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修正→愛知→愛媛県松山国体
若い頃に全般検査に関わりました。モーターの金箱に収められてる車軸に潤滑油を回すパッドを支える部品がもう無くて毛糸玉を幾つも作ってパッドの後ろにバールで詰め込んでパッドを支えてたんです。残業で毛糸玉を山ほど丸めたのを良く覚えてます。毛糸は詰め過ぎてもダメ、ゆる過ぎてもダメ、親方の匙加減が職人技でした。基礎ブレーキ装置の部品が65や64に比べてデカくて重たかったなぁ。ブレーキシリンダーはクレーンで吊るして脱着しました。台枠はリベット止めで無骨な感じでねぇ58と同じくらいゴツ下回りは62だった。ブレーキ引き棒もピカピカになるまで磨きました。試運転線で運転させもらったのもいい思い出です。
これはもはや工業製品というより、一種の芸術作品なのではなかろうかと思ってしまうほどの佇まいと輝き
61号機を製造した日立製作所は、その栄誉と誇りのため、特段の注意を払い各種工程に取り組んだそうです。
もはや工芸作品であります、、
社員も自主的に休日返上して各部を磨き続けたとか
御召し専用機は、EF58-60東芝EF58-61日立で、2機有りましたけど…この2機が御召し客車を牽引したのは、愛知植樹祭の折に岡多線(現・愛知環状鉄道)を走行した時に61号機と60号機がプッシュプルで、牽引だけでした。その御召し列車を撮影出来たのは、今でも誇りです。その後…60号機は、解体されてしまいました。やはりEF58は、今でも…カッコいい機関車ですね。
元々は61号機ではなく、54号機として落成予定でしたが「お召し機は連番が望ましい」との理由で、東芝で製作予定だった本来の61号機と番号を振り替えて落成したそうです。ちなみに54号機は東芝から落成しました。
EF5861は、幸せな電機だ😊
いやこのような名機と出逢えた我々は幸せだ
EF58 61は、過去に2回見たことがある。1回目は、いつの日だったか分からないけど、サロンエクスプレス東京の牽引機として、駅のホームで、止まっているのを見た記憶がある。凛々しくカッコよかった。2回目は、10年以上前に、東京総合車両センターの一般公開の時に見ました。カッコいいなぁと、ため息出ました。
EF5861は西は下関迄行ってる。但し新1号編成の回送だったけれど。ソースはオレ自身。まだ高校生の頃=1970年代=だったかと思うが、確か土曜日、午前中に学校が終わって当時の自宅最寄り駅だった富海駅で80系電車の普通列車を降りて線路沿いの道を歩いていたらその先の踏切の警報機が鳴り出し、カーブの先から現れたのはEF5861号機!EF5860号機は何度か見かけていたが61号機はその日が初見だった。従うのは5両編成の客車、そして編成中央3両目には銀色のシートが…そう、新1号編成だった。然し日章旗も菊のご紋章もない。九州辺りのお召列車の為の回送だった模様。さてそんなEF5861号機にはその後2回ご縁を得た。1度目は1981/昭和56年08月。大学の夏休みで東京の親戚を訪ねた帰路、東京駅から利用したのは14系座席車編成の銀河51号。トウキクのEF58の運用と知っていたのでもしや?と密かに期待していたのだが…見事その日の牽引機はEF5861号機だった。翌朝関が原付近でわざわざ1号車のスハフ14迄行って貫通路からカマの[御尊顔]を拝んだのは言うまでもない。2度目は1996/平成8年10月24日。そう、ベルギー国王ご夫妻と、当時御在位だった上皇・上皇后両陛下が足利学校をご訪問された際両毛線で運転されたEF5861号機+新1号編成のお召列車。おっとり刀ならぬおっとりカメラで赴いたが既に沿線は立錐の余地も無い三脚と脚立の壁!しょうがないから手前に彼らの後ろ姿が入るのを覚悟で撮影した。真っ黒な車体に旭日旗を描いたバスで押し掛ける[其の筋のセンセイ方]の存在が消し飛んでしまうほどの[鉄]軍団の数百人どころか千人超えそうな勢力=オレもその一人=には驚いた(^^);それ以上に驚く否感動したのは、やがてやって来たお召列車、新1号御料車の大きな窓は全開しそこには…既に高齢の域に達していらっしゃいながら立位で沿線の下々に笑顔で手を振られる上皇(当時は天皇)陛下のお姿(皇后陛下は反対側で同様にされていた)。如何に完璧に整備されていたとはいえ、走る列車に揺れはつきもの。其れなのに敢えてそうして下さる両陛下の御姿には敬意しかなかった。大活躍したEF5861とは対照的にお召の出番が少なかったEF5860。然しそれは確か1967/昭和42年に同機は悲劇に見舞われたせいかも知れない。というのもその年同機は不幸にも踏切事故に遭遇してしまったのだ。元より直ちに修理され運用にも復帰したが、[事故機]として忌・穢れと思われたのか?お召予備機指定を解除されてしまった。その代わり?浜松区の同僚達同様、東京~下関間を東奔西走し、あの急行1101・1102レ(桜島・高千穂)や大阪(上りは新大阪)~西鹿児島間で九州内を夜行になる[屋久島1-2号]、また数多の荷レにも登坂し本州西端でもその姿は日常的に見ることが出来た。お召予備機としてはEF5873もその任にあって他機が青15号塗装になる中遅くまでぶどう色2号を纏っていたが後年宇都宮に[人事異動]、電暖化もされた。日光線お召列車の際一花咲かせて欲しかったのだが、それが決まる直前に不運にも廃車されてしまいとうとうお召本番の出番はないままに終わってしまった。予備機の登板なしということはそれだけ本務機が万全の整備をされ無事退任を果たせた証。お召列車用の車輛は代替わりしたしまた今上陛下も上皇陛下がそうであられたように特別車両による特別な運行などはあまり望まれずなるべく負担の無い形での移動を希望されているので特別車両・特別編成での[お召列車]]ご乗用列車]の運転は今後ますます少なくなりそうだが、凡そ鉄道人にとって最高位の名誉であるお召列車運転への関わりとその儀式や伝統は次世代にも受け継がれて行って欲しいものだ。
列車と共に来日した『オリエント急行』の名物車掌さんもお気に入りのカマだった 61号機。
ダニエルさん、呼んでますよ? (英語)
良い出来で思わず涙が出てしまいました。最後は東京車両総合センターから大宮鉄道博物館まで、トレーラーに載せられ運ばれていくEF58-61を第二の余生場所まで見送りました。今度は、第二の新天地大宮鉄道博物館へ足を運んで見に行きたいと思ってます。
EF58 61号機は昭和56年運転のリバイバルつばめ号牽引機で大阪駅で一度見ただけ。現役のうちにお召列車を牽引する姿を見たかったな。😞いつか大宮鉄道博物館の61号機に会いに行きたい。😊
まさに昭和の時代は国体、植樹祭が何処かであると必ず有休で自分も出区したけどあの時のワクワク、ドキドキは何事にも変え難い。
東芝で60号日立で61号が落成し、予算をはるかに越える製作費になりました。1号編成をプシュプルした超豪華編成も見られました。大宮工場で全検を受けた時に、水きりを直線にしたり正面手すりが塗装されていたのを磨き出された内容が鉄道ファン誌に掲載されました。相方の60号は、一足早く大宮工場で解体されました。この情報は寝耳に水で多くのゴハチファンが「なぜ残さなかったのか?」と嘆きました。
間近っていたらすみませんが、60号機が解体されたのは、浜松工場じゃなかったかな?
@@もりわききくお 浜松工場は、新幹線専用の工場なので在来線の扱いはありません。60号の解体は鉄道誌で掲載された物なので、大宮工場です。
在来線も扱っていました。工場内は3線軌道になっている.
これまでのお召し列車牽引機は、製造された中で最も性能が良かった車両を特別整備して使用していたそんな中でEF58形61号機は、製造段階からお召し列車牽引機としてカスタマイズした機関車として落成したそういう意味では、最初で最後のお召し列車専用機関車といえるまったくの余談だが、鉄道博物館でお召し機として展示されているC51は、現役時代にただの一度もお召し列車を牽引したことがない
京都の方(239号機)は一応経験あり···ですよね?
世代の関係かも知れないけど国鉄時代の機関車ってなんかカッコイイんだよなぁ。
なんと言っても、1988年 品川駅発 D51 498 EF58 61 にて、オリエント急行を牽引したことが、忘れられない感動でした。
天賞堂のEF5861鉄道模型を持っています。下回りが黒く、お召し以外の「踊り子」「急行安芸」など再現できる万能機です。
一番の想い出はフルムーンお召かな。秋晴れの東北本線を軽やかに走った姿は忘れられないです。その後に開催した有料の撮影会にも行きました(動画でも出てきましたね)。そして最後のお召となった北鎌倉までのお召。走りを撮ったあと、逗子まで追いかけて停車中のロクイチと新一号編成を夢中で撮りました。個人的には冬にシナ座や荷物列車代走の運用に入ってSGの煙を上げながら走る姿が一番好きでしたね。エピソードとしては車体片側側面の「日立」の文字をわざと間違えて付けられていた話など伝説が残されているのもこの機関車が特別だった証だと思います。やはりロクイチは電気機関車の王様だったと思います。
五八教信者の一人です。61号機は正に神様の存在です。
@@kwgcka 信徒ではありませんが、EF58 は、KATO製 HOを一輛所有しています。
@@設営撤収民兵 様私も今Nゲージで全種類制覇を目指しています(笑)
銀箱にナンバー打って国旗を交差して飾った?
@@埠頭半田 様61はまだ手に入れてないんですよ。出来る限り早く欲しいです。
大宮で61号機と89号機の2両展示されてるから、見比べると面白いよ。
最初に見たのは昭和58年だったと思います。赤羽に住んでた時、遊んでる時に誰かの情報で御召列車が通るらしいと知り、友達と走って川口からの最初の踏切で見ました。跨線橋は封鎖され警察官が大量動員されてました。あそこに天皇陛下がいるんだぁと思ったものです。その後、サロンエクスプレス踊り子乗車時にも牽引機を担当してました。伊豆稲取で降りた際に、先頭まで行って撮影しようとしたら、運転手さんが白手袋で指を上に差してライトをつけてくれました。予期せぬご対応にビックリ、写真を撮った後、頭下げてありがとうございます!と言ったら、汽笛一斉して下田方面に向けて走り出しました。記憶に残る最後のシーンは、オリエント急行ラスト前日のSL牽引の次車として、そして翌日、先頭に立って上野方面を走る姿でした。SLは赤羽だったので仲間と撮影に行きましたが、翌日は全くのノーマーク。前日の賑わいがウソのような誰もいない中で、そして写真も撮らない中で走っていく姿を見届けました。冬の午前中だったと記憶してます。そうか、、今は鉄道博物館にいるんですね。
5861、この番号を マイカーの あるいはメールアドレスに使っている人が何人もいる❗(鉄、なのがバレバレ😁)
パスワードや携帯の番号に使っている人もいる。
一度でいいから、現役時に長野県にきてほしかった·····。
両毛線御召しの時は、二重三重になって沿線へ駆けつけたファンから自然と万歳三唱が挙がったのが凄く印象深かった。そらそうだよな。みんな仕事ある身でこの時ばかりは低頭平身、上司に頭下げまくって年休使って駆けつけたんだもの。今の電車御召なんかメじゃない位遥かに価値が高かった。
1:21 懐かしい…あの「オリエント急行」国内ラストランでレストア仕立てのD51498と最初重連、途中単機で走ってましたね(お召し機関車に「オリエント急行」…至高の組み合わせ)
お召し1号編成もクロ157も検査期限切れで休車状態だし、昭和のお召し車はもう動くことはないだろうなぁ。クロ157は随伴車がもう185系しかなく、あれが全廃になったらいよいよ除籍かな。貴重な車両だけに、鉄博に展示してほしいけど。
最初に見たのは東京総合車両センターの一般公開(平成最後の夏)のときでしたね。正装での展示ということもあってか、この時のEF58 61号機にはオーラみたいなものが見えたような気がしました。個人的には国宝機の称号はEF58 61号機が相応しいと思ってます。
8:25 幻の客車である「賢所乗御車」を見てみたいですね。「神」を輸送対象とする特異性、オリジナルのままの真空ブレーキ、総檜作りの車内、当時の最高峰の車両製造技術や工芸技術を今に伝える貴重な車両だと思う。
臨時銀河や臨時踊り子で良く見たなぁ。特に後者はヘッドマーク氷河期の多客臨なのに専用マークが用意され歓喜した覚えが…
異彩を放つカッコ良さだね
1970年代後半は荷レを牽引してたな😄60.61号機がお召になった理由が知りたい😊
高崎の旧型客車をパック(EF58 89)と重連で牽引して品川-小田原間を往復行きは貨物線経由で運転して今では立ち去り禁止に成った馬入橋の東海道線の上り線と下線の間で撮影したな貨物線は鉄橋だったからEF58特有のジョイント音が響いて感動したな
この機関車で一番驚いた運用は、品川から東京までの臨時銀河の回送です。東京駅のホームで突然現れたので、写真も撮れなかった。
昭和28年の国体は愛媛です
4:32 93号機は大宮に展示されていますが、青いEF58も何処かに保存されていたのでしょうか?🤔🤔🤔
碓氷峠にいますよ
@@WPhotogra-vy3qb 碓氷峠にあるのですね♪ 教えていただいてありがとうございます♪
半世紀余り前に大阪駅で見た。
かねがね運転と整備の技術継承は伊勢神宮の式年遷宮に通じるものがあると思っていたが、去年伊勢神宮にお参りした時、ため色の御朱印帳を売っていたので反射的に買ってしまった。E655のデビューとともに台枠亀裂が発生して運用離脱したことにも「何か」を感じる。やはりEF5861と伊勢神宮は繋がっている!吹上の親娘と仙洞のご隠居さん、この機関車を観にてっぱくに行ってくれよ、携わった人たちから話しを聞いてくれよ。そしてもっとE655に乗ってくれよ。あなたたち五人が乗ることで明治から培ってきた運転や整備の技術が伝えられるんだ。
世界唯一のインペリアルエンジン
江戸とサロンエクスプレス東京が連結して走ってる!?
使用している画像について疑問に思われている方がいたので概要欄とホームにも記載いたしました、確認ください。
90年代頃に、相当あちこちの臨時列車等で走っていたな。まさに「教祖」だったんだと思う。東京駅で臨時特急踊り子号でも輝いていた。台枠に亀裂が見つかったという記事を読んだときは、ショックだったのを覚えている。EF58 61が引退し、最近は高崎のDD51 842, 895が引退との記事を見た。こちらも非電化区間のお召し機である。
修正→愛知→愛媛県松山国体
若い頃に全般検査に関わりました。
モーターの金箱に収められてる車軸に潤滑油を回すパッドを支える部品がもう無くて毛糸玉を幾つも作ってパッドの後ろにバールで詰め込んでパッドを支えてたんです。
残業で毛糸玉を山ほど丸めたのを良く覚えてます。
毛糸は詰め過ぎてもダメ、ゆる過ぎてもダメ、親方の匙加減が職人技でした。
基礎ブレーキ装置の部品が65や64に比べてデカくて重たかったなぁ。
ブレーキシリンダーはクレーンで吊るして脱着しました。
台枠はリベット止めで無骨な感じでねぇ58と同じくらいゴツ下回りは62だった。
ブレーキ引き棒もピカピカになるまで磨きました。
試運転線で運転させもらったのもいい思い出です。
これはもはや工業製品というより、一種の芸術作品なのではなかろうかと思ってしまうほどの佇まいと輝き
61号機を製造した日立製作所は、その栄誉と誇りのため、特段の注意を払い各種工程に取り組んだそうです。
もはや工芸作品であります、、
社員も自主的に休日返上して各部を磨き続けたとか
御召し専用機は、EF58-60東芝EF58-61日立で、2機有りましたけど…この2機が御召し客車を牽引したのは、愛知植樹祭の折に岡多線(現・愛知環状鉄道)を走行した時に61号機と60号機がプッシュプルで、牽引だけでした。その御召し列車を撮影出来たのは、今でも誇りです。その後…60号機は、解体されてしまいました。
やはりEF58は、今でも…カッコいい機関車ですね。
元々は61号機ではなく、54号機として落成予定でしたが「お召し機は連番が望ましい」との理由で、東芝で製作予定だった本来の61号機と番号を振り替えて落成したそうです。ちなみに54号機は東芝から落成しました。
EF5861は、幸せな電機だ😊
いやこのような名機と出逢えた我々は幸せだ
EF58 61は、過去に2回見たことがある。
1回目は、いつの日だったか分からないけど、サロンエクスプレス東京の牽引機として、駅のホームで、止まっているのを見た記憶がある。
凛々しくカッコよかった。
2回目は、10年以上前に、東京総合車両センターの一般公開の時に見ました。
カッコいいなぁと、ため息出ました。
EF5861は西は下関迄行ってる。但し新1号編成の回送だったけれど。ソースはオレ自身。まだ高校生の頃=1970年代=だったかと思うが、確か土曜日、午前中に学校が終わって当時の自宅最寄り駅だった富海駅で80系電車の普通列車を降りて線路沿いの道を歩いていたらその先の踏切の警報機が鳴り出し、カーブの先から現れたのはEF5861号機!EF5860号機は何度か見かけていたが61号機はその日が初見だった。従うのは5両編成の客車、そして編成中央3両目には銀色のシートが…そう、新1号編成だった。然し日章旗も菊のご紋章もない。九州辺りのお召列車の為の回送だった模様。
さてそんなEF5861号機にはその後2回ご縁を得た。1度目は1981/昭和56年08月。大学の夏休みで東京の親戚を訪ねた帰路、東京駅から利用したのは14系座席車編成の銀河51号。トウキクのEF58の運用と知っていたのでもしや?と密かに期待していたのだが…見事その日の牽引機はEF5861号機だった。翌朝関が原付近でわざわざ1号車のスハフ14迄行って貫通路からカマの[御尊顔]を拝んだのは言うまでもない。
2度目は1996/平成8年10月24日。そう、ベルギー国王ご夫妻と、当時御在位だった上皇・上皇后両陛下が足利学校をご訪問された際両毛線で運転されたEF5861号機+新1号編成のお召列車。おっとり刀ならぬおっとりカメラで赴いたが既に沿線は立錐の余地も無い三脚と脚立の壁!しょうがないから手前に彼らの後ろ姿が入るのを覚悟で撮影した。真っ黒な車体に旭日旗を描いたバスで押し掛ける[其の筋のセンセイ方]の存在が消し飛んでしまうほどの[鉄]軍団の数百人どころか千人超えそうな勢力=オレもその一人=には驚いた(^^);
それ以上に驚く否感動したのは、やがてやって来たお召列車、新1号御料車の大きな窓は全開しそこには…既に高齢の域に達していらっしゃいながら立位で沿線の下々に笑顔で手を振られる上皇(当時は天皇)陛下のお姿(皇后陛下は反対側で同様にされていた)。如何に完璧に整備されていたとはいえ、走る列車に揺れはつきもの。其れなのに敢えてそうして下さる両陛下の御姿には敬意しかなかった。
大活躍したEF5861とは対照的にお召の出番が少なかったEF5860。然しそれは確か1967/昭和42年に同機は悲劇に見舞われたせいかも知れない。というのもその年同機は不幸にも踏切事故に遭遇してしまったのだ。元より直ちに修理され運用にも復帰したが、[事故機]として忌・穢れと思われたのか?お召予備機指定を解除されてしまった。その代わり?浜松区の同僚達同様、東京~下関間を東奔西走し、あの急行1101・1102レ(桜島・高千穂)や大阪(上りは新大阪)~西鹿児島間で九州内を夜行になる[屋久島1-2号]、また数多の荷レにも登坂し本州西端でもその姿は日常的に見ることが出来た。
お召予備機としてはEF5873もその任にあって他機が青15号塗装になる中遅くまでぶどう色2号を纏っていたが後年宇都宮に[人事異動]、電暖化もされた。日光線お召列車の際一花咲かせて欲しかったのだが、それが決まる直前に不運にも廃車されてしまいとうとうお召本番の出番はないままに終わってしまった。予備機の登板なしということはそれだけ本務機が万全の整備をされ無事退任を果たせた証。
お召列車用の車輛は代替わりしたしまた今上陛下も上皇陛下がそうであられたように特別車両による特別な運行などはあまり望まれずなるべく負担の無い形での移動を希望されているので特別車両・特別編成での[お召列車]]ご乗用列車]の運転は今後ますます少なくなりそうだが、凡そ鉄道人にとって最高位の名誉であるお召列車運転への関わりとその儀式や伝統は次世代にも受け継がれて行って欲しいものだ。
列車と共に来日した『オリエント急行』の名物車掌さんもお気に入りのカマだった 61号機。
ダニエルさん、呼んでますよ?
(英語)
良い出来で思わず涙が出てしまいました。
最後は東京車両総合センターから大宮鉄道博物館まで、トレーラーに載せられ運ばれていくEF58-61を第二の余生場所まで見送りました。今度は、第二の新天地大宮鉄道博物館へ足を運んで見に行きたいと思ってます。
EF58 61号機は昭和56年運転のリバイバルつばめ号牽引機で大阪駅で一度見ただけ。現役のうちにお召列車を牽引する姿を見たかったな。😞いつか大宮鉄道博物館の61号機に会いに行きたい。😊
まさに昭和の時代は国体、植樹祭が何処かであると必ず有休で自分も出区したけどあの時のワクワク、ドキドキは
何事にも変え難い。
東芝で60号日立で61号が落成し、予算をはるかに越える製作費になりました。
1号編成をプシュプルした超豪華編成も見られました。
大宮工場で全検を受けた時に、水きりを直線にしたり正面手すりが塗装されていたのを磨き出された内容が鉄道ファン誌に掲載されました。
相方の60号は、一足早く大宮工場で解体されました。
この情報は寝耳に水で多くのゴハチファンが「なぜ残さなかったのか?」と嘆きました。
間近っていたらすみませんが、60号機が解体されたのは、浜松工場じゃなかったかな?
@@もりわききくお
浜松工場は、新幹線専用の工場なので在来線の扱いはありません。
60号の解体は鉄道誌で掲載された物なので、大宮工場です。
在来線も扱っていました。工場内は3線軌道になっている.
これまでのお召し列車牽引機は、製造された中で最も性能が良かった車両を特別整備して使用していた
そんな中でEF58形61号機は、製造段階からお召し列車牽引機としてカスタマイズした機関車として落成した
そういう意味では、最初で最後のお召し列車専用機関車といえる
まったくの余談だが、鉄道博物館でお召し機として展示されているC51は、現役時代にただの一度もお召し列車を牽引したことがない
京都の方(239号機)は一応経験あり···ですよね?
世代の関係かも知れないけど国鉄時代の機関車ってなんかカッコイイんだよなぁ。
なんと言っても、1988年 品川駅発 D51 498 EF58 61 にて、オリエント急行を牽引したことが、忘れられない感動でした。
天賞堂のEF5861鉄道模型を持っています。下回りが黒く、お召し以外の「踊り子」「急行安芸」など再現できる万能機です。
一番の想い出はフルムーンお召かな。
秋晴れの東北本線を軽やかに走った姿は忘れられないです。
その後に開催した有料の撮影会にも行きました(動画でも出てきましたね)。
そして最後のお召となった北鎌倉までのお召。
走りを撮ったあと、逗子まで追いかけて停車中のロクイチと新一号編成を夢中で撮りました。
個人的には冬にシナ座や荷物列車代走の運用に入ってSGの煙を上げながら走る姿が一番好きでしたね。
エピソードとしては車体片側側面の「日立」の文字をわざと間違えて付けられていた話など伝説が残されているのもこの機関車が特別だった証だと思います。
やはりロクイチは電気機関車の王様だったと思います。
五八教信者の一人です。
61号機は正に神様の存在です。
@@kwgcka
信徒ではありませんが、EF58 は、KATO製 HOを一輛所有しています。
@@設営撤収民兵 様
私も今Nゲージで全種類制覇を目指しています(笑)
銀箱にナンバー打って国旗を交差して飾った?
@@埠頭半田 様
61はまだ手に入れてないんですよ。
出来る限り早く欲しいです。
大宮で61号機と89号機の2両展示されてるから、見比べると面白いよ。
最初に見たのは昭和58年だったと思います。赤羽に住んでた時、遊んでる時に誰かの情報で御召列車が通るらしいと知り、友達と走って川口からの最初の踏切で見ました。跨線橋は封鎖され警察官が大量動員されてました。あそこに天皇陛下がいるんだぁと思ったものです。その後、サロンエクスプレス踊り子乗車時にも牽引機を担当してました。伊豆稲取で降りた際に、先頭まで行って撮影しようとしたら、運転手さんが白手袋で指を上に差してライトをつけてくれました。予期せぬご対応にビックリ、写真を撮った後、頭下げてありがとうございます!と言ったら、汽笛一斉して下田方面に向けて走り出しました。記憶に残る最後のシーンは、オリエント急行ラスト前日のSL牽引の次車として、そして翌日、先頭に立って上野方面を走る姿でした。SLは赤羽だったので仲間と撮影に行きましたが、翌日は全くのノーマーク。前日の賑わいがウソのような誰もいない中で、そして写真も撮らない中で走っていく姿を見届けました。冬の午前中だったと記憶してます。そうか、、今は鉄道博物館にいるんですね。
5861、この番号を マイカーの あるいはメールアドレスに使っている人が何人もいる❗(鉄、なのがバレバレ😁)
パスワードや携帯の番号に使っている人もいる。
一度でいいから、現役時に長野県にきてほしかった·····。
両毛線御召しの時は、二重三重になって沿線へ駆けつけたファンから自然と万歳三唱が挙がったのが凄く印象深かった。
そらそうだよな。みんな仕事ある身でこの時ばかりは低頭平身、上司に頭下げまくって年休使って駆けつけたんだもの。
今の電車御召なんかメじゃない位遥かに価値が高かった。
1:21 懐かしい…あの「オリエント急行」国内ラストランでレストア仕立てのD51498と最初重連、途中単機で走ってましたね(お召し機関車に「オリエント急行」…至高の組み合わせ)
お召し1号編成もクロ157も検査期限切れで休車状態だし、昭和のお召し車はもう動くことはないだろうなぁ。
クロ157は随伴車がもう185系しかなく、あれが全廃になったらいよいよ除籍かな。貴重な車両だけに、鉄博に展示してほしいけど。
最初に見たのは東京総合車両センターの一般公開(平成最後の夏)のときでしたね。正装での展示ということもあってか、この時のEF58 61号機にはオーラみたいなものが見えたような気がしました。
個人的には国宝機の称号はEF58 61号機が相応しいと思ってます。
8:25 幻の客車である「賢所乗御車」を見てみたいですね。「神」を輸送対象とする特異性、オリジナルのままの真空ブレーキ、総檜作りの車内、当時の最高峰の車両製造技術や工芸技術を今に伝える貴重な車両だと思う。
臨時銀河や臨時踊り子で良く見たなぁ。特に後者はヘッドマーク氷河期の多客臨なのに専用マークが用意され歓喜した覚えが…
異彩を放つカッコ良さだね
1970年代後半は荷レを牽引してたな😄
60.61号機がお召になった理由が知りたい😊
高崎の旧型客車をパック(EF58 89)と重連で牽引して
品川-小田原間を往復
行きは貨物線経由で運転して今では立ち去り禁止に成った馬入橋の東海道線の上り線と下線の間で撮影したな
貨物線は鉄橋だったから
EF58特有のジョイント音が響いて感動したな
この機関車で一番驚いた運用は、品川から東京までの臨時銀河の回送です。
東京駅のホームで突然現れたので、写真も撮れなかった。
昭和28年の国体は愛媛です
4:32 93号機は大宮に展示されていますが、青いEF58も何処かに保存されていたのでしょうか?🤔🤔🤔
碓氷峠にいますよ
@@WPhotogra-vy3qb 碓氷峠にあるのですね♪ 教えていただいてありがとうございます♪
半世紀余り前に大阪駅で見た。
かねがね運転と整備の技術継承は伊勢神宮の式年遷宮に通じるものがあると思っていたが、去年伊勢神宮にお参りした時、ため色の御朱印帳を売っていたので反射的に買ってしまった。E655のデビューとともに台枠亀裂が発生して運用離脱したことにも「何か」を感じる。
やはりEF5861と伊勢神宮は繋がっている!
吹上の親娘と仙洞のご隠居さん、この機関車を観にてっぱくに行ってくれよ、携わった人たちから話しを聞いてくれよ。そしてもっとE655に乗ってくれよ。あなたたち五人が乗ることで明治から培ってきた運転や整備の技術が伝えられるんだ。
世界唯一のインペリアルエンジン
江戸とサロンエクスプレス東京が連結して走ってる!?
使用している画像について疑問に思われている方がいたので概要欄とホームにも記載いたしました、確認ください。
90年代頃に、相当あちこちの臨時列車等で走っていたな。まさに「教祖」だったんだと思う。東京駅で臨時特急踊り子号でも輝いていた。台枠に亀裂が見つかったという記事を読んだときは、ショックだったのを覚えている。
EF58 61が引退し、最近は高崎のDD51 842, 895が引退との記事を見た。こちらも非電化区間のお召し機である。