Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
大黒天は笠間稲荷に、若日子の祠も茨城県にありましたよ。関東では機織り女に馬鞍を投げつけ、機織りの貫が大切なとこに刺さりなくなったって話がありますw
茨城県だと邇邇芸になるんですよね。ホツマツタヱでも阿遅鉏高日子根神と邇邇芸で役割が変わりますね。常陸風土記といい、茨城県もなにかありますね!
アジスキタカヒコネとアメノワカヒコのお話ありがとうございます。よく調べられましたね!感心しました。神話として下照姫を挟んで愛を感じるお話です。大切にしたい信仰です。どちらがオリジナルだとか元だとか不毛な議論は望みません。受け継がれてきた事を尊重します。本編ご指摘の阿波説との比較については同調します。記紀に記された神話を元に各地で信仰されてきた神様を探ると移り変わる 勢力の変遷が見えてきます。 古代史にハマるきっかけでした。アジスキタカヒコネはそのはじめでした。面白いですよね!神様辿るのって…今後ともよろしくお願いします。
コメントありがとうございます。神話部分は考察多めになりますが、こんな考察もあるんだと思って頂けると幸いです🤗今後も宜しくお願い致します🙇
下照姫の歌は面白い❣興味深い考察でした😄
先生!動画見て頂きありがとうございました。阿遅鉏高日子根神は徳島県に祀られている神社が気になり、猿田彦?とも考えてたりして未だに沼にハマってます。
@@castleman4502 さん 先に生まれてるだけやし😁目から鱗の歴史沼チャンネル🤣賀茂は面白いよね😅阿波には「加茂」地名が多いねぇ🤔徳島西部⇒高知と旧那賀郡の加茂谷(この地区はほぼ同範囲で「丹生谷」でもある。)又、蛭子ヒルコ神社を中心とするヒルコ信仰が広がる『阿波國太龍寺縁起』海岸部に散見される恵比須信仰とは信仰の性格は異質ですね🙂
まさに沼です(^_^;)高知県を今度紹介しますが泥沼です。役職の人と名前の人がまだ解明出来てませんよ(^_^;)出雲口伝と古事記の対比をしっかり考察したいです🤗
こんばんはレベルの高い上級者向け動画ですね。高皇産霊神が、いろんな場面で指示を出している事がわかる動画です。参考になりました。ありがとうございます。
日本書紀古事記は西富家のみで、出雲口伝は東西を描いているのでその歪みだと考えます。もっと細かいところも解説したかったのですが尺が💦長い時間お付き合い頂き感謝致します🙇
@@castleman4502 長さを感じさせない動画と思います。クオリティーの高さに脱帽です。少しHですけど!
@@gpwjeep2323 これは(^_^;)どうでしょうねー!自信はありますが(*^^*)伊邪那美も女から誘うと上手く行かない!にかかってるんですよ!きっと笑
動画を有難うございます。 ※出雲口伝でいう「大国主と事代主の◯害」が、国譲りという物語にすり替えられている事が見えて来ます。※それをしたのは天穂日ですが、各地に到来した徐福系の物語は、全て「スサノオ」の所業として片付けられています。残したい歴史の一部だけを「別な名前」で表現しています。その内の一つがアジスキタカヒコネなのでしょうね。※宮下文書における「スサノオ勢力の撃滅物語」も同じ流れです。※根本的な所から言えば、帰還勢力(倭国:殷国)と、更に末代となった北と南のユダヤ勢力の流入物語が見えて来ます。しかし肝心なのは…、都合の良い上書き物語ではなくマコトですね。※「血縁的な系譜」のみに執着している構造的な問題が見えて来ます。故に、髙天原(天上界)というマウント概念が土台になっています。※高い霊性があってこその「地球の仕組み」があります。日月神示でいう「幽界」(裏界)の基準が、日本列島を支配して行く流れが見えて来ます。※地球と宇宙との陰陽呼吸が正流動であり、縄文以降それが閉じられて行った流れが見えて来ます。※因みに…①イラン: 祀る「アヌ王」→「イラ・アン」②イラク: 祀る「キ妃」→「イラ・キ」(アヌンナキ物語から繋がっている構造です)※シュメールとエラム(イラン)の仲の悪さと、邪馬台国と狗奴国の仲の悪さが繋がっています。忌部(陰部)と海部(陽部)と、ウケモチ国(大宜津比売国)とトヨクンヌ国(クンヌ国、トミ・トヨ系、富長髄彦系、秀真伝では本家筋となっている)が繋がっています。※詰まり、北ユダヤ(徐福系)によって陰呼吸(大月姫)が閉じられ、後に南ユダヤによって陽呼吸(アマテル男神)が閉じられ、縄文より続く天地の呼吸が閉じられた流れが見えて来ます。※「支配する、マインドコントロールする、宗教する」は、低い次元の空間では底上げともなりメリットもあります。しかしながら高い空間では、次元低下の問題を生みます。詰まり「宗教や支配」とは、裏の役割である事が見えて来ます。その「裏の役割」が表を担当してるという構造的な問題が見えて来ます。もう改心の時期なのでしょう。
コメントありがとうございます。
14:33あたり、崇神天皇の時から国庫の鍵を任され云々~710年奈良遷都云々との語りと同時の字幕(文武天皇702年に国司より印鑰を授けられた)が文脈が曖昧不一致なのでは?崇神天皇の頃から印鑰があったとの誤解を生む可能性が有ります。 印鑰は印と鍵で日本各地の寺社や国守や郡守などに預けられた物です。長崎県壱岐や肥前佐賀市や福岡県旧筑後地域(多い)の背振山地周辺、肥後熊本県八代市や、日向宮崎県西都市や、石川県能登七尾市などの印鑰神社、出羽山形市の印鑰神明宮などがありますね。国衙関係の印鑰社が全国に13社現存、神仏習合弁財天印鑰童子系も有り複雑ですね。大御和神社は1870年に現社号、以前は印鑰大明神でした。(小さき社の列島史という本に印鑰信仰について詳細記述が有ります) 因みに印鑰さんという姓は北海道南部檜山郡江差町に多く江戸時代能登半島の珠洲市あたりで鍵を製造していた人々が渡ったということです。 大神神社ですが大和や阿波の他、現在は福岡筑前旧三輪町の大己貴神社の鳥居の神額にも大神神宮とあります(こちらも謂れが興味深い)。また鳥取県伯耆二宮も大神山神社。 そうおうしいとは言い方はありません。相応しいと書いてふさわしいと読みます。AIによる自動読み上げソフトを使用されているのでしょうか?
コメントありがとうございます。また諸々ご指摘ありがとうございます。ご指摘のようにAI文字ソフトです。事前確認が甘かったです。申し訳ありません。
富家出雲大江氏
このはなしをまとめるのは、かなり大変だったと思います、アジスキタカヒコネが賀茂氏(下賀茂の祭神)崇神天皇、すばらしい
コメントありがとうございます。鴨の動画も宜しければご覧下さい🤗
元が分かったありがとー
面白かったです!饒速日=天若彦とは!瀬織津姫はホツマツタヱに出てくる神なので、大田田根子命が編纂したというホツマツタヱの考え方も参考になります。饒速日と瀬織津姫が夫婦ではなく、天照大神と瀬織津姫が夫婦となっていて、そこがトラップですが、饒速日(火明命)が襲名性だと考えるといいのかも…。どうも、ニニギも饒速日もニンギルスと関係があるらしい…。「大」は隼人と関係ありそうな、大伴氏や一緒にいた大来目や多氏を連想させます。来目ってフェニキア人っぽい。大田の田の文字は丸十字と同じで、海賊の太陽十字、それが後のキリスト教となっていったのかと。キリスト教と仏教は元は同じルーツで、後に大が太になったりするのは、フツヌシ(太主・仏主・品主→サカ族)の剣や仏教的な考え方が取り入れられたから?あと、アジスキタカヒコネの歌は、エジプトのアケトアテン信仰を歌った歌なのかと思いました。二つの山の間から、新しい命(太陽→ホルス→ヤタガラス)が生まれる。二上山は天村雲命(天二上命)を思わせます。ホツマツタヱを辞典風にネットで検索できるようにしてくれている方がいて、それで見ると、アジスキタカヒコネが天児屋根の系図では、どうも日立彦となっていて、関東に移動した物部忌部と関係があるのかもしれません。そして、物部忌部は倭文部を管理していたのかも。静岡のシズは倭文から来てるっぽい。大彦(長髄彦)との関係が謎ですが…。飛騨口碑と一緒に考えて、仙台の多賀城辺りだと言われてる日高見国は元は飛騨にあったと考えても面白いかも。天若彦は美濃の金山彦の孫となっています。金山彦と金折命(住吉)、天津麻羅辺りの関係が気になっています。
コメントありがとうございます。阿遅鉏高日子根神がジョーカーです。阿遅鉏高日子根神については、今後も別の動画で色々紹介していきます🤗また日本書紀の成立についても。今回の動画は上級者向けだと思います。更に繋がるよう動画で説明していきます。今後も宜しくお願い致します🙇
@@castleman4502 天甕津日女命が天甕星命(天香香背男)と同族なのか、天甕星命=アジスキタカヒコネなのかと考えていたのですが、同族かなぁ…。
@@castleman4502 アジスキタカヒコネ=日立(日高彦)で、常陸の信太郡と関係あるのかも…。茨城には、都々古別神社がありますね。
茨城県で言えば瓊瓊杵尊が実在した神様なのかも悩ましいところです。
醱すに関係する字は同族だと私は考えています。
勉強になります。太田が百済にもあるのは驚きです。伊予風土記にも大山積は百済から来たとのことですし、大山祇神社の神主は式内社伊予神社に祭られている伊予の神の子孫という噂ですね。狗奴国は南から東に移ったというのもユニークです。狗奴国が南にあったのなら、邪馬台国の大きさは少し小さいほうがいいかな。先日奈良に行ってきました。工学博士お笑い芸人遼子規キンジロウ
コメントありがとうございます。アンヤさんの一番弟子遼子規キンジロウ様🤗私はアンヤさん程、博識では無いのですよ🤗邪説でございます。右目から生まれた月読命との繋がりは今後、どんどん紹介していきます。ご指導宜しくお願い致します🙇
@@castleman4502 お返事ありがとうございます。弟子などと?まだ一度もお会いしていません。関東でオフ会の話はありますので、皆で騒ぎましょう。消された「エヒメ」もよろしく。阿波の「オオゲツヒメ」と差が大きすぎます。工学博士お笑い芸人遼子規キンジロウ
コメントありがとうございます。私は恣意的な話はしませんのでご安心下さい🤗順番に他府県の紹介もしていきますから🤗
よろしく 期待しています
1872年 徳島市 大神神社 (おおみわじんじゃ)から 大御和神社(おおみわじんじゃ)ㇸ改称。1871年 出雲市 杵築大社 (きづきおおやしろ)から 出雲大社 (いずもおおやしろ)ㇸ改称。二社とも改称は明治政府の時なんですね。なぜ、二社の改称が必要なのか、出雲と言う名が島根以外にあると困るからと思われるんですね。
コメントありがとうございます。橿原神宮もありますね。杵築大社の改名の理由は違うのでは無いでしょうか。またどこから出雲という地名が島根以外に繫がるのでしょうか。そんな内容は動画にしていませんよ?
大国主命、建御雷神、建御名方神が稲佐の浜で国譲りをしますが、大国主命、事代主が「みほの岬で釣りをして、まだ帰らない」と書かれています。稲佐の浜から見える「みほの岬」は三保サキ神神社;祭神は三保サキ神で瑞巌寺(現存;眉山先端)に祀られています。稲佐の浜は弁天山(現存)と考えていますが、当時は弁天島なんですね。だから、出雲での出来事だと思いますよ。大御和神社(おおみわじんじゃ)も出雲にあるんですね。
@@67-gp4ct コメントありがとうございます。どのようにお考えでも言論の自由。思想の自由です。ありがとうございます。
意富氏の大田田根子の大田の地が朝鮮半島に在ったと言う事は多氏の意富氏は半島渡来人で富家姫を妻にして来た家柄だったんですね。系譜では饒速日と高照姫の末裔とされて居ますが神武天皇皇子の多氏としてますね。饒速日(徐福秦氏)最初の渡来時の妻は宗像三女神の市杵嶋姫で二回目の渡来では妻は富家の高照姫最後の妻が登美長髄彦の妹の御炊屋姫饒速日は一説には天若日子の孫ともされて居ますね。下鴨系は弓月君の秦氏や後漢霊帝阿智王系譜の東漢氏たちでしょうね。中鴨系は富家口伝の出雲族の葛城氏が大和に移住したグループでしょうね。高鴨系が神門臣家の阿遅須枳高日子根と下照姫に富家と関わる三島氏が葛城氏等と同じく大和に移り住んだのでしょうね。最近(半年ほど)この手の話して無かったので頭の中整理してコメント文纏めるだけで大変ですw大山積・大山祇(三島大明神)の御祭神にする厄祓い系の神社の官職には富家出雲系大江氏が多いと聞きますね。
コメントありがとうございます。分かります。系図作りだけで沼にハマりますよね。大田田根子は後の斉明天皇〜中臣鎌足に絡むのでぐちゃぐちゃになってるのと、饒速日命、素戔嗚命、瀬織津姫とぐちゃぐちゃトリオなので大変ですね。徐福はおいておいて出雲口伝、旧事本紀、日本書紀の対比で考察しました。また遊びに来て下さい😊
交野市は、かたのし!
交野は日本の成り立ちに関連する非常にかなり重要な場所と私は思っておりますよ?
ランディサベージ
嬉しいコメントありがとうございます🤗
パニックですw
コメントありがとうございます。一つの考察です🤗この歴史もはっきりしてくると良いですね🤗
大黒天は笠間稲荷に、若日子の祠も
茨城県にありましたよ。
関東では機織り女に馬鞍を投げつけ、機織りの貫が大切なとこに刺さりなくなったって話がありますw
茨城県だと邇邇芸になるんですよね。ホツマツタヱでも阿遅鉏高日子根神と邇邇芸で役割が変わりますね。常陸風土記といい、茨城県もなにかありますね!
アジスキタカヒコネとアメノワカヒコのお話ありがとうございます。
よく調べられましたね!感心しました。
神話として下照姫を挟んで愛を感じるお話です。大切にしたい信仰です。
どちらがオリジナルだとか元だとか不毛な議論は望みません。受け継がれてきた事を尊重します。
本編ご指摘の阿波説との比較については同調します。
記紀に記された神話を元に各地で信仰されてきた神様を探ると移り変わる 勢力の変遷が見えてきます。 古代史にハマるきっかけでした。アジスキタカヒコネはそのはじめでした。
面白いですよね!神様辿るのって…
今後ともよろしくお願いします。
コメントありがとうございます。
神話部分は考察多めになりますが、こんな考察もあるんだと思って頂けると幸いです🤗今後も宜しくお願い致します🙇
下照姫の歌は面白い❣興味深い考察でした😄
先生!動画見て頂きありがとうございました。阿遅鉏高日子根神は徳島県に祀られている神社が気になり、猿田彦?とも考えてたりして未だに沼にハマってます。
@@castleman4502 さん 先に生まれてるだけやし😁目から鱗の歴史沼チャンネル🤣賀茂は面白いよね😅阿波には「加茂」地名が多いねぇ🤔徳島西部⇒高知と旧那賀郡の加茂谷(この地区はほぼ同範囲で「丹生谷」でもある。)又、蛭子ヒルコ神社を中心とするヒルコ信仰が広がる『阿波國太龍寺縁起』海岸部に散見される恵比須信仰とは信仰の性格は異質ですね🙂
まさに沼です(^_^;)高知県を今度紹介しますが泥沼です。役職の人と名前の人がまだ解明出来てませんよ(^_^;)出雲口伝と古事記の対比をしっかり考察したいです🤗
こんばんは
レベルの高い上級者向け動画ですね。
高皇産霊神が、いろんな場面で
指示を出している事がわかる
動画です。参考になりました。
ありがとうございます。
日本書紀古事記は西富家のみで、出雲口伝は東西を描いているのでその歪みだと考えます。もっと細かいところも解説したかったのですが尺が💦長い時間お付き合い頂き感謝致します🙇
@@castleman4502
長さを感じさせない動画と思います。
クオリティーの高さに脱帽です。
少しHですけど!
@@gpwjeep2323 これは(^_^;)どうでしょうねー!自信はありますが(*^^*)
伊邪那美も女から誘うと上手く行かない!にかかってるんですよ!きっと笑
動画を有難うございます。
※出雲口伝でいう「大国主と事代主の◯害」が、国譲りという物語にすり替えられている事が見えて来ます。
※それをしたのは天穂日ですが、各地に到来した徐福系の物語は、全て「スサノオ」の所業として片付けられています。残したい歴史の一部だけを「別な名前」で表現しています。その内の一つがアジスキタカヒコネなのでしょうね。
※宮下文書における「スサノオ勢力の撃滅物語」も同じ流れです。
※根本的な所から言えば、帰還勢力(倭国:殷国)と、更に末代となった北と南のユダヤ勢力の流入物語が見えて来ます。しかし肝心なのは…、都合の良い上書き物語ではなくマコトですね。
※「血縁的な系譜」のみに執着している構造的な問題が見えて来ます。故に、髙天原(天上界)というマウント概念が土台になっています。
※高い霊性があってこその「地球の仕組み」があります。日月神示でいう「幽界」(裏界)の基準が、日本列島を支配して行く流れが見えて来ます。
※地球と宇宙との陰陽呼吸が正流動であり、縄文以降それが閉じられて行った流れが見えて来ます。
※因みに…
①イラン: 祀る「アヌ王」→「イラ・アン」
②イラク: 祀る「キ妃」→「イラ・キ」
(アヌンナキ物語から繋がっている構造です)
※シュメールとエラム(イラン)の仲の悪さと、邪馬台国と狗奴国の仲の悪さが繋がっています。忌部(陰部)と海部(陽部)と、ウケモチ国(大宜津比売国)とトヨクンヌ国(クンヌ国、トミ・トヨ系、富長髄彦系、秀真伝では本家筋となっている)が繋がっています。
※詰まり、北ユダヤ(徐福系)によって陰呼吸(大月姫)が閉じられ、後に南ユダヤによって陽呼吸(アマテル男神)が閉じられ、縄文より続く天地の呼吸が閉じられた流れが見えて来ます。
※「支配する、マインドコントロールする、宗教する」は、低い次元の空間では底上げともなりメリットもあります。しかしながら高い空間では、次元低下の問題を生みます。詰まり「宗教や支配」とは、裏の役割である事が見えて来ます。その「裏の役割」が表を担当してるという構造的な問題が見えて来ます。もう改心の時期なのでしょう。
コメントありがとうございます。
14:33あたり、崇神天皇の時から国庫の鍵を任され云々~710年奈良遷都云々との語りと同時の字幕(文武天皇702年に国司より印鑰を授けられた)が文脈が曖昧不一致なのでは?崇神天皇の頃から印鑰があったとの誤解を生む可能性が有ります。
印鑰は印と鍵で日本各地の寺社や国守や郡守などに預けられた物です。長崎県壱岐や肥前佐賀市や福岡県旧筑後地域(多い)の背振山地周辺、肥後熊本県八代市や、日向宮崎県西都市や、石川県能登七尾市などの印鑰神社、出羽山形市の印鑰神明宮などがありますね。国衙関係の印鑰社が全国に13社現存、神仏習合弁財天印鑰童子系も有り複雑ですね。大御和神社は1870年に現社号、以前は印鑰大明神でした。(小さき社の列島史という本に印鑰信仰について詳細記述が有ります)
因みに印鑰さんという姓は北海道南部檜山郡江差町に多く江戸時代能登半島の珠洲市あたりで鍵を製造していた人々が渡ったということです。
大神神社ですが大和や阿波の他、現在は福岡筑前旧三輪町の大己貴神社の鳥居の神額にも大神神宮とあります(こちらも謂れが興味深い)。また鳥取県伯耆二宮も大神山神社。
そうおうしいとは言い方はありません。相応しいと書いてふさわしいと読みます。AIによる自動読み上げソフトを使用されているのでしょうか?
コメントありがとうございます。
また諸々ご指摘ありがとうございます。
ご指摘のようにAI文字ソフトです。事前確認が甘かったです。申し訳ありません。
富家出雲大江氏
このはなしをまとめるのは、かなり大変だったと思います、アジスキタカヒコネが賀茂氏(下賀茂の祭神)崇神天皇、すばらしい
コメントありがとうございます。
鴨の動画も宜しければご覧下さい🤗
元が分かったありがとー
コメントありがとうございます。
面白かったです!饒速日=天若彦とは!
瀬織津姫はホツマツタヱに出てくる神なので、大田田根子命が編纂したというホツマツタヱの考え方も参考になります。饒速日と瀬織津姫が夫婦ではなく、天照大神と瀬織津姫が夫婦となっていて、そこがトラップですが、饒速日(火明命)が襲名性だと考えるといいのかも…。どうも、ニニギも饒速日もニンギルスと関係があるらしい…。
「大」は隼人と関係ありそうな、大伴氏や一緒にいた大来目や多氏を連想させます。来目ってフェニキア人っぽい。
大田の田の文字は丸十字と同じで、海賊の太陽十字、それが後のキリスト教となっていったのかと。
キリスト教と仏教は元は同じルーツで、後に大が太になったりするのは、フツヌシ(太主・仏主・品主→サカ族)の剣や仏教的な考え方が取り入れられたから?
あと、アジスキタカヒコネの歌は、エジプトのアケトアテン信仰を歌った歌なのかと思いました。
二つの山の間から、新しい命(太陽→ホルス→ヤタガラス)が生まれる。
二上山は天村雲命(天二上命)を思わせます。
ホツマツタヱを辞典風にネットで検索できるようにしてくれている方がいて、それで見ると、アジスキタカヒコネが天児屋根の系図では、どうも日立彦となっていて、関東に移動した物部忌部と関係があるのかもしれません。そして、物部忌部は倭文部を管理していたのかも。静岡のシズは倭文から来てるっぽい。大彦(長髄彦)との関係が謎ですが…。
飛騨口碑と一緒に考えて、仙台の多賀城辺りだと言われてる日高見国は元は飛騨にあったと考えても面白いかも。天若彦は美濃の金山彦の孫となっています。金山彦と金折命(住吉)、天津麻羅辺りの関係が気になっています。
コメントありがとうございます。阿遅鉏高日子根神がジョーカーです。阿遅鉏高日子根神については、今後も別の動画で色々紹介していきます🤗
また日本書紀の成立についても。
今回の動画は上級者向けだと思います。
更に繋がるよう動画で説明していきます。今後も宜しくお願い致します🙇
@@castleman4502 天甕津日女命が天甕星命(天香香背男)と同族なのか、天甕星命=アジスキタカヒコネなのかと考えていたのですが、同族かなぁ…。
@@castleman4502 アジスキタカヒコネ=日立(日高彦)で、常陸の信太郡と関係あるのかも…。茨城には、都々古別神社がありますね。
茨城県で言えば瓊瓊杵尊が実在した神様なのかも悩ましいところです。
醱すに関係する字は同族だと私は考えています。
勉強になります。太田が百済にもあるのは驚きです。伊予風土記にも大山積は百済から来たとのことですし、大山祇神社の神主は式内社伊予神社に祭られている伊予の神の子孫という噂ですね。狗奴国は南から東に移ったというのもユニークです。狗奴国が南にあったのなら、邪馬台国の大きさは少し小さいほうがいいかな。先日奈良に行ってきました。工学博士お笑い芸人遼子規キンジロウ
コメントありがとうございます。
アンヤさんの一番弟子遼子規キンジロウ様🤗
私はアンヤさん程、博識では無いのですよ🤗邪説でございます。
右目から生まれた月読命との繋がりは今後、どんどん紹介していきます。
ご指導宜しくお願い致します🙇
@@castleman4502 お返事ありがとうございます。弟子などと?まだ一度もお会いしていません。関東でオフ会の話はありますので、皆で騒ぎましょう。消された「エヒメ」もよろしく。阿波の「オオゲツヒメ」と差が大きすぎます。工学博士お笑い芸人遼子規キンジロウ
コメントありがとうございます。
私は恣意的な話はしませんのでご安心下さい🤗順番に他府県の紹介もしていきますから🤗
よろしく 期待しています
1872年 徳島市 大神神社 (おおみわじんじゃ)から
大御和神社(おおみわじんじゃ)ㇸ改称。
1871年 出雲市 杵築大社 (きづきおおやしろ)から
出雲大社 (いずもおおやしろ)ㇸ改称。
二社とも改称は明治政府の時なんですね。なぜ、二社の改称が必要なのか、出雲と言う
名が島根以外にあると困るからと思われるんですね。
コメントありがとうございます。橿原神宮もありますね。杵築大社の改名の理由は違うのでは無いでしょうか。またどこから出雲という地名が島根以外に繫がるのでしょうか。そんな内容は動画にしていませんよ?
大国主命、建御雷神、建御名方神が稲佐の浜で国譲りをしますが、大国主命、事代主が「みほの岬で釣りをして、まだ帰らない」
と書かれています。稲佐の浜から見える「みほの岬」は三保サキ神神社;祭神は三保サキ神で瑞巌寺(現存;眉山先端)に祀られ
ています。稲佐の浜は弁天山(現存)と考えていますが、当時は弁天島なんですね。
だから、出雲での出来事だと思いますよ。大御和神社(おおみわじんじゃ)も出雲にあるんですね。
@@67-gp4ct コメントありがとうございます。どのようにお考えでも言論の自由。思想の自由です。ありがとうございます。
意富氏の大田田根子の大田の地が朝鮮半島に在ったと言う事は
多氏の意富氏は半島渡来人で富家姫を妻にして来た家柄だったんですね。
系譜では饒速日と高照姫の末裔とされて居ますが神武天皇皇子の多氏としてますね。
饒速日(徐福秦氏)最初の渡来時の妻は宗像三女神の市杵嶋姫で
二回目の渡来では妻は富家の高照姫
最後の妻が登美長髄彦の妹の御炊屋姫
饒速日は一説には天若日子の孫ともされて居ますね。
下鴨系は弓月君の秦氏や後漢霊帝阿智王系譜の東漢氏たちでしょうね。
中鴨系は富家口伝の出雲族の葛城氏が大和に移住したグループでしょうね。
高鴨系が神門臣家の阿遅須枳高日子根と下照姫に富家と関わる三島氏が葛城氏等と同じく
大和に移り住んだのでしょうね。
最近(半年ほど)この手の話して無かったので頭の中整理してコメント文纏めるだけで大変ですw
大山積・大山祇(三島大明神)の御祭神にする厄祓い系の神社の官職には富家出雲系大江氏が多いと聞きますね。
コメントありがとうございます。分かります。系図作りだけで沼にハマりますよね。大田田根子は後の斉明天皇〜中臣鎌足に絡むのでぐちゃぐちゃになってるのと、饒速日命、素戔嗚命、瀬織津姫とぐちゃぐちゃトリオなので大変ですね。
徐福はおいておいて出雲口伝、旧事本紀、日本書紀の対比で考察しました。また遊びに来て下さい😊
交野市は、かたのし!
交野は日本の成り立ちに関連する非常にかなり重要な場所と私は思っておりますよ?
ランディサベージ
嬉しいコメントありがとうございます🤗
パニックですw
コメントありがとうございます。
一つの考察です🤗この歴史もはっきりしてくると良いですね🤗