【日本の城】新府城の惣構?武田勝頼と徳川家康が同じ戦略を立てた能見城の痕跡を辿る
HTML-код
- Опубликовано: 8 фев 2025
- スタジオクルワはこちらstudio-kuruwa....
追い詰められた武田勝頼が、最後の望みをかけて築いた新府城。武田の新たな本拠となるはずの城でした。しかし天は勝頼に時を与えず、織田の大軍の前を前にして勝頼は未完成の城に火をかけ退去。新府城はわずか68日しか地上に存在しなかった幻の城となりました。勝頼は信長との最後の決戦をここで行いたかったのかもしれません。
新府城の少し北。小高い丘の上に小さな城の跡があります。名前は能見城。現在は小さな石碑が建つ静かな場所です。訪れる人も少ない普通の山ですが、城跡と聞くと、段々な斜面が曲輪に見えてくるから不思議ですね。
能見城は新府城からわずか2キロの位置にあります。こんな近い場所に二つの城があるというのはちょっと不思議ですよね。新府城はなかなかの大きさのある城。完成すればこのあたりまで城域があってもおかしくありません。
実は能見城は、新府城の一部であったと言われています。付近に小さな丘が点在する複雑な地形。ここにあったと言われる城は、どのような姿をしていたのでしょうか。今回は武田家が甲府に変わる本拠地として整備した新府城。その北側に存在した能見城を紹介します