精神というものがひしひしと伝わる大相撲ばかりで、目を見張るものがあります。素晴らしいです。
昔はよかったと思いたいのでしょうが、認識が間違っていますよ。
「大関になって苦労するくらいなら、幕内(関脇以下)のままで気楽に取りたい」と言うのが栃赤城の本音でしたから。
いずれにせよ、現在の力士を下げるのは違いません?
栃赤城はヘビースモーカーで、「禁煙すれば、横綱も狙えるのに」と言われたのに対し「禁煙して横綱だったら、煙草を吸いまくっての幕内の方が良いです」と答えたらしいですね。
両手突きをいなされても前に落ちない足腰の強さ、誰もが
大関は近いと思ったものです。同一門の横綱北の湖が苦手だったんですよね。
逆とったりなんて技、この人によって知ったようなものです。
得意の型が半身w
最初から逆手にキメる逆とったりは誰にも真似出来ないですね😊
「土俵際の魔術師」ファンだった私は勝手にそう呼んでいました😊
私が大相撲に興味を持ってから、初めて知った改名力士は栃赤城関でした♥️サーカス相撲魅力を感じ、増位山関と大関を争そった時がありました♥️サーカス相撲では、なく、まともな正攻法の相撲をとっていれば大関になれたと思ったのに、残念でした😭😭😭でも記憶に残る力士の1人でした♥️
記憶に残る力士
いや~ この人の相撲は本当に面白かったですね! 忘れられない力士の1人です❗️ ところでこの人は廃業で土俵を去ったのでしょうか?その頃はテレビで相撲観戦する時間がなかったので この人の最後の相撲を観れなかったのが残念です❗️
好きでした。😂
脱臼癖のある千代の富士にあの腕捻りはえげつない。そりゃ膝もつくよね
異能力士はおれども、この人はまさに唯一無二。
糖尿病でなければ。。
北の湖戦だったか後ろを取られ俵まで押し込まれ決まったと思ったらそこからくるっと回って相手を押し出した相撲今でも覚えてる
初日に千代の富士をすくい投げで破った一番が印象的です。
新大関の場所ですね。
昭和の名力士 群馬の英雄 栃赤城
幼稚園から小坊のころ相撲に興味を持ち始めて、栃赤城の相撲で、色々な決まり手を覚えていけた。
いい奴だったね 稽古すると普通の力士の3倍くらい疲れる 俺は手があったから 巡業ではよく おしゃべりして いろんな話をしたな 50歳前で亡くなった 悲しいですね
土俵際の柔らかさや「負けない」しぶとさは今の力士達も手本にすべきですね~。
一時期、増井山と栃赤城と玉の富士が大関候補と言われて、栃赤城は大関になれると思ったんだけど、とうとう大関になれなかったね。
年末に「今年の変わった決まり手・面白い相撲特集」放送されると半分以上が栃赤城だった。「サーカス相撲」は見ていて面白いけれども「こういう相撲をとるから怪我が多いんです」と言っていた親方もいた。
すごい相撲取りだったなあ。よくおぼえてますよ。
すごかった。あと陸奥嵐と若浪もね。
逆とったりの名手。稽古場でも繰り返していたほど。
しかし、基本がなっていないとして、技能賞は一度もない。それだけ独特の取り口だったということ。そもそも評価できる人間がいなかったということだ。ただ、足腰はかなり強い方ではないだろうか。
逆とったりも、外無双、網打ちも凄く珍しい決まり手やし、腕捻りもなかなかない。若嶋津への切り返しも、小股掬いっぽいし。裾払いも千代大海がたまにやってるのを見るくらいでもう見ないなぁ。
個人的には大逆手や波離間投げも好きやけど(笑)
栃赤城関レベルで、柔道技を大相撲の中で活かして戦ってる力士は未だに居ない。柔道経験者としては、いつの日かこんな力士が見てみたい。
あのときのハラハラドキドキ感が懐かしいです。でもケガのリスクも大でしたね。
令和の今、宇良に面白い相撲を期待しがちな私ですが、宇良関、くれぐれもケガのないように‼️😃
初めてファンになった力士。新聞の記事を切り抜いて保存したなぁ。
凄い体幹してますね。魁皇も同じような感じでしたね。
面白い。母の腹の中にいた時、祖父は自分の兄を預かりながら一緒にこの時期の相撲を見て待っていてくれたと思います。
相手が悔しがるような土俵際にも強い力士ですね。腕捻り とったり、やられたら悔しい(≧口≦)ノ