最近、ベートーヴェンが亡くなる3ヶ月前の1826年12月18日にベートーヴェンにショット社書き送った手紙を読みました。直近でのベルリンでの第九の演奏の成功の大部分はメトロノーム指定のおかげであるとし、「もはやテンポ・オルディナーリオ(普通のテンポ)の時代は終わりました。これからの音楽は自由なひらめきを尊重すべきなのです」と述べています。 こういう手紙を見ると、ベートーヴェンが楽譜にわざわざ書き込んだメトロノーム指定はとても重要な意味を持つと考えられます。というわけで、最近、実はノリントンみたな演奏が本来のベートーヴェンに近いのでは?と考えるようになった次第です。ですが、さすがに第五の第1楽章をリピートありで6分11秒程度で演奏するのは速いですね。Allegro con brioというよりPrestです笑
深い洞察、いつも楽しく拝見させていただいています。
ストックホルム盤とパリ盤は聴いたことがなく興味を持ちました。
1950年コペンハーゲン盤のフィナーレで、インテンポを保とうとしているのに我慢しきれずどんどん加速していく様に堪らない興奮を覚え、巨匠最晩年の至芸と猪突猛進型が入り乱れた不思議な演奏に感銘を受け愛聴盤になりました。
1954年5月23日Berlin盤は、神々しさとスケールの大きさに力感が共存した自分の最も感銘を受けた第5交響曲の演奏です。
今日、パリ盤を取り寄せて聴いてみました。
この演奏も素晴らしい魅力があり痺れました。
素晴らしい演奏を教えていただきまして、ありがとうございます。
先生のご意見に賛成で、名盤ガイドに頼らず自分の感性に刺さる演奏を大切にすべきだと共感します。
ありがとうございます。どうしても、今だにどこか「ベスト盤を決める、選ぶ」といった考え方が残っていますが、フルトヴェングラーの第五を聞いてゆく中でもそれぞれ違いがあり、ユニークな表現が聞かれ、感銘度にも色々な差が出ていると思います。聞き手の側の嗜好も変わりますし、今後も繰り返し聞いていきたいと思います。
恥ずかしながらパリライヴは今まで何となくしか聴いていませんでした。さっそくじっくり再聴してみます。
ぜひ! もしフランス協会製CDが見つかったらラッキーですね。
聴いているベートーヴェンの第5交響曲は、クラシック党の主人のコレクションのうち
1.フルトヴェングラー/ヴィーンフィルの1954年のEMI盤
2.クレンペラー/フィルハーモニアの1959年のEMI盤
が特に気に入っています。
共通点は、どちらもスローテンポでどっしりとしているところです。
クレンペラーは文字通りインテンポですが、フルトヴェングラーはテンポに動きがあって第4楽章でテンポを落とすところが大好きです。
Ferdinand Grossmann(1887-1970)が指揮したモーツァルトの戴冠ミサのAngus deiの後半の“Dona nobis pacem”と同じで、テンポを落としたことによって細部が明瞭になったのと同時に、35分の作品が壮大な交響曲になっています。
主人は私と違い、Rafael KubelikやMichael Gielenのように怒涛のようなタイプの方がいいそうです。
自称・ブライトクランク(疑似ステレオ)研究家でもある主人は「HMV(英EMI)とエレクトローラ(独EMI)は1954年には一部アーティスト限定で4チャンネルステレオ録音の試験運用を開始していた」と言っています。
もしこれが本当ならば、プロデューサーは当時のスター指揮者であるフルトヴェングラーのセッションをステレオで行わなかった理由が謎として残ります。
ちなみに、英EMIによるクレンペラーの1955年録音のベートーヴェンの第3交響曲と第5交響曲はステレオ録音に失敗し、成功したのは第7番だけだったそうです。
こんばんは。ひとつ質問いたします。
>41:56「パリで聴いたジュリーニのヴェルディ《レクイエム》は凄かった。終演後の拍手も一番激しかった」との事ですが、オーケストラはパリ管弦楽団でしたでしょうか?
はい、1998年の一月、パリ管弦楽団で三公演、全部聴きました。ホール中スタンディングオーベーションというのはあの時初めてみました。ジュリーニとパリ管、非常に相性が良かったと思いますが、正式な録音はされませんでしたね。
@@atm-naokimusic
羨ましい! ジュリーニが指揮から引退する少し前の「レコード芸術」に、フランス在住の日本人の方が、「ジュリーニとパリ管の妖しい関係」と題するレポートを寄稿した事があるほど、ジュリーニとパリ管弦楽団は相性が良かったらしいんです。でもジュリーニは録音嫌いだったんですよ(ロス・フィルと共に来日した折のインタビューでの発言。インタビュー掲載誌は「週刊FM」、インタビュアーは今も音楽評論家として活動している吉井亜彦氏だったと思います)。なので、正式な録音は勿論、放送局によるライブ録音も恐らく皆無だろうと思います。どちらの場合もジュリーニが許可しなかったと思われます。
今回の動画の本題であるフルトヴェングラーの《運命》ですが、僕自身は、ローマ・イタリア放送交響楽団を指揮した演奏に興味を持ちました。カラヤンとの関係からフルトヴェングラーという名前からは「呪い」とか「怨念」といった言葉を連想してきた僕としては、そういうダークな先入観を覆すとまではいかないにしても、「へえー、イメージ変わるなあ」と感じさせる演奏があれば聞きたい、と思っていたので。
@@宏彦盛 さん、はい、メジャーレーベルではジュリーニ/パリ管弦楽団のコンビは録音されませんでした。ただラジオの中継は行われていましたので、ジュリーニもパリ管に限らず、各種のコンサートのライブが残されています。パリ管でのヴェルディ:レクィエムも1992年のライブがCD-Rとして公開されています。ただ、自分が聞いた1998年の演奏、なんとしても聞いてみたくて、この録音ずっと探していたのですが、ようやくフランス在住の方から録音を提供されたのですが、一聴して幻滅。それには理由も色々あるのですが、やはり会場で聞いた時の感銘は「一期一会」なのだな、と感じました。
1954年のパリ公演での運命について、吉田秀和さんは「二つの音楽会」というエッセイで感想を書いています。「本当にすごかった」と、演奏の印象だけでなく、吉田さんらしい筆致でステージや聴衆の様子まで記され貴重な記録となっています。私はちくま文庫の「音楽の旅・絵の旅」で読みましたが、残念ながら絶版のようです。中古本は入手やすそうですが。
「音の旅・絵の旅」は吉田秀和の著作の中でも自分が好きなもののひとつです。ただ具体的に第五や未完成の演奏論評があったかどうか… もう一度読み直してみます。
@@atm-naokimusic ちくま文庫版の「音楽の旅・絵の旅」は、同名の書と「音楽の光と翳」の二冊を一冊に収めています。「二つの音楽会」は「音楽の光と翳」にあります。確かに初日の感激が大きかったからか、吉田さんがパリ公演二日目の「運命」について書いたものは少ないですね。
最近、ベートーヴェンが亡くなる3ヶ月前の1826年12月18日にベートーヴェンにショット社書き送った手紙を読みました。直近でのベルリンでの第九の演奏の成功の大部分はメトロノーム指定のおかげであるとし、「もはやテンポ・オルディナーリオ(普通のテンポ)の時代は終わりました。これからの音楽は自由なひらめきを尊重すべきなのです」と述べています。
こういう手紙を見ると、ベートーヴェンが楽譜にわざわざ書き込んだメトロノーム指定はとても重要な意味を持つと考えられます。というわけで、最近、実はノリントンみたな演奏が本来のベートーヴェンに近いのでは?と考えるようになった次第です。ですが、さすがに第五の第1楽章をリピートありで6分11秒程度で演奏するのは速いですね。Allegro con brioというよりPrestです笑
第九のメトロノーム表示は非常に興味の持てる話題です。一方で過度の難聴だったベートーヴェンが、果たしてオーケストラの演奏ぶりをどう聞いて判断したのか、「ベルリンでの成功」というのが何を示すのか具体的に検証してみたいです。
多分、奏者のボウイングを目で見て判断していたんですかね。弦楽四重奏曲第12番のヨーゼフ・ベームの再演時にこんなエピソードがあります。
ベートーヴェンは部屋の一隅にうずくまって、何も聴こえないのに、ただ緊張した注意力で弓使いを目で追い、テンポ、リズムのいささかの乱れにも注意して進めていった。終楽章の終わりで“メノ・ヴィヴァーチェ”(ヴィヴァーチェよりもゆっくりと)と指定されている箇所をベームは自分の解釈で同じテンポで弾いていくと、ベートーヴェンは最後の弓を弾き終えた時、“その通りにしてよろしい”と言って、譜面台の所に行って“メノ・ヴィヴァーチェ”の指定を消してしまった。
1回目に続いて、2回目も楽しく聴かせていただきました。
聴き直してみると、1952のローマでの演奏(LP フォンタナPL1020)や
1954/2ー3月のEMIへの録音(LP(2) EMI AA8188-89)等、若いころは
あまり聞かなかったのですが、今聞くと、ゆったりと落ち着いていて
何か安心して聴ける演奏に聞こえてきました。年取ったせいかな。
今回も楽しく拝見しました。フルトヴェングラーのベートーヴェン5番は4~5種類しか保有しておらず、いつかはすべて揃えたいものです。来週の田園も楽しみにしています。
ところで関係はないのですが月曜日にオペラシティで準・メルクル指揮の台湾フィルのコンサートに行きました。久しぶりのコンサートだったので楽しく聴けました。1曲目に海が演奏されましたが、個人的に演奏会で聴くのは初めてでこの曲は指揮者にとってバランスを整えるのが難しいのでは?と思いました。常日頃CDで聴いているのはそれぞれの楽器がうまく聞こえるように調整しているのが分かりますが、実演では特に聴いている者には、あれっこの部分のチェロはこんな小さな音だったのかとか逆の場合もあり、CDで作られた音楽と生演奏の音楽の(バランスの)違いに驚きました。
はい、会場で聞く演奏の面白さはまた格別です。日本のファンからの論評もこちらに入ってきていますよ。
とても楽しく拝見させていただきました。
私事で恐縮ですが、私は長らくハ短調交響曲が好きになれませんでした。
なにせ、初めて聴いたのが、ブーレーズ指揮ニューフィルハーモニアの「あの」演奏だったのですから(たまたま家にあっただけなのですが、初心者には敷居が高すぎました)。
その良さを理解できたのが、1997年ころになってからでした。
ようやく世評に名高いクライバーVPOのCDを手に入れたのです(それまでどうしてこれを耳にしなかったのか、不思議ですが)。
このクライバーの演奏で、ようやく第1楽章の基本動機が「タタタター」ではなく「(ン)タタタター」であること、「(八分)休符もしっかり演奏されなければならないのだ」ということが、自分なりに理解できました。
今では、フルトヴェングラーはもとよりカラヤン、バーンスタイン、クリュイタンスその他色々聞くようになり、現在ではクレンペラー(ハ短調に限らず)を好んで聴いています。
先日マエストロがクレンペラーを取り上げてくださったことは、とても嬉しかったです。
ぜひいずれ、またクレンペラーの解説をお願いしたく存じます。
コメントありがとうございます。最初の出会いがブーレーズ盤! あれはあれでユニークなレコードだと思いますが、最初に触れる演奏としては確かに微妙なところがあるかもしれません。その後正統派の素晴らしい数々の演奏をお聞きになられたのですね。クレンペラーは夏休み以降シリーズ化します。最近じっくりレコードを聴く時間を取れないもので… 今後をご期待ください。