日本海軍もう一つの九九艦爆?!中島十一試艦上爆撃機!!【ゆっくり解説】【第53回】

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  • Опубликовано: 18 ноя 2024

Комментарии • 26

  • @ゆーぞー-k1j
    @ゆーぞー-k1j Год назад +4

    超大作。ご馳走様です。

  • @小澤剛一郎
    @小澤剛一郎 10 месяцев назад +1

    この中島11試艦爆の日本機には珍しい主脚の収納法は後の中島キ-87戦闘機にも採用されてるわよね。

  • @西風太
    @西風太 Год назад +5

    11式試爆の写真を初めて見ました。
    よく写真が生き残っていたなと思いました。

  • @黑き史
    @黑き史 Год назад +10

    中島機が採用されていたら艦載機全てが引込み脚の近代的な編成編隊で真珠湾に殺到したのに―思うと、残念な気持ちになる。

  • @rohikimyao6832
    @rohikimyao6832 Год назад +4

    主脚そのものをダイブブレーキに使う設計ってことは普段は脚を収納して飛行し急降下中は脚を出すってこと?

    • @森伯
      @森伯 Год назад +3

      脚出しは他の機体でもやってた結構メジャーな機動でF4Uなんかは空戦中や爆撃時に速度を下げる為に脚出しをしてたし
      ドイツのエースであるマルセイユも速度を下げて旋回半径を小さくするためにフラップで足りない時は脚を出していたそうです

  • @杵築堀吉
    @杵築堀吉 Год назад +20

    納品時期が遅れなかったら九七式みたいに九九式2号艦爆になってたかも?

  • @mituami_megane
    @mituami_megane 7 месяцев назад

    知らないことばかりでとても面白かったです
    ありがとうございます

  • @田中一朗-y2b
    @田中一朗-y2b Год назад +4

    これが採用されていたら、ミッドウェーその他で海上不時着死した搭乗員の何割かは助かっていたかも

  • @DELLSEEKA
    @DELLSEEKA Год назад +3

    中島のウィークポイントは、搭載エンジンを自社製に拘った事が大きい。
    後の「天山」の時も拘ったが、性能、信頼性不足から三菱「火星」に換装させられ12型となった。
    愛知は基本、自社開発エンジンが無かった為、性能、品質等で自由に選択出来た事が大きい。

  • @masa695
    @masa695 5 месяцев назад

    艦爆はサブ任務に対空戦も入る強度と馬力荷重、翼面荷重が要るから
    あと空力で水平尾翼下の胴体部の面積あったほうが安定する理論があったような
    なので良くメッサーの小さい尾部が反面教師的に出てくる

  • @田中一朗-s2c
    @田中一朗-s2c 8 месяцев назад

    のちに川西の副社長に天下りする全金属製のノースロップガンマを見た前原中将が『これはいかんわい』と絶句したそうな。
    ノースロップガンマは進化を続けてドーントレスとして完成する。 設計には最初から、あのエド・ハイネマンがかかわっている。
    エンジン選択失敗と、凝り過ぎた脚周りが敗因のような気がするし、採用されても主翼折り畳み位置が先で空母搭載数が減ったかもしれない。

  • @janjapan1689
    @janjapan1689 6 месяцев назад

    誉を積んでいた頃の写真が残っていれば良かったのに。

  • @grbx102
    @grbx102 Год назад +5

    エンジンテスト機が手元にあったからこそ、実機データを活かした疾風とカタログデータで設計された烈風で実戦化までのスピードに大きな差になったんでしょうね。
    それにしても、海軍の選択によっては九九式艦爆がアメリカ的なSBDの様な機体(SBDは元はノースロップ)になったかもしれず、ほんと歴史ってのは面白いですね。

  • @fbywj730
    @fbywj730 Год назад +4

    艦爆という設計に強度が求められる機種だったので
    様々なテストヘッドに利用されたのかもしれないですね。

  • @t16-b1w
    @t16-b1w Год назад +6

    面白かったです。敗者には敗者の戦場や活躍があったところとか。

  • @makoto7192
    @makoto7192 8 месяцев назад +1

    昭和10年ごろは羽布張りの複葉機しかなかったのに15・16年ごろの戦争間近になってから全金属性の引込脚式の航空機を次々に生産していたんだね。それも日本独自軽量の超々ジュラルミンをも開発しているんだ。
    当時アメリカでは自動車もろくに作れない日本が、劣化コピー版の武器しか作れないだろうと、そんな立派な飛行機が作れる作れる訳がないと考えていたから。戦争になっても簡単にひねりつぶせると考え、日本に圧力をかけ続けていた。
    ところが真珠湾での攻撃の仕方、航空機の立派な機体をみてぶったまげたらしいのと相当慌てたらしい。
    ゼロ戦が初めて実戦に出た中国の重慶へ爆撃機の護衛で行ったとき、アメリカから傭兵として行っていたフライングタイガーの隊長が、日本にはえらい性能の良い戦闘機があるとアメリカ本国に情報を送ったときに、日本がそんな優秀な航空機を作れるわけがなとして取り合わず、真に受けず握りつぶした経緯があったらしい。

  • @syrah_z5011
    @syrah_z5011 Год назад +4

    面白かったです。日本機は諸外国に比べてエンジンを新世代に換装して使う、という運用が少なかったように思うので栄や誉を積んだ実験機がどれだけ性能向上しているのか気になりました。

  • @studio-gv6ud
    @studio-gv6ud 10 месяцев назад

    90°主脚を曲げて格納できる脚といえばキ87もありましたね。動作不良で5度のトラブルで当時の日本には技術的にできなかったと結論付けられる機体ですが、同じ中島だったのだから脚が問題じゃなかったんでしょうね。好きな機体なのでいつか考察してください。

  • @青木泰樹-t6u
    @青木泰樹-t6u Год назад +2

    金星を中島に積めよ…

  • @sagammin-ch
    @sagammin-ch Год назад +2

    宵月ちゃん待ってたよprpr! これ、金星を積んでれば海軍が降下速度を撤回するだけの最高速出せたんじゃね?と思うとなんかもったいなかったなと思う。

  • @三浦英則
    @三浦英則 Год назад +3

    中島11試艦爆が『栄、誉』のテストベットとして運用されていたとは😮初耳。自分の記憶では、97艦攻で『栄、誉』の様々なテストを実施していたと読んだ記憶があるなぁ。単排気管の実験も97艦攻で実験して『約20㎞/h』の増速効果を確認したと読んだ記憶がある。マァ、テストベットは複数あった方が好都合だからね。単排気管のテストは中島が先行してたのに、採用が零戦が先なのよね。隼はわざわざ、推力式集合排気管を2型で採用、3型でヤット推力式単排気管を採用。レトロフィットで2型にも改修排気管を採用(1944年以降)増速効果は知ってるのに陸軍は中々採用しないんだよねぇ。疾風でも試作機は推力式集合排気管でテストしてるんだよねぇ。余談、疾風の公式カタログ最高速度は、推力式集合排気管でのデータ(しかも誉11型相当の離昇1800馬力)の624㎞/h。推力式単排気管にすれば単純計算で640㎞/h以上になるんだよね。